製造・販売元「麻生」製九州新幹線パネル剥離・脱落は「自公政権剥離・脱落」の予兆か

2008-10-27 06:10:35 | Weblog


 麻生が今問われているのは高級料亭や高級ナイトクラブと比較した「ホテルは安全で安い」という金銭感覚ではなく、一般国民の生活感を真に実感できるか否かの政治的想像性であろう。

 麻生首相が1979年に衆議院に初当選して政界に転出するまで社長を務めていた「麻生セメント」の後身、麻生首相の弟が社長となっている「麻生」製造・販売の建設パネル資材「ASフォームI型」が九州新幹線の橋脚と橋桁の間の「埋込み型枠材」として使用されたものの、部分開業前から剥離・脱落する問題が生じていたという。

 同じパネルは下水処理場の貯水池やプールの底などにも使用されているということだが、パネルが浮き上がったり剥がれたりする不具合が相次いでいて「麻生」は02年、この型枠の販売を取り止めたと「河北新報」インターネット記事に出ている。

 いわば製品そのものに欠陥があった、欠陥製品だったと言うことなのだろう。
だが、「西日本新聞」インターネット記事は、部分開業前の監査と検査の際に15カ所で橋げたのコンクリートとパネル材にすき間ができているのが見つかって、樹脂を注入するなどして補修したが、工事発注元の鉄道・運輸機構(旧日本鉄道建設公団)はパネル材に欠陥があったことは知らされていなくて、「建設会社の施工に問題があったと認識していた」と伝えている。

 工事発注元の鉄道・運輸機構は製品そのものが欠陥製品だったと知らされず、施工業者の施工ミスが招いた剥離・脱落だとばかり思っていた。――

 鉄道・運輸機構の話を事実とするなら、「麻生」の側が欠陥製品であることを隠していたことになる。

 欠陥製品と分かったからだろう(既に分かっていたが、安全性に問題はないからと隠していたということはないと思うが、そういった隠蔽がいくらでも横行しているからつい疑ってしまう)、鉄道・運輸機構は東北新幹線や建設中の北陸新幹線の高架橋を多分設計図上で調査、同じパネルが計57カ所の高架橋等で使用されていることが判明したと「毎日jp」が伝えている。<同機構は維持管理しているJR各社などとも協力し、早急に点検を行い、はく離が確認されれば直ちに補修を行うとしている。>(同「毎日jp」)――

 北九州新幹線工事では現在延長工事中の新八代―博多間には使われていないというのは、製品の欠陥に対応した措置に違いない。
株式会社「麻生」自身も欠陥製品だと認めているとする記事を「日経ネット」が伝えている。

 <麻生は「すき間ができる可能性のあるパネルだった」と欠陥を認め、「出荷したまま対策を取っていないパネルが一部残っている。責任を持って補修などの対応をする」と説明している。>――

 「出荷したまま対策を取っていないパネル」とは欠陥隠しによって生じた無対策なのは明らかである。

 官民関係なしの偽装行為や不正行為の隠蔽が跡を絶たないが、かつては自身が社長であり、現在は弟が経営する血縁関係にある――いわば首相を出している会社であり、一族経営の関係にあるのだから、そういった名誉・事実関係の手前、欠陥製品の隠蔽などできないぞといったプライドがクスリとはならなかった欠陥の隠蔽だったということなのだろうか。
 
 この“プライド”なるものは麻生首相自身には逆の方向――プライドをプライドとする方向に働いているようだ。

 麻生首相が毎晩のようにホテルで食事し、ホテルのバーでアルコールを嗜んでいる生活態度が庶民感覚から離れているとマスコミ及び世論の批判を浴びているが、麻生首相の方は批判をものともせずにムキになってまでして「ホテルは安全で安い」の一点張りで自らの生活スタイルを自己弁護し、自己正当性を押し通すプライドの高さを示している。

 「ホテルのバーっていうのは、別にどなたも来ていますから。高いというイメージは少し違う。普通にどなたでも来ている」(「asahi.com」)

 10月24日の「中央日報」≪ホテルのバーなど「ハシゴ酒」…麻生首相≫は麻生首相と記者たちの次のような遣り取りを伝えている。
記者(首相官邸のぶら下がり記者会見で)「一晩数万円もする高級飲食店やバーなどを飲み歩くのは庶民感覚からかけ離れているのでは」

麻生首相「庶民という言葉を繰り返すが、私が考えるには、そうした庶民が最も多い所がホテルだ」

 (果してスーパーに自ら買い物籠を下げて値段の安い物、安い物を手に入れようとしている「庶民」が帝国ホテルといった一流ホテルに毎晩のように出入りして食事とアルコールを愉しむだろうか。いや、愉しめるだろうか。)

記者「(毎晩高級飲食店を出入りすることについて)批判があるという点をどう思うか」

麻生首相「ホテルのバーっていうのは安全で安いところだという意識が僕にはある。だけど、例えば安いとこ行ったとしよう。周りに記者と警察官が集まり(オーナーから)営業妨害って言われたら何て答える?聞いてんだよ。答えろよ」
記者「政治献金や政党への支援金は高級な食事のために提供されたものではない」

麻生首相「幸い僕にはお金がある。僕のお金を支払って食べている」――

 マスコミが何と攻めようと、麻生首相の自分の生活スタイルにかけるプライドは些かも揺るがない。

  同「中央日報」は記事の最後に次のように書き留めている。< 業務が終われば即刻直行した後、2、3次会までに次から次へと場所を替えて飲み歩いた後、平均夜11時ごろ帰宅する。麻生首相とともに夕食を取った一部若手議員は「対話の99%が日常の雑談(馬鹿話)だ」と話した。そのため日本では「金融危機で多くの国民が厳しい状況にあるのに、首相が現実をあまりにも知らないのでは」と批判する声があがっている。>――

