第二の人生を満喫!+愛犬ウィル(享年14歳)

還暦で娘・息子は結婚し孫がいます
様々な障害を抱え妻に支えられながら前向きに暮らしてます。

息子の1年間の交換留学

2013-09-06 14:45:46 | 家族
 
息子の交換留学
  息子が送ってきた写真を基に、記事にしてみました。 成田での出発 &n...
 


息子が来月から、1年間の留学に行きます。

上にある約1年前のオーストラリアの留学に続いてになります。

 

来月行くのは、英国です。
航空券の決済も、すでに済ませました。
航空機は、安全・安心を考え、MAJORな航空会社で、スターアライアンスにしました。

 

息子は、工学部なので、息子から言わせると、教養学部より大変だと言っていた。

しかし

自分や妻が強制したわけではなく、息子自身の意志で、決めたこと。
誰と比較せず、何とも比較せず、息子自身が自分の立ち位置を考え、
『自ら考え行動すること』と、中学生の頃から、言ってきた。
その事を、息子自身も、納得している。

また

『若い時は、失敗を恐れず、やってみろ』と言ってるが、後は息子自身の考え次第だと思っている。

 

1年間行くからには、結果が必要
息子は、現在、TOEIC700である。
1年後又は、行っている最中に、最低ラインとして、
TOEIC880
TOEFL60.5
IELTS 7.3
IBT  100
これを条件として、行かせることにしました。

当然、
大学の単位修得証明は、出発前の今月下旬に、送付し、自分が、それを確認し、
単位を修得しているのを確認出来たら、英国へということになっています。
単位を落としていた場合は、出発直前であろうが、行かせない。
息子は、これも納得しています。

息子曰く「単位?大丈夫」と、あっさり言っていた。


妻は、息子が1年間、日本にいなくなるので、寂しい感じである。

今後、Ph.Dまで、息子は行く気持ちのようであるが、
自分は、それを見守り、娘同様、やれる環境作りを最大限、全力でやろうと考えている。

 

息子に負けず、自分自身に負けずに、自分の障害を乗り越え、社会復帰します!

 


自分が出来なかった事を、息子がしてくれていることを想うと、
思いっきり、Yaleを贈りたい!

 

 

 

 

 

ニコ動(子らへ贈る) Present by Sakurazaka


父から息子へ

2013-02-23 08:20:36 | 家族

 

今日から、来月末まで、モナシュ大学へ交換留学。
他大学の学生も多く行くと思うので、友人になって今後に活かせれば良い。

春に引き続き、2回目となるが、

今回の交換留学に行く事の条件として、
○ TOEICで600以上とること
○ 単位を落とさないこと
○ 大学の審査に合格すること
この内の一つでも、欠けたら、いくら大学の審査に合格しても行かせないと俺は、話した。
○TOEICで655取り
○単位を落としてないことを確認し
○大学の審査で合格できた、妻から聞いたけど1年生では、お前だけらしいな。

よくぞ、俺との約束をクリアした。褒める。
そして、
春とは違い、今回、「俺、工学部で大変」という言い訳もしなかったのは偉い。

【Chance】とは、親や他人から与えられるものではなく、自らの力で掴むものと
何度も話してきた。
そして、
俺と妻が。何もないところから創った家庭の質を、超えることが、最終的に
俺を超えたと認めてやる。とも話した。

俺は今から楽しみだ。
お前が、どんな家庭を自らの力で創り、俺が見たこともない質の家庭を見れる事が
楽しむで仕方がない。
きっと、お前なら、俺を超えられる。俺と妻が創った家庭よりも質の高い家庭を創れると
信じている。

今日から、モナシュ大学に行って、他大学の友人を作り、モナシュ大学の講義を聴いて
理解できるのか体験してきて、1年後の1年間の米国又は英国の大学に交換留学する
ためには、何が足りないのかを考え来い、日本へ帰国したならば、足りないものを
自ら考えて行動する。

ところで、中学・高校のときは、袋いっぱいにバレンタインのチョコをもらって家にもって
帰ってきたが、今回は、いくつもらったのかな。
それと、
彼女でも作って、青春を満喫しろよ。

 


