「光のページェントをやってました」
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12月23日(土)
朝6時に起きる。
起きたとき、昨日のままの服装だった。
薬を飲む。
今日はちょっと気分が良さそうな感じがする。
朝食を7時に摂り部屋に戻り洗面
Wホテルを7時30分頃に出る。
町には人が少ない。
良かった~。という気持ち。
市内循環のバスに乗って、あっち。こっちに
薬は持参だ。
市内循環のバスは時間帯により混んでいる。
バスを降りたら薬を飲んでという感じだ。
夕方から「光のページェント」
街路樹に無数の電球を付けクリスマスツリーみたくしている。
綺麗だ。と感じる。
しかし、
人が多い
雑踏だ。。。
人混みの中に入ると具合が悪くなる。
症状が出る。
人混みを避けようと遠ざかろうとするが、すでに遅し
その場に蹲る。
人混みが自分を避け、自分の上を通過して行く。
前も同じ経験した記憶が蘇る。
今回は妻が居ない。
もうダメだ。
意識が遠ざかる。。。
誰かが自分を呼んでいる
あの世か。
見ると交通整理の男の人
救急車の手配をなんかしている様だった。
救急車はいいから。蚊の泣くような声を振り絞る。
その人に人混みの中から出して貰い
そのまま、路上で休む。
交通整理の男の人は40分位付いてくれていた。
時間とともに少し症状が軽くなって来た。
薬を自力で飲む。
路上で寝ていた姿勢からかがみ込む姿勢へ
すいません。もう大丈夫ですから。とお礼を言う
薬が効いてからWホテルへ向かう。
頭と体が限界。。。
部屋に夜7時頃に着く。
バタンキュウ。。。
夜8時30分頃から上の部屋でどんちゃん騒ぎ
寝れない
不安感が増長する
夜00時にフロントに電話
対処するとの事
自宅に電話する。
妻が出る
状況を説明し不安が増していく耐えられない事を話した。
どんちゃん騒ぎは夜中の2時まで続いた。
その間、ソラナックスを5錠飲む。
朦朧としているが症状が出て苦しい。
寝れない
朝まで寝れなかった。
「久々の飛行機 大丈夫か不安」
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12月22日(金)0825仙台行きの飛行機に
乗るため、朝から準備、妻に空港まで送って貰い
ました。
昨夜は、眠れず不安が募ってました。
飛行機は格納庫に荷物積載のため30分遅れ
なんで、こんな時に
不安が増長し出した。
ソラナックスを2錠飲む。
少しすると頭がぼぉーとしてきた。
飛行機の中に乗り座った時には、すでに放心状態
座席まで間違える始末
自分が自分で無くなっていく感じ。。。
飛行機が飛び立つ時には、朦朧としていた。
頭でうっすらと、こんな事をしなきゃ乗れないのか。と思った。
1時間20分の飛行時間
隣の席の人は自分を見て引いていた。
いつものこと、仕方がない。
そう思わないと生きて行けない現実
目的の空港に着いた時には、すでに泥のように寝ていた。
客室乗務員に起こされる。
周りは、誰もいなかった。
空港には10時10分頃に着いた。
空港からは高速バスで市内に行く。
空港から出るとき、まだ朦朧としていた。
足下はふらつき、地面がゆがんでいる。
高速バスに乗る。
料金前払いを催促され財布から取り出したお金を数えることが
出来ない。
仕方なく、運転手さんに財布を渡しその中から出して貰った。
高速バスは市内まで40分
やっぱり、バスも不安だ。
概ね大丈夫なものでも、期間が空くと頭が忘れているようだ。
期間を余り空けたくは無いのだが経済的負担が問題
高速バス内においてソラナックスを1錠飲む。
また。寝る。
運転手さんに起こして貰った。
市内のJR駅に1100頃に着いた。
体が持たない。
当然、食欲もなし。
JR駅内の椅子で休む。
気がついたら午後6時30分
もう。いつのまにか夜だ。。。
予約している市内のWホテルに向かうが
道が分からない。
人に聞きながら歩いていた。
人混み。
吐き気がする。
道ばたで荷物を下ろし休む。
薬を飲む。
薬も、もう限度量だ。
なんとか、Wホテルに辛うじて着いた。
フロントで手続き。
氏名、住所を書く。
手が震える。。。
