菅仮免の5月18日の記者会見。これは5月に入って3回目の記者会見だそうだ。《首相、今月3回目の会見 失言防止? ぶら下がり取材は拒否》(MSN産経/2011.5.18 20:05)
今後も週1回ペースで会見する意向で、定例記者会見の様相となっているという。但し、東日本大震災の発生前は原則として平日夜に応じていた記者団の「ぶら下がり取材」再開は拒否。記事は、〈取材の機会を絞り、失言による政権のダメージを避ける狙いがあるようだ。〉と解説している。
取材拒否については首相サイドは「震災への対応を優先するため」と説明、具体的な時期や条件は示さないまま事態の推移を見て再開とのこと。
「震災への対応を優先する」のはいいが、どう「対応」しているか、国民への説明責任はあるはずだが、それを放棄していることになる。
まさかぶら下がりをマスコミへの説明と把えているわけではあるまい。マスコミへの説明を経て国民は知りたい貴重な情報を得ることができる場合がある。
ときには下らない情報もあるが、何がどう下らないか知ることも情報選択の勉強になる。
下らないように見えて貴重な情報に出会う場合もある。例えば菅仮免は5月18日に計画的避難区域指定の福島県飯舘村村議会の佐藤議長から首相官邸で住民や事業所等への仮払金の支払いなどについて要望を受けたとき、次のように名言を吐いたという。
菅仮免「皆さんも地元有権者から突き上げというか、大変な要請を受けている」
この発言が表に洩れたということは発言を受けた側が不当な発言と看做したからだろう。こんなことを言われたと。
不当という線に添って、自分なりにこの発言をお粗末ながらに解説してみる。
要するに菅仮免は自身が受ける要請の中には妥当・全うな要請ばかりではなく、正当とは言えない強請り紛い、不料簡な要請が多くて普段から苦々しく思っている自らの経験を相手の経験とし、同じような要請を受けて苦々しさに駆り立てられているだろうと飯舘村の村議会議長に同情したと言うことだろう。
実際に妥当・全うな要請ばかりではなく、中には正当とは言えない強請り紛い、不料簡な要請も多々あるに違いない。だが、要請を受けた側は取捨選択して、受け入れることができない要請は受け入れることができないことの説明を尽くして断ればいいことで、飯舘村村議会の佐藤議長にしても、地元有権者からの正当とは言えない強請り紛い、不料簡な要請をストレートに受けてストレートに官邸に持ち込んだわけではなく、取捨選択して妥当・全うと思える要請のみを行ったはずだ。
それを自分の経験を以って相手も同じだろうと安易に解釈する。
放射能汚染を避けるために計画的避難区域に指定され、先行きの見えない中で住民の生活の維持、村の維持、そしていつの日かは村の建て直しを図らなければならない思案模索で頭が一杯になっているに違いない村議会の議長に対して、議長の方から突き上げにあって大変ですと言ったならまだしも(言ったなら、表には出なかったはずだ。)、状況が状況なのだから、自分がそうだからと相手もそうだろうと、さも突き上げを食って大変だろうといったことを一国の首相が吐くべき言葉ではなかったはずだ。
だが、言ってしまった。言葉が軽いと言われても仕方がない。人間が軽く仕上がっているから、人間の軽さに応じて言葉も軽くなる。
いわばたいした発言ではないように見えても、そこから菅仮免の人間性まで窺うことのできる情報となり得る。
また記事はぶら下がりを避けているのは失言をしないように取材の機会を絞っているからだとしているが、自身が用意した記者会見の優先は前以て周到に準備した発言でなければ安心して披露できない不安症の反動としてある情景であろう。
この情景は臨機応変な発言が不得手であることの裏返しの現象であることをも示している。だから、国会答弁でも普段から口にしていない、あるいは勉強していない言葉を必要とする場面では、「アー、ウー、イー」と次の言葉を探すのに四苦八苦することになる。
一国のリーダーでありながら、臨機応変に言葉を駆使できない判断能力の劣りは如何ともし難い。
菅仮免は一昨日の記者会見の冒頭発言で原子力行政について次のように発言している。
