ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

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教育の広場、第 213号、世界にたった一つの花

2005年09月18日 | 教育関係
第 213号、世界にたった一つの花    

 SMAPとかいうグループの歌う「世界にたった一つの花」とか
いう題名の歌が、3年連続して「最も儲けた歌」になったとい
う報道がありました。もうかなり前の事です。

 これについて一言しておきたいと思っていました。ようやく
書くことになりました。

 この歌が儲けの大きい歌の第1位になった理由は、学校関係
で使われた(売れた)ということのようです。そういう解説が
ありました。そこで、私は思い出しました。金子みすずの詩の
「みんな違ってみんないい」とかいう言葉です。これは教科書
に載っているらしく、学校で、多分今でも、大いに流行ってい
るはずです。

 言葉の意味ないし狙いは同じだと思います。金子みすずは昔
の人で、当時、イジメがどれくらい流行っていたか知りません
が、まあいつの時代にも特に学校にはイジメはあったのでしょ
う。あるいは自分の経験を下敷きにしてそう言ったのかもしれ
ません。なにしろかなり不幸な方だったようですから。

 今、学校でこういう言葉が意識的に流行させられるのは、も
ちろん、イジメの原因の1つとして、「皆と違う」という理由
があると考えられているからだと思います。

 しかし、本当にそうなのでしょうか。結果から考えると、こ
のような言葉を学校や教師が意識的に流行らせたとしても、イ
ジメは減っていないと考えられます。ということは、こういう
言葉ではイジメ対策としては無力、ないしほとんど無力だと推
定されます。

 なぜでしょうか。原理的に、「みんな違ってみんないい」で
は済まない場合があるからです。そして、そういう場合にどう
したらいいのか、その基準を提示していないからです。

 先日、総選挙がありました。どの政党も「みんな違って」い
ました。これを「みんな違ってみんないい」と言っても何も出
てきません。どの政党も「世界でたった一つの花」かもしれま
せん。だとしても、だからどうだと言うのでしょうか。投票行
動の指針になりません。

 つまり、民主主義が本当に問題になるのは、1つの選択肢を
選ばなければならず、選ばれた1つの選択肢が全体を代表して
行動して好い、という前提がある場合に、意見の違いがあるか
らです。その時どうしたらいいのか、これが問題なのです。

 問題をこのように立てないで、「みんな違ってみんないい」
とか「世界でたった一つの花」とか言ってみても、民主的人間
関係には何も資する所はないでしょう。問題をはぐらかしてか
えって人を欺くだけだと思います。

 しかし、詩人やタレントグループの人達が悪いのではないと
思います。このように民主主義の高度な問題の理論的解明は彼
らの仕事ではありません。それは政治家や理論家や教師自身(
特に校長)の仕事です。つまりこういう人達の理論的貧困に原
因があるのだと思います。

 それを自覚しないで、こういう歌や詩を口にして何かイジメ
対策をしたかのように思い込んでいる内は、学校は少しも前進
しないでしょう。

 ここまで書いてきて、これだけでは少し不親切だなと思いま
した。なぜなら、実際に、「全体との違い」を理由にしたイジ
メもあると推定されるからです。

 しかし、イジメが減っていないらしいということは、この種
のイジメもこういう詩の一節を唱えたり、歌を歌ったりして解
決できるものではないということを示しています。

 校長を中心として教師たちがまとまっていて、教師集団が全
体として前向きの姿勢で課題に取り組んでいることだと思いま
す。又、議論が活発に行われ、議論のルールが繰り返し反省さ
れていることだと思います。

 生徒は教師の姿を映す鏡だと思います。

 何ヵ月か前、山口県の光高校の生徒がイジメに対する恨みか
ら、教室に爆弾を投げ込むという事件がありました。この高校
のHPを見てみますと、内容のないものでした。校長の生の声
も載っていませんでした。

 これがあの事件の本当の背景だと思います。

 (2005年09月17日発行)