『末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり、日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし。(諸法実相抄 1360頁)』
私は子供の時から創価学会員でした。母はいつも仏壇に向かって、題目を唱えていました。
しかし私は、生まれた時からの学会員ではありませんし、両親にしても、四十代でようやく学会にめぐり合って、ようやく題目にたどり着いたのです。
「南無妙法蓮華経でなければ、成仏は出来ないそうだ」
たったこの一言で、創価学会に入会した両親を、私は偉いと思います。この決断がなかったら、私は学会にたどり着けなかっただろうし、当たり前に題目を唱える事もできなかっただろう、と思うからです。
南無妙法蓮華経と言う題目が、どれほど唱えがたいものであるのか、考えた事がありますか?
もう四十数年も前になります。母に手伝ってもらってですが、私が折伏をした友人がいました。その友人の所へ、足繁く通っていましたが、彼女は、どうしても南無妙法蓮華経が唱えられない、と言うのです。
「題目をあげなければいけないとは分かっているのだけど、口がまめらないし、題目を唱えているはずなのに、いつの間にか念仏になってしまっている……」
当時の私には、彼女の言っている事が、理解できませんでした。
「念仏なんか、唱えちゃあ駄目だよ」
「ウン、分かっているんだけど……」
彼女は懸命に題目に挑戦し、普通に唱えられるまでになりました。子供にも信心をしっかりと教えました。
主人は二十五歳を過ぎてから学会に入りました。
念仏の家に生まれ、何かあれば真言の所へ祈祷に行く、と言う生活をしていましたが、盆と正月ぐらいは仏壇に手を合わせたらどうだ、と親に言われるほど、信仰心はなかった、と言います。当然、念仏など,口にした事はありません。
どれほど宗教に縁が無かったかは、その歳になるまで、創価学会の事を聞いた事もなかった、と言う事で見当がつくでしょう。
その主人でさえ、題目を唱える事には猛烈な抵抗があった、と言います。
「題目をあげていると、念仏にこそならなかったが、どうにもこうにも、口がまめらなくて、なんて苦しい宗教だろう、と学会に入った事を後悔した」
そんな主人の所へ、地区リーダーが家庭訪問に来て、何を言うでもなく一緒に題目をあげてくれたそうです。その時、すらすらと題目を唱える地区リーダーが、ものすごく立派に見えた、と言います。
今、主人は当たり前に題目を唱えています。
今年は題目をコンスタントにあげたいね、そう平気で言えるようになりました。
次の目標もあるし、やっぱり題目だな、と言い合っています。
しかし主人の思いの中には、常に、あの唱えがたき題目、の感覚がある、と言います。
だから、当たり前に題目を唱えられる事が、尊いのです。
私は子供の時から創価学会員でした。母はいつも仏壇に向かって、題目を唱えていました。
しかし私は、生まれた時からの学会員ではありませんし、両親にしても、四十代でようやく学会にめぐり合って、ようやく題目にたどり着いたのです。
「南無妙法蓮華経でなければ、成仏は出来ないそうだ」
たったこの一言で、創価学会に入会した両親を、私は偉いと思います。この決断がなかったら、私は学会にたどり着けなかっただろうし、当たり前に題目を唱える事もできなかっただろう、と思うからです。
南無妙法蓮華経と言う題目が、どれほど唱えがたいものであるのか、考えた事がありますか?
もう四十数年も前になります。母に手伝ってもらってですが、私が折伏をした友人がいました。その友人の所へ、足繁く通っていましたが、彼女は、どうしても南無妙法蓮華経が唱えられない、と言うのです。
「題目をあげなければいけないとは分かっているのだけど、口がまめらないし、題目を唱えているはずなのに、いつの間にか念仏になってしまっている……」
当時の私には、彼女の言っている事が、理解できませんでした。
「念仏なんか、唱えちゃあ駄目だよ」
「ウン、分かっているんだけど……」
彼女は懸命に題目に挑戦し、普通に唱えられるまでになりました。子供にも信心をしっかりと教えました。
主人は二十五歳を過ぎてから学会に入りました。
念仏の家に生まれ、何かあれば真言の所へ祈祷に行く、と言う生活をしていましたが、盆と正月ぐらいは仏壇に手を合わせたらどうだ、と親に言われるほど、信仰心はなかった、と言います。当然、念仏など,口にした事はありません。
どれほど宗教に縁が無かったかは、その歳になるまで、創価学会の事を聞いた事もなかった、と言う事で見当がつくでしょう。
その主人でさえ、題目を唱える事には猛烈な抵抗があった、と言います。
「題目をあげていると、念仏にこそならなかったが、どうにもこうにも、口がまめらなくて、なんて苦しい宗教だろう、と学会に入った事を後悔した」
そんな主人の所へ、地区リーダーが家庭訪問に来て、何を言うでもなく一緒に題目をあげてくれたそうです。その時、すらすらと題目を唱える地区リーダーが、ものすごく立派に見えた、と言います。
今、主人は当たり前に題目を唱えています。
今年は題目をコンスタントにあげたいね、そう平気で言えるようになりました。
次の目標もあるし、やっぱり題目だな、と言い合っています。
しかし主人の思いの中には、常に、あの唱えがたき題目、の感覚がある、と言います。
だから、当たり前に題目を唱えられる事が、尊いのです。
仁医さんは素晴らしいですね。
尊敬します。
睡眠とっていらっしゃるのでしょうか。
お体大切にしてください。
小さい事ですが,コスモスさんに以前お話した.今年の目標.一日一時間唱題の目標が今日の分までやっと追いつきました.
途中で報告しましたが,1日14日頃にそれを決めたものの借金が多かった(=正月過ぎに,唱題10分だの,一日20分だの)
つくづくさぼったものを取り戻すと言うのは難しいものだと思いました.一度追いついたと思ったら,数え間違いもあったり・・・.
今日で元旦より48日目,1時間3000ベンとして144000遍.
志が低いと思われる方,ごめんなさい.これからまたもう一段階上を目指します(かな?)
不安ですよね.どのような意見がくるのかなとか思いますよね・・.分かりますよ.
でもこれからも,ネットも一般世間と同様いろいろな人がいますから.もしも心無い事を言われても気にしないようにしてくださいね.
(ちなみに私はその様な事を言われると,題目が上がりますので,上手くできたものだと思っています)
血小板は40万という事ですね.そうです.感染,炎症の後一過性に上がります.やがて下がりますから,普通は心配ありません.
良かったですね.では,コウさん また・・・
風凛さんのお心遣いに感謝します。いつも本当にありがとうございます。
テーマは唱えがたき題目ですが、だからこそ朝晩の勤行があると感じます。御書には、経文(じがげ)を読みなさいというところは、特にないはずですが、それを朝晩することによって、「習慣」になる。
習慣の力は強いですからね。だから、じがげの経文は唱えがたき題目を唱えやすくする縁の役割をするのではないかな、とふと思いました。
仁医さん
過去の記事を読まさせていただきました。波乱万丈ですね。
>すいません職業柄.髄膜炎か敗血症か間違われたということは糖尿病はありませんか.
ご心配してくださりありがとうございました。
昨日検査に行ってきましたが糖尿病の心配はないとのことです。ただ炎症によって跳ね上がった血小板のもどりが少しおそいとは言われました。40くらいです。基準値を少し超えたあたりですね。
確立はすごく低いですが、万が一骨髄増殖性疾患もなきにしもあらず、といってました。ほとんどない、とはいってましたが。
こちらこそ、ご挨拶遅くなりました。
また、宜しくお願いします。
あまり気を使わなくとも(^^)/
風凛さんが、疲れるのではないかと。
あまり多くのことを背負うと疲れますから。
文章から,コウさんの誠実さが伝わってきますよ.
