『大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず。(祈祷抄 1351頁)』
中学二年で受けた任用試験の時の御書です。
あの時、あんなに必死で暗記したのに、今見てみると、たったこれだけの範囲だったのだな、と何か不思議な気がします。
どんな願いも叶うのが、この信心なんだ、どんな願いを持っても良いんだ、それが広宣流布に直結するものであれば、とその時教わりました。
あれからどれだけの時を重ねたでしょう。今、ほとんど不可能だ、と思っていた夢が、一つ叶いました。
私は子供の時、今は状況緘黙児と呼ばれる、心の病を持っていました。家では普通にしているのに、一歩外に出ると何もできない、と言うより、全く心が動かなくなってしまう病気です。当然普通に喋ることなど出来ませんでした。それが大きな戦いが連続する中で、奇跡的に全快。今では私がうつだった、と言っても、誰にも分かりません。
うつ病だったからと言って、私は表現者でありたかったのかもしれません。必死で自分の思いを伝える手段を求めていました。その手段の一つが文章だったのです。
若い頃は、新聞投稿を中心に、いくつか掲載されました。
その頃から、いつか一冊ぐらいは本を出したい、と思っていました。しかし自費出版をするほどの財力は有りません。ネットを始めてブログを持つ事でも、自分の表現を満足させるには、ある意味十分な所がありました。
ところが、最近になって、ブログを本にしてみないか、という話があったのです。ブログの中からこれと思うものを選び、編集し、三百ページ以内にまとめられるなら、本にしてあげる、と言ってくださった方が現れたのです。
ありがたい話でしたので、すぐにお受けしたものの、そしてすでに記事は有るものの、出来上がりを考えると、さてどうしたものか、とブログを眺め、考える日が続きました。ようやく目次を拾い出し、編集作業に入って、それから推敲して、相手方に原稿の形にして送れたのが、七月の半ばでした。
その後、幾人もの人が、校正に携わってくださり、一冊の本として完成を見ました。
二五一頁、紺表紙の本です。
この本の後半は、第一次宗門問題と、仏敵破折が中心となっています。それが、本のタイトルとして使った「語り部」と言う言葉の意味でもあるのです。
第一次宗門問題の発火点となったのは、九州の寺でした。その九州に住み、第一次宗門問題を、女子部の副部長として経験した者として、語り継いでいく義務がある、との発想から、一番力を入れたジャンルでもありました。
ただ、今回の話を頂けた事も、私たち夫婦の宿命転換があってのことだったのか、とも思っています。とにかくここ数年、必死の祈りの連続でした。そして、大きく生命が変わった、と実感できた後に、まず生活に変化があり、この話をいただいたのです。
ああ、宿命転換、境涯革命とは、こんな事を言うのか、と主人とも話していた中で、もう五十年にもなる「本を出せたら良いな」との願いも叶ったのです。
功徳とは、冥益とは、こんな風にして訪れる物なのか、と今静かにその実感をかみしめています。まず自身が変わって、依正共に変わって、その変革できた功徳に、現実の形として表れて来る功徳、これが冥益なのだと。
そして、具体的な形になるために、多くの方が尽力してくださいました。心から感謝いたします。
それにしても、仏敵破折、続けてきて良かった、と心から思います。
本当に、皆様、ありがとうございました。
中学二年で受けた任用試験の時の御書です。
あの時、あんなに必死で暗記したのに、今見てみると、たったこれだけの範囲だったのだな、と何か不思議な気がします。
どんな願いも叶うのが、この信心なんだ、どんな願いを持っても良いんだ、それが広宣流布に直結するものであれば、とその時教わりました。
あれからどれだけの時を重ねたでしょう。今、ほとんど不可能だ、と思っていた夢が、一つ叶いました。
私は子供の時、今は状況緘黙児と呼ばれる、心の病を持っていました。家では普通にしているのに、一歩外に出ると何もできない、と言うより、全く心が動かなくなってしまう病気です。当然普通に喋ることなど出来ませんでした。それが大きな戦いが連続する中で、奇跡的に全快。今では私がうつだった、と言っても、誰にも分かりません。
うつ病だったからと言って、私は表現者でありたかったのかもしれません。必死で自分の思いを伝える手段を求めていました。その手段の一つが文章だったのです。
若い頃は、新聞投稿を中心に、いくつか掲載されました。