息子の交換留学 ④

2012-10-03 09:43:39 | 家族

 

息子から送られてきた写真を貼って記事にします。(^^ゞ

息子は、9月30日(日)に帰国し、10月1日(月)から大学に行っています。
この写真は、9月27日(木)に送られてきたのを、今頃、記事にしてます。

正確な場所が、どこか分からないので、とりあえず貼ります。

 

 

 

 





9月30日(日)に帰国してから、電話で話しました。
世の中にまどわせられずに、自らの道を見極めながら、自らの力で、這い上がっていけと。
親は、環境や金銭面の支援しか出来ないので、やるかやらないかは、自分だと。
話しました。

息子から「工学部」なんで、教養学部とかの人たちと勝負しなきゃいけないんで、大変なんだよ」
俺    「へえ。」

来年春の交換留学は、さてさて、TOEIC600以上+大学の選考に入れるのか。楽しみです。

 

 

 

 

ニコ生で活動しているクリエーターさんと歌い手さんを世に出すため頑張ってます。
FULL音源とインスト曲がありますので、興味がある方はDLして聴いてみて下さい。
【その窓からみえるもの】作詞:Miku (@No01Miku)作曲:K.Rin P【歌と歌い手さんを世に出そう!】←クリックすると飛べます。

 

 

備考

今のHNにした理由については、この記事で書いています(クリックすると飛びます。)→今更ですが、使っているHNにした訳

自立については、この記事で書いてます(クリックすると飛びます。)→『自己完結できる人間』に。

発達障害については、この記事で書いてます(クリックすると飛びます。)→俺の脳は『凹凸』

俺が生まれてきた意味については、この記事で書いています(クリックすると飛びます。)→『座標とコンパス』

生きる事について書いた記事です(クリックすると飛びます。)→『死』を考える事は『生きる』ことに繋がる

精神障害を持っている俺について書いた記事です(クリックすると飛びます。)→ひきもりの精神障害者は、本当に弱者か?

引きこもりの精神障害者が生き残る道について書いた記事です(クリックすると飛びます。)→ひきこもりの精神障害者が生き残るには

自分の事や子らや妻の事など家族の事が出来て初めて他の方の事を考えられる記事です人間は自分が『一番大切』なんだと言う事

俺の根本的な考えと行動について書いた記事です→自信の『命』を掛け『人生』を掛けられる事。

NHKで放送されていた復興予算の番組について書いた記事です。→NHKスペシャル『シリーズ東日本大震災 追跡 復興予算 19兆円』を見て。

病気か病気じゃないに関わらず、やり遂げなければならなかった事を書いた記事です。→『病気になっても、何がなんでも成し遂げなければ、ならなかった』こと。

息子が送ってきた写真を貼った記事です。→息子の交換留学

息子が送ってきた写真その2です →息子の交換留学 ②

息子が送ってきた写真その3です →息子の交換留学 ③

 

下記ブログに移動しました。

別館
Sakurazaka's 3D Room(←クリックすると飛びます。)

 

 

俺の信条:倒れても、妻や子らに食べさせるのが男(息子に、いつも話しをしています。)


息子の交換留学 ③

2012-09-20 12:14:09 | 家族




息子から送られてきた写真を貼って記事にします。

 

   


Glow worm Tunnel ←こういう風に書かれ送られても、どの辺なのかわからん。

 

土蛍らしい←よく見ると、かすかに映ってるように見える

 

 

これが今回、送ってきた写真です。
電話でも、話をしたけど、充実しているようだ。
言っておくべきとこは、しっかりと
「遊びで行ってんじゃねーぞ!しっかり学んで来い!」
言っておいた。
その時、隣で、妻が、
「またあ あんた、そんなこと言って 大丈夫だから」
と言ってました。

 

 

 

ニコ生で活動しているクリエーターさんと歌い手さんを世に出すため頑張ってます。
FULL音源とインスト曲がありますので、興味がある方はDLして聴いてみて下さい。
 【その窓からみえるもの】作詞:Miku (@No01Miku)作曲:K.Rin P【歌と歌い手さんを世に出そう!】←クリックすると飛べます。

 

 

備考

今のHNにした理由については、この記事で書いています(クリックすると飛びます。)→今更ですが、使っているHNにした訳

自立については、この記事で書いてます(クリックすると飛びます。)→『自己完結できる人間』に。

発達障害については、この記事で書いてます(クリックすると飛びます。)→俺の脳は『凹凸』

俺が生まれてきた意味については、この記事で書いています(クリックすると飛びます。)→『座標とコンパス』

生きる事について書いた記事です(クリックすると飛びます。)→『死』を考える事は『生きる』ことに繋がる

精神障害を持っている俺について書いた記事です(クリックすると飛びます。)→ひきもりの精神障害者は、本当に弱者か?

