ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

 2008年10月から「第2マキペディア」として続けることにしました。

教育の広場、第 155号、イラク復興支援とは何か

2005年09月17日 | 政治関係
教育の広場、第 155号、イラク復興支援とは何か

 小泉内閣はイラク復興支援のために自衛隊を派遣するそうで
す。何をしにいくのでしょうか。給水と学校の補修と医療技術
指導だそうです。

 こういう事をするためにどうして自衛隊を派遣する必要があ
るのか、自衛隊の派遣がこの目的にかなっているのか、私には
どうしても理解できません。

 今、イラクでは米英軍とそれに同調する人々に対する武力攻
撃が続いています。というより、増えています。

 外国人に対する反発もあるでしょうが、根本的には失業状態
の解決される見通しがないことから来る絶望が根底にあるのだ
と思います。各地で「仕事を寄越せ」というデモが起きていま
す。

 我が日本の戦後の復興を思い浮かべてみても、それは分かり
ます。日本の復興に役立ったのは何だったでしょうか。

 これは大きく、目先の復興に役立ったことと中長期的に役立
ったことと2つに分けて考えることが出来ると思います。

 中長期的に役立ったことはやはり留学生をアメリカなどが受
け入れてくれたこと(フルブライト留学生とか)と資金援助だ
ったと思います。

 目先の復興に役立ったのは、食料をくれたこともあると思い
ますが、一番大きかったのは朝鮮戦争による「特需」だったと
思います。つまり、理由はともかく、仕事が得られたことで
す。

 イラク復興支援でもやはり同じだと思います。つまり、すぐ
にも仕事になる事を考えて実行しつつ、中長期的には留学生を
受け入れ、技術研修生を受け入れ、適切な借款を供与するのが
好いと思います。

 給水のためになぜ自衛隊が行くのでしょうか。イラクの人に
やらせたら好いのではないでしょうか。そのためのお金を日本
が出せば好いと思います。

 学校の補修も同じです。イラク人は優秀だそうです。自分で
直せるはずです。材料がないなら、それを日本が提供すれば好
いと思います。技術は現地の技術の方が好いと思います。

 医療技術指導は先の話です。今は、病院の運営を軌道に乗せ
ることです。これもイラク人の医療関係者を中心にするべきで
す。日本は適当な機材を提供すれば好いだけです。給与も一部
日本が負担すれば好いと思います。

 小泉首相のやり方を見ていると、自衛隊のイラクへの派遣は
イラクの人々のためではなくて、自衛隊の存在感を大きくする
のが目的のように感じます。

 もう一つ、こういう記事がありました。

・・イラクの復興事業として、住友商事はすでに50余件、総額
5千億円の案件を外務、経産両省に提出した。イラクへの資金
援助を決め、復興案件を探しはじめた政府の求めに応じたもの
だ。

ただ、すぐに実施できるのは給水車や小型の変電設備など、
社員が現地に赴かなくても納入できる案件だけ。
(2004,01,08, 朝日新聞)

これは要するに、悪名高い ODAと同じではないでしょうか。
つまり、業者のためだけの公共事業を海外でやるだけだと思い
ます。私はこれにも賛成出来ません。

 中長期的な事は今はおいて、目先の仕事になる事を考えまし
ょう。

 商品は、品質にうるさい日本の消費者の買うような物がどれ
だけあるか知りません。第3世界ショップ関係の人が技術指導
をしたりするのが好いと思いますが、成果が出るまでには時間
がかかると思います。

 そこですぐにも出来ることとして提案したいのは、スポーツ
関係の個人やチームを招待して日本中で試合をしてもらうこと
です。

 サッカーは「ドーハの悲劇」の相手チームがイラクでした。
サッカーのナショナルチーム以外にも各層のチームを次から次
へと招待して、日本の適当なチームが相手をしたらどうでしょ
うか。

 たしかレスリングなども強いはずです。その他も何でもいい
と思います。スポーツの交流をしたらどうでしょうか。もちろ
ん費用は全て日本が持ちます。選手には適当な手当てを払うべ
きです。自衛隊を派遣するより安くて、本当にイラクの人達に
役立つと思います。

 自衛隊員は「危険地手当て」とかが1日3万円出るそうです
。元々の給与を年間 600万円とすると、年収2000万円くらいに
なります〔これは間違いでした。派遣は3ヵ月間ですから、1
人あたりの増収は 270万円くらいです。しかし、その上に2階
級特進とかがあるはずです。応募する自衛隊員はそれが目当て
だと言われています〕。このお金でイラクの人達を日本に呼ん
だ方がイラクの人のためになると思います。

 芸術関係の個人や団体を招待して公演をしてもらうのも好い
と思います。展覧会も開催したら好いと思います。学者の交流
も有益だと思います。

 そうそう、宗教者にも来てもらって日本の宗教者や関心のあ
る人達と交流すると好いと思います。

 こういう本当の復興支援のためにはそれを取り仕切る委員会
もその目的に合ったものにしなければならないと思います。外
務省の職員が1人くらい入るのは必要ですが、そのほかに NG0
の人とか、フェア・トレードをしている人達とか、在日イラク
人とかも入ってもらうと好いと思います。

会議はすべて公開し、HPで逐一決定を報告し、国民の要望
や質問を聞いて答えるべきです。

以上は一案です。皆さんも案を出して下さい。我々で「本当
のイラク復興支援の具体策」を提案しましょう。

ここまでは01月09日に書きました。10日の朝日新聞に政府の
構想が出ていました。要旨は次の通りです。

・・ODA (途上国援助)を使って民生支援をする。国連機関
を通す。雇用促進策と住宅建設支援が柱。陸上自衛隊は人道支
援だが、自己完結的で雇用創出にならないのでこれで補完す
る。つまり、この2つが車の両輪。

具体的には、がれきの撤去、建物の補修、道路の整備などで
住民を雇用する。れんがや簡単な建材を提供して住宅建設を促
進する。教員の再雇用、教材整備支援なども計画。いずれもア
フガニスタンで実績がある。

しかし事業開始までは数週間かかる。しかも1千人規模の雇
用を作ることはとてもできない。・・

既にイラクでは、日本は大勢の人を雇ってくれるらしいとの
噂が広がり、バグダッグなどからもサマワ(日本の自衛隊の派
遣先)に人が集まってきているそうです。

この計画の問題点は、「自衛隊の人道支援」の自己完結的性
格を反省していないことと、民生支援を外務省が主導しようと
していることだと思います。

今や日本は「成熟社会」になったのです。その特徴の1つは
「役人より民間の方が実力が上である」ということです。

イラク復興支援委員会を民間主導で作ってそこに権限を与え
ない限り、本当の復興支援はできないと思います。

(2004年01月10日発行)

