諫早湾訴訟、国上告断念から見る菅首相、農業従事者、漁業従事者三者三様の利害

2010-12-16 09:10:40 | Weblog

 長崎県の諫早湾の干拓事業を巡る裁判の2審は堤防の排水門を5年間開けるよう国に命じる判決となった。閉門による赤潮の発生とアサリ、 カキ、ノリの漁獲高が減少する被害が出ているということだから、試しに5年間の開門を命じたということなのだろう。

 対して国代表たる菅首相が15日(2010年12月)午前、上告断念を表明。

 昨夜のNHKニュースで漁業者の判決を歓迎する姿を伝えていた。当然の歓迎であろう。人間は利害の生き物であり、その最大の利害が自身の生活なのだから。生活にはそれを成り立たせる自らの仕事、職業も入る。開門は漁業者の利害に合致すると言うわけである。

 だが、一方でゲート内の干拓地で農業を営む農業従事者の困惑の声を伝えていた。潮受堤防内側の淡水化された調整池が開門によって塩水化し、農業用水として使えなくなること、潮風による農作物への塩害などを心配していた。20億円近い資金をかけてビニールハウスを何棟も建てた農業従事者や5、6千万円を投資して農地その他の施設を整備し、利益を上げるのはこれからだと言っていた農業従事者は開門を自らの利害に反することとし、塩害対策等を立ててから開門の決定を行うならいいがと言い、立てないうちの決定に不満を述べていた。

 当初から農業従事者と漁業従事者の利害が相反し、対立していた。2審判決は漁業従事者の利害に添う形を取り、このことが農業従事者の利害・生活にどう影響するか。心配している通りの利害に反する結果を招くのかどうか。

 諫早湾は有明海のほんの一部を形成しているにも関わらず、堤防で閉じたことによって有明海全体の海水の環境が変化したと言う。「Wikipedia」によると諫早湾に注ぐ〈主な流入河川は延長21kmの本明川が湾奥部に注ぐ他、田古里川、船津川、境川、深海川、二反田川、有明川、西郷川、神代川、土黒川などがある。有明海では大規模な河川が少ない地域である。〉と説明しているが、例え有明海では小規模な流出水量の河水であっても、その積み重ねが他の要因と共に加わって何百年、あるいは千年近いスパンで有明海、及び有明海口近辺の環境は形成されているのだろうから、小規模の流出河水であっても、一旦滞留すると環境変化の影響を受けるのかもしれない。

 また諫早湾内から湾外に吹く風と有明海側から湾内に向けて吹くそれぞれの風が堤防に遮られて、風の流ればかりか上昇気流にも変化が生じて、そのことが潮流に微妙に二次影響を与え、潮流に悪影響を与えているということもあるのかもしれない。

 だとしたら、堤防を閉じたままでも、何百年、あるいは千年近いスパンで有明海の環境は堤防を閉じた状態に合致する良好な環境へと変化していく可能性も考えることができる。

 何百年、あるいは千年も待てないと言うだろうが、長崎や広島への原爆投下後、放射能の汚染が最も重症な地域には70年間は草木一本も生えないのではないのかと言われたそうだが、その夏のうちに焼け野原から草木が生え始めたという事実からすると、もっと早い期間内に堤防が閉じた状態に適合した環境が自然の力によって整えられていく可能性も否定できない。

 いずれにしても人間が環境の生き物であるように自然もそれぞれの環境の変化に従って、変化に適合した新たな自然を形成していく可能性を常に秘めているはずである。

 だが、この可能性は今生きている生活者の切実な利害の切実な損得に応えてはくれない。

 干拓地の農業従事者の利害を代弁する立場から開門に反対姿勢の中村長崎県知事が菅首相の上告断念を説明するために面会を求めていた鹿野農水相の面会要請を拒否した。《長崎県知事 農相との面談拒否》NHK/2010年12月15日 18時42分)

 中村知事「まずは地元に十分な説明があってしかるべきだと思うが、これまで一切、相談や報告がなく、テレビの報道で初めてその方針を知った。大変遺憾で残念だ。一方的に結論を出し、結論に至った経緯を説明するというのは手順が違うのではないか。これまでも地元の思いは十分にお伝えしてきたが、伝わっていなかった。われわれとしてはお会いすることはできないとお伝えした」――

 長崎県に何の連絡もなかった菅首相の上告断念は一方的独断だとし、利害の大きな隔絶を突きつけている。対して菅首相は同じ昨15日の記者会見で発言している。記事題名は小沢元代表の政倫審招致問題となっているが、諫早湾訴訟に関連した箇所を抜粋引用。

 《政倫審「最終的に場面がくれば判断する」15日の菅首相》asahi.com/2010年12月15日20時17分)

 ――諫早湾の開門訴訟で、総理の上告見送りの表明を受け、佐賀県知事が評価する一方で、長崎県の中村知事が「地元に前もって一切話がない」と強く批判しています。地元の対応が分かれている中、難しい判断を迫られていたと思うが、どのように理解を求めていくつもりでしょうか。今後の開門に対する補償を検討する考えはありますか。