菅仮免「また、原子力行政全般に関して、長年の原子力行政の在り方を根本的に見直さなければなくなると思っております。例えばこの間、日本の原子力行政は、原子力を進めていく立場と、言わばそれをチェックする立場が安全・保安院という形でともに経産省に属しているチェック機関と行政的には原子力行政を進めていくという立場と両方が同じ役所の下に共存していた。こういった独立性の問題。更には、情報の共有あるいは発表の仕方などの問題。更には、省庁間を結ぶリスクマネージメント。こういったものについて、必ずしもしっかりした態勢が取られていなかったと思っております。
そういった意味で、近くスタートする今回の事故の調査委員会においては、この長年の原子力行政の在り方そのものも十分に検討していただき、その根本的な改革の方向性を見出していきたいと考えております」――
要するに日本の原子力行政は、経済産業省の外局である資源エネルギー庁の特別機関と法令上は位置づけられてはいるが、原子力の安全確保の指導・監督を行うチェック機関である原子力安全・保安院が、その立場・利害と相反する原子力推進の立場・利害にある経産省に連なって、より強い立場・利害を抱える側が他方の利害・立場に食い込んで独立性を損なう関係にあったためにリスクマネージメントの点からも独立性確保が必要だということで、「その根本的な改革の方向性を見出していきたいと考えております」と今後の課題とした。
この「根本的な改革」の基本的中身は原子力安全・保安院の経済産業省から分離を指す。
だが、民主党は2009年総選挙用の「2009年民主党の政権政策(マニフェスト)」には原子力問題に関して、〈安全を第一として、国民の理解と信頼を得ながら、原子力利用について着実に取り組む。〉の文言しか記載していないが、「民主党政策集INDEX2009」で、「安全を最優先した原子力行政」と題して、〈過去の原子力発電所事故を重く受けとめ、原子力に対する国民の信頼回復に努めます。原子力関連事業の安全確保に最優先で取り組みます。万一に備えた防災体制と実効性のある安全検査体制の確立に向け、現行制度を抜本的に見直します。安全チェック機能の強化のため、国家行政組織法第3条による独立性の高い原子力安全規制委員会を創設するとともに、住民の安全確保に関して国が責任を持って取り組む体制を確立します。また、原子力発電所の経年劣化対策などのあり方について議論を深めます。〉と謳っている。
いわば政権交代し、民主党政権を確立した時点でスタートさせなければならなかった「独立性の高い」原子力安全チェック機関創設の動きでなければならなかった。
そうであるにも関わらず、政権獲得から2年半を過ぎると言うのに菅仮免は福島原発事故を受けたからだろう、原子力行政の独立性確保を今後の課題だとしている。
これを以て先手の姿勢とは言えず、後手の姿勢としか言いようがない。
2010年参院選用のマニフェストとして菅仮免が主導し、作成した「2010年民主党参院選政権政策(マニフェスト)」には「原子力」という文字は一言も記載されていない。
エネルギーに関する言及は、「グリーン・イノベーション」に関することのみで、〈再生可能エネルギーを全量買い取る固定価格買取制度の導入と効率的な電力網(スマート・グリッド)の技術開発・普及、エコカー・エコ家電・エコ住宅などの普及支援、2011年度導入に向けて検討している地球温暖化対策税を活用した企業の省エネ対策などを支援します。〉の記載だけとなっている。
多分、原子力行政に関しては「民主党政策集INDEX2009」を引き継ぐ意思を持っていたから、「2010年民主党参院選政権政策(マニフェスト)」では触れなかったのかもしれない。
もし意識的な回避なら、なおさらに菅政権発足後早急に取り組まなければならなかった課題だったはずだ。
意識的な回避ではなく、看過した結果、「2010年民主党参院選政権政策(マニフェスト)」への記載がなかったということなのだろうか。
例え前者であったとしても、菅仮免の政治的不作為・政治的怠慢は免れることはできない。
もし後者であるなら、なお一層の政治的不作為・政治的怠慢に相当することになる。
「民主党政策集INDEX2009」で安全チェック機能強化のための独立性の高い機関創設を謳いながら、原子力事故が発生してから今更ながらに取り組みますでは、後手の姿勢、政治的不作為・政治的怠慢と言うだけではなく、一国のリーダーとしてのその人間性から言っても、「皆さんも地元有権者から突き上げというか、大変な要請を受けている」の発言も無理はない、相互対象した人間性だと言えるのではないのか。
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