目眩がする。
フロントの人から話があったが余り憶えていない。
鍵を渡され部屋に行く。
エレベーター
はぁ~。
エレベーターに乗る。
各階のボタンを押した。
各階でドアが開く。
少し安心感を得る事が出来る。
そうしないと持たない。
部屋に着く。
バタンキュウ
「先に何が開けるのであろうか」
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今日は晴れでした。
さすがに、職場の3回連続はキツイ
今、回復したばかりです。
男粋で話しをし続けてみようと言う気持ちはある。
その先に何が開けているのかは分からないけど。。。
話は断片的であったり種々な気持ちの混乱が起こり
まとまりは無いけど
自分自身の問題が明らかになると信じるしかない。
これから、どのようにすれば良いか
他人が気がかりになる
平坦ではない道
自分に何ができるのか。
自分を情けなく思っている
あぁ。自己否定はしない約束でしたね。
朝礼が終わり
無理解の一人が来て
妻に抱えられていた自分に
「制服!制服!」と無配慮にふざけて言う
制服をやっと着れて来ている事を知ってての言葉
自分はいじめかと言う。気の遠くなりそうな意識の中で精一杯の言葉
昨日の謝罪させられた事が気にくわなかったんだろう。
車に乗って帰りながら
子供の頃の「かごめかごめ」を思い出した。
かごめかごめ
かごのなかのとりは
いついつでやる
夜明けの晩に
つるとかめがすべった
後ろの正面だあれ
神降ろしを感じた。
神が側にいるようだ。。。
まだまだ、摩擦が生まれる
自分自身の探求は続くと感じる。
体が持つ限り。。。
「キツイ、辛い。。。よく見えない」
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今日は、晴れです。
そして
リハビリ出勤2回目の日
昨夜から不安で寝れない。
予定通りだ。
夜中の2時に症状がピークになり
妻を呼んだ。
薬を飲ませて貰い介抱された。
それでも
症状は治まらない。
自分の不安と症状と闘いながら
朝になった。
子供らの駅への送りは妻に頼んだ。
そんな状態ではないから。。。
居間に行く。
症状は消えない。
薬が効かないんだ
なぜ???
妻が子供らを送って帰って来た。
大丈夫と言う
無言。。。言葉を出すのも辛い
出勤時間が近づく
症状は時間とともにキツクなる
一挙に行動しないと行けない。
そう感じた
食事は当然の如く食べたくはない
妻に制服を持ってきてくれと蛙の鳴くような声で言う
妻が持ってくる
一挙に着替えた。
そして
車へ乗り込む
早く行ってくれ。。。
職場に近づく
症状は容赦なく来る
朝礼場に着く
妻に抱えられて朝礼場まで歩く
みんなは体操をしている
窓口のYが駆け寄って来た。今日は見れた。
今日は制服ですね。笑いながら言った。
そう。あなたの期待に応えたいから
こころの中でそう言った。
自分は妻と職場の人から支えられて何とか立っている。
長に挨拶
支えられながら頭を下げる。
朝礼は終わった。
妻と職場の人に抱えられながら車に乗る
職場を出る
今日も出来た。。。
家に着いた
予定通りダウン
起きあがれない
回復したのは午後3時頃
あと今日は子供らを駅に迎えに行き
自分を休職にした副長Aと人事班長Tが
臨床心理士のところで
お互いに謝罪が午後7時からだ。
体がキツイ。。。
でも遣らなければ。と思う。。。
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自分はやっぱりアホだと思う。
思い込みやすい人間だとも思う。
優しく言って貰っている人を
違う人と勘違いしたのだ。
勘違いされた方は、とんだ迷惑な話だと思う。
勘違いした方は、そうだと思っているので普通で居られる。
逆の立場で考えて見ると、しまった。と思っても、もう遅い。
過去に遡ることは出来ないから。。。
人に傷つけられ
人から罵倒され
もうそんな事は嫌だ!
自分だけは人を傷つけたくはない。と
そう思った。。。
だけど
傷つけている自分
やっぱりダメな自分
刹那的で人間関係が希薄な社会で「優しさ」と言う灯を持っている
人はどのくらいいるのだろうか?
