二大政党の一翼を担う民主党が衆議院選挙に続いて参議院選挙で大敗、向こう3年間国政選挙はないと見ている以上、退場した一大政党に代わる誰もが考え得る有力な対抗勢力の構築は野党再編という選択肢に限られることになる。
尤も参院選前から、世論調査で民主党の大敗は読み込まれていたために日本維新の会共同代表の橋下徹が選挙中から野党再編を呼びかけていたが、読み込まれていた通りの結果を受けて、マスコミの関心も野党再編に重点を置くことになった。
当然、主たる野党党首が記者会見を開けば、野党再編に関する質問を受けることになるが、思惑や政治理念の違いから、直ちに賛成という党首ばかりではない。
《みんな・渡辺氏 野党再編は拙速》(NHK NEWS WEB/2013年7月22日 0時48分)
参院選投票日の、ほぼ大勢が決まった7月21日午後11時頃の東京都内での記者会見。
渡辺みんなの党代表「覚悟と戦略、信頼を共有することが絶対的に必要で、今すぐ『野党再編』というのは、あまりに拙速すぎるのではないか。維新の会は、党内で歴史認識を統一することもしておらず、仮に『一緒になろう』と言われても困難が伴う。ほかの党に野党再編を呼びかける前に、みずからの党を再編したらどうか」――
始末の悪いことは日本維新の会に忌避感が強く、野党再編に慎重なみんなの党代表に対して幹事長は忌避感もなく日本維新の会を再編の一翼と見做して積極的であり、態度が別れていることである。
翌々日7月23日。《橋下氏、野党再編に重ねて意欲 渡辺氏「維新再編を、市長では限界」》(MSN産経/2013.7.23 18:02)
大阪市役所でのぶら下がり記者会見。
橋下徹「民主党に代わる新たな政治勢力を国民が求めているのは間違いない。次期衆院選に向かって(野党が)話し合い、一つの勢力にまとまらないと国のためにならない。維新、みんなの党、民主党という看板はなくさないとダメだ。
(自ら主導するのかの問いに)それを言った瞬間、足の引っ張り合いになる。維新が取るとはいわない。誰かがやってくれればいい」――
自身に対する忌避感を承知しているようだ。
国会内で開催の党役員会で。
渡辺みんなの党代表「政界再編のためには理念と政策の一致が大前提だ。維新は改革勢力なのか、自民党よりももっと右の復古勢力なのか、分からない。他党に再編を持ちかける前に維新自体の再編が必要だ。
橋下市長が党代表でありながら、国会議員でないことは重大な問題をはらんでいる。国を変えるためには、大阪市役所からでは限界がある」――
再編を成し遂げた場合の多くの国会議員を率いるには市長の立場では困難であるということなのだろうが、何よりも「理念と政策の一致」が問題となる。
渡辺代表は特に歴史認識に関わる「理念」の一致を重要視している。「みんなの党代表 渡辺喜美」名で、《憲法改正議論に関する所感》を2013年4月12日に公表している。
〈憲法改正についての議論が盛んである。みんなの党も改憲を目指すことに変わりはない。ただ、我々は戦時体制を賛美し、復古調のレトリックを駆使する勢力とは、根本的に異なる。みんなの党は、一院制、首相公選制、地域主権型道州制、政党規定の新設など統治機構の改憲を掲げている。復古派との違いは、端的に言えば、歴史認識であろう。
・・・・・・・・・・・・
憲法改正の前にやるべきこと。それは選挙制度や政党を含めた政治改革であり、官僚制度改革である。〉――
復古調の戦時体制賛美は歴史認識の反映としてある。渡辺代表はここから野党との関係に於ける日本維新の会に対する忌避感が生じているはずだ。
例えば2013年3月30日発表の「日本維新の会 綱領」は、〈日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる。〉と謳って、占領時代と占領時代につくられた日本国憲法を完璧に否定する歴史認識を示している。
この戦後否定歴史認識は戦前の日本に対する肯定歴史認識と対立させているはずである。また、平和は「非現実的な共同幻想」によって成り立つものではなく、国民の願望とその願望に制約を受ける形のそれなりの政治の努力という現実があって初めて成り立つはずだ。
