珍しくもない「所得隠し」事件なのだが、大企業とか有名人がやらかすと、マスコミの格好のネタとなる。今回は落語家9代目林家正蔵こと、元「林家こぶ平」のご登場と言うことになった。「読売新聞」のインターネット記事。
<落語家でタレントの林家正蔵氏(44)(本名・海老名泰孝)が2005年、九代目「正蔵」を襲名した際、支援者らからもらった祝儀の一部を税務申告せず、約2400万円の所得隠しを東京国税局から指摘されていたことが分かった。
このほか単純な経理ミスなどもあり、所得隠しを含む申告漏れの総額は同年までの3年間で約1億2000万円に上り、重加算税を含め所得税など約4200万円を追徴課税された。>(≪林家正蔵氏、襲名時祝儀など2400万所得隠し…国税指摘)07.4.16/ 14:45/)――
昨16日(07年4月)の夕方6時ごろからのTBS・イブニングニュースが羽田空港から成田線の駅へなのか、向かう林家正蔵を摑まえてぶら下がりインタビューを(と言うよりも、付き纏いインタビューと言うべきかな?)行った模様を伝えていた。
「当時の税務申告はどうなっていたのか」と言う男性記者の質問に、林家正蔵「当時色々とバタバタと、襲名披露のこととか、ネタのこととか、ご挨拶回りで、あまり詳しくタッチしていないので――」
記者「襲名披露パーティ等でですね、あの、その受け取った、あの祝儀(しゅうぎぃ)――」
林家正蔵「それも、スタッフの者がやってて、当時人数が少なかったので、私個人の、あまりに、存じ上げていないんですよ」
記者「あのー一言だけ。まあ、あの、応援されている方も多いと思うんですけども、その方たちに、まあ――」
林家正蔵「2005年のことで、今どうしてこう・・・、お話・・・。全部済んでいることなんで・・・。ご心配おかけしました、ハイ」
男性解説「正蔵さんの税理士は見解の相違があったが、修正申告した。祝儀袋は意図的に隠したものではないとのコメントしています」――
「あまり詳しくタッチしていないので――」と言うことは、取りあえずは「タッチしてい」たということになる。
同「読売」インターネット記事は、<関係者によると、パーティーや興行では、出席者や支援者から祝儀が贈られるのがならわしで、1人から数百万円もらうこともあったという。芸能人などがもらう祝儀は「事業所得」にあたり、申告しなければならないが、林家氏側は、パーティーの欠席者からあとで届けられた祝儀を隠していたほか、各地の興行でもらった祝儀のほとんどを申告しなかった。祝儀袋をその場で捨てたり、自宅に保管したりしており、同国税局から悪質な所得隠しと認定されたという。>
そして<事務所は家族で運営してい>て、<林家氏の事務所は取材に対し、「単純なミスで収入に漏れが生じたが、意図的な所得隠しはなかった。税務当局と見解の相違はあったが、修正申告は済ませた」としている。>と報じている。
「税務当局と見解の相違」と「修正申告は済ませた」は所得隠しした者の常套句となっている。いわば意図的な所得隠しではなく、経理操作に於ける「見解の相違」が生じせしめた「単純なミス」からの税漏れであり、「修正申告」によって既に問題解決した。もはや残された問題はないのだから、晴天白日なのだということなのだろう。
だが、そういった意図に反して、東京新聞のインターネット記事(2007年4月16日 夕刊/東京新聞)は、<このうち、申告しなかった祝儀の一部を含む約二千二百万円については、仮装隠ぺいを伴う悪質な経理処理(いわゆる所得隠し)に課される重加算税の対象と認定されたもようだ。>と伝えている。
この記事から窺えることは、国税当局の言う「所得隠し」とは、計画的意図的行為を指していて、決して「見解の相違」で生じるような簡単な事柄ではないと言うことであり、所得隠しした者が言う「見解の相違」とは、松岡農水相の事務所経費を「適切に公開している」と同じく、本人が言っているだけのことということになる。
そのことは「日テレ24」のインターネット記事(24/4/16 15:36)が証明している。<自宅の地下倉庫からは、05年の襲名披露の際に受け取った祝儀袋が大量に見つかった。>
「地下倉庫」という特別な場所自体が計画性と意図性を窺わせて余りあるが、「大量に見つかった」と言うことは、本人がありましたと自分から申し出るわけはないだろうから、国税側も単なる税務調査ではなく、手を入れた、家宅捜索したということだろう。国税当局側か「見解の相違」と受け取られかねない程度のことで家宅捜索までしないに違いない。このことからも、「見解の相違」は本人が言っているだけのことということになる。
