現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

普化も念仏宗?

2009-01-30 15:32:42 | 虚無僧って?
虚無僧が始祖と仰ぐ「普化(フケ)」は、尺八は吹けなかった。
毎日、鐸(鈴の一種)を鳴らしては、「明頭来明頭打 暗頭
来暗頭打」とだけ唱えて、人々を行化していた。経典も教義も
いらない、釈迦も仏もない。

中日新聞連載の五木寛之の『親鸞』も、「どれほど経典を
読み、教義を学んでも、それが一体なんなのだ」と悩み
苦しむ。そして、法然に惹かれていく。法然も、比叡山一
の秀才といわれ、あらゆる経典や教義を学ぶが、「南無
阿弥陀仏」の6文字を唱えれば救われると「念仏三昧」を
説くに至る。

同じ仏教で、ただ念仏を唱えれば救われるという「他力本願」
の「念仏宗」と、厳しく自己をみつめる「自力本願」の「禅宗」
は、まったく相対するものと思っていた。

先日、『パイパース』の取材を受けて、「普化宗の教義は
『明頭来明頭打 暗頭来暗頭打』 だけ」と説明すると、
「念仏ですね」と返ってきた。一瞬絶句した。「禅と念仏は
相反するもの」と思い込んでいた私である。普化宗が「念仏」
とは、頭を叩き割られた思いがした。そうか「禅も念仏も同じ
仏教の道」とようやく思えるようになった。

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ホームレス

2009-01-30 15:06:23 | 虚無僧日記
毎朝私の尺八にじっと耳を傾けてくれている
ホームレスがいる。片足が不自由で、陽だまり
が移動すると、杖を突きながら、よっこらよっこら
移動する。大きなビニール袋の中身は、寝袋の
ようだ。この寒さの中、一晩耐えているのだ。

声をかけてみた。

81歳。71歳まで町工場で働いていた。妻子は
いるが、事情があって家に帰れない。(妻子が
いるので)施設には入れてもらえない。転々と
職が変わったので年金はあるが10万円。
妻一人が食べていくのがやっと。(だから)
自分はホームレスになって、空き缶拾って
生活している。若い時ちゃんと考えておかな
きゃいかんな。

と、問わず語りに話す。赤銅色に日焼けした
顔に苦悩が滲む。

81歳ではもう働けまい。それでも生きていく
のは苦しみだ。明日はわが身か。

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納め札

2009-01-30 11:09:00 | 虚無僧日記
四国遍路のグッズに「納め札」というのがある。札所に
お参りした時にお寺に納めるお札だが、接待や喜捨いた
だいた時、お礼に差し上げる。私も虚無僧で周っていて
「虚無僧さんは『納め札』ないのかね?」と聞かれた。
「納め札」をもらえるなら喜捨するが、無いなら喜捨し
ないという心のようだった。

四国88ヵ所巡礼の1~4回の人は白、5~7回は青、8
~24t回は赤、25~49は銀、50~99回の人は金紙と、
巡礼回数で紙の色が違う。金や銀の「納め札」は大変
喜ばれるという。

さて、虚無僧最後の人と言われた谷狂竹も、布施いただ
くと「納め札」のような紙をお礼に渡していたようだ。
それには

「一吹為断一切の悪 一吹為修一切善 一吹為度諸衆生
 吹きならす無念無想の尺八は 悪魔払いの祈祷なり
  全国霊場巡拝修行 虚無僧狂竹谷武雄 」
と書かれていた。

今京都東福寺内明暗寺さんに年会費を納めると、これと
似たお札をいただける。
「吹禅行化誓願文 
 一吹為断一切の悪 一吹為修一切善 一吹為度諸衆生
 皆共成仏道 京都虚鈴山 明暗寺」

高額のお布施をいただいた時ぐらい、このようなお札を
代わりに差し上げた方が、いいのだろうか。

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