政治の努力という現実をも共同幻想だと言うなら、石原慎太郎も一時期所属した戦後自民党一党独裁政治が手を貸した共同幻想ということになる。
この「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め」以下の文言は日本維新の会のもう一方の共同代表である石原慎太郎の強い要請で取り入れたそうだが、その歴史認識は2013年2月12日の衆院予算員会の質問に如実に現れている。
石原慎太郎「浦島太郎のように18年ぶりに国会に戻ってまいりました、暴走老人の石原であります。
私、この名称を非常に気に入っていまして、みずから愛称にしているんですけれども、せっかくの名づけ親の田中真紀子さんが落選されて、彼女の言葉によると老婆の休日だそうでありますが、これはまたうまいなと思って、大変残念でありますけれども。
これからいたします質問は、質問でもありますし、言ってみれば、この年になった私の、国民の皆さんへの遺言のつもりでもあります。
私がこの年になってこの挙に出た一番強いゆえんは、実は、昨年の10月頃ですか、靖国神社でお聞きした、90を超されたある戦争未亡人のつくった歌なんです。
この方は20前後で結婚されて、子供さんも設けられた。しかし、御主人がすぐ戦死をされ、そのお子さんも恐らくお父さんの顔を見ていないんでしょうがね。その後、連れ合いの両親の面倒を見て、子供も結婚し、恐らく孫もでき、ひ孫もできたかもしれませんが、その方が90を超して、今の日本を眺めて、こういう歌をつくられた。
かくまでも醜き国になりたれば捧げし人のただに惜しまる
これは、私、本当に強い共感を持ってこの歌を聞いたんですが、国民の多くは、残念ながら我欲に走っている。
去年ですか、おととしですか、東京に端を発して幾つか事例があったようですけれども、東京の場合には、40年も前に亡くなったお父さんを葬式もせずに隠してミイラにして、しかも数十年間その年金を詐取していた。このケースがあちこちで頻発して、政府は、どういうつもりか知りませんが、その数を公表しませんでしたが、こういう我欲が氾濫している。しかも、政治家は、そういうのにこびて、ポピュリズムに走っている。
こういった国のありさまを外国が眺めて軽蔑し、もはや、うらやむ、そのようなことはなくて、とにかく日本そのものが侮蔑の対象になっている。好きなことをされて、好きなことを言われている。なかんずく、北朝鮮には、物証も含めて数十人、いや、200人近いですか、人が拉致されて、中には殺されている。これを取り戻すこともできない。
こういった国の実態を眺めて、この戦争未亡人が、あの戦のために死んだ自分の御主人というものを、自分の青春を想起しながら、とにかく、ただに惜しむという心情を吐露されたのは、私は、うべなるかなという気がしてならないんですね。
さて、総理が総裁選に出られる前、ある人の仲立ちで一晩会食いたしましたが、そのとき、私、いろいろなことをあなたにお聞きして確かめました。非常に心強い思いをして、期待しておりました。
まず、この国を今日の混乱あるいは退廃に導いた一つの大きな大きな原因である現行の憲法についてお聞きしたいと思います。
人間の社会に存在するいろいろな規範というものは、結局は、人工的なものはあるでしょうけれども、人間の歴史の原理というものがこれを規制して、それにのっとっていると思いますね。
戦争の勝利者が敗戦国を統治するために強引につくった即製の基本法というものが、国に敗れ統治されていた国が独立した後、数十年にわたって存続しているという事例を私は歴史の中で見たことがない。
もし、ちなみに、日本という独立国の主権者たる、つまり最高指導者の総理大臣が、この歴史の原理にのっとって、かつて勝者がつくって一方的に押しつけた憲法というものを認めない、これは廃棄するということを宣言したときに、これを阻む法律的見解というのは果たしてあるんでしょうか。
そういうものを含めて、あなたが今、日本の憲法についていかにお考えかをお聞きしたい」