引きこもりの精神障害者が生き残る道について書いた記事です(クリックすると飛びます。)→ひきこもりの精神障害者が生き残るには

自分の事や子らや妻の事など家族の事が出来て初めて他の方の事を考えられる記事です人間は自分が『一番大切』なんだと言う事

俺の根本的な考えと行動について書いた記事です→自信の『命』を掛け『人生』を掛けられる事。

NHKで放送されていた復興予算の番組について書いた記事です。→NHKスペシャル『シリーズ東日本大震災 追跡 復興予算 19兆円』を見て。

病気か病気じゃないに関わらず、やり遂げなければならなかった事を書いた記事です。→『病気になっても、何がなんでも成し遂げなければ、ならなかった』こと。

息子が送ってきた写真を貼った記事です。→息子の交換留学

 

息子が送ってきた写真その2です →息子の交換留学 ②

 

下記ブログに移動しました。

別館
Sakurazaka's 3D Room(←クリックすると飛びます。)

 

 

俺の信条:倒れても、妻や子らに食べさせるのが男(息子に、いつも話しをしています。)

 

 


息子の交換留学 ②

2012-09-09 16:26:43 | 家族

 

息子が送ってきた写真を貼り付け、記事にします。

 

夜の風景だそうです。

 

 

昼の風景だそうです。

 

これだけを見ると、
おい!海外旅行かよ!

言いたいところなんですが、、


息子の交換留学は、無条件で行かせている訳ではなくて、
俺との約束として
〇 大学の単位を落とさない事
〇 TOEICで570を超える事
これをクリアしたので、行かせる事にしました。

そして、
交換留学後、次の事を約束しました。
これを俺に話をして、俺が成長したなと感じたら良しとしました。
〇 1ヶ月の交換留学で、世界から日本をみて、肌で何かを感じとる事

また
今年の冬の交換留学は、
俺との次の約束が出来て、行ける事になります。
〇 TOEICで600以上
〇 大学の単位を落とさない事
〇 大学の交換留学条件をクリアする事
です。

本人が行きたいと言う事で、無条件で、行かせる訳にはいかず(家族の経済的な負担を考慮して。)
俺(家族)との約束を果たし
大学の交換留学条件をクリアして行けると言う事になります。

息子曰く、
工学部で行くのは、大変なんだと言います。
俺は、それを聞いて、「へえ」と言ってます。

 

 

備考

今のHNにした理由については、この記事で書いています(クリックすると飛びます。)→今更ですが、使っているHNにした訳

自立については、この記事で書いてます(クリックすると飛びます。)→『自己完結できる人間』に。

発達障害については、この記事で書いてます(クリックすると飛びます。)→俺の脳は『凹凸』

俺が生まれてきた意味については、この記事で書いています(クリックすると飛びます。)→『座標とコンパス』

生きる事について書いた記事です(クリックすると飛びます。)→『死』を考える事は『生きる』ことに繋がる

精神障害を持っている俺について書いた記事です(クリックすると飛びます。)→ひきもりの精神障害者は、本当に弱者か?

