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第二の人生を満喫!+愛犬ウィル(享年14歳)

還暦で娘・息子は結婚し孫がいます
様々な障害を抱え妻に支えられながら前向きに暮らしてます。

生について

2006-12-10 23:15:49 | 職場と正面から向き合って(終)
  「特別養護老人ホームにいる高齢者のいきがいは忘れられているのだろうか」


この記事は、過去に書いたもので、非公開にしていたものです。投稿日時も、そのままにしています。過去の非公開記事から、見つめなおす為、公開します。
自分自身が、どれだけ成長しているのか確認したい。という意味もあります。
カテゴリーをクリックして頂ければ、見やすくなるかと思います。(ペコリ)




今日は晴れ後雪です。
積雪は約10Cm位でしょうか。
平年よりも少ない気がします。

今日も昨日に引き続き娘と一緒に市内の特別養護老人ホームに
行って来ました。
娘は高齢者の方からすれば孫みたいなもので人気者になってい
ました。
自分は娘とは別に高齢者の方にこころの対話をしていました。

こころの対話の中で多くは
長年住んでいた自宅で暮らしたい
こんな体になって、もう死にたい
ここでは、食っちゃ寝の繰り返し
と言う話が多く聞かれました。

この特別養護老人ホームは市内でも少ない
ユニット型のホームです。
設備的には快適に出来ています。

快適な環境で暮らしていても
やはり、長年住んでいた自宅で暮らしたい想いは
理解出来ます。
体が麻痺して自由がきかずに、
もう生きていても仕方がないと言う気持ちも
理解出来ます。
そして
食っちゃ寝の生活

果たして、「幸せ」なんだろうか?と。
考えてしまいます。

どこの特別養護老人ホームでも同様なんじゃないでしょうか。

娘が2回行き、高齢者の方に笑顔がありました。
自分が話しを聴いていると熱心に話してくれました。
何かを伝えたい。訴えているようにも感じました。

一個人のボランティアではありますが、生き甲斐を創ることは出来ないのか。と
考え、新たな課題が自分に出来ました。

社会で、
ノーマライゼーション
協 働
バリアフリー
ソーシャルインクルージョン
男女共同参画
ADL
IADL
Well-being
Etc・・・
福祉の単語が氾濫しています。

その単語が氾濫し関心を持っているのは良いですが、
福祉が収益事業化し、量が多くなっていると思います。
量は多いけど、質はどうなのか疑問です。

質を高めるには「生」を考える必要があるのでは無いでしょうか。
「生」とは
①生きていること。命。
②生きること。
③暮らし。生活。
④生き生きとしている。新鮮な。          (ジーニアス国語辞典より)
と言う意味があります。

「生きている」のと「生かされている」事は違うと感じます。

社会の中でも
生きている自分と
生かされている自分という方がいるんではないでしょうか。

人は必ず歳を重ねていきます。
明日の自分の姿と重なります。

各人は、他人事ではなく自分の事として捉え行動する
時期がきていると思います。

社会のハザマでの出来事では無く正面から向き合う必要を感じます。
そして、
引きこもり
ニート
登校(出勤)拒否(子供や大人)も
根が同じだと感じます。

社会の中で忘れかけているものは多いと思いますし
臭いものを見ないようにしている様な気がしてなりません。


                     

Volunteer is

2006-12-09 19:56:30 | 職場と正面から向き合って(終)
         「認知症でも高齢者の方から学ぶことは多いです」


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今日は雪です。

今日は市内の特別養護老人ホームに、こころの対話の
ボランティアに娘と一緒に行って来ました。

認知症の高齢者の方から学ぶ事は多いです。
一見、何を言っているのか分からない事でも
表情や身振り、手振りで何かを伝えようとして居るのです。
それを、感じとることが出来るかが必要です。

職員の方とも交流出来ますし、自分や娘にとって良い刺激に
成りました。

太陽の日照と季節そして時間の経過により老化は、みんなに平等
だと感じます。
人間である限り老化はやってきます。
他人の事ではなく自分の事として捉える必要があると思います。

ボランティアは特別な人が遣ることでは無いと思いますし
お節介でも無いと思います。
ボランティアを通して結ばれる人間関係は、高齢者の喜びを我が
喜びの心情と理解と支援の手を差し伸べてくれる活動に感謝せず
におれない高齢者の心情との交流だと思っています。

