ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の銅像(1)

2016-10-18 22:00:28 | 地域紹介

 JR水戸駅北側の上市台地にある銅像です。

 

安積澹泊(たんぱく)
 二の丸跡にある第二中学校前。
 大日本史編纂之地碑とともあります。名は覚、徳川頼房に仕え、朱舜水に学び、大日本史の編纂に加わり、彰考館総裁になりました。黄門話では角さんのモデルです。

 

徳川斉昭
 大手橋と弘道館の間の歩道(写真上)、国道50号線南町2丁目歩道(写真下)。
 幕末の水戸藩を尊皇攘夷の方向へ導きましたが、波瀾の人生の内に死去し、藩の混乱は極に達してしまいました。斉昭は、攘夷一点張りばかりではなかったようで、種痘の導入などを見ても、西洋への理解はあったようです。また、かなり個性的な性格の人物だったような気がします。

 

会沢正志斎
 国道50号線大町2丁目の歩道。
 藤田幽谷の門に入り、彰考館で大日本史の編纂に携わり、その総裁になったそうです。外国人上陸事件をまのあたりにして書いた「新論」が、尊攘運動に大きな影響を与えたそうです。

 

藤田東湖
 水戸市梅香1丁目、水戸共同病院向かいあたり。
 藤田東湖誕生の地碑の場所にあります。父幽谷の屋敷があり、ここで生まれたそうです。斉昭の側近として、学者であるとともに、政治家としても活動したそうですが、安政の地震で死亡しました。このとき、母を助けようとしてという話がありますが、このころは、酒毒のため、動くことも容易でなかったという説もあるそうです。

 

朱舜水(しゅしゅんすい)
 北見町8丁目NTT東日本茨城支店前
 明の儒学者で、明が清に滅ぼされたため、日本に亡命、徳川光圀に乞われて水戸に来たそうです。朱舜水は、「先生一人あればすべてをやっていける」と光圀にいわせた広い知識ももっていたそうです。交差点近くに朱舜水祠堂があったそうです。

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