今朝の「朝日」(≪1億2000万円申告漏れ「どーもすみません」≫/07.4.17)の最後に<取材に応じた正蔵さんは「父の代からお金のことは大まかでいいという部分があった。昔ながらの体質でやってきたことはよくなかった。家族みんなで反省し、今後はきちんとしていきたい」と話している。>と出ているが、これも言い逃れに過ぎない。税理士までついているのである、「お金のことは大まかでいい」から、納める税金まで「大まかでいいという」ことには決してならない。いわゆる〝税金〟を普段生活や遊興に使う「お金」と混同させる巧妙な〝粉飾〟を行って、自己正当化を図っている。
「家族みんなで反省し、今後はきちんとしていきたい」と言っているが、読売記事の<事務所は家族で運営してい>るという報道を考え併せると、会社ぐるみならぬ、〝家族ぐるみ〟の意図的な所得隠し(「仮装隠ぺいを伴う悪質な経理処理」/東京新聞)と疑えないこともない。
記憶と言う点では、既に言ったことで、まあ、よくあることだし、「修正申告は済ませた」のだから、そのうちほとぼりが冷めて忘れられていくだろうが、正蔵こと元「こぶ平」が「父の代から」と父親の林家三平の性格が影響した家の「体質」を持ち出している。とすると、エッセイストとであり、その関係からだろう、「教育再生会議有識者」に名前を連ねている母親である海老名香葉子の普段から世間に発しているに違いない立派な主義・主張は家の「体質」づくりに何ら影響はなかったということなのだろうか。
<事務所は家族で運営してい>るというものの、母親がその「運営」に関わっていたかどうかは不明だが、関わっていたとしたなら、世間に向けた顔とは別の顔を隠していたことになって、エッセイストとであり、「教育再生会議有識者」のメンバーの一人という点から、非常にまずいことになる。いや、彼女が置かれている立場から考えて、「運営」に関わっていたなどという世間に対する裏切り行為は決してなかったに違いない。
それでも、エッセイスト・「教育再生会議有識者」という点から、44歳という分別を十二分に弁えていていい年齢の息子の現在の生き方にいい方向に影響があっていい母親の存在性に反する事態だと言う問題は残る。
いわば、所得隠しに関わっていたとして、関わっていなかったとしても、彼女が世間に発している情報(=主義・主張)の有効性に避けがたく関わってくる。
昨06年の12月11日に『ガキ大将の役割に見るいじめ理論の非合理性』なる記事を当ブログに載せたが、その中で発したエッセイスト・「教育再生会議有識者」の海老名香葉子の主張から、その言葉の有効性を改めて検証しなければならない。
06年12月3日 日曜日の「テレビ朝日」の「サンデーモーニング」で行われた「教育」をテーマとしたコーナーでの議論を取り上げた記事であったが、携帯電話がつくり出し可能としている匿名性を利用して、最近のいじめが陰湿化しているという話題に対して、彼女は次のように言っている。
――海老名香葉子「そういう姑息な遣り方をする子どもに育ててしまったということ、そこまでいってしまったということは親の責任です。昔は子どもの中でもガキ大将がいました。それでちゃんと差配していました。それで楽しく遊ばせました。それで社会でもそうでしたけど、そういう陰湿な(メールするような)ことはしなかったんですよ。チャンバラだって、正義の味方は勝つ。悪い奴は負ける。そういう教え方で――」
司会の田原総一郎が遮って、「ヤンキー先生がおっしゃるように、今日の被害者が明日の加害者と、昨日の被害者が今日の――、どんどん変わってしまった。ガキ大将がいなくなった。どうしたらいい?」
海老名「ですから、元に戻さなくちゃ。親の教育です。親がもっと、もう一度子育てについて検討しなくちゃいけないと思います」――
彼女は「親の教育」の大切さを強調し、子育ては「親の責任」だと言い切っている。その自信たっぷりな断定した物言いから、「親の責任」・「親の教育」が子育てのキーワードとして如何に重要か、そのことに対する強い思いが伝わってくる。子供の存在性は親の存在性によって決定する。
所得隠しなどと「いう姑息な遣り方をする子どもに育ててしまったということ、そこまでいってしまったということは親の責任です。」
この場合の「親」とは、海老名香葉子自身のことなのは断るまでもない。彼女はエッセイストとしても、「教育再生会議有識者」のメンバーとしても公人である。自分が世間に向けて発した言葉の「責任」は世間に対して取らなければならない。いや、安倍晋三、松岡某を筆頭として「責任」を取らない政治家・官僚、企業人がゴマンといるのだから、そういったムジナ公人たちから較べたら、罪は軽い方か。