引きこもりの精神障害者が生き残る道について書いた記事です(クリックすると飛びます。)→ひきこもりの精神障害者が生き残るには

自分の事や子らや妻の事など家族の事が出来て初めて他の方の事を考えられる記事です人間は自分が『一番大切』なんだと言う事

俺の根本的な考えと行動について書いた記事です→自信の『命』を掛け『人生』を掛けられる事。

 息子が送ってきた写真を貼った記事です。→息子の交換留学

 

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息子の交換留学

2012-09-04 07:15:11 | 家族

 

 

息子が送ってきた写真を基に、記事にしてみました。


 

成田での出発

 

 

成田です。

 

 

成田

 

 


搭乗手続きが終わってから撮したそうです。

 

 

機内で撮したそうです。

 

 

ホームスティのとこみたいです。

 

 

 

 

 

備考

今のHNにした理由については、この記事で書いています(クリックすると飛びます。)→今更ですが、使っているHNにした訳

自立については、この記事で書いてます(クリックすると飛びます。)→『自己完結できる人間』に。

発達障害については、この記事で書いてます(クリックすると飛びます。)→俺の脳は『凹凸』

俺が生まれてきた意味については、この記事で書いています(クリックすると飛びます。)→『座標とコンパス』

生きる事について書いた記事です(クリックすると飛びます。)→『死』を考える事は『生きる』ことに繋がる

精神障害を持っている俺について書いた記事です(クリックすると飛びます。)→ひきもりの精神障害者は、本当に弱者か?

引きこもりの精神障害者が生き残る道について書いた記事です(クリックすると飛びます。)→ひきこもりの精神障害者が生き残るには

自分の事や子らや妻の事など家族の事が出来て初めて他の方の事を考えられる記事です人間は自分が『一番大切』なんだと言う事

俺の根本的な考えと行動について書いた記事です→自信の『命』を掛け『人生』を掛けられる事。

 

 

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平成24年8月25日(日)の妻と一緒の通院

2012-08-28 13:11:10 | 家族

 

 8月25日(日)に妻と一緒に、通院でした。

 

 その時の、札幌です。

 

 

 

藻岩山方向に雲が、かかってました。
ここは、すすきのです。

 

 

雲の形が、この辺では、はっきり分かります。

 

 

こんな感じで、妻と一緒に、行ってきたのですが、
主治医から、【発達障害】に効く薬が承認されるとのこと。
主治医自らが、その薬について、勉強をして、使ってみたいと仰っていました。

その話を聴いて、
俺自身の実体験から、【発達障害】は、たぶん、治らないと思います。
この【発達障害】という病気を抱えて、生きていかないといけないと感じています。
もし、俺が、この病気が治ると思ったら、発作のような、苦しい症状に、俺自身が、思い知らされてしまします。
そして、その症状は、追い打ちを掛けるように、衝動となり俺の意志では止められないのです。
今年の6月1日の事で、それが良くわかりました。
妻を傷つけてしまうかもしれない。また子らを傷つけてしまうかもしれない。と思い、その話を先生にして、
新たに、ジプレキサーという薬を処方して頂いて、少し安定しました。

でもね。先生
【発達障害】というのは、悪い事ばかりじゃないんですよ。
健常者という方には、気づかない事を感じられるんです。
それを、『生きづらさ』っていう方も、いるけど、俺は、良いように考えてます。
他の人に、感じられない事を感じられるのは、ある意味、特殊能力みたいなもので、
それを、伸ばせないかなと考えているんですよ。
でも、一つの事しか出来なくて、平行して、物事ができないのが、困った事かなと思ってます。
それを、何とか、日常生活に不便を来す事無いようなレベルまで、行けたらいいなと思ってます。

この事は、子らから教わりました。
子らの成長を思い返して、いって子らから、教わったんです。

こんな感じで、主治医と話してきました。

 


ひきもりの精神障害者は、本当に弱者か?

2012-07-03 16:26:29 | 家族

 

 

今日は、朝、起きたときは、曇りでしたが、昼になってから、天気が良くなり、暑いです。
現在、引きこもって薬を合わせている俺にとって、外と俺の状態が違ってて、
何とも、言い表せない感じです。

俺は、病気を発症しってから引きこもりになって居たわけではなく、苦しさの
あまり薬を飲んでは、寝る。の繰り返しを、病気が発症してから7年目頃から
引きこもりになった感じでした。
7年目までは、何とか、這ってでも妻に付き添われて、職場に行ってました。