自分が良ければいい。
他人は知らない
そんな
社会に自分も含めた人々がした。
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今日はリハビリ出勤一回目でした。
まず、朝礼からということで妻に付き添われ職場へ行きました。
昨夜から不安で眠れずに結局は一晩中起きていました。
朝になるにつれ、症状が酷くなり3時間置きに薬を飲んでいました。
朝6時になり妻が自分の部屋にいつものように起こしにきました。
自分は寝ていなくて妻がおはようと言いました。
おはようと返す気力もなく黙っていました。
こころの中は「行きたくない」と叫んでいた。
自分が行くと決めた事
行かないと。。。
窓口Yの期待に応えたい
職場で今、苦しんでいる人
これからの人のため
遣らなきゃ。。
こころの中に想いはある。
自分一人が良ければ良いんじゃない。
同じ様な病気で苦しんでいる人のため
行くんだ。
寝床から起きあがり腹を括る
居間に降りると
また
行きたくない
と言う「こころ」が芽生える。
行く時間が近づく。 刻々と。。。
近づくにつれ症状が出てきた。
薬を飲む
薬が効く
ふらつく
目眩
そして
症状との闘い
服はジャージにウインドブレーカー
今の状態で行けるのは、この服装しかない。
妻に付き添われて車に乗る。
症状が酷くなる。
職場に近くなる
もう限界。。。
言葉も出ないくらい苦しい
職場の正門をくぐる。
職場の朝礼場に着く
みんなは体操をしていた。
妻から車から降ろして貰い
付き添われ、朝礼場に歩く
天と地がひっくり返っている。
自分一人で歩くことさえ、ままならない。
遠くから窓口のYが走り寄ってきて声を掛けた。妻から後で聞いた。
朝礼場に着く。
妻と職場の人に支えられ立っている。
苦しい。辛い。
耐える。耐える。
朝礼が終わる。
妻に寄り添われ車に向かう。
直属上司のKが声を掛ける。 妻に後で聞いた。
車に乗る。
職場の正門を出る。
家に帰る。
家に帰ってからは死んでいた。
起きあがれない。
回復したのは午後3時過ぎ。
それからは、子供らの迎え
夕食時、
妻から「お父さんは今日、出勤出来た」と言った。
子供らや母親は喜んでいた。。。
しかし
自分は苦しいだけ。
明日もりはびり出勤だ。
気が重い。。。
行きたくない気持ちは強い。
まさに、自分との闘いだと感じる。
今の自分は存在すること、それ自体が大切
流れ浮かぶ雲のような存在
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今日は晴れです。
昨日の雪が残り寒いです。
写真は十牛図の第1場面で
第1尋牛と呼ばれています。
ある時ふと気がついてみると自分はこんな状態で良いのか。
何か欠けているような不安
そして
こころの空間をうめる自己の存在の確かな手応えを求める
多くは空回り
この焦っている自分を何とかしなければと思いながらも
何をどこから手掛けて良いのか
その判断も疲れ果てて動けなくなりそうになる
このような時に他人からの話が自分を動かすきっかけを作る
無駄かも知れない、恥ずかしいなど入り交じった気持ちが扉を叩く
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今日は雪です。
朝から降り積もっています。
今朝、子供らを駅まで送りに行きながら
雪かきをしないとなぁ。と思いました。
子供らを送りに行った後、朝食を取りました。
食事の後は決まって自律神経症状です。
自律神経症状が治まってから雪かきをと思い
自分の部屋に行き自律神経症状を耐えていました。
すると、外からガリガリという音が聞こえる。
外を見ると妻が雪かきをしている。
カチンときて、妻に窓から何を勝手なことをしている
と言いました。
妻が家に入って来てから何をやってるんだ!と怒鳴り
母親は止めに入りました。
怒りが治まらないので妻に薬を持ってきて貰いました。
薬を飲んで少し落ち着いてから、妻に何故怒ったかを
話しました。
「今、自分は病気休職中だ!障害者と同じ。普通の人で無い事
だけは確かだと思う。
病気休職だからと言って何もやらせないのか。自分が出来る
ことは遣って貰うんじゃないか。
これじゃぁ。職場のやり方と同じだ。
何も遣らせなければ、引きこもりになる。自分が出来ること
を遣らせて貰えれば役に立って居るんだという意識が出来、
それが生き甲斐になるんじゃぁないのか。」と話した。
確かに、自分が取った行動は悪いこと。
それは分かっている。
そういう行動でしか自分の意思を伝えられない自分も嫌だと思います。
これは、福祉の世界でも一緒だと感じます。
高齢者、身体、知的、精神に障害を持つ方に何も遣らせないのは苦痛だと
感じ、生き甲斐を失い孤立するかも知れない。
それは、ケースバイケースだけど、孤独にさせないのは一緒だろうと思う。
そのことも、妻に話し取りあえず納得して貰いました。
妻が取りあえず納得して居間に戻りました。
それから少し経って10時半頃に自分の部屋に来ました。
職場の窓口のYとの電話での内容を伝えに来ました。
