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東海道五十三次 街道をゆく(日本橋~品川宿)品川宿編

2015年05月11日 01時00分00秒 | イベント・外出
 阪急交通社が企画する「東海道五十三次 街道をゆく」の第1回目に参加したのですが、今回は前回の泉岳寺編に引き続きこの日の終点である品川宿編を紹介したいと思います。

泉岳寺を後にして、品川宿を目指して歩きます。
泉岳寺では雨が降り出しましたが、泉岳寺を出ると雨が上がってきて助かりました。

まず、高輪海外の石垣跡がありました。
江戸時代に高輪海岸に沿って造られて石垣とのことです。
最近ですが平成7年(1995年)に発掘されたようです。
当時相模海岸から伊豆半島周辺で採石された安山岩が運ばれたようです。


↑高輪海岸の石垣石の説明


↑高輪海岸の石垣石

それから、品川駅を通り過ぎると緑色の八ツ山橋があります。
実はこの橋は昔のゴジラという映画で、ゴジラが品川に上陸して、最初に潰す橋のようです^_^;)
面白いと思います。


↑八ツ山橋

そして、品川宿の入口に入ります。


↑品川宿入口の案内

この品川宿は日本で一番大きな宿でとても賑わっていたようです。
家屋は1600軒あり、人口は7000人規模で、それに対して他の宿はこの品川宿の1/10ほどの規模のものもあったようです。

そして、この品川宿周辺は現在も江戸時代とほぼ同じ道幅を保ち、当時の様子が垣間見えるようです。


↑品川宿の道路

 品川宿が繁栄したのは、江戸から最初の宿場町ということもありますが、当時は大海原が見える素晴らしい風景を持ち、また近くの御殿山が桜の名所としても有名だったためのようです。

 八代将軍徳川吉宗の享保の改革の一環として御殿山に桜の木が植えられ、隅田川や王子の飛鳥山と並んで桜の名所だったようです。
しかし、1853年に黒船のペルー襲来で、その対策として台場を造ることとなり、その埋め立て用の土として御殿山が削られることとなり、桜の木もなくなったようです。
当時の桜を見ることができないのは、残念ですね。
でも歴史を感じる逸話だと思います。


↑品川宿の説明

そして、1日目のゴールの品川宿本陣跡に到着です!
今は聖蹟公園となっています。
かつて明治天皇がここに寄ったため、聖蹟公園と呼ばれるようです。
なお、本陣とは、かつて大名や公家が使用する宿泊所とのことです。
いつでも出陣できるように本陣と名付けられたようです。
大名が泊まるので、さぞかし当時は儲かっただろうと思いますが、実際は本陣の経営は厳しかったようです。
というのは大名が泊まる値段が決まっていたわけではなく、心付けだったためのようです。
大名によっては、大名の領地の名産品による支払いもあったようです^_^;)
そのため、本陣は材木問屋のサイドビジネスもしていたとは驚きました。


↑品川宿本陣跡の説明

 朝10時に出発して、途中弁当を食べて夕方16時頃ゴールの品川宿到着し、約8.8kmを歩いたのですが、さすがに歩き疲れました^_^;)
当時の旅人は1日で10里(40km)歩いていたことを考えると、その5分の1程度歩いただけで疲れるとは恥ずかしい限りですが、それ以上に当時の跡地や歴史を学べて、とても興味深かったし楽しかったですね!
特に個人的には泉岳寺には初めて行けたのは良かったです。



阪急交通社が企画する「東海道五十三次 街道をゆく」は、かなり充実しているし、ケアもきちんとされていてとてもオススメです!

次回は、品川宿~川崎宿品の川橋・品川寺編です。

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