教育、教養(03、組織はトップで8割決まる)

2005年09月16日 | カ行
 最近 NHKテレビで自治体の行政改革が報じられています。NHKスペシャルでは長野県の外郭団体の見直しの過程が詳しく報じられました。

 そこでは、4人の民間人からなる見直し委員会が10ヵ月ほどかけて57ある外郭団体の1つ1つを徹底的に調べて、48もの団体を廃止ないし県からの補助金打ち切りを勧告しました。

外郭団体の幹部や担当県職員はその団体の必要性を訴えましたが、ほとんど認められませんでした。これを見ると、田中長野県知事が民間人から成る審議会を使って行政改革をした(まだ実行されていないが)のだと思います。

先日の「クローズアップ現代」では「市長村が国を変える」と題して、市町村の行政改革が報じられていました。

そこで出てきたのは第1に埼玉県志木市の市民委員会とその活動の1つとしての予算のチェックでした。

ここでも、例えば教育予算の一部削減を民間人の意見を参考にして市長が通すという構図でした。

第2の例は長野県栄村の県や国の補助金をあてにしない自前の公共事業でした。これによって安く住民のニーズに合った事業が出来ているそうです。

第3の例は京都府美山町の例でした(これは具体的な内容を忘れました。住民自身が介護をしあうのだったかな)。

今回は取り上げられませんでしたが、特に教育委員会については愛知県の犬山市と東京の品川区が有名です。

しかし、私はこれらの番組の主張ないし伝達内容には少し不満でした。というのは、その伝達内容は、こういう改革が地方自治体レベルで起きていて、それが国の姿を変えてきていると
いうことのようですが、一番大切な事はそのような改革はトップのリーダーシップで行われているということだと思うからです。

逆にいいますと、そういうリーダーシップのない自治体では相も変わらずトップは役人任せの消化試合をこなしているだけだからです。

この最悪の実例が小泉首相の鳴り物入りの「道路公団改革」です。そこではトップである首相は改革意欲のある民間委員を選んだのですが、途中から「抵抗勢力」に屈伏して政権維持をはかったために挫折したのです。

従って本当の問題はトップの問題であり、こういうお飾りトップをどうするか、ということだと思います。

ジャーナリズムは事実を伝えさえすれば良いというものではないことが分かります。ジャーナリズムは真実を追求するべきであり、そのためには正しい問題意識がなくてはならないのです。

(メルマガ「教育の広場」2004年01月18日発行)



教育の広場、第 212号、総選挙の勝利者

2005年09月15日 | 政治関係
第 212号、総選挙の勝利者

 09月11日、第44回総選挙が行われ、小泉自民党の「圧勝」に
終わりました。

 これをどう解釈するかということで、いくつかの意見を読ん
でみましたが、私にとって一番面白かったのは、09月12日付け
朝日新聞夕刊に載ったシン・スゴ(辛淑玉)さん(人材育成コ
ンサルタント)の意見でした。

 シンさんは、キーワードは「憎悪」だとしています。そして
、無党派層の多くは不況で最も打撃を受けている若者だとし、
小泉首相は、彼らの憎しみを、不況でも身分の保障されている
公務員に向けさせて勝利したとしています。

 逆に、民主党は、その母体たる労組がパートなど組織されて
いない労働者のケアを十分にしてこなかったことのツケが回っ
てきた、としています。

 短い文ですから、シンさんにとって言い足りない点は多々あ
ると思いますが、核心を突いていると思います。

 物事は「全体的真実」が問題です。今の日本の政治の「全体
から見ての核心問題」は何でしょうか。役人が政治を牛耳って
いることだと思います。政治家が官僚から政治を取り戻すこと
が最も重要な事だと思います。

 そのように本来の政治主体を確立した上で、内容上は、安全
網を築くことであり、格差拡大のベクトルを逆転させることで
す。

 大衆は「本能的に」これに気づいています。しかし、それは
「本能的に」のことです。ですから、マニフェストをきちんと
読んで、比較して、投票することはしません。

 そこでこの大衆の感情をうまく操って小泉首相が大勝利した
のだと思います。もちろんこの「大勝利」には選挙制度の果た
した役割も大きかったのですが、自民党が民主党に勝ったのは
事実だと思います。

 格差拡大の問題を正面に掲げていたのは社民党でしたが、途
中から憲法9条の問題に中心を移してしまいました。

 シンさんは触れていませんが、第3にとても重要な要素は、
公明党の自民支援が一層徹底的になったということだと思いま
す。神崎代表の民主党批判は気違いじみていたと思います。そ
して、小選挙区で公明党支持者が自民党候補者に入れた割合が
一段と上がったそうです。

 公明党の議席は減りましたが、その存在感は増しています。
自民圧勝は公明党の支援なしにはありえず、どんなに自民党が
勝っても、公明党を切ることは出来ないくらいになりました。

 私の属する静岡7区では、片山さつき氏が木内実氏にわずか
748票の差で勝ちましたが、これも公明党の支持なしにはあり
えませんでした。ドイツ語で「最後の決め手」ことを Ausschl
ag(アウスシュラーク)と言います。今回「も」、選挙戦の「
アウスシュラーク」となったのは公明党だったと思います。

 2005年09月15日発行

教育の広場、第 157号、民主党は「有名人が主役」の党なのか

2005年09月14日 | マ行
 民主党のメルマガ「DP-MAIL 」の第 126号と 127号とに慶応大学教授の金子勝さんの文章が載りました。民主党の年金制度改革案に対する批判とそれに代わる代案を提示したものでした。

なぜこれを載せることになったのでしょうか。書かれていないので推測するしかないのですが、金子さんの方から、「民主党の年金改革案に異論があるんだけど」という話があって、それならということで、書いてもらったのだと思います。

この事自体は良かったと思います。外部からの批判に紙面を割くということは、開かれた民主的な政党の言論のあり方として正しい態度だったと思います。今後、民主党からの対応も載せてほしいと思います。

しかし、私が疑問に思ったのは、多分、こういう事はこれが初めてだったということです。小泉内閣のメールマガジンには外部の人の原稿が載ることはかなりありますが、民主党のメルマガにはほとんどありません。

紙面の多様性でも劣っていると思います。先日、小泉内閣のメルマガは「アンケート」をしていました(確か2度目)。しかし、民主党のメルマガでアンケートに出会った事はないと思います。

