大王の「不老不死」願う 石室築造過程明らかに…桜井茶臼山古墳
詳細な築造過程が明らかになった桜井茶臼山古墳の石室(22日、奈良県桜井市で)=川崎公太撮影
桜井茶臼山古墳(奈良県桜井市)で行われた県立橿原考古学研究所の再調査で、鮮やかな朱色の石室が60年ぶりに姿を現した。周辺は「卑弥呼の墓」とも言われる<RB>箸墓</RB><RP>(</RP><RP>)</RP>古墳(3世紀中頃~後半)など、古墳時代前期の大型前方後円墳が集中する地域。調査では木棺の安置方法など、石室が築造された詳細な過程も明らかになり、研究者は「初期大和王権の古墳研究を進める上で重要な資料が得られた」と、技術が進んだ現代の再発掘の意義を強調した。
同古墳の墳丘では今年6月、丸太を垣根のように立てた類例のない「丸太垣」の遺構が見つかった。大王級とされる古墳の多くは陵墓に指定され、主体部分の調査が行われる例は極めてまれで、石室の調査にも期待が集まっていた。
石室内に残っていたのは、コウヤマキで造られた木棺の底部(長さ4メートル89、幅75センチ、厚さ最大27センチ)。木棺を置いた土に水銀朱が付着していることなどから、石室内の全面が朱色だったとみられる。
辰巳和弘・同志社大教授(古代学)は「水銀朱は中国の神仙思想で不老不死の最高の仙薬とされており、石室にその思想が受け継がれている。1949年の前回調査でも、<RB>三角縁神獣鏡</RB><RP>(</RP><RP>)</RP>が出土しており、まさに神仙世界を見るようだ」と指摘する。
一方、研究者を驚かせたのは丁寧な工法だ。石室の底部は木棺を安置する台として岩盤を削り残し、その上に水銀朱を塗った板石を3重に敷くなどしていた。
和田晴吾・立命館大教授(考古学)は「古墳を造った集団や時期の違いは、構造の基礎的な部分に現れやすい。発掘できないほかの大王級古墳の石室の構造も推測できるようになるのでは」と話す。
石室は12枚の石で覆われ、赤色のベンガラを混ぜた粘土で保護されていた。白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館長(考古学)は「埋葬儀礼の実態が明らかになり、他の古墳と比較検討が可能になった」と期待する。
学生だった約60年前、石室に入ったという大塚初重・明治大名誉教授(82)(考古学)は「発掘の技術は年々上がっている。何十年も前に調査されたほかの古墳についても、現代の目で再調査すれば新たな発見があるだろう」と話す。現地見学会は29~31日の午前10時~午後3時。雨天中止。
(2009年10月23日 読売新聞)