ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

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教育の広場、第 162号、「考える力」が育たないのはなぜか

2005年09月09日 | カ行
教育、第 162号、「考える力」が育たないのはなぜか

 〔2004年〕03月09日付け朝日新聞夕刊に「万引き生徒を『犯罪者』」という見出しの記事が載りました。その事件の概要はその記事によると次の通りです。

1、某私立高校では昨年の11月ころから校内での盗みが相次いだので、面接などをして調べた所、36人が盗みや万引きを告白した。

2、そのため02月から14人と22人に分けて、ビデオを見せたり読書や作文をさせたりする特別授業を行っていた。

3、03月05日、或る男性教諭が、この授業中に、生徒が騒いでいたため「お前ら犯罪者なのに、何でヘラヘラした態度をしているんだ」と言った。

4、怒った生徒の1人が教諭に近づいて服をつかんだため、教諭は生徒の服をつかんで投げ飛ばし、倒した後で顔をけった。生徒は頭を強くうち、口の中を切るけがをして入院した。

5、教諭は3月末で依願退職の予定。警視庁は傷害容疑で書類送検する方針。

6、校長は「熱血漢が激情に駆られてやってしまったと思うが、許される行為ではない。今月中に生徒や保護者にきちんと説明したい」と話している。

何が問題なのでしょうか。記事の見出しによると、朝日新聞は「犯罪者と呼んだこと」が問題だと思っているようです。警視庁は教諭の暴力行為を問題視しているようです。校長は何を問題にしているのか分かりません。

私は校長のこの何を問題にしているのか分からない態度こそ問題だと思います。ここで考えるべき事は以下の通りだと思います。

第1に、この盗みと万引きの問題が発覚した時、職員会議や生徒会や授業の中でどういう話し合いがどれだけ行われたかが根本問題だと思います。そして、その中で、「校長を中心とする教師集団のあり方」の反省がなされたのかが問題だと思います。

第2に、2の対策が正しかったかが問題だと思います。何かあると本を読ませたり作文を書かせたりするのが教師や学校の常套手段ですが、これは本当に有効なのでしょうか。私はそうは思いません。私が『哲学の授業』(未知谷)にまとめたような授業こそが本当の解決策だと思います。

第3に、そもそもその生徒たちだけを集めた「特別授業」をしたことが正しかったかも問題です。もし特別授業をするとしても、この特別授業を校長が担当しないで教諭に担当させたのは正しかったでしょうか。こういう時こそ校長が出るべきではないでしょうか。

第4に、校長の言葉に自分の管理責任(指導責任)の反省がないのも問題だと思います。部下の誤りに対してはトップも何らかの責任を取るべきだと思います。

そして最後に、この事態になっても、第1として挙げました話し合いの不十分性の反省がなく、以上のような問題を1つ1つ学校全体で話し合おうという方向が感じられません。いつもの通りなるべく早くやりすごしてしまおうとしているようです。

03月10日の朝日新聞夕刊には、「教室に監視カメラ」という見出しの記事が載りました。この記事によりますと事件は次の通りです。

1、某私立高校の或る教室で、スプレーによる落書きが何回かあったので、校長が事務職員に指示して、その教室の黒板の上に小型ビデオカメラを設置させた。放課後に撮影するつもりだった。

2、翌日、生徒から「監視されているようでいやだ」と抗議され、撤去し、生徒の親たちに文書で謝罪した。

ここにも話し合いが全然ありません。これで今後どうなるのでしょうか。

昔からずっとそうですが、最近も又々、「生徒の考える力が落ちている」といったことが言われています。

では、生徒の「考える力」はなぜ高まらないのでしょうか。生活のなかで起きた問題の1つ1つについて、校長に「考える力」がなく、「考える意欲」がなく、教職員や生徒たちと一緒に話し合う姿勢がないからだと思います。

「組織はトップで8割決まる」のです。

(2004年03月11日発行)