病気を発症してから、昼夜逆転は、普通で、とにかに、病気自体の苦しさと
薬が強いという感じで、二重苦状態でしたし、社会が悪いだの、周りの人間が悪いだの
親が悪いだのと、ほぼ毎日、暴れては、救急車で病院に搬送され、ホリゾンかセルシンを
打たれて、バタンキュウの状態でした。気がつくと朝になってて、そのまま制服を着て、職場に
妻に付き添われて、行く日々の繰り返しな感じでした。
今、何日の何曜日という感覚がない感じだったかなと思います。

このブログで話してきましたが、かなり話は飛びますが、俺自身のスクラップを終え、
現在は、ビルトをしている日々です。

今、思えば、家族や周囲の方たちは、俺に気遣い、【弱者的】に扱ってきたように思えます。
要するに、当たらず障らずな感じです。
その時の事を、思い出しながら書いてますが、その時の俺は、【弱者】として扱われて欲しかったのか?
と言えば、そうじゃなく、この苦しさから逃れて普通になりたかった。というのがあったように思います。
何が、普通か普通じゃないのか。というのは、このブログでも書きましたが、漠然と、前のバリバリ働いている
状態に戻りたかった。

当時【弱者的】に扱われていた俺自身、それに満足していた俺もいたのかもしれません。
今、考えると、家族や周囲が気遣ってくれてただけで、俺自身に何の成長もなかったと
思います。
それに気づいたのは、発症してから、たぶん3年目くらい?だったと思います。
こんな事じゃいけない。
子らを、俺のようにさせては行けないと思い、妻や子ら、そして主治医、臨床心理さんなど
多くの方の協力を頂きながら、ようやく俺自身をスクラップし、
俺が何者なのか?
なぜ、この病気になったのか?
生きている使命
を俺自身の中で知る事ができました。

その事ができたのは、妻や子ら、周囲の方の協力もさることながら、俺自身が、こんな事じゃいけないと
言うことに気づいたからに他ならないと思います。
【弱者】と扱われ、言われ続けていたら、現在のようになってはいないと思います。
このことに気づいてから、障碍者が力強く生きている方がいるのあないか?と思い、
当時、調べ、木村浩子さんと小山内 美智子さんの本に出会いました。
読んで、なんてすごいんだろうと感じたのを今でも覚えています。

「わが半生記」
確か、図書館で借りたと思います

わが半生記 (1982年)
クリエーター情報なし
)土の会生活訓練所

「あなたは私の手になれますか」

あなたは私の手になれますか―心地よいケアを受けるために
クリエーター情報なし
中央法規出版


今でも、たまに読み返しています。

 

 

本の内容は、詳しくは書きません。
調べるなり買うなりして、見てほしいなと思います。
とにかく、すごい方たちだという感じは、今でも鮮明に覚えています。

この方たちの本を読んで、俺が感じたのは、【弱者】じゃないんだ。
【弱者】と呼ばれて満足しちゃいけないんだ。
何か今、出来る事があるはずだ。
と思えました。

実際。このブログにも書きましたが、依願退職してから、アルバイトで
ラーメン店など5社に履歴書を送りました。
ラーメン店は、面接まで行けましたが、あとの4社は面接の電話が来なく、不採用でした。
諦める事無く、このブログの題名の下の内容に書いた通り
病気をオープンにして社会適応を家族や、みんなの力を得ながら、やっていきます。
引きこもりで精神障害者の俺は、俺自身、【弱者】とは現在、思ってはいません。
【弱者】と俺自身が思ったら、社会適応に向けた行動が出来ないからです。

最後まで、読んで頂きありがとうございます。
拙い文章で、申し分けありません。

 

備考

自立については、この記事で書いてます(クリックすると飛びます。)→『自己完結できる人間』に。

発達障害については、この記事で書いてます(クリックすると飛びます。)→俺の脳は『凹凸』

俺が生まれてきた意味については、この記事で書いています(クリックすると飛びます。)→『座標とコンパス』

生きる事について書いた記事です(クリックすると飛びます。)→『死』を考える事は『生きる』ことに繋がる


平成24年6月23日(土)の妻と一緒の通院

2012-06-24 23:33:51 | 家族

 

平成24年6月23日(土)に妻と一緒に通院に行ってきました。
運転は、妻にしてもらいました。


少し雲がかかっていました。

 ↑ぼかしてあります。

 

