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現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

梅原猛の仏教批判

2009-01-07 22:53:44 | 五木寛之
(過去の再掲載です。この後に『親鸞』関係をつなげてみました)

仏教哲学者梅原猛は、「登山と山伏」という
エッセイで次のように言っている。 
「山伏を生業とする人は少なくなったが、一般の
人で行に参加する人は年々増えているという。

仏教とは、観行によって、あるいは座禅によって、
あるいは念仏によって自分が仏になろうとする事
であると思うが、山伏の行も、登山という行に
よって仏と一体になることであると思う。
職業をもちながら、山伏として山に登る時は何日も
前から潔斎し、身も心も清めて僧となる、この姿
こそ新しい時代の僧職のあり方ではないだろうか」と。

まさに、我が意を得たり。山伏がそうなら、虚無僧も
然りだ。在家であって僧以上に仏に近づくことを
願うならば、本物の仏徒ではないか。「既存の寺の
僧侶が妻帯し、酒魚を喰らい、幼稚園や駐車場、
観光業に精出して、金儲けをしながら恥じぬ姿は、
とても尊崇に値するものではない」と梅原猛はいう。

それは600年昔の一休の時代からそうであった。
禅寺は、大名や公卿の次男以下受け入れ先であった
から、衣食住に何ひとつ不自由せず、貧困にあえぐ
民衆のことなど少しも考えていない。高名な寺の
住職になるには、親の権威と金次第であった。

一休とんち話の「水飴の話」は弟子たちに仏法を
教えることもせず、“水飴=銭儲け”に夢中になって
いる和尚さんをとっちめる」話なのだ。

日@BlogRanking


親鸞 五木寛之

2009-01-07 22:51:12 | 五木寛之
中日新聞他に連載中の『親鸞』実に面白い。
さすが五木寛之だ。抹香臭い名僧の話かと
思っていたが、巨牛同士の角突合せという
意表をつく始まりだった。放埓の人との交わりや
六波羅童子(わっぱ)との対決など、「それで
どうなる?」と、ハラハラドキドキの展開で、
毎朝の新聞が待ち焦がれた。そして、すべての
ことが噛みあわされ、プロローグは劇的な結末
だった。

「極悪非道な人間でも往生できるのか」という
核心のテーマを、五木は最初に出してみせたのだ。
そういうことだったのかと納得。すべて五木の
創作だろうが、こういう状景は、自分が考え出す
というより、天の啓示のように沸いて出るのだと
いう。見えない力によって書かされるそうな。

私にも、天の啓示が聞こえる時がある。親鸞は
念仏を唱えることによって救われるという『他力
本願』。虚無僧は『自力本願』。これから世の中は
ますます親鸞や一休の時代のように住みにくい
大変な時代となる。その時、人々の心を救うのは、
虚無僧の『自力本願』か親鸞の『他力本願』か。
虚無僧の『自力本願』が、これからの厳しい世の
中にも活かされてくることを信じている。

「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

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放埓の血 親鸞

2009-01-07 22:50:05 | 五木寛之
中日新聞に連載中の『親鸞』、さすが五木寛之、読み
応えがある。

8歳の忠範は、自分の中に祖父の放埓の血が流れている
ことに苦悶する。「埒(らち)」とは、馬場の柵のことだ
そうだ。人は皆、一定の埒の中で生きている。貴族は
貴族社会のルールの中でだ。その埒からはみ出れば、
まさに“埒外、放埓の人”として村八分にされる。
忠範(親鸞)の祖父が放埓の人であったため、一族は皆
下級官吏に甘んじ、父は出奔して出家、母も亡くなる。
そこで幼い忠範は、伯父の家に厄介の身となる。

9/25 で 24回になった。
「忠範の心のなかには、学問の師である伯父の宗業や、
歌人である養父の範綱への尊崇の念が深く根付いている。
その一方でへの親しみの気持が逆らいがたく心に
渦巻いているのだ。乞食同然の聖たちや、辻の遊芸人たちや、
無頼の徒たちの世界にどうしようもなく惹かれる。」

これって、まさに私自身のことだ。私も何不自由ない家に
育った。しかし、心はなぜか空ろの暗い性格。それでいて、
いつも何かに夢中になる。何事にも興味深々。私も“埒”の
外の世界に憧れた。そして、虚無僧や乞食に異常に親しみを
感じた。普段は、おとなしい良い子を装いながら、時には、
家族もあきれる放埓ぶりを発揮したのだ。
そして、親鸞の父同様、家族を捨てて出奔、今虚無僧として
生きている。放埓の人生だ。