内容は、
① うつ回復プログラムに則りこれからは遣ります。
② 病気の質に応じたプロジェクトチームを編成した。
③ 家族、職場、医師、臨床心理士との連携をとりながら遣ります。
④ 復職の規定を明確にします。
⑤ 復職後の処遇を上申します。
⑥ 今後、これを適用していきます。
と言う話であった。
この話を聞いた時、よくぞやってくれた。。。男泣きしました。
これで、自分のプログラムが実行され成功すれば各職場に広がる
と思いました。
それには、窓口のYを潰してはいけない。
今の職場においては貴重な存在
何とか成功させて、広げるんだという想いが駆けめぐりました。
早速、妻に明日から期待に応えたいため苦しいけど朝礼から出勤
するぞと言い、窓口のY、医師、臨床心理士に連絡して貰いました。
窓口のYは了解し医師は喜んでいたと聞きました。
明日からユニフォームを着ることができるのか分からないけど、遣るしかない。
ユニフォームを着る練習はしてたけど明日は大丈夫だろうかという不安はある。
でも今、広がり掛けて来た波紋を閉ざす訳にはいかない。
精神疾患で今、苦しんでいる人たちのためにも。。。
明日は遣るしかない
そして
窓口のYに感謝いたします。
この記事は、過去に書いたもので、非公開にしていたものです。投稿日時も、そのままにしています。過去の非公開記事から、見つめなおす為、公開します。
自分自身が、どれだけ成長しているのか確認したい。という意味もあります。
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今日は雪です。
今年雪が少ないと思っていましたら
今朝、起きて見たら積もっていました。
やっぱり、年間の雪の量は同じになるんですね。
上の写真は「西田幾多郎遺墨集」にある
心月弧円光春万象
という円相です。
自分は「西田幾多郎遺墨集」にある心月弧円光春万象を見たとき
凍りついたように見入ってしまい、体に衝撃が走り感動しました。
この描かれている円がまさに、人そのものであると感じますし
人のこころが描かれていると思ったからです。
正円でもなければ楕円でもない、それでいて少しはみ出しているかの様
な円に感じます。
人は完全な円を顕しているかのように感じました。
それは、自分自身の意識。
自分がどんな人間であるかを知ること。
自分を客観視することによって生み出せる。
自分の意識は、他人とのかかわりにおいて作られ
社会的性格があるんだと思います。
他人と円相のようにかかわれない人は社会で適応出来ないことを
意味しているんだと思います。
自分自身を知る旅はこれからも続くと思います。
おそらく一生、続くのでしょう。
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今日は晴れです。
体の調子は今一つでした。
ところで、
アンデルセン童話の「はだかの王様」という絵本を読んだことが
子供の頃あるかと思います。
はだかの王様の原題 は「皇帝の新しい着物」で1837年、アンデルセン
の3冊めの童話集で発表されました。
内容を掻い摘んで話しますと、
三人の詐欺師がある王のもとにやって来て、自分たちは機織りの名人で、
美しい布を織ることができるが、とりわけ世間が本当の父親だと認めた男
の息子には見えて、そうでない者には見ることのかなわぬ布を織ることが
できますと言いました。
王はこれを聞いてたいそう喜びました。その布を使って王国の男たちのうち
誰がその父親の実の子であり、誰がそうではないかを知ることができ、そうする
ことによって王室の財産を増大させることができると考えたのです。
その後、王様は
王様は見えもしない衣装を身にまといパレードに臨む。見物人も馬鹿と思われ
てはいけないと同じように衣装を誉めそやすが、その中の小さな子どもの一人が、
こう叫ぶ。「王様はハダカだよ!」
これが「はだかの王様」のあらすじです。
今、身を置いている環境と場所で「はだかの王様」になっては居ないだろうか。
この頃、自分も「はだかの王様」にならない様にと思います。。。
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今日も晴れでした。
比較的に穏やかな日だったと思います。
優しさと強さは表裏一体だと感じます。
人は弱いから他人に優しさを求めると思いますし
他人から優しさを受けた人は、その温かさを感じるでしょう。
初めから強い人は、何処にも居ないと思います。
初めから強靱な人は、居ないと思います。
病気を抱えた人が弱いと言えるでしょうか。
病気や障害を抱えても力強く生きている人はいます。
その方達は、初めから強かったのでしょうか。
そうでは無いと感じます。
誰かから支えられ、優しさを貰えて強くなったと思います。
また、誰かを支えているのだとも思えます。
社会や職場の中で独りで生きている人がいるでしょうか。
色々な人とかかわりを持ちながら生きているのではないでしょうか。
今、生活し生きているは、独りで生きているのですか?