 菅首相「私、1997年のギロチン以来ですね、現地に何度も足を運び、いろんなみなさんから状況を聞いていましたし。また、構造もたぶん、国会議員の中でもよく知っている中の1人だと思っています。そういう意味で、今回の高裁判決に対して、上告はしないという判断をしました。今日午前中にもみなさんの前でそのことは伝えました。同時に、現在、営農している人に悪影響がないように、きちんとするよう指示をしました」

 ――諫早湾干拓は当時大型公共工事として問題になりましたが、無駄な大型公共工事に対して反対していくという姿勢が、上告しないとの総理の決定要因になっていますか。

 菅首相「この諫早干拓事業というのは、いろんな意味で象徴的な事業です。農水省にとっては確か、最後の国営干拓事業ではなかったでしょうか。そういう意味で当時からですね、いろいろ議論があった中で今日まで、事実上の工事は終わっているわけですね。そういうなかで私は歴史的には反省があってもいいんじゃないかと、こう思っています」

 菅首相の上告断念は漁業従事者の利害に応え、農業従事者の利害に違背する措置であった。当然、農業従事者の利害違背に対して救済措置が必要となる。いわば農業従事者と漁業従事者の可能な限りの利害一致に向けた政策措置である。

 それが「現在、営農している人に悪影響がないように、きちんとするよう指示をしました」の発言に現れている。だが、「現地に何度も足を運び、いろんなみなさんから状況を聞」き、「構造もたぶん、国会議員の中でもよく知っている中の1人」と自負するからには農業従事者の利害に悪影響を与えない方法を自分の頭で何らか考えていなければならないことになる。

 何らかを考えていて、農業従事者の利害違背の救済に何らかの成算があったからこそ、上告断念を決めることができたはずだ。

 何も考えず、何の成算もなく上告断念を決めて、「営農している人に悪影響がないように、きちんとするよう指示をしました」では解決方法の無責任な丸投げとなるばかりか、利害救済の何らかの成算もなく上告断念を決めたことになる。

 このことの証明を上告断念の理由を「私は歴史的には反省があってもいいんじゃないか」と“歴史的な反省”に置いていることと、「この諫早干拓事業というのは、いろんな意味で象徴的な事業です」と“象徴的な事業”としていることから示すことができる。

 菅首相はムダなハコモノの象徴と位置づけたかもしれないが、諫早湾干拓事業、潮受堤防の設置は現地の生活者にとっては利害を異にするとは言え、双方にとって共に「象徴的な事業」でも何でもなく、生活の一部に切実に直属した環境そのものであり、生活の利害に決定的な影響を与える環境――生活環境となっているはずである。

 もしそう受け止めずに政治的な意味合いでのみ把握していたとしたら、国民目線に立たない解釈、国民の生活感覚を何ら理解しない解釈となる。

 事実国民目線に立たない、国民の生活感覚を何ら理解しない認識で把握していたから、「象徴的な事業」と価値づけ、農業従事者の利害を失念させて、漁業従事者側の利害にのみに立った“歴史的な反省”に上告断念の理由を置くことができたのだろう。「営農している人に悪影響」を与えない「指示」が自身では何の考えもない丸投げなのが明白となる。

 上告断念が漁業従事者と農業従事者の相反する利害を逆転させる措置となる以上、上告断念による農業従事者の利害違背をどう調整するかが今後の課題でありながら、その課題を丸投げということなら、上告断念決定に於ける菅首相自身の利害は支持率上昇、政権浮揚の利害しか残されていないことになる。

 2001年5月、ハンセン病国家賠償訴訟で熊本地裁は国のハンセン病政策の誤りと判決、当時の小泉首相は控訴断念の決定を下した。この断念によって小泉内閣支持率は朝日新聞の2001年5月26.27日の世論調査でご祝儀相場が一般的の内閣発足直後の前回調査の78%から下がらずに、一挙に84%に急上昇している。

 この2匹目のドジョウを狙った上告断念の疑いは次の発言がより証明してくれる。《首相、諫早湾訴訟の上告断念を表明 「高裁判断重い」》asahi.com//2010年12月15日11時17分)

 菅首相「私に最終判断してほしいという話があった。私自身もギロチンと呼ばれた(閉門)工事の時以来、現地に何度も足を運んだ」

 農業従事者、漁業従事者の利害・生活が切実に絡んでいる問題である。開門を死活問題と考えている農業従事者も存在するに違いない。それを「私に最終判断してほしいという話があった」、「何度も足を運んだ」と自分を売る言葉を並べている。しかも「ギロチン」なる言葉は漁業従事者側の利害が言わせた言葉であって、「何度も足を運んだ」は漁業従事者側の利害に立った訪問であり、その当時のままの認識から離れられないでいることを証明する発言と言える。

 いわば双方の利害に中立的な立場からの決定でもなく、そうであることからすると、「営農している人に悪影響」を与えない「指示」も丸投げと言うだけではなく、誠意から出たものではない義務的な指示の疑いさえ出てくる。

 所詮、支持率上昇、政権浮揚を狙って自分を売ることを自らの利害とした上告断念だったからだろう。昨12月15日に書いたツイッター。

《菅首相、諫早湾訴訟の上告断念を表明 「高裁判断重い」》 「私に最終判断してほしいという話があった」とか、「私自身もギロチンと呼ばれた(閉門)工事の時以来、現地に何度も足を運んだ」等の自分を売り込む発言を聞くと、人気取りの決定に見えてくる。〉


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