「政治」のブログ記事一覧(2ページ目)-『ニッポン情報解読』by手代木恕之

日本国力過大評価と米国力過小評価に基づいた杜撰な対米英戦争計画から見る安倍、高市等の靖国参拝(2)

2024-12-08 08:45:54 | 政治
Kindle出版電子書籍「イジメ未然防止の抽象論ではない具体策4題」(手代木恕之著/2024年5月18日発行:500円)

 では、日本の歴代天皇は現人神としてこの世に現れた神の子孫であり、日本の神としての絶対的な存在性を纏うことができていたのだろうか。ネットから見つけ出した情報を頼りにこれまでにブログで書いてきたことと混ぜ合わせて自分なりに取り上げてみる。

 先ず大日本帝国憲法「第1章 天皇」の主要部分を抜き出してみる。

第1條 大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第3條 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第4條 天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ
第11條 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
第13條 天皇ハ戰ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ條約ヲ締結ス

 帝国憲法が天皇に規定しているこれらの権限のみを見た場合、天皇は絶対的権力を有する存在と看做すことができ、天皇独裁制を採用した国家体制と言える。何しろ神聖にして侵してはならないと絶対的地位を与えられているのである。

 この神聖にして侵してはならないという絶対的地位は国民のみからではなく、政府の誰からも、帝国陸海軍の誰からも、保障を得ていなければ、天皇独裁制とは言えないし、大日本帝国憲法第1章天皇の各規定は単なる作文、見せかけとなる。

 天皇のこの絶対的権力は他の条項をも保証している。

 第4章 國務大臣及樞密顧問
 第55條 國務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス
     凡テ法律勅令其ノ他國務ニ關ル詔勅ハ國務大臣ノ副署ヲ要ス
 第56條 樞密顧問ハ樞密院官制ノ定ムル所ニ依リ天皇ノ諮詢ニ応ヘ重要ノ國務ヲ審議ス

 輔弼(ほひつ):明治憲法下で、国務大臣・宮内大臣・内大臣が天皇の権能行使に対して助言す 
         ること。
 諮詢(しじゅん):参考として他の機関などに意見を問い求めること

 国務大臣は天皇に助言し、その助言に対して責任を負う。国務大臣は天皇の意見の求めに応じて国務を行う。このことも助言行為に相当し、責任を負う。天皇は一切責任を負わない。

 この天皇の無答責は大日本帝国憲法「第1章 天皇」第3條の「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」に対応させた措置とされている。

 但し天皇の側に主体性を置いた総理大臣や現役武官制を採用していた陸海軍大臣等の上級軍人 を含めた国務大臣側からの助言なのか、総理大臣や上級軍人を含めた国務大臣側に主体性を置いた天皇に対する助言なのかによって天皇無答責はイコール総理大臣や上級軍人を含めた国務大臣側の無答責となりうるし、そうなった場合は天皇の絶対性は形式的な性格を帯びることになり、天皇の無答責は総理大臣や上級軍人を含めた国務大臣側の有答責の隠れ蓑となるし、隠れ蓑とすることも可能となる。

 もし隠れ蓑として利用していたのなら、天皇の絶対的存在性、「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」の帝国憲法の規定を総理大臣や上級軍人を含めた国務大臣側自身が侵し無視していたことになる。

 どのような経緯を取ったかを見ていくことにする。

 既に触れているが、1941年(昭和16年)9月6日の第6回御前会議で帝国は自存自衛を全うするために対米(英蘭)戦争を辞せざる決意の下に概ね10月下旬を目途とし戦争準備を完整すことを決定した。その会議の内情を以下の記事とNHKの記事を参考に見ていくことにする。

 
 『よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ』
(日々のクオリア 砂子書房一首鑑賞 一ノ関忠人/投稿日:2014年9月6日)

 この記事は当時陸軍軍務科高級課員だった石井秋穂(あきほ)大佐が事務方として会議に参加していて、その様子を書き記している「石井秋穂大佐回顧録」を参考に解説している。

 〈「最後に天皇陛下は御親(みずか)ら御発言遊ばされ、先ず『枢相〔原嘉道枢密院議長〕の質問に対して統帥部が答えないのは甚だ遺憾である』と仰せられポケットから紙を御出しになり『四方の海皆はらからと思う世に/など波風の立ちさわぐらむ』との明治天皇の御製を二度朗読あらせられ『自分は常に明治天皇の平和愛好の精神を具現したいと思っておる』とお述べ遊ばされた。」〉――

 第6回御前会議で原嘉道枢密院議長が統帥部に発した質問がどのような内容のものか、ネットを調べたが分からなかったから、MicrosoftのAI、Copilot(コパイロット)に尋ねたところ、〈
第6回御前会議で、原嘉道枢密院議長が統帥部に発した質問の内容は、具体的には「統帥部の戦争計画についてどのようなものか」というものでした。この質問は、戦争計画の詳細や具体的な戦略についての情報を求めるものでした。〉

 ところが、統帥に関して天皇を直接補佐する役目にある陸軍参謀総長なのか、海軍軍令部長なのか、統帥部は答えなかった。和歌の内容以前の問題として、大日本帝国憲法「第1章 天皇」第1条で日本帝国の統治者と位置づけられ、第3条で神聖で侵してはならない存在とされ、第11条で陸海軍の最高統帥者である大元帥とされ、第13条で宣戦布告と戦争終結の発令の任を負う帝国国家に於ける最高権威者である天皇が臨席する場で国家の命運を左右するかもしれない戦争計画を枢密院議長から尋ねられて、統帥部は答えなかった。

 ここで戦争の前準備作業の経緯を振り返ってみる。

 ・1941年1月18日、秋丸機関が行った、短期戦(2年以内)且つ対ソ戦回避の場合は対南方武力行使は概ね可能、但し対米英長期戦遂行は危険大を内容とする「対米英国力調査」の報告が為される。
 ・1941年8月27・28日両日、総理大臣直轄総力戦研究所の日米戦想定の机上演習報告「日本必敗」が告げられる。
 ・1941年(昭和16年)9月6日に第6回御前会議開催。帝国は自存自衛を全うするために対米(英蘭)戦争を辞せざる決意の下に概ね10月下旬を目途とし戦争準備を完整することを決定。

 多分、自存自衛の旗印をいくら勇ましく掲げようが、対米英開戦に持っていった場合、十分に勝機はありますと簡単には答えることができなかったから、無視せざるを得なかったといったところなのかもしれない。

 だが、天皇自身が「枢相〔原嘉道枢密院議長〕の質問に対して統帥部が答えないのは甚だ遺憾である」と注意し、件の和歌を読んだということは、既に報告が為されていた秋丸機関の「対米英国力調査」も、総力戦研究所の日米戦想定の机上演習も、統帥部は天皇には知らせていなかった疑いが出てくる。天皇に知らせていたなら、例えば、「我が陸海軍は対米英開戦したならば、必勝に向けた作戦を鋭意構築中です」といったことを原嘉道枢密院議長に伝えることもできたはずだし、あるいは昭和天皇自身、開戦の確率を承知することができていて、反戦和歌を詠む必要も生じなかったかもしれないからである。

 なぜ天皇自身、陸海軍の最高統帥者であり、大元帥という地位にある役目上、「戦争する場合の勝機ありやなしや」、「戦争を避ける道はありやなしや」と直接統帥部に尋ねなかったのだろう。尋ねずに明治天皇が作った和歌を用いて、世界のみんなは兄弟姉妹みたいなものなのになぜ戦争の波風を立てるのかと遠回しな表現で戦争回避意思を伝えただけだった。

 その程度のことしかできなかったということは大日本帝国憲法「第1章 天皇」の各条項に規定された天皇自身の巨大な権限を、本人の側からすると、ウソにする態度となり、統帥部側からすると、裏切る態度となる。

 この両面性は大日本帝国憲法「第1章 天皇」の各条項が実体を備えていなかったことを意味することになり、天皇という存在は、備えていると看做されていた権限も権威も、何もかもを含めて、飾りに過ぎなかったことの証明としかならない。

 当然、帝国憲法「第4章 国務大臣及枢密顧問」の「第55条 国務各大臣は天皇を輔弼し其の責に任ず」の「輔弼」(天皇の権能行使に対して助言すること)にしても、どちらに主体性を置いた助言なのか、前のところで問い掛けたが、答は天皇の側に主体性を置いた国務大臣側からの助言ではなく、国務大臣側に主体性を置いた彼らからの助言ということであって、そうである以上、助言という形を装って、きっとこの上なく丁寧な言葉遣いを用いた、最初は遠回しな、最終的には自分たちの意思・要求を飲ませる性格の"助言"といった可能性が強い。

 この第6回御前会議での天皇の発言は異例だということを次のネット記事で知った。テレビ放送の要約案内である。

 「運命の御前会議 昭和天皇 戦争回避への苦闘」(NHK/放送日2019年07月31日)
  
 〈番組より、1941年9月6日に開かれた御前会議。それまで、御前会議で天皇は発言することはないとされていたが、この日、ある行動をとる。昭和天皇の異例の意思表示と日本のリーダーたちが、それをどのようにとらえたのかの部分。

 番組内容 
 日米開戦の危機迫る1941年(昭和16年)9月6日、昭和天皇は、政府と軍部の指導者たちが出席した御前会議で驚きの行動に出た。天皇は発言しないという慣例を破り、「歌」を披露したのだ。「よもの海みなはらからと思ふ世になと波風のたちさわくらむ」。

 戦争回避を願う異例の意思表示は、緊迫した状況を平和へと引き戻すはずだった。しかし3か月後、日本は勝ち目なき戦争へ突入する。戦争か否か、天皇の知られざる苦闘と決断を描く。(著作権上の理由等で、一部放送とは異なる部分があります)〉――

 天皇は発言しないという慣例があったが、それを破って、異例の意思表示を行った。理由の説明がないから、ネットを調べてみると、天皇の発言が天皇自身の責任に関係するのを避ける目的からといったことが紹介されているが、これは二つの点から疑わしい。

 先ず一つは国家の重要な政策を方向づける会議の場で天皇は発言しないのが慣例となると、何のための大日本帝国国家の統治者なのか、意味を失うことになる。

 第二に天皇の責任を言うんだったら、大日本帝国憲法第4章 國務大臣及樞密顧問「第55條」で、「國務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」と規定している以上、総理大臣以下の、現役武官の陸軍大臣、海軍大臣を含めて、天皇は我々の助言に従っただけだから、天皇には責任はない、責任は我々にあるとすれば、済むことである。

 だが、責任回避を目的に天皇が発言を控え、それを慣例としているならば、国家の統治者であり、陸海軍の最高統帥者である天皇を排除した形で国の政策は決定されていることになる。

 この天皇臨席が形式に過ぎないという事実は大日本帝國憲法第1章「天皇」で規定している天皇の各権限自体が形式に過ぎないことを物語ることになる。既に触れているように天皇はお飾りに過ぎなかった。そして天皇の臨席が形式であることに対応して発言権を満足に与えられていなかったという事実を見ないわけにはいかないことになる。

 大日本帝國憲法第1章「天皇」の条文に反するこの二重性は、勿論、存在理由があって成り立っていることだが、先ずは何のために天皇は存在したのか見ていく。

 天皇はその時々の内閣や軍部首脳にとってお飾りに過ぎなかったが、1890年(明治23年)10月30日の明治天皇公布の「教育勅語」で国民一丸となっての天皇への奉仕を求め、昭和12年(1937年)発行の「国体の本義」で、万世一系の天皇が皇祖の神勅を奉じて大日本帝国を永遠に統治する在り方が我が国の万古不易の国体であり、その天皇とは神の子孫であると同時に皇祖及び代々の天皇と御一体で我が国を統治する現人神であって、永久に臣民・国土の生成発展の本源として存在し続けると天皇の権威を神格化の高みにまで持っていき、そのような天皇の本質を国民の目に具体的に示す在り方が帝国憲法第1条の「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」であり、第3条の「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」だと、天皇という存在の絶対性を国民意識に植え付ける目論みが為されていた。

 だが、既に触れたように最重要な国策決定の場である御前会議では天皇が日本帝国の統治者としての、あるいは陸海軍の最高統帥者としての、さらには現人神としての意思表明を行うのではなく、逆にその意思表明を控えることを慣例としていた事実は政府首脳や陸海軍首脳が天皇のこれらの権限を、あるいは帝国憲法が表現している天皇の存在性自体を認めていないことの何よりの証明であって、天皇を除いた支配層側の憲法上は絶対的としている天皇という存在を虚構とする絶対性と国民向けに宣伝している絶対性の二つの絶対性――この二重性も天皇は負っていることになる。

 天皇の絶対性に対する天皇を除いた支配層側のこのような無視は何も御前会議ばかりのことではない。『小倉庫次侍従日記・昭和天皇戦時下の肉声』文藝春秋・2007年4月特別号)の昭和14年5月9日の日記には次のような記述がある。

〈御乗馬、御すすみあらざりしも、天気好かりしを以って遊ばしいただきたり。防共協定の問題に付、御軫念(ごしんねん・心配の意)と拝す。〉――
 
 解説を受け持っている昭和史研究家・作家の半藤一利氏は次のように説明している。

 〈このころ、昭和11年11月広田弘毅内閣のときに締結した日独防共協定を、軍事同盟にまで強化する問題をめぐって、平沼騏一郎内閣は大揉めに揉めていた。陸軍の強い賛成にたいして、海軍が頑強に反対していたのである。このため平沼首相、有田八郎外相、石渡荘太郎蔵相、板垣征四郎陸相、米内光政海相による五相会議が連日のように開かれていたが、常に物別れとなり、先行きはまったく見えなかった。〉

 3日後の「小倉庫次侍従日記」の記述。

 〈5月12日 秩父宮殿下10時参内。(以下略)〉――

  半藤一利氏解説「『昭和天皇独白録』(文春文庫)にはこう書かれている。

 『それから之はこの場限りにし度いが、三国同盟に付て私は秩父宮と喧嘩をしてしまった。秩父宮はあの頃一週三回くらい私の処に来て同盟の締結を進めた。終には私はこの問題については、直接宮には答へぬと云って、突放ねて仕舞った』」――

 昭和天皇は日独伊三国同盟締結には反対していた。秩父宮は締結に賛成で、天皇を説得しようと皇居を頻繁に訪れた。対して昭和天皇は「私はこの問題については、直接宮には答へぬ」と突っぱねた。要するに反対の意思を賛成の意思を示している秩父宮に個人的に表明していた。

 なぜこのような個人的な対応を取っていたかと言うと、五相会議に答がある。「五相会議」(Wikipedia)

 〈「五相会議」とは、昭和時代前期の日本において、内閣総理大臣・陸軍大臣・海軍大臣・大蔵大臣・外務大臣の5閣僚によって開催された会議。 主に陸軍・海軍の軍事行動について協議され、これを実現する財政・外交政策のために蔵相、外相も出席した。 議案の必要に応じて企画院総裁なども出席したことがある。〉――

 外国と軍事同盟を締結することの是非を議論する重要な国策決定の場でもある五相会議から日本帝国の統治者であり、陸海軍の最高統帥者たる天皇の出席は排除されていた。しかも天皇自身は三国同盟の締結に反対していながら、結局のところ締結されたという事実は政府や陸海軍が賛成の立場を取った場合、天皇の賛成の承認のみが必要であって、反対の意思は無視されることを示すことになり、天皇が大帝国憲法上担うその絶対性は政治や軍事の場では虚構に過ぎないことになって、やはり政府や陸海軍にとってお飾りそのものであることを暴露することになる。

 いわば政治・軍事の実権は憲法の規定どおりに昭和天皇ではなく、政府・軍部が握っていた。この権力の二重性は昭和天皇に限ったお仕着せではないし、その時代に限られた権力構造ではないことは昭和天皇が第6回御前会議で詠んだ「四方の海皆はらからと思う世になど波風の立ちさわぐらむ」が祖父明治天皇の作で、日露戦争開戦前に詠んだものの、この意思表示に反して日露戦争に突入した事実によって、明治天皇までもが同じ実体、虚構の絶対性を纏っていたことを証明することになる。

 言葉を変えて言うと、明治天皇は和歌を読むことでしか日露戦争に反対の意思を示すことができなかった。そして昭和天皇は日露戦争開戦阻止に何の役も立たなかった明治天皇作の和歌を対米英開戦反対の意思表示として詠むことしかできなかった。
 
 明治天皇は父親の孝明天皇の満35歳での崩御(1867年1月30日-慶応2年12月25日)に伴い、大政奉還(慶応3年10月14日-1867年11月9日)の約9月前に皇位を継承した。年齢16歳。この明治天皇の父親の孝明天皇の崩御については、『大宅壮一全集第二十三巻』(蒼洋社)に、「当時公武合体思想を抱いていた孝明天皇を生かしておいたのでは倒幕が実現しないというので、これを毒殺したのは岩倉具視だという説もあるが、これには疑問の余地もあるとしても、数え年16歳の明治天皇をロボットにして新政権を樹立しようとしたことは争えない」と書いている。

 大宅壮一は孝明天皇暗殺説を全面否定しているわけではない。岩倉具視以外の誰かが行った可能性を残している。例え暗殺でなかったとしても、薩長一部公家の討幕勢力が天皇を頂点に据えたのは徳川幕府約265年間の歴史とその権威のスケールに対抗するに薩摩藩主や長州藩主、単なる公家では見劣りがして、徳川に遥かに優る皇紀2500余年の歴史を当時抱えていた皇室という存在を旗印として必要としたからだろう。

 そして自らを官軍と位置づけ、徳川幕府方を皇室から政権を簒奪した賊軍と位置づけて、自らの勢力の正当性を打ち立てることで士気の点でも優位を狙い、徳川幕府を倒すことができ、明治政府の発足となったが、薩長連合一部公家政権が明治天皇をロボット、いわば単なるお飾りにし、権力の二重構造としたのは本人が政治・軍事について右も左も分からない数え年16歳という若さだけが原因を成したわけではない。

 歴史的に朝廷に代わって世俗勢力の台頭以降、いつの時代も朝廷という存在に対して権力を実質的に掌握していたのは世俗勢力自身であって、世俗勢力は日本国を統一した豪族連合の頂点に立っていたという朝廷の権威だけを必要とし、その権威を利用して天皇を頭に置きながら、政治を恣にした。当然、歴代天皇自身が自らの力で126代の地位の全てを紡いできたわけではない。大和朝廷成立以降から世俗権力者である豪族たちが自分の娘を天皇の后(きさき)に据えて生まれた子をのちに天皇の地位に就け、自身は外祖父や外戚として世俗上の実権を握り、天皇を名ばかりとする権力の二重構造は豪族たちの権力掌握と権力操作の歴史的に伝統的な常套手段となっていった。

 例えば古墳時代の豪族、蘇我馬子らの父親である蘇我稲目が娘を天皇の妃とし、その子が用明天皇や推古天皇として即位していて、権力を恣にしている例は日本史の早い時期から権力の二重構造が確立してことを示す例となる。

 さらに蘇我馬子が自分の娘を聖徳太子に嫁がせて山背大兄王(やましろのおおえのおう)を産ませているが、聖徳太子没後約20年の643年に専横を極めていた蘇我入鹿の軍が自らの権力の確立のために古人大兄皇子(=ふるひとのおおえのおうじ、舒明天皇の皇子、母は蘇我馬子の娘の蘇我法提郎女=ほてのいらつめ)を天皇に立てるべく、斑鳩宮を襲わせ、聖徳太子の子である山背大兄王(やましろのおおえのおう)らを妻子と共に自害に追い込んでいる例にしても外戚として天皇の権力を我が物にしようとする権力の二重構造を企む典型例であり、飛鳥時代にも引き継がれていたことを示すことになる。

 平安時代中期の公卿の藤原道長にしても同じ常套手段を利用した。一条天皇に長女の彰子を入内させ皇后とし、次の三条天皇には次女の妍子(けんし)を入れて中宮とするが、三条天皇とは深刻な対立が生じると、天皇の眼病を理由に退位に追い込んで、長女彰子の生んだ後一条天皇を9歳で即位させ、自らは後見人として摂政となり、政治を動かすことになった。

 一年ほどで摂政を嫡子の頼通に譲り、後継体制を固める。後一条天皇には四女の威子(たけこ)を入れて中宮となし、「一家立三后」(=「いっかりつさんこう」、天皇3代の皇后を全て自分の娘にしたこと)と驚嘆されたという。そして藤原氏の次に権力を握ることになった平清盛も娘を天皇に嫁がせて、外戚(がいせき・母方の親戚)となって権勢を誇ることになった。

 要するに世俗権力者である豪族たちが自分の娘を天皇の后(きさき)に据えて生まれた子をのちに天皇の地位に就け、自身は外祖父か外戚として世俗上の実権を握り、天皇を名ばかりとする権力の二重構造は豪族たちの権力掌握と権力操作の常套的手段として忠実に受け継いで行く伝統となった。

 時代が下って自分の娘を天皇に嫁がせて、その子を天皇に据える傀儡化――血族の立場から天皇家を支配する権力の二重構造は廃れ、源頼朝以降、距離を置いた支配が主流となっていくが、自身の武力で天下統一を果たしていながら、天下統一による国家支配の正当性は朝廷に付与させた征夷大将軍の役職に置き、国家支配そのものは自らが行う権力の二重構造の形式は維持された。

 一方で明治に入って薩長一部公家とそこから派生した軍部が憲法で天皇を国家統治者とし、陸海軍の最高統帥者等、国家の最高位に位置づけるが、天皇としては表向き敬うものの名目的存在にとどめて、国民に対しては「教育勅語」や「国体の本義」で著した思想や精神の教化を通して天皇を敬い、従うべき絶対的存在に仕立てて、名目的と絶対的の使い分けで国家と国民を天皇の名のもとに統治する権力の二重構造へと姿を変える。

 本質部分では変わらない、この歴史的に伝統的な権力の二重構造をより強固に維持する要件として考え出され、実行に移された権威が万世一系であり、男系、あるいは2千何年という長い歴史であり、現人神であるといった天皇家を飾り立てる数々の壮大な仕掛けであり、仕掛けが大きい程にその権威を利用する側は大きな効果を見込むことができる。その手の利便性から結果的に126代も延々と続いたということであろう。

 このことが同時に国民統治の優れた装置として大きな力を発揮したということになる。

 でなければ、天皇が歴史的に名目的な存在とされてきたことに反するこれらの壮大な権威付けの説明がつかない。

 「国体の本義」その他を通してこのような天皇の権威付けに迫られたのは明治以降、西洋の文化・文物が入ってきて、国民がその影響を受けやすくなった国情(開戦の前年は都市部ではアメリカブームに沸き、ハリウッド映画やジャズが流行していたとNHKの日本の戦争を取り上げた放送が伝えていた)、さらに昭和に向かう過程で列強との対立と競争が激しくなってきた国情を受けて、天皇の権威を利用して国家権力を恣にする世俗勢力が国論の統一、いわば政府にとって望ましい形の国民統治を確保しつつ、国家統治の実権を守り続ける権力の二重構造維持の利便性を担保するためには、当然のこと、天皇の権威は壮大であることが望ましいからだ。

 米英戦争の過程で天皇の権威はより強調されることになり、政府の天皇の名前を利用した呼びかけに応じて、兵士は戦場に赴き、一般国民は銃後の支えとなり、それが自国国力を過大評価した杜撰な戦争計画だとは知らないままに多くの兵士が戦場に散り、多くの一般国民が激しい空襲や艦砲射撃で命を落とすことになった。

 このように天皇が権力の二重構造維持のために利用される存在だったことを考えると、安倍晋三が2006年7月20日発刊の自著『美しい国へ』の中で、「日本では、天皇を縦糸にして歴史という長大なタペストリーが織られてきたのは事実だ」と書き、2012年9月2日の日本テレビ「たかじんのそこまで言って委員会」に出演して、「むしろ皇室の存在は日本の伝統と文化、そのものなんですよ。まあ、これは壮大な、ま、つづれ織、タペストリーだとするとですね、真ん中の糸は皇室だと思うんですね。この糸が抜かれてしまったら、日本という国はバラバラになる」と言っていることは、権力の二重構造からしてバラバラになるのを防いでいたのは天皇の権威を利用して国を治めてきた世俗勢力なのだから、安倍晋三の歴史認識は軽薄なフィクションに過ぎないことが分かる。

 明治以前の歴代天皇は、例外はあるが、殆が皇室という世界でのみ生息してきた。明治に入って世界政治の表舞台に立つことになったが、その権威を必要とされるだけで、政治的決定権は世俗勢力に従う受け身の存在であることに変わりはなかった。

 天皇と世俗勢力の権力の二重構造からすると、安倍晋三の皇室の存在と日本の伝統及び文化をイコールさせる歴史認識、日本の伝統と文化は皇室と共にあったと見る歴史認識、日本の歴史そのものを一連続きのつづれ織、タペストリーに喩えて、真ん中の糸を皇室と見る歴史認識は明治以降から終戦までの政府や軍部がいたずらに天皇を権威付けてきたきたことの踏襲に過ぎない。安倍晋三が戦前型の国家主義者であることの所以である。

 そもそもからして多くの歴史学者が神話上の人物としか見ていない神武天皇を初代天皇として、その即位年から日本建国の年数を数える日本式の紀年法である"皇紀"なる名称は4世紀末頃から5世紀頃の大和朝廷成立当時からあったものではなく、1872年(明治5年)に「太政官布告第342号」を以ってして制定したものであって、政府は1940年(昭和15年)が皇紀2600年に当たるとしてその年に大々的に奉祝行事を行うことになったが、明治に入ってから使い始めたという経緯からすると、皇紀元年を西暦紀元前660年に当てていることから、天皇家の歴史が西洋の歴史と遜色ない長さを持っていることを材料に日本の歴史及び大日本帝国と天皇を権威付ける仕掛けであったことがミエミエとなる。

 天皇に付与したあれこれの権威が国民を統治するための仕掛けに過ぎなかったからこそ、対米英戦争で日本が不利な状況に立たされると、天皇の権威が崩れ去るのを恐れて、大本営は天皇直属の最高戦争指導機関でありながら、国民に対してだけではなく、天皇に対してもウソの戦況報告をするに至った。この点からも軍部は実質的には天皇の下に位置していたのではなく、天皇の上に位置し、天皇を名目的存在として扱っていたことが露見する。だから、対米戦争反対の天皇の意向を無視して、対米戦争に突入することができた。