「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

日記@BlogRanking


禅宗と念仏宗

2009-01-07 22:46:28 | 五木寛之
私が子供の頃(戦後のS20年代)、町には乞食や傷痍軍人、
子供の靴磨き、物売りなどがたくさんいた。私は子供心に
「将来乞食のいない社会を造る人になろう」と思った。
その反面、彼らの生活に憧れてもきた。

五木寛之の『親鸞』もまさにそうだ。貴族の家に生まれ
ながら、社会の底辺にうごめく人たちや悪党どもにも
関心を寄せる。“放埓”の血が親鸞の心の底に宿る。
「人間の罪や、悪や、無明の世界をさまようおのれを
恥じ、深く懺悔する才能」「その心は暗く濁っている」と。
いよいよ佳境にはいる。

天台の教義から、「修行も教学もいらぬ、ただひたすら
念仏を唱えれば、悪人も極楽浄土に成仏できる」という
念仏宗を立てた法然。そしてさらに、浄土真宗を開いた
親鸞の違いを、五木寛之は明らかにしてくれそうだ。

私の立つ位置は禅宗なので、自助努力の自力本願だから、
「念仏を唱えるだけでいい。何もしないで、働きもせず
に1日中念仏を唱えていればいい」という他力本願には
疑念がある。念仏宗をどう理解したらよいのか『親鸞』を
興味深く読んでいるのである。



尺八葬

2009-01-07 22:25:26 | 心の問題
中日新聞「くらしの作文『尺八葬』」
緑区の34歳主婦恒川弥生さんの投稿。内容は、
「尺八が大好きだった父が亡くなった。無宗教
だった父は尺八の演奏に囲まれた葬儀を望んで
いたので、尺八仲間が集まって尺八を奏でてくれ、
父が望むような葬儀ができた」というもの。

私も「死んだら葬儀は不要、仲間が『手向け』を
吹いてくれればいい」と『尺八葬』を望んでいる。

東京では、僧侶を呼ばない家族や火葬場直行の
“直葬”が3,4割にも達しているとか。寺離れは
確実に進んでいる。「家族葬」「音楽葬」のために、
私はCD『手向け』(1,500)を出している。やがて
需要は増えるかな?。




女乞食

2009-01-07 22:15:07 | 社会問題
(12/14 の再掲載です。派遣・ホームレス関係でまとめてみました)

12/14 神戸に行くため、早朝6時、地下鉄中村公園
駅に行くと、階段の所で、うずくまっている女性を見た。
髪は茫々、足は素足で垢だらけ。ダボダボのTシャツの
中に手も膝も折り曲げて入れて、寒さに震えている。
神戸からの帰り、夜6時、朝見た女性が、駅構内の自動
販売機の前に立っていた。何か飲みたいのだろうが
買う金が無いのだろう。近づいて声をかけてみた。
「靴は?、お金は? 寒くないの?」と。彼女はキッと私を
にらみつけて 「おせっかい!」 と一言。
プライドはあるらしい。物乞いはしないのだから“乞食”
ではないか。

以前、早朝 生ゴミの袋をあさって残飯を食べている女性を
見た。服装はまあまあだったが、おぞましい光景だった。

また、素っ裸で歩いている若い女性も見た。洋品店の店員が
追いかけて布切れを巻きつけてあげていた。目がうつろで
気が変なようだった。
彼女たちはこの寒風の中、どうしているのだろう。

一休は、賀茂の河原で餓死寸前の母子に出会って、救うことの
できない無力感に愕然となる。そして冨や栄達を求めず、生涯
托鉢僧として過ごす決意をする。一休縁りの大徳寺真珠庵には
『百鬼』の図が伝わる。
今、中日新聞では、五木寛之の『親鸞』が連載されている。
親鸞の時代もまた地獄絵図の世界だった。

今年の漢字は『変』。変化を期待するというより、世の中
ますます「なんか“変”」になってきている。平安末期や
室町の“末法の世”と似てきた。そう思うのは“変”かな??。




ホームレス

2009-01-07 22:14:25 | 社会問題
(12/15 の再掲載です。ホームレス関係でまとめてみました)

虚無僧で立っていると、ジャンパー服の男性が近づいてきた。
しきりにズボンのポケットをまさぐっている。そして
「布施したいのだが1円でもいいか」と。「お心だけで結構」と私。
すると、問わず語りにぼそぼそつぶやきだした。
「自分は、親に捨てられ、施設で育てられた。施設を出て、職を
転々として、今は仕事もない。1日1食、コンビニでも400円は
要るわなぁ。その金も無い」と、身の上話をする。

