現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

100周年を迎えた慶応「竹の会」

2012-04-05 21:08:46 | 虚無僧日記
慶応大学の「尺八と琴」の倶楽部「竹之会」は、
明治43年の創設。昨年100周年。定期演奏会は
第50回となった。このほど会報の『遠音(とうね)』
(創立100周年記念号)が送られてきた。よくぞ
写真やらプログラムなどが残っていたものだ。

昭和37年の第1回「定期演奏会」の出演者は
100人もいる。私の頃(S42~46)は、70年安保で
荒れた時代だったが、それでも部員は50名以上いた。

それが、昭和50年代から尻すぼみとなり、一時期は
部員10名で、風前の灯だった。それが平成の今、
また4、50名ほどに盛り返している。

昔と変わったのは、「地唄三絃」を弾く男性が
現れたことと、尺八を吹く女性が増えたことだ。
「地唄」の古典を、唄もきちんと歌うのもすごい。

OBは数百人。慶応出の尺八家は、私の他に数人いる。
まず、福沢諭吉の孫の「堀井小二朗」。その後継者が
私「牧原一路」。琴古流荒木派5世の「荒木古道」、
木村友斎の後継者「北山士童」、高橋空山の後継者
「藤由越山」。そして「虚無僧研究会」設立の
発起人の一人となった「徳山隆」、アメリカで活躍
している「松居 和」。

部員同士で結ばれたカップルは26組もいるそうな。
私は「尺八と心中」した。



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「虚無僧研究会」会員600人

2012-04-05 21:08:34 | 虚無僧日記
新宿区原町の「法身寺」の小菅大徹師の肝いりで、
「虚無僧研究会」が発足して以来30年余、機関誌の
『一音成仏』は41号をとなった。

発会当初、「虚無僧に関する史料など集まるのか」と
危惧されたが、機関誌の内容はますます充実してきた。
各地の研究家によって、貴重な史料が続々と発掘され
発表されているのだ。

宇土藩主「細川月翁」の克明な記録をはじめ、江戸時代の
虚無僧の記録や絵、本則(免許状)など。そして明治、大正、
昭和の名人たちの写真や手紙など、よくぞ保管されて
いたものと感心する。

先日「平成23年10月現在」の「会員名簿」が届いた。
会員数628である。10年前と変わらない。10年前は
高齢者が多く、この10年で何人かの方が亡くなられて
いるが、新規会員も同数入ったということだ。

私が尺八を始めた50年前、昭和30年代は、「虚無僧
尺八」など絶滅の危機にあった。それが今 不思議と
甦ってきているのだ。




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北斎漫画に描かれた虚無僧

2012-04-05 10:10:32 | 虚無僧って?
『北斎漫画』を入手した。「青幻舎」から文庫本で3巻。
『富嶽三十六景』で有名な「葛飾北斎」は、江戸後期の
浮世絵師。宝暦10年(1760年)? - 嘉永2年(1849)。

『北斎漫画』は全15編、970ページ、およそ4,000カット
の絵が描かれている。その中、「第三編」17頁に「虚無僧」の
絵がある。その隣、16頁に、虚無僧の天蓋と同じような
筒型の「深編笠」を被った「侍」の絵がある。紋付袴に
大小二本差しだから、虚無僧ではない。これは珍しい。

虚無僧は江戸時代の初期は普通の侍の「山笠」だった。
「天蓋」は虚無僧独自のものと思うが、一般の侍も被って
いたとは意外だ。ただし、一般用は4段で窓が無い。
虚無僧は7~8段とさらに深くなり 窓がある。

『北斎漫画』の第二編9頁には「琴、胡弓、木琴」と合奏
している図がある。
虚無僧は、「家康公のお墨付」を振りかざして「尺八は
虚無僧以外吹くことならず。琴、三絃との合奏も禁止」と
言っていたが、実際には、一般の町人でも尺八を吹き、
琴、三絃、胡弓と合奏していたのだ。そして、この図には
「木琴」のようなものも描かれている。この「木琴」は
インドやインドネシアからの伝来品のようだ。

邦楽といえば「琴、三絃、尺八」だが、江戸時代は「胡弓」や
「琵琶」「木琴」「月琴」など、もっと多彩な楽器があった
ようだ。

最近、江戸時代に中国の「明・清楽」が入ってきて、邦楽に
大きな影響を与えている。尺八の本曲も、これら「明・清」
の曲が元になっているのではないか。「虚無僧本曲は
長崎から江戸へ伝播した」という説が注目されている。




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