 天皇をより良き国民統治装置とするために神の子孫とし、且つ現人神だと敬わせ、日本は神国だと日本民族の他民族と比較した優越性を謳い、天皇の神格化とその優越性を国民の精神に植え付けて国民を鼓舞し、戦争に駆り立てるのは天皇の利用で済むが、冷徹で合理的な計算が求められる戦争の場にまで日本人の優越性用いて鼓舞する精神主義を持ち込んだのは天皇の権威を利用して国民を支配し、統治する計算を裏切って、政府や軍部までが日本民族の優越性に取り憑かれていた証明となり、その合理精神の欠如が自国国力過大評価と米国国力過小評価を生み、杜撰な戦争計画へと発展していったと見るほかない。

 当然、戦死者はその犠牲となったのであり、政調会長だった当時の高市早苗が2021年10月18日の秋季例大祭に靖国を参拝した際、「国策に殉じられた方に、尊崇の念を持って感謝の誠をささげてきた。日本人として感謝を捧げるのは当たり前だ」と語った言葉は、当の国策が自国国力過大評価と米国国力過小評価を内容とし、そのような杜撰な国力評価に基づいた杜撰な戦争計画となっていたのだから、思いどおりの力で戦った類いの"殉じた"とするのは戦死の実相を奇麗事に見せる企みそのもので、思いどおりに戦えずに戦死を強いられたといったところが大方の戦死の実際の姿であったはずだ。

 戦闘に於いて日本民族の優越性に基づいた精神主義が罷り通っていた例を敗戦まで用いられていた大日本帝国陸軍の「歩兵操典」から簡単に見てみる。注釈等は当方。

 「歩兵操典(全)」(豆辯- Douban)

 〈第2
戦捷(戦勝)の要は有形無形の各種戦闘要素を総合して、敵に優る威力を要点に集中発揮せしむるに在り
訓練精到(詳しくて、よく行き届いていること)にして、必勝の信念堅く、軍紀至厳(極めて厳しいこと)にして、攻撃精神充溢せる軍隊は、能く物質的威力を凌駕して戦捷(戦勝)完うし得るものとす

 〈第3
必勝の信念は主として軍の光輝ある歴史に根源し、周到なる訓練を以って之を培養し、卓越なる指揮統帥を以って之を充実す
赫々たる伝統を有する国軍は、愈々(いよいよ)忠君愛国の精神を砥礪(しれい:努め励むこと)益々訓練の精熟を重ね、戦闘惨烈の極所に至るも上下相信倚(しんい:信頼する)し、毅然として必勝の信念を持せざるべからず

 第6
軍隊は常に攻撃精神充溢し、志気旺盛ならざるべからず
攻撃精神は忠君愛国の至誠より発する軍人精神の精華にして、強固なる軍隊志気の表徴なり。武技之に依りて精を致し、教練之に依りて光を放ち、戦闘之に依りて勝を奏す。蓋し勝敗の数は必ずしも兵力の多寡に依らず。精練にして、且つ攻撃精神に富める軍隊は、克(よ)く寡を以って衆を破ることを得るものなればなり

 第68
突撃は兵の動作中特に緊要なり
兵は、我が白兵の優越を信じ勇奮身を挺して突入し敵を圧倒殲滅すべし。苟も(いやしくも)、指揮官若しくは戦友に後れて突入するが如きは深く戒めざるべからず
兵は敵に近接し突撃の機近づくに至れば、自ら着剣す〉

 「第2」、作戦は地理や天候、地勢、地の利の不利・有利、そして敵軍と味方軍の兵力の差等、各戦場の状況を計算した戦術の具体性の良し悪しによって決まるはずだが、「敵に優る威力を要点に集中発揮せしむる」の「敵に優る威力」は兵力(兵員数や兵器の種類とその数量、その性能などの総合力に基づいた戦闘能力)が必須要素となるが、そのことを考えない精神論で成り立たせた戦術の具体性もない抽象論そのもので成り立たせている。

 緻密な訓練(=訓練精到)が、「必勝の信念」を育み、厳しい軍紀(=軍紀至厳)が「攻撃精神」を充溢させ、そういった優れた要素に満たされた軍隊は、相手の物理的戦闘規模(=物質的威力)を上回って戦勝をもたらすとしていることは、そういった信念や精神をしっかりと身につけさえすれば、三八式歩兵銃でアメリカ軍の機関銃群に立ち向かったとしても、戦いに勝利できると言っているようなもので、戦術・戦略を全く抜きにした精神論そのものでしかない。

 「第3」、「軍の光輝ある歴史」が「必勝の信念」を生み出して、その信念のもと、「忠君愛国の精神」に努めて、訓練技術の向上に励み、将兵が相信頼し合えば、どのように激しい戦闘に遭遇しようとも、必ず勝利するだという自信を持たせなければならないとしているが、ここでは必ず勝利するという自信を持つことができると確信を与えるのではなく、自信を持たせるよう義務としている点は少なからず自信がなかったのかもしれない。

 だが、戦術を抜きにした精神論を語っていることに変わりはない。忠君愛国の精神と日本軍人としての誇り・自信が勝利をもたらすという精神主義が日米陸軍武器の量及び性能を含めた戦力差にしても、陸海含めた兵員数の差にしても約10倍以上とされた状況下で戦局にどう影響するかという合理的判断を排除している。

 「第6」、「勝敗の数は必ずしも兵力の多寡に依らず」が事実であったとしても、「忠君愛国の至誠」に発する「軍人精神の精華」、それが生み出す「強固なる軍隊志気」が「攻撃精神」をもたらしたとしても、様々に想定した数多くの実地訓練を通して獲得する戦闘行動を体と頭に記憶させ、記憶させた戦闘行動を実際の戦闘で状況に応じて臨機応変に再現することのできる身体的スキルを身につけることの方が実際的で、それでもなお兵力差の影響を受けることを頭に置いておかなければならない必須要件であり、「忠君愛国の至誠」に基づく「軍人精神の精華」だ、「強固なる軍隊志気」だ、「攻撃精神」だだけでは片付かないことを認識させる注意が必要だが、精神論だけで終えている。

 「第68」、敵陣地に近接できた場合の集団の突撃は一定程度の犠牲を計算に入れた上で効果は見込めるが、近接とは言えない距離からの集団の突撃は敵の火力の餌食に曝されるのが精々で、それを、〈我が白兵の優越を信じ・・・敵を圧倒殲滅すべし。〉と、戦場で敵味方が抱えることになる様々な状況・条件の違いを考慮せずに精神主義をベースに無条件の勝利を可能としている。

 1942年8月7日から1943年2月7日までの約7ヶ月間のガダルカナル島の戦いでは、NHKのテレビ放送が伝えるところでは、島を占領したアメリカ軍に対して奪還を目指した約900人の日本陸軍がアメリカ兵力1万人に対して2000人程度と誤認、さらに睡眠中と誤認したのだろう、小銃の先に剣を装着し、夜間の白兵突撃を敢行、対してアメリカ軍は飛行場の周辺に集音マイクを設置、日本軍の動きを察知、待ち構えていて、2方面から機関銃などを浴びせる十字砲火で応戦、日本軍900人のうち777人が命を落とすことになったと伝えていた。

 アメリカ軍が万が一待ち構えていたなら、どう戦術転換をするかという危機管理を頭に置かない勢いに任せた突撃で勝利を計算できるのは精神主義頼りだからであって、精神主義を単純画一的な戦術としていたからだろう。

 日本側が米英の7倍余の310万もの戦死者を出した事実は突撃は個々の戦場での個々の戦いに限定された精神主義を纏わせた戦術ではなく、戦争全体が精神主義に裏打ちされた突撃の性格を帯びていたことの証明とすることができる。

 このような精神主義だけを頼りとした戦争はあまりにも合理性を欠いている。杜撰な日米国力評価に基づいた杜撰な戦争計画を結果として招いたことはある意味当然だったと言える。

 戦闘の場面では勝敗を左右する重要な要件は兵力や地勢に基づいた戦術の如何にあるのであって、忠君愛国や、軍の光輝ある歴史によって叩き込まれた帝国軍人魂ではないことを教えられないままにそれらを戦いの主たる要件とした場合、合理的精神は抑えられて忠君愛国だ、帝国軍人魂だといった精神主義だけが顔を利かすことになり、いとも簡単に戦争のリアリズムの生贄になるのは目に見えている。

 ところが、合理的思考力が必要とされる戦後になっても、国民統治装置として万世一系だ、男系だ、現人神だと様々に権威付けてきた歴史から目を逸らして、そのような天皇の存在を根拠に日本民族の優越性を謳う少なくない日本人が存在する。

 例えば国家主義的心理性で安倍晋三とベッドを共にしている高市早苗は2021年9月29日投開票の自民党総裁選に向けて自身の思想と政策を纏めた『美しく、強く、成長する国へ』(Kindle電子書籍)云々の著作の中で、「大自然への畏敬の念を抱きながら勤勉に働き、懸命に学び、美しく生き、国家繁栄の礎を築いて下さった多くの祖先の歩みに、感謝の念とともに喜びと誇らしさを感じずにはいられない。現在においても、126代も続いてきた世界一の御皇室を戴き、優れた祖先のDNAを受け継ぐ日本人の素晴らしさは、本質的に変わっていないと感じている」と謳い上げているが、この主張を成り立たせている根本思想は天皇主義に基づいた全体主義である。

 祖先のDNAを全て優れていると見ていて、当然、その子孫である現日本人を全て優れていると見ていることになるが、"優れている"とした場合、日本民族優越意識があからさまになるからだろう、"素晴らしい"と一段と和らげた表現となっているが、その評価を日本人全体に置いている以上、日本民族の全体的優越性を謳い上げていることになる。

 また、高市早苗がこの日本民族優越意識の根拠を皇室の存在や戦前の歴史から見ていることは自身のサイト、『高市早苗ブログ』2002年08月27日)に、〈欧米列強の植民地支配が罷り通っていた当時、国際社会において現代的意味での「侵略」の概念は無かったはずだし、国際法も現在とは異なっていた。個別の戦争の性質を捉える時点を「現代」とするか「開戦当時」とするかで私の答え方は違ったものになったとは思うが、私は常に「歴史的事象が起きた時点で、政府が何を大義とし、国民がどう理解していたか」で判断することとしており、現代の常識や法律で過去を裁かないようにしている。〉と述べていることから明らかだが、歴史的事象が起きた戦前の時点の1941年12月8日の時点では未明の米ハワイ島オアフ島真珠湾基地に対する奇襲攻撃の戦果が国内で伝えられ始めると、多くの国民が常に天皇の存在を背景に置いて、知識人を交えて戦果を歓呼で迎え、日本の敗色が濃厚になった以降も大本営の国民の戦意喪失の防止からの偽情報の流布、あるいは不都合な情報の隠蔽工作が功を奏して、国民が戦争を支持し続けていたことは事実と言える。

 安倍晋三も2006年7月20日発刊自著『美しい国へ』の中で、「列強がアフリカ、アジアの植民地を既得権化する中、マスコミを含め、民意の多くは軍部を支持していたのではないか」を論拠に、「その時代に生きた国民の視点で歴史を見つめ直す」と書いていて、出来事が起きた時代に生きていた人間の総体的解釈が歴史認識だとしている。

 いわば両者共に国民がその当時、何に賛成し、何に反対したのか、そのことによってのみ、歴史は価値づけられる、あるいは歴史は解釈されるとしている。だが、二人のこの考え方自体が論理矛盾に彩られている。なぜなら、日本が米英に宣戦布告した出来事自体は当時はまだ歴史にはなっていない、国家の政策遂行(=国家行為)に過ぎないからである。何らかの国家のその時々の政策遂行(=国家行為)が歴史の形を取るためには時間の経過、時代の経過が必要条件となる。つまり当時の国民ができたことは開戦、あるいは戦争という国家の政策遂行(=国家行為)に対する賛否――是非の解釈のみである。

 特に政府・軍部等の国家の支配層の国民に対する天皇絶対崇拝の教育、あるいは洗脳が行われていて、ほぼ無条件に国の政策に従属させられた時代下で自由な意思表示・判断は表沙汰にはできなかった。表沙汰になったり、密告されたりしたら、国賊とか、アメリカのスパイとして取り締まりを受けるか、社会的な制裁を受けることになった。

 逆に後世の国民ができることは戦前当時の国家状況及び世界状況や社会状況等を起因とした国家の政策遂行(=国家行為)が時間の経過、時代の経過を経て歴史となった時点で時間・時代の経過と共に蓄積することになった知識・情報を背景とした現在の国民の目を通した是非の解釈である。決して国家の政策遂行(=国家行為)に対する当時の国民の解釈そのままに同調する、しないが歴史解釈ではない。

 当然、安倍晋三が、いわば「その時代に生きた国民の視点」を歴史解釈とする、高市早苗が過去の出来事はその時代の常識や法律で裁くと言っていることは当時の日本国民は殆が天皇と国家を支持していたのだから、戦前日本の天皇制に基づいた国家体制、大日本帝国国家を肯定している両者の歴史認識となる。

 この肯定を歴史認識としている以上、安倍晋三や高市早苗等の保守政治家が「お国のために命を捧げた」、「国に殉じた」を口実とした靖国参拝を戦前国家肯定儀式と断じているのはこの点にある。

 と同時に戦前の大日本帝国国家に歴史認識を肯定的立場から寄り添わせている関係からして、両者共に個人よりも国家に絶対的価値を置く国家主義者の範疇に入れることができる。

 自国国力過大評価・米国国力過小評価に基づいた杜撰な戦争計画で戦った戦争であるということと、兵力の差、武器の性能の差、地の利の有利・不利、時間帯等々を計算し尽くした合理性に則った戦術ではなく、合理性も何もない精神主義を拠り所とした戦い方を叩き込んで、闇雲に突撃精神だけで戦わせて多くの兵士を死なせたのだから、愚かな国策の犠牲となったが実際の姿でありながら、靖国神社に祀った戦死者に手を合わせて、国策に殉じたとか、国のために尊い命を捧げたとか、"国策"や、"国"を主体にして顕彰することができるのはやはり個人よりも国家の価値観を大事にする国家主義の姿勢を正体とし、戦前国家を肯定しているからできることである。

 《日本国力過大評価と米国力過小評価に基づいた杜撰な対米英戦争計画から見る安倍、高市等の靖国参拝(1)》に戻る
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蓮舫を叩く:過去の事業仕分けを成功体験とする都知事選立候補会見のハンパない自己正当化バイアス

2024-11-19 08:33:55 | 政治

蓮舫は国民の声は小池都政のリセットを望んでいるとしながら、都民の大多数をしてリセットを望む声に変えるだけの発信力を持っていなかった自覚はゼロ

Kindle出版電子書籍「イジメ未然防止の抽象論ではない具体策4題」(手代木恕之著/2024年5月18日発行:500円)

 蓮舫は2024年5月27日午後、党本部で記者会見して、7月の東京都知事選挙への立候補を表明した。

 蓮舫「国民の声は、裏金議員や政治とカネの問題がある自民党政治の延命に手を貸す小池都政をリセットしてほしいというものだ。その先頭に立つのが私の使命だ」(NHK NEWS WEB記事)

 そして「小池知事が掲げた7つのゼロの公約はどこに行ったのか」と述べ、「改革するのが私の政治の原点」だ、いわば公約実現に向けた有言実行をアピール、財源は改革の果実で捻出、その果実で弱者救済を訴えたという。

 「小池都政をリセットしてほしい」という「国民の声」が実際に挙がっていたのなら、あとはその「リセット」を蓮舫に託したいという期待に振り向けさせる発信力の問題となるが、そういった声が挙がっていなければ、都民の大多数を以ってしてリセットは当然だとする納得の声に変えることができるか否かのこれまた蓮舫自身の発信力の問題となる。

 但しリセットを望む声をマスコミが伝えていた記憶はないから、納得の声に変える発信力に相当な自信を持っていなければならないが、そういった自覚があって、「国民の声」を持ち出したかどうかは自身をアピールする目的のパフォーマンスは得意という彼女の性格からして疑わしい。

 いずれにしても選挙結果からして、リセットを望む「国民の声」は存在しなかっただけではなく、蓮舫は都民の大多数をしてリセットを望む声に変えるだけの発信力は持っていなかったことになる。

 但しこのことに対する自覚は都知事選敗北後に行った自身のインスタライブからはその影さえも窺うことはできないから、その無自覚は疑う思考習慣を持たない場所、あるいは相対的思考力が働かない場所に根差すゆえに「常に自分の考えは正しい」とする自己正当化バイアスに強く影響を受けていることになる。多分、悪いのは蓮舫に投票しなかった都民ということになるのだろう。

 2024年7月7日の都知事選投票日を前に現職の小池百合子、参議院議員蓮舫、広島県安芸高田市元市長石丸伸二、航空自衛隊元航空幕僚長田母神俊雄4人の東京都知事選立候補予定者共同記者会見(日本記者クラブ主催)が2024年6月19に行われた。
 
 最初に4人が主たる政策の主張を書き入れたフリップを掲げて、「1分間の政策主張」を行っているが、その発言のみを取り上げてみる。特に蓮舫の場合、自己正当化バイアスそのものがこの1分間の政策主張に現れていて、それがハンパない事例として取り上げるのはこの発言のみで十分と見る。

 東京都知事選立候補予定者共同記者会見(日本記者クラブ/2024年6月19)
 
 石丸伸二(フリップ『政治屋の一掃』)「私の政策、さらに言うなら、掛け声です。『政治屋の一掃』。仕事をする振りをして、一向に成果を上げない、そんな政治屋を一掃したいとこれまでずっと考えてきました。

 (大きな声で)『恥を知れ、恥を』。これが国民の思いだと思っています。東京都知事選は日本全国の関心事になるはずです。東京が変われば、日本が変わります。東京の政治が変われば、日本の政治が確実に変わります。是非私達の力で東京を動かしてください」

 小池百合子(フリップ『首都防衛 命、暮らし、防災、経済』)「私はこのように『首都防衛』に力を込めています。もっとよくなる『東京大改革3.0』を続けてまいります。3期目の挑戦をさせて頂きます。未来を、子どもや子育てを守る。その世界を守っていきます。物価高など厳しい環境から生活を守ってまいります。国会協調など一括で(?)経済を守り、かつ成長させていかなければなりません。

 自然災害も激甚化させております。都民の命と東京の未来を守る戦い、これを都民のみなさまに訴えていきたいと思います。2期8年、全公約164の項目の90%を達成、そして推進を致しております。コロナ禍の中でなかなかできなかったものもございますけども、2期8年の東京大改革、さらに歩みを進めてまいります。そして都民のため都民とともに世界で1番の都市、東京にして参ります」

 蓮舫(フリップ『若者の手取り増 都、ガラス張り』)「若者の手取りを徹底して増やす。そして都をガラス張りにする。この2点です。若い人たち、残念ながら、貧困から抜け出せない方が、奨学金の負担、雇用の不安、徹底的に取り戻す。若者が元気になれば、今まで諦めていたことを諦めないで済むようになると思います。そして自分の人生を歩んでいくことができる。それは結果として税収、社会保険料の増に繋がります。

 そして企業を支えていく持続可能な、そんな東京都を作りたいと思っております。

 私の専門分野です、行政改革。東京都の行革を進めます。小池都知事が進めてくれたデジタル化、さらにその先へ。都の財政に東京は事業レビューシート(?)と言います。約6000の事業。どこで誰がいつ、どのように使ったのか、契約、どんな遣り方なのかもしっかりと公表する。

 そして収めた税金が何に使われているのか。もしここで果実が出たら、躊躇なく、若者に、現役世代に、シニアに振り分けて行きたいと思います」

 田母神俊雄(フリップ『結果を出す政治 都民の安全と豊かな暮らし』)「私はですね、『政治は結果である』。結果を出す政治でなければいけない。都政は都民の安全と豊かな暮らし、これを実現しなければならないと思います。しかしこの15年を見ているんですね。都はより安全になったのか。暮らしは豊かになったのか。なってはいないんではないのか。だから、この公約を掲げてもですね、結果が出ていなければ、意味がないと思うんですね。公約の良し悪しよりはですね、その人は本当に実現能力あるのかと、その実行能力を十分に判断して頂きたいというふうにむしろ思います。

 私は自衛官だったんですけれども、防衛省に於ける行政経験を通じた行政をどういうふうに改善していくかというノウハウは弁えているつもりです。是非、私に任せてほしいというふうに思います。ありがとうございました」
 
 蓮舫は行政改革は私の専門分野だと言い、都の約6000の事業を仕分けし、「もしここで果実が出たら、躊躇なく、若者に、現役世代に、シニアに振り分けて行きたい」と宣言した。

 「行政改革」とは省庁等の国の行政機関の人材の配置面を含めた組織運営の適正化、効率化、予算編成と予算に基づいた事業推進の適正化、効率化等を図ることを言う。組織自体をより活性化の方向に持っていく。

 蓮舫が「約6000の事業。どこで誰がいつ、どのように使ったのか、契約、どんな遣り方なのかもしっかりと公表する」と言っていることは各予算に基づいて実施することになった、あるいは既に実施している事業の必要性や予算や事業の進め方のムダを点検し、廃止、見直し等を含めて予算と事業の適正化を図っていく事業仕分けのことで、いわば行政改革の主たる手段の一つに事業仕分けを位置づけているということであるはずだ。

 但し、「私の専門分野です、行政改革」と言い切ることができたのは行政改革を成し遂げ得たかどうかは不明だが、過去に事業仕分けを経験し、成功を収めたと見ているからこその自信の現れであって、そのことを自らの成功体験としているからこそであろう。

 蓮舫は2010年6月8日に菅内閣発足により行政刷新担当大臣として初入閣を果たし、2009年(平成21年)11月から始まった事業仕分けに仕分け人として参加し、その舌鋒鋭い追及をマスコミは華々しく取り上げた。

 では、金額分でどのくらいムダがあったのか、次の記事から見てみる。

 『民主党時代の経済・財政政策(3)ポピュリズムと財政赤字』(小峰隆夫の経済随想 私が見てきた日本経済史(第110回)日本経済研究センター/2022/11/18)

 〈鳩山内閣は、大きく膨らんだこの10年度予算の概算要求を3兆円以上削減することを目指して「事業仕分け」を行うこととした。
  ――中略――
 問題はその成果だが、行政刷新会議の報告によると、仕分けの対象となった事業のうち、必要性が乏しい事業を「廃止」や「予算削減」としたことにより、約7400億円が削減された。さらに公益法人や独立行政法人の基金のうち約8400億円を国庫に返納するよう求めた。両者を合わせると、仕分け効果は総額で約1兆6千億円となった。目標の3兆円には全く届かなかったわけだ。

 このことは「無駄を削る」という掛け声だけでは予算を圧縮する効果は乏しいことを物語っている。そもそも、それぞれの事業は何らかの必要性に基づいて企画され、予算措置が取られているものであり、「これは無駄」「これは無駄ではない」と簡単に分けられるようなものではない。無駄を削るという考え方もまた、あまりにもナイーブだったのだ。〉――

 記事は何らかの必要性に基づいた予算措置だから、ムダを基準に簡単に分けられないとしているが、国管理の空港のうち、大東京という地の利に恵まれているのだろう、羽田空港のみが黒字で、その他の成田を筆頭に新潟、徳島、鹿児島、高知、大分、小松等々の空港は赤字となっている。

 要するに必要性の見間違いによってムダな事業が存在する場合もあることになるから、"必要性"の視点からだけでムダの存在が排除されるわけではない、

いずれにしても、民主党の事業仕分けがマスコミに騒がれた程にはムダの削減によって望み通りの財源を生み出したわけではなかった。さらに民主党菅内閣の「マニフェスト2010」に、〈10.自公政権で行われた2010年度予算概算要求を各府省の政務三役が政治主導で見直し、1.3兆円の予算を削減しました。

11. 事業仕分け
  公開の場で一つひとつの事業を外部有識者などが検証する「事業仕分け」で政策効果の低い事業の凍結や、天下り法人などの「中抜き」を見直した結果、約2兆円の財源を確保しました。〉と書いているが、前政権の予算と事業は政治主張や政策の違いから見直しやすく、そのことに応じてムダと指摘できる項目も多々あることになる。

 だが、新政権が新たに編成した予算と関連事業は自らが準備した予算と事業である手前、基本的にはムダは極力あってはならないことになる。でなければ、自らムダを作って、自らムダを指摘し、その予算を削る、あるいは見直すというマッチポンプな事業仕分けを結果的に演じることになるからだ。

 大体が前政権の事業仕分けを行った手前、自らの政権が予算を組む場合、その段階で見直しを必要としない、当然、ムダと指摘されない内容の予算を組む責任を負っていることになるから、事業仕分けからのそれなりに期待できる財源の捻出は政権交代の一年にほぼ限定されることになる。

 以上のような事業仕分けというものの性格を蓮舫が都知事選に当選して、都知事になった場合に当てはめてみると、東京都の事業仕分けを行うとしても、最初の事業仕分けは小池百合子が編成した予算とその事業が対象になるから、それなりのムダな財源を捻出できるとしても、次に都知事である蓮舫自身のもとで編成した予算と事業に対する事業仕分けはムダを指摘することも、事業の廃止や見直しを求めることも自己矛盾を曝すことになって、できにくくなり、その点に何がしかの財源を求めること自体が矛盾することになる。精々できることは事業を行ってみて、カネの使い道にムダがなかったか、改善点はなかったか、費用対効果はどうだったかなどなどを検証することぐらいだろう。

 蓮舫はこういったことを民主党政権時代に拝命した行政刷新担当大臣として臨んだ事業仕分けで経験していて、自らの知識・情報としていたはずである。

 だが、都知事選立候補者の共同記者会で、「私の専門分野です、行政改革」と言い切り、「収めた税金が何に使われているのか。もしここで果実が出たら、躊躇なく、若者に、現役世代に、シニアに振り分けて行きたいと思います」と各世代に満足の行く形でそれぞれの要望を充足できる財源の捻出ができるかのように発言したのは、事業仕分けが持つ性格を考えもせずに民主党時代の事業仕分けを世間一般の受け止めとは異なり、成功体験としているからではなくてできないはずだ。

 要するに民主党政権時代の事業仕分けに対する一般的な評価を頭に置くことができない、この感性はやはり「常に自分の考えは正しい」とする自己正当化バイアスが仕向けることになっている心理傾向であろう。