そしてボランティアは金銭の報酬や名誉を期待してはダメだと思います。

自分のライフスタイルとしてボランティアはあります。
それは
何らかの助力を求める人に無償の手を差し伸べないでは居られない心情と
共に社会で生きていくんだと言う自分の考え方があるからです。

高齢者や知的、精神、身体に障害を持つ方と、社会で、ともに生き合い
喜ぶを持ってともに、重荷を担い合うものと思います。

自分でおおらかに、無理なく、志を貫き続けたいと思います。

Volunteer is not 他人がすること。

では無く

Volunteer is  するのは自分

と言う考えで続けて行きます。



焔(ほむら)

2006-12-08 15:56:00 | 職場と正面から向き合って(終)
              「自分の中で炎が焔となる」

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今日は晴れです。

自分のこころは炎から焔になりつつある。
職場や社会で苦しんでいる人がいる。
手を差し伸べることは容易ではないかも知れない。

でも誰かが遣らなければと思います。
人間性や力量が問われる。
一朝一夕で培われるものではない。
何事も経験と知識が必要

遣らない前に逃げ出す事は出来ない。
逃げ出すことは簡単
遣ることは難しい
であれば、
困難の道でも前に進むしかない。

職場や社会にいる苦しんでいる人を救うこと
自分のこころは焼き付く
次第に熱く燃え上がっている
自分が出来ることで救いたい。
少しでも気持ちが軽くなって欲しい。
その想い

自分に人間性や力量が無くても
黙って見ていることは出来ない
今、苦しんでいる人がいるのに








シンジラレナイ

2006-12-07 09:09:09 | 職場と正面から向き合って(終)
          「雑巾は汚れを取るが自分の汚れは取れない」

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今日も晴れです。
気分は雷雨と言ったところ。

昨夕から今朝に掛けて吠えまくっている。

今日、新しい長が着任する。
名前は分からない。

昨夕、また入れ替わりか。と思っていたら。。。
3年3ヶ月で上司が入れ替わり、苦しく辛い出来事が
次々に頭に蘇ってきた。

入れ替わり時は、
辞めろとか。
お前が来る場所じゃないとか。
公務員はみんな自分みたく怠けていないとか。
さんざん言われ続けた。
その過去が蘇る。

過去が蘇るのは、頭が体が憶えている証拠
必っして消えることがない過去の記憶
入れ替わりの時は、その記憶に苛まれる。

コントロール出来ない、もう一人の存在
それを否定は出来ない。
自分だから。

もう一人の自分を消したいけど、
消せない
汚れを取るような雑巾がない。

雑巾で消せればと思う。
この、もう一人の自分という汚れを。。。

妻、子供ら、母親に吠えまくった、もう一人の自分
嫌になる
もう入らないとも思う
けれども存在し続ける。

2回目の休職辞令書
自分の状態をしっかり確認しないで
家族の状態も確認しないで
家族の経済状態も確認しないで
一家崩壊の危機なのに
だれが分かって出しているのか。
ただ単に、事務処理。お役所仕事
一家が崩壊しようが、一家心中しようがお構いなし。

        ぼろ雑巾は汚れを落とせるけど
             自分がぼろ雑巾になったとしても
                  自分の汚れは自分では落とせない



自分でも

自分が

他人が

シンジラレナイ









偶 然

2006-12-06 16:03:13 | 職場と正面から向き合って(終)
   「テニスコートで行われた試合の中に、どれだけの偶然があったんだろう」

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今日は晴れです。
そして
今日から休職4ヶ月目の日です。

休職
今後、副長、人事からの謝罪
メンタルケアの構築
自分の処遇
家族のこと
Etc・・・
が夢にまで出てきて、こころが不安定になり
朝から苦しくて吠えていた。 また、いつものこと。

夢にまで出て来たのは現実
現実だけれども
この出来事は必然なのか偶然なのか。

人が社会の中で暮らしていく内の何らかの出来事で
必然的なものは、どの位あるのだろうか。
たとえば、何か物事をしたとき努力したから結実した。と
言うのは必然的だろうけど、その中に偶然もあるんじゃないか。と思う。
その偶然は「運」と呼ばれるんじゃないか。

夢に出てきたことの中に、どれだけの必然と偶然があるのだろうか。
どちらかと言えば偶然の方が多いのではないか。

休職
前の副長に代わって今の長が4月に来なければ、休職にはならなかった。
これは、偶然だと考えることは出来ないだろうか。
規則だから。
みんなが言っているから。
今年4月に今の副長が来たのは偶然
そして
必然的に休職になった。