私もかつてこのメルマガに投稿した事があるのですが、それは載せてもらえませんでした(それは本メルマガの第2号の「教育改革「市民」会議を」というものです)。

たしかに全ての投稿を載せることは出来ないでしょうが、私の印象として、何か、金子さんの場合は有名な人だから載せたのだが、無名の人の意見は載せない、ということになっているのではないかと思うのです。もしそうだとしたら、やはり間違っていると思います。民主党は「市民が主役」と称しているのだからです。

そもそも民主党のメルマガには意見や感想を伝えるためのメールアドレスは書かれていますが、投稿を載せるスペースが確保されていません。本当に「市民が主役」の政治をするというなら、これは拙いと思います。

昨年〔2003年〕の11月28日の朝日新聞は小沢一郎さんの党代表代行への就任を報じていました。その中に、小沢さんが党の役員会への出席には色好い返事をしなかったということが書かれてあって、その後にこう書いてありました。

──〔民主党の〕執行部には「民主党はみんなが議論して決める党。小沢氏も意思決定機関に参加して民主党の文化を学んでほしい」との声も上がっている。──

私が最近の民主党に期待する理由はこの党風なのです。では、この「みんなが議論して決める」という時の「みんなの議論」には、党外の人々との議論は含まれていないのでしょうか。

そこで民主党への提案です。DP-MAIL は毎週木曜日発行となっていますので、日曜日に「読者の意見特集号」を毎週載せるようにしたらどうでしょうか。1回につき例えば10通と決めて(又字数も例えば1通 500字以内と決めて)選択して載せるという方法もあると思います。

そもそも民主党の場合はメルマガとホームページとの使い分けがしっかり考えられていないように思います。本当はここから考え直すべきでしょう。

更に言わせてもらうならば、そもそもネーミングが悪いと思います。「DP-MAIL 」なんて誰も口にしません。小泉内閣のメルマガにも題名ないし愛称は無いようなので、まずメルマガに愛称を付けて小泉内閣に差を付けたらどうでしょうか。

(2004年01月21日発行)


教育の広場、第 158号、希望の星キューバ

2005年09月13日 | 政治関係
教育の広場、第 158号、希望の星キューバ

 キューバが有機農業で目ざましい成果を上げていることは少
しずつ知られてきていると思います。私も聞いていました。

 昨年〔2003年〕だったと思いますが、テレビ朝日系の「素敵
な宇宙船地球号」でも取り上げていました。ハバナの町中で市
民が有機農業をして食の問題を解決してきているというもので
した。

 これも昨年ですが、たしか夏だったと思います。NHKのラ
ジオ深夜便で登山家の田部井淳子さんのインタビューが放送さ
れました。

 今彼女は世界各国の最高峰に登るということをしているそう
なのですが、昨年の5月にキューバの最高峰に登りにいったそ
うです。その感想のついでに「キューバは豊かですよ」と本当
に感心した口ぶりで語っていました。今でもその言葉が私の耳
に残っているくらいです。

 昨年の秋には戸井十月さんのルポ「カストロ」(新潮社)も
出ましたが、それはカストロに会うという目的を果たすまでの
事が中心でしたが、やはり有機農業のことも書いてありまし
た。

 そういった関連で一番面白そうに思ったのが吉田太郎さんと
いう東京都の職員のキューバレポート「 200万都市が有機野菜
で自給できるわけ」(築地書館)です。

吉田さんは政治的な関心はあまりない方のようですが、学生
時代から有機農業に関心があったそうです。仕事でもその関連
のことをしているそうです。ある時、インターネットで「世界
の都市農業」関連のホームページを探っていて偶然キューバに
出会ったそうです。

それを見て強い興味を持った彼は、休暇を作ってはキューバ
に出掛け、取材したようです。そのレポートがこの本です。広
範囲なレポートになっています(このほかにも適当な本はある
と思います。私が知らないだけだと思います)。

キューバは1959年01月01日の革命成功以来、紆余曲折はあっ
たにせよ、主としてソ連の援助に支えられてかなり豊かな生活
を築き上げてきたようです。

1991年のソ連の崩壊でその支えがなくなりました。アメリカ
はいかにもアメリカらしく、この大ピンチを「チャンス」と見
て経済制裁を強化して、一気にキューバとカストロ政権を倒そ
うとしたそうです。

ものすごい物不足で餓死者が出てもおかしくない状態だった
そうです。しかし、キューバは都市での有機農業を奨励し、食
生活も医療も伝統的なものを再評価し、自然エネルギーを取り
入れ、等の施策によって餓死者を一人も出すことなくその大ピ
ンチ(1994年が底だったそうです)を乗り切り、今や成長軌道
に乗ったそうです。

ソ連のゴルバチョフの改革の後追いをして1986年ころから
「カストロの改革」を既に始めていたキューバは、地方分権を
一層推進し、その後は経済の自由化を進め、ドル所持も許可
し、個人営業も取り入れてきているそうです。

つまり社会主義市場経済に向かってきているわけで、既に私
も書きましたが、社会主義の方から「規制された自由主義」に
近づいているわけです。

もちろん自由主義経済を取り入れれば貧富の格差は生じま
す。そういった事を今後どう処理していくか、私も関心を持ち
つづけたいと思います。

しかし、キューバには政治犯とかいった問題点もまだ残って
はいるのですが、他の国では真似の出来ない事があるというこ
とです。それは「政権に腐敗がない」ということです。そし
て、「トップが清廉潔白で公平無私だ」ということです。これ
によって、素晴らしいセーフティネット(教育と医療は完全に
無料)を張った上での競争が可能になっているのです。

権力がハーレムを作っているような自称「社会主義」もあり
ますが、キューバはそういう事とは無縁です。「ノーメンクラ
ツゥーラ」(赤い特権階級)ともキューバは無縁です。大臣が
買い物をする時も庶民と一緒に行列に並ぶそうです。「キュー
バは社会主義の理想を50%実現した」と言う人もいるくらいで
す。

アメリカは経済制裁を止めるべきです。日本はアメリカの意
向に関係なくキューバとの貿易を飛躍的に拡大するべきだと思
います。

今年になって吉田太郎さんのキューバレポートの第2弾が出
たようです。題して「1000万人が反グローバリズムで自給自立
できるわけ」(築地書館)。今後もキューバからは目が離せま
せん。

今後の最大の問題はカストロが死んだあともその美点を保持
できるかということでしょう。ソ連でもレーニンが生きていた
間はかなりよかったと思います。ベトナムでもホーチミンが生
きていた間はよかったと言われています。しかし、この2人は
早く死にすぎました。

カストロは革命後実に45年間も生きていて、指導しているの
です。その間、間違いも犯しましたが、率直に間違いを認めて
、試行錯誤の結果、今の分権と適正技術による生活大国路線に
たどり着きました。長生きの効用でしょう。