 当然、事業仕分けが政策財源の一つの大きな捻出対象であるかのような発言は控えなければならなかった。若者・現役世代・シニア等の生活者を重点的な政策対象と考えているなら、それらの対象を優先順位に位置づけていることを周囲が理解できる6兆円余の都の財源を配分した政策を直接的に示すべきだった。事業仕分けは政策ではなく、単なる検証作業に過ぎない。

 だが、逆に事業仕分けが政策財源の主要な捻出対象であるかのような印象を与えてしまった。やはり民主党政権時代の事業仕分けを成功体験としていて、大いなる自身の勲章としているからに違いない。

 蓮舫が民主党政権時代の事業仕分けで、「スパコンは世界一になる理由は何があるんでしょうか?2位じゃダメなんでしょうか」と発言、次世代スーパーコンピュータ「京」の開発計画が一時凍結された際、当方は蓮舫を擁護するブログ記事を書いた。勿論、予算削減を視野に入れた必要性の方向から擁護したわけではない。記事題名を見れば、一目で分かる。

 《スパコンは世界1位でなくても2位、3位であってもいい、日本人の創造性世界1位を目指すべき》(『ニッポン情報解読』by手代木恕之)

 いくら計算速度の早いスーパーコンピューターを作ったとしても、計算速度が早いというだけの箱物であって、必要とする創造性を与えてくれるわけではない。当時、スーパーコンピューターが新薬開発に画期的なまでのスピードアップを与えると期待されていたが、どのような成分の化学物資を配合したら特定の病気に対して有効性が期待できるかは人間の頭が司るのであって、スーパーコンピューターが司るわけではない。

 それが証拠にコロナが収束するまでに日本は国産のコロナワクチンを製造することができずにアメリカやドイツのワクチンに頼った。

 尤も最近はAIが機械に記憶させた過去にまで遡った膨大な資料の中から必要とする情報を瞬時のうちに拾い出してくれるが、その情報を生かすのも殺すのも、やはり人間の創造性にかかることになる。

 AI技術の構築と発展に日本が遅れを取ったのはその方面の創造性が不足していたからだろう。

 最後は余談になったが、自己正当化バイアスに陥ることも創造性の欠如が一因となる。
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野党の旧統一教会と裏ガネ疑惑対与党追及の拙劣さが招いた国民の怒り未満の欲求不満が選挙結果に現れた

2024-11-06 06:47:20 | 政治

 Kindle出版電子書籍「イジメ未然防止の抽象論ではない具体策4題」(手代木恕之著/2024年5月18日発行:500円)

 2009年7月21日、衆議院が解散され、2009年8月30日にその投票が行われた。その結果、民主党は115議席から一挙に193議席増えて308議席、対する自民党は300議席から181議席減って119議席、公明党は10議席減の21議席となった。この結果、自民党は1955(昭和30)年の保守合同による結党以来、初めて第一党の座を失った。9月16日、特別国会で鳩山由紀夫が首相に指名され、鳩山民主党政権がスタートした。

 2007年7月の参議院議員選挙で第一党に躍り出て、ねじれ国会を作り出したという布石はあるものの、民主党は政権獲得を文句なしの一発で決めた。

 この選挙での自民党+公明党に対しての有権者の191議席減の審判はその在り方に対する怒りの度合いを示していて、民主党の193議席増は与党の在り方に対する怒りの反動の度合いを示すことになり、議席減と議席増が大幅でほぼ拮抗している点は怒りの質とその発露の大きさを現していると言える。

 もし与党の在り方に対する有権者の怒りが中途半端なら、怒りの質とその発露も中途半端な結末へと向かう。今回の2024年10月の衆議院選挙結果が有権者のどのような怒りの感情がどの程度に働いて議席の増減を生み出したのか予測してみる。

 与党自民党公示前258議席から67議席減の191議席獲得。
 与党公明党公示前32議席から8議席減の24議席獲得。
 立憲民主党公示前98議席から50議席増の148議席獲得。

 与党自公で公示前290議席から75議席減の215議席獲得。立憲民主党との獲得議席数の差は自公プラスの67議席。野党全体では過半数233議席を18議席上回っているが、纏って一丸となっているわけではなく、党としての在り方についても、政策的にもバラバラ状態を呈している。

 要するに今回の衆院選に於ける自公与党に対する国民の怒りの審判は2009年8月30日の衆院選のときのように強烈なものではなく、中途半端だったから、立憲民主党は単独で自公の議席を越えて、文句なしの一発の状態で自公を政権の座からから引きずり下ろすことができなかった。国民の怒りが強烈で真正な質のものであったなら、十近くの野党が乱立していたとしても、野党第一党としてそれなりの議席を抱えていたのだから、一気に政権担当に向かわせる支持を集めることもできたはずである。

 この怒りが中途半端なものであることは投票率にも現れている。民主党が政権を取った際の2009年8月衆院選小選挙区投票率は前回比+1.77ポイントの69.28%もあったが、今回の小選挙区の投票率は前回比+2.08ポイントの53.85%で、しかも戦後3番目の低さだというから、有権者の自民党に対する怒りも程々で、怒りを向けるべき矛先の、その表現の具体的な形としての自民党に対する懲罰も程々だったことが分かる。

 与党の在り方に対する怒りの感情が存在したにも関わらず、その発露(=懲罰)は全体的には沸騰点には至らない生煮えの状態だった。その原因を推測する前に有権者の怒りを発動させることになった自由民主党の党としての在り方の非難対象となった諸事情は断るまでもなく、2022年7月8日発生の安倍晋三銃撃死によって表面化し、政治問題に発展した安倍晋三を仲介元とし、自民党議員の多くが選挙運動で利益を得ることになった反社会的勢力同然の旧統一教会との関係であり、安倍派後援会政治資金パーテイで安倍派所属議員にパーティ券売上にノルマを課し、その超過分は政治資金報告書不記載で現金還付した政治的不正行為であったはずだ。

 後者は他派閥も行ってはいたが、安倍派程には多人数で、金額的にも大掛かりではなかった。前者後者共に首相であった当時の安倍晋三が大掛かりな仕掛け人として関与していた。旧統一教会との関係では選挙期間中に信者による運動ボランティアと票の提供を受け、見返りに国会議員の名前を信者獲得に利用させた。いわば票の利益の代償として広告塔の役目を担った。

 安倍派後援会政治資金パーテイでの政治資金収集報告書不記載で還付された現金は表に出していないカネという性格上、表に出せない政治活動費――裏ガネとして使われていたはずで、そうでなければ不記載という見えない形にする必要性は生じないからで、そのことを関係したどの議員も否定していて、野党からの国会での追及をその地点でかわすのに成功させている。

 結果、誰が裏ガネ制度を考案し、始めたのか、裏ガネを何に使い、どのような利益を受けていたのか、全て真相は藪の中となった。もし追及によって真相が解明できていたなら、自民党の在り方に対する国民の怒りは沸点に達し、政権交代という懲罰で対応した可能性は十分にありうる。だが、追及が生半可で、真相に至らず、国民の怒り未満の欲求不満を誘っただけだから、その程度の審判、いわば一発で政権交代に向かわせる選挙結果とはならない程度で終わった。

 安倍晋三が中心人物として関わったはずの旧統一教会問題での国会追及も似たような経緯を辿ることになった。1980年代から旧統一教会の信者本人や信者の家系に悪い因縁や霊の祟りが取り憑いていて、それを除くに霊験があるとする印鑑、数珠、多宝塔、壺などを法外な値段で売りつけたり、高額な寄付で賄わせたりする、いわゆる霊感商法が1980年代には既に社会問題となっていた。

 名称は霊感商法と尤もらしく名付けているが、実態は詐欺商法そのものであった。

 旧統一教会は1997年になって正式名「世界基督教統一神霊教会」から「世界平和統一家庭連合」へと名称変更の相談を当時の文部省文化庁の宗教法人を所管する宗務課に相談したが、当時宗務課長を務めていた元文科次官の前川喜平が部下の職員から相談の報告を受け、断ったことを2022年8月5日の立憲民主党や共産党などの合同ヒアリングで証言している。

 「宗務課の中で議論した結果、実態が変わっていないのに名前だけ変えることはできない。当時、『世界基督教統一神霊教会』という名前で活動し、その名前で信者獲得し、その名前で社会的な存在が認知され、訴訟の当事者にもなっていた。その名前を安易に変えることはできない。実態として世界基督教統一神霊教会で、『認証できないので、申請は出さないで下さい』という対応をした。相手も納得していたと記憶している」(NHK NEWS WEB記事)

 体を表してきた名前を変えたなら、体を隠してしまうことになる。そのような隠蔽工作には手を隠すことはできないということだったのだろう。

 ところが、18年後の2015年(平成27年)になって、前川喜平が文部科学審議官を務めていた際、当時の宗務課長から教会側が申請した名称変更を認めることにしたと説明を受け、認証すべきでないという考えを伝えたという。

 「そのときの宗務課長の困ったような顔を覚えている。私のノーよりも上回るイエスという判断ができるのは誰かと考えると、私の上には事務次官と大臣しかいなかった。何らかの政治的な力が働いていたとしか考えられない。当時の下村文部科学大臣まで話が上がっていたのは、『報告』したのではなく、『判断や指示を仰いだこと』と同義だ。当時の下村文科大臣はイエスかノーか意思を表明する機会があった。イエスもノーも言わないとは考えられない。結果としては、イエスとしか言っていない。下村さんの意思が働いていたことは100%間違いないと思っている」

 勿論、下村博文は否定している。文化庁の担当者からは『旧統一教会から18年間にわたって名称変更の要望があり、今回、初めて申請書類が上がってきた』と報告を受けていた。担当者からは、『申請に対応しないと行政上の不作為になる可能性がある』と説明もあったと思う。私が『申請を受理しろ』などと言ったことはなかった」

 国会で追及を受けることになった際の文科大臣の末松信介は2022年8月8日の記者会見で次のように発言している。

 「形式上の要件に適合する場合は受理する必要がある。担当者に確認したところ、当時、旧統一教会側から『申請を受理しないのはおかしいのではないか』という違法性の指摘があった。教会側の弁護士が言っているという話だった」

 形式上の要件が整っていたとしても申請を認証せず、文部科学大臣の諮問機関である「宗教法人審議会」で判断すべきだったという指摘が出ていることについて。

 「申請の内容が要件を備えていることを確認して認証を決定したと認識していて、宗教法人審議会にかける案件ではなかった」

 「申請の内容が形式上の要件を備えている」とは、宗教法人として既に認証されているから、活動内容を問う項目はなく、あったとしても、宗教活動の陰で信者を利用して不法な利益活動を行っているなどと書くはずもなく、宗教法人の主たる活動場所、代表名、新名称等々、書類が要求する様式に則って外見上の事実が滞りなく記入されていれば、書類として完備しているというだけの話で、宗教法人「世界基督教統一神霊教会」(いわゆる旧統一教会)の名前で世間に明るみに出つつあった悪徳霊感商法や不法な寄付強要、裁判沙汰といった裏の実態に関わる情報については宗教法人を所管する文化庁宗務課ならアンテナに捉えておくべき責任行為の一つであるはずだが、責任行為に反して旧統一教会がその手の宗教団体だと見られ始めていた各不法行為を結果として不問に付した。あるいは名称変更を認証することによって旧名に纏わりつくことになっていた悪名を隠してやる便宜供与を与えた。

 情報収集しているはずの文化庁宗務課という一部署が収集しているはずの情報を問題外として、果たして単独で認証できることなのか、安倍晋三という上にまで遡った地位からの指示なのか、いずれかが考えられるが、役人が単独で行ったなら、ワイロを受けていたか、政治家の力が働いていたなら、同じくワイロを受けているか、政治活動上の何らかの利益を受けていなければ、不法行為の不問という事態は招き得ない。

 現実問題として安倍晋三が中心的な橋渡し役となって旧統一教会と自民党政治家を結びつけて持ちつ持たれつの利害関係を築いていた。

 旧統一教会と自民党国会議員との間を選挙の便宜で結びつけたことと政治資金パーティノルマ超現金還付収支報告書不記載の裏ガネ作りの双方に安倍晋三が中心人物として位置していた遠因は第一次安倍政権が一年足らずの短命で終わったことと無関係ではあるまい。

 2006年9月26日成立後、閣僚の不祥事・失言が相次ぎ、支持率が20%台まで低下、2007年(平成19年)7月29日の参議院選挙で与党は過半数割れの惨敗を喫し、ねじれ国会となって政権運営は機能不全に陥り、病気を理由に2007年(平成19年)8月27日に辞職し、1年も持たない短命に終わった。

 あとに続いた麻生太郎政権も、福田康夫政権も、ねじれ国会を安倍遺産として困難な政権運営を強いられて、前者は一年未満、後者は一年丁度で政治の舞台を去ることになって、2009年8月30日の衆議院選挙で民主党に政権を譲り渡すことになった。

 だが、2012年9月26日に自民党総裁に返り咲いた安倍晋三は民主党政権4年間の不人気に助けられて2012年(平成24年)12月16日の衆議院選挙で解散前118議席から176議席増の294議席、公明党31議席と合わせて325議席獲得、一方の民主党は解散前230議席から173議席減らし、57議席となり、政権を渡すことになった。

 このような屈辱的な名誉喪失と名誉回復の変転が安倍晋三をして選挙の勝利こそが政権運営の始まり、いわば選挙に勝たなければ、政権は維持できないんだ、"選挙の勝利こそが全て"と肝に銘じさせ、それが執念と化し、凝り固まることになったに違いない。選挙に負けたら、自分の政治は思い通りには動かせない。選挙に勝ちさえしたら、自分の政治は思い通りに動かせる。

 その好例は先ず第一番に消費税増税の選挙を使った2度の延期を挙げることができる。一般国民の最大の利害は"生活"だと熟知し、選挙に利用した。野田内閣が2012年3月に消費税増税を含む社会保障•税一体改革法案を国会に提出、2012年6月に民主、自民、公明の3党が同法案について消費税率を2014年4月に8%、2015年10月10%に引き上げる内容で修正合意し、2012年8月に法案(「社会保障と税の一体改革関連法」)が成立した。

 2012年12月26日に第2次安倍政権が発足し、法律に基づき、2014年4月に消費税率8%に引き上げたものの、前年2013年10月に消費税率8%への引き上げを閣議決定していたから、駆け込み需要が発生、一般国民はトイレットペーパーや調味料等の長期保存の効く生活用品の買い溜めが精々だったが、富裕層は住宅や車等の高額商品の先買いに走った。

 増税前とか商品の値上がり前は先買いに走ってしまうのは人情だが、この消費税増税前の駆け込み需要の所得層に応じた金額差はアベノミクスが格差ミクスを正体としていたことに関連付けると、何か象徴的である。但し駆け込み需要が反動を招いて、増税後の消費活動が停滞、景気の悪化を招いた。

 このことに懲りたのだろう、安倍晋三は2014年4月の消費税率8%への増税から約8ヶ月後、2015年10月の消費税率10%への増税予定から遡ること約1年前の2014年11月18日の記者会見で3党合意に基づいた法律を曲げて10%増税の2017年4月への先送りを表明。この判断の是非について国民の信を問うためとの口実のもと、任期を約2年を残して解散を行い、2014年12月14日に衆議院選挙を行うことにした。

 自民党は選挙前議席から4議席減、海江田万里代表の民主党は政権運営で評判を落としたものの、逆に10議席増を獲得。僅かでも民主党に有利な結果をもたらした状況を受けて、消費税増税を延期しておいてよかったと胸を撫で降りしたに違いない。もし増税を予定通りとしていたなら、マイナス4議席で済まなかった可能性は否定できない。増税によってさらに消費が冷え込み、経済が悪化したなら、政権の命取りになりかねないことを予測し、増税延期の手を早めに打ったはずだ。

 この選挙によって衆議院議員の任期は2017年12月13日までとなるが、2016年6月1日の記者会見で2017年4月へと先送りした消費税10%への増税を何だかんだと理由をつけて2年半も先の2019年10月に再延期すると表明。

 その何だかんだの一部を見てみる。

 「1年半前の総選挙で、私は来年(2017年)4月からの消費税率引上げに向けて必要な経済状況を創り上げるとお約束しました。そして、アベノミクスを強力に推し進めてまいりました」

 「1年半前、衆議院を解散するに当たって、正にこの場所で、私は消費税率の10%への引上げについて、再び延期することはないとはっきりと断言いたしました。リーマンショック級や大震災級の事態が発生しない限り、予定どおり来年4月から10%に引き上げると、繰り返しお約束してまいりました」

 「内需を腰折れさせかねない消費税率の引上げは延期すべきである。そう判断いたしました」

 「2020年度の財政健全化目標はしっかりと堅持します。そのため、ぎりぎりのタイミングである2019年10月には消費税率を10%へ引き上げることとし、30カ月延期することとします。その際に、軽減税率を導入いたします。」

 「信なくば立たず。国民の信頼と協力なくして、政治は成り立ちません。『新しい判断』について国政選挙であるこの参議院選挙を通して、『国民の信を問いたい』と思います」

 この2016年6月1日の記者会見からほぼ1ヶ月10日後の2016年7月10日の参院選挙で自民党は+6議席、岡田民主党は-13議席。生活を最大の利害としている一般国民の、それゆえに抱えることになる消費税増税への忌避感を巧みに和らげることに成功した。

 "選挙の勝利こそが全て"が執念と化した状況を手に入れるために増税の時期を巧みに操作する消費税の政治利用を敢行した。

 2014年12月14日の衆議院選挙から任期を1ヶ月半余を残して解散し、打って出た2017年10月22日の衆議院選挙に備えて10%への増税が2年も先の2019年10月からだと言うのに消費税をちゃっかりと選挙に利用している。

 2017年9月25日記者会見。

 安倍晋三「再来年10月に予定される消費税率10%への引上げによる財源を活用しなければならないと、私は判断いたしました。2%の引上げにより5兆円強の税収となります。現在の予定では、この税収の5分の1だけを社会保障の充実に使い、残りの5分の4である4兆円余りは借金の返済に使うこととなっています。この考え方は、消費税を5%から10%へと引き上げる際の前提であり、国民の皆様にお約束していたことであります。

 この消費税の使い道を私は思い切って変えたい。子育て世代への投資と社会保障の安定化とにバランスよく充当し、あわせて財政再建も確実に実現する。そうした道を追求してまいります。増税分を借金の返済ばかりでなく、少子化対策などの歳出により多く回すことで、3年前の8%に引き上げたときのような景気への悪影響も軽減できます」

 そして、「(9月)28日に、衆議院を解散いたします」と解散を宣言。そして2017年10月22日投票の結果、自民党は解散前284議席に対して獲得284議席の±0、枝野立憲新党は新党への期待値からか、解散前15議席に対して獲得55議席の+40議席。民主党後継の前原民進党が合流した新党小池百合子希望の党が解散前57議席に対して獲得50議席の-7議席。

 有権者の選挙への関心を呼び起こすために2年も先の消費税10%増税を持ち出して、その税収は社会保障の充実と借金の返済に当てるべきところを少子化対策を含めた子育て世代への投資にまで広げるといい事尽くめのバラマキで自民党への投票を誘導しようとしたのだろうが、如何せん、2年も先の増税を争点化したのだから、生活が最大の利害と言えども切実感は湧かず、しかも選挙のたびに同じ手を繰り返されたのでは新鮮味を失う。

 だが、議席の獲得がどうであったとしても、消費税増税を選挙での票の獲得に利用したという点では、選挙に勝つためには何でも利用する、"選挙の勝利こそが全て"とする執念を示していることに変わりはない。

 安倍晋三は毎年4月に神宮外苑で行われる首相主催の「桜を見る会」でも、本人が主催の際には参加者の募集で票と結びつけていた疑いが出て、国会で追及を受けている。勿論、本人は否定している。2019年12月2日参議院本会議での共産党参議院議員田村智子の代表質問に対して次のように答弁している。文飾は当方。

 安倍晋三「『桜を見る会』への私の事務所からの推薦についてお尋ねがありました。私の事務所に於いては内閣官房からの依頼に基づき後援会の関係者を含め地域で活躍されてるなど、『桜を見る会』への参加にふさわしいと思われる方を始め、幅広く参加希望者を募り、推薦を行っていたところであります。その過程に於いて私自身も事務所からの相談を受ければ、推薦者についての意見を言うこともありましたが、事務所を通じた推薦以外は行なっておりません。

 他方、繰り返しになりますが、『桜を見る会』の招待者については提出された推薦者につき最終的に内閣官房及び内閣府に於いて取り纏めを行っているところであり、私の事務所が申し込めば、必ず招待状が届くものではありません」――

 最終的な参加者決定は内閣官房及び内閣府が行っていて、我々が関知しないことであり、選考から漏れる場合があるとしている。事実かどうか見ていく。

 内閣官房・内閣府による《「桜を見る会」開催要領》によると、招待範囲は皇族、元皇族から始まって各国大公使等、衆参両議長、副議長、最高裁長官、国会議員、省庁事務次官や局長、都道府県知事、都道府県議会議長等であり、それ以外の一般人ということか、「その他の各界代表等」となっている。招待人数は「計 約1万人」。〉

 ところが、「桜を見る会」(Wikipedia)を見ると、小泉政権で1万人を割っていた招待客が最後の2006年に1万1000人となり、福田内閣が1万人、麻生太郎が1万1000人、鳩山由紀夫が1万人。安倍晋三の第2次が始まって最初の年が1万2000人、年々増えていって、参議院の選挙があった2019年4月の出席者数は約1万8200人、募集人数の約2倍近くまで膨れ上がっている。
 
 要するに内閣官房・内閣府による招待可否の選別は見えてこない。因みに予算額は第二次安倍政権最初の2013年は1718万円だったのが翌年から1766万6000円と増え、最後の2019年は1766万円で、6千円の減額となっているが、支出額は毎年2倍近く、あるいは2倍以上となり、最後の7月に参議院選挙のあった2019年4月は予算額1766万円に対して3倍以上の5518万7000円にまで膨れ上がっていて、この理由を内閣府大臣官房長は国会答弁で、「テロ対策の強化や混雑緩和のための措置」としているが、テロ対策と混雑緩和措置は別々に行う課題ではなく、混雑緩和がテロ対策に役立つ関係から同時並行で行う作業で、しかもテロの脅威が差し迫っている状況なら、飛び抜けた予算が必要な場合も考えられ、予算額の倍以上、あるいは3倍以上となる可能性も生じるが、差し迫っているわけでもない以上、予算額の1.5倍程度なら理解できるが、常識的に言って、2倍以上、3倍以上は考えられないことで、支出額の面からも予算額の範囲内に収める"招待客絞り"は見えてこない。

 安倍後援会事務所も「平成31年4月13日(土)」の日付けで〈内閣府主催「桜を見る会」参加申し込み〉の用紙を後援会員向けに配っている。以下、書き込み欄以外の全文をテキストにして抜き出してみた。

 FAX:083-(ぼかし)あべ事務所行

 内閣府主催「桜を見る会」参加申し込み
   平成31年4月13日(土)

 《記入についてのお願い》
※ご夫妻で参加の場合は、配偶者欄もご記入ください。
※後日郵送で内閣府より招待状が届きますので、必ず、現住所をご記入ください。
※参加される方が、ご家族(同居を含む)、知人、友人の場合は別途用紙でお申し込みください。 (コビーしてご利用ください)
※紹介者欄は必ずご記入ください、(本人の場合は「本人」とご記入下さい)
※前日の「夕食会」「観光」「飛行機」等につきましては、後日、改めて参加者の方にアンケートさせていただきます。

 そして氏名(参加者、配偶者)や性別、生年月日、現住所、連絡先(自宅、携帯)等を書き込む欄となっている。

 最初に断っておくが、政治家の後援会員を「桜を見る会」の招待客の対象とすること自体が間違っている。その後援会員が「各界代表等」の該当者であったとしても、後援会員としては一政治家を選挙で当選させる利益のために活動しているのであって、それが国のためになると考えていたとしても、各界代表等」の活動とは別物である。「桜を見る会」の招待客としてふさわしいかどうかは本人が職業として、あるいはボランテティアとして専門に活動し、所属している団体、あるいは所属している地域の公共団体の総意を受けた推薦に負わなければならないはずである。当然、後援会の代表者である政治家には自身が受けている利益の見返りとなる政治利用に当たることになって、推薦する資格はないことになる。

 だが、安倍晋三はこの道理を無視して、既に上に挙げているが、自身の後援会を通して自らも招待を行っているばかりか、内閣官房・内閣府の「桜を見る会開催要領」の「その他の各界代表等」に当てはめ、それを口実に安倍後援会を通した招待を正当化している。

 2019年11月8日の参議院予算委員会での共産党田村智子に対する答弁。「『桜を見る会』についてはですね、各界に於いて功績・功労のあった方々をですね、各省庁からの意見等を踏まえ、幅広く招待をしております。招待者については内閣官房及び内閣府に於いて最終的に取り纏めをしているものと承知をしております」

 「各界に於いて功績・功労のあった方々」であったとしても、安倍晋三後援会事務所を通して推薦した場合、安倍晋三の選挙のために活動している利害関係者に当たることから、その見返りの招待ということになって、政治の私物化、あるいは職権乱用以外の何ものでもない。

 要するに安倍晋三が「私の事務所が申し込めば、必ず招待状が届くものではありません」と国会答弁していることに反して、推薦=招待となっていることと、このことが政治利用のシステムとしていた。

 第一番に安倍後援会事務所の「参加申し込み」案内状のどの文面を見ても、招待されないケースがあり得ることの断りを入れた、あるいは断りを窺わせる文言は見当たらない。

 逆に参加申し込みがそのまま招待を意味することを暗黙の了解とした文章の作りとなっている。最初の、〈※ご夫妻で参加の場合は、配偶者欄もご記入ください。〉は、招待の案内はするが、招待決定は安倍事務所から離れて内閣官房・内閣府に委ねられ、招待の選から漏れるケースがあるとの断りがないままで選から漏れた場合は夫妻同伴で招待を画策した意味を失い、相手に対して不愉快な感情を与えるばかりか、後援会から離れるキッカケや選挙活動に不熱心となるキッカケを与える場合も考えられることで、自らの無責任が作り出した不利益を回避するためにはお知らせ=招待となっていなければ、整合性は取れない。

 〈※後日郵送で内閣府より招待状が届きますので、必ず、現住所をご記入ください。〉にしても、"参加申込=招待状郵送"を意図した文言であって、安倍晋三が、"あべ事務所が申し込んでも必ずしも招待されるわけではない"と国会答弁したこととは齟齬する文言となる。