安倍晋三「確かに、今、石原先生がおっしゃったように、現行憲法は、昭和21年に、日本がまだ占領時代にある中においてマッカーサー試案がつくられ、そしてマッカーサー試案が、毎日新聞によってスクープをされるわけでありますが、このスクープを見たマッカーサーが怒り狂い、もうこれは日本に任せておくわけにはいかないということで、ホイットニーに命じて、そして、ホイットニーが2月の4日に民政局の次長であるケーディスに命じて、2月の4日だったんですが、2月の12日までにつくれと言って、ほぼ8日間、一週間ちょっとでつくり上げた。それが現憲法の原案であったわけでございますが、それが現在の現行憲法のもとである、このように認識をしております」――
安倍晋三の答弁は内容によってではなく、「ほぼ8日間、一週間ちょっとでつくり上げた」作成時間の短さを基準としてその価値を決める(=貶める)素晴らしい認識能力を示している。
テストで回答の正誤によってではなく、早い時間で書き上げて教室を出て行った生徒にではなく、時間ギリギリで書き上げた生徒に100点満点を与えるようなものである。
石原慎太郎の質問の最初は、20前後で結婚したものの、早くに夫を戦死させてしまい、子どもを育て、親の面倒を見て戦後の日本を生きてきた90歳を超えた老婦人が、その生きてきた戦後の日本を顧みて、醜い国になった、夫はこのような醜い国になるために尊い命を捧げたわけではないのに惜しいことだと悔やんでいる様子を老婦人作の和歌を通して紹介、石原自身も、「国民の多くは、残念ながら我欲に走っている」と、戦後日本の日本国民の在り様を批判している。戦後日本国民の在り様の否定である。
この両者の戦後日本の日本国民の在り様に対する認識を裏返すと、戦前日本の日本国民の在り様は醜いところは一切無く、当然我欲にも走らず、お国のために一途に尽くしたという歴史認識となる。
このような歴史認識で戦後日本から戦前日本を振り返ることによって、そこに戦前の体制・戦前の状態に戻そうと願望する復古主義を介在させることになる。
安倍晋三にしても戦後否定・戦前肯定の復古主義を抱えているから、精神的な意味ではなく、物理的な意味で、「(国を)命を投げうってでも守ろうとする人がいない限り、国家は成り立ちません。その人の歩みを顕彰することを国家が放棄したら、誰が国のために汗や血を流すかということです」という戦前日本に於ける戦争賛美の発言が出てくる。
占領軍が作った憲法だからとする現憲法否定は安倍晋三も同じだが、石原慎太郎自身も、「この国を今日の混乱あるいは退廃に導いた一つの大きな大きな原因である現行の憲法」だと、あるいは「かつて勝者がつくって一方的に押しつけた憲法」だと断じて日本国憲法を全面否定している。
老婦人は「かくまでも醜き国になりたれば」と戦後日本を否定し、石原慎太郎は「本当に強い共感を持ってこの歌を聞いたんですが、国民の多くは、残念ながら我欲に走っている」と、老婦人の和歌を借用することで自らの戦後否定が自分一人だけが抱いている歴史認識ではないと思わせる補強のレトリックを用いている。
そもそもからして戦前日本国民の在り様と対比して戦後日本国民の在り様を醜い、我欲に走っているとする石原慎太郎自身の歴史認識自体が、90歳を超えた老婦人の歴史認識もと言うことになるが、客観的正当性を全く欠いた錯誤によって成り立っていることに気づいていない。
以下、このことを証明するが、90歳を超えた老婦人という一個人なら、それ程の影響の広がりを見せないだろうが、国の代表的な政治家の一人が客観的正当性を全く欠いた錯誤で成り立たせた自身の歴史認識を情報発信するだけではなく、90歳を超えた老婦人の生き様を自身の歴史認識の補強に用いて情報発信した場合、補強が他人を信じさせる事実らしさを装うことになって、戦前日本肯定と戦後日本否定の歴史認識は当然、影響の危険度が増す。
以下の証明は殆ど、既にブログに用いた情報である。
