ロイヤルモータースとその仲間たち

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阪神・淡路大震災・・私の体験記 11

2010-01-16 23:58:22 | 阪神・淡路大震災 私の体験記
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当時、兵庫県中古自動車協会の副理事長をしていた私は長田区の担当で連絡の取れない会員を探すのにどうすることも出来ませんでした。

長田区に住んでいた当社のオートプッラツ ロイヤル店(灘区)の店長T君も震災が起きて3週間後に電話があり無事と聞き安心しましたが、それまではテレビの死亡欄に名前が載らなければいいがなあと思いながら見るだけでした。
理由は震災の後の火災です。
家などの建物が倒壊して道がふさがり自動車は勿論のこと、自転車でも入りにくくまた救助の妨げになるのでなるべく長田区へ入らないようにと連絡が入り動けなかったからです。
一ヵ月後本社に出社したT君にその事情を聞くと二階建ての彼の家は一階が全壊し二階に居た彼と奥さんと子供二人は、真っ暗な状態で家から脱出しようとしたがドアが開かず偶然あったゴルフクラブで壁に穴を開けると先に又壁があり結局3つ壁に穴を開けてやっと外に出る事ができたが一階が倒壊し低くなった二階から道路の空地に家族を下ろすと、明るくなってきたので一階にいたお祖母さんを助けようとしたが、回りの家も同じ状態でどうしようもなかったそうです。 そのうちあちこちで火事が発生し自分たち家族が逃げるのがやっとだったそうです。
何軒もの家の上を越えて避難したが、途中助けを呼ぶ声があちこちからしたそうですがどうしようもなかったそうです。
人に言えない大変悲しい目にあったのでしょう。

地震に続く火災で相当精神的に参っていたみたいで、明るい性格の彼が以後3ヶ月ぐらい無口になっていました。

家が無いので会社(北区)の回りを探しましたが、すべて入居してありませんでしたが偶然有馬にアパートの一階が空いているので照会すると、奥様が一階は怖いと拒否されました。 震災の体験がそうさせたのでしょう。 空いている理由もそのことかもしれません。
結局、彼は長田区のお父さんの家に家族で行くことになりました。

震災から一週間は電話が混んでなかなか連絡がつかない状態の中、震災の翌日家は無事だった弟から500mはなれたガスタンクにヒビがはいり爆発の恐れがあるので、今から近くの学校に避難すると 連絡がありました。 義兄の会社に勤めている弟は土木関係の仕事をしている為、神戸市に協力して飛び回っていたそうで大変なことになったが体だけは大事にしろと言うのがやっとでした。

我が家の方は電気は2~3日でついたのですが、水が約一ヶ月出なかったのとガスが回復するのに二ヶ月かかりました。
飲み水と洗濯は会社が無事だったので助かりましたがお風呂は三田市の銭湯に行きましたが
神戸市内からたくさんの人たちが殺到してお湯が足りなく浴槽からお湯を汲んで体を洗うだけでした。 一ヶ月ぐらいして近くのゴルフ場や有馬温泉などお風呂を無料開放していました。 ただ残念なのは情報不足で知らない人が多かったです。
私も近くの五社温泉(今は無い)によく行きました。
ふだんアベック専用ホテルが家族歓迎と家族で入る光景もありました。

震災も1週間経つとお風呂の事も重要な課題になります。
コメント
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