何かしらの支援や協力を受けながら生きているのでは無いかと思います。
そう言う意味では、優しさは強さの裏返しであると同時に
人は元々弱い存在だから優しくなくては生きていけないと思います。
そして、もう一つの裏返しは生と死だと思います。
生は優しさだとすれば
死は強さだと思います。
誰しもが、死を恐怖と感じるとき
今、死を迎えられて良かったと感じられるのは強さです。
死を迎えるときですら、他人の優しさ無しでは強さは生ま
れないと感じます。
また、独りで死んで往くんだとしても他人の協力なしでは
迎えられないでしょう。
都会から地方にまで孤独死が増えてきましたが
孤独死をしたとしても、葬るのは優しい他人の手です。
病気前の自分もそうでしたが「我」ではその時、生きてはいけても
最後は他人の手を借りることになると思います。
優しさと強さ
そして
生と死は
人と人のかかわりであると思います。
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今日も晴れです。
昨日、落ち込んでいた自分も家族のお陰で立ち直りました。
見て頂いているみんなに、ご心配をお掛けしました。
家族の力ってすごいなぁと実感しました。
自分が病気であるお陰って言えば変な言い方かも知れませんが
家族が結束してて、それでいてみんな同じじゃないんだと思いました。
病気のお陰で家族の絆が深まったのも事実ですが、家族のそれぞれが
色々な側面から自分を支援してくれていると思えます。
妻はこころの中に入り支援し
子供らは自分に勇気を与え
母親は子供のころ自分が好きだったものを作ってくれたり
してそれぞれが役割を持って接してくれていることに感謝です。
家族力=家族の介護力
とでも名付けたい位に素晴らしい介護だと思います。
現代社会で家族が崩壊していく中で自分は家族力によって支えられ
幸せだとも感じます。
社会の最小単位の家族
家族は自然なのか?文化なのか?を考えてしまいました。
自分は今回の件で家族は自然だと感じますし、自然の中に文化がある
と思います。
この家族力を近隣の方や町内会そして地域に広げていきたいなぁと
思いました。
そうすれば救われる人が居るかも知れません。
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今日は晴れです。
午後から近くのスーパーに買い物に行くと
自分が若い頃にお世話になった同じ職場の
H夫妻と会いました。
Hさんは今、定年になって久しぶりに会いました。
Hさん夫妻は自分が会計のところにいると、
声を掛け自分はすぐにHさんだと分かりました。
Hさん夫妻から変わったなぁと言われました。
そう。変わったんです。
今はこんな生活です。と言い。。。
狂っているという目をしていました。
こんな姿を見せたくは無かった。
若い頃、お世話になり自分を幹部までして頂いた。
そうか。
やっぱり自分はオカシインダ。
健康な人間から見れば狂っているんだ。
自分の中の闇が操っている。
川の音
呼んでいる
来いと
闇が行かせようとしている
深く
冷たい
氷の下に
誘うように
二度と戻れない
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今日は晴れです。
自分の体調が余り良くない以外は平凡な日です。
平凡な日がこんなに穏やだなんだと実感した日でもあります。
職場からの連絡も無く、本当に穏やかです。
家族もそれぞれが学校やパートに行ったり、食事を作ったり
と坦々とした日です。
こんな日が続けば良いのにと、つくづく思います。
平凡な日を送れないのは自分のせいだと思います。
闘いを遣らずに上手く職場を渡れば平凡な日は送れたと思います。
それが、出来なかった自分
見ぬ振りをする事が出来ない自分
バカな人間
家族に平凡な日を送らせなかった自分です。
平凡って
言うほど優しくはないと思います。
今の社会で平凡で普通の暮らしをしている人が何人いるだろうか。
この師走の押し迫った時期
追いつめられている人だっているんじゃ無いだろうか。
今の社会で平凡で普通の暮らしは難しいと感じます。
年金で生活している人
生活保護を受けている人
家族の中で障害や病気を抱えている人
ワーキングプアの人
多くの人が平凡で普通の暮らしを望んで居るんだけれども、
出来ない人がいます。
もしかしたら、本当に追いつめられて自殺する人もいるんでしょう。