しかし、誰にでも死は訪れます。カストロ亡き後もキューバ
は今の清潔な政権を保てるのでしょうか。

(2004年01月26日発行)

教育の広場、第 159号、再び・イラク復興支援とは何か

2005年09月12日 | 政治関係
教育の広場、第 159号、再び・イラク復興支援とは何か

 〔2004年〕01月28日付けの朝日新聞は「メディア」欄で、自
衛隊のイラク派遣をめぐる主要全国紙6紙の論調をまとめて比
較しています。

それに藤田博司上智大学教授と水島朝穂早稲田大学教授のコ
メントが付いています。藤田さんは「自衛隊のイラク派遣をめ
ぐる各紙の立場」には4つの軸があるとしています。憲法との
整合性、国際社会との関係の視点、日米同盟に対する姿勢、現
地の安全性の評価、です。

確かに与えられた6紙を比較するだけならこの4点でいいか
もしれませんが、このような考え方では6紙が全部見落として
いる視点は落ちてしまうと思います。

そして、私が思うにはこの6紙全部が見落としている点こそ
が大切だと思うのです。というのも、最近の世論調査ではイラ
クへの派遣に反対する人よりも賛成する人の方が多くなってき
ていると報じられているからです。そして、その賛成の理由が
、多分、この点と関係していると思うからです。

では、その点とは何か。それは、自衛隊がイラクでしようと
している事はそれ自体としてはイラクの人々の役に立つ好いこ
となのか、という点です。賛成するようになったという人のイ
ンタビューを聞いていますと、要するに、「憲法はどうか知ら
ないが、イラクの人々が困っている時、それを助けにいくのだ
から、悪い事ではない」という考えです。

しかるに、反対する政治家も有識者もこの点に触れていない
のです。私はこれは大問題だと思います。政治家や有識者の政
治感覚を疑わせます。

私が前回の「イラク復興支援とは何か」で論じたのはまさに
この点だったのです。私の考えは、自衛隊がイラクでしようと
している給水事業とか学校の修復とか病院関係の仕事は、どれ
もみな、イラク人に任せて日本は資金とか資材とか技術とかで
それを側面から援助するのが本当の意味でイラクの人々のため
になる、ということです。

逆に、自衛隊が出ていって何もかもやってしまうのは、イラ
クの人々の生活や技術と合わない、何よりも自立を促さないか
ら、良くない、ということです。

そのほかにスポーツとか芸術とか学術とか宗教とか、その他
考えられる限りの交流をするといい、というのが私の主張でし
た。

皆さんはどう思いますか。ご意見をお寄せください。

(2004年01月30日発行)

     日  本  語  疑  典(その1)

01月26日付けの朝日新聞の「私の視点」欄に前田弘毅(ひろ
たけ)さんがグルジアの問題について寄稿していました。その
中に次の文がありました。

・・それは冷戦以降、若い世代を直接、間接に支援してきた欧
米の影響力拡大であり、一方で、「裏庭」カフカスを手放さな
いとするロシアの必死の巻き返しだった。・・

私が疑問とするのはこの「手放さないとする」という表現で
す。私の感覚ないし知識では、こういう所は「手放すまいとす
る」と、「打ち消し意志」の助動詞「まい」を使うものだと思
うからです。(01月27日執筆)

      日  本  語  疑  典(その2)

01月27日の朝日新聞は中国が世界の工場としてだけでなく、
大市場としても存在感を増していると伝えています。その記事
の中に次の文がありました。

・・~などインフラの不備が懸案として浮上しているが、日本
企業は2008年の五輪や2010年の上海万博もにらみ、中国重視の
手綱をゆるめる気配はない。・・

私の疑問とするのはこういう文脈で「手綱をゆるめる」とい
う慣用句を使うのが正しいのかということです。

辞書を引きますと、「手綱を締める」とは「自分の管理する
部下などの行動を監視して見張る」(必携国語辞典)とあり、
明解国語辞典には「手綱」について「失敗や勝手なまねをしな
いように始終与える注意や監視」と書いてあります。

どこがおかしいのかと考えてみますと、「手綱を締める」と
か「ゆるめる」というのはあくまでも「他人への態度」なのに
、ここで問題になっているのは自分の態度だからなのだと思い
ます。

ここはやはり「中国重視の姿勢を変える(あるいは、再考す
る)気配はない」くらいではないでしょうか。


吉川一義都立大学教授の「教養」の中

2005年09月11日 | ヤ行、ラ行、ワ行
 都立大学を廃止して新しい都立大学を作る石原東京都知事の方針は多くの反対意見を無視して強引にかつ着々と進められているようです。

名前も既に「首都大学東京」と決まったようですし、学長も西沢潤一氏(現在は岩手県立大学学長で77歳)に内定したようです。

都立大学のHPを見ますと、新大学は既定の事実として、現在の都立大学は平成22年03月で終わることを前提したいろいろな通知が出ています。

半分ほどの人が新大学構想に反対の署名をした現在の都立大学教員に対しては新大学で働く意思があるかないかを問い合わせる「意思確認書」を発送し、〔2004年〕02月16日までに返事をするように迫ったようです。

もう少し広く東京都の教育「改革」を見ますと、それは色々な問題を引き起こしているようです。新聞で見ているだけでも、養護学校での性教育に干渉したり、都立高校の式での日の丸掲揚と君が代斉唱のやり方にまで事細かな指示を出したそうです。従わない人に対しては既に処分も出たようです。

朝日新聞への投書を見ますと、東京都教育委員会では「国旗・国歌は強制しないという(法案成立時の)政府答弁は間違っている」との発言まであったそうです。

又、夜間中学の専任教員を減らして非常勤教員に取り替えていく方針も出ているようで、そこで日本語などを学んで自立していった中国残留孤児たちや関係者が反対しているそうです。

 私は石原知事になってからのこれらの一連の教育「改革」に全体としては反対する者です。しかし、同時に、こういう「改革」を是正していくためには結局は次回以降の知事選挙で本当の意味で民主的な人を選出することを中心にしていかなければならないと思ってもいます。

そういう大きな観点から、かつての茂木都立大総長批判に続いて、今回は吉川一義教授の言と行を検討してみたいと思います。

と言いますのは、02月02日付けの朝日新聞に吉川教授(現在は都立大学を休職してパリのソルボンヌ大学の客員教授をしているそうです)が、都立新大学に反対して「閉ざされる文化への窓」(副題、文学専攻を廃止する都立大改革構想)という文章を発表されたからです。