1998年放送のNHKテレビ『敗戦、そのとき日本人は』は、「本土決戦に備えて蓄えられていた軍需物資はアメリカ軍の調査によれば、全部で2400億円にのぼる。敗戦と同時に放出された軍需物資をめぐる不正は内務省に報告されている。軍やその関係者が物資を隠匿・流用していた。東京の陸軍の工場では、ダイヤモンドが2億4000万円程度紛失した。滋賀県では、特攻隊員が特攻機に物資を満載し、自宅に運んだあと、機体を焼却。不正に流失した軍需物資は闇市に溢れた。・・・・」――
戦後蔓延した日本人の反社会的行動の原因をアメリカナイズされたと、流入アメリカ文化に帰す風潮が横行したが、軍需物資の隠匿・流用は終戦と同時に発生したのであって、連合軍が日本に進駐する前、アメリカナイズされる暇もないうちの出来事である。
さらに言うと、占領時代に占領軍が作ったとしている現「日本国憲法」の精神が日本人の精神に及ぶはずもない時代の日本人の問題である。
人間は変わる。戦争しているときは国のために戦ったとしても、生き残った者にしたら、敗戦によって戦争中の“国のために”は無意味化したことになり、破壊された国土と経済の中でどう生きていくかと考えたとき、手っ取り早く部隊に残された軍需物資を以後の生活の足しにと考えたとしても不思議はない。
勿論、こういった不心得な軍人は一部だろう。だが、戦後日本に於いても、醜い行為に走る者、我欲に走る者はごく一部であるはずだ。
危険なのはこういった行為に走る一部の日本人ではなく、一部の行為を以って戦後日本と戦後日本人の在り様を否定し、翻って戦前日本と戦前日本人を肯定する復古的思想・復古的歴史認識こそ、より危険であるはずである。
現在の民主主義が許す限り、あるいはその民主主義をかい潜って、戦前の日本の体制に戻そうとする矛盾した行動性を抱えていることになるからだ。
軍人が残された軍物資の隠匿・流用等の「かくも醜き」「我欲」(反軍行為・反社会的行為)に走ったのは何も終戦間際ばかりではなく、戦争中も存在した。
そのことはR・ベネディクト著『菊と刀』が取り上げている。
〈俘虜たちは彼らの現地指揮官、とくに部下の兵士たちと危険と苦難とをともにしなかった連中を口をきわめて罵った。彼らは特に、最後まで戦っている令下部隊を置去りにして、飛行機で引きあげていった指揮官たちを非難した。〉――
捕虜の複数証言である。大日本帝国軍隊は天皇の軍隊という絶対的存在性を背景に国民に対して絶対的権力者の地位にあった。そして軍の組織に於いても軍上層部はその命令を忠実に受命させることを通して兵士に天皇への絶対的忠誠を求める絶対的権威主義の上下関係を構成することで上官自らを絶対的存在としていた。
当然、指揮官の目の前では批判することができなかったが、捕虜となって指揮の呪縛から逃れることができてから、激しく批判することができた兵士も問題だが、絶対的上下関係を利用して自己保身から満足に戦闘に参加しなかった指揮官、部下を残して敵前逃亡を謀った指揮官たちの「かくも醜き」姿・「我欲」に満ちた存在は戦後の専売特許ではなく、戦前の専売特許でもあったことを証明している。
日本軍が国民に対して持つ絶対的権力者の地位を利用して、民間人を伴って敗走中、足手纏いだからと幼い子供を殺して自分たちの命だけを守ろうとしたのは「かくも醜き」「我欲」そのものの姿と言うことができる。
また、彼ら日本軍の上官たちにしても、戦後の「日本国憲法」の精神の影響は受けていない。
《比で敗走中の旧日本軍 日本人の子21人殺害》(朝日新聞/1993年8月14日)
第二次大戦末期の1945年にフィリッピン中部セブ島で、旧日本軍部隊が敗走中、同行していた日本の民間人の子ども少なくとも21人を足手纏いになるとして虐殺した。
フィリッピン国立公文書館保存の太平洋米軍司令部戦争犯罪局による終戦直後の調査記録に記載されているという。
虐殺は南方軍直属の野戦貨物廠(しょう)の部隊によって1945年4月15日頃にセブ市に近いティエンサンと5月26日頃、その北方の山間部で二度に亘って行われた。
1回目は10歳以下の子ども11人が対象、兵士が野営近くの洞穴に子どもだけを集め、毒物を混ぜたミルクを飲ませて殺し、遺体を付近に埋めた。