 〈※参加される方が、ご家族(同居を含む)、知人、友人の場合は別途用紙でお申し込みください。 (コビーしてご利用ください)〉も、"参加申込=招待状郵送"を絶対前提とした案内そのものとなる。篩に掛けるが事実なら、本人だけが招待される、あるいは本人以外が招待される可能性も考慮することになって、このような文面の「参加申し込み」はできないことになるからだ。

 こういった無規律な参加者募集が2019年4月の「桜を見る会」では内閣官房・内閣府が招待客を約1万人としながら、2倍近い1万8千人も出席させることになったとしなければ、常識的な納得は得ることはできない。もし内閣官房・内閣府が篩にかけていたなら、自分たちが前以って想定していた1万人前後の範囲内に収めていたはずである。総理大臣主催なのだから、総理大臣側の圧力、あるいは横槍がなければ、1万人を遥かに超えた、1万8千人分もの招待状を発行することはないし、支出額が予算額の3倍以上も超過することもなく、淡々と事務処理して招待人数も支出額も予定内に収めていたはずだ。

 要するに安倍晋三の、「私の事務所が申し込めば、必ず招待状が届くものではありません」は虚偽答弁そのものだと断定できる。

 安倍後援会事務所への功労の見返りに「桜を見る会」に招待し、それぞれの自尊心を満足させ、自らは選挙での票の見返りを期待する政治利用を行った。  

 このことは参議院自由民主党事務局総務部が2019年7月の参議院選挙の改選議員に向けて平成31年1月31日の日付けで発信した、《「桜を見る会」のお知らせ》が何よりの証拠となる。文飾は案内状通り。

 〈一般の方(友人、知人、後援会等)を、4組までご招待いただけます。〉――

 直接的な当人以外であっても、申込みさえすれば、招待状が郵送されることを保証しているからこそ、下線を付け、文字を太くしてまで強調できる。その逆はあり得ない。しかも内閣官房・内閣府の《「桜を見る会」開催要領》が「その他の各界代表等」としている制限には何ら触れない、それを無視した「一般の方」までも対象者に含めた招待内容となっている。この無差別性が自民党改選議員を対象とした選挙利用の「お知らせ」であることを明らかに物語ることになる。約1万人が約1万8千人にまで膨れ上がったのは当然である。

 安倍事務所や参議院自由民主党だけではなく、自民党幹部の萩生田光一以下、それぞれの議員の後援会員を無差別に招待している点からして(後援会員の中にはどの点が「各界代表」と言えるのか不明の、選挙のウグイス嬢まで招待している点が招待の無差別性を如実に物語っている)、安倍内閣ぐるみの選挙利用と指摘できる。

 総理大臣主催の公の行事である「桜を見る会」の参加者招待を選挙利用の対象とする。安倍晋三の"選挙の勝利こそが全て"の執念が向かわせた選挙利用、権力の私物化と見るほかない。その根性の程度を知ることになる。

 結果、2012年12月の衆議院選挙を皮切りに衆議院選挙3回、参議院選挙3回、計6回の選挙を6戦全勝とすることができた。野党は安倍晋三の消費税増税延期を巧みに操った選挙利用、安倍晋三が中心的役割を果たした旧統一教会と多くの自民党議員を介した選挙利用、「桜を見る会」の参加者招待を対象とした選挙利用、政治資金パーティのノルマ超の売上を現金還付して収支報告書不記載とした以上、選挙資金として自由に使える裏ガネに資金洗浄したことになる選挙利用を国会追及したものの、不発のまま終わらせ、最終的に7年8ヶ月という長期政権を許した。

 結果、有権者の側は多くが疑いの目を持ったとしても、内心の怒りを中途半端な状態で抑えつけられ、怒り未満のその欲求不満が今回の選挙での反自民の票の程度となって現れることになり、一発で政権交代を決める場所にまで到達することができなかった。

 世論調査を見ると、現在でも政治とカネの問題について「けじめがついていない」と見る世論は高く、裏ガネ収支報告書不記載問題の真相解明の国会追及だけではなく、旧統一教会の問題も、現在、解散命令請求を東京地裁に出している関係から、裁判の行方次第では再び世間を賑わすことになり、安倍晋三を中心人物とした自民党内での旧統一教会との関係、その政治利用に関わる真相解明を求める声が再度高まり、その高まりに応えた野党の国会追及が成果を上げることができたなら、怒り未満の欲求不満は怒りそのものへと解放され、自民党への懲罰の形を取り、来夏の参議院選挙で野党の票へと向かう、そういった空気を作り出すことができたなら、ねじれ国会も夢ではなく、ねじれ国会を出発点として、野党連合という形であっても、政権交代も視野に入ってくる。
 
 要するに政権交代の怒りを作り出すには自民党という政党の在り方に対する国会追及を貫徹・成功させることが絶対条件となる。
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蓮舫を叩く:女だからではない、参院政倫審世耕追及の「常に自分の考えは正しい」の自己正当化バイアス

2024-10-21 02:10:31 | 政治
 蓮舫の自分に目を向ける自己正当化バイアスが過ぎて、参院政倫審での世耕弘成のウソつきな性格に気づかず

  Kindle出版電子書籍「イジメ未然防止の抽象論ではない具体策4題」(手代木恕之著/2024年5月18日発行:500円)

 蓮舫の自己正当化バイアスが顕著に現れた最近の例を挙げてみる。安倍派と二階派の政治資金裏ガネ事件に関する政治倫理審査会が2024年2月29日以降、衆議院と参議院で開催されたが、裏ガネを受けていた自民党参議院幹事長の世耕弘成に対する参議院政治倫理審査会が3月14日に開催され、追及に立った蓮舫は時間切れを迎えると、次のような発言で締め括った。

 蓮舫「何の弁明に来られたのか、結局分からない。政倫審に限界を感じました。終わります」

 要するに政治倫理審査会という制度の不備を訴えた。世耕弘成自身が誠実に対応しないのは制度そのものに限界があるからで、満足な追及ができなかったという解釈となる。決して自身の追及技術の巧拙を省みることはしない。

 「政倫審に限界を感じた」が事実そのとおりなのか、蓮舫自身の追及技術の巧拙が何ら関係しなかったのかを見ていく。もし後者が関係した追及不足なら、この点でも自分は常に正しいとする自己正当化バイアスの影響を見ないわけにはいかなくなる。

 先ず2024年3月1日の衆院政倫審で安倍派の裏ガネ問題では安倍派幹部の西村康稔がトップバッターとして立った。判明したことは安倍晋三と塩谷立、西村康稔、下村博文、世耕弘成の安倍派幹部4人に加えて安倍派事務局長で会計責任者の松本淳一郎と2022年4月に、そして2022年7月銃撃死の安倍晋三を除いた上記安倍派幹部4人と会計責任者の松本淳一郎の5人が2022年8月に会合を持ったという事実である。

 当方はこの事実を安倍晋三が現金還付・政治資金収支報告書不記載のシステムの開発を主導した張本人で、両会合共に安倍晋三を責任外に置くためのデッチ上げの虚偽事実ではないかと疑っているが、西村康稔自身は自民党武藤容治の質問に答えて、4月の会合の際、安倍晋三から、「現金は不透明で疑念を生じかねないから、こうした現金の還付をやめる」といった方針を示され、全員でその方針を了承したといった答弁を行っている。

 4月8月の会合が事実存在したか、存在しなかったかは別にして、西村康稔が「不透明」と証言した以上、その場に居合わせた幹部4人がその「不透明」をどうように意味解釈したのか、あるいはどういった心証を持ったのか、中止の影響をどう考えたのか等に追及の重点を置かなければならなかった。

 2023年11月以降から既にマスコミによって安倍派、その他の政治資金パーティのノルマ超過分現金還付・政治資金収支報告書不記載が報道され、主だった議員の政治資金収支報告書が調査・報道されて、彼らはこの政治的不正を相次いで認めることになり、いわば政倫審に出席した自民党幹部議員は俎の鯉同然であり、彼らを生かすも殺すも追求する野党側のどう料理するのか、その手捌き次第だった。

 裏金議員が最も多かった安倍派の場合、この悪臭ふんぷんたる慣習が1970年代に福田赳夫を発祥としながら、それ以前の岸信介の岸派、鳩山一郎の鳩山派の流れを汲む清和政策研究会が連綿と受け継いできた制度としてあったものなのか、安倍晋三か、それ以前の直近の派閥領袖が新たに開発した錬金術で、そこからの引き継ぎなのか、証明されてはいないが、もし安倍晋三が開発した制度でなかったとしたら、幹部共々口裏合わせして、現金還付はいつ頃からなのか明確には把握していないが、かなり以前からしていたことで、収支報告書不記載の事実は秘書任せで知らなかったことだと言えば、安倍晋三は単に派閥としてその制度を慣習上、受け継いだだけのこととなり、本人の悪質性はかなり減免される。

 にも関わらず、死人に口なしの安倍晋三が安倍派の会計責任者同伴で安倍派幹部4人と会合を持ち、現金還付中止を指示し、その理由に「現金は不透明で疑念を生じかねない」を挙げたと安倍派幹部の一人西村康稔が政倫審で証言した。

 「現金は不透明」から容易に推察される収支報告書不記載、あるいは虚偽記載への付け替えが浮上する危険性を犯してまで、現金還付を"不透明な領域"へと持っていった。安倍晋三が現金還付を中止指示した理由に正当性を纏わせた場合、なぜ中止する必要性があったのかと矛盾が生じるため、安倍晋三関与無罪説を打ち立てるためには「現金は不透明で疑念を生じかねない」と不当行為の性格付けをギリギリ纏わせなければならなかったからだとしか考えようがない。

 ところが、政倫審での追及側の野党の誰もが安倍晋三が中止理由とした「現金は不透明」から還付した現金の処理方法を推察することはなかった。「不記載を知っていたのではないのか」、「知らなかったのでは済まない」といった類いの追及しかできなかった。

 当然、2022年4月の会合が事実存在した会合で、安倍晋三が現金還付中止の理由として、「現金は不透明で疑念を生じかねない」を実際に口に出していたなら、その時点で安倍派幹部4人は「不透明」という言葉から収支報告書不記載か虚偽記載を前々から承知していたか、承知していなければ、少なくともその処理方法を「不透明」のレベルで推察できたはずで(でなかったなら、不透明→中止→了承へと進む幹部たちの納得を背景とした段階を経ることはできない)、質問に立った与野党の議員は肝心要のこの点を誰一人追及せず、一旦中止と決めた現金還付を自前資金の少ない若手議員からその継続を訴えられて協議することになったとしている、銃撃死を受けた安倍晋三を除いて同じ幹部が集まった8月の会合で誰が再開を決めたのかに追及を集中させた。

 追及の結果、経緯についての説明を少しづつ違わせて答弁を示し合わせていたのだろう、結論を出すに至らなかったから、誰が決めたわけでもない、再開されていたことは承知していなかったと全員がほぼ同じ答弁を繰り返し、全員が還付された現金が政治資金収支報告書に不記載だった事実は2023年11月からのマスコミ報道で知った、収支報告書の扱いは秘書に任せていたを報告書不記載と現金還付継続に関わる無罪の状況証拠とした。

 だが、このような説明だと、西村康稔を筆頭に安倍派幹部は安倍晋三が指示したとしている現金還付中止の「不透明」とした理由を、なぜ不透明なのかを想像することもなく、尋ねることもせず、知らないままに了承したという奇妙な矛盾を成り立たせることになるが、野党の質問者はこの矛盾に誰一人気づかずに遣り過すことになった。蓮舫とて同じ一人となる。

 要するに追及不足は偏に野党側の追及技術の不足にあるのであって(自民党追及議員は本気で追及する気はなかったろう)、蓮舫が自身の追及不足を棚に上げて、政倫審という制度そのものに欠陥があるかのよう発言をしたのは責任転嫁そのもので、やはり自己正当化バイアスが先に立つことになったからとしか言いようがない。

 では、2024年3月14日の参議院政治倫理審査会での自民党参議院幹事長世耕弘成に対して行った蓮舫の追及不足を具体的に取り上げ、最終的に自らの追及不足を省みることなく政倫審という制度そのものを批判する自己正当化バイアスに陥ることになった経緯を見ていくことにする。

 改めて断るまでもなく、西村康稔が証言した2022年4月の会合で安倍晋三が中止理由とした現金還付の「不透明」という性格付けは政治資金の扱いとしては収支報告書不記載か虚偽記載しかないはずだが、世耕弘成はその場にいた一人としてそのことを承知していたのか、承知していなかったが、おおよその見当は付けていたのか、あるいは承知してもいなかった、見当を付けることもしなかったなら、「不透明とはどういうことですか」と安倍晋三に聞くぐらいはするのが自然な成り行きだが、そういったことを含めて追及すべきだったが、4月の会合についても8月の会合についてもほかの野党議員とほぼ同じ質問をし、世耕弘成からは政倫審の場に立たされた他の幹部とほぼ同じ答弁を引き出しただけで終えている。

 要するに他の質問者と同じく、ただ雁首を揃えただけで終わったということであって、政倫審という制度が問題でも何でもなく、偏に追及技術が稚拙だっだに過ぎない。

 特に問題は蓮舫が世耕弘成に15分の与えられた弁明の時間に一人舞台となることをいいことに好き勝手を言わせたままにしたことである。蓮舫の追及のアンテナはこの程度に鈍い。

 「私自身は、派閥で不記載が行われていることを一切知らなかったが、今回の事態が明らかになるまで、事務的に続けられてきた誤った慣習を早期に発見・是正出来なかったことは幹部であった一人として責任を痛感しています」

 「今回の事態が明らかになるまで」とは2023年11月からマスコミが不記載を伝えるようになったことを指し、当然、報道以前は知らなかったこととしている以上、知らなかったことを「早期に発見・是正」は思い立つことさえできようはずもないことで、「出来なかったことは」と出来たならしていたかのようなニュアンスの物言いをするマヤカシは悪臭を放つのみである。

 「もっと早く問題意識を持って、還付金についてチェックをし、派閥の支出どころか、収入としても記載されていないこと、議員側の資金管理団体で収入に計上されていないことを気づいていれば、歴代会長に是正を進言できたはずだとの思いであります」

 現金還付も知らなかった、政治資金収支報告書不記載も知らなかったとしている以上、「問題意識」を持つことも、還付金をチェックすることも、思い立つことはできないはずのことを「気づいていれば」と仮定の話を持ち出して、「歴代会長に是正を進言できたはずだ」と自身を正しい側の人間に置こうとする。これだけで世耕弘成は心象的には何もかも承知していて、派閥と共謀して裏ガネづくりに励んでいたと十分に疑うことができる。

 「私が積極的に還付金問題について調査をし、事務局の誤った処理の是正を進言しておれば、こんなことにはならなかったのにと痛恨の思いであります」

 妻の不倫を知らないでいる夫が妻に不倫を諌めることなど思い立つはずもないことと同じで、知らなかった事実としていることについて調査を思い立つことなど誰もできないことで、このような言い回しをすること自体が知っていた事実を隠す巧妙なレトリックと疑うことができる。それを「処理の是正を進言しておれば」とさもすることができたかのように言う。典型的なウソつき特有の言い回しとなっている。

 蓮舫はこの"ウソ"を追及することなく、質疑の最初に放った質問は、「先ず2022年4月、幹部会議、安倍さんに呼ばれて、現金キックバックをやめる方針となった、これ、場所はどこでしょうか」であった。「現金キックバックをやめる方針となった」ことを既成事実としてのみ受け止めただけで、安倍晋三から現金還付中止の指示を受けた際の世耕がどのような心証を持ったのか、どのように意味解釈したのか、何ら問い質すことはしなかった。

 世耕弘成「これは日程等を確認して捜査当局にもご説明しておりますが、安倍晋三当時会長の議員会館のお部屋であったというふうに記憶しております」

 場所が問題ではない。西村康稔が最初に証言している、安倍晋三が現金還付中止の理由として「不透明」という性格を挙げた、事実あったこととしているその性格付けに対して同席した一人としてどう解釈し、どう認識したのか、どう受け止めたのか、止むを得ないと思ったのか等々を矢継ぎ早に問い質して、現金還付と不記載を知り得ていたことなのか、ほかの安倍派幹部が証言しているとおりに2023年11月のマスコミ報道によって初めて知り得たことなのかを炙り出すことであった。
 
 以下、蓮舫「4月の会合で誰か手控えのメモを取っていたか」→世耕「メモを取っていない。他の人が取ったメモというものを見たことがない」→蓮舫「現金還付について話し合ったのは4月のその1回か」→世耕「1回だけだ」

 世耕が手控えの「メモを取っていない」と答えたなら、安倍晋三から「現金は不透明で疑念を生じかねない」という言葉を聞いた際、仕方がないことだと納得できたのか、「不透明」とか、「疑念」とか、どういう仕組みのことを言っているのだろうかと不審に思ったのか、前者なら、現金還付、収支報告書不記載か、虚偽記載を承知していたことになり、後者なら、どのような仕組みを指してそのように言っているのか、聞き返すのが自然な態度だから、聞き返したのか、様々に追及して、還付した現金の取り扱い――処理方法を炙り出すべきだったが、何の工夫もなく遣り過してしまった。

 西村康稔の衆議院政倫審での証言が2024年3月1日。蓮舫の参議院政倫が3月14日。12日間も時間がありながら、これといった駆引きを思いつくこともなかった。

 繰り返しになるが、安倍晋三が現金還付の中止を指示したことが事実あったことと前提づけるなら、中止の理由として挙げた現金還付そのものの性格付けが何を意味しているのか、中止が与える影響をどう考えたのか、中止を当然と思ったのか、止むを得ないと思ったのか、あるいはどういうことなのだろうと思ったのか、様々に追及すべきを、追及しないから、相手の証言を証言どおりに通用させることになる。蓮舫は頭の回転よろしく強い口調で早口にまくしたてるから、一見、厳しく追及しているようにも見えるが、その実、中身のない追及を続けていただけのことで、結果、そのまま時間切れとなり、自分では一矢を報いる積りでいたのかもしれないが、自身の追及技術が不足していただけのことで、捨て台詞にしか聞こえなかった蓮舫の最後の発言を再度取り上げる。
 
 蓮舫「何の弁明に来られたのか、結局分からない。政倫審に限界を感じました。終わります」

 自らの追及に何か問題点はなかったか、自省するほんのちょっとした間も与えずに自らの追及を最初から正しい場所に置いて、政倫審という制度そのものに欠陥があるかのようなお門違いを曝す。

 当然、自身の追及に限界を感じることはない。こういった繰り返しで権力追及を行ってきたのだろう、結果、権力の私物化を恣にした安倍晋三を総理大臣として7年8ヶ月も生き永らえさせることに大きな力を与えた主たる1人となった。

 このようなお門違いが即座にできるのはまさに常に自分の考えは正しいとする自己正当化バイアスを凝り固まった性格としていなければできないことで、必然的に論理的思考力欠如、自己省察力欠如を背中合わせとしていることになる。

 いわば論理的思考力と自己省察力を欠如させているからこそ、自己正当化バイアスに陥ることになる。

 蓮舫は岡田克也をユニークさのない人物と酷評し、自分にはユニークさがあるとしたが、彼女のユニークさは自己正当化バイアスが突出している点にある。自身を岡田克也の対極に置いたものの、都議選敗北、そして代表辞任へと追い詰められながら、奇麗事を並べた辞任会見は"政治は結果責任"の自覚のなさを現していて、そのこと自体が自己正当化バイアスそのものをイコールさせているのだが、その自覚が少しでもあったなら、その心理的歪みをここまで引きずることはなかったはずだ。

 以上、蓮舫の自己正当化バイアスの典型的な現れを見た上で、今回の都知事選に関連して見せることになる蓮舫の同様の認識の偏りを次回は見ていくことにする。

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蓮舫を叩く:女だからではない、民進党代表時代前後の「常に自分の考えは正しい」の自己正当化バイアス

2024-10-13 05:51:13 | 政治
 蓮舫の民進党代表選2016年8月23日記者会見発言「岡田克也代表が大好きです。ただ、1年半一緒にいて本当につまらない男だと思います」から見るハンパない自己正当化バイアス

  「イジメ未然防止の抽象論ではない具体策4題」(手代木恕之著/2024年5月18日発行:500円)

1.イジメを含めた全活動が"可能性追求"だと自覚させる「可能性教育」
2.「厭なことやめて欲しい」で始まるロールプレイ
3. 居場所づくりと主体性教育目的の一教科専門コース導入の中学校改革
4.主体性教育目的の図書館の蔵書を参考書とする1日1時限の「自習時間」の導入
学校は一定のルールを決めて学校内でのプロレスごっこを認める)

 以下、6回に亘って蓮舫が心理的傾向としている「自己正当化バイアス」を指摘する記事を連載する。但し題名の変更もありうる。途中、別の記事を挟む場合もある。 

2:《蓮舫を叩く:女だからではない、参院政倫審世耕追及の「常に自分の考えは正しい」の自己正当化バイアス》
3:《蓮舫を叩く:女だからではない、都知事選立候補会見等の「常に自分の考えは正しい」の自己正当化バイアス》 
4:《蓮舫を叩く:女だからではない、都知事選後の動画配信「常に自分の考えは正しい」の自己正当化バイアス1》
5:《蓮舫を叩く:女だからではない、自分だけが打たれ強いとする、自己正当化バイアスな動画配信2》
6:《蓮舫を叩く:女だからではない、SNSの誹謗中傷を病んでいると言うだけの自己正当化バイアスな動画配信3》 

 いくつかの事例を挙げて、当方なりの蓮舫評価の総決算を試みることにした。勿論、当方というごく個人的な見解だから、公平性を備えているかどうかは第三者の解釈次第となるが、いわゆる誹謗中傷の類いとなる安易な"蓮舫叩き"とはならないように心がけるつもりでいる。

 この総決算を試みたいと思い立ったのは都知事選敗選後に元宮崎県知事でタレントの東国原英夫が蓮舫についてテレビ番組で「蓮ちゃん、生理的に嫌いな人が多いと思う」と批評したことに対して蓮舫が「携帯も知らなければ、ご飯も食べたことない人が『ちゃん』づけだよ」と反発したことをネット記事で知り、「生理的に嫌いな人」を多いとしている点の正当性に反発の焦点を当てずに「ちゃん」づけに当てた、その相変わらずの非合理性からだった。

 「自己正当化バイアス」とは、〈自分の考えは常に正しいと信じ込もうとする人間心理の歪み。〉だとネットで紹介している。要するに自己中心の考えが際立っているということであろう。

 誰もが多少なりとも取り憑かれている歪みではあるだろうが、この心理の歪みは物事を相対的に、あるいは合理的に捉える力=論理的思考力の欠如、あるいは素直に反省する自己省察力の欠如から生じているはずだ。蓮舫が抱える自己正当化バイアスはその非合理性や非自己省察性に依拠していて、それがハンパない状態にある。このことをおいおい証拠立てていく。

 蓮舫が小池百合子と対決したのは今回の2024年7月7日投開票の都知事選のみではない。民主党後継の民進党代表だった岡田克也が2016年7月10日の参議院選挙で開戦前議席62議席から13議席減らして49議席となったものの引責辞任せず、2016年7月30日に2ヶ月後に控えた党代表選への不出馬を表明、2016年9月15日執行の民進党代表選に立候補した蓮舫が対立候補の前原誠司や玉木雄一郎を大差で破り、民進党代表に就くことになった。各マスコミの世論調査では蓮舫に「期待する」が軒並み50%を超えていた。

 民進党代表として9ヶ月後に迎えた2017年7月2日の東京都議選では前年の2016年に就任した小池百合子東京都知事の与党都民ファーストの会が選挙前6議席から55議席へと大躍進、民進党は蓮舫が東京都を参議院選挙区としながら7議席から5議席に減らして、同じ女性対決でありながら、蓮舫効果をプラスに向けることができず、その敗北の責任を取って幹事長の野田佳彦が辞任、求心力の低下を招いて新体制に向けた人事に行き詰まり、2017年9月1日に1年足らずで辞任することとなった。

 これが蓮舫と小池百合子との最初の対決である。

 話を戻すと、岡田克也の不出馬表明後の2016年8月23日に代表戦に名乗りを挙げていた、当時代表代行だった蓮舫が日本外国特派員協会で記者会見し、代表の岡田克也を評して次のように発言している。

 蓮舫「あとは民進党のイメージを思いっきり、私が代表にさせていただくことで変えたいと思います。ここが大事なので、是非編集しないで頂きたいんですが、私は岡田克也代表が大好きです。ただ、1年半一緒にいて本当につまらない男だと思います。人間はユニークが大事です。私にはそれがあると思います。是非、皆さんのご支援頂ければ、このあと是非、質疑応答で議論させてください。ありがとうございました」

 要するに岡田克也の党代表としての政治行動全般に亘って見るべき価値がなかったと、その役柄を否定している。決して政治という場を離れた一個人に対する評価ではない。民進党のイメージを高めたわけでもなく、対与党政策論争、あるいは自らの政策展望等の党運営に関して非常に平凡で、見るべき独自性がなかった。だが、私が代表になったら、民進党のイメージを大きく変えることができ、全てに他にはない独自性(=ユニークさ)を発揮すると強気の発言を見せたのである。

 当然、蓮舫も政治家の端くれ、"政治は結果責任"をしっかりと頭に置き、道理としていただろうから、党運営に相当に確固たる自信を持っていたはずである。

 但し岡田克也が民進党代表時、蓮舫はナンバー2の代表代行を務めていて、政治がチームワークである以上、トップがチームを満足に統率できず、見るべき党運営ができなかった責任を第一に負うものの、他の成員それぞれが"結果責任"を連帯して負わなければならないはずだが、蓮舫は「本当につまらない男だ」と岡田克也一人の責任に帰した。

 蓮舫はこの矛盾に何も気づいていなかったことになる。つまり公平な判断が満足に働かず、自分だけを正しい場所に置く自己中心(自己正当化バイアス)に陥っていた。

 蓮舫の記者会見での発言が問題視されると蓮舫は自身のツイッターで、「岡田代表への敬意を表しました。その上で、ユーモアのない真面目さを現場で伝えたかったのです」と釈明している。

 岡田克也は辞任前のまだ代表であり、蓮舫は代表代行、いわば立場の上の人間を掴まえて、「本当につまらない男」と言ったのは仕事上の能力に対する否定的評価として使った言葉ではなく、敬意を表した言葉であって、意図としては「ユーモアのない真面目さ」を指摘したと真意を説明した。