そう言う事を考えたら、
今日一日の平凡で穏やかな日は「幸せ」だと感じます。
例えば、車を運転している時にネコが轢かれているのを見たら、
目を反らし何でも無いかのように通りすぎる人
目を向けどんな様に轢かれたんだろうと思う人など
色々な人がいると思います。
少なくとも目を反らす人は、臭い物に蓋をする人だろうと思います。
自分がJRでパニック発作で倒れた時、自分を跨いで降りて行った人が多くいます。
そんな人と同じだろうと思います。
競争社会の中で何時まで競争をし続けるんですか。
競争をし得られる
地位、収入、名誉
それは結果的に「勝ち組」と言われる自己満足
競争社会や市場原理を否定はしません。
定年後や働いてぼろぼろになっても競争を止めないのですか。
競争社会から落ちこぼれた人は「負け組」と言われても暮らしています。
「勝ち組」の人は、何人の「負け組」を作って来ましたか。
「勝ち組」の人は、経済が豊かになり働けなくなったら、
環境が良い高級老人ホームに入り豊かな老後を過ごしたいと
思って頑張っているんですよね。
環境が良い高級老人ホームに入っても孤独や寂しさに苛まれている人もいます。
「勝ち組」と呼ばれる人は少しでも自分が作った「負け組」の人を考えて欲しい。
平凡に普通に暮らすことが出来ない人のことを考えて欲しい。
師走の押し迫った時期
平凡に普通に暮らしたくても暮らせない人がいます。
自分がぼろぼろになっても子供だけは一人前にするんだと、
何とかぎりぎりの生活をしている人がいます。
平凡に普通に暮らせない人が自分で自分の命を絶たない事を、ただ、ただ願うだけです。
そんなことを考えていると自分自身が非力だと感じます。
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今日は雪で吹雪きました。
午後からは晴れでした。
もうすぐ流氷が接岸する時期です。
流氷は遠い北の方から流れて来ます。
風、波、気温などの力を借りて流れて来ると思います。
自然の力は人間では出来ない事をやってのけるんだと感じます。
人にはも色々な力があると思います。
仕事力
遊び力
癒し力
Etc・・・
自分は「力」を「ちから」と呼ぶのではなく、
「ぢから」と呼びたいと思います。
「ちから」は生きていく上で、綺麗でスマートな呼び方と
感じるからです。
その点「ぢから」は地を這い蹲り、泥に塗れながら胆を据えて
日々を生きている感じがするのです。
仕事力、遊び力、癒し力と分けて居ますが、自分はこれらは、
連続したものと考えて居ます。
仕事の中に遊びや癒しがあるし
遊びの中にも仕事や癒しが
癒しの中にも仕事や遊びの力があると思っているからです。
例えば、遊び自体、元々創造だと思います。
今でこそ、ファミコンがあり創造する事は難しくなっていますが、
自分が子供時代は鬼ごっこや缶蹴りなど、友達とルールを決めて
遊び自体を創造していたと思います。
その創造が仕事の中に生かされ、せの成果をみんなで分かち合い癒され
物作りでは世界有数の国になったんだと考えます。
今では仕事は、何でも競争原理が働きポストフォーディズムでより専門性が
求められ創造は薄らいで行きましたし、癒しも無くなっています。
晴耕雨読のような日々の暮らしは今では出来ない時代です。
自分が仕事力、遊び力、癒し力で最も重視したいのは、
癒し力です。
ケア力とも言います。
人と人が関わりを持つとき癒し力は必要だと思うのです。
他人事と自分の事を区別して考える人は多いでしょう。
しかし、他人事は今では他人事では済まされないと思います。
自分は精神疾患で休職4ヶ月目ですが、パニック障害、うつ病など
誰が、いつなってもおかしくは無い病気だからです。
それで、休職になって職場の対応を目の当たりにしたとき、
他人事と思える人間は死すとき後悔するでしょう。
そうでは無く、他人事=自分の事と考えられる人間は人間的に成長
すると思います。
癒し力(ぢから)を付けるのは、一朝一夕では無理でしょう。
日々の生活の中で人間性や感性を高める努力が必要だと思います。
努力の仕方は人によって違うので一概には言えませんが、
他人を考えられる人間は高められるでしょうし、他人の中に自分
を見られる人も近づけるんだと思います。
自分はまだまだ、小学生低学年レベルですので、今後も努力が必要
だと思っています。
家庭の中で出来ない人間は外に出ては出来ないと思います。
修行あるのみです。