 マスコミや世論の執拗な批判にも関わらず、かくまでも自らの生活スタイルに拘る。ホテルでの毎晩のような食事、そしてホテルのバーでの飲酒、葉巻の煙をくゆらし、上唇を斜め上に曲げて得意気に話す例の表情等々に誰が何と言おうと固守する姿勢は自らのプライドを賭けているとしか思えない。

 建設パネル資材「ASフォームI型」が欠陥製品だということを隠した「麻生」のプライドのなさから比較した何と見事な麻生首相の誇り高いプライドだろうか。

 確かに高級料亭や高級ナイトクラブと比較した場合、「ホテルは安全で安い」に違いない。料亭やナイトクラブといった酒席には不明朗会計の所もあると聞くが、ホテルはより明朗会計で、結果的にかなり安くつくといったこともあるだろう。

 だが、「周囲から、物価高や品切れの話、値段が同じだが品物の量が減っているという話を聞いて関心があった」と昼間スーパーを視察し、ついでにJR高田馬場駅前の客待ちタクシーの運転手から売上げ具合を尋ねたのは、昨今の物価高、給与の目減り現象が国民の生活にどう深刻に影響しているか一般国民の“生活実感”を知るためだったはずである。

 自らが出演する自民党宣伝のテレビコマーシャルにしても国民の生活実感を掬(すく)い上げた訴えとなっている。

 「麻生太郎です。
 この1年全国をまわり、
 景気や暮らしの不安を肌で感じてきました。
 今こそ、皆さんの思いを政策に生かすとき、
 私はやり抜く。自民党」
――

 もう一つは

 「麻生太郎です。
 
 景気への不安、暮らしの不安を払拭するため、
 景気対策の補正予算成立に全力を注ぎました。
 そして次の対策へ。
 世界規模の金融危機から、
 日本の経済を、
 国民の生活を守るため、
 さらなる景気対策を進めます。
 
 (別人)具体策に応える自民党」
――

 麻生太郎はホテルで食事しようがホテルのバーでブランデーをどう飲もうが国民の暮らしを守りさえすればいいじゃないか、日本の経済を回復しさえすればいいじゃないかと思っているだろうが、当記事冒頭に書いたように麻生が今問われているのは高級料亭や高級ナイトクラブと比較した「ホテルは安全で安い」といった金銭感覚ではなく、「不安を抱えて生きるのは何よりも辛い」「景気への不安、暮らしの不安」といった一般国民が抱えている生活実感をストレートに実感する、あるいは実感できる政治的想像性であろう。

 この政治的想像性を欠いていたなら、テレビコマーシャルで何と言おうと、あるいは国会答弁や記者会見で何をどう喋ろうと、実感もしていないことを喋るだけのこととなって、さも立派な言葉を並べ立てただけ、口先だけの奇麗事で終わる。

 人間は往々にして大きな病気をしてから健康の有難味を知るように、病気による日常動作の不便を実感して健康がどんなに大切なことなのかを知る。あるいは病気が癒え、健康な身体に戻って改めて身体の健康を実感し、健康であることの素晴らしさを知る。

 だが、他者の喜怒哀楽の感覚を実感できるかどうかは想像性にかかっている。病気で苦しんでいる人間の苦しみを同等の苦しみで実感するには相当な想像力を必要とするだろう。

 生活苦に喘いでいる、あるいは生活の不安を抱えている者の苦しみ、不安を同等の苦しみ、同等の不安で実感するにも、同じように相当な想像力を必要とするはずである。

 それが政治家の立場から実感するとしたら、政治的想像性を欠かすわけにはいかなくなる。

 だが、ホテルでの食事、ホテルでの飲酒を「ホテルは安全で安い」という金銭感覚のみで把えて自らの生活スタイルを固守しようとするプライドからは国民の生活の不安を実感する政治的想像性を窺うことができない。

 国民の生活実感をストレートに実感できる政治的想像性に欠いた総理大臣だとしたら麻生首相の政治性そのものが欠陥製品だということになる。

 欠いていなかったなら、国民の生活不安は既に新聞・テレビが様々な統計をも付け加えて広く伝えていることなのだから、政治的想像性を働かせて実感すれば済むことで、ことさらスーパーを視察することも客待ちタクシーの運転手に売上げがどうだといったことを聞く必要もなかっただろう。

 麻生首相の政治的想像性が国民の生活実感を真に実感できない欠陥製品であるにも関わらず、自民党宣伝のテレビコマーシャルで「この1年全国をまわり、景気や暮らしの不安を肌で感じてきました」とさも国民の生活感を実感しているかのようなことを宣伝するのは意図していようが意図していまいが、欠陥隠しそのものに当たる。

 麻生首相の政治性も 「麻生」製造・販売の建設パネル資材「ASフォームI型」も共に欠陥製品となっている。そしてそれぞれの欠陥を共に隠す欠陥隠しを共に行っている。

 この忠実なまでの対応関係からしたら、北九州新幹線の橋脚に工事・施工した「麻生」製造・販売の建設パネル資材「ASフォームI型」の剥離・脱落が麻生首相を首班とする自民党・公明党の政権からの剥離・離脱を答とする対応まで進む忠実性を示したとしても不思議はない。

 二度あることは三度あると世間では言われている。

 いわば建設パネル資材の剥離・脱落は自公政権剥離・脱落の予兆ではないかということである。

 欠陥製品だと知らずに多くの有権者が首相にふさわしい政治家として麻生を選んでいる。

コメント (1)
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