 だが、どこの世界に「本当につまらない男」と言われて、俺は敬意を示されたのだと受け止める人間がいると言うのだろうか。いるはずはないのだから、「本当につまらない男」との評価を敬意表明の言葉とするには道理を無視し、自分の都合のよいように釈明する無理矢理なこじつけ、牽強付会なくして成り立たせることはできない。蓮舫にはそれが自然にできた。

 勿論、牽強付会を行うについては小賢しさや狡さといった性格的要素を欠かすことはできない。小賢しさ、あるいは狡さゆえに間違ったことを言っても、素直に認めることができずに無理矢理にこじつけて、間違いを隠して正しいことに持っていってしまう。素直な感覚の持ち主なら、「失言でした。小賢しさ、あるいは自分を正しくみせる狡さが先に立ってしまいました」と素直に謝って修正するだろうが、そんな気配は見せることはなかった。

 政権与党自民党の閣僚が自身の不祥事やスキャンダルで国会追及されても、あれやこれやと言葉を使い分けて自身を正当化して逃げるのと殆ど変わらない。蓮舫はそのことに気づいていない。

 自身の言葉は自らの性根の現れでもあるから、言葉の正当化は自らの性根の正当化をも意味することになる。常識や妥当性を無視した言葉の正当化はその無視をそのまま背負った性根の正当化に反映されるというメカニズムを取ることになって、否応もなしに小賢しさや狡さを性根として付き纏わせることになる。

 但し周囲からその小賢しさや狡さを指摘されたとしても、常識や妥当性を無視した言葉の正当化という態度自体が自己正当化バイアスの現れであるから、その心理が強過ぎると、その指摘をも悪意に取り、気持ちを安定させるために自身の正当化に一層努めることになるか、周囲から自分に味方してくれる人間を探し出して、味方の言葉を利用して自己正当化の補強を図るなどして、ますます自分は正しいんだという思いを強くすることで自己正当化バイアスの殻に閉じこもることになる。

 蓮舫がそうであるかどうかを見ていくことにする。都議選敗北から約1ヶ月近く後の2017年7月27日に辞任記者を開くことになった。「産経ニュース」記事からその「発言」を見てみる。

 辞任を臨時の執行役員会で了承されたことを伝えてから、辞任の理由を述べている。

 蓮舫「どうすれば遠心力を求心力に変えることができるのか。力強く、私たちがしっかりと皆さんに託していただける民進党であれと国民の皆様方に思っていただけるのか。そのとき、やっぱり考えたのは、人事ではなくて、私自身をもう一度見つめ直さなければいけないと思いました」

 なぜこうも抽象的で巧みな発言ができるのだろうか。民進党代表任期3年を当初50%もあった期待を裏切ることになり、約1年で退くことになった、代表としての力不足への謝罪を最初に直接的に持ってくるのではなく、巧みな言い回しでその力不足を直接的にはぼかす細工を施している。

 この"ぼかし"は日本外国特派員協会の記者会見で見せた、「民進党のイメージを思いっきり変えたい」、「人間はユニークが大事です。私にはそれがあると思います」の言葉の発信に付き纏わせなければならない"政治は結果責任"を痛切に自覚していないからこそできる"ぼかし"であって、結果としてウソとなる大口を叩いたことになるが、このことの自覚も共々にないことになる。

 僅かでも自覚があれば、最低限、"政治は結果責任"の文脈を用いて、「1年しか持たなかったのは恥ずかしいです」と自分から正直に謝罪し、ぼかすことのない言葉の使い方で自分の責任を語るはずである。記者からの質問で責任を話ざるを得なくなって話すのでは自覚不足は変わらず、このような無自覚は自分のどこかで自分は正しいとする自己正当化バイアスの働きなくして発生させることはできない。

 蓮舫「(行政監視という攻めの部分に関しての成果を請け合った上で)ただ一方で、攻めと受け。この受けの部分に私は力を十分に出せませんでした。率直に認め、今回私が手を着けるのは人事ではない。いったん引いて、より強い『受け』になる民進党を新たな執行部に率いてもらう。これが最善の策だ。民進党のためでもない。私のためでもない。国家の民主主義のために、国民の選択肢の先である二大政党制の民進党として、それをつくり直すことが国民のためになるという判断だと、是非ご理解をいただきたいと思います」――

 言ってることが最初から破綻している。第一歩として辞任は民進党のためであるとしなければならない。民進党が勢力を拡大しなければ、次の光景、民進党が目指す「国家の民主主義」も、民進党主体の「二大政党制」も実現し得ない。如何に論理的思考力を欠いているか、合理的思考力を欠いているか、自ら証明している。

 新しい執行部へのバトンタッチを「民進党のイメージを思いっきり変えたい」と言ってできなかった程度のリーダーシップに反して「民進党のためでもない。私のためでもない。国家の民主主義のために」云々と美しい言葉で仕立て上げているが、政権を率いて国家を運営するわけではなく、貧弱な党を建て直すだけという話に大層な言葉遣いで高邁な話に持っていこうとする。

 結局のところ、1年足らずの代表辞任という結末(=果たせなかった"政治は結果責任")を隠す大袈裟に格調を持たせた言い回しであって、最後の最後まで自分を実質以上に見せようとする虚栄心を働かせている。ここからは政治家として表に現れる行為・行動に対して正直であろうとする姿は見えてこない。

 蓮舫は「攻めと受け」の"攻め"に行政監視を置いているが(実際の発言は「私たち、言えるのは、攻めの部分は、しっかりと行政監視をしてきました」)、これは狭い解釈でしかなく、実質的には政党としての対外発信力を言うはずである。代表蓮舫の統率力(リーダーシップ)のもと政府与党政治に対する自党政治の国民にとっての利益性の訴え、権力監視(一つに行政監視)の国民にとっての利益性の訴え、国民有権者に対してどのような社会階層の利益を主として代表しているのかの党の存在理由の訴えなどとそれらの訴えに基づいた各理解の獲得と、最終結果としての党支持率の獲得を目的とした諸々の情報発信活動のことであって、サッカーやラグビーの試合で言うなら、全体的な攻撃の部分に当たる。

 当然、「攻めの部分は、しっかりと行政監視をしてきました」は一つの成果に過ぎず、攻めの全体の成果とするにはマヤカシそのものとなる。

 "受け"は政府与党や他野党、あるいは不支持の立場にある国民の自党の存在に向けた否定的考えに対抗して改めて自らの存在理由の正当性を主張・証明する情報闘争を指すはずで、サッカーやラグビーの試合での全体的な守備の部分に当たるが、守備と言えども攻撃の側面を抱えていて、攻撃と守備がうまく噛み合わないと、勝利に向けたチームの存在(党の存在)が成り立たないから、当然、"攻め"と"受け"は相互補完的な一体性を持たせた車の両輪の関係で機能することが求められる。片方のみの機能であったなら、党の存在意義を獲得できはしない。

 だが、蓮舫は"攻め"と"受け"を別個扱いとし、"受け"には力を発揮できなかったが、"攻め"にはあたかも力が発揮できたかのようなニュアンスの言葉遣いをしている。"攻め"に力を発揮できていたなら、なぜ都議選で敗北を喫することになったのだろう。

 結局のところ、攻めの部分に当てている行政監視の成果は民進党の存在理由をより多くの国民に認知させる全体的な成果となる攻めとはなっていなかったということであって、だからこその1年足らずの辞任であり、蓮舫の合理的認識能力を欠いた自己正当化バイアスが言わせている部分的成果に過ぎないということであろう。

 大体が蓮舫本人が自覚しているとおりに統率力が不足していたなら、"攻め"も"受け"も、満足に機能することも、機能させることもできたはずはない。その結果の一つが東京都を選挙地盤としていながらの都議選の敗北ということであるはずだ。

 "攻め"の部分として国民の関心を行政監視以上に集める機会も多く、注目度が高いのは首相、あるいは閣僚の不祥事や内閣の政策自体に対する国会の場での追及であるはずだが、特に蓮舫は攻撃的な言葉で激しく追及するものの、殆を最後まで追及しきれずに、尻切れトンボの不完全燃焼で終わらせている。終わらせていなければ、安倍晋三の権力の私物化やアベノミクスが経済格差に役立ったのみで、国民の大多数を占める中低所得層の生活を苦しめることになった政治利益の偏りなどで追い詰めることができ、結果的に安倍晋三を7年8ヶ月も権力の座に居座らせることはなかったろう。

 この国会追及の不完全燃焼の格好の事例として次回、2024年3月14日の参議院政倫審での世耕弘成に対する追及に関連して取り上げてみる。

 要するに国会追及という"攻め"の大きな見せ場でもある権力監視の大部分を未消化のまま推移させ、満足に機能させることができなかったにも関わらず、マスコミが「厳しく追及した」と報じるのを見るだけで満足したのだろう。だが、多くの国民は騙されることも自らを騙すこともしなかったから、野党に対して「批判ばかり」というレッテルを貼るに至った。「批判ばかり」というレッテルそのものが追及の程度を物語っている。立憲民主党は「批判ばかり」がどのような能力に向けられた名付けなのか気づかず、「批判ばかりではない、政府法案に対して対案も出している、独自法案も出している」と見当違いだと気づかない答を出している。結果、追及部分に見せる批判行為だけを印象に残し、いつまで経っても「批判ばかり」と言い続けられることになる。

 蓮舫の辞任記者会見での発言は代表として発揮すべき役目である"攻め"という能力でも、"受け"という能力でも、実際には統率力不足(=リーダーシップ不足)が足枷となって不発状態で推移させているのだから、そのことを言葉の上では可能な限り綺麗事化し、自己正当化バイアスの網にかけ、自身が負う傷を傷と見せない巧妙なカムフラージュを施したといったところである。このことは応分な責任負担の回避に当たるのは断るまでもない。

 蓮舫の言葉の巧みさは強度な自己正当化バイアスが積み上げていくことになった、その見事な作品と言うことができるはずだ。

以下、《蓮舫を叩く:女だからではない、・・・》――は続く。
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安倍晋三が設計首謀者の現金還付・収支報告書不記載の慣習・制度だっだと疑うに足る相当性ある状況証拠の提示

2024-05-31 11:22:07 | 政治
 安倍晋三キックバック中止指示の2022年4月会合も、派閥幹部の若手議員キックバック再開要請対応8月会合も安倍晋三を無罪放免目的の作り話とすると全ての整合性が取れる

  「イジメ未然防止の抽象論ではない具体策4題」(手代木恕之著/2024年5月18日発行:500円)

1.イジメを含めた全活動が"可能性追求"だと自覚させる「可能性教育」
2.「厭なことやめて欲しい」で始まるロールプレイ
3. 居場所づくりと主体性教育目的の一教科専門コース導入の中学校改革
4.主体性教育目的の図書館の蔵書を参考書とする1日1時限の「自習時間」の導入
学校は一定のルールを決めて学校内でのプロレスごっこを認める)

 この記事と同様の趣旨の記事を2024年4月1日にgooブログlivedoorブログに既に公開していて、2022年4月の安倍晋三出席の安倍派幹部との会合での安倍晋三の政治資金パーティノルマ超過分の現金還付中止指示と同年7月の安倍晋三銃撃死後の同年8月の安倍派幹部の現金還付を求める若手議員にどう対処するかを話し合った会合は安倍晋三の連続在任日数歴代1位の名誉を守るためにノルマ付けとノルマ超の現金還付と収支報告書不記載が歴代会長の指示で行われていたものの、安倍晋三自身はそのことへの関与は積極的ではなかったことを、いわば偽装するデッチ上げ、作り話ではなかったかという内容に仕立てた。

 読み返してみて、キックバックを始めたのは安倍晋三ではないかということに気づいた。意図がずれたために言葉足らずの面とアプローチの方法が不適切な面が生じることになった。本来の意図に戻すべく、今回は現金還付と収支報告書不記載は安倍晋三が設計首謀者の慣行、もしくは制度だったと状況証拠面から打ち立てて見ようと思う。

 狙いは安倍晋三の悪行だから、政治倫理審査にかけられた国会議員のうち安倍派幹部の証言のみを取り上げる。以下の記事はNHK総合放送の政倫審中継放送からの文字起こしと政倫審を取り上げた「NHK NEWS WEB」(2024年3月1日)記事からの抜粋で構成した。どちらの抜粋か断らないが、現金還付、いわゆるキックバックと収支報告書への不記載という手を用いた"裏ガネ"化(全員が否定しているが)についての政倫審に掛けられた安倍派幹部の証言内容は多くのマスコミによって詳細な解説が加えられ、広く流布していて、関心のある者にとっては大体は頭の中の常識となっているだろうから、どちらからの抜粋かはさして問題ではないと思う。

 要はそれぞれの証言をどう読み解くか、それが的確性を備えているかどうかが肝心なことで、それができていないということならそれまでにして貰うことになる。

 2024年3月1日の衆議院政治倫理審査会は西村康稔がトップバッターで、15分の弁明時間が与えられた。安倍派清和研究会の代表兼会計責任者松本潤一郎が派閥の政治資金パーティでの収入・支出に関わる収支報告書不記載等で東京地方裁判所に起訴され、自身も検察の捜査を受けたものの立件する必要がないとの結論に至ったものと承知していると述べ、「清和会の会計には一切関わっていない」と自身の無罪を強調している。

 以下、弁明のうちの重要な点を箇条書きにしてみる。

1.実際、今の時点まで私は清和会の帳簿、収支報告書など見たことはない。
2.パーティ券売上げのノルマを超えた分の還付については自前で政治資金を調達
  することの困難な若手議員や中堅議員の政治資金を支援する趣旨で始まったの
  ではないかとされているが、いつ始まったのか承知していない。
3.還付にかかる処理は清和会歴代会長と事務局長との間で長年の慣行で行われ
  てきたことで、会長以外の私達幹部は関与していないし、派閥事務総長と言って
  も、自身は関与していない。
4.今回の問題が表面化するまで、収支報告書不記載は知らなかった。
5.8月の会合で2022年の還付金については安倍会長の意向を踏まえ、幹部の間で
 行わない方向で話し合いが行われたものの、一部の議員に現金での還付が行わ
 れたようであるが、その後の還付が継続された経緯を含め、全く承知していない。

 「1.」の見たことはないが知らなかったことと必ずしも一致するわけではない。知らされていた上で処理は他人任せなら、見たことはくても知っているという構図は成り立つ。

 「2.」の言い分、現金還付、いわゆるキックバックは若手議員や中堅議員の政治資金支援の趣旨で始まったとしているが、一般的には当選回数の多いベテラン議員程政治的影響力を持ち、カネ集めに長じていて、政治資金パーティ券の売上も多くこなしているはずで、実際にもキックバック額は多くなっている。利益という点ではベテラン議員の方に分があったはずだ。

 いわばキックバック制度でより多くの利益を得ているのはベテラン議員であって、このことは制度開始当時から変わらないだろうから、若手議員や中堅議員のためを思って始めたという言い分に全面的に正当性を与える訳にはいかない。若手議員や中堅議員のためもあったろうが、ベテラン議員の日常的な活動に余裕を持たせる方向により多くの力が働いていたはずだ。

 結果、カネを力とした日常的活動の拡大によって清和政策研究会という派閥の勢力拡大とその勢力拡大に伴わせた自民党内の影響力拡大、数の力を背景とした政治的影響力の浸透を最終目標に据えていたはずだ。若手議員や中堅議員のための政治資金支援はカネの力を借りた政治というものの現実の姿を隠すカモフラージュの役目を果たしている一面も抱えていることになる。

 「3.」の言い分、還付にかかる処理は清和会歴代会長と事務局長との間で長年の慣行で行われてきたことしていることは、安倍晋三を含めて清和会歴代会長は現金還付と還付した現金の還付元の派閥の政治資金収支報告書への不記載と還付先の議員個人の政治団体の政治資金収支報告書への不記載を共に承知していて、承知していたうえで不記載をやらせていた共犯関係にあったことになる。

 但し安倍派幹部の誰もが不記載を知ったのは2023年11月の報道があってからだと証言している。それが「4.」で取り上げた証言に当たる。

 「5.」で、安倍晋三の意向で中止が決まっていた2022年の還付はその意向が守られず行われたが、その経緯については全く承知していないとしていることは安倍晋三銃撃死後、派閥運営主体は幹部に帰するものの、その幹部を差し置いて現金還付が継続されていたという不思議な構図を取ることになる。

 「3.」の還付にかかる処理は清和会歴代会長と事務局長との間で長年の慣行で行われてきたこととしている証言と考え併せると、安倍派清和政策研究会の事務局長兼会計責任者の松本淳一郎が4月会合での安倍晋三の還付中止の指示と幹部の受け入れ方針を無視し、なおかつ幹部の意向を確かめもせずに独断で還付を継続していたことになり、その資格もない極度の僭越行為を犯していたことになる。

 西村康稔に対する質問のトップバッターは自民党68歳、麻生派の武藤容治で、還付金の不記載は「(清和政策研究会の)事務局長さんだけが長年の慣行としてやってきたのか」と尋ねているが、西村康稔が清和会歴代会長と事務局長との長年の慣行としていたことを事務局長だけの不正行為とし、意図してのことなのかどうか、歴代会長を無関係な立場に置こうとする質問となっている。

 西村康稔「ノルマについてもどういうふうに決まっていたのか承知していない。会長と事務局の間で何らかの相談があって決められたのではないかと推察するが、どういう会計処理がなされていたのか承知をしていない。ただ今思えば、事務総長として安倍会長は令和4年、2022年4月に、『現金の還付を行っている。これをやめる』と言われて、幹部でその方向を決めて、手分けをして若手議員にやめるという方針を伝えた。

 安倍会長はその時点で何らかのことを知っておられたのだと思う。どこまで把握していたのか分からないけれども、現金は不透明で疑念を生じかねないから、こうした現金の還付をやめると、還付そのものをやめると、いうことで我々で方針を決めて、対応した。

 その後、安倍会長は亡くなられて、ノルマを多く売った議員がいたようで、返してほしいという声が上がった。それを受けて、8月の上旬に幹部で議論し、還付は行わないという方針を維持する中で返して欲しいと言う人たちにどう対応するか、色々な意見が挙がったが、結局結論は出ずに私は8月10日に経済産業大臣になったので、事務総長は離れることになった。

 その後、どうした経緯で現金の還付が継続することになったのか、その経緯は承知をしていない」

 以上の西村康稔の発言から現金還付継続の事実関係を纏めてみる。西村康稔自身が後で明らかにしている2022年4月の会合の出席者は安倍晋三と安倍派事務局長兼会計責任者の松本淳一郎、さらに西村康稔自らと当時会長代理だった塩谷立、同じく会長代理の下村博文、自民党参議院代表・幹事長の世耕弘成世で、その席で安倍晋三が「現金は不透明で疑念を生じかねない」との理由を挙げて現金還付の中止を申し出た。

 その場にいた安倍派幹部4人は安倍晋三の申し出を受けて、いわばその方針を受け入れ、手分けをして若手議員に中止を伝えた。これも西村自身があとで明らかにするが、伝達は電話を使った。ネットで調べてみると、2022年7月時点の記事で安倍派所属議員は94名となっている。幹部4人を除いて90人、計算上は1人当たり20人前後の所属議員に電話を掛けたことになる。

 事務局長が出席していたのだから、会合の場から事務局に電話を入れて、事務局職員に指示して一つの文面で複数のメールアドレスに送信できるカーボン・コピー(CC)形式で送信すれば、遥かに手早く、効率よく連絡することができる。当日が休日なら、翌日であってもいいはずだが、わざわざ幹部の手を煩わす電話を用いた。

 現金還付が「不透明で疑念を生じかねない」という性格上、「メールを開封後直ちに削除することと」と一文を入れたとしても、削除を忘れて証拠として残るか、何かあったと復元に掛けられて、世に出ることを危惧して手間のかかる電話にしたということも考えられる。

 西村康稔は「安倍会長はその時点で何らかのことを知っておられたのだと思う。どこまで把握していたのか分からないけれども」と深くは知っていなかったかのような印象を与えようとしているが、「還付にかかる処理は清和会歴代会長と事務局長との間で長年の慣行で行われてきた」こととしていることと「現金は不透明で疑念を生じかねないから」と現金還付の性格付けを行い、その中止を意思表示した以上、安倍晋三自身、どのような種類の現金還付なのかは承知していたことになる。少なくともおおっぴらには表沙汰にはできないカネの遣り取りだと位置づけていた。

 そもそもからして銀行振込か郵便振込で行うところをわざわざ現金で手渡していた。安倍派事務局の職員が各議員個人の政治団体の事務所に赴くか、その事務所の職員を派閥事務所に呼び出すかしなければ、現金決済はできない。金融機関で振り込む場合はカネの移動の痕跡を残すことになるが、現金だと、その痕跡を残さずに済む。そのメリットを生かすための方法だとしたら、幹部側は「現金は不透明で疑念を生じかねない」の意味するところを政治資金収支報告書不記載か、あるいは最低限、実際の使い途とは異なる政治資金規正法に触れる何らかの虚偽記載に持っていくことを狙いとしていることぐらいは気づかなければならなかったろう。だが、長年政治に携わり、政治資金規正法と付き合ってきながら、何も気づかなかったと自分たちを政治に素人の立場に置いている。

 但し安倍晋三が「現金の還付を行っている。これをやめる」と最初に中止を言い、幹部の誰かが「なぜですか」と中止の理由を聞いたところ、「現金は不透明で疑念を生じかねないから」と答えたのだとしたら、幹部は誰一人現金還付の事実も、政治資金収支報告書不記載か、その他の考えられる不正行為を知らなかったとすることはできるが、国会議員を長年勤めていて、自民党最大派閥の幹部の位置につけている以上、以後の認識として、安倍晋三の現金還付は「不透明で疑念を生じかねないから」とした性格付けの言葉一つで、政治資金収支報告書不記載程度のことは当たりを付けておかなければならなかったはずで、当たりを付けた時点で、その辺のことは幹部たちの間で、「ああ、そういうことだったんだ」と裏があることを暗黙の共通認識とするに至ったという経緯を取らなければならなかっただろう。

 要するに自分たちの知らないところでノルマを超えたパーティ券売上はキックバックされて、収支報告書で何らかの操作が行われているんだなぐらいなことは察したはずで、その場に事務局長の松本淳一郎がいたのだから、「収支報告書でどのような扱いになっているのですか」程度のことは聞くのが人情の自然というものだろう。

 尤も事務局長は「議員のみなさんは知らないでいた方が無難です」と答えた可能性は大きい。

 以上のような経緯が考えられることを抜きにしたとしても、安倍晋三の現金還付は「不透明で疑念を生じかねないから」とした性格付けの一事のみを取り上げただけでも、西村康稔の「今回の問題が表面化するまで、収支報告書不記載は知らなかった」は、他の幹部たちの同様の発言にしても、素直に受け取ることはできない極めて疑わしい弁明と見なければならない。

 この"疑わしい"を虚偽告白そのものと断定できるかどうかは追及側の野党議員が4月の会合で安倍晋三と4人の幹部たちとの間で具体的にどのような遣り取りがあって現金還付中止を決定したのかを詳細に聞き出さなければならなかった。その中で最も肝心な質問は西村康稔に対しては安倍晋三が行った「不透明で疑念を生じかねない」とした現金還付の性格付けから還付された現金の政治資金規正法上の処理についてどういう心証を持ったか、他の幹部に対しては西村康稔は安倍晋三から現金還付中止の理由として「不透明で疑念を生じかねない」と伝えられたと証言しているが、同じ席にいたのだから、この性格付けを耳にしたはずで、耳にしたとき、還付された現金の政治資金規正法上の処理についてどういう認識を持ったかを追及、それぞれの答弁に応じて還付された現金の政治資金収支報告書への不記載等の不正行為にまで思いが至ったのか、至らなかったのか、前者であった場合、安倍晋三か事務局長に具体的な事情を知るためにどういう処理がなされているのか実際のところを問い質したのか、問い質さなかったのかなどなどの事実を炙り出さなければならなかったが、この点についてのそれぞれの説明を野党議員は誰もが表面的に捉えるだけで、言葉の裏を探ることはしなかった。

 あるいは安倍晋三の「不透明で疑念を生じかねない」の言葉そのものを幹部たちがどう解釈したのか直接的に尋ねることもしなかった。一言でも尋ねていたなら、政治資金規正法上の処理の問題に、それ以外ないこととして行き着くことができたはずだが、そういったことを試みることもしなかった。

 その結果、2023年11月の報道で収支報告書不記載等の不適切な運用を知ったなどといった答弁――安倍晋三が現金還付中止も理由とした「不透明で疑念を生じかねない」の性格付けなどなかったことにした答弁を幹部全員に対して許すことになった。

 4月の会合がデッチ上げの作り話でも何でもなく、正真正銘存在した会合なら、8月の会合でも現金還付に対する「不透明で疑念を生じかねない」の性格付けと、そのような性格付けゆえの安倍晋三の中止を申し出た意志、さらにこれらの事情で中止を受け入れた幹部4人の姿勢は厳格に維持されなければならない。でなければ、連続在任日数歴代1位の名誉を担う安倍晋三の「不透明で疑念を生じかねない」の性格付けに基づいた中止の意志を裏切ることになる。

 いわばその中止の意志を裏切ってはならない安倍派幹部としてのそれ相応の義務と責任を負ったはずで、負いきれない立場に立たされた場合は幹部4人が雁首を揃えていたことに反する無力を示すことになり、何らかの焦燥感に見舞われ、幹部としての矜持を意識させられることになっただろう。でなければ、派閥を率いる幹部としての意味を失う。

 8月の会合での出席者は世耕弘成自身が2024年3月14日の自らに対する参議院政治倫理審査会で次のように明らかにしている。

 世耕弘成「当時の安倍会長からは2022年の5月のパーティーについて、4月上旬に幹部が集められ『ノルマ通りの販売にしたい』、即ち還付金はやめるという指示が出た。その後7月に安倍会長が亡くなり、その後8月上旬だったと思うが、塩谷会長代理、下村会長代理、西村事務総長、松本事務局長と私が集まった。その場で『ノルマをオーバーしてしまった人がいる。どうしようか意見を聞かせて欲しい』という趣旨の会合だったと思っている」

 8月の会合出席者は塩谷会長代理、下村会長代理、西村事務総長、世耕弘成、安倍派清和政策研究会事務局長松本淳一郎の5人。4月の会合との違いは安倍晋三だけが抜けて、同じメンバーとなっている。

