「生活の党と山本太郎となかまたち」
《本日6月22日、第24回参議院議員通常選挙の公示を受けた声明発表》
『第24回参議院議員通常選挙公示日にあたって』
いよいよ「闘い」のはじまりである。日本の民主主義と立憲主義を守る、そして、国民の「生活」を守る、これまでになく重要な戦いである。
政治とは正に「生活」である。私どもは、この理念に沿った政策で、安倍政治による破綻から何としてもこの国を救うべく、この選挙戦、全力で闘っていきたい。
確かに我々の敵は「強大」であるが、徐々にこの政権の危険性に気付き、行動をする人々が増えつつあるのも事実である。今や全国各地でそういう諸勢力が結集しつつある。
今こそ、我々は、安倍政権の暴走を止めるという旗の下、結束をしなければならない。そして、全力でこの政権を打倒しなければならない。
この国を確かな未来へと繋いで行くために。
平成28年6月22日
生活の党と山本太郎となかまたち
代表 小沢一郎
あくまでもその能力や人間性は個人が担うものだから、日本の学問の最高峰・・・・・なのかどうか知らないが、東京大学がアジアの大学ランキングで3年間トップの地位を維持してきた首位の座から落ち、7位に転落したと、6月21日付「NHK NEWS WEB」記事が報じていた。
イギリスの教育専門誌「タイムズ・ハイヤー・エデュケーション」が発表したランキングだそうだ。
ランキング付けの規準は研究内容や論文の引用回数など13の指標。
1位:シンガポール国立大学
2位:シンガポールの南洋理工大学&中国の北京大学
4位:、香港大学
5位:中国の清華大学
6位:香港科技大学
7位:東京大学
8位:韓国ポハン(浦項)工科大学
9位:韓国ソウル大学
10位:韓国科学技術院
・・・・・・
11位:京都大学
23位:東北大学
24位:東京工業大学
30位:大阪大学
34位:名古屋大学
46位:筑波大学
48位:九州大学
49位*北海道大学。
私立大学(111位~120位)
順天堂大学、慶応大学、
私立大学(121位~130位)
東京理科大学、早稲田大学、
私立大学(161位~170位)
近畿大学
6月21日の閣議後記者会見。
馳浩「結果は結果として、厳粛に受け止めたいが、ランキングの尺度は、実施主体によって違うので、あまり一喜一憂しないほうがよい。
国立大学への運営費交付金や私立大学への私学助成など、基盤的経費をしっかりと確保するという『安定性』が、高等教育機関にとっては、一番重要だ。学長や経営主体の頑張りに期待したいが、大学側の予算要望にも、しっかり応えていかなければいけないと思っている」
国がカネを出して財政基盤をしっかりとしてやることが一番重要だと言っている。いわば教育とはカネなりと言っている。
確かに教育を受ける機会を得るにはカネは重要な要素を占める。家にカネがないばっかりに行きたい高校を断念する、行きたい大学を断念する若者が安倍政権になってからの非正規雇用の増加(6月29日のNHK「日党討論」で「生活の党」の山本太郎が非正規が4割に達していると言っていた。)と、一旦非正規雇用になるとそこから抜け出すことができない年配者の非正規雇用職への固定化によって確実に増えているはずで、進学は何よりもカネが問題となる。
大学に入ってからも、何かしらアルバイトをしなければ学費を払うことができない、生活していくことができないという大学生もゴマンといて、アルバイトが勉学の時間を削ぐということもあるだろう。
だが、記事が伝えている東大のトップの座から7位への転落の理由はカネの問題ではない。教育の質では全体の1位だった。学生と教員の国際性に関する評価が70位だったことが全体のランクを押し下げて7位という名誉を獲得したことである。
学生と教員の国際性が他大学と比較して相当に劣っていたと言うことになる。
と言うことは、東京大学では全体的に見て教員自身が国際性を自らの精神性の血肉としていなかったために学生の精神にその国際性の種を撒き、その種を学生自身が育てて果実としていく循環を構築できていなかったことになる。