この文章もこの題名から予想されることしか書いてありませんので、特徴的な箇所を引用してみましょう。

──〔東京都の案では〕50年にわたり〔数学や法律や哲学の〕各専攻が蓄積してきた学問的成果、とくに語学や文学を専攻する意義は、まるで理解されていないらしい。

──大学の語学・文学専攻がめざしているのは、文芸批評でも実用外国語の習得でもない。それは、ことばを通じて人間精神の営みを解明することである。

──目先の経済効率ばかりを追い求めた教養の欠如が、バブル崩壊とその後の日本社会の停滞を招いたのではないだろうか。──

 この文章を検討してまず第1に言いたいことは、都立大学が全体としてこの50年間で使った金と上げた成果とを比較した場合、本当に十分な「学問的蓄積」を残したと言えるか、ということです。私はこの50年の蓄積の結果は、全体としては、「都立兼業大学」でしかないと思います。

そこで第2に吉川教授自身の「学問的蓄積」を調べてみますと、自著はわずかに1冊、「プルースト美術館」だけです。この内容は「『失われた時を求めて』の画家たち」という副題か
ら予想されます。

共著は2冊あります。1つは「フランスの文学」というものです。多分、フランスの文学について文学者別に手分けして解説したものでしょう。

もう1つは「現代フランス語辞典」です。これについてはこの文章の中でも「私が日仏の同僚と協力して、仏和辞典を作成したり」と書いています。

訳書は2冊です。「評伝プルースト」と「グレコ-トレドの秘密」です。

このほかにフランス語の本があり、かなり大部なもののようですが、題名から、多分、プルーストの手紙か何かの索引だと思います(日本語のHPに業績として載せる場合には、たとえフランス語で書いた本であっても、日本語での説明を付けてほしいものです)。

私の考えでは教授になるためには自著が3冊以上必要ですから、これでは不十分です。

第3に、では、大学教授の悪の根源であるアルバイトを見てみましょう。非常勤講師組合が調べた所によりますと、平成13年度に吉川教授は東京大学で週に2時間の(フランス語の)授業を持っています。自分の研究業績も不十分なのに、そして十分な給与(多分1千万を越え)をもらいながら、どうしてこのようなアルバイトをするのでしょうか。又、なぜそれを隠すのでしょうか。

ついでに申し上げておきますと、現総長の茂木氏も当時は教授でしたが、北海道教育大学で30時間の集中講義をしています。これはつまり旅費も滞在費も先方持ちで夏の避暑観光旅行をして小遣いも稼いだということだと思います。

現在の都立大学のHPの教員紹介欄には「アルバイト」の項目がないことは前回書きましたが、その理由はここからも分かるというものです。

第4に、しかし、私が今回一番問題にしたいことは、吉川教授の教養の中身です。「目先の経済効率ばかり追い求めた教養の欠如」という言葉も少しおかしいですが、言いたいことは分かりますので、言葉の詮索は止めましょう。

たしかにバブルの頃多くの人が「目先の経済効率ばかり求め」ました。そして、その多くの人がバブル崩壊で自分も崩壊しました。しかし、これを吉川教授のように「教養の欠如」と嘲笑って好いのでしょうか。

なぜ多くの人が「目先の経済効率ばかり追い求めた」のでしょうか。十分な収入と資産がありながら更に大きな富を得ようとした少数の人を除いて、その大多数の人は、「この好景気の波に乗って自分も少しは豊かになりたい、小金を貯めたい」と思ったからではないでしょうか。

しかるに、大多数の人のこの気持ちは悪いことでしょうか。私は当然な事だと思います。日本のサラリーマンの平均年収は、昔は日本全体では 600万と言われていたと記憶していますが、最近は 400万とか 450万とか言われているようです。首都圏のサラリーマンに限れば 800万とか言われています。

そういう人達がバブルの好景気で小金をもうけたいと思ったとしてどこが悪いのでしょうか。私はこれが「人間精神」だと思うのです。これが人間精神ではないとしたら、吉川教授が「ことばを通じて解明する」という「人間精神の営み」とは何でしょうか。

吉川教授こそ、年収1千万以上もらい、更に印税もありながら、そして業績も不十分なのに、研究と自分の大学での授業を手抜きして、東京大学でアルバイトをしているではないですか。これは「目先の経済効率ばかり追い求める教養の欠如」ではないのでしょうか。

又、吉川教授は仏和辞典の共著者になっていますが、なぜ「ことばを通じて人間精神の営みを解明する」のに最も役立つ仏文法書ではないのでしょうか。それは、辞典は大学の1年生が買うから需要があるけれど、文法書は誰も買わないから、出版社が出さないからです。これは「目先の経済効率ばかり追い求める教養の欠如」ではないのでしょうか。

始めに確認しましたように、都立新大学の準備は着々と進んでいます。02月16日までに「意思確認書」を出した方の中にはかつて「反対署名」をした方も多いだろうと推測します。それは、「抗議して辞職」した4人の法学部教授のような方を除いて、多くの教授は単なるサラリーマンであり、生活のためには新大学で働くしかないからです。

私はこれを非難しようとは思いません。「教養の欠如」でもないと思います。私でも都立大学の教員だったらそうすると思います。私はこういう人間の本性を見つめる所から出発する学問が本当の人文科学だと思っています。

むしろ、悪いのは、こういう人間の弱みに付け込んで強引に間違った新大学を押し進める知事だと思います。又、十分な収入がありながらコソコソとアルバイトをし、定職がなくて困っているオーバードクターの人達から仕事を奪っている教授たちだと思います。

今、世界中でイラク問題が議論されています。アメリカに追随してイラクに兵隊を送った国も少なくありません。皆、見返りを期待してのことです。国の場合には、キューバのように本
当に国民のための政治をすればアメリカに頼らなくてもやっていけると思いますので、アメリカからの見返りを期待するのは情けないと思いますが、そこに志願していく兵隊を責める気持ちには私はなれません。

先日、ポーランドでそのイラクへの志願兵が募集の何倍にもなったという記事を見ました。今や先進国と言える韓国でも志願兵が14倍だったとか、我が日本でもイラク派遣には多数の自衛官が応募しました。ほとんど皆、特別な報酬〔危険地勤務手当て〕と帰国後の特別待遇が目当てなのです。

 そこで、吉川教授に聞きたいと思いますが、吉川教授のパリの大学院でのゼミにはポーランドからの留学生もいるそうです。吉川教授はポーランド兵のこういう現状を皆で話し合っているのでしょうか。それともこれは「人間精神の営み」ではないのでしょうか。

 私は何が言いたいかと言いますと、石原知事の東アジア人蔑視発言や女性差別発言は本当に下劣だと思いますが、それに反対する人々も本質的には石原知事と同レベルではないかという「疑問」です。