北海道神宮前通過です。

 

 

動画では、こんな感じです。

 

通院して、主治医からは、薬合わせが上手く行ってる。と褒められました。
妻も、薬を増やしてから、前よりも、穏やかになりましたと話してました。
まだ、ぴったりと薬が合ってない感じなので、微妙に調整しながら、日々の生活をしていきます。
また
俺の基底にある広汎性発達障害を妻や子ら、主治医そして臨床心理士など、みなさんの力を
借りて、俺自身、広汎性発達障害という事を受け入れながら、薬を、今よりも合わせ、社会適応
に向け諦めずに、自分自身をビルトしていきます

今の状態が、良いと考えてないので、少しづつでも、前に進んでいきます。

 

では
通院の続きです。

 

帰りは、天気が良かったです。

 

 

夕方の大通りです。

 

 

大通りの噴水は、夕方でしたが綺麗でした。

 

 


平成24年6月9日(土)の通院 feat妻

2012-06-20 20:55:34 | 家族

 

 

平成24年6月9日(土)の通院をようやくUPする事ができました。

 

通院へ妻と一緒にGO

 


車で走る~

 

 


走る様子を動画にして見ました。

音楽は
RIP=RELEASE【巡音ルカオリジナル】(←クリックすると飛びます)を使わせて頂きました。(感謝です。)
この動画の中に、俺と師匠が、ひっそり入れてあります。

 

ちょうど、
YOSAKOIで混んでて、中々、進みませんでした。

なので
帰りは夜でした。

 

夜の感じも良いなとか思いました。

 

 

 

 

 

という訳で夜になってました。
また
YOSAKOIで若者の熱気が伝わってきました。

若いっていいですねえ。


『家族』に感謝を込めて

2012-06-06 14:21:58 | 家族

 

家族に感謝を込めて、動画を作ってみました。
俺と師匠しかないんですが・・(^^ゞ

音楽は、流星PさんのRIP SLYMEを使わせて頂きました。(感謝
音源は、こちらを使わせて頂きました→ http://www.nicovideo.jp/watch/sm5992615

 

前よりも、より一層、家族っていいなと、感じたのは、
前書いたこの記事『家族と頭の暴走』の狭間で
の時、
妻や子らが、いなければ、俺は、いない人になっていたなと思います。


今までも、そうであったように、支えてくれているお陰だと思っています。

『家族と頭の暴走』の狭間で この後、
主治医に早めに行こうと、何度も、話がありました。
確かに、
俺自身、【薬が合ってないな】とは、痛切に感じてるし、
日々、症状で、苦しいのは確かです。

でも、
心療内科に通院されている方は、分かると思いますが、
待ち時間が長く、俺よりも、苦しい方の時間を、押しのけてまで、
早めに行く気にはなれないのです。
この話は
妻にも話しました。

通院まで、あと3日

苦しくて、頭が暴走しそうなときには、
頓服を多めに飲んで(ODでは、ないですよ・・(^^ゞ)
ベッドで横になり、耐えながら、薬の作用で、眠くなり寝る。

苦しくないときは、ブログを書いたり、TWITTERでつぶやいたり、
子らにメールしたり等してます。

その日によって、調子が違うので、不規則にならないよう
朝起きて、夜は寝る。
昼夜逆転しないよう、頑張ってます。(頑張るというか、薬の作用で寝てしまうんですが・・)
寝れないときには、
無理に寝ようとしないで、動画を作ってみたり、本を読んでみたりしながら、
薬の作用で、眠くなるのを待つことにしています。

また、
『家族と頭の暴走』の狭間で この時、
救急隊員の方には、
俺が、今後、119しても、来ないようにお願いしました。
俺より緊急性が高い方が、いるのと、
119を呼ぶ事が、今の俺にとって、良い事だとは、思えないからです。

今の俺に出来る事は、
どんなに苦しくても、
通院日以外で、他の方の時間を俺のために奪わない事
救急車を呼ばない事

こんな小さい事しか、今の俺には現実的に、社会に出来る事は、ありません。

妻からは、今は、それでもいいじゃないと言ってくれました。
ありがとう


 


今日は、調子が良かった(^_^)