実はね,私の最初の頃の投稿(下の見てくれれば分かります)
http://blog.goo.ne.jp/goo3007/e/72279568074b31d17d6d621cf1095a5a
投稿してからしばらく誰も投稿がないので,場違いな投稿だったかな,ってもう一回,不安でまた,投稿したのです.
まったく同じ思いでした.コウさんだけじゃありませんよ.
ネットに関してですが,コウさんおっしゃるように,良い点も悪い点もありますよね.
車で運転しちゃうと人が変わるって方,居るじゃないですか.
ネットも似たところあるんじゃないかなって思います.
ただやはり,基本的には,現実社会で常識ある方は,ネットでもやはり常識的に,現実で非常識な方は,ネットでも非常識ではないかと思っています.
電話も最初はどうだったんでしょう?
ネットもきっと自然なものになっていくんだと思いますよ.
そして現実で真面目に考えすぎてしまう人はやはりネットでもちょっと真面目に考えすぎてしまう.・・・そうコウさんの事です.
ただ,コウさんのことは皆ほとんどが好意的に感じています,なぜならば,リアルであっても同様に感じると思うからです.だからこれだけ皆さんが呼びかけたのでしょう.
ただし,何もコウさんが負担に思う事はありませんよ.
このブログも,ネット全体も自分の好きなようにお付き合いしていけばいいですよ.気楽に.ただ皆さんは,コウさんのような方がたまに遊びに来てくれればいいなぁとそう思っているという事です.
下記は先日の市丸さんの書き込みです。
>ここでは皆さん、ご自分の信心の事を素直に書き込まれています。
それで良いではないでしょうか。
私はコウさんの書き込みを見て、皆同じような信心の過程を持っているのだ、とすごく納得しました。皆さんもそうだと思います。
かつて活動していた、しばらく休んでいた、また活動する気になった。
それで良いではありませんか。その中での心境の変化は、誰にでもあることです。
これを契機に、コウさんが、かつての輝きを取り戻してくだされば
申し訳ないのですが、再度掲げさせて頂きました。
特に
>コウさんが、かつての輝きを取り戻してくだされば
との書き込みは、この掲示板主、市丸さんの一番のお心だと思いますよ。
勿論、この掲示板がコウさんにとって都合がいいか、そうでないかはコウさんのご判断に依り、この掲示板をコウさんがどのように捉えられるかは存じませんし、掲示板主さんのお気持ちはこうですと押し付ける気持ちはありません。
突然ですが、インターネットっていいところもあれば、欠点もあると思います。
いいところは、やはり普段では知り合えないような人と意見を交わせるところ・・・。
欠点は名前と文体、投稿のタイミングなどでしか、判断できないところ。
急にコメントがこなくなると、嫌われたのかとかばかにされてるのかとか、考えがちです。
文字だけですから。それでも即答しれくれると、ほっとしますね。間があくと投稿したことに後悔します。
僕の場合も、本来投稿するはずのないコメントも、その直前に何度も呼びかけのコメントがあったから、それに対する真心として返答の意味をこめて書いたんです。
ところがぴたっと来ない。なにを考えておられるのだろう。こうなってしまうのがインターネットの落とし穴なんでしょうか?
また、思ったことをすぐ、なんの抵抗もなく、書けてしまう。詳しくは知りませんが、この掲示板にも外部の反対派と論戦してるといか言うことが書いてあったと思います。
こころの思いをすぐに形に現せるインターネットにおいて、論争することに少し疑問を感じます。面と向かっていた場合、同じことを言うでしょうか?観念の次元ではないかな、と感じました。(間違ってるかもしれません、そう感じただけです)
そもそも、反対派との論戦を一度も読んだことがなく、想像だけで言ってますから・・・。
この前のコメントも、書くつもりは毛頭もなく、その直前の呼びかけに応えたつもりで、精魂こめて書いたものですので、シーンとしてしまったのは、はっきりいってショックだったです。
だから場違いです。勘違いです。ここは人生相談ではなく、「意見交換」の場です。
誰が見てるかわかりませんし、近所の学会員さんにもみられているかも・・・。具体的に書きすぎましたから。そうなると会いづらくなるかな、と。
まじめに書いてすみません。
ほんとはもっと激烈だったかもしれません、でも仁医さんの呼びかけにほぐされましたよ。。。
どうぞこちらへ来ていっぷく
皆さんもいらっしゃっていますよ.
「世の中は、まずのところは変わらないんですね。淡々と時間が流れているようです。
だけれども変わるのですね。
まずは自分の心象が変わる。遅々として進まないように見えても、少しづつ変わっているのですね。」
↑これまったくその通り思います.さらには↓も同じですσ(^_^;)
「三悪道なかんずく地獄界出身の身ではありますが、このぐらいのことは分かるようになってきました。」
折伏.頑張ります.祈ってます.助けます.自分の確信で.
ま、ま、お気楽に。
私、追われ出すと何も出来なくなる性分でして。
私な題目は大したものでは実はありません。レベルもなにもあったものではありません。
罪障消滅が成し遂げられるのは、この信心と実感してから、一向に題目を唱えたいとただそれだけなのです。
本当にただ一向に唱えてるだけです。
5時間といいましても昨日は、ここのところ体調が悪く、1時間20分ほど唱えると疲れて眠くなり、その勢いで寝て。また、ゾロゾロ起き出しては唱え、また寝て。そのように題目を唱えては寝て、唱えては寝て。こればかりで一日終わりました。
はっきりいって計何時間唱えたか覚えてません。確実は5時間以上、7時間未満ってところです。
結構、いいかげんです。すいません。
次の日は活動に出かけました。
会合に出席し、自分の生命が少しづつ違ってきたなと、また実感させて頂き嬉しく思いました。
世の中は、まずのところは変わらないんですね。淡々と時間が流れているようです。
だけれども変わるのですね。
まずは自分の心象が変わる。遅々として進まないように見えても、少しづつ変わっているのですね。
三悪道なかんずく地獄界出身の身ではありますが、このぐらいのことは分かるようになってきました。
仁医さんの折伏の方も入信されたなら必ず題目で幸福になられますよ。
私,一度だけでも5時間ってやった事あるかなぁ
あっ,学生部の時に○○時間唱題会とかありました.
でも逆に言うと,その時以後はないと思いますねぇ.
レベルが違いすぎますが,私の方は今朝で今年に入って10満遍超えました.
知っている方いるかもしれませんが,一日最低1時間.としていますが,ちょっと合わないぞ.というのは,年越しして,しばらくしてから今年の目標を一日1時間としたからです.
とりあえずの目標は1日1時間.のところまで追いつく事です.
確か今私の唱題帳での暦はやっと2月に入ったばかりです.今から節分です σ(^_^;)
これは凄いことですね。
南無妙法蓮華経と共の人生であれば、それでよし。
在家のものがですよ、日常の中で、各々のどのような環境の中でさえも成仏出来るとは地球が爆発するほど画期的です。
環境を嘆くことは何もない。全くない。
戒律も何もなく、ただ一向に南無妙法蓮華経と唱えるだけでいい。
まずは誰も信じられないのは当然ですね。
やたらとニ乗に陥ったり、苦行を好んだり。四苦八苦に紆余曲折。焦り。心が騒ぐ。
自分の現実が全てと受け入れられる強さと認識。信心の確実路線に乗るためには、まずはこのことが肝要と思索してみました。
根幹、題目。そして全てをやり切る。
具体的に明確に。
自分にとって訓練そのものとなりそうです。
そして、その先に必ず何かが見えてくるはず。
確信にも似た気持ちで突き進む。これも、また訓練です。
池田先生のご指導が胸に入ってきました。
最近、少しづつ組織に吸い込まれるようです。以前は無明に吸い込まれてましたが。
他宗派の思考のものにとっては池田先生のご指導を、およそ仏教ではないのではと思考しがちなのは自分は理解が出来ます。
それだけ謗法を抱えたままに私は信心してきている訳です。
それも題目の力でようやく、それはニゼンでありシャクモンだと感じるようになりました。要するには、ころでは仏には至らない。絶対的幸福境涯はありえないと。
題目と折伏と破折の功徳だと思います。
これからも紆余曲折、四苦八苦しながら進むことは必須ですが、ひとまず、自分のこれからのスタンスが変わりそうです。
追伸、先日、久方ぶりに題目5時間超してました。これからも頑張ります。
市丸さんに感謝,そして,皆さんに感謝です.