副長、人事班長からの謝罪
省庁からの意見があって、
トップが謝り
そして
科長が謝った。
みんなが謝るから俺たちも。。。
これも、偶然ではないか。
副長、人事班長が単独では謝らない必然性
その必然性は組織として、抜け駆けは出来ないからだ。

メンタルケアの構築
07’4月に作成した「うつ回復プログラム」が規則になる。
自分が吠えたから成るんではなく、この組織のメンタル面の限界という必然性がある。
以前、現在窓口になっているYからメンタル面が問題になっている
と言っていた。
それが、必然性だと思う。
この必然性の中に偶然が潜んでいるとすれば「時期的」偶然だと。思う。

自分の処遇
新たな副長が来た偶然性で休職になり今後も必然性よりは偶然に処遇が決まるだろう
それは、
今月12月5日に長が交代になり新しい長の偶然という裁量に委ねられるからだ
人間の裁量は、殺人を犯した。交通違反をしたという必然性があるのは良いが、
自分のように犯罪を犯した訳ではなく、
ただ病気になった。
その裁量は偶然だろう。

家族のこと
休職になった自分が家族を不幸にしているのは必然性だと思う。
この必然性の中に偶然があるとすれば
「運」良く離婚されないことだと。思う。

最後に
病気
偶然になった。

偶然に病気になったが
偶然に
人に出会えた。

偶然に
自分のことを知るようになった。

偶然に
感謝と謙虚を学んだ。

偶然に
同じ様な病気の人間が苦しんでいるのを知った。

偶然に
メンタルケアを充実しなくてと言う気持ちが涌いた。

偶然に
手を差し伸べなければと考えた。

偶然に
心の友に出会った。

偶然に
家族に感謝が出来る。

すべて偶然が生んだ産物

100%偶然とは言わないが多くは偶然だろう。

 日常生活の中に偶然は連続するし、必然性の中にも偶然は潜んでいると感じる


余 韻

2006-12-05 16:38:03 | 職場と正面から向き合って(終)
       「空から降る雪の一片、一片は自分の肌に触れ溶け込む」


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今日は晴れ後、雪です。

今朝、子供らを駅まで送りに行き家に帰って朝食、洗面後
自分の部屋に行き、少し経ってから具合が悪くなった。
妻を呼び薬を飲み介抱して貰った。
そのままバタンキュウである。
気が付いたら昼になって、また薬の飲む時間になっていた。
薬を飲んで落ち着いて来たので、この記事を書いています。

昨日の余韻か。と感じる。
昨夜7時に職場の科長Kと窓口になっているY
そして自分と妻、臨床心理士のK先生が仲立ちで、
K先生のカウンセリングルームで、お互いに謝ると
言うことで席に着きました。

妻と一緒にカウンセリングルームを訪れたら、Yと
Kは来ていてK先生と話しをしていた。
対面した瞬間  K科長 ユニフォーム! 頭と体が反応した。耐えた。
此処に来る前にソラナックス2.5錠飲んでいて良かったと思った。
それにしても、前から誰が主体なのかを考えていないなぁと、
本当に思いましたし、対面した時、KやYは偉そうにソファに
座って威圧感を発しているように見えた。
自分も病気になる前は、こんな感じだったんだろうなぁ。とKやY
の中に職場の自分を見たような気がしました。

席に着くと、Kが話掛ける。
どうだ、調子は。
早く帰って来いよ。
今回のボーナス明細書を自分に渡した。 ボーナスは前年の1/3の額だ。
この額で一家四人と母親、暮らしが成り立つのか不安がある。
そして、
今までのボタンの掛け違えた部分や直属上司としてやってなかった事
は謝ると言った。
その言葉を聞き、自分も暴言など申し訳ありませんと謝った。
これで、終わりだと思っていた。
K先生から自分に今、コーヒーを止めて居るんですね。と言われ
ええ。と答えた。
こころで早く終わってくれよと思っていた。 あまり長くKの顔を見たくはない。
握手してどうでしたか。とK先生から聞かれる
前進かな。そう答えた。

そして、この対面は終わった。
K科長は帰る。
窓口のYと妻が話している。 2回目の休職の辞令書を妻に渡していた。
自分はK先生と話しをした。

K先生から大部、洞察が進みましたね。と言われた。
そうかなぁと感じる。
Kさんとは今後どうですか。と聞かれた。
本当にこころから信用している訳ではないので、答えにちょっと窮した。
とりあえず、道徳や規範から外れないと言う考えで、
少しは前進と。答えた。
次回は15日夜7時に来る約束をして家に帰った。