2回目は対象を13歳以下に引き上げ、さらに10人以上を毒物と銃剣によって殺した。
部隊司令官らの供述「子どもたちに泣き声を上げられたりすると敵に所在地を知られるため」
犠牲者の母親「子どもを殺せとの命令に、とっさに子どもを隠そうとしたが間に合わなかった。(指揮官を)殺してほしい」――
これが天皇陛下の軍隊の一つの姿でもある。
沖縄戦末期には日本軍は沖縄住民に対して集団自決を強いているが、これも軍による国民に対して持つ絶対的権力者の地位利用からの住民生命の軽視であり、住民の生命軽視の上に成り立たせようとした自己保身・自己生命尊重であろう。
これを「かくも醜き」「我欲」と言わずに、どう表現することができるだろうか。
「かくも醜き」「我欲」の姿は何も戦前日本の軍人ばかりではない。
アインシュタインが来日、各地の日本講演旅行を通して得た日本人の性格を、個人主義的ではなく、非個性的だが、家族の絆を大切にし、共同体と国家に対して誇りを持っていると、その美徳を高く評価した1922年(大正11年)前後の日本人の姿、その在り様を1976年初版の『日本疑獄史』(森川哲郎・三一書房)の最後に記載されている「日本疑獄史年表」からざっと眺めてみる。
1918(大正7)年――「八幡製鉄所事件」
八幡製鉄と政界をめぐる汚職。押川所長が自殺。
1920(大正9)年――「東京砂利ガス疑獄」
市会議員、業者をめぐる大汚職で67名が連座。
1921(大正10)年――「満鉄疑獄」
満州鉄道会社をめぐる疑獄事件。中西満鉄副総裁が罪に問われる。
1921(大正10)年――「阿片密売事件」
植民地に於ける阿片密売に関して汚職事件が発生。世論騒然となる。
1924(大正13)年――「帝都復興院疑獄」
関東震災後の東京復興計画を巡って汚職事件が発生、十河信二氏らが疑いを受ける。
1925(大正14)年――「松島遊郭事件」
遊郭移転問題に関して汚職が発生。箕浦元逓相、岩崎政友会幹事長その他が連座。
日本軍が関わった疑獄では、アインシュタイン来日9年前の1913(大正2)年、ドイツ・シーメンス商会と日本海軍高官を巻き込んだ艦船その他受注獲得を巡る汚職事件、「シーメンス事件」が発覚している。シーメンス日本人社員が自殺と書いてある。
1926(大正15)年にはシベリア出兵の際の略奪した金塊その他を巡る陸軍省機密費の不正横領事件である「陸軍省機密事件」が発生している。
石田検事が怪死。
皆、戦後の「日本国憲法」の精神とは無関係の時代に生きた政・官・財・軍の生き様の数々である。
こう見てくると、戦前日本及び戦前日本人の在り様肯定と戦後日本及び戦後日本人の在り様否定に当たる90歳を超えた老婦人の戦後日本と戦後日本人に対する「かくも醜き国」と見做す歴史認識、石原慎太郎の同じ対象に対する「我欲に走っている」とする歴史認識を客観的正当性を全く欠いた錯誤だと断じたことの間違いのないことが分かる。
ましてや、石原慎太郎が戦後日本及び戦後日本人の在り様否定の根拠を、「この国を今日の混乱あるいは退廃に導いた一つの大きな大きな原因」として「現行の憲法」に置いている、あるいは「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶」だと「占領憲法」を価値づけていることの客観的錯誤は底なしと言わざるを得ない。
かくかように戦後日本否定・戦後日本人の在り様否定と戦前日本肯定・戦前日本人の在り様肯定の、戦前の日本を取り戻すことを願望とした誤った歴史認識の持ち主を、いくら議員の経歴が豊かであっても、いや、豊かであるからこそ、他への影響の大きさからしても、政界再編の一員に加えることの危険性は理解できるはずである。
橋下徹の場合は、「新しい政党を作ることになれば、国会議員が中心になる」(YOMIURI ONLINE)と自身は参加しないことを表明しているから問題はないが、石原慎太郎及び同じ穴のムジナの位置を占めている旧太陽系議員だけは排除すべきだろう。
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