皆ひとりひとり頑張っているんです.
生きるって大変なんです.
だからひとりひとりの何気ない言葉がときに傷つくものが多い中
ここはその何気ない言葉が実にときに優しく,ときに強く
力をくれる.そんな場所です.
本当に在り難いかぎりです.
そうすると今度は,生きるって素晴らしいとも思えますしね.
申し訳ありませんが、削除はしません。あなたのコメントは、アラシ行為などではなく、むしろ私としては、あなたの素直な表現と判断しましたりで、その必要を感じないのですが。
ここでは皆さん、ご自分の信心の事を素直に書き込まれています。
それで良いではないでしょうか。
私はコウさんの書き込みを見て、皆同じような信心の過程を持っているのだ、とすごく納得しました。皆さんもそうだと思います。
かつて活動していた、しばらく休んでいた、また活動する気になった。
それで良いではありませんか。その中での心境の変化は、誰にでもあることです。
これを契機に、コウさんが、かつての輝きを取り戻してくだされば、ブログ主として、これほど嬉しい事はありません。
削除はいつでも出来ますが、ここはしばらくこのままで、と言うことにしていただけませんか。
2008-02-03 23:12:52の投稿を削除いただければ幸いです。
ちょうど新しい現場に変わるところだったんでちょうど切りがいいっちゃいいんですが。。。
ちょっとイラッとは来ますね。
また機種変更したらIPが変わってカキコ出来るかな?
しかし青板。イシハラとかはもう見境なしになってますね。
あそこまでの悪口雑言はまことに恐ろしい限りです。
脱会者ほど古巣の学会を激しく憎みますね。 青板見ると、唱えがたき題目。と同時に 学会貫きがたしの輩もありだなと思います。
某板で一緒にいると,共戦の友・・まさに戦友という感じになりますね.
あの板はある時,もうやめようかなと思った時もあったのですが,白馬の沖浦さんに,“いつでもできてお金もかからず活動出来る(私にとっては)数少ない活動の場所だから大事にしなさい”・・・今はうろ覚えですが・・・そんな内容の事を言われたんです.
それで私自身,平日は朝から夜中までの仕事なんで,全く活動は無理,自分の出来る事はないか.何かないか.と思っていたところなので,ぐっと背中を沖浦さんに押された思いでした.
・・・で,いまだ続けています.そして続ける以上は負けたくないし,自分の為になるものにしたい・・だから自然御書も読む.辞典もひく,先生の指導の本も読む.・・良いサイクルになっています.
あとは,ほどほどと言うのが出来ればいいなぁとは思っています.
現在の折伏の相手は精神疾患の方なんです.私もそうだったのでよく分かるのです.他の方に理解されないのも.
それで頑なに宗教は嫌っていた,これも私と同じでした.
でも自分がこの信心でまともになれた.精神の疾患は業の疾患.だから,どうにか信心させたいのです.
結局,相手を折伏する力っていうのは,自分の確信なんですよね.絶対良くしてみせると言う.今その思いで祈っています.
両親・・・出は,なんと池田先生に縁深い蒲田なんですよ.それでも両親にとっては池田先生より戸田先生のイメージが強いようです.まったく極楽トンボなんですよ,うちの両親は.親子で縁が切れたらとっくに切っていたでしょうね.そんな気がします.ただ,妻が“親孝行は大事と先生も仰っている”と言って,一緒に,というより,私より頑張ってくれています.
とにかく生きている内にもう一度信心させたい.それだけです.
あと生涯不退転の事.私も信心し始めた時にその人が居たから,信心して本気で祈り始めたって人がいるんです.その人がある時に「僕だっていつ退転しないとも言えない」と言ったんです.そのときはびっくりしましたね,ショックでした.「こんな人でも一生信心するとは言えないんだ」とね,後で分かりました,イヤまだ分かってないのかな,本当には・・退転せずに信心し続ける事の難しさを・・・大聖人が仰っているんですものね.当然ですね.
ごめんなさい.思うままキーボード叩いてしまいました.
脈絡なくてすいません.これからもよろしくお願い致します.
いい言葉ですね、信心しがたき信心。
正しいものに付くときには、ものすごい抵抗があるものです。その抵抗に勝つかどうか、それが信心だから、何時までたっても難しいのですね。
私もいつも自分の心と戦っています。
それほど題目というものは、慣れる事がないのです。
一生かかってでも、題目が唱えがたいものでなくなったらいい、それが願いです。
訂正
仁医さんの職場の部下の女性の方
申し訳ありません。さんが抜けていました。
仁医の職場の部下の女性の方、紆余曲折の人生の中で、ようやく創価学会の入り口まで辿り着かれたとの事。あと一歩ということで、背中を押して上げられると本当にいいですね。
この信心で自他共にどこまで変われるのでしょうか。
折伏には、まずはこのことを不安に駆られ疑いにも駆られ、臆病な私は自身との葛藤の中において一念を定めていくしかないようです。
共々に!
...................................................................................................................................................................
仁医さんのご両親は退転なさっていたのですね。
これからなのですね。
池田先生曰く「生涯不退転」とのご指導がございますが、これはかなり難しいことと痛感しております。
以前、共に活動をしていた65歳の方が、「信心して50年になるけれども様々なことがあろうが来る日も来る日も、まずは朝、お水を供え勤行するということは大変なことだ」と仰ってました。
かなり重みのある言葉でした。地位も名誉も金もない。組織にあっては役職もない。あるのは30年程かかって業病であるリュウマチを身体の機能的障害は少し残ったものの、完全に痛みは無く全くもって生活にも支障がないまでに宿命転換されたという金の体験の方です。
この方は、実は題目おばさんで昔から平均3時間は題目あげます。そんな題目おばさんにあって信心続けることは難しいとのこと。
えーい。もう、こうなったら唱えがたき題目どころではない。信心しがたき信心だ!!てぇーへんだ!
私の実父は学会舐めています。舐めすぎです。
よーし、こうなったら執念じゃ。信念を信心で通してやろうじゃないか。
父の臨終が先か。私の信念勝ちか。
仁医さん、私も頑張ります。
市丸さんのお人柄ですね。
なんとまぁ,いやぁ,びっくりしました.
そんなならば何も先輩ぶって(?)書けませんでしたよ.すごいですねぇ.
青年教学1級ですか・・・すいません.私,はるか20数年前に受けた助手のみです.
そして,入信以来、勤行・唱題は1日たりとも欠かしたことはありません,ですか.サラッと言ってくれますねぇサラッと.
そして唱題が「仕事がある日は2時間くらい、休みの日は2~3時間」・・・はぁー,私,毎日1時間以上はあげていますが,参りました.すごいですねぇ.
そして,確固として揺るぎない信心.さらに会合に友人も誘って参加.・・・カァー 私自分が恥ずかしい(顔が赤くなります)
コウさん.すごいですよあなたは.すばらしい人材だぁ.
