ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の神社しめ縄(1)

2017-04-25 21:20:02 | 水戸

 しめ縄の「しめ」は「占め」で、神様のいる神聖な場所を囲った縄の意味のようです。注連縄(しめなわ)と書くのは、中国で死者の霊魂が戻らないように家の入口に縄を張ったという風習からのようです。横に渡す綱から、藁(わら しめの子)が向かって右から順に7本、5本、3本と下に垂らすので、七五三縄(しめなわ)とも書かれるそうです。横縄から下がる藁をしめの子といい、同様に下げる紙を紙垂(しで)というそうです。「しで」という言葉は、しだる(垂だる=たれさがる)からきたようで、シダレザクラのシダレはこの「垂だる」から、また、イヌシデやシデコブシの「シデ」は花が紙垂(しで)に似ているのでいわれたそうです
 神社のしめ縄は、鳥居や神殿の入口にかけられていますが、色々な形式があるようです。下の写真は水戸で見たしめ縄のいくつかです。一番下の2つは、ネットでは見かけないので、珍しい型なのかもしれません。

 

一般的なしめ縄
 能化稲荷(本町1)

 

中央が太くて、しめの子が3本のしめ縄 
 香取神社(小吹町876-1)

 

中央が太くて、しめの子が5本のしめ縄
 吉田神社(下入野町)

 

中央でつないで太くして垂らし、しめの子がないしめ縄(中央をしめの子とみれば1本)
 笠原神社(文京2-5-21)

 

中央でつないで太くして垂らし、しめの子が2本のしめ縄(中央も含めると3本)
 市杵姫神社(本町1-6)

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水戸市植物公園の春の花(2)

2017-04-24 21:19:24 | 水戸

ウワミズザクラ(バラ科) サクラの仲間としては花が変わった形をしています。大言海には、「占溝(ウラミゾ)桜ノ転カ」とあり、この木を焼いて骨にひびを入れて占ったことによる名とあります。

 

クヌギ(ブナ科) いわゆるドングリの木の一つです。雄花と雌花が同じ木に咲き、写真は目立つ雄花の方です。

 

サルトリイバラ(サルトリイバラ科) 鋭いとげで、これなら猿もつかまえられそうです。秋の赤い実もきれいです。

 

チゴユリ(イヌサフラン科) 稚児百合という字だそうで、かわいらしさからの命名なのでしょう。でも、花は見方によっては恐竜の手のようにも見えます。黒い実がなります。

 

ユキザサ(ユリ科) これは今年見落としてしまいましたので、何年か前の薬用植物園での写真をのせておきます。

 

ゼンマイ(ゼンマイ科) 花ではありませんが、花のようにきれいです。この部分はおいしく食べられて春を楽しめます。

水戸市植物公園の春の花(1)

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水戸の市

2017-04-23 21:22:32 | 水戸

あおぞらクラフト市
 今回は4月29-30日に、2日間合わせて158店舗が参加して、水戸芸術館(五軒町1-6-8)で開催されるそうです。写真は去年の5月のものです。

 

くろばね朝市
 水戸協同病院(宮町3-2)の駐車場で行われている市で、今日、第122回が行われていました。毎月第4日曜日に行われる、朝からお酒が飲める楽しい市です。

 

鹿島神社の骨董市
  鯉渕町にある鹿島神社で行われている骨董市です。写真は去年の7月の市です。

 

水戸公設地方卸売市場の朝市
 毎月第2土曜日に公設市場(青柳町4566)で行われています。9:00からですから、誰でも行けます。

 

みとちゃん朝市
 千波湖南の千波公園で、第二・第四日曜日の7:30-10:30に開催されているそうです。写真は去年8月の市です。

 

桂岸寺の骨董市
 水戸黄門の格さん(安積澹泊)の墓が桂岸寺(松本町13-19)に接している共同墓地にあるのにちなんで、格の市というそうで、次回は、5月13日に開催されるそうです。写真は今年の2月に行われた市です。

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徳川光圀の酒(3)