 西村康稔の8月の会合についての弁明の中で行った説明は箇条書きの「5.」と自民党武藤容治に対する答弁で既に取り上げているが、より具体的に理解して貰うために弁明の中での発言に加えて、質問者立憲民主党の枝野幸男に対する答弁を併せて取り上げ、武藤容治に対する答弁はそのままの繰り返しで再度取り上げてみる。注釈は当方。

 西村康稔(弁明)「(4月の会合で)2022年の還付金については安倍会長の意向を踏まえ、幹部の間で行わない方向で話し合いが行われたものの、(5月のパーティー開催以後)一部の議員に現金での還付が行われたようであるが、その後の還付が継続された経緯を含め、全く承知していない。だが、経産大臣となり、安倍派事務総長の任から離れたが、安倍会長の意向を託された清和会幹部の一人として少なくとも2022年については還付を行わないことを徹底すればとよかったと反省している」

 西村康稔(枝野幸男に対する答弁)「4月の段階では5月の(派閥の)パーティが控えていたので、還付はやめるという方針を決めて、若手議員が中心だったと思うが、(電話で)連絡した。その後、まさに還付はしないという方向で進んでいたが、7月に安倍さんが撃たれて亡くなられて、その後ノルマ以上売った議員から、返して欲しいと声が上がり、8月の上旬に幹部が集まってどう対応するかということを共有したが、そのときは結論が出なかった」

 西村康稔(自民党武藤容治に対する答弁)「(4月の会合後に)安倍会長は亡くなられて、ノルマを多く売った議員がいたようで、返してほしいという声が上がった。それを受けて、8月の上旬に幹部で議論し、還付は行わないという方針を維持する中で返して欲しいと言う人たちにどう対応するか、色々な意見が挙がったが、結局結論は出ずに私は8月10日に経済産業大臣になったので、事務総長は離れることになった。

 その後、どうした経緯で現金の還付が継続することになったのか、その経緯は承知をしていない」

 あったこと、事実関係を述べているだけで、4月の会合で安倍晋三が現金還付の中止の理由として持ち出した「不透明で疑念を生じかねない」の懸念、懸念が予想させる政治資金規正法上の処理の問題に関わる不都合な事実が存在する可能性、具体的には収支報告書不記載か虚偽記載しか考えられないが、これら全てに決着を付けて公明正大な状況に持って行く幹部の立場としての義務と責任を考えた場合、いわば4月の会合での安倍晋三の現金還付中止の意志を維持していなければならないのだから、「返してほしいという声が上がった」ことに対しては「還付は行わないという方針を維持する中で返して欲しいと言う人たちにどう対応するか」ではなく、別々の問題として扱うべきで、「それはできないんだ。親分安倍晋三の遺志となっているのだから」と断るのが筋であり、そうすること自体に自らの矜持をおかなければならなかったはずだが、それを「そのときは結論が出なかった」と宙ぶらりんな状態に放置し、不透明で疑念を生じかねない」の現金還付の性格付けが予想させる政治資金規正法上の問題、安倍晋三の中止の意志、その他その他、全てを有耶無耶にしてしまっている。

 このように4月の会合と8月の会合の継続性を持たない断絶状態自体が両会合の存在の否定根拠とすることができる。大体が安倍晋三の「不透明で疑念を生じかねない」とした現金還付の性格付けから行うべき政治資金規正法に関係する懸念事項扱いは幹部の誰一人として無関係としているのだから、4月の会合を実際にあった話だとすることはできない状況証拠とすることができる。

 懸念事項扱いしたなら、収支報告書不記載を知ったのは報道があってからとしていることのウソが露見してしまうことになる。と言うことは、4月の会合も8月の会合も実体のない会合でありながら、安倍派清和政策研究会の政治資金パーテイのパーティ券売上にノルマが課せられていて、ノルマ超の売上は分はキックバックされ、収支報告書不記載扱いとなっていたとの2023年11月からの報道を受けて、急遽、安倍晋三を無罪放免とするためには現金還付制度は「不透明で疑念を生じかねない」の否定的性格付けは最低限必要不可欠な口実だったことになる。

 但しこのような口実を安倍晋三を無罪放免とするために必要としたこと自体が安倍晋三が設計首謀者の収支報告書不記載の現金キックバック制度だと状況証拠付けることになる。

 そのために4月の会合と8月の会合をデッチ上げざるを得なかった。4月の会合は安倍晋三を設計首謀者であることから無罪放免とするためであり、そのために還付中止を設定したものの、仮のことであって、現実には現金還付と収集報告書不記載が続いていたことに辻褄を合わせるために8月の会合をセッティングしなければならなくなった。セッティングして、現金還付と収集報告書不記載が続いていたことの止むを得ない事実とした。

 現金還付・収支報告書不記載の設計首謀者は安倍晋三であるとする状況証拠を補強するために4月の会合と8月の会合に出席したとしている既に取り上げている西村康稔以外の塩谷立、下村博文、世耕弘成3人の8月の会合についての証言を取り上げてみる。

 塩谷立「多くの所属議員から『パーティー券を既に売って還付を予定されていたので困っている』という意見があり、『ことしに限って継続するのは仕方がないのではないか』という話し合いがなされた。『政治活動のために継続していくしかないかな』という状況の中で終わったと思う」

 要するに「『ことしに限って継続するのは仕方がないのではないか』という話し合いがなされた」が、話し合いだけで、結論にまで至らなかった。だが、安倍晋三が現金還付中止の理由として「不透明で疑念を生じかねない」との文言で政治資金規正法に触れる懸念を挙げている以上、この継続は「仕方がない」を許したら、政治資金規正法に何らかの形で触れることを勧める言葉となり、安倍晋三の中止の意志は断固徹底しなければならない幹部としての義務感、責任感とは決定的に矛盾する。

 実際に4月の会合が事実存在したなら、自前で政治資金を調達できない議員に対する救済は安倍晋三が現金還付は中止すると指示した時点で話し合わなければならなかった課題であるにも関わらず、話し合われることもなく、8月の会合でも話し合ったとしながら、結論を見い出すことができなかった不始末は幹部の責任能力の欠如を示すもので、大の大人である幹部4人が4人とも同様のお粗末な責任能力を曝け出していたということは、裏を返すと、誰一人満足な知恵を示し得なかったということは派閥幹部としての体も、大の大人としての体も成していなかったことになり、4月の会合も8月の会合にもデッチ上げと見ない限り、納得のいく答を見い出すことはできない状況証拠となる。

 また2022年の安倍派政治資金パーティーは5月17日に行われていて、安倍晋三の現金還付中止の4月の会合から約1カ月後と見ると、8月の会合の日付は世耕弘成が参院政倫審の証言の中で「8月5日の会合で現金還付の復活決まったことは断じてない」と述べているから、安倍派政治資金パーティー5月17日から約2ヶ月20日後で、実際には現金還付が続けられていたことを考えると、5月17日の安倍派政治資金パーティーから8月の幹部たちと安倍派事務局長事務局長松本淳一郎が出席していた8月5日までは還付を中止していたが、この会合で結論が出なかったから、幹部4人に断りもなしに事務局長松本淳一郎が還付を復活したばかりか、政治資金収支報告書不記載扱いも続けていたというのは常識的には考えられないことで、4月会合も8月の会合もなかったことにして、5月17日の安倍派政治資金パーティー後も例年の慣行どおりに現金還付と支報告書不記載が実施されていたと見る方が遥かに腑に落ちることになる。

 世耕弘成「安倍さんがもうノルマ通りの販売だ、現金による還付はやめると仰っていたので私はそれを守るべきだと意見を冒頭申し上げた。

 しかし一方で5月のパーティーを4月にノルマどおりと指示が出ていたが、売ってしまった人もいる。そういう人はやっぱり政治活動の資金として当てにしている面もあるんで、何らかの形で返すべきではないかという意見も出た。そういう中でやっぱり還付金はやめようという安倍さんの方針は堅持しよう、その代わり何らかの資金の手当てをする方法があるだろうかという議論があった中で有力なアイディアとして各政治家個人が開くパーティのパーティー券を何らかの形で清和会が買うか、これちょっと具体的にそこまで詰めた話にはならなかったけども・・・」

 だが、結局、「このとき確定的なことは決まっていない」

 安倍晋三の還付中止の方針の堅持を言いながら、確定的な結論は出さずじまいにした。ここに幹部を名乗るだけの責任感も義務感も見い出すことはできない。現金で還付してもいいわけである。政治資金規制法に則った正規の支出項目に該当する「政治活動費」等の名目で、政治資金収支報告書に動いた金額どおりに記載すれば何の問題も生じない。

 この不自然さを解消するには4月の会合と8月の会合の実体に疑いを挟まないと整合性は取りにくい。

 では、何ために4月の会合と8月の会合を必要としたのか。現金還付と不記載が中止することなく続けられた状況を前提に4月の会合と8月の会合をセッティングした場合、もし安倍晋三が現金還付と収支報告書不記載の制度、あるいは慣行を拵えた設計首謀者と仮定した場合、それを隠して還付中止を申し出た善なる存在だと見せかけることができて、その点に一番の受益を置いていたと考えることができる。

 逆に安倍晋三が設計首謀者ではなかったとしたら、「不透明で疑念を生じかねない」といった収支報告書不記載か虚偽記載といった何らかの政治資金規正法違反を想起させかねない、危なっかしい理由を作り出してまでして現金還付中止を申し出たなどといったストーリーを演出する必要性が生じただろうか。

 その危なっかしさに追及側の野党議員が誰一人気づかず、助けられたに過ぎない。

 世耕弘成は8月の会合について次のようにも発言している。

 「派閥の各議員個人のパーティー券を清和会として買うといった、極めて適法な形で対応していこうというアイデアだったので、私は『それなら異存はない』と申し上げたと記憶している。私は『この案はいい』と言ったが、私が提案したわけではない」

 「極めて適法な形で対応していこう」は元々の現金還付が"極めて違法な形"で行われていたことの語るに落ちた裏返しの告白となるが、現金還付というカネの移動だけではなく、その法的な性格にまで気づいていたことになる。だが、世耕弘成は弁明で次のように述べている。

 世耕弘成(弁明)「今回の事態が明らかになるまで、自分の団体が還付金を受け取っているという意識がなかったので、還付金について深くは考えることはなかった。

 もっと早く問題意識を持って、還付金についてチェックをし、派閥の支出どころか、収入としても記載されていないこと、議員側の資金管理団体でも収入に計上されていないことを気づいていれば、歴代会長に進言できたはずとの思いであります」

 要するに政治資金収支報告書に不記載となっていたことに「今回の事態が明らかになる」2023年11月当時まで知らなかった。だが、8月の会合では現金還付の違法性に気づいていた発言をしている。この両証言の矛盾に整合性を与えるとしたら、最低限、違法性認識の出発点としなければならない4月の会合での「不透明で疑念を生じかねない」の安倍晋三の現金還付の性格付けの際に気づいておかなければならないことだから、8月の会合で気づいていたことに何ら不自然はないが、全体的説明を構成する肝心の弁明で気づいていないとしていることは、4月の会合と8月の会合に関わる証言に無理があるから生じた矛盾と見ないと説明がつかない。

 世耕弘成は4月の会合については次のようにも証言している。「違法性を議論する場ではなく、ノルマ通りの販売とするという指示が伝達された場だったと思っている。その時点では、私は還付金を自分が貰ってる認識がなかったので、収支報告上、どういう扱いになっているかに、思いを致すことはなかった」

 4月の会合は「ノルマ通りの販売とするという指示が伝達された場だった」

 ここには原因に対する理由を問う常識的な反応としての「なぜ」がない。なぜノルマを超えて売らせていたパーティー券をノルマどおりに戻すのか。知らない事実だったなら、安倍晋三に聞いて、幹部として知っておかなければならない知識・情報とするのが自らの役目の一つであるはずだ。

 あるいは法的な危険性を感じて、知らないでいた方が無難だなと直感し、意図的に聞かないでいたなら、「収支報告上、どういう扱いになっているかに、思いを致すことはなかった」は虚偽証言となる。但し問いたい気持ちを飲み込んだとしても、「なぜ」は頭に残る。

 要するに安倍晋三が現金還付・収支報告書不記載の慣習・制度の設計首謀者ではないと無罪放免とするためには最低限、「不透明で疑念を生じかねない」の理由は必要不可欠だったから4月の会合を設定し、
現実には現金還付も収支報告書不記載も続いていたことを隠すために8月の会合もセットしたが、「なぜ」と踏み込むところにまで持っていった場合、無罪放免に逆効果となり、安倍晋三こそが設計首謀者だと暴露しすることになるから、原因を求めなければならない人間の自然に反して「不透明で疑念を生じかねない」止まりにしなければならなかった。

 このように操作すること自体が4月の会合も、8月の会合を存在しなかったことの状況証拠としなければならない。操作でないと言うなら、原因に対する理由を問う常識的な反応としての「なぜ」を発しなかった事情の納得のいく説明をしなければならない。説明など、できないだろう。 

 この安倍晋三の「不透明で疑念を生じかねない」は4月の会合に出席した西村康稔、塩谷立、下村博文、世耕弘成世の4人の安倍派幹部は共有していたはずだから、揃って証言していいはずだが、西村康稔だけが証言していて、他の幹部は「安倍氏が還流中止を提案した」、「キックバックをやめる意向を示した」、「安倍会長の指示で一旦還付を中止する方針が決まった」などと説明するのみで、安倍晋三が還付中止の理由として用いた"不透明"、"疑念"といったキーワードは一切口にしていない。

 この点にも「不透明で疑念を生じかねない」という現金還付の性格付けとこの性格付けが想定することになる政治資金規正法上の何らかの不法行為を質問者や国民に印象づけたくない思惑を感じる。

 この思惑に窺うことになる不正直さ、あるいは不誠実さ自体に4月と8月の会合の存在を疑わしくする状況証拠とすることができる。

 この4月の会合の存在が世間に明らかにされたのは現金還付と還付された現金が収支報告書に不記載扱いとなっていたことがマスコミによって報道され出した2023年11月に入ってから約2ヶ月後の2024年を迎えてからであり、"関係者への取材で判明"したことになっているこのような経緯によって、マスコミ側自体は未把握の情報であることだから、安倍派幹部側の誰かが流した情報を正体とすることになる。

 隠していれば、隠しおおせる可能性は捨てきれないが、逆に自分たちの方からリークした事実は安倍晋三を表舞台に立たせる不利益以上のメリットがあると踏んだのだろう。それが単に清和政策研究会でいつ頃からか慣習化した裏ガネ制度を、あるいは裏ガネ文化を引き継いだという安倍晋三設計非首謀者説であって、それを打ち立てるために4月の会合と8月の会合をお膳立てする必要が生じた。

 残る下村博文の2024年3月18日の衆院政倫審での8月の会合に付いての証言を見てみる。

 下村博文「8月の会議での還付を継続するかやめるかという話は本来中心ではなくて、安倍会長が亡くなったあとの清和研の会長等、派閥の今後の運営の仕方、安倍会長の当時の派閥への対応等が中心で、5月に清和研のパーティがあり、4月には全員還付はやめようと連絡したにも関わらず、4月から5月の間ということで既にチケットを売っている方もいると思うが、還付についてノルマ以上に売上があった方から、戻して貰えないかという話があったものの還付はやめようという前提での議論で、このときに還付そのものは不記載であるとかいう認識は私は持っていなかった」

 下村博文は還付そのものは不記載であることは知らなかったと虚偽証言している。安倍晋三が現金還付中止を指示した。その指示に対して「ハイ、分かりました」と何も聞かずにただただ従ったというプロセスを取ったとしても、大の大人同士の話し合いなのだから、継続よりも中止に妥当性を見い出していなければ、無条件に従うことはできない。妥当性を見い出すこと自体が事情を飲み込んでいるからであって、
暗黙のうちに中止の理由を遣り取りしていることになる。

 「不記載だから、そろそろ潮時ですかね・・・」

 もし4月の会合で安倍晋三が還付中止を指示したが事実なら、現実には現金還付と不記載が続いていた事態は連続在任日数歴代1位で、安倍派幹部の党内での立場強化と発言力強化に力を与えた安倍晋三の威厳、あるいは威光が当の安倍派幹部に効果がなかったことを示すあり得ない奇妙な逆説を描くことになり、やはり4月の会合は安倍晋三現金還付・収支報告書不記載の設計非首謀説を打ち立てるためのデッチ上げと見なければ、収まりがつかない。当然、8月の会合も存在しなかった。

 最後に元NHKの記者、元解説委員で、2023年4月からフリージャーナリストに転身した、安倍晋三に近い人物と言われている東京大学法学部卒の岩田明子の「岩田明子さくらリポート」((ZAKZAKU/2023.12/12 11:48)から、2022年4月の会合と8月の会合をデッチ上げと見た根拠を示してみる。(一部抜粋)

 先ず安倍派(清和政策研究会)の複数議員が最近5年間で、1000万円以上のキックバック(還流)を受けて、裏金化していた疑いがあることが分かったとしている。裏金化とは、勿論のこと、収支報告書不記載に処し、自由に使えるカネにロンダリングすることを意味する。

 〈安倍晋三元首相が初めて派閥領袖(りょうしゅう)に就任した2021年11月より前から同派(清和政策研究会)の悪習は続いており、それを知った安倍氏は激怒し、対応を指示していたという。〉

 〈安倍元首相が21年11月に初めて派閥会長となった後、翌年2月にその状況を知り、「このような方法は問題だ。ただちに直せ」と会計責任者を叱責、2か月後に改めて事務総長らにクギを刺したという。

 22年5月のパーティーではその方針が反映されたものの、2カ月後、安倍氏は凶弾に倒れ、改善されないまま現在に至ったようだ。〉――

 先ず最初に断っておくが、この記事は安倍派の現金還付と収支報告書不記載がマスコミによって世間に公表後、ほぼ1ヶ月経ってから発表したものである。悪習に激怒した。安倍晋三の不正を憎む、その正義感がひしひしと伝わってくる。森友学園や加計学園でのお友達の民間人に政治的な便宜を図り、政治の私物化というありがたい疑惑を招いた人物には思えない。

 記事が伝える出来事を時系列で纏めてみる。

2021年11月、安倍晋三、派閥会長となる。
2022年2月、キックバック(還流)と裏金化(=収支報告書不記載)が自身の会長就任
      前から行われていたことを知り、激怒、改めるよう会計責任者を叱責
2022年4月に事務総長らにクギを刺す 
2022年5月の安倍派政治資金パーティでは、いわば悪習は是正 (事務総長西村康
      稔)
2022年7月、安倍晋三銃撃死。以降、悪習は改善されないままとなる

 2022年4月に事務総長らにクギを刺したとしていることは4月の会合のことを指すことになる。だが、当時事務総長だった西村康稔は2024年3月1日の衆議院政治倫理審査会で次のように証言している。既に取り上げているが、再度取り上げてみる。

 「還付にかかる処理は清和会歴代会長と事務局長との間で長年の慣行で行われてきたことで、会長以外の私達幹部は関与していないし、派閥事務総長と言っても、自身は関与していない。今回の問題が表面化するまで、収支報告書不記載は知らなかった」

 ここでの"クギを刺す"という言葉の意味は現金還付と収支報告書不記載の悪習は二度と行うなという禁止命令となる。でなければ、安倍晋三の「激怒」は意味を成さない。

 どこにクギを刺したのか、西村康稔のクギを刺されていない証言となっている。4月の会合、8月の会合に出席した安倍派幹部は自分たちは現金還付にも収支報告書不記載にも関与していない。4月の会合で安倍晋三の指示で一旦現金還付中止で申し合わせたもののなぜ復活したのか、なぜ継続したのか知らないと証言していて、記事で書いてあるようには安倍晋三の「激怒」という感情の噴出も、クギを刺したという事実も、一切見えてこない。

 4月の会合も8月の会合も作り話とすると、全てに納得がいく。繰り返しの根拠提示となるが、両会合が安倍派の現金還付と収支報告書不記載がマスコミによって報道されてからこの両会合が自民党サイドから出てきたものである以上、作り話の必要性は安倍晋三は清和政策研究会が前々から行ってきた悪習を派閥会長になってから単に引き継いだだけのことで、自身が始めたことではないという設計非首謀説を打ち立てることにあり、実際にもそのようなストーリー仕立てとなっている。

 裏を返すと、当然、安倍晋三設計首謀説以外、炙り出すことはできない。

 清和政策研究会の政治資金パーティーは例年5月に行う慣例となっている。前年の2021年は5月を外れて12月6日に行われたのは2020年暮れから翌2021年3月までコロナ第3波、4月から6月まで第4波と
いう感染状況に応じて時期を12月にずらしたのだろう。前々年の2020年は9月28日に行っているが、2020年4月7日に7都府県にコロナ緊急事態宣言が発令された関係で時期を遅らせることになったのだろうが、それ以外は毎年5月に行っている。

 2022年のコロナの感染状況は第6波が1月1日から3月31日まで。第7波が7月1日から9月30日までで、4、5、6月はその谷間に当たると同時に政府は2022年3月21日を以って全ての都道府県のまん延防止等重点措置を終了、行動制限のない5月のゴールデンウイークを3年振りに迎えている。

 要するにまん延防止等重点措置を終了の2022年3月21日以降、2022年5月の開催は予定できた。そして5月17日に開催した。清和政策研究会の政治資金パーティーのパーティー券の販売開始はMicrosoft EdgeのAI「Copilot」で問い合わせてみると、「しんぶん赤旗」の記事を元に"開催約2ヶ月前"だと案内している。

 5月17日開催の2ヶ月前は3月17日。まん延防止等重点措置の終了が確実視できる頃となる。さらに安倍晋三とて清和政策研究会入会、一派閥会員としてスタートを切り、中堅会員、幹部会員、そして派閥会長の地位に昇格することになっただろうから、パーティー券の売上程度は関心対象となっていて、販売開始はパーティー開催の約2ヶ月前であることは慣習的に知り得ていたはずだから、安倍晋三が2022年2月にキックバック(還流)と裏金化(=収支報告書不記載)を自身の会長就任前から実施されていたことを知り、激怒、改めるよう会計責任者を叱責したが事実なら、パーティー券の販売開始前に直ちにそのノルマ超えの販売を禁止し、ノルマ通りの売上を厳命しなければならなかったことで、時間的にもできただろうから、できたことをしておけば、2022年4月の会合で安倍晋三の指示を受けて現金還付中止を派閥所属議員に電話で連絡したものの既にパーティー券を販売してしまったという議員が出てくる事態は回避できたことになる。

 だが、2022年2月にキックバック(還流)と裏金化(=収支報告書不記載)が行われていることを知りながら、安倍晋三は中止させるための行動を既にパーティー券が販売されている最中の2022年4月の会合が開かれるまで起こさなかったという矛盾した筋立てとなる。

 その答は4月の会合は存在しなかったという事実以外に行き着かない。当然、8月の会合にしても存在しなかった。存在しなかったとすることによって様々な矛盾が解消する。

 パーティー券販売が開催2ヶ月前が3ヶ月前だったとしても、悪習を知った2022年2月に中止の行動をなおさらに直ちに起こさなければならなかっただろうし、2ヶ月前が1ヶ月前だったとしても、既にノルマを超えて売り上げた議員に対しては収支報告書への記載を厳命して返金すれば済むことを、その両方共に行動を起こすことはなかった。結果、各幹部の政倫審での証言が矛盾に満ちることになった。

 どこをどう押したなら、4月と8月の会合が実在したとの証明を導き出すことができると言えるだろうか。

 とどのつまりは安倍晋三が始めた政治資金パーティーを使った現金還付と政治資金収支報告書不記載のカラクリだと知られることを、連続在任日数歴代1位の輝かしい名誉を金メッキとしないないためにも、何としてでも阻止しなければならない派閥幹部としての切迫した義務感が現金還付と収支報告書不記載の設計首謀者から単に前々からの悪習を引き継いだ設計非首謀者に過ぎないと演出、無罪放免とするために仕組んだストーリーに過ぎないことを数々の状況証拠が突きつけることになる。

 女性蔑視人間として有名な元首相森喜朗が設計首謀者であるかのような噂が流布しているが、森喜朗と安倍派幹部が謀らい、安倍晋三を設計首謀者から遠ざける目的で森喜朗が一定程度の悪者になることを引き受け、流したフェイクニュースに過ぎないだろう。森喜朗設計首謀説が事実なら、安倍晋三が2022年2月にキックバック(還流)と裏金化(=収支報告書不記載)が自身の会長就任前から行われていたことを知り、激怒したことと改めるよう会計責任者を叱責したことを嘘偽りのない感情とすることが可能となり、そのことは2022年5月の安倍派政治資金パーティから現金還付と政治収支報告書不記載の中止を、派閥会長としてできないことではなかったのだから、実現させることで感情を発散、自らの責任を果たすことになるのだが、実際にはこれらのプロセスを何一つ踏むことはできなかった事実は森喜朗首謀説を紛い物とする証明としかならない。

 安倍派幹部の政倫審証言やその他の記事を状況証拠とすると、安倍晋三設計首謀説以外は見えてこない。

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安倍派政治資金パーティキックバック裏金:22年4月と8月の会合を作り話とすると、全てがスッキリする

2024-04-01 11:29:17 | 政治
 今回の政治資金パーテー収入のキックバック裏金問題は、「Wikipedia」をなぞって説明すると、〈2022年11月にしんぶん赤旗が5派閥の政治資金収支報告書への多額の不記載をスクープ。同月から神戸学院大学教授の上脇博之は独自に調査を開始し、東京地方検察庁への告発状が断続的に提出され、2023年11月に読売新聞やNHKなどが報じたことで裏金問題として表面化した。〉ということで、同「出典」によると、読売新聞は2023年11月2日に報道し、NHK NEWS WEBは2023年11月18日に報道している。つまり安倍派や二階派の政治資金パーテー収入キックバック裏金問題は2023年11月に入ってから世間を騒がすことになった。

 安倍派は派閥の政治資金パーティのパーティ券販売で所属議員にノルマを掛け、ノルマを超えた分はキックバック、キックバック分のカネの収支については派閥側も所属議員側も収支報告書への不記載が発覚、告発を受けて東京地検特捜部が取調べに入ったが、所属議員はキックバックと不記載に関して嫌疑なしで不起訴処分となり、安倍派清和政策研究会会計責任者のみが在宅起訴となり、初公判は5月10日という。

