ロイヤルモータースとその仲間たち

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阪神・淡路大震災・・私の体験記 13

2010-01-20 22:09:07 | 阪神・淡路大震災 私の体験記
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話が飛び又時間的な記憶が「づれて」いることがありますがお許し下さい。 以後は当時の友人、知人の話も加えます。 
これからの震災の参考になれば幸いです。

長田区を担当していた関係上、そちらの話になりますが、難波会長(当時日本中古自動車連盟会長・現朝日オートセンター社長)が避難している会員に激励と見舞金をもって避難所(学校など)をまわりました。 
年配の方たちは(65歳以上)会社や周りの現状を考慮すると年齢などのことも考え悲観的になり再建を断念する方向で考えている旨を話されていたそうですが、ほとんどの方たちが現在も商売をされています。
整備業者の50%が廃業したのと比較しますと、中古車車業者の方たちの努力と幸運に感謝したいです。

友人のY君は地震当日(17日)始発電車で大阪に行こうとJR三宮で電車を待っているとあの地震になり家族が車ですぐ引き返してY君を乗せて灘の自宅に帰る途中車の明かりを見て助けをよぶ声があちこちから聞こえたそうです。 
でも余震がありビルや家が崩れて道をふさぎそうなのと自宅の家族が心配になり自宅を目指したそうです。、

西宮市仁川に住んでいるI君は自宅の前のアパートが倒壊し近所の人たちと約10人救出したそうです。

長田区の友人の話です。家の下敷きになった母を助けようとしたが火がせまってきて母から「危ないから逃げなさい。」といわれたがなんとか努力し助け出そうとしたがだめだったそうです。

なぜ、この話をするかといえば、長田区の火災の件ですが、社員T君の話を聞くと消防局のヘリコプターは水をかけると埋まっている人たちが窒息するので水をかけなかったそうです。
おそらくマニュアルがそうなっていたのだと思います。
その場にいた人たちは火事を初期の段階で消せたら、窒息の死者がでるより火災の死者の方がはるかに多かったと思います。
声が聞こえていて助けられないほど辛い事はありません。

その人たちの心のケアを考えると火災はなんとか食い止めなければなりません。
神戸市、芦屋市、西宮市など海の近くなので海水を利用する方法はなかったのか?
道が寸断されているのでヘリコプターの消火が威力を発揮します。
できるだけ多く作る必要がある。
そして取材のヘリコプターの風が火災を広げている可能性があるので、ヘリコプターは少なくして共同で取材されることを希望します。
コメント
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