家に帰ってから家族に今日の説明と感謝の気持ちを伝えた。
そして、妻からボーナスが1/3になり節約を心掛ける様に
言うと
娘から仕方無いでしょ。貰えないよりは良いんだから。と
話され、思わず涙が自然に出た。 情けない気持ちとありがとうの気持ちが交錯した。

今日10時からT長が離任の見送りがあった。
出れなかった。
まだ、自分の中に「必ず~しなければ」というものが根強くあると思う。

昨夜の余韻は今日の昼過ぎまで引っ張っている。
学習(訓練)が足りないのか意思が弱いのか。
どちらにしても、遣らないと前には進めない。

まだ幼稚園か小学生の自分
成長段階の葛藤は続くようです。









壱から

2006-12-04 09:24:00 | 職場と正面から向き合って(終)
            「雲が新たに出来る如く、壱から始めよう」

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今日は晴れです。

ふと、昨日気付いた事がある。
病気のことですが。
今までの自分の生き方や考え方を強制的に否定させた病気である。と
言うことです。
病気が自分の生き方や考え方が間違っているよ。と。
教えたのです。
死にはしないけど、強烈な死の恐怖を与えてあげる。と。
病気が行っている様に感じる。

病気と言う「魔物」だと考え行動していたが、
自分を惑わし害を与える魔物ではなく、
道徳や規範からはずれない様に自分を正す
魔物であるのかも知れない。と感じた

過去に遡って罪を問い直しても、自分自身の道徳や規範が正せる訳ではない。

他人を憎んでも恨んでも真実は明らかにならないだろう。

他人を責めても正義にはならないだろう。

この記事を今、書いている自分は成長段階で幼稚園か小学生くらいでしょう。
子供らを見ていると、自分より大人だと日々感じる。
3年3ヶ月で漸く幼稚園か小学生レベルになった事を鑑みると、
普通の社会人レベルになるのは一生掛かるかも知れない。

人間は不完全であるのは理解しているが、
せめて、普通に生きていける社会人レベルまでは日々、努力する。
そうしなければ、病気になって自分が苦しみ、家族や心の友に
助けられた意味が無いのかも知れない。

弱者を救いたい思いはある。
しかし、今の自分では人間性がなさ過ぎる。
もっと、豊かな人間性がなければ他人は救えない。
一生掛かるかも知れないけど遣るしかない。と思える。

医師からこころが揺れると辛くなる。と言われていたが
何のことか分からなかった。
過去の自分を否定させた病気は3年3ヶ月の期間、新たな自分を構築するため
こころに葛藤を起こ苦しませた。
この葛藤こそが、こころが揺れることだったんだ。と思う。

自分は今、幼稚園か小学生レベルだから、他人から謙虚に聞くことが出来るの
かも知れない。
そして、謙虚に聞いて行動し自分自身が成長させて貰ったら感謝という言葉になる。

謙虚な姿勢から感謝の気持ちが生まれる。今はそう思える。

いつ、普通の社会人レベルになれるのかは分からない。
それでも、日々の生活の積み重ねから生まれると思う。

    
     諦めずに、自らが自分自身に立ち向かって行かなければと思う。








光と影

2006-12-03 11:38:37 | 職場と正面から向き合って(終)
                 「光と影は光明」

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今日は晴れです。
夜、雪が積もりましたが大した事は無いです。

昨日の母親との喧嘩で見えました!
見えた!と言うより、漸く分かったと言った方が良いかも知れません。

今朝、8時に起きると珍しく母親は寝ていた。
おそらく昨日の事が原因だろうと、すぐに推察出来た。
昨日のうちに自分から折れて謝ったが、尾を引いているのだろう。

妻と子供で9時に買い物、その後、夜積もった雪を除雪した。
家に入っても母親は寝ていた。
11時頃、母親は何処かに出かけて居ない。

昨日からの出来事を見ると、まるで自分を見ているようだ。と感じた。
それも、今の自分を見ているようだ。

他の人との考えが違う→素直になれない→我を張る→イジケル→受け入れない→閉ざす

この一連の行動は、自分自身だ。

職場の方から自分が職場を閉ざしている。と言われた事がある。
何の事か理解出来なかった。

でも、今回の出来事で漸く理解出来た。

そうなんだ。閉ざしているんだ。と

以前、臨床心理士とのカウンセリングでエンプティチェアを遣って貰い、
父親と対決した事があります。
その対決以降、大分、こころが軽くなりました。
軽くなったと言うより、少し大人になったと言った方が良いかも知れません。