 何も個人に完全無欠を要求するわけではありませんが、社会的な発言の吟味では、発言者の資格と能力も問題にしなければならないのではないか、ということです。いや、それに相応しい発言態度があるのではないかということです。

 一番ハッキリしている例が社民党です。自分自身が内部でも個人としても民主主義を実行していない社民党やその方面の人々が護憲を唱えても何の力にもならないということです。そういう人々は本当の意味では護憲勢力とは言えないということです。

(2004年02月24日発行のメルマガ「教育のひろば」より)

      関連項目

茂木都立大総長の言と行

教育の広場、第 161号、山本義隆さんの労作

2005年09月10日 | 教育関係
教育の広場、第 161号、山本義隆さんの労作

 山本義隆さんの労作『磁力と重力の発見』(みすず書房、全
3巻)が評判になっています。この本は昨年、大仏次郎賞と毎
日出版文化賞とパピルス賞の3つを受賞したものです。

 広告の文章によりますと、本書は「遠隔力の概念が、近代物
理学の扉を開いた。古代ギリシャからニュートンとクーロンに
いたる空白の一千年余を解きあかす」ものだそうです。

 〔2004年〕02月29日の広告によりますと、既に累計で9万部
売れたそうです。出版された時から噂は広まっていましたが、
受賞後に更に伸びたようです。

 この報に接して私の考えた事を箇条書きにまとめます。

 第1に、私は山本さんを個人的には知りませんが、山本さん
にとってよかったなと思いました。それははっきり言って何よ
りもお金の面でのことです。これで印税が3千万円以上入った
と思うからです。今後もまだ増えるでしょう。

 第2に、この本については広告の文章にもありますが、「ア
カデミズムの外で生まれた」ということを考えなければならな
いでしょう。

 彼はかつて1960年代末の大学紛争の時、東大の全共闘(全学
共闘会議)の議長として活躍され、とても有名な人でした。そ
の後、大学をどのようにして出たのかは知りませんが、ともか
く研究室には残らず(残れず?)予備校で講師をして生活して
きたそうです。

 その講師の生活のかたわら、あるいはその授業の中で持った
問題意識を追求して今日の成果を残したのです。

 ではこの成果を「アカデミズムの外で生まれた」と称する
時、その言葉の意味は何でしょうか。「大学教員ではないため
に研究条件が劣悪だっただろうによくこれだけの成果を上げ
た」というのが普通の解釈だと思います。

 しかし、山本さんくらいの講師になるとかなりの給料を得て
きたのではないでしょうか。しかも、予備校の場合は大学と違
って、事務的な事はすべて事務員がしますから、講師はかえっ
て授業に集中できます。

 逆に言いますと、大学教員の場合は大学の雑務にかなりの時
間とエネルギーを取られるようです。これも真面目にやる人と
うまく逃れる人とがいるようですが。

 予備校講師には身分保証がないので不安だと言うかも知れま
せんが、そしてそれは事実ですが、山本さんくらいの実力と熱
意があれば、失職の心配は事実上なく、授業に専念できたので
はないでしょうか。

 たしかに予備校講師には退職金がありません。これは困った
事です。私が最初に「よかったな」と書いたのはこれと関係し
ています。この印税が山本さんにとって退職金の代わりになる
と思ったからです。

 研究費について言いますと、たしかに実験系の学問ですと、
これは研究機関の外でやるのは難しいでしょう。しかし、山本
さんの今回の研究のような科学史ならば、その種のお金は大し
てかからないと思います(かつて小倉金之助氏が数学史をテー
マとされた時も、同じような理由からだと聞いています)。

 たしかに史料集めは大変だったようですが、報じられる所に
よりますと、教え子で大学の研究者になった人たちが、外国の
図書館の史料などをコピーしたりして送って協力してくれたそ
うです。

 一番困るのは、予備校は年中なんだかんだと授業をしてい
て、長期休暇がないことです。これはやはり辛かったと思いま
す。

 と言うわけで、大学教員でないのによくやったという考えは
必ずしも当たらないと思います。長谷川宏さんなども、同じよ
うに東大の大学紛争を契機として大学に残ることを潔しとせ
ず、連れ合いと学習塾を開いて口を糊するかたわら、研究を続
けてきたようです(長谷川さんの翻訳には強い批判が出ていま
すが、そしてそれに答えないのも問題ですが、今はそれは言い
ません)。

 第3に、従って、日本の進学熱が塾とか予備校を生んだとい
うことの意義を考えました。それは文部省の干渉を一切受けな
いが故に、自由な学問と教育を可能にしたという面があると思
います。そして、山本さんや長谷川さんのような人達に働く場
を提供したということです。

 私も塾に少し関わった経験がありますが、塾とか予備校の場
合どうしても免れない欠点は、先にも言いましたように、年中
無休で長期休暇がないということと、やはり教えるレベルが余
り高くなく、大学院レベルのことは無理だということ、その意
味で授業と研究との乖離が大きいということなどです。

 第4に、最後に私の最も考えた事は、山本さんがかつて全共
闘で追求した事柄はどうなったのか、そのテーマと今回の著作
(研究)とどう関係するのかということです。

 全共闘は大学のあり方と学問のあり方を問うたのではないで
しょうか。そうだとすると、学問のあり方についてはこれで山
本さんなりの答えを出したと言えるのかもしれません。

 しかし、全共闘というのは、自分が正しい学問をすれば好い
というものではなかったと思います。日本の学問を本当のもの
にしたいということだったと思います。

 しかるに、この本はアカデミズムの外の人達だけでなく、ア
カデミズムの内部の人によっても称賛されています。これはど
ういう事でしょうか。この本はアカデミズムにとって無害なも
のだということではないのでしょうか。とても気になることで
す。

 かつて空想的社会主義者のロバート・オーウェンも、自分の
工場で労働者の福祉を考えた理想的な経営をしていた間は皆に
褒められました。しかし、その考えを社会全体に適用しようと
した時、排斥されました。

 山本さんが自分の研究だけを模範的なやり方でしている間は
皆に好かれるだろうと思います。しかし、山本さんの目標はそ
ういう事なのでしょうか。

 全共闘がつぶれてから30年余りたちました。そして、ここ10
年くらいは少子化を背景として私立大学を中心とした改革が進
んできています。又、国立大学も行政改革の中で独立行政法人
になって外部評価とか競争といったことが日程に上っており、
改革も少し行われてきています。

分かりやすく言いますと、山本さんたちの抗議行動によって
ではなく、財政的な事情に強制されて改革が始まっているわけ
です。もちろんこの改革も必ずしも好い方向への改革ばかりで
はないようです。