もうあとはするべきことも分かっているわけだ.なんとまぁーただただすごい!
コウさん.ここは市丸さんの人徳の元に自然と集まってきた仲間です.私はその,末席に居る者です.
市丸さんはもちろんすばらしいですが,他の方もみな本当に良い方,すばらしい方々ばかりです.
これからも是非いらして頂いて,常連になってください.私が言うのもなんですが・・・
(しかしまぁ,某濃紺の板の住人に聞かせてやりたいもんだなぁ.爪の垢を煎じて飲めと,もっとも今更だめかぁ)・・・イヤァ本当に参った.
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
最後に
すいません職業柄.髄膜炎か敗血症か間違われたということは糖尿病はありませんか.なければいいですが,疑われる様ならばきちんと検査してもらってください.糖尿病は怖い病気ですがきちんと管理するかしないかで全く違うものですから.
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
こちらこそ今後ともよろしくお願い致します.
たくさんありすぎて、返事に対応しきれないのですが、とにかくみなさんの真心に感謝します。
はじめは、しばらく誰も返答をくれなかったので、正直書き込んだのを後悔したのですが、こんなにお返事がきてうれしいです。
僕は信心をはじめてけっこうたっていて、そんなに信心してるのにとか思われるのがいやで、年数は人にはあまりいいません。
しかし、青年教学1級に合格したのが、1900年代ですから、かなり前から信心しています。
入信以来、勤行・唱題は1日たりとも欠かしたことはありません。そして昨年11月の入信記念日に年数的に大きな節目を迎えました。
その数日後に、入院などしたことのない自分が、始めて高熱をだして1週間入院するということがありました。その日の晩、あの人はどうしてるだろうと、同志を家庭訪問し、友人にも電話する予定だったのです。もちろん、一人信心ですが。それだけ重要な節目であり、気持ちも高揚していました。
初めは、髄膜炎ではないかとかいわれましたが、検査結果はそうではなく、原因不明の敗血症でした。
ずっと点滴をしていましたが、そのあいだずっと1日中唱題していました。
題目をあげ抜いて、どんどん症状が改善されていきました。その間、一人暮らしため、必需品が手元にないので、壮年部の地区部長さんや男子部の先輩(年齢はかなり下)にアパートに行って取ってきてもらったりして助けてもらいました。
そして今年こそは絶対「開くぞ」と決意し、10月から続けている題目をさらにあげ抜いているところでした。仕事がある日は2時間くらい、休みの日は2~3時間くらいです。
家庭訪問は、昔は、来ても居留守を使うときもあったのにくらべれば、出るようになったので進歩だと思います。それは、去年の3月に先輩と2日ほどでしたが、一緒に家庭訪問をして、大歓喜を感じてからですね。来たらかならず出ようと決めたのは・・・。
3月より以前は、そういう状態でした。それで血脈とか質問させていただきました。もちろん、波はありました。でも、御本尊に対して勤行・唱題を欠かすなど、ありえないことでした。この点は、まったくゆるぎませんでした。
今度は玄関に出るだけでなく、会合にしっかり出ていこうと決意しました。それも、もう男子部時代があとわずかだから、ということでもあります。また、10月から題目をあげ抜いてきて、出した結論でもあります。
そして、このブログのみなさんのコメントが縁となっています。
そうはいっても、先生の同時中継にはこの前、友人を誘って参加しましたよ。
当日、会う前に3時間、唱題しました。
おおまかには、こういった経緯があり、やはり組織が必要だ、学会活動しかない、と思ったのです。
すこし、混乱して書いてしまいました。でも、みなさんが親切に書いてくれたので、僕もそれに応えたしだいです。
また、経緯を報告したりしに来ます。
なかなか難しい(汗)。。。。
それが、自然にできるコウさん・・・。。。
貴方は、スゴイっ!!
で・・・皆さんの書き込みを読み、御書学で学んだ事を
書きま~~~す!。。
まず始めに・・・コウさん、、、先日は、男子部チックな書き込みをしてしまい、少々反省しています。。。汗笑。
大白2月号の78ページにこうあります。。。
『・・・この信心を教えてくれるのが、師匠の存在であり、善知識の集まりである組織です。』と・・・・。
一方・・・『受くるはやすく、持つはかたし』の一節を通して、コウさんの活動とは別な信心の姿勢を学ばせて頂きました。
だからこそ、、、コウさんには、少しでも活動に縁して頂きたいなと、、、改めてそう思いました。。。
『受くるはやすく、持つはかたし』・・・それが、活動に囚われずに、できるコウさんだからこそ、、、是非とも、周りの男子部の皆さんを、コウさんが励ましてもらいたい!。。。
といった内容に、、、訂正いたします。。
前回の私のレスを差し替えてください(笑)。
そう気づかせて頂いたのは、しずく☆さんの『内得信仰のお話』や、photochikaさん、市丸さん、そして仁医さんの書き込みです。。。ありがとうございましたm(__)m。。。
あっ・・・nanaさんにも!お互いに頑張って参りましょう!
塚越さんにも(笑)。。。
俺、まだアク禁になってません(笑)。。。
アク禁になる迄は、できる範囲で頑張りたいと思います。。。
ネットに依存することなく。。。
なんかここに来るとホッとします.学生部のときの拠点を思い出します.(^-^)
今日は私の職場の・・・部下と言っていいのかな.その女性を妻が仏法セミナーにはじめて連れて参加しました.
精神的な病気を持つ方ですので,自然とそういう疾患の分かる(理解出来る)私が相談に乗る事が多くなり,こういう方にこそ仏法をと思って,もう何ヶ月でしょうか.
当初,宗教は頑なに拒否していたのですが,妻と他の婦人部の方もう一人に会わせて話をして,まずは仏法の話しを全く抜きで,・・・そして少しずつ話を進めてやっと今日のセミナー初参加です.
随分とはじめは宗教の集まりと聞いていて緊張して来たらしいのですが,実際にはリラックスして,最後には食事を数人の方として,喜んで帰ってくれたそうです.
その間,私に出来る事は唱題だけですからね.
女性はやはり女性が話すのが勿論良いわけで,自分がしゃしゃり出ない方がと思ったので出来るのは祈る事です,
そのおかげで最近は題目が上がります.
ただ,いつもはどうしても夜中や勤務先ですので,大きな声で出来ないので,今日のような休日は気持ちよく気兼ねなく題目が挙げられてよかったです.
家で帰宅した妻から今日の彼女の様子を聞いて,まずはホッとして,またこれからだなぁと思いながらも,さてと思って,今これから,一人休日の静かな勤務先にきてこれから仕事です.
しかし,題目と一言に言っても,本当にいろいろな題目がありますね.自分が苦しくてあげる題目,気持ちよく自然とあげられる(あがる)題目.今日はなんか5分でも辛いなぁと思うときもあるし.何となくのとき.そして,人のためにあげる題目.
そして,自然と自分が変わっていく,たまにちょっと戻っちゃったりしますが・・ ^_^;
とにかく,いつまでも題目をあげ続けていける人生であるように,題目をあげ続けられるように題目をあげているのかもしれません.
市丸さんおっしゃるように,組織といっても,人間の集合体ですから,いろいろあります.良くも悪くも両方.だからおなじ組織に属していながら,肯定する者も居るし,逆も居る.
会合にしても,あぁ出て良かったというものから,うーん・・・(-_-)と言うようなものまでね.
でも日々さんおっしゃるように,将来は「家庭訪問される側からする側へ」,受け身の側から,主体者へ,本当にその通りだと思います.
実は私はバリバリ活動していたのは学生部の数年だけでして,あとは半分忙しいのを理由に遠ざかって,結局,退転状態が長かったですからね.やはり組織というのは大事なものです.