私は同情して、偈箱をひっくり返してみたが、210円しかなかった。
それを全部、彼にあげてしまった。その話を鈴花にしたら怒られた。
「そういう人にあげる必要はない」と。でも私がやっていることと
どこが違うのだろう。

暴動前夜

2009-01-07 22:01:44 | 社会問題
(「派遣、ホームレス」関係を再編し、つなげました)

名古屋市では、愛知万博前に町からホームレスを一掃
しようとシェルターを設け、そこへ収容して仕事の斡旋も
している。病気で働けないホームレスを収容する施設も
ある。
そのことを「他の自治体で聞いてきた」と、正月明けから
区役所に押しかける人が殺到。区も「これ以上は受け入れ
られない」と拒絶すると、「東京では迅速に対応している
ではないか」と怒鳴りちらす人も。ごねる人をやむなく
ホテルに泊めさせ、市が負担。とのニュース記事。

派遣村の是非について、「こうした思い上がり」を懸念
する声もあった。底辺の人はますます働く意志を無くし、
ただ騒ぎ立てるだけの群集になっていく。「安保闘争時と
似ている」との坂本氏の発言は当を得ている。

いずれ関東も東海も大震災が起き、それこそ家を失った
ホームレスが町にあふれる。私もその一人になりかねない。
社会は混乱し暴動も起きようか。その時、虚無僧の私は
どう生きるべきか。物を乞うだけの乞食にはなりたくない。
人に何が与えられるのか。“中道”の道を模索している。

本音を語れば叩かれる

2009-01-07 22:01:19 | 社会問題
坂本政務官の罷免要求=民主、社民-首相は拒否(時事通信) - goo ニュース

派遣村についての2チャンネル投稿記事は 99% 派遣叩きだ。
クズ扱いの誹謗中傷罵倒ばかり。弱者の味方の共産党も赤叩きに
遭っている。2チャンネル投稿者は意外と右寄りだ。

「職よこせより食よこせ、仕事より生活保護申請では、同情できぬ」
「職探しもせず、公園の清掃もせず、公共の場を不正占拠して、
 国会デモ行進では、ますます就職先無いだろう」

まともな意見では、
「・雇用促進住宅の低価格住宅を、『山奥にある』と非難して入居しない。
 ・旧公団(UR)が敷金無しで2割引で貸出すというのに上に入居しない
 ・ワタミが、全国で500人の雇用を発表したのに、応募がない
 ・介護業界が「ぜひ来て!」と呼びかけるも、まったく枠が埋まらない
 ・『経験ない職種は、新しく仕事を覚えるのはいや』と拒否。
  そして生活保護だけは申請する。本当に働く気あるのか?
などなど。
坂本氏の発言も「よくぞ言った」と応援する声。「ホントのことを
言ったら、野党の恰好の餌食にされるだけ」と同情も。

「1/5 日比谷公園から他の場所に移動。自分たちが使った毛布も
たたむのはボランティア。いったい何様だと思っているのか。
身の回りの片付けもできぬ者に仕事などできるのか?
9割は本人に問題あり」という声も。

世間の同情、合意を得られないのでは就職は無理か。



派遣村に集まった人

2009-01-07 22:00:58 | 社会問題
坂本総務政務官「本当に真面目に働こうとしている人たちか」 年越し派遣村(産経新聞) - goo ニュース

厚生労働省の発表で、昨年末に派遣切りに遭った人は2万人。
そのうち日比谷公園の派遣村に集まった人は300人。多くの
人は自力で年を越したのだ。派遣村に集まった人はいったい
どういう人たちかと私も思う。「食と暖がとれるので」と安易な
気持で集まったのか。「デモや政治集会目的」か、と坂本政務
官が不快に思うのも理解できる。


今朝のラジオで、リスナーの声として「安易に税金を投入する
のは反対。派遣社員はそれなりのリスクも覚悟していたはず。
まともに働く気があったら、正社員になっていただろう。安易な
生活態度が問われべき」と手厳しい意見もあった。

働く意志はあっても、“能力が無くて”働けない人もいる。
そういう人たちのために、各自治体や団体でも救援活動をして
いる。年末中村区役所や近くの公園では炊き出しをやっていた。
大勢の人がおとなしく列を作って並んでいる。結構まともな恰好
をしている。私の不要なコートを提供しようかと持参したが、私の
よりも高そうなジャケットを着ているではないか。

私も人様のお情けで生かされている身ではあるが、炊き出しの
列に加わろうとは思わなかった。お餅やおせち料理をたくさん
いただいた。これも能力のうちか。