ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

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教育の広場、第 206号 私の自治会長(その5、最終回)

2005年06月30日 | サ行
206、私の自治会長(05、民主派の戦い方)

以上のように、私の自治会長はまあ好い結果を残したと思っています。では、なぜ好い結果を残せたのか。逆に、私がこれまで失敗した事例はどこに失敗の原因があったのか。両者を比較して考えてみます。

 すると、すぐに分かることは、私の成功例はすべて「本質論主義」を実行したことによるものであり、失敗例はそれが実行出来なかったためである、と私には思えます。

 ではなぜ、一方ではそれが実行出来て、他方では実行出来なかったのか、と考え進めてみますと、お金の問題が出てきます。私の成功例は、収入の確保という問題のない場合ばかりなのです。失敗例は、収入の確保が出来なかったことが失敗の大きな原因の1つとなっているのです。

 つまり、私には金儲けの才能がないのです。もう少し穏やかな表現をするならば、私には事業家の才能がないのです。

 世の中を見回してみますと、他の才能はともかく、収入を得る才能があるだけでかなりの結果を残している人がたくさんいると思います。私に事業家の才能があったなら、これまでの人生でもう少し大きな成果を挙げることができたと思います。

 事業ではなく、公職で考えると、自治会長として実行した方法(全てを報告して、皆に相談して決めていく等)を身につけた今は、何らかの「長」の地位に着けばかなりの成果を挙げる自信があります。しかし、もう体力が衰えてきました。

 そこで、最後に、今後の民主派のあり方について私見を述べます。

 第1点・自分の公生活で民主主義とは何かを常に考えて実行し、自分の活動を発表すること(他者に向かって民主主義を主張するだけの人は真の民主派ではないと思います)。

 第2点・自分自身が公的な地位につく機会があった時はなるべくそれを受けて、そこでも民主主義を考えて実行し、発表すること(公職に着くことを避けて、外から批判ばかりしているのも真の民主派ではないと思います。自分がそれなりの地位に着けば、実行出来るのです。今回、宮城県知事が県警の「捜査協力費」の執行を中止しましたが、トップにはこれだけの力があるのです)。

 第3点・公的な機関についてのカウンター・ホームページを作ることを中心にして、公的機関の活動とあり方について監視し、批判的に検討することを怠らないこと(インターネット時代になって我々には大きな可能性が与えられたのです。これを120%活用しないのも真の民主派ではないと思います。悪い事をする人達は知られるのを恐れています。私が始めたカウンター・ホームページも少しずつ力を発揮しています)。

 民主派の合言葉は「現象が全部分かればその中に物自体(真実)が出ている」というヘーゲルの言葉だと思います。これまでの自称民主派や社会主義運動は、「認識における主体性」とやらを曲解し、悪用して、自分たちへの批判を封じました。そして、そのためにその運動自身が堕落してしまいました。いや、民主派を装って権力批判をしたのは初めから自分が権力者になるためだったのです。

 従って、真の民主派であるか否かを判定する第1の基準は、自分に対する批判を含めて発表するか、です。

 かつて私が「安全な食べ物を求める運動」に係わっていて、その広報を担当していた時も、何もかも発表したので、一部の人達から「あそこは何もかも発表する」と言われて拙い、という意見が出て、会長もそういう考えになってきました。私は辞めました。そして、その運動は堕落しました。

 そんな事は分かっていると言われそうですが、民主派の活動の大前提は、経済生活の確立です。世の中で活動するには世の中に生活していなければならないのです。しかも、相手に頼るような生き方では戦いにくいです。この問題をどう解決するか、これが大前提であり、各自がしっかり解決しなければならない問題だと思います。

 社民党の敗北も、逆に宮本共産党や池田創価学会の成功も、ここにその前提があったと思います。真の民主派は世間知らずでは無理です(これは自戒を込めての発言です。いや、全てが自戒を込めての発言です)。

 ごく一般的に言うならば、独立した経済生活の出来る人が前面に立って戦い、それの出来ない人は少しでも金(と情報)を出して、戦う人達を支援する(年金生活に入ったりしたら、自分でも戦う)、というのが、標準的な型ではないでしょうか。

 最後の最後に「悪徳(ないしサボリ)役人との戦い方」について私見を述べます。

 1、接近戦よりアウトボクシング
 先方に出向いて面談を要求したり、その場でしつこく迫るのは、余程の場合だけ。基本的にメールで要求するのが好い。

 2、三振狙いではなく打たせて取る投球
 こちらの意見はなるべく言わずに、相手に「これこれを発表してほしい」と、情報公開と説明責任の実行を求める。

 3、短期決戦ではなく持久戦
 1度要求しても相手は黙殺してくるが、その時、続けてしつこく迫ることはしないで、間隔を置いて(何カ月後かに)又言う。これを繰り返す。初めから長期戦を覚悟しておく。

 4、口頭での返事は断り、文書に残る形にする。会議や会談などはボイスレコーダーで録音して、問題になるであろう発言は記録しておく。

 5、本人またはその組織のトップに直接言うのと、すぐ上の監督官庁のトップに言って「リーダーシップを求めます」と言うのと、両者を適宜使い分ける。

 6、相手の年俸を調べて、「貴下はこれこれの年俸を取っているのだから、それに相応しい働きをせよ」という言い方をする。

 7、カウンター・ホ-ムページを作り、客観的な事実をしっかり発表する。
 暴力的なことはダメ、大きな声を出したり、罵りの言葉も拙い(JR西日本に対する一部新聞記者の罵声を反面教師とすること)。

 8、相手から呼び出しのあった場合には、用件は何か、電話では済まないのか、時間はどのくらいかかるか、等をしっかり聞いて、不必要なものには応じない。

 9、先方が認めた場合(例えば、教師の体罰とか)に気をつけることは次の通りです。

① トップの責任を問うこと。
先方は実行者(個々の教師など)の責任にして、校長は「これで済ましてほしい」と言ってくるが、「学校で起きた事は全て校長の責任」と主張する。

 ② どこがどう間違っていたのかを分析して文書で提出してほしいと、トップに要求すること。
相手に屈辱感を与えることではなく、問題点の客観的分析と再発の防止が目的(JR西日本の日勤教育の間違いを想起せよ)。

 ③ 金銭的な償いをきちんとすること(トップの減給、慰謝料など)。
  悪徳役人は札束亡者だから、金で損しない限り痛くもかゆくもない(静岡大学のセクハラ問題で学長が一銭も支払わなかった例を見よ)。
  慰謝料請求は恐喝とならないように、弁護士と相談する。

④ 特に校長の場合には、後で仕返しをしてくる可能性があるので考えに入れておくこと。例えば、子供(本人の子供とか自治会所属の子供とか)を、自分でいじめたり(これは少ない)、生徒のいじめ構造を温存しておいてそこに情報を垂れ流して「○○さんの所の自治会長さんはこれこれのことを言ったんだってね」などと言うように仕向けるという卑劣な手を使うので、予め計算に入れておくこと(もちろん証拠を集めて、しかるべき時に、反撃する)。

 10、絶対に相手(市長とか校長とか)を偉いと思わないこと。その職責を果たしていない人間は軽蔑すべき人間である。

11、検察庁と裁判所とかと相談して、これらの機関の使い方を考える(これらを敵視する人がいるが、間違いである)。

  (2005年06月30日発行)