母親との口喧嘩は、エンプティチェア同様、対決だったのかも知れません。
子供の頃からの口答え出来ない抑圧されたものが、解放された気分の様です。
母親は子供の時から光でもあったと思いますが、自分の影でもあったと今、
そう、思えます。

今、考えれば、
いずれ、対決しなければならなかったと思います。

おそらく、病気の要因の一つでもあったんでしょう。
今、気分は「見えた!」です。

母親は今、何処に行ったか分かりませんが
昨日、帰れといった事を実行したとすれば
自分が休職で家に居る事と同じと感じます。

未体験のゾーンを身をもって見せ、光明を与えてくれた

母親に感謝します。

これで、また少し大人になる事が出来ました。

ありがとう。




親子喧嘩

2006-12-02 20:36:29 | 職場と正面から向き合って(終)
              「親子喧嘩で嫌気がさし寝る」


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親子喧嘩
おそらく、夫婦喧嘩より始末が悪いと思う。

親子喧嘩の発端
夕食時に、自分が死ぬより母親が長生きされると自分の子供に負担が掛かる。
これが、きっかけでした。

不幸にして事故などで死んだ場合は除くが
寿命の順番から行くと母親、自分の順である。

それに対し、母親は親にそんな事を言うもんじゃない。と喧嘩腰

何を目くじら立てているのかな。と思ったが
自分の子供に負担が掛かることを考えたら
いや。順番なんでそうなっていくのが良い。と自分は言う

また、それに対し、妻の実家の話まで出て母親の方はそんな事は言わない。と
怒る始末

素直に話しをしろよ。と言っても聞かない。

仕舞いには、もう此処には来ないからと言われ。
だったら、明日帰れ。と言った。

自分が子供の頃から色々な騒ぎが家の中であった。
取るに足らない事から家を潰す話まで
それが胸中を過ぎった。
もう、家の中での騒ぎは嫌だ。と

何年すれば、自分が育った環境から脱却できるのだろう。
自分が育った環境の一端でも子供らに味わいさせたく無い。

夫婦喧嘩は犬も食わない。というが
親子喧嘩はなんだろうか。

そんな事を考えながら、寝るしかないのか。

皆さんは、どう思いますか?

2006-12-02 20:14:42 | 職場と正面から向き合って(終)
    「冬の誰もいない公園で子供らが遊ぶのを自分のこころは見ている」

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今日は晴れです。

病気は氣の持ちよう
病気は氣の持ちよう
病気は氣の持ちよう
と職場にいた時も
言われ続けていると

氣をしっかり持ってやるぞ。と
初めは思ったが
さすがに、四方八方から言われていると
気持ちがどうでも良くなってくる。

病気は氣の持ちようで片付けられている事に気付くと
どんな病気でも、色んなものが入り交じって区別が付かなくなると思う。

氣を見たとき
①生命力や活力の根源となる心の働き。
②外界を知覚する心の働き。意識。
③その人が生来もっている心の傾向。気質。
④物事に反応する心の働き。物事に反応して変化する心の状態。気分。気持ち。
⑤物事についてあれこれ考える心の働き。
⑥何かを(積極的に)しようとする気持ち。また、何かをなし遂げようとする精神力。
⑦物事に引きつけられる気持ち。関心。
⑧その場に感じられるようす。雰囲気。
⑨寒暑・風雨など、気象を変化させる自然現象。また、天地間に生じる大気。
⑩ある物がもつ特有の味や香り。
                              (明鏡国語辞典より)
など、五感で感じるものがある。

氣を感情面で見ると
①気が気でな・い気にかかって落ち着かない。
②気が差・す気がとがめる。後ろめたい気持ちになる。
③気が済・む気持ちがおさまる。満足する。
④気が立・つ感情が高ぶる。いらだつ。
⑤気が付・く
                              (明鏡国語辞典より)
など、自己の感情を表すものがある。