組織の中で必ずこの人は信頼出来る,何でも話せると言う方が居ると思います.そういう方が早く見つかったら良いですね.そういう方について行く,勿論,師匠は池田先生ですがね.近くに何でも話せる方が居るのは良いものです.
そして,やはり市丸さんおっしゃるように,あとになって生きてくるんだと思います.
私の学生部の時の活動でさえ,やはり,やっておいて良かったと思います.消極的な部員さんへの励まし方ひとつとってもひとりひとり様々に工夫します.人により様々です.そういう事は実際に活動しないと分かりませんからね.
また,逆に言えば,私の様に間が抜けずに,ずっと活動してきた方には,やはりかなわないと言うことも思います.
組織について,おかしいと思ったら,信頼する先輩,幹部に相談して,そしてだんだんと自分が理想とする組織,先輩となっていく.そうしたら良いでしょうね.
ごめんなさい,ひとことだけと思って,皆さんの書いた事を反芻しただけのようですね.
でも,退転は,絶対.だめです.これは本当にだめです.
私が身をもって他の方と違って言えるのは,結局この事だけかもしれません.(^_^;
お題目を,というのは自行化他のお題目のことだったのですね.
それでは,よい活動家になっていって下さいね.
だから、青年部時代に、どんな組織につくのかが、重要なのです。
だから、どんな師匠を持つかが重要なのです。
組織と言うのは、決していい面ばかりではなく、マイナスな面も持っていて当然です。
しかし清濁併せ持って組織であり、鍛えである、と思います。
その中から、自分が何を掴むかです。
青年時代の鍛えは、40代50代になって生きてくるものです。
これは、あくまでも私の感想ですので、組織につくかつかないか、活動をするかしないかは、あくまでも自分で考えて、自分で決めていくしかないものだと思います。
皆さんの仰るとおりです。
このように、創価学会員が集って意見交換し、
お互いの信心を高める努力をしているこの場所。
ここはネットの場ですが、
市丸さんの元に創価の同志が集まっているのです。
組織とは違いますが、
でもひとつの集まり。
非常に単純に考えて、
みんなで切磋琢磨し合うほうが良い。
励まし合うほうがイイ。
意見交換し、学び合うのがいい。
お題目をおくり合うのはスゴクいい。
リアルの組織でも、
ネットでも。
ともに進みましょう、前へ前へ。
・・・そうでしたか!!
尚更ですね!。
自分は恵まれて学会三世として生を受けました。
決意して、入会なされたコウさんのお気持ちは、
私自身は、計り知れません。でも・・・、
すごい事です!。スゴイ使命です!。。。
自分も、三世に安住する事なく、決意させていただきました!。コウさんの決意に負けない位に頑張っていきたいと思います。・・・コウさん!共々に頑張りましょう。
昨年の11月の座談会で、幹部の方の話しを通して、
師匠の指導を聞くことができました。
何故、学会活動をするのか・・・。
それは、一人になった時にでも揺るがない信心をする為だよ。と。。。。
一人では、人を励ます事はできません。
逆に、自分が悩みに陥った時、、一人では解決する為には、相当の覚悟が必要になります。。。
その為に同志がいる。。。だから、学会活動をするんです。。。
自分は、そう解釈しました。。。
間違った解釈でしたら、常連の皆さん、是非、私を正してくださいね!お願いいたします。
『人を励ます』には、実はいろんな意味が含まれているのだと思います。実は、会員さんを励ます事を迹にして、自分への決意にも変えていける。。。家庭訪問もそうです。
自分はそう思います!。
『(家庭訪問・・・)される側から、する側に!』
コウさん!またお話聞かせてください!。。。
正しい題目とは、つまり血脈というか、より御本尊と妙合する、といった意味です。
家族の中で、自分ひとりだけ信心して、いま一人暮らしをしています。
いままで組織に付いたり、ひとりで唱題したりの繰り返しという感じでした。もちろん、家庭訪問に来てくれて話はしますが・・・。
でも、今は心を入れ替えて、組織に出て行きながら、題目をあげ抜いていく決意です。
とにかく頑張ります。ありがとうございました。
今朝 懲りずにイシハラが信平狂言を言ってきたんで。
反論と信平の矛盾を判決文から引用したら 夜にはカキコできなくなりました。
姑息卑怯なやつらだわ。。。(;`ω´)ノ
諸先輩の投稿も参考になされたら、善いかと思います。
組織には、出たほうがいいですよ。
自分の出来るところからでいいと思いますから。。。
正しい題目。。。この表現がイマイチ、
私には理解できませんが・・・。
頑張ってください!!。で、、今、青年部にナニを期待しているかは、ご存じですよね。。。。
男子部時代を大事にしてくださいね!鍛えの時ですから。
男子部に所属していますが、組織にはあまり出なくても、題目はよくあがります。
こういう唱え方はどうなのでしょうか?
やはり組織に出たほうが正しい題目なのでしょうか?
戦時中の「八肱一宇」「進め一億火の玉だ!」とか「鬼畜米英」「欲しがりません、勝つまでは」とか連想してしまいました(^_^;)
思わず。。。
淳一はまさにいつものそのコメントから汚い心根が分かりますね.
その底意地の悪さは一番かもしれません.
法華講の人達に,あのphotochikaさんの言葉は伝わりません.
私達には,よいと思っても彼らには受容体が無い様にです.
邪宗の「毒気深入」故でしょうか.
彼らに正常に感じる事は無いだろうとそう思っていました.
ただ,どう言ってくるかとは思っていました.
まさに異文化の人間に接するようですね.
>大聖人の仏法は立正安国であり、立正の正とは正法であり、具体的には戒壇の大御本尊様の御事である。
スゴイですね~、日蓮正宗。
淳一様のこの発言を皆様どうか
記憶に留めてくださいませ。
私、モニタのこっちでのけぞりました。
あの人、
ニュースも見なければ、新聞も読まない、
海外へ行ったこともないのでしょうね。
文学や映画に音楽、芸術のたぐいには全く縁のない人生。
あ、そうだ。
いっそ出家すりゃいいのに^^;。
脳内アホッケとの流れでphotochikaさんの素晴らしいコメントの前後に入ってしまいました.
さらにアホッケにツッコミまで入れてしまって.ごめんなさいね.
photochikaさんのコメントで終わりにしておくんだった.
ちなみに大百はまだ1月号です.
おもしろいもので,私の中の「photochikaさん像」があるんですよね.・・・“ピシッとした正義漢”
そこで「仁医さん、宜しくお願いいたします」と言われると思わず,背筋がピシッとなるんですよ.
いけませんね.自分がきちんとしていない証拠ですね.
気がつけばいつも濃紺板の最後の一人の仁医でした.
市丸さんが「法華講のおばちゃん」に投稿していたので,丁度良いと思って,そのダンナである「無法松」さんにコメントを求めたのでした.
結果は私の想像と違い,無法松さんからのものが先でした.
しかし,コメントからは法華講のおばちゃんと無法松さんが夫婦と思えないほど,一応,きちんとしたものだったなぁ.
その奥さんがあの墓守コメントの繰り返しとは,旦那さん,意見しないのかなぁ
ちょっと意外でした.
「権威に弱い」というのが法華講の弱点ですね。
彼らの権威というのは坊主っていうのがお笑いなのですが。
私も頭を丸坊主にしたら有難がってもらえるかしらん?
どこまで幼稚な人々なのでしょうか。
2月の大白ですが、とても良かったです。
後半の特集、ここ数年とっても素晴らしいと思っています。
学会のドクター部の方たちのご活躍に、
なんと大きな希望を抱けることでしょうか!