その頃から、いつか一冊ぐらいは本を出したい、と思っていました。しかし自費出版をするほどの財力は有りません。ネットを始めてブログを持つ事でも、自分の表現を満足させるには、ある意味十分な所がありました。
ところが、最近になって、ブログを本にしてみないか、という話があったのです。ブログの中からこれと思うものを選び、編集し、三百ページ以内にまとめられるなら、本にしてあげる、と言ってくださった方が現れたのです。
ありがたい話でしたので、すぐにお受けしたものの、そしてすでに記事は有るものの、出来上がりを考えると、さてどうしたものか、とブログを眺め、考える日が続きました。ようやく目次を拾い出し、編集作業に入って、それから推敲して、相手方に原稿の形にして送れたのが、七月の半ばでした。
その後、幾人もの人が、校正に携わってくださり、一冊の本として完成を見ました。
二五一頁、紺表紙の本です。
この本の後半は、第一次宗門問題と、仏敵破折が中心となっています。それが、本のタイトルとして使った「語り部」と言う言葉の意味でもあるのです。
第一次宗門問題の発火点となったのは、九州の寺でした。その九州に住み、第一次宗門問題を、女子部の副部長として経験した者として、語り継いでいく義務がある、との発想から、一番力を入れたジャンルでもありました。
ただ、今回の話を頂けた事も、私たち夫婦の宿命転換があってのことだったのか、とも思っています。とにかくここ数年、必死の祈りの連続でした。そして、大きく生命が変わった、と実感できた後に、まず生活に変化があり、この話をいただいたのです。
ああ、宿命転換、境涯革命とは、こんな事を言うのか、と主人とも話していた中で、もう五十年にもなる「本を出せたら良いな」との願いも叶ったのです。
功徳とは、冥益とは、こんな風にして訪れる物なのか、と今静かにその実感をかみしめています。まず自身が変わって、依正共に変わって、その変革できた功徳に、現実の形として表れて来る功徳、これが冥益なのだと。
そして、具体的な形になるために、多くの方が尽力してくださいました。心から感謝いたします。
それにしても、仏敵破折、続けてきて良かった、と心から思います。
本当に、皆様、ありがとうございました。
一般の書店にも列ぶんでしょうか?
これは非売品で、私の手元にも限定部数しか来ていません。
後は、本にしてくれた人にすべて任せています。
手に入るのは、ちょっと難しいかもしれません。
申し訳ありませんが、これぐらいしか言えませんので、すみません。
市丸さんが心の病が治るのに”どのくらいの年数がかかったか”、を教えていただきたいと思います。
私は20代後半に入信し、その後心の病になりました、現在、医者により病名が違い、ハッキリしません「統合失調症(精神分裂症)です」「神経症です」
長く唱題すると頭が苦しくなるので、唱題は5分くらいが限度です
戸田先生は貧乏が治るのに7年と仰せですが、心の病はどのくらいで治るか、人それぞれの罪業によるとは思いますが、市丸さんの場合をお伺いしたいと思います
m(__)m
現在心の病との事、大変だろうと思います。
心の病がどのぐらいで治るのか、との事ですが、これははっきりした答えは無い、と考えた方が正解なのかもしれません。
私の場合はこうだった、と言った所で、それが他の人にも通用するかどうか、分からないからです。
ただ、私の場合、心の病として認識される前だったので、何がどうあれ、やるしかなかったのですが。
私の場合は、何時発症したかを考えると、完治まで約30年だったのかな、と思います。
もっとも私自身がうつ病だったとはっきり認識したのは、完治した後だったと言う事もありますが。
心の病は百人いれば百通りのケースがあると思います。同じような症状でも、その内容は違うと言った方がいいでしょう。
ただ、本気で治したいのだったら、連続して壁を破っていくしかないのではないでしょうか。
5分しか上がらないのだってら目指せ6分。次に7分。何も考えずに、時間だけを目標にして題目を上げていくのも必要なのではないかと思います。
ただ、治った者がいるのですから、信心している自分が治らないはずがない、と信じて日々壁を破っていくことではないでしょうか。
ちなみに、主人は、パニックを15年で完治させました。
尚、病気に関しては『治病大小権実違目』 (995ページから)に詳しく述べられています。
拝読されてみてはいかがでしょうか。
ありがとうございます
拝してみますm(__)m