こういった事も踏まえて、山本さんは最近の大学と学問のあ
り方をどう考えているのでしょうか。そして、それに対して今
回の大著によってどう対処したつもりなのでしょうか。又、今
後どうするつもりなのでしょうか。私の聞きたいのはこの事で
す。

お金というのは、違法な手段によって稼ぐのでない限り、パ
チンコで儲けても株で儲けても立派な本で儲けても、大した問
題ではない、と私は思っています。一番の問題は、儲けたお金
をどう使うかだと思います。

私がこれまでの乏しい経験から得た結論は「お金の使い方の
中にその人が出る」というものです。

山本さんはこれで得た知名度とお金と可能性をどう使うので
しょうか。

 (2004年03月03日発行)

教育の広場、第 162号、「考える力」が育たないのはなぜか

2005年09月09日 | カ行
教育、第 162号、「考える力」が育たないのはなぜか

 〔2004年〕03月09日付け朝日新聞夕刊に「万引き生徒を『犯罪者』」という見出しの記事が載りました。その事件の概要はその記事によると次の通りです。

1、某私立高校では昨年の11月ころから校内での盗みが相次いだので、面接などをして調べた所、36人が盗みや万引きを告白した。

2、そのため02月から14人と22人に分けて、ビデオを見せたり読書や作文をさせたりする特別授業を行っていた。

3、03月05日、或る男性教諭が、この授業中に、生徒が騒いでいたため「お前ら犯罪者なのに、何でヘラヘラした態度をしているんだ」と言った。

4、怒った生徒の1人が教諭に近づいて服をつかんだため、教諭は生徒の服をつかんで投げ飛ばし、倒した後で顔をけった。生徒は頭を強くうち、口の中を切るけがをして入院した。

5、教諭は3月末で依願退職の予定。警視庁は傷害容疑で書類送検する方針。

6、校長は「熱血漢が激情に駆られてやってしまったと思うが、許される行為ではない。今月中に生徒や保護者にきちんと説明したい」と話している。

何が問題なのでしょうか。記事の見出しによると、朝日新聞は「犯罪者と呼んだこと」が問題だと思っているようです。警視庁は教諭の暴力行為を問題視しているようです。校長は何を問題にしているのか分かりません。

私は校長のこの何を問題にしているのか分からない態度こそ問題だと思います。ここで考えるべき事は以下の通りだと思います。

第1に、この盗みと万引きの問題が発覚した時、職員会議や生徒会や授業の中でどういう話し合いがどれだけ行われたかが根本問題だと思います。そして、その中で、「校長を中心とする教師集団のあり方」の反省がなされたのかが問題だと思います。

第2に、2の対策が正しかったかが問題だと思います。何かあると本を読ませたり作文を書かせたりするのが教師や学校の常套手段ですが、これは本当に有効なのでしょうか。私はそうは思いません。私が『哲学の授業』(未知谷)にまとめたような授業こそが本当の解決策だと思います。

第3に、そもそもその生徒たちだけを集めた「特別授業」をしたことが正しかったかも問題です。もし特別授業をするとしても、この特別授業を校長が担当しないで教諭に担当させたのは正しかったでしょうか。こういう時こそ校長が出るべきではないでしょうか。

第4に、校長の言葉に自分の管理責任(指導責任)の反省がないのも問題だと思います。部下の誤りに対してはトップも何らかの責任を取るべきだと思います。

そして最後に、この事態になっても、第1として挙げました話し合いの不十分性の反省がなく、以上のような問題を1つ1つ学校全体で話し合おうという方向が感じられません。いつもの通りなるべく早くやりすごしてしまおうとしているようです。

03月10日の朝日新聞夕刊には、「教室に監視カメラ」という見出しの記事が載りました。この記事によりますと事件は次の通りです。

1、某私立高校の或る教室で、スプレーによる落書きが何回かあったので、校長が事務職員に指示して、その教室の黒板の上に小型ビデオカメラを設置させた。放課後に撮影するつもりだった。

2、翌日、生徒から「監視されているようでいやだ」と抗議され、撤去し、生徒の親たちに文書で謝罪した。

ここにも話し合いが全然ありません。これで今後どうなるのでしょうか。

昔からずっとそうですが、最近も又々、「生徒の考える力が落ちている」といったことが言われています。

では、生徒の「考える力」はなぜ高まらないのでしょうか。生活のなかで起きた問題の1つ1つについて、校長に「考える力」がなく、「考える意欲」がなく、教職員や生徒たちと一緒に話し合う姿勢がないからだと思います。

「組織はトップで8割決まる」のです。

(2004年03月11日発行)


教育の広場、第 163号、加藤周一さんの限界

2005年09月08日 | その他
教育の広場、第 163号、加藤周一さんの限界
      
 朝日新聞の夕刊に月に1回くらいのペースで加藤周一さんの
「夕陽妄語」というコラムが載ります。私には読みにくいもの
で、たいてい途中で止めてしまいます。しかし、〔2004年〕03
月16日付けの「『オウム』と科学技術者」と題する文章は珍し
く最後まで読めました。

かつて地下鉄サリン事件が起きてそれがオウム真理教の犯罪
だと分かり、更にその他の様々な犯罪もオウムのものだと分か
った時、「このような犯罪を理科系の高等教育を受けた人がな
ぜするのか」と不思議に思う意見が多かったのに対して、加藤
さんは「なぜ不思議なのか」と反問します。

 この考えを批判するために、加藤さんはこの考えを一般化し
ます。それは、医者などの専門家にその専門領域以外の事柄に
ついても、その人達の「高学歴」が一般の市民以上の判断能力
を保証するだろうと考えることだ、とします。

 そして、このように考えれば、全体としては気違いじみた計
画や目的のために高等教育を受けた科学者たちが協力すること
はいくらでもあるとして、次の例を挙げます。

 東アジア全域への国家神道の強制、ヨーロッパ全土からのユ
ダヤ人の一掃、全知全能とされる独裁者の下での一国社会主義
の建設、そしていくら探しても見つからぬ大量破壊兵器の脅威
を除くためのイラク討伐等々。

 これらの「狂気」には多数の傑出した科学者や技術者が含ま
れていた。だから、科学技術者と集団的狂気とは、「オウム」
の場合にかぎらず、必ずしも相互に不適合とはいえない、と言
います。

 「集団」の側は、自分の目的の正当化のために歴史家や社会
科学者を、それの実行のためには技術者を必要とするし、科学
技術者の側では、専門領域では合理的実証的な思考をしていて
も、専門外の事では合理的な立場から批判することができない
、というわけです。