(仁医さん、宜しくお願いいたします)
学会の人材郡に胸躍る気持ちです。
人ごとと思わず、私もそれに続きたいと、
また決意の今日です。
どんな形でも、お役に立てれば幸いです。
それにしても青板、ひどいのしか集まりませんね。
あそこに書き込んでいる法華講(妙観講)の特徴でしょうが、世間の常識を無視して、悪口を言う。
同じ事ばかり言う。
法律に疎い。
権威に弱い。
墓の事にしても、法律を世間の常識の範囲で知っていれば、恥ずかしくて書き込めない内容なのですがね。
トインビー博士の孫娘の事にしても、あそこまでして日本でのトインビー博士の地位を落したいんでしょうか。
未来永劫、あの体質は、変わらないのでしょうがね。
すみません、
上記で一個所お名前の変換ミスがありましたm(__)m。
>愚に物申して何も届かず
>馬鹿ほどの強敵は居ないかも
あはは。いいですね、これ。
ふうふうさんのサイトはポーリー女史以外の事でも
本当に参考になる素晴らしい場所です。
フランスのカルトもはずれたそうですし、
もうこのネタはアンチ&法華講は使えませんね^^。
それにしても何であいつらはそんなに
フランスの認定が気になるのだ?
お身体にお気をつけて。
私もあと2週間は風邪などひいておられません。
仕事、頑張ります^^。
大変参考になりました.ありがとうございます.
うまく利用出来ず申し訳ありませんです.
(濃紺のおっさんものぞき見ていると思うのですが・・・)
とにかくえげつないですね.
応答を見ると,知った上で言っているようですね.
ホケ講の共通する事としていつも思う事が
使えるものはなんでも使え,そして,人道に反してもSGを攻撃出来るなら良し.でしょうか.
うーん,それにしても,難しいと言うか.つけるくすり無し.
愚に物申して何も届かず ですね.
馬鹿ほどの強敵は居ないかもしれません.
それでは失礼します
(市丸さん伝言板にしてすいません)
大変参考になります(なりそうです)
すいません,御面倒かけて.
無視していればいいんでしょうが,自分の性格なんですね
バカだと思っていても,黙っていられないというか
意識せずに見ているROMの人に「そんなものか」と思われるのも嫌ですし
もっとも主動機は先のものですが
本当にありがとうございます.またよろしくお願い致します.
ちょっと人医さんに連絡事項があります。。。
青板では大変お疲れさまでございます。
脳内セレブのアホ文章は私は飛ばして読んでいるのですが、
ポーリー女史のことで。。。
http://who-who.freehostia.com/webnavigation/it2/it2main.html
こちらのサイトに彼女の事が詳しく書かれています。
随分前に、決着済みの事を何年かするとまた
忘れたふりして出してくるのが、法華講です。
北海道のバカ夫婦の事もしかり。
ポーリー女史の事もしかり。
フランスのカルト認定うんぬんもしかり。
非常に参考になります。
是非御一読を。
自分の調子が悪い時はお題目が自然と上がります.
大きな問題を目の前に持った時にも同じで自然とそうなります.
その結果,その以前の調子の悪い状態が解決し,
問題が解決する以上の結果が出ることは良く経験するところです.
現在,知り合いの女性がうつでひどい状態です,
どうにか折伏,いや,まずいっぺんでも御本尊の前でお題目を唱えてほしい.それを今,妻と共に祈っております.
そこでまた考えます.
自分の事だけで大変だった自分がこうやって人の為に祈れる事.
すごい事だと.
よくぞこうなったと・・・
これが正法でなくて何と言うのか.邪心の法主を尊ぶ,邪宗の輩共よ.
今こそ題目だ!
リーダーは祈り切れ!
皆が勝ち進むために!
皆が晴れ晴れと
人生を生き抜くために!
我々は凡夫、否、荒凡夫です。
瞬間瞬間にいろんな雑念があって当然です。
それを無理に払拭しようとすることなく
とにかく理屈抜きで題目を上げた人が勝ちです。
ありがとうございました.
基本.わかりました.
少なくとも,一石二鳥的な発想は×ですね.
皆様の御意見頂いて,基本的な姿勢.分かったように思います.
ありがとうございました.
だからそうしようとした事もあります。
でもあくまでも自然体がいいのだ、と思うようになりました。
ただ、御本尊様の前で、せっかく題目をあげているのだから、題目に集中した方が、得だな、と思うこともあります。他の事は他の時間に出来るのだから。
でも、やっぱり皆さん仰るように、ちょいと書類を見てみたり、新聞広げてみたり、本を開いてみたり。
単なる確認ぐらいなら良いのでしょうけど、やってしまいますね。
何も考えずに、ボーっとして、ただ口が動いているだけの事もありますし、一心不乱に祈っている事もありますし。
でも、牧口先生は、御本尊様の御前は、御本仏日蓮大上人様の御前と同じである、として、勤行の時でさえ、正装されていた、と言います。
やはり唱題、って、難しいものですね。
すみません、答えになっていないですね。
題目あげてる時に ふっとひらめいて 御書をひもといたり、
破折資料とかを パラパラ読んだり。
でもまあ 一時間の中の10分から15分です。 別に漫画とかではないのですから 唱題の最初から最後まで読んでいるのでなければ別に良いかな?と個人的には思います。
お題目あげながら、大聖人様と語るように御書を読みたくなる。そんな時は、たまに私にもあります
もちろん、余念なくひたすらに唱題が基本ではありますよ。
あとたまに 故意に 自らを鼓舞するために、私は音楽隊の学会歌CDを小さく掛けながら唱題することもあります。 もちろんこれは単なる私流ですので 他の方にはオススメはしません。
あまり ダラシナクナルのもダメなら また、教条的になりすぎるのもあれかな?と思います。
つまり「中道」ってことですかね。
お疲れさまです、本当に。
。。。青板では、いやはや。。
毎日ロムさせてもらってます。。。
市丸さんにお聞きになってる事で、
横レスをスミマセン。。
>先程唱題しながら,人革も読みたいと思って,読みながら唱題していたのですが.
ね、ですから唱題って難しいのだと思いますよ。
普通に唱えるだけじゃなく、
あれもしたい、これもしたい、って思ってしまうんでしょ?
普通に、ただただ淡々と題目をあげる。
これって実に難しいのですね。
御本尊をひたすら見つめて、
一念を定めて、
雑念をよせつけず、
一心不乱に題目を唱え続ける。。。
この単純な行為が本当に難しい。
私はこの深夜にまた、
あ~そうなのだなあと実感しております。
市丸さん、このテーマ本当に有り難うございます。
朝晩、御本尊の前で身が引き締まる思いです。
噛みしめるように唱題をしています。
今年の始まりは、これで腹が決まりました。
唱題についてですが,その時に同時に
例えば「人間革命」を読みながら
例えば「法華経講義」を読みながら.
そういう唱題はしない方が良いのでしょうか.
勿論,御本尊の前においてです.
先程唱題しながら,人革も読みたいと思って,読みながら唱題していたのですが.
心は平穏だし,集中出来るし.それでも,良いのか悪いのか・・・
本当にいろいろな事をいつも聞きますが,よろしくお願い致します.
ム○ンもかなりアセリが見えてます。
このネットの世界だけでも,凄い人がいっぱい居ますね.
これじゃぁ,本当に,あの程度の 法華講諸君ではどうしようも歯が立つ訳無いなぁ
市丸さん.題目の事.そうですね.人に言われて,自分ですぐに壁作っちゃぁいけませんね.
そうじゃなければ,凄い人達に,追いつくどころか,とてもついていけないわ.
