『此の四菩薩こそ五百塵点劫より已来教主釈尊の御弟子として初発心より又他仏につかずして二門をもふまざる人人なりと見えて候。(呵責謗法滅罪抄 1128頁 )』
「五百塵点劫」と検索すると、十六か所ヒットしました。
御書全編拝読していた時、もっと多いような気がしていたのは、この言葉の持つインパクトだったのでしょうか。
二十代の時の教授昇格試験の勉強会の時の担当者の言葉が、本気で五百塵点劫、と言う事を考え始めた時だったようにも思います。(上級試験ではありません、その前の教授昇格試験です)
教えてくれたのは、中学生の頃から知っている壮年部の人でした。
十名ほどの勉強会。その中で私は最年少。ほとんどが壮年部・婦人部の幹部でした。
担当した人も、前回の試験で教授になったばかりで、かなり教える事に苦労していたのではないか、と思われました。その真剣さに、こちらも引っ張られて勉強したようなものです。
でも、初めての『御義口伝』
理解が付いていきません。
母はその時教授昇格試験二回目で、私より理解が進んでいました。
「ここはどう解釈するのですか?」
なんて事を平気で質問しているのです。
担当者の正面に座っていた私に、担当の人は必然的に答を言う形になります。
「どう? 分かった?」
聞かれて私が言った事は「質問が分かりません」でした。我ながら情けない勉強会でしたが、当時まだ二十五~六歳、今考えても、苦笑いとともに、仕方なかったよね、と言う思いが浮かびます。
その中で、担当者が自分の受験の時の体験を話しだしたのです。
五百塵点劫とは、と言う事でした。
五百塵点劫が分からず、なんとしても分かりたい、との思いで、勉強しては題目。題目を上げてはまた教材と取り組む、と言う事を繰り返したそうです。
そんな事を何回繰り返したのかも分からないほどになった時、突然これだ、という思いに至ったそうです。
「不思議だよね、それまで分からなかった御文が、すらすら読めるようになったから」
私は当然その時、五百塵点劫とはこうでこうで、と説明がある者と思って、身構えました。
ところが、「分かった」と言う言葉以上の説明は全くないまま、次の段階へ進んで行ったのです。
正直、肩透かしを食ったみたいでした。
と同時に、この人に理解できたことだから、自分も分かりたい、と猛烈に思いました。
その後どれぐらいたった頃でしょうか、突然私にもそれが理解できる時が訪れました。
ああ、これか、と思いました。
その後、数回の御書全編拝読と相まって、教学は日常の道理となりました。
全く難解ではなくなったのです。
そして今、あの時、自分の知った五百塵点劫を、具体的に語らなかった担当者の気持ちも分かります。語らなかった事が親切だった事も分かります。
試験のためだったら、教科書通りを、とりあえずは覚えて、戦い、祈るなかで知って行け、と言う事だったのです。
ほとんどの人が、自分の悟りの形を語る事はないでしょう。
しかし分かっている人は多いだろうし、分かった人同士だったら、おそらくすぐに分かりあえるでしょう。
そこに、無駄口や詭弁などは、入り込む余地はないのです。
「五百塵点劫」と検索すると、十六か所ヒットしました。
御書全編拝読していた時、もっと多いような気がしていたのは、この言葉の持つインパクトだったのでしょうか。
二十代の時の教授昇格試験の勉強会の時の担当者の言葉が、本気で五百塵点劫、と言う事を考え始めた時だったようにも思います。(上級試験ではありません、その前の教授昇格試験です)
教えてくれたのは、中学生の頃から知っている壮年部の人でした。
十名ほどの勉強会。その中で私は最年少。ほとんどが壮年部・婦人部の幹部でした。
担当した人も、前回の試験で教授になったばかりで、かなり教える事に苦労していたのではないか、と思われました。その真剣さに、こちらも引っ張られて勉強したようなものです。
でも、初めての『御義口伝』
理解が付いていきません。
母はその時教授昇格試験二回目で、私より理解が進んでいました。
「ここはどう解釈するのですか?」
なんて事を平気で質問しているのです。
担当者の正面に座っていた私に、担当の人は必然的に答を言う形になります。
「どう? 分かった?」
聞かれて私が言った事は「質問が分かりません」でした。我ながら情けない勉強会でしたが、当時まだ二十五~六歳、今考えても、苦笑いとともに、仕方なかったよね、と言う思いが浮かびます。
その中で、担当者が自分の受験の時の体験を話しだしたのです。
五百塵点劫とは、と言う事でした。
五百塵点劫が分からず、なんとしても分かりたい、との思いで、勉強しては題目。題目を上げてはまた教材と取り組む、と言う事を繰り返したそうです。
そんな事を何回繰り返したのかも分からないほどになった時、突然これだ、という思いに至ったそうです。
「不思議だよね、それまで分からなかった御文が、すらすら読めるようになったから」
私は当然その時、五百塵点劫とはこうでこうで、と説明がある者と思って、身構えました。
ところが、「分かった」と言う言葉以上の説明は全くないまま、次の段階へ進んで行ったのです。
正直、肩透かしを食ったみたいでした。
と同時に、この人に理解できたことだから、自分も分かりたい、と猛烈に思いました。
その後どれぐらいたった頃でしょうか、突然私にもそれが理解できる時が訪れました。
ああ、これか、と思いました。
その後、数回の御書全編拝読と相まって、教学は日常の道理となりました。
全く難解ではなくなったのです。
そして今、あの時、自分の知った五百塵点劫を、具体的に語らなかった担当者の気持ちも分かります。語らなかった事が親切だった事も分かります。
試験のためだったら、教科書通りを、とりあえずは覚えて、戦い、祈るなかで知って行け、と言う事だったのです。
ほとんどの人が、自分の悟りの形を語る事はないでしょう。
しかし分かっている人は多いだろうし、分かった人同士だったら、おそらくすぐに分かりあえるでしょう。
そこに、無駄口や詭弁などは、入り込む余地はないのです。