 ではどうすればこういった事の再発を防げるか。加藤さんの
答えは次の通りです。「合理性の個室と非合理な信念の個室と
の障壁を取り払えばよい。そのためには科学的個室で養われた
合理的思考を、いつどこでも徹底的に貫くほかないだろう」。

 私は加藤さんの問題提起には興味を持ちましたが、答えには
がっかりしました。それを詳しく述べましょう。

 オウムについて人々の疑問とした事をこのように一般化した
ことは優れた着眼だと思います。私もこういった事はこれまで
論じてきましたが、それは、部分的事実と全体的真実(あるい
は虚偽)の関係と言うことができます。部分的事実は必ずしも
全体的真実と結びつかないのです。

 又、偽善の問題でもあると思います。偽善というのは言行不
一致と理解されることが多いようですが、そうではなく、「大
きな悪を隠すための小さな善」のことだと思います。この点に
ついては、HP「ヘーゲル哲学辞典」の偽善の項を見てくださ
い。エルヴェシウスの言葉を引いてあります。

 もう少し小さな事で言いますと、精神分析学者(だと思う)
の岸田秀さんは「部分精神病」というのを指摘しています。

・・精神病の一種に部分精神病というか部分妄想狂というか、
ある一点だけが狂っていて他の点ではすべて正常というのがあ
る。たとえば、自分は天皇の落胤だという誇大妄想をもってい
て、誰が何と言おうが頑として受け付けず、いささかも確信は
ゆるがないが、世間の常識とか社会人としての義務とか礼儀作
法とか、その他の点はまったく正常で、したがって社会生活を
営む上では差し支えのない人というのがいるが、一時代前の西
欧の一部の理論家はこの種の精神病だったのではないかと思わ
れる。

 L・ボルクにしても、人類の進化を猿の胎児化現象として説
明するとき、なるほどと思わせる具体的な証拠をいろいろ挙げ
、実に明晰に緻密な論理を展開するのだが、その進化の過程で
白人は黒人より上の段階にあると言い始めると、とたんに判断
力に霧がかかったかのようになり、明々白々な反証が目に入ら
ず、論理の飛躍に気がつかないらしいのである。(『性的唯幻
論序説』文春新書)・・

 私の考えでは、これと同じように、「一時的精神病」もある
のではないかと思います。「自分はなぜあの時あんなバカな事
をしてしまったのか」と後悔した経験は多くの人が持っている
のではないでしょうか。

 このように、部分と全体の関係でも、或る分野と他の分野と
の関係でも、人間は必ずしもそれほど首尾一貫しておらず、十
分に整合的ではないのだと思います。ではどうしたら好いので
しょうか。

 この難問に対して加藤さんは実に「科学的個室で養われた合
理的思考を、いつどこでも徹底的に貫け」と教えてくれるので
す。これで答えになっているでしょうか。

 これが言われただけで簡単に出来るくらいなら間違いは起こ
らないと思います。自分の専門とする「科学的個室」で養われ
た合理的思考でも、専門外の領域で貫くことは難しいからこそ
、間違いが起きているのではないでしょうか。

 これはいわゆる「専門バカ」の問題だと思います。私はこれ
を人生における「幅と深さ」の問題として捉えます。人間は誰
でも一方で沢山の事を知りたい経験したいという思いと、他方
で一つの事を深く掘り下げたいという気持ちとを持っていて、
その矛盾に悩むと思います。

 特に青年時代にはそうですが、限りある人生でこの2つを両
立させることはとても難しいことだからだと思います。それは
、多分不可能ではないかとさえ思われるからです。

 加藤さんの答えを読んで、「この人は本当にこの問題で悩ん
だことがあるのかな」「専門外の事でしったかぶったために間
違えた経験はないのかな」と思いました。

 私は加藤さんという人をほとんど知りませんが、知っている
範囲で実例を挙げましょう。ドイツ文化協会では数年前からレ
ッシング翻訳賞というのを始めました。その第1回には長谷川
宏さんの訳したヘーゲル「精神現象学」(作品社)が選ばれま
した。その発表を新聞記事で読んだすぐ後、私は、その選考委
員の一人が加藤周一さんだったということを知って驚いたこと
を覚えています。

 加藤さんはあの長谷川さんの翻訳を自分できちんと読んだ上
で本当にレッシングの名を冠した翻訳賞に相応しいと「合理的
に」判断したのでしょうか。しかも、その後も自分の判断は正
しかったと思っているのでしょうか。

 実際にあの翻訳を読んだ人達の間では、「長谷川さんの訳で
は分からない」という声が多数聞かれることを知っているので
しょうか。又、何人かの哲学教授からは詳細な批判が発表され
ているのを知っているのでしょうか。

 もう1つ別の実例を挙げましょう。部分と全体の関係という
ならば、加藤さんは自分が朝日新聞に寄稿していることをどう
思っているのでしょうか。朝日新聞は今では創価学会批判をほ
とんど載せなくなりました。逆に、創価学会系の雑誌や本の広
告を沢山載せています。

 こういう新聞に定期的に評論を載せることは、その評論が「
合理的思考」だとしても、新聞全体の「狂気」を覆い隠すこと
にならないのでしょうか。加藤さんは朝日新聞のこの偏向を批
判したことがあるのでしょうか。

 私はこの「部分と全体の問題」はとても難しい問題だと思い
ます。だから加藤さんが朝日新聞に寄稿するのを一概に悪いと
は思いません。私自身、朝日新聞を定期購読しています。

 NHKについても、特にイラクへの自衛隊の派遣に関しては
、それを宣伝する役割の方が強くなっていると思います。しか
し、だからといって、NHKの多くの良心的な番組が多くの視
聴者に歓迎されていることも事実です。

 何だかまとまらない文章になりかけましたが、私の言いたい
ことは、加藤さんの今回の文章を読んで、特にその結論部分を
読んで、思想家であるための条件というものを考えたというこ
とです。

 第1に、自分の経験を踏まえた考えを言わなければならない
のではないか、ということです。

 第2に、火中の栗を拾わなければならないのではないか、と
いうことです。

 たしかに加藤さんは、アメリカの今回のイラク侵略について
触れていますが、火中の栗を拾うと言うならば、将棋の名人を
1期つとめた人が引退後、教育委員になって君が代・日の丸の
押しつけに狂奔しているといったことに触れるべきではないか
と思うのです。

 私は、この意味でサルトルは本当に思想家だったと思いま
す。彼は共産党に対する自分の態度でも、スターリンの問題で
も、ベトナム戦争の問題でも、進んで火中の栗を拾ったと思い
ます。

   (2004年03月24日発行)