2017-04-22 21:43:00 | 水戸

 徳川光圀が出版させた「救民妙薬」には、酒毒には葛(くず)の花をかげぼしにして、粉にし、湯でといて飲むときくとあります。ほかにも、夕顔や茄子の花を同様にして飲むと良いとも書いてありあります。「窮民」に二日酔いなど滅多になかったでしょうから、光圀好みといってよいのでしょう。

 

 あら玉の春のはじめの杯(さかずき)に千(ち)とせのかげも汲みて見るべく
 徳川光圀のうただそうです。新年のさかずきの酒に、千年の姿を見るといううたのようですが、光圀は過去だけでなく、未来の千年も見ていたのでしょう。

 

 蓮の葉にやどれる露は 釈迦の涙か有難(ありがた)や
 そのとき蛙(かわず)とんで出て それは己(おいら)が小便じゃ
という意味のうたを酔うと歌ったそうです。一休禅師を思わせるようです。

 

 光圀が若い頃、ひとりで吉原で遊んだ帰りに、酒狂の男が刀を抜いて振り回していたところにであったそうです。見ると臣下の息子なので、刀を納めよと語りかけ、相手が光圀だと知ってかしこまった男に、お供(とも)がいないのでついてこいと屋敷まで送らせたそうです。

 

 隠居してから、常陸太田の西山荘から水戸へいっていたとき、雪がたくさん降ったので、西山荘の雪はみごとだろうと、夕方から草鞋(わらじ)をはいて一人で出発してしまったそうです。(23kmくらいあるそうです) 仕えていた3、4人が従ったそうですが、その後、ほかの家臣もおっかけお供したそうです。西山荘まで2里というところで、したがってきた者に酒を飲ませて、火にあたったりしたそうです。西山荘には、暁について、雪を楽しんだそうです。家臣には苦労の多い殿様だったようです。

徳川光圀の酒(1)、 (2)

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水戸城のお堀

2017-04-21 22:31:33 | 水戸

 水戸の歴史を書いた本をみていると、「濠」は水戸城のものを(ただ、一般的に「ほり」という場合は「堀」と書かれているようです)、「堀」はその他のもの(例えば備前堀)をあらわしているようです。面倒ですので、ここでは堀に統一します。
 堀の名前については、紀州堀以外は定説がないようで、水戸市史にもはっきりとは書かれていません。内堀、外堀という表示は市史にありました。地図内の内堀、外堀の表示は便宜的なものです。(地図左の3つを外堀、城郭内右2つの堀を内堀というようです。)
 水戸西方から水戸城本丸に至るまでに、5つの堀があったようです。また、本丸台地東の崖下にも、崖に接した堀と、明星池を含む、その外側の堀があったようです。
 水戸城というと、空堀で有名ですが、西の谷や、備前堀、二の丸-三の丸間の堀は、千波湖の水がある程度引き入れられていた時期があったようですし、三の丸西側堀も、銀杏坂の下までは水がきていたようです。地図の写真は水戸市史のものです。

 

 ①、② ①は水戸城崖下のお堀、②は旧明星(めいせい)池などの外側のお堀です。ともに、今はありません。写真は、本丸下のそのあたりです。

 

 本丸-二の丸間の堀(内堀)  今は新しい本城橋がかかり、下には水郡線が走っていますが、以前線路は2車線で(今でも少し手前まで、行き止まりの2本目の線路があります。)、1本は杉山通りにあった河岸の貨物駅に通じていたそうです。江戸時代の堀底を掘削してひろげて線路を敷いたようです。写真は水郡線の線路です。

 

 二の丸-三の丸間の堀(内堀)  弘道館側から旧二の丸に渡る、大手橋がかかる堀です。写真は、堀から見上げた大手橋です。

 

 三の丸西側堀(外堀)  奈良屋町から田見小路にいたる間を掘削した堀をいうようです。水戸城を代表する史跡となっている一番有名な三の丸西側の空堀です。

 

 紀州堀(外堀)  水戸藩初代徳川頼房の前に一時藩主になった、頼房兄・賴宣(よりのぶ)が紀州藩主になったことから、なにかの縁で名づけられたようです。

 

 西の谷(外堀) 千波湖から、大工町を横切って末広町に至る堀です。

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