 収支報告書不記載は事実安倍派清和研究会の会計責任者と各個人の政治団体の政策秘書間の独断行為で派閥幹部議員は関知していないことで、現金還付について知ったのは2022年4月の安倍晋三と派閥幹部4人との会合だったとしているが、世論と野党は納得せず、政治倫理審査会が2024年3月に衆参で開催されることになった。同じく虚偽記載を問われた二階派を代表して出席することになった二階派事務総長の武田良太の質疑は除外して、安倍派幹部西村康稔、松野博一、塩谷立、高木毅、下村博文、世耕弘成のうち、2024年3月1日の西村康稔に対するトップバッター、自民党の武藤容治の、安倍晋三が現金還付中止の指示を出した際の具体的な経緯に対する質疑応答のみと、同じく西村康稔に対する立憲民主党の枝野幸男の追及、2024年3月18日の下村博文に対する同立憲民主の寺田学の追及、2024年3月14日の世耕弘成に対する同立憲民主の蓮舫の参院政倫審の追及を文字起こしして、幹部たちは慣習と称しているが、ほぼ制度化していたキックバック確立と政治資金収支報告書不記載に関与していないとする釈明、あるいは弁明の正当性を窺ってみる。野党もマスコミも解明の鍵となるのが政倫審開催当時(最後が下村博文の2024年3月18日の衆院政倫審)は安倍晋三がキックバックの中止を指示したとされる2022年4月の幹部会合と、一部の議員からノルマ超過分を戻してほしいとの要望があり、その対応を話し合ったとしている8月の幹部会合と見ていたから、政倫審ではその点をどのように追及するか焦点を当ててみたいと思う。

 では、最初に武藤容治、68歳、岐阜3区、麻生派。必要なところだけを抜き出す。

 武藤容治「還付・不記載があったということは、(西村康稔本人は)これは知らなかったという内容ですね。どういうカネと言いますか、不記載があったということ、それが(清和研究会の)事務局長さんだけが長年の慣行としてやってきたのか、色々な情報が出ている中で今の西村さんの認識をもう一度確認させてください」

 同じ自民党だからだろう、手ぬるい質問となっている。

 西村康稔「ノルマについてもどういうふうに決まっていたのか承知していない。会長と事務局の間で何らかの相談があって決められたのではないかと推察するが、どういう会計処理がなされていたのか承知をしていない。ただ今思えば、事務総長として安倍会長は令和4年、2022年4月に、『現金の還付を行っている。これをやめる』と言われて、幹部でその方向を決めて、手分けをして若手議員にやめるという方針を伝えた。

 安倍会長はその時点で何らかのことを知っておられたのだと思う。どこまで把握していたのか分からないけれども、現金は不透明で疑念を生じかねないから、こうした現金の還付をやめると、還付そのものをやめると、いうことで我々で方針を決めて、対応したわけでありました。

 その後、安倍会長は亡くなられて、その後ノルマを多く売った議員がいたようでありまして、返してほしいと出てきた。それを受けて、8月の上旬に幹部で議論し、そしてどうするか。還付は行わないという方針を維持する中で返してほしいと言う人たちにどう対応するか、色々な意見があったことと結局結論は出ずに私は8月10日に経済産業大臣になったので、事務総長は離れることになります。

 その後、どうした経緯で現金の還付が継続することになったのか、その経緯は承知をしておりません」

 西村康稔のこれだけの答弁の中で現金還付中止の理由と再開の事情についての表面的な経緯は十分に手に取ることができる。あとは事実を話しているかどうかである。

 4月と8月の会合が事実あったこととする前提で扱ってみる。先ず安倍晋三の「現金は不透明」の言葉は現金を使った還付方式の性格を言い表した言葉であって、その場に居合わせた安倍派幹部、塩谷立、西村康稔、下村博文、世耕弘成は安倍晋三の指示を受けて中止の方針を決め、その方向で対応したなら、「現金は不透明」の言葉に対して現金を使った還付方式の性格を目の当たりにし、納得し、中止に応じたことになる。なぜなら、現金で還付しても、還付側が政治資金収支報告書にその金額と何らかの項目の支出を記載し、還付された側が同じく政治資金収支報告書に同じ金額と同じ項目で収入として記載すれば違法とはならないのだから、その現金還付を「不透明」と性格づけている以上、どちらの収支報告書にも不記載か、あるいは政治資金規正法に触れる何らかの工作をした記載となっていることを承知していなければならない。承知しているからこそ、「現金は不透明」だから、その手の還付は中止するという指示に納得できた。

 要するに現金の扱いの何を以って「不透明」としているのか、安倍晋三と4人の安倍派幹部の間で暗黙の了解があった。暗黙の了解がなければ、還付中止へと話を進めることも進むこともない。

 現金還付が収支報告書不記載となっていることも知らなかった、「不透明」な性格だと気づいてもいなかった、ということなら、子どもではないのだから、「現金はどう不透明ですか」と「不透明」の理由を問い質さなければならない。当然、2022年4月の幹部たちの会合での安倍晋三との遣り取りの全容を追及しなければならないことになる。その遣り取りの中から、派閥幹部は不記載を承知していたかどうかを炙り出さなければならないことになる。

 参考までに政倫審の質疑応答でも取り上げているが、2022年の安倍派清和研究会の政治資金パーティー開催日は5月17日、安倍晋三銃撃死は約2ヶ月後の2022年7月8日。第26回参議院議員通常選挙が2日後の2022年7月10日。改選となる参議院議員にはパーティー券の販売ノルマは設けずに、集めた収入を全額キックバックしていたとマスコミは伝えている。いわば安倍晋三の4月のキックバック中止の指示は守られなかった。その結果、収支報告書不記載も続けられた。

 4月の会合で幹部たちは収支報告書不記載を事実承知していなかったのか、8月の会合で安倍晋三の中止の指示がなぜ有耶無耶になったのか、この二つが重要なポイントとなるのは誰の目にも明らかである。いくら不慮の死を遂げたと言っても、連続在任7年8ヶ月の2822日で、これまで最長だった佐藤栄作の2798日を抜いて堂々たる歴代1位の記録を達成し、この長期政権の恩恵を受けて自民党内で一番の派閥勢力を誇る安倍派内で幹部としての地位を築き、その利益によって安倍派勢力をバックに相対的に自民党内でもそれ相当の実力者としての存在感を手に入れることができている面々にとって安倍晋三はある意味絶対的存在であったはずだが、その効力は死んで一ヶ月かそこらで失うはずもないのに還付中止の指示が長くは持たなかった。その結果として幹部たちもその他の派閥所属国会議員も知らないままに、秘書だけが承知の上で収支報告書不記載が続けられることになったということになる。

 まず最初に西村康稔の政倫審質疑応答に先立って行われた本人の弁明から。安倍派清和研究会の代表兼会計責任者松本淳一郎は所属議員から集めた合計6億8千万円の収入と所属議員側に還付したりしたほぼ同額の支出を収支報告書に不記載、収入・支出共に過小に虚偽記入し、それを総務大臣に提出した政治資金規正法違反の罪で東京地方裁判所に起訴されたが、自身も検察の捜査を受けたものの立件する必要がないとの結論に至ったものと承知している。いわば会計責任者に違法行為があったとされたが、自身にはなかったと無罪宣言をしている。

 さらに2021年10月から2022年7月8日の安倍晋三銃撃死後の2022年8月まで安倍派清和会の事務総長を務めたが、役割は若手議員の委員会や党役職等への人事調整、若手議員の政治活動への支援・協力・指導、翌7月予定参議院選挙の候補者公認調整・支援等の政治活動で、清和会の会計には一切関わっていない。

「実際、今の時点まで私は清和会の帳簿、収支報告書など見たことはありません」

 パーティ券売上ノルマを超えた分の還付については自前で政治資金を調達することの困難な若手議員や中堅議員の政治資金を支援する趣旨で始まったのではないかとされているが、いつ始まったのか承知していない。還付にかかる処理は清和会歴代会長と事務局長との間で長年の慣行で行われてきたことで、会長以外の私達幹部は関与していないし、派閥事務総長と言っても、自身は関与していない。今回の問題が表面化するまで、収支報告書不記載は知らなかった。とは言え、国民の皆様の政治不信を招いたことを清和会幹部の一人として深くお詫び申し上げます。

 「承知していない」、「関与していない」が事実だとすると、安倍晋三の2022年4月の"現金は不透明・現金還付中止"の指示に少なくとも不審の念を抱いて、どういうことですかと詳しい説明を求めなければならなかったはずだが、そのような状況説明はないのは矛盾することになる。

 2022年の還付金については安倍会長の意向を踏まえ、幹部の間で行わない方向で話し合いが行われたものの、一部の議員に現金での還付が行われたようであるが、その後の還付が継続された経緯を含め、全く承知していない。だが、経産大臣となり、安倍派事務総長の任から離れたが、安倍会長の意向を託された清和会幹部の一人として少なくとも2022年については還付を行わないことを徹底すればとよかったと反省している。

 私自身は5年間で合計100万円の還付を受けていたが、その事実は把握していなかった。秘書によると、その還付金は自身の政治資金パーティの収入として計上していたことが分かり、個人の所得や裏金にしていた訳ではない。今後このようなことがないように丁寧に報告を受け、的確に対応していきたい。

 以上で西村康稔の全面無罪とする弁明が終わり、立憲民主党の枝野幸男の追及を取り上げてみる。枝野幸男は前の質問者自民党の武藤容治が2022年の4月の幹部会で安倍晋三が現金還付中止の指示を出した点について質問したことを持ち出して、「これ間違いないですか」とか、「直接個人として呼ばれて話をされたのか、他の幹部と何かのことで集まっているときに話されたのか」とか、安倍晋三の指示とその指示に対する幹部たちの対応に何の疑問も持つことができずに追及のテクニックとして的を的確に捉える嗅覚も鋭く切り込む勢いも言葉遣いも一切感じられない質問の仕方にこれはダメだなと感じた。

 西村康稔は4月の会合では安倍会長の元で還付をやめるという方針を決めた際、幹部で手分けして派閥所属の国会議員に電話して中止を伝えたことと出席者として安倍晋三以外に西村自身と当時会長代理だった塩谷立、同じく会長代理の下村博文、自民党参議院代表・幹事長の世耕弘成世、清和会事務局長(松本淳一郎)の名前を挙げた。

 そしてその後還付はしないという方向で進んでいたが、7月の安倍晋三銃撃死後、ノルマ以上売った議員から返してほしいという声があって、8月上旬に集まって議論したが、結論は出なかったと弁明で喋ったことと同じことを繰り返した。

 枝野幸男が4月の会合ではなく、8月上旬の幹部会合に追及の焦点を移して、下村博文が2024年の1月31日の記者会見で述べた、その会合で還付に代わる案として出た、ノルマを超えた分の還付は派閥所属議員が個人として開く政治資金パーテイに上乗せする形で行い、収支報告書では合法的な形で出すとした考えは西村自身の案なのか質問したのに対して西村康稔は、返してほしいという声に応えるために所属議員が開くパーティのパーティ券を清和会が購入する方法がアイデアの一つとして示されたが、採用されたわけではなく、どう対応するかは結論は出なかったと答えている。

 下村博文が2024年の1月31日の記者会見で述べた収支報告書に「合法的な形で出す」とした発言が8月の会合で西村自身が述べたのか、述べていなかったとしたら、他の誰かが述べたのか確かめなければならなかった。述べたとしたら、還付した現金は"合法的でない形"で収支報告処理されていることになり、このことを幹部たちは認識していたことになるからだ。だが、枝野幸男は「それ(その案は)、西村さん自身ですね」と確認しただけで終えてしまった。西村はそういう案があったと説明しただけで、そういう発言があったかどうかも述べずじまい済ませてしまう。 

 枝野幸男は西村康稔が5年間で還付を受けた100万円を秘書が西村個人が開いた政治資金パーティの売上に加えて収入として計上した点を捉え、その他追及するが、肝心なことは西村等清和会幹部がキックバックされたカネの収支報告書不記載を秘書のみの判断で行っていたことで、幹部たちは事実関知していなかったことなのかどうか、安倍晋三が「現金は不透明で疑念を生じかねないから、こうした現金の還付をやめる」と指示したとしている発言との関連で追及しなければならないのだが、このことを置き去りにした追及を続けるのみだから、文字起こしは見切りをつけた。この政倫審での枝野の追及に関してネット上の様々なマスコミ報道を見ても、肝心な点の追及とその効果に触れている記事は見当たらなかったから、見切りをつけたことは間違っていなかったはずだ。

 次は順番が後先になるが、2024年3月18日の下村博文に対する立憲民主党の寺田学の衆院政治倫理審査会の質疑を取り上げてみる。

 先ず本人の弁明。ノルマを超える分が派閥からの還付という扱いになっていることは知らなかった。そのカネが自身の選挙支部に補充されている認識もなかった。一部は現金として事務所内で保管していたが使用されないままとなっている。他は専用口座に預け入れたままになっていて、これらのことを東京地検が確認していて、いわゆる裏金として何かに使用された事実はなかったことは明らかである。但し派閥事務局から誤った伝達(収支報告書に記載しないでほしいという伝達)があり、収支報告書に記載されないままになっていたので、今般寄付として訂正した。

「私自身は知らなかったこととは言え、収支報告書に記載すべきものを記載していなかったことは事実であり、あらためて深く反省すると共に政治資金規正法並びに収支報告書記載義務に対する認識の甘さによって多くの方にご迷惑をおかけしたことを心よりお詫び申し上げていただきます」

 以上の「知らなかった」、「認識もなかった」はやはり安倍晋三2022年4月の"現金は不透明・現金還付中止"の指示に何ら疑念を介在せることなく従ったことになり、指示伝達に対する了承が思慮のない、無条件の従属性を見せることになって、派閥幹部としての良識を疑わせることになる。

 逆に収支報告書不記載を承知していたからとした方が、派閥会長の「不透明」という言葉に即座に反応することができたと解釈することが可能となって、前後の整合性が矛盾なく収まることになる。

 更に2018年1月から2019年9月まで清和研の事務総長の立ち場にあったが、清和研の会計には全く関与していない、収支報告書について何らかの相談も受けていない、事務局に対して指示をしたこともない、清和研派閥政治資金パーティのパーティ券販売のノルマを超える分が還付されている事実も知らなかった。知ったのは2022年4月頃に当時の安倍会長から派閥からの還付をやめようという話を聞いたときだが、その還付金が収支報告書に不記載となっているという話はなかった。

 と言うことは、安倍晋三が「現金は不透明」の言葉をそのままスルーさせてしまったことになる。

 ノルマを超えた分を現金で還付しても、正当な名目付けで収支報告書に記載し、その名目付けどおりの
使途を行っていれば、何ら問題は生じないのだから、安倍晋三が"現金は不透明"を口にした時点では収支報告書不記載を事実知らなかったとしても、少なくとも"不透明"とした性格付けの中に不記載への疑いを選択肢の一つとしなければならなかったはずだが、そうしなかったとしたら、政治性善説に立ったあり得ないお人好しとなる。

 清和研としては当時の安倍会長の意向を受けて還付はやめようという方向となっていたものの、会長がお亡くなりになったあと、派閥の事務局に於いてこれまでの慣例に則って還付が行われたもので、当時は清和研の会長代理だったが、清和研の令和4年(2022年)のパーティに関してノルマ超過分の還付を決めたり、派閥の事務局に対して収支報告書の不記載を指示したり、了承したりしたことはない。還付を知ったのは清和研事務局から還付金の確認があった際にその取扱いについて確かめた令和5年の暮れ以降である。今後は収支報告書の正確な記載を徹底し、透明性を持った政治活動をお約束しますと弁明を終えた。

 想定内の自己無罪判決となっている。知り得ていたのは秘書のみで、自身は関知していなかった。但し、「安倍会長から派閥からの還付をやめようという話を聞いたときだが、その還付金が収支報告書に不記載となっているという話はなかった」と述べている点は当方が既に指摘しているように西村康稔が明らかにした2022年4月の安倍晋三の指示伝達に対する了承が常識外となっている点に留意しておかなければならないだけではなく、現金還付は「派閥の事務局に於いてこれまでの慣例に則って還付が行われたもの」と言っているが、安倍晋三が現金還付中止の指示を出した4月の会合には安倍派清和会の事務局長松本淳一郎が出席していて、事務局長として現金還付中止の指示に立ち会う形になっていたのである。にも関わらず下村の現金還付継続は事務局の慣例に則ったものだとする発言は矛盾することになるが、寺田学は気づかなかったようだ。

 寺田学は冒頭、「正直に話して貰いたい、期待しています」と政治の世界にふさわしくない人の良さを見せて切り出し、下村さんは様々に会見を開いて、唯一重要な会議だと8月の会議の存在を初めて申し上げた、他の議員は存在自体を話していないが、下村さんが話したことによって焦点が少しではあるが絞られてきたと下村の証言で疑惑解明が前進するかのような人の良さを見せて追及を開始した。

 下村博文は8月の会議での還付を継続するかやめるかという話は本来中心ではなくて、安倍会長が亡くなったあとの清和研の会長等、派閥の今後の運営の仕方、安倍会長の当時の派閥への対応等が中心で、5月に清和研のパーティがあり、4月には全員還付はやめようと連絡したにも関わらず、4月から5月の間ということで既にチケットを売っている方もいると思うが、還付についてノルマ以上に売上があった方から、戻して貰えないかという話があったものの還付はやめようという前提での議論で、このときに還付そのものは不記載であるとかいう認識は私は持っていなかった。

 西村康稔と同種の弁明を引き出している。

 下村博文は還付は不記載という認識は自身になかったことを印象付けようと何度でも同じ言葉を繰り返している。ウソつきが「この話は本当のことだよ、ウソなんかじゃないよ」と何度でも念押しするのと似ている。寺田学は「なぜ還付は不記載という認識は自分にはなかったと何度でも言う必要があるのですか。実際は不記載を承知していたから、それを知られないために何度でも認識はなかったと言わなければならないんじゃないですか」と追及しなければならなかったが、しなかった。

 還付はやめるが、還付以外の戻し方の問題として個人の派閥パーティを開いたときに派閥がパー券を購入して協力する。但しこれを行うという結論が出たわけではない。8月の会合で還付を継続するということを決めたということは全くない。

 寺田学は下村の2023年1月31日の記者会見を取り上げて、ある人から個人の寄付集めのパーティのときに上乗せして収支報告書に合法的な形で出すという案があったと話しているが、一方で世耕さんが政倫審の中で上乗せという案は出ていないと思っていますと真っ向から否定している。8月の会議で上乗せするという話はあったのではないのかと質問した。

 事実そのとおりを話しているから、同じ場にいた者同士で話が似てくるのか、あるいは事実とは違うことを口裏を合わせて作り出したストーリーとして話していることだから、同じ内容となるのか、その点を見極める追及が必要だが、その必要性には気づかない。

 下村博文は還付をやめるという前提で8月の議論があったが、ノルマ以上を売り上げた人から何らかの形で戻して貰えないかという話があったと西村康稔と同じようなことを言い、自身としても繰り返しとなる同じことを口にする。繰り返しは寺田学の追及による誘導に過ぎない。

 既に触れたように「合法的な形で出す」とはそれまでは"合法的な形で出していなかった"ことを知識としていた言葉となるが、追及すべき点と気づかなければ、何も出てこない。

 還付が不記載であることは知らなかったが、還付に代わる形として個人のパーティに派閥として協力できる方法はこれではないかという話をしたと、さらに同じ話を繰り返す。対して寺田学は下村が話していることは上乗せではなく、単純に個人のパーティーからパーテイ券を買うだけのことで、(下村の記者会見では)上乗せ案という言い方ではなかったと、還付継続の"なぜ"に関係ないことを突く。

 下村は個人の立ち場の個人のパーティでは派閥がそれを協力するという意味で上乗せという言い方をしましたと言い抜ける。寺田学はパーティ券を買うよりも他の派閥でもやっている、合法的な方法でもある派閥からの寄付というアイディアが出なかったのかと質したが、現実問題として非合法の還付・不記載を継続させていたのだから、出なかったと答えられれば、それまでのことでしかない。下村博文は出なかったと答えずにこれまでの答弁を冷静沈着にと言うか、鉄面皮にもと言うか、4月の会合で安倍会長から中止の話があって、幹部で手分けして派閥としてやめることをみなさんに話して、復活する話は8月の会議では出ていなかったと同じ答弁を繰り返すことで寺田学の追及を不発に終わらせた。

 寺田学は政倫審で誰に聞いても還付継続を決めたのか分からないという話をするが、まさか松本事務局長が決めたということはあり得ないですねと問い質すと、下村博文は私自身が知っている場所で決めたということは全くない、だから、いつ誰がどんな形でどのように決めたのか私自身は何も知らないと糠に釘である。

 寺田学は安倍派の5人衆が森喜朗に逐一相談しながら派閥の運営の在り方を決めていく、それが派閥の運営じゃないのかと森喜朗が清和政策研究会に今なお隠然たる影響力を持っているかのような質問をすると、下村博文は8月5日は還付の継続は決めていなかった、その後決まったが、(その決定に)私自身は立ち会ったとか関与したことはない。どこでどんな形で決まったかわからないと同様の繰り返しを続ける。

 寺田は森喜朗は派閥の人事について口出しているとか、派閥の運営にかなり影響力が強かったのではないのかと、鉄砲の弾尽きて竹の棒を振り回すような自棄っぱちの手に出た。2024年3月27日付けのマスコミ報道が首相の岸田文雄が2022年4月の会合出席の安倍派幹部から3月26日、27日に事情聴取したところ、幹部の一部から「キックバック再開の判断には森元総理大臣が関与していた」と新たな証言をしたと明かしているが、寺田が何らかのツテでこのことを把握していたとしても、報道が出る前の追求であることと、もし事実森喜朗が関与していたなら、5人衆の罪一等を減ずることになる。つまり森喜朗関与説は5人衆に少なからず利益を与えることになり、その利益は森喜朗一人を一定程度ヒール役にすることによって生じるという構図が出来上がる。要するに5人衆にとってこのような構図が出来上がることによってある程度の利益を手にすることになる。果たして何らかのカラクリがあるのか、ないのかである。

 下村博文は森喜朗の派閥に対する影響力は聞いたことがないと一蹴する。寺田は萩生田光一の発言からノルマ超の現金還付・収支報告書不記載は2003年頃からではないかとか、解明の的を外していることにも気づかすにムダな発言をして、ムダに時間を費やし、最後に「時間がきたから終わりますが、真実を少しでも解き明かそうという姿勢がないということは残念です」と自分から幕を下ろすことになる。相手に真実を解き明かすことを求めること自体が間違った姿勢だということに気づかない。自身の追及次第だという覚悟がないのだろう。

 では最後に2024年3月14日の世耕弘成に対する立憲民主の蓮舫の参院政倫審の追及を見てみる。

 世耕弘成の弁明。ざっと取り上げてみる。弁明の機会を与えてくれた政治倫理審査会の先生方に感謝を申しあげる。清和政策研究会の政治資金パーティ券売上に関わる還付金問題で国民の政治に対する信頼を大きく毀損したことについて清和政策研究会の幹部の一人として深くお詫び申し上げる。

 謙虚なのはここまで。

 収支報告書作成を始め、清和会の会計や資金の取り扱いに関与することは一切なかった。パーティ券販売のノルマ、販売枚数、還付金額、超過分の還付方法について関与したこともなく、報告・相談を受けていない。安倍会長が亡くなったあとも、私が出席している場で現金還付が決まったり、現金による還付を私が了承したこともない。

 こうしたことを踏まえて、東京地検特捜部が多大な時間と人員を割いて私から事情聴取を行い、関係先を家宅捜索するなどして徹底捜査された結果、法と証拠に基づいて私については不起訴、嫌疑なしと判断された。

 私自身は派閥で不記載が行われていることを一切知らなかった。とは言え、今回の事態が明らかになるまで事務的に続けられてきた誤った慣習を早期に発見・是正できなかったことはについては幹部であった一人として責任を痛感している。

 ここからウソつきの本領発揮とくる。不記載に関して一切知らなかったが事実とすると、早期に発見・是正という機会を持つことも恵まれることもないからだ。当然、「責任を痛感」はポーズに過ぎない。

 今回の事態が明らかになるまで、自分の団体が還付金を受け取っているという意識はなかったため、還付金について深く考えることはなかった。

 深く考えることはなかった、いわば"反省"、あるいは"後悔"は最初の段階として考える対象の是非を深く意識する作用を持ってこなければ、真の"反省"、あるいは"後悔"とはならない。だが、世耕弘成は是非を深く意識する作用を欠いた状態で"反省"、あるいは"後悔"らしきものを持ってくる。当然、中身を伴っていないことになって、口先だけのポーズだからこそできる是非を深く意識する作用を欠いた"反省"、あるいは"後悔"の類いに過ぎないことになる。

 もっと早く問題意識を持って、還付金についてチェックをし、派閥の支出どころか、収入としても記載されていないこと、議員側の資金管理団体で収入に計上されていないことを気づいていれば、歴代会長に是正を進言できたはずだとの思いであります。

 知らなかった、承知していなかったでは問題意識を持つことも、議員側の資金監理団体で収入に計上されていないことに気づくことも、歴代会長に是正を進言することも不可能事であって、不可能事を可能事であるかのように言う。ウソつきの常套句に過ぎない。

 私が積極的に還付金問題について調査をし、事務局の誤った処理の是正を進言しておれば、こんなことにはならなかったのにと痛恨の思いであります。

 知らなかった、承知していなかった還付金問題に調査を思い立つキッカケなど訪れようがない。当然、事務局の誤った処理の是正を進言にまで進むことはない。現実には実行しなかった話を持ち出して、"痛恨の思い"を披露する。

 ウソの演技もここまでくれば、天才と言える。できなかった事実、しなかった事実をすることができた事実であるかのように尤もらしげに喋り立てる。明瞭なハキハキした力強い言葉遣いと自信に満ちた態度で確信的に話すから、多くの人間が騙される。

 こういった態度・口調もウソ付きの才能の主たる一つで、この才能は清和会実力者に上り詰めるに役立ったに違いない。

 繰り返しになるが、西村康稔の証言が正しければ、安倍晋三は4月22日の会合で、現金還付は不透明な性格のものだと指摘した。にも関わらず、世耕一成はそれ以後、還付金問題について調査をすることはなかった。考えられる理由は安倍晋三と他の幹部が収支報告書不記載を共に共通認識としていた正犯と従犯の関係にあり、安倍晋三死後は幹部同士が臭い物に蓋の共犯関係にあったために調査という選択肢は当初からゼロだったからと疑うことができる。