案の定、分かっていませんでした。
私は書き込むのが遅い事もあるのですが、あまり深追いをせず、基本的には法華講を引っ掻き回すきっかけを作ることを目的にしています。
ヒット・アンド・ウェー。
相手が望んでいる時は書かず、まったく見当はずれの時に質問をする、そんなところですね。
決して熱くならず、相手の思惑を外しながら、たまに書き込む。
相手が私の事を男と思っていようと、女と思っていようと、そんなことには関係なく、マイペースで行くだけです。
相手のペースにはまりそうな時は、一度完璧に退いてしまう事にしています。それで態勢立て直しです。
相手のペースにはまらないことは、ネットをやって行く上での、私の大原則です。
それから、題目。
幹部の方が言った常識豊かに、と言うのは当然ですが、自分で決めた目標に向かっては、無理もしますし、非常識もします。
そうしてでも、あげ込まなければならない時があるのです。
そうやって、生命に題目をしみ込ませなければ、やはり題目は何時までたっても唱えがたいままなのです。信心の年数には関係ありません、やった人が勝ちなのです。
何時までたっても、題目をあげることは難しいし、魔は強いものです。
それに負けずに、題目を上げ続けることは、時に無茶苦茶であり、、非常識であり、と言うのは当たり前、だと思っています。
最終的に、あげこんだ人には敵わないのです。
ね、コスモスさん。
了解でございますm(_ _)m
敵も学習しますからね。常に破邪の剣を磨きまする。
仁医さん
お見事です!(^◇^)┛
お互いに頑張りましょう!
私も市丸さんの聞いている意味がわかったので,何も知らずに平然と向こうが書いているのがおかしかったです.
で市丸さん,さらに追撃すると思ったら・・・
さらりと事実だけ確認したんですね.
前のには書きませんでしたが,昨年8月5日.1日何遍とも計算する事なく100満遍唱題を決意し挑戦しました.
計算して,考えれば出来ない無謀なものだったんですが知らずにやったんですね,で結局は妻が手伝ってくれて(正直な所,半分は妻が(唱題の印を)塗りつぶしてくれました)そしてどうにか大晦日に達成です.
途中で幹部に指導を受けに行ったと市丸さんに報告しましたよね(宗門問題の事で),そのときに「一日100分唱題していて.御書も読んで,寝るのが3-5時です」というような内容を話したら,
「それはダメです.仏法は道理ですから無理はいけません」と指導されました.確かに辛かったですわ.そんときは.笑っちゃうぐらい.でも,ときに知らないでがむしゃらにやるというのも良いもんです.
今は群青色の板で発奮して題目が上がる事が多いように思えます.
何が良い縁で何が悪いのか,決めるのは結局自分自身のようですね.
本当に市丸さん言う所の「全部信心は自分持ち」です.
それがまた少し分かりました.
窮鼠にかまれないように、気をつけて、追撃の手を緩めないで行きましょう。
大丈夫ですよ(^◇^)┛
市丸さん
所詮は 日蓮消愁ですね!(笑)
念仏以下ですわ。
ほんでもって、真言以下の密教まがい、笑
ここに書き込まれた皆さんの、題目との壮絶とも言える戦いを、感動を持って読ませていただきました。
わたしも若い頃、あげなければ、と言う焦りに追われながらも、時間がないことを理由に、ほとんど上げられなかった時期があります。こんな状態でどうする、と自分を叱咤しても、題目を上げる時間になると体力が残っていなくて、ごめんなさい、となっていました。
だから毎年、百万遍の題目を目標にしていたものです。
一日一時間が、何であんなに長く感じていたのでしょう。
良いと分かっていながら、何で上げられないのでしょう。
簡単に上がりますよ、と言った法華講、絶対上がっていないと確信しますよ。
上がっていたら、簡単に、なんて、言えっこないではありませんか。
多分 まともに他宗なんか折伏したことないんじゃないですかね? あるいは 邪宗同士だから 案外抵抗無いのかも。
私も、お題目にはものすごく思い出があります。
邪宗の害毒が入っているときには、お題目が口から出てこないのです。
初めて題目を唱えたとき、念仏の強信者だった私は、「お題目を唱えよう」と決意したときから数えて、1週間もかかりました。
お題目が、すらすらと口から出てこないのです。初めて消え入るような声で一回唱えられたときも、題目が生命力がありすぎて、題目のリズムに圧倒されて、恥ずかしかったのを覚えています。
そのとき熱心にいろいろ教えてくださった折伏の親も、かつて他宗の強信者だった方で、お題目を唱えようとするといろいろ不思議な現象がおこり、なかなか唱えられなかったと苦笑しておられました。
また、躁鬱をわずらっていたときも、なかなかあげられませんでした。
本当に、たった五字七字なのに、ものすごく大きな意味のあることばなのですね。
それにしても、私は第2次宗門問題から10年近くたってからの入会ですので、皆様がたのお話、たいへん勉強になります。なかなか書き込みできないときも、皆様の記事やコメントは拝見しております。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
あなたの心が優しいが故に起こった事じゃないですか.ねっ
大丈夫,大丈夫.あなたは正しかった.
皆分かっています.あなたは清浄な心の持ち主なんですよ.だからこうなっただけ.
良かったじゃないですか.良い勉強になって.
良くないのは,自分を責めてしまう事ですよ.
魔ですよ,三障四魔,四魔の内の天子魔,第六天の魔王の便りですよ.
ねっ,だから喜ぶべきです.「風凛は法華経の行者なり!」です.
「魔競わずは正法と知るべからず」です.ねっ,良かった良かった.
今のままの,優しく,きれいな心の風凛さんで居て下さい.
それでもしも騙されたって,紛道されなければいいんですよ.魔に負けなければ.
そうです、あの時、早朝の午前5時46分、大阪に在住している拙宅でも、立って居ることが出来ない程、かなり激しい揺れがありました。思わず妻をかばって、上から物が落ちても自分に当るように覆い被さったことを覚えています。
そして、交通機関が寸断された中、小生は自転車にペットボトルを積んで、神戸の友人を訪ねました。芦屋、六甲、三宮、元町等々、あの美しい大好きな神戸の街は壊滅状態でした。見るも無残な姿に思わず涙が溢れて仕方がありませんでした。
その後、会社から震災支援、復興プロジェクトのメンバーに指名された時は、「神戸の街が僕を呼んでいる」と勇躍歓喜して、復興支援に携わりましことを、今も鮮明に思い出されます。
前置きが長くなりましたが、その神戸で最も被害が大きかった地域の一つが長田区でした。その地域は火災が発生して、それこそ一帯が焼け野原になってしまいましたが、創価学会長田文化会館は厳然と在り、そこを拠点に地域の被災された方々を暖かく支援していました。会館には、毎日、婦人部を中心に、一日も早い復興を願って、唱題の声が、途切れることなく響き渡っていました。
そんな、ある時、先生・奥様が激励に来られたのです。まったく予期せぬ出来事に会館は、歓喜のるつぼになりました。先生はひとこと『皆さんの題目に引っ張られて来ました。大変でしょうがみんなで力を合せて、頑張ってください。私も皆さんにお題目を送ります』。
当時、関西指導で来られていた先生・奥様ですが、長田文化会館の訪問は、まったく予定には入っていなかったのです。
斎藤さん いつも素晴らしい体験。からだが震えます!
コスモスさん
先日はありがとうございました!
コスモスさんの祈りはすごいです。
仁医さん
私も うつ体験者です、「病によりて道心は起こり候う」ですよね。最近の某板での活躍、大喝采です
市丸さん、皆様
これからもよろしくお願いいたしますm(_ _)m
先輩に「題目あげて生命力出せって言うけれど,その題目あげる生命力はどこから出すのさ」なんて食ってかかった.
