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杉原千畝展(東京 日本橋高島屋)はとてもオススメ!

2021年08月11日 01時00分00秒 | イベント・外出

 東京の日本橋高島屋8Fで2021/8/4〜8/23に杉原千畝展が開催されていましたので行ってきました♪

↑展覧会の説明

↑展覧会の説明

 杉原千畝(すぎはら ちうね 1900〜1986)は、1939年の第二次世界大戦のさなかリトアニアの日本領事館の領事代理として家族とともにカウナスに赴任しましたが、1940年にはソ連が侵攻し、その領事館閉鎖命令の中、約一ヶ月にわたり迫害から逃れる多くのユダヤ人を含む難民に、外務省の意向に背いて日本通過のビザを2000家族以上、昼夜に渡って発給し、命を救います。

 ただ杉原千畝のみが難民を助けたわけではなく、シベリア鉄道でウラジオストクに到着した難民はウラジオストク総領事代理・根井三郎の人道的配慮により、日本海汽船が運航する天草丸に乗って敦賀港へ続々上陸でき、また敦賀では、全米ユダヤ人協会からの依頼を受けた日本交通公社(現在のJTB)社員が、ユダヤ難民救済協会から送金された現金を手渡したほか、神戸・横浜までの鉄道輸送手配を行ったようです。

 そして難民は、その後アメリカ合衆国やカナダ、パレスチナ、上海、オーストラリア、南アフリカ等へ逃れることができたようです。

 本展覧会では、その時発給された実際のビザや、杉原千畝の原稿、外務省との難民を助けるための拡大解釈した電信のやり取りなどが展覧され、とても興味深い内容となっています。
 当時は杉原千畝本人も苦悶し、「人道上拒否できない」と判断しましたが、妻の後押しもあってビザ発給に踏み切ったようです。

 そのビザの氏名一覧約2000人分が展示されていましたが、主にリトアニア人や逃れてきたドイツ国籍やポーランド国籍のユダヤ人などが多かったですね。

 その後、杉原千畝はリトアニアを退去後はベルリンに行き、そして最終的にはルーマニアに派遣されて4年ほど駐在し、第二次世界大戦終結後、ブカレストの日本公使館でソ連軍に身柄を拘束されます。

 しかし杉原一家は、1946年(昭和21年)11月16日に帰国するよう告げられ、オデッサ、モスクワ、ナホトカ、ウラジオストクと厳寒の旅を続け、翌1947年(昭和22年)4月5日にようやく「恵山丸」で博多湾に入港し帰国することができたようで、かなり大変だったようです。

 本展覧会ではその後の杉原千畝の職についても説明があります。

 それから1969年(昭和44年)12月には、リトアニアの総領事館で協議した難民代表5人のうちの一人であるイスラエル宗教大臣となったゾラフ・バルハフティクとエルサレムで29年ぶりに再会を果たすことができ、このとき初めて外務省との電信のやりとりが明かされ、失職覚悟での杉原千畝の独断によるビザ発給だったことを知り、バルハフティクは驚愕したようです。

 1985年(昭和60年)1月18日、イスラエル政府より、多くのユダヤ人の命を救出した功績で日本人では初で唯一の「諸国民の中の正義の人」として「ヤド・バシェム賞」を杉原千畝は受賞することなり、そのメダルも本展覧会で展示されていました。

 その他に杉原千畝はイスラエルやポーランド、リトアニアの記念切手にもなっていたことが本展覧会では分かります。

 杉原千畝展は、杉原千畝の生涯を豊富な資料で追うだけでなく、実際のビザや外務省との電信のやり取りを見れ、また映像による説明もかなり充実していて歴史の勉強となりとてもオススメです♪

 この展覧会は2021/8/23(月曜)までですので、興味がある方はぜひそれまでにご参加ください♪


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