2012-06-05 01:17:34 | 家族

 

今日、こちらは天気も良く、比較的、調子がいい日で、外にも出れました。

今日は、こんな感じの空です。

 

久々の外って、感じです。

 

 

庭に木々があったので、撮影してみました。

 

 

こちらは、もう夏に向けて、木々が輝いてます。

 

調子が良い日は、外に師匠と一緒に、出たいと思います。

 


『家族と頭の暴走』の狭間で

2012-06-01 18:22:09 | 家族

 


昨日、調子が悪くて、薬を飲んで、寝ていた。
寝ているとき、発作が起き、
●自律神経症状
●頭の中に、もう一人の俺が出てきた

いつものやつだな。と自分に言い聞かせ、頓服を飲んで、収まるのを、耐えてひたすら待つ。

いつもだったら、
1時間もすれば、収まるのが、収まるどころか、自律神経症状と頭の中のもう一人の俺が
激しく暴れる。

耐えるんだ
耐えるんだ
と何度も自分に言い聞かせる。

そして、
もう一人の俺に、
俺を殺してみろと、もう一人の俺と闘い続ける。

でも、
昨日は、自律神経症状と、もう一人の俺に負けてしまった。

119
掛けてしまった。

苦しくて、玄関から出て、のたうち回っていた。

救急車がきた。
もう一人の俺は、台所に這いずっていきながら、包丁をもって自分を刺そうとした。
その時、
救急隊員から止められ、
警察を呼ばれた。
あとで聞いたが、保健所の方まで来ていたと聞いた。


妻は、日頃、子らには、こんな俺でも必要だと話してくれている。
そんな妻の言葉は、頭の中に入っていた。

子らには、俺のような病気になって欲しくないという思いで、
この病気になった原因
育った家庭環境

成長過程などに問題があった事などを詳しく話し、俺のようになって欲しくなく、
そんな環境を作るらない事や正常に成長出来るよう妻とともに、努力してきた事などを
詳しく話し続けてきました。

もう一人の俺は、俺自身を殺したくて仕方なく、自律神経症状など、色々な症状を出してくる。

このブログでも書きましたが、
俺が65歳になり、子らの子供(孫)の中に、俺がいない事を確認して、師匠とともに、死にたい。
それが、
妻や子らに話してる事であり、約束です。

それにも関わらず、
もう一人の俺(暴走する頭)に負けて、妻、救急隊員、保健所、警察の方に迷惑をかけてしまったのは、
昨日、俺が俺自身に負けてしまいました。

止められたとは言え、
もう一人の俺(暴走する頭)が俺を殺せないで、留まれたのは、上記の方たちの、お陰であり感謝しています。
それと、
やはり
子らとの約束が、俺自身を、生きさせているのです。(65歳まで、何とか生きる。)


この記事を書いたのは、
同情や共感を得たくてかいているのではなく、俺自身への戒めの為に書いています。

これからも引き続き、
妻や子らのため、
65歳まで、もう一人の俺(暴走する頭)と勝てないまでも、負けないように、戦い続けます。


 

 


『意志』と『刹那』について

2012-05-26 18:27:49 | 家族

 

久々の更新です。
2011年12月20日から更新してませんでしたので、約5ヶ月ぶりという事になります。

立ち寄って頂けた方に、感謝と同時に、申し分けなく思います。

本題に入る前に、この間、何があったかと言えば、
〇 娘の成人式
〇 息子の大学入試
と言う、2つの事がありました。

あ 後、妻が椎間板ヘルニアになってしまった事もありました。

このような事で、
子らの事に集中し、更新が出来なかった訳です。(2同時とか3つ同時に出来るほど、器用では、ないのです。)

で、
娘の成人式も無事終わり、息子の大学入学も無事終わり、落ち着いたとこで、更新という感じです。
ちなみに、
娘に成人式の動画を上げてもいい?

と聞いたんですが、がっちり断れました



それと、友達のブログを見て来たのですが、
色々な方が居られるのですが、お二人について、少しだけ感じた事を書きます。
(他の方、本当に、すみません。)

〇 のびさん入院されるんですね。本当に、身体を大切にして欲しいと切に願っています。
   そして、
  家族にとって、太陽である事が、家族の温かさと前に、お話しましたが、雲に少しだけ隠れてて、
  光が遮られても、太陽は、いつでも光を照らしてくれます。
  それは、「あるがまま」で自然な事であると思っています。
  北の地から、「あるがまま」な自然な姿で、応援しています!