氣をマイナス感情で見ると
気が咎とが・める心の中で悪いという気持ちになる。うしろめたさを感じる。
気が引・ける気おくれする。引け目を感じる。
気が揉も・める心配で落ち着かない。やきもきする。
気に入い・る好みに合う。
気に食わな・い好きになれない。気に入らない。
気に障さわ・る不快に感じる。感情を害する。
気に病や・む心配する。悩む。
                              (明鏡国語辞典より)
などがあります。

氣をプラス面で見ると
気は心量や額はわずかでも、真心がこもっていること。
気を利きか・せる相手の気持ちや立場などにふさわしいように、先回りして配慮する。
気を付・ける注意する。
気を取り直・す失敗したあとなど、気持ちを新たにして元気にふるまう。
                              (明鏡国語辞典より)
などがあります。

氣の持つ意味は、五感で感じるものから感情面や行動面にまで広がります。

人それぞれ、どの面で見るかは人による枠組みであり一概には言えないでしょう。

現代社会において、物質的な豊かさを手に入れた我々人間は、
その場の感情面や行動で表現することは出来ても
五感で感じることは少なくなっていると思えます。

人間の中には氣という五感で感じられる部分が存在しているのを外に出て感じたい。

それは、健康だから病気だからという事ではなく。。。




師 走

2006-12-01 09:00:03 | 職場と正面から向き合って(終)
               「師走の空は冴え渡っている」

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今日から師走
師走は
師に走ると言い忙しい月
陰暦12月の異称
太陽暦の12月

この間、何をやったんだろか。

職場とのドンパチ(メンタルケアに関する)
自分に対する自問自答
家族のことを考えること
家の経済状態が苦しくなったこと
感謝というのが少し分かったこと

こんな感じかなぁ。

師走は寒く空気が澄んでいるような感じがする。
師走狐というのをご存じだろうか。
師走に鳴く狐
その声は冴えて聞こえると言います。

悲哀しさの声か
体験を実感する声か
人情・世相に谺する声か

その人、その人によって聞こえ方は違ってくるのだろうと思う。

自分は、刹那的な社会だからこそ人情・世相に谺する声にしたいと願う。


   今月はどこかで師走狐が鳴いている
              どんな声で鳴いているのだろうか。

朝あけ

2006-11-30 17:53:23 | 職場と正面から向き合って(終)
          「日の出前に東の空が赤くなる。心が太陽に照らし出されている」

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朝あけは朝焼けとも言うそうです。
心が太陽に照らされ赤く染まっているようにも感じる。

妻が職場と話合いをし今日、T長のところに行きました。
妻とT長との話合いは約20分
T長が今回の件について謝ったという話を妻から聞いた。
職場のトップが謝る。

謝罪
過失や罪を認めて許しを求める。
おそれいる。           (広辞苑より)

しゃざいと言うんでも赦罪もある。
赦罪
罪を許すこと。赦。        (広辞苑より)

謝という字は感謝にも使われる。
感謝
ありがたく感じて謝意を表すること。(広辞苑より)

T長に謝って貰い自分は満足か?
それが望みだったのか?

感謝という言葉
自分には
認めてくれたことを感じる。と言う意味に捉えたい。

自分の心は太陽に照らされた雲が赤く染まった様に感じた。

T長は来月5日に関東に転出する。

職場は人を変えれば済むけれども、家族は変える人がいない。
家族は、その不安を抱えたまま前へ進みしかない。

メンタルケアの道はまだ、厳しいと感じる。

死なない病気

2006-11-29 16:24:33 | 職場と正面から向き合って(終)
ここにいるパニック障害と私

新風舎

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                  「「パニック障害と私」は今の自分だ」

この記事は、過去に書いたもので、非公開にしていたものです。投稿日時も、そのままにしています。
過去の非公開記事から、見つめなおす為、公開します。
自分自身が、どれだけ成長しているのか確認したい。という意味もあります。
カテゴリーをクリックして頂ければ、見やすくなるかと思います。(ペコリ)



私はパニック障害が原因で死んだという話を聞いた事がありません。
ですから、パニック障害を発症してから3年3ヶ月生きているのだと思います。

パニック障害は色々な事を考えさせます。
自分のこと。
家族のこと。
職場のこと。
生き方
生い立ち
人間関係
etc・・・
考えされられた事は苦痛であったし辛かった。
辛くて逃げたかった。
でも、逃げることは出来なかった。
家族や心の友が支えてくれたから。。。
裏切ることは出来ないと。。。
葛藤も繰り返した。。。
自殺未遂も2回した。。。
でも、
死なないで今、ここに居る自分