では、東大が過去3年間はトップの地位だったということは少なくとも3年間は学生と教員の国際性は問題なかった、国際性はそれを果実としている教員から学生に種の形で受け継がれ、その種を果実へと実らせていく循環を滞りなく果たし得ていたことになる。
だとすると、ここに矛盾が生じる。この循環性は1年性のものではないからだ。学生が入学時に自らの種としていなかったとしても、教員自身が果実とし得ていただろうから、何人かの例外はあったとしても伝統や文化や慣習、あるいは教養として受け継がれ、学年を超えて自ずと循環していくはずだ。
だが、そうはなっていなかった。トップだった3年間は国際性が評価されていたのかネットを調べてみたが、順位のみの記事ばかりで、手がかりを得ることはできなかった。
一般的な循環性を破ってトップの座からいきなり7位という矛盾を解くには2016年調査から学生と教員の国際性が調査項目に加えられたとすることによって納得がいく。
そうではなくても、21016年のアジアの大学のランキングで東大の学生と教員の国際性が欠けていると評価付けられた事実に限って、どういうことなのか考えてみる。
東大がそれなりの予算を国から得て運営されているはずだから、カネの問題ではない。それをカネの問題とする馳浩のアホなこと言わんといてのトンチンカンな認識能力は文科相の資格を失うはずだ。
学生と教員の国際性が70位という評価によってトップの座からいきなり7位に引きずり降ろされたとなると、「一喜一憂しない」と高みの見物を決め込むわけにはいかないはずだ。
それにしても70位というのは余りにも酷過ぎる。
国際性は大学で学んだ学問、知識・教養を世界で生かす基礎的素養となる。如何なる人種であろうと、如何なる民族であろうと、如何なる国籍であろうと、如何なる性であろうと、如何なる文化に所属していようと、如何なる社会に所属していようと、それぞれに対等性を認めて、それぞれの価値を尊重し、それを以て基礎的素養とする。
このような基礎的素養を得て初めて国際性を身につけることができる。そしてその国際性を世界で活かすことによって国際人足り得るはずだ。
その国際性が70位とされた。
「日本人はなぜ国際人になれないのか 」とよく言われるが、日本人の思考様式・行動様式が上下の人間関係に基づく権威主義性を今以て引きずっているからだろう。そこには純粋な対等性は存在しない。
昔程ではないにしても、大学では教授・助教授・助手の関係が対等ではなく、教授が絶対権力を握ったピラミッド形の人間関係を築いていて、助教授以下は教授に見習い奉公に入った徒弟さながらの徒弟制度に今なお縛られていると言われているが、上下関係にあるこのような非対等性が他の物の見方や考え方にも反映されて、対等性を必要とする国際性と相矛盾することから国際性を身近に引き寄せることができないでいる面もあるはずだ。
大学のこの徒弟制を窮屈に思い、伸び伸びと研究できないことから自由な研究の場を求めてアメリカの大学に移る研究者も多くいるようだ。
思考様式・行動様式共に権威主義性に縛られた関係になると、自由で対等なコミュニケーションが取れないことになる。非対等性に慣らされて、対等な思考も対等な行動もできにくくなる。
男は女性を下に見、日本人を人種的に上に見て、アジア人種や黒人種を下に見ることになる。職業で人間を上下に価値づけることになる。地位の高い人間や財産家を優れた人間と見て敬い、貧乏な人間やホームレス等を蔑むことになる。
そういった人間が世界に出たとしても、国際性を発揮できるわけがない。
馳浩は教育行政を与る文科相でありながら、国際性が70位と評価付けられたことに対して「一喜一憂しない」と、ハエが頭に止まった程度のことを言い、国がカネを出して財政基盤をしっかりと支えていけば、国際性の欠如がさも解決するかのように考えている。
アホなこと言わんといて。
馳浩のこの認識の程度の低さは何を物語るのだろう。
勿論、文科相に据えた安倍晋三の人間を見る目にも問題があることになる。