〇 ななこさん。お孫さん可愛いですね。俺に孫が出来るのは、いつの日なのかなとか考えながら見させて、いただいて
  います。「生きがい」や「役割」があることが、良い事だと、本当に感じます。



本題に入ります。
今回は、『意志』と『刹那』について書きます。

まずは、これを見て頂きたいと思います。
1975年に荒井由実さん(松任谷由実さん)が作詞・作曲した曲で、俺が13歳(小6か中1の頃かな??)の
時の、曲です。この当時の情景を、上手く反映されていると思いましたので、取り上げて見ました。
13歳というと、横田めぐみさんが拉致された年齢と同じですね。

まずは、見てください。

この動画を見て、
●暴動を起こせとか
●革命を起こせとか
●反社会的活動をしろとか
言っているのでは、ありません。

見て欲しかったのは、
若者の力です。
良い悪いは別にして、『意志』があったと強く感じます。

『意志』とは
簡単に言えば、【覚悟】であり、【腹を括る】、【腹を決める】事であると思います。
そのような若者たちの力は、この動画を見ても、すごいと感じます。

では
『刹那』とは何か?と言えば
これも、簡単に言えば、
【今だけ良ければいいんだ】、【一瞬でも楽しめればいいんだ】という事だと思います。
これは、
今の現代社会を見てて、『刹那』的に感じています。


現代社会において、
『意志』があるなと感じれる若い方とすれば、この方かなと感じています。
米津玄師さん(←押すと記事に飛びます。)

米津玄師さんを、詳しく知っている訳ではないのですが、ネットで調べていくうちに、
若い方にしては、『意志』がある方だなと感じました。
それは、
たぶんですが、ご自分の好きな事を見いだしていて、それが形になったのではないかなと思っています。

要するに、
○ 自分が何をすべきかが分かっている
○ 認められるとか認められないとかの前に、今、自分がしている事に充実できる
だから、
生きがいや生きる意味を持てるし、生きてて楽しいと思えているのではないかと感じます。

 

それぞれの時代に応じて、
生きがいとか
生きる意味とか
という価値基準は、違うし、人によっても違います。

しかし
時代が変わろうとも、同じ価値基準があるとすれば、
『刹那』的な意味ではなく、
『意志』的な意味で、
今、生きてて楽しいと思えるか、どうかだと思います。

今、生きてて楽しいと思えるのは、
他の方からは、得られないと思います。
それは
自分の力で、周りに協力して頂きながら、得れるのだと思います。

自分の道は、自分で切り開く、これが基本ではないかと思います。

そして、
『意志』のある若い方を、見守りながら、応援していきたいなと思っています。

本題については、以上です。

 

おっと
忘れるとこでした。

師匠ですが、今、こんな感じで、すくすく育っています。
予防接種とかの、動画もあるんですが、それは、後でUPしたいと思います。



少し感じた事を、書きました。
文中読みづらいとこがあったかとは思いますが、ご容赦ください。

 

 


『ニコ動の求人に応募した結果』について

2011-12-13 23:56:02 | 家族

 

 『ニコ動の求人に応募した結果』について書きます。

昨日、結果が来ました。
「不採用」です。

予想通りと言えば、予想した通りになりました。

「不採用」については、
俺自身の職歴が防衛省しかなく、能力がないので、採用されなかったと俺は、考えました。
このことは、ニコ動から、このような文章で来たわけではなく、俺自身が考えた、採用されなかった理由である。

この事から、
今後は、俺自身の「能力」を高める事を日々していきます。
その「能力」は、ピアノを弾いていたので、その「能力」を高めていきたいと思います。

このことは、
妻や子供にも話しました。

妻や子供は、少しづつやって行ってねと言われ、涙が出た。
また
息子は、俺が新たな能力を身に付けたら、俺も身に付けて、超えると言っていた。

日々、そんな気持ちで、過ごしていきたいと思っています。