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東海道五十三次 街道をゆく(日本橋~品川宿)泉岳寺編

2015年05月04日 01時00分00秒 | イベント・外出
 阪急交通社が企画する「東海道五十三次 街道をゆく」の第1回目に参加したのですが、今回は前回の「芝大門~増上寺」編に引き続き泉岳寺編を紹介したいと思います。

昼食後、増上寺からひたすら南下していきます・・・
実はここで大失敗してしまったのですが、意外と時間が過ぎるのが早く、気づいたら集合時間を15分ほど過ぎていて、もう出発していました・・・^_^;)

想像以上にたくさんのグループが参加して人が大勢いたので、まだ出発していないと勘違いしていたのです・・・

慌てて渡された地図を見ながら追いかけますが、サブリーダーの方が前の方から駆けつけてくれました・・・。
携帯電話でやりとりをしてくれたようです。
バックアップ体制はしっかりしていましたね^_^)
前日も同じツアーがあったのですが、3人ほどリタイヤがいて、その対応などもしっかりしていたようです。
さすが、阪急交通社ですね!

そして、右手にあるでっかいNEC本社ビルの辺りには、昔は薩摩藩の屋敷があったようです。
外様なので、江戸城からかなり離れています。
親藩、譜代は江戸城近くに藩の屋敷があったようです。
ちなみに、増上寺の鐘は、ここまで聞こえたようです。


↑奥がNEC本社ビル(昔は薩摩藩の屋敷)

それから少し歩き、地下鉄三田駅(JR田町駅近く)近くの道路左側に、明治維新の逸話で有名な江戸開城会見の地の記念碑がありました。
江戸に攻め入る西郷隆盛が幕府側の勝海舟と会見し、江戸城を無血開城し、江戸の街を焼き討ちから防いだものです。
歴史的な場所で、感慨深いですね。


↑江戸開城会見の地の記念碑


↑会見の様子

それからてくてく歩くと、右側に「札の辻」の案内がありました。
ここに高札場が設けられていたとのことで、浮世絵でその様子が分かります。
確かに、かなり高い場所に書かれていたようです。
幕府の威光ですね。
これで法令が民衆に周知されていました。


↑札の辻の浮世絵


↑札の辻の説明

それから東京タワーを見ながら進みます。
この場所からは唯一東京タワーの土台の方から見えるようです。


↑東京タワー

そして、「高輪大木戸跡」に到着します。
信号に書かれている場所の名前もまさしく「高輪大木戸跡」です。


↑高輪大木戸跡


↑高輪大木戸跡の説明

江戸の南の入口として、道幅約6間(約10m)の東海道の両側に石垣を築き、夜は閉めて通行止とし、治安の維持と交通規制の機能を持っていたようです。
具体的には明け六つに開き、暮れ六つに閉まったようです。
ということは、江戸にたどり着くには、明るいうちにこの大木戸を通過しなければならなりません。
またこれら大木戸の内側が、江戸とそれ以外を分けていたようです。


 そして泉岳寺へ到着します。
近くでワンルームマンションが建設されるようで、景観が失われることから、反対運動の看板が目立っていました。


↑泉岳寺の門


↑泉岳寺

この泉岳寺は忠臣蔵で有名ですね。
泉岳寺は浅野家の菩提樹で、江戸城の松の廊下で赤穂藩の浅野内匠頭が吉良上野介に対して人傷事件を起こし切腹。
大石内蔵助ら四十七士が討ち入りを果たして主君の敵を討ち、その首を持って来た場所が泉岳寺です。
その後、首を吉良家が受け取りに来て、「首一つ」という受領証が今も残っているようです。

泉岳寺に入って左側奥には、浅野内匠頭と四十七士のお墓があり、参ることができました。


↑浅野内匠頭と四十七士のお墓の地図

浅野内匠頭のお墓は右側に独立してありました。


↑浅野内匠頭と四十七士のお墓

討ち入りがあった12月14日は、この泉岳寺では線香の煙がすごいようでう。
この12月14日は吉良上野介の命日にあたりますが、東京の中野に吉良上野介のお墓はあるようです。

次回は品川宿編です。

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