でも結局,人間必死になればやっぱり祈る.そしてその題目は裏切った事が無い.そしてその願いも成就した.信心万歳である.御本尊も題目も絶対だぁと歓喜した.
では,それからいつも喜気としてあげていたか.いや,信心の凄さも,題目の凄さも知っていながら実際には信心から遠ざかった.
時が過ぎた.平穏は長く続かなかった.やがて地獄界に入って行った.
それが長かったのか短かったのか判断は出来ないけれど,救い主が顕れた.今の妻である.
鬱,アルコール依存,自暴自棄,自殺企図,腹を自分で切った時には病院に誰よりも早く行き,麻酔もせず,腹を自分の指で摘んで縫合した.それでも看護婦さんに見つかった.酔っぱらってチンピラとケンカになって腹を切られたと嘘をついた.職業は役立ったと自分を皮肉った.苦笑いしか出来なかった.
それでもどうにか仕事だけにはプライドが少しはあったのでどうにか生きていた時のことである.
妻はそんな私を知っても表情をキッとしただけであった.驚かず,退かず,ともかく私を選んでくれた.
結婚後,何か諍いのようなものがあると,妻は仏壇の前に座って必ず題目を唱えた.すると必ず私の四悪趣の命は必ず,手の上の雪が解けるように「すぅー」となくなった.不思議だった.いつもだから余計不思議だった.百発百中である.それでも自分は何故か題目を唱える事は無かった.
ゆっくりだが,少しずつ,トンネルを抜けていくのを感じていた,自分での命も変わってきていた.自ら酒をやめた.ときどき勤行をするようになった.唱題も少しするようになった.そして・・・いつしか,勤行を欠かさずするようになった,唱題もするようになった.だがそれ以上ではなかった.
やがてその時が来た.鬱がひどくなった.苦しかった.それまで効いていた薬が効かなくなった.苦しいから題目をあげた,そんな次の次の朝は気持ち良かった.こんな朝があったのかと思った.久しぶりだ,どの位振りだろうと思った.題目を時間を決めてあげるようになった.題目は歓びになった.その頃このブログを知った.市丸の雑記帳.婦人部の方のブログか.ふーん・・・と
市丸さんのブログは実に勉強になった.数回読んでいる内に自分の体験を投稿した.この人に聞いて見ようと思った.題目はどうやってあげるべきか姿勢を聞いた.“無作”だと言われた.無作・・・難しかった.「発音をなるべくきちんとするように」と言われた.その通りにした.これもときに難しかった.そしてまたやはり市丸さんから学んだ「信から全て考える」ことを実践した.唱題でも同じくした.そして・・
・・・唱題は,凄かった.唱題自体がまさに歓喜となった.感動して,題目しながら,涙で声が震えていた.うれしくてうれしくて涙が止まらなかった.鼻水も出てきた.はた目にはみっともなかったかも知れない,仏壇にティッシュの箱を持ってきて唱題した.いろいろな事を思い出した.走馬灯のように,全ては有り難い事ばかりだった.
その時の発心で決して上手くない字で原稿用紙を横にして先生を真似たつもりで筆で書いた言葉がある.
一.喜びの人生歌わむ共々に 心も踊る 唱題勇みて(池田大作先生)
一.初めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く 所謂 南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり : 御義口伝
一.今朝も祈りきった 今晩も祈るのだ 今も祈るのだ そうなれば何があっても大丈夫なのだ 祈り願い切る事が一切に華を咲かせ切っていく 究極の源泉力である(戸田城聖先生)
一.題目は勝利の歓呼の音声なれば 堂々唱えて師子と吼えゆけ(池田大作先生)
さてとそれでも凡夫,喜気として題目あげる日,もう少しと思ってあげる日.毎日いろいろである.それでもとにかく「苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ」なのである.
(市丸さんありがとうございます)
題目って、一体何なんだろう、って思ったこと、ありませんか?
簡単なようでこれほど難しいものはなく、難しいかと言えば、子供でも唱えられる。
意味が分かったから唱えられるかと言えばそうでもなく、分からなくても結果は出る。
さらに、間違った宗派で唱えると、罰は念仏などよりはるかに大きい。
一生の内で、一体何べん、本物の題目を唱えられるのか、見当もつきません。
こんな不思議なもの、他にはないでしょうね。
訂正します
他にも様々にありますが、気付けただけでも相当な題目を要し私としては功徳でした。
唱えがたき題目。
本当にそうですね。
一体、どれほどの題目をあげたか分からないほどあげているのに、まともな題目をあげた感覚が....................ありません。
といういかまともな題目が分かりません。
気付けばご本尊を見ていない。
気付けば極楽浄土と心に浮かんだり。
気付けば南無妙法蓮華経と言えていない。
他にも様々にありますが、気付くだけでも相当な題目を要し私としては功徳です。
もっと修正しなければ。
題目と言うのは、信心の始めであり、究極なのだと、つくづく思います。
題目は数ではない、と言われます。百万遍の唱題をしよう、と言われます。結局は数上げたほうが勝ち、とも言われます。漠然といくらあげても駄目だ、とも言われます。
すべて真実だと言うところが、題目の深さであり、難しさだと思います。
ただ、一つ言えることは、題目を上げきった人、と言うのは、数にするとものすごい数を上げていることは、絶対に間違いがない、と言うことです。
境涯革命も、宿命転換も、やはりどれだけの数を上げたか、とても重要だと言えるのではないでしょうか。
ともあれ、題目と言うものは、頭で考えるより、唱えたほうが早い、と言うのが、私の結論です。
題目は、唱えることによって、生命力が湧き、福運をもたらし、宿命打開をも可能にするという、信心の根幹であることは、誰人も否定できない厳然たる事実です。
過日、書き込みしたような、ある日突然、降って沸いたような境涯になるのも、ひたすら題目を唱え抜いたお蔭でしょう。
逆に、その人の生命力が、病気等で極端に弱まると、気力も衰え、題目が上がらなくなります。3年前に逝ったわが妻がそうでした。「T細胞型白血病」という、不治の病に侵されたのが、15年前でした。それからは常に題目を上げることを心がけて、妻はひたすら学会活動をやり通しました。しかし、亡くなる3ヶ月前に再入院をした時は、病魔に侵され、見た目にもげっそり痩せこけていました。ベッドで題目を上げるのも辛いほどだったのです。
その時、私は関西本部のM副会長に指導を受けました。副会長は「君の唱えている題目をテープに吹き込んで、奥さんに聞かせなさい。そうすれば奥さんも、ご主人の祈りの声を聞いて、題目を上げられるようになります」、と。
まさしく、その通りでした。以前にも交通事故で瀕死の重傷を負われた人も、「題目を上げよう、上げよう、という気持ちはあっても、その時はなかなか上げられないのです。命を取り戻せたのも同志の方々のお題目でした」。という話を聞いたこともあります。
ともあれ、池田門下の一人として“同盟唱題会”のモットーでもある「歓喜」「確信」「感謝」の題目を上げ抜いていこうと決意しています。それが亡き妻に対する最高の回向だと・・・。
かならず最後は「題目ってなんだ?」になります。
わたしも 一身の当体とか 当体蓮華とかいろいろ説明しますが、結局は 題目はどんな意味か?を理論的に探るのも良いが 結論は
唱えて功徳があるかないか?が大事だね。 だからまず 唱えてあとからわたしも分かったよ。と汗をかきながら説明しました。
でも 彼らが質問してくれるおかげでわたしも より勉強しますし、確信も強くなります。
いかに題目を唱えられるかが有りがたいか。学会が有りがたいか。そこに素直に感謝が持てるようになったとき、すんなりと実は「妙法とはなにか?」を体得できるのかもですね。