「死なない病気」じゃなくて「死ねない病気」なんじゃ無いかと思う。
職場で精神疾患で苦しんでいる人や家族がいる。
そのために人生を掛けても、その人達に手を差し伸べたい。

健常者と言われる人が精神に疾患を持っている人を理解しているだろうか。
専門の医師でさえ分からないところが多いと言う。
臨床心理士も同様
筑波大学夜間のカウンセリング(日本で唯一のカウンセリングの公教育機関)を卒業した方も同様
だと思います。
何が苦しいのか。辛いのかを理解しなければ、どんな言葉を掛ければ良いか分からないだろう。
精神疾患は、統合失調症躁鬱病鬱病etc・・・
病態によって掛ける言葉が違うのは当然だと思います。

自分がそれを全て分かっているという事ではありません。
健常者よりは、そういう方に心の部分で近づけるという事だと思います。
今は、まだまだ勉強不足だと自分で感じています。
勉強し体験する事は山ほどあります。
精神疾患の方に手を差し伸べるために。。。

職場にそういう人がいる限り自分の存在意義はあると、この頃思います。
自分の病気
パニック障害は
死なない病気でもあるし
死ねない病気でもある
そして
今は、死ねない自分でもあると感じています。





写し鏡

2006-11-29 08:18:47 | 職場と正面から向き合って(終)
                   「この中に何が見えますか?」


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今日は、この時期にしては珍しく雨です。

上の何んにも無い画像に何が見えますか。

私は写し鏡だと思っています。
なぜ?
自分自身をどのようにでも写し出せるからです。
自分もそうですが、自分で自分自身を知らないのじゃないでしょうか。

子供らを見ていると写し鏡だと思えることがあります。
言葉、癖、行動など自分が自分を見ているなぁと感じます。
これ程までに自分を模倣しているのは無いと思えます。

他人の中にも自分を見る事が出きると感じる時があります。
妻と自分の関係で、妻の言葉や行動そして考え方など自分だと感じる事があります。
妻との歳月が長くなればそうなるのだろうか。と考えてしまいます。

妻以外の他人との関係でも
他人(相手)の悪いところは良く見えます。
しかし、他人(相手)の良いところは見えずらいと思います。
自分も他人(相手)の良いところは見えず、悪いところが目に付きます。
見つめ直してみると他人(相手)の中に自分も同じ事をやっているよ。とか。
自分と他人はココが違うなと。言うところがあると思います。
他人と自分を写し鏡で見てみると他人(相手)の中に自分が見える時があるかなぁと
思います。
それは共に過ごしてきた歳月が違うだけで妻との関係でも言えますよね。

自分を写し鏡として他人に見せる事は出来るのかなぁと考えます。
他人(相手)と同じ言葉や行動を真似て見たりと言う事なのかとも。考えますが
そんな事を遣れば、他人(相手)は不快になり人間関係が悪くなってしまうと思います。

じゃあ。
他人(相手)を不快にしないで自分を写し鏡として見せるためには、
どうしたら良いんだろう。と

また一つ、自分の課題(修行)が増えた様な感じです。



想 い

2006-11-28 09:12:20 | 職場と正面から向き合って(終)
                    「想いが激流の如く趨りだす」

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今日の天気は晴れです。

自分の「想い」
危うく忘れてしまうところでした。
こうして病気になっていると見失うもんだなぁと感じます。

自分の「想い」は
職場にいる自分の様な病気の人間に手を差し伸べること。
職場のメンタルケアの態勢を創り実行すること。
職場から自分の様な対応をしないように自分が存在すること。
精神疾患で自殺者を出さないこと。
精神疾患に対する職場の意識を改革すること。

これらを忘れかけ病気の苦しさに耽っていた自分がアホだと思いました。

今回、自分の写し鏡として
その「想い」を思い出させてくれた、みんな。
ありがとうございます。

毎日の生活は厳しいけど
自分のこの「想い」があれば生きていける。
家族も一緒だし


自分の遣るべき事
それは
この「想い」を何としても成し遂げること。

今回の反省としては、
 自分は何て忘れやすい人間なんだとつくづく思います。
 自分で自分のことが忘れやすいというか。
 気が付いていないというか。
 全く、どうしよう無い人間だと感じてしまいます。

今回の自戒は
 家族をけっして裏切らないこと。

  自分の忘れ掛けていた「想い」は激流の如く流れました。

  みんなに感謝です。