 蓮舫はこういった数々のウソを突いて、信用できない人間像を印象づけるべきだったが、2022年4月の会合場所はどこか、明らかにしても問題はないことから追及を始めた。頭から一発ショックを与えるという考えはなかったようだ。このことが蓮舫の追及の性格を表すことになる。蓮舫は既に明らかになっている会合出席者の名前を挙げてから、会議内容を手控えのメモを取っていないか、取っていたとしても正直に答えるはずはないことを聞いた。世耕は当然否定した。

 蓮舫がすべきことは会合でどんな遣り取りがあったか、しつこいくらいに記憶を呼び起こさせて、そこに矛盾がないかを嗅ぎ取り、矛盾点を見い出した場合はその点を突いて、表沙汰とした事実を覆し、隠されている事実を炙り出すことだろう。蓮舫は現金還付について話し合ったのはその一回か尋ね、世耕はその一回だけと答え、「話し合ったというよりは安倍会長の決定を伝達され、それを参議院側に伝えてほしいということで呼ばれたというふうに理解している」と、何の問題はないとした答弁で片付けている。

 中止の理由を言わずして、いきなり現金還付の中止を伝達し、参議院側への連絡を依頼するというプロセスはいくら安倍晋三を絶対的存在と位置づけていたとしても、あり得ない状景であるはずだが、蓮舫は「中止の理由はどう述べたのですか」と聞く折角の機会を逃して、なおのこと4月以外の会合に拘り、3月に会合を持った記憶はないかと追及した。世耕は否定し、「残念ながら、私のスケジュール表にも、私の記憶にありませんと」と一蹴した。

 世耕にしても、中止の理由を「安倍会長から指示されたから」のみでは済まないはずで、済むとしたら、中止を伝えた側も伝えられた側も収支報告書不記載なりの何らかの不法行為を共通認識としていなければならない。

 但しマスコミが2024年3月29日付けで一斉に蓮舫の指摘どおりに世耕一成が3月29日い記者団に対して2022年の3月2日に安倍晋三、前衆議院議長細田博之、西村康稔と自身の4人が会合を持ったことを明らかにした。スケジュールを改めて精査した結果だとし、現金還付の議論は否定したと伝えている。

 もし蓮舫が自分の指摘を手柄としたら、自身の小賢しさを証明するだけのことになるだろう。いつ始まったのか、誰が始めたのか知らない、自身は関与していないとするノルマ超の現金還付を2022年の4月の幹部会で安倍晋三に伝えられて初めて知ったのか、その還付が清和会の収支報告書にも議員側の政治団体の収支報告書にも不記載となっていたことを双方の秘書のみが承知していて、議員自体は彼らの言葉通りに関知していないことだったのか、政倫審という事実解明の機会を与えられながら、事実なのか虚構なのか、どちらか一方に整理をつけることが肝心な点で、それが誰もできていないからだ。

 世耕一成は蓮舫が指摘した3月の会合は否定し、「私の記憶では4月上旬の安倍会長が入って唯一話し合いというよりはノルマ通りに売ることにするからという指示を下された。そういう会合だった」と答弁。折角の追及の材料を提供して貰いながら、蓮舫は4月以前に招集されずに4月の会合に突然呼び出されて還付金中止を指示されたのかと否定されたらおしまいとなる表面的な日程に拘った。

 世耕一成が証言している、4月の会合で「安倍晋三からノルマ通りに売ることにするからと指示された」。つまり4月以前はノルマ通りに売っていなかった。2024年3月1日の衆院政倫審での西村康稔の答弁はNHK総合でテレビ放送していたから、蓮舫は参考のために直接か、録画かで視聴していたはずで、西村が「安倍会長に現金の還付を行っている。これをやめると言われて、幹部でその方向を決めた」、安倍晋三のやめる意向を「現金は不透明で疑念を生じかねない」と述べたこととを突き合わせれば、世耕の証言はノルマを超えて売らせていて、超えた分を現金で還付していたことになる点を捕まえて、その場での詳しい遣り取りを聞き質すことによって安倍晋三が初めて打ち明けたことなのか、多分、初めて打ち明けたとするだろうが、例えその時点まで承知も把握もしていなかったことであっても、カネの出入りと収支報告書への記載は相互に関連付けなければならない義務となっている以上、少なくとも4月の会合の時点で、"不透明"としている関係上、清和政策研究会事務局がノルマを超えた分を現金で還付する場合のカネの処理をどの名目で行っているのか、その方法に準拠して各議員の政治団体も会計処理することになるだろうから、派閥の幹部としてどのような名目で処理しているのかを把握しておかなければならない立ち場にいたはずではないかと追及することができたはずだ。

 最低限、蓮舫は世耕一成に清和会事務局が還付する現金に対して収支報告書上の処理をどのような名目で行っていたのか関心を持つことはなかったのかと問い質さなければならなかった。不透明な性格の現金還付としている以上、それに準じて会計処理も不透明な形しているのか、正当な名目にすり替えて、いわば資金洗浄を施しているのか、あるいは現金で保管、裏ガネとしているのか、どちらなのかを迫らなければならなかった。世耕は政治団体、あるいは後援会の代表として不透明な性格の還付された現金に対しての会計処理に無関心であったとすることはできないだろう。

 蓮舫は折角の追及の材料を逃してしまい、次に訪れた追及のチャンスも逃してしまう。蓮舫が8月の幹部会の塩谷の還付廃止で困っている議員たちのために還付が継続されたとする説明と西村康稔の結論は出なかったの説明、下村の記者会見で述べた一定の方向は決めたことはないの説明の食い違いを追及したのに対して世耕はノルマ以上売った議員から返してほしいとの申し出があり、現金還付中止の方針を堅持しながら、具体的に詰めたわけではないが、各政治家個人が開くパーティのパーティ券を何らかの形で清和会が買い、しっかりと収支報告書に出る形で返すというアイディアが出て、それだったら反対をしないという意見を述べた気がしますと証言している。

 下村博文も2024年の1月31日の記者会見である人の意見としてノルマを超えた分の還付は派閥所属議員が個人として開く政治資金パーテイに上乗せする形で行い、収支報告書では合法的な形で出すとする案を紹介しているが、世耕の「収支報告書に出る形で返す」の物言いにしても、これまでは"収支報告書に出ない形で返していた"ことの証明となる。幹部会合の2022年4月当時、収支報告書に出る形で返す、いわば現金還付を行っていたなら、安倍晋三自身、「現金還付は不透明だから」との理由付けで中止を指示する必要もないし、中止しなければ、若手議員からノルマを超えた分を返してほしいという声も出てこなかったろう。

 当然、蓮舫はこの点を突くべきだったが、突かずじまいにしてしまった。

 世耕が、塩谷の還付継続を決めたとする発言は何らかの資金手当をしなければいけないということが決まったということで、下村の記者会見発言も、塩谷と同じそういうことを踏まえた発言ではないか、大幅に各人の認識が違っているわけではないと説明すると、蓮舫は「若干の食い違いどころでないんですよ」と応じて、現金還付継続を誰がどういう考えで決めたのか拘る質問を続け、世耕はどうするか結論が出たわけではないを繰り返して、誰が決めたのか分からないの堂々巡りが長々と続いた。
 
 4月の会合で安倍晋三から西村、塩谷、世耕、下村博文の4人の幹部対してノルマを超えた分の現金還付中止の指示が出たとなっている。これが真正な事実とすると、当然、4人は安倍派幹部として還付中止を徹底させる責任と義務を負ったことになる。だが、現金還付中止の方向を維持しながら、若手議員のノルマを超えた分を返してほしいという声にどう対応するか、議論しただけで結論を付けないままに終えてしまう、その責任と義務の放棄の結果として現金還付と還付されたカネの収支報告書不記載が継続されることになり、このことがしんぶん赤旗によって長年の慣行としてスクープされ、大学教授によって東京地検に告発されるに至った。

 もし4人の安倍派幹部が還付された現金の収支報告上の扱いが不記載となっていたことが2022年4月、あるいは8月の時点で自分たちの証言通りに知らなかった、承知していなかったが事実とすると、安倍晋三指示に対する責任と義務の不履行は途轍もなく大きな代償となって跳ね返ってきたことになる。

 この点をも突くべき材料となるが、蓮舫にはその才覚はなかった。蓮舫の最後の発言。

 「何の弁明に来られたのか、結局分からない。政倫審に限界を感じました。終わります」

 蓮舫の追及にこそ限界があったはずで、気がつかないことは恐ろしいことだが、気がつかなければ自身の追及技術の未熟さの解消はなかなかに望めないことになる。

 安倍晋三が安倍派幹部の塩谷立、西村康稔、世耕一成、下村博文、それに清和会事務局長松本淳一郎を混じえて、安倍派政治資金パーティのパーティ券ノルマ超売り上げ金のキックバック(現金還付)を中止したとされている2022年4月の会合は果たして存在したのだろうか。

 既に紹介しているが、しんぶん赤旗が5派閥の政治資金収支報告書への多額の不記載をスクープしたのが2022年11月。そこから神戸学院大学上脇博之教授による東京地検に対する告発が始まり、その1年後の2023年11月に入ってマスコミが報道を開始して、世間に広く知られることになった。

 前記安倍晋三と安倍派幹部との2022年4月の会合と安倍晋三の死後に幹部だけが集まって現金還付の扱いを議論したとされる8月の会合の報道が始まったのが2023年の年末から2024年の年初にかけて。要するに5派閥の政治資金収支報告書への多額の不記載が世間に知れることになった2023年11月からほぼ1ヶ月して2022年の4月と8月の会合が報道され、安倍晋三が現金還付の中止を指示していたという事実が打ち立てられた。ここに何らかの意図が隠されていないだろうか。

 何よりも4月の会合で7年8ヶ月も政権を維持して、それなりの権威を持つ安倍晋三が指示した現金還付中止を所属議員に幹部手分けで連絡したとは言うものの、いわば選挙資金を遣り繰りしている若手議員からのノルマを超えた分のカネを返して欲しいという声を受け、8月の会合で幹部のみで現金還付に代わる手当を議論しながら、色々なアイデアは出たとは証言しながら、しっかりと結論まで持っていくことができずにそのまま放置し、その結果、現金還付と還付されたカネの収支報告書への不記載の違法行為がそのまま続けられていて、幹部自身は知らなかったとする、かつての大親分安倍晋三に対する幹部としての責任と義務の放棄は普段、「政治は結果責任」を口にしているだろうことからしても、幹部が4人も雁首を揃えていたのだから、無責任過ぎるでは追いつかない、考えられない事態と言うしかない。

 会合はどこから洩れたのだろうか。普通に考えると、不利益を被る幹部サイドからではないはずだ。4月、8月の会合の報道が2023年の年末から2024年の年初にかけて開始された時点に立って考えると、もし洩れなかったなら、ノルマ付けとノルマ超の現金還付と収支報告書不記載が歴代会長の指示で行われていたことが検察の取調べや報道の調査で突き止められた場合、安倍晋三は連続在任日数歴代1位の名誉を少なからず損なうことになり、一方で幹部たちは自身の知らないところで行われていたことだといい抜けることもできるが、4月と8月の会合の存在を知らしめれば、自分たちは一定程度のヒール役を負うことになったとしても、安倍晋三の名誉を少なからず守る利益を生み出すことができる。

 いわばこういった一方は利益、一方は不利益の構造を演出するための4月と8月の会合は4人の幹部のリークによるストーリー(作り話)だったのではないかと疑うことができるし、さらに現実には存在しなかった演出したストーリー(作り話)だったからこそ、安倍晋三の還付中止の指示を派閥最高幹部が4人も雁首を揃えていながら、徹底できずに有耶無耶にしてしまった不手際、あるいは幹部にあるまじき責任と義務の放棄も説明がつき、現金還付と収支報告書不記載が4月と8月の会合に関係なく続いていた経緯もスッキリする。

 8月の会合でノルマを超えた分を返して欲しいという議員の声に応えるために様々に議論した中の一つ、派閥が政治家個人の政治資金パーティのパーティ券を買う方法は収支報告書に規則通りに記載すれば実行できる案であるはずだが、実行しなかったこと、あるいは派閥からの寄付という形で出して、同じく収支報告書に規則通りに記載すれば、問題なく実行できたのに実行しなかったことも、4月と8月の会合がストーリー(作り話)だったと疑うことのできる根拠となる。

 もし4月と8月の会合が実際に開催されていて、簡単にできるはずのこのような方法で安倍晋三の現金還付中止指示を決着付けていたなら、政治倫理審査会で、「知らなかった」、「承知していなかった」と説明不十分の醜態に追い詰められることもなかったろう。

 西村康稔が3月14日の政倫審で説明した安倍晋三の「現金は不透明」の言葉は現金還付中止を周囲に納得させる形で説明づけるためには、不正行為でなかったなら中止する必要は生じないから、不正のニュアンスを欠かすことができないことから用意した表現だろう。このようなニュアンスの表現を使うこと自体が、あるいは使ってしまうこと自体が当初から現金還付だけではなく、収支報告書不記載も知っていたことでなければ、できないことであるはずだ。

 但し政治倫理審査会が開催されることまで予想していただろうか。審査会の開催によって4月と8月の会合が演出した場面だと見たとしても、安倍晋三の還付中止の指示に向けた自分たちの責任と義務の放棄は実際のこととして扱われ、そのことについての説明を満足に付けることができない醜態は演出した場面だからという事情は顧みられることなく、その説明混乱の醜態と責任と義務の放棄の醜態だけを目立たせてしまった点は4人の幹部にとって大いなるマイナスとなって跳ね返ってきたことになる。

 要するにこのマイナスは自分たちの親分である安倍晋三の名誉を守ろうとして作り上げたストーリー(作り話)に対するしっぺ返し、大いなる代償だったと見るべきだと思うが――
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安倍晋三のケチ臭い度量から発した放送法「政治的に公平」の「補充的説明」を騙った報道自主規制の罠

2023-03-29 06:06:06 | 政治
 当方もごく度量の小さな人間であり、偉そうな口を叩く資格のない人間ではあるが、安倍晋三はある意味天下人である。関わる世界は広く、偉そうな口を叩く資格を有しているにも関わらず、ケチ臭い度量という逆説は普段叩いていた偉そうな口を骨抜きにする。

 2023年3月3日参院予算委で立憲参議院議員小西洋之は総務省職員からリークされた2014年11月26日作成の総務省行政文書に基づいて2015年5月12日の参議院総務委員会での総務大臣高市早苗の、いわゆる「一つの番組でも極端に偏っていた場合には政治的に公平とは認められない場合がある」とする答弁を放送法第4条第2号の「政治的に公平」は「一つの番組で判断するのではなく、テレビ局の番組全体で判断する」としていた従来からの政府統一見解の解釈変更に当たり、官邸側の政治的圧力によってなされていたことを示す文書内容となっているとの趣旨で政府を追及。政府側は解釈変更を否定、従来の政府解釈を補充的に説明したに過ぎないの姿勢を示すと同時に行政文書自体の信憑性の精査に取り掛かった。

 「公文書等の管理に関する法律 第2章行政文書の管理 第1節文書の作成 第4条」は、〈行政機関の職員は、第1条の目的(「国民共有の知的資源としての管理・保存の義務」のこと)の達成に資するため、当該行政機関における経緯も含めた意思決定に至る過程並びに当該行政機関の事務及び事業の実績を合理的に跡付け、又は検証することができるよう、処理に係る事案が軽微なものである場合を除き、次に掲げる事項その他の事項について、文書を作成しなければならない。〉と規定している。今回明らかになった総務省行政文書は"意思決定に至る過程"を事実あったこととして記録した文書を職位の段階ごとに承認を受けて最終的に総務大臣が了承、保存された経緯を取るはずで、その信憑性を確認・精査すること自体が事実なかったことを記録・保存し、承認した疑いを持つ矛盾行為となる。つまり事実あったことの記録・保存を前提としない限り、行政文書そのものの存在が成り立たなくなる。参考のために内閣府のページから次の画像を載せておく。
 行政文書としての実態を備えていることを当たり前のこととすると、当時は国家安全保障担当で、放送行政に専門外の安倍補佐官礒崎陽輔がテレビ局の政治報道番組が放送放第4条各号の規定を超えている疑いを持ち出して総務省放送政策課側と総務省行政文書に記述の2014年11月26日から参議院総務委員会で自民党議員と当時総務大臣の高市早苗が放送法第4条について質疑応答を行う2015年5月12 日までの約5ヶ月半も話し合いを持つ理由はどこにあったのだろうか。

 事実、解釈変更は行われなかったのか、国会で答弁しているように補充的な説明を行っただけなのか。当時総務相高市早苗は「文書は捏造されたもの」と自身の関与を否定、現総務相の松本剛明は2023年3月16日の衆議院総務委員会で、「一つの番組でも極端な場合には一般論として政治的に公平であることを確保しているとは認められないことは昭和39年(1964年)の参議院逓信委員会で政府参考人が答弁している」、「(2015年5月12 日当時の)高市大臣の答弁は、従来の解釈を変更するものとは考えておらず、放送行政を変えたとは認識していない」と発言したことを2023年3月16日付「NHK NEWS WEB」記事が伝えていて、当該総務省行政文書が官邸からの圧力を受けて解釈変更を画策した経緯を記したものではないことを否定している。

 だが、立憲民主党側は簡単には引き下がらない。政府側との間で当該行政文書を巡って安倍官邸の圧力を受けて放送法第4条が解釈変更されたのか、されなかったのか、さらに高市早苗の「捏造」発言は、「事実なら辞任する」と答弁したことから、その首を取るべく、捏造なのか、でないのかで質疑応答が展開されるに至っている。しかし政府側の言い分が正しかったとしても、当時は国家安全保障担当の安倍補佐官礒崎陽輔が自身の職権とは関係しない放送行政について何らかの意図なくして総務省職員を官邸に呼びつけ、テレビの政治報道を例に取って、放送法の「政治的公平」との関連で疑義申立を行うはずはない。その意図が何であったのか、解釈変更にあったのか、政治報道番組に対する何らかの規制を画策しての立ち回りだったのか、別の目的を胸に秘めていたのか、そのいずれであっても、意図通りの成果を手にすることができたのかどうか、以前ブログで取り上げた一騒動と関連すると見て、自分なりの読み解きで検証してみることにした。先ずは放送法の第4条について。

 放送法(第4条)

 第4条 放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
 1 公安及び善良な風俗を害しないこと。
 2 政治的に公平であること。
 3 報道は事実をまげないですること。
 4 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

 総務省行政文書を点検する前に松本剛明答弁の昭和39年(1964年)4月28日参議院逓信委員会での政府参考人答弁を見ている。総務省行政文書にも関連する個所の質疑が記載されている。放送法は1950年(昭和25年)6月1日からの施行だが、何度か改正されていて、この質疑では「政治的公平」は第4条ではなく、第44条の規定となっている。当時の日本社会党所属参議院議員の横川正市(しょういち)がこの委員会で放送法の「政治的公平」を取り上げる。

 横川正市「この条文上の問題からいうと、放送法の44条の各項にわたっての解釈をどういうふうに解釈をされているのか。これが立法された当時の速記録でも読むと明確になるんでありますが、それが手元にありませんので、法律に従って業務をとられております局長からお聞きをいたしたいと思いますが、第一は、第2号の『政治的に公平であること』ということはこれは一体どういう内容なのか。それから第2は、『意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること』とあるけれども、これは一体どういう内容なのか。これは主観的なものではなしに、立法の精神からひとつ御説明をいただきたいと思います」

 政府参考人宮川岸雄「ただいまの御質問の御趣旨はこの44条第3項のことだと思うのでございまするが、『政治的に公平であること』及び『意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から』云々ということの御質問だと思いますが、前段にございます『協会は、国内放送の放送番組の編集に当っては、左の各号の定めるところによらなければならない』と、こういうふうになっておりまして、前段後段、全部含めましての考え方でなければならないかと思います。したがいまして、御質問の御趣旨と若干あるいは取り違っているかもしれませんけれども、この書いてございます3項の全体の問題につきましては、電波監理の事務当局といたしましては、協会が放送を行なう場合におきましての放送番組の編集でございますので、ある期間全体を貫く放送番組の編集の考え方のあらわれ、そういうようなものの中におきまして、それが政治的に非常に片寄った意見が常に一方的に相当長期間にわたって出る、あるいは意見の対立している問題について、片方からだけの角度からその論点を常に取り上げて、片方だけの意見を常に言っているというようなことが出てきた場合におきまして、この第3項というものの法律に違反することになってくる、こういうような考え方をとっているのでございます

 政府参考人宮川岸雄のこの答弁個所が総務相松本剛明が2023年3月16日衆議院総務委員会で、「一つの番組でも極端な場合には一般論として政治的に公平であることを確保しているとは認められないことは昭和39年(1964年)の参議院逓信委員会で政府参考人が答弁している」と説明した個所に当たる。

 この質疑について総務省行政文書にも断り書きがしてあるように横川正市は池田勇人が各テレビ局の各番組を20時から20時15分の15分間を中断させて、公労協の使用者側の立場から自らの談話を放送した事実を取り上げている。ネットで調べてみると、1964年春闘で総評等の労働組合が4月17日に大幅賃上げ、最低賃金確立、労働時間短縮等の各要求を掲げて国鉄幹線全列車対象を含めた全国規模のストライキ(ゼネスト)を計画したが、日本共産党がスト反対運動を展開、総評と対立したものの、スト決行の前日、当時の首相池田勇人と総評議長と事務局長が会談、話し合いの末に決着、ゼネストは中止された。但し計画決行2日前の4月15日、池田勇人が公労協の使用者側の立場から自らの談話を放送した。TBSの場合は野球実況中継の最中だったと言う。

 横川正市はこのことを「放送法のタテマエ」からして「遺憾な放送ではなかったか」と発言しているが、池田勇人が各局のテレビ番組を同時刻一定時間止めて首相談話を一方的に放送させた事態を、言葉に出して説明してはいないが、その"一方性"が時と場合によっては全体主義的な国家権力の恣意的行使に発展しうる危惧を感じて、放送法第44条各号で縛りをかける必要性を感じたのかもしれない。ここから約50年半を経た2014年11月に入ってから、安倍政権が政府批判を繰り広げるテレビ局の政治報道番組に現放送法第4条各号で縛りをかける必要性を感じることになり、安倍補佐官礒崎陽輔が総務省放送政策課に対して自分たちが望む方向への縛りを可能とする解釈の仕方(=根拠づけ)を求めることになったのだろう。違いは前者が野党の立場から政治権力側に顔を向けた要求であるのに対して後者は政治権力側が野党に味方していると見ている新聞・テレビ等のマスメディアに顔を向けた要求となっているという点である。しかし政治権力は国民から監視を受ける立場にある以上、国民に代わって監視の役目を引き受けているマスメディアの批判を引き受けるそれ相当の度量を持たなければならないが、安倍晋三にはその覚悟がなく、度量がケチくさいときているから、マスメディアを押さえつけ、満足したい欲求に駆られることになったといったところか。

 以下、総務省公表の行政文書、〈「政治的公平」に関する放送法の解釈について〉(磯崎補佐官関連) (総務省/2014(平成26年)11月26日)から主要部分を拾っていく。読みやすいように発言者名は○に変えてあるところは名前を記入し、段落を開けたり、文飾を施したり、事実関係を時系列で表してある箇所の最初のみで以下略してある年号を書き入れたりした。

 先ず総務省が行政文書として纏めるに至った安倍補佐官礒崎陽輔と総務省放送政策課との最初の関わりとなる2014年11月26日と引き続いての関わりとなる2014年11月28日の経緯を見てみる。

 平成26年11月26日(水)

磯崎総理補佐官付から放送政策課に電話で連絡。内容は以下の通り。
・ 放送法に規定する「政治的公平」について局長からレクしてほしい。
・ コメンテーター全員が同じ主張の番組(TBS サンデーモーニング)は偏っているのではないかという問題意識を補佐官はお持ちで、「政治的公平」の解釈や運用、違反事例を説明してほしい。

11月28日(金):磯崎補佐官レク
磯崎補佐官から、「政治的公平」のこれまで積み上げてきた解釈をおかしいというものではないが、①番組を全体で見るときの基準が不明確ではないか、②1つの番組でも明らかにおかしい場合があるのではないか、という点について検討するよう指示。

 要するに安倍補佐官礒崎陽輔の全体的意向としてはテレビの報道番組の政権批判は放送法の第4条の「これまで積み上げてきた解釈」では満足な規制はできないから、1つの番組を取り上げるだけで規制できる解釈の仕方はないかと総務省に持ちかけてきたということになる。

 【配布先】桜井総審、福岡官房長、今林括審、局長、審議官、総務課長、地上放送課長 ← 放送政策課 (取扱厳重注意)

礒崎総理補佐官ご説明結果(概要)
 日時 平成26年11月28日(金) 13:15~13:40
 場所 官邸(礒崎総理補佐官室)
 先方 礒崎補佐官(○)、山口補佐官付
 当方 安藤情報流通行政局長、長塩放送政策課長、西がた(記)

 ◆経緯◆

 11月26日(水)、礒崎補佐官室から、放送法に規定する「政治的公平」について局長からの説明をお願いする旨の連絡があり、ご説明に上ったもの。補佐官のご発言の概要は以下のとおり。礒崎補佐官は11月23日(日)のTBSのサンデーモーニングに問題意識があり、同番組放送後からツイッターで関連の発言を多数投稿。

 礒崎陽輔)今すぐ何かアクションを起こせというわけではない。放送の自律、BPOが政治的公平についても扱っていること等は理解。これまで国会答弁を含めて長年にわたり積み上げてきた放送法の解釈をおかしいというつもりもない。他方、この解釈が全ての場合を言い尽くしているかというとそうでもないのではないか、というのが自分の問題意識。

 礒崎陽輔)聞きたいことは2つある。まず1つ目だが、1つの番組では見ない、全体で見るというが、全体で見るときの基準が不明確ではないかということ。「全体でみる」「総合的に見る」というのが総務省の答弁となっているが、これは逃げるための理屈になっているのではないか。そこは逃げてはいけないのではないか。

 礒崎陽輔)(確かに様々な事例、事案があるので、「基準」を作れとは言わないが)総務省としての考え方を整理して教えて欲しい。

 礒崎陽輔)もう一つは、一つの番組でも明らかにおかしい場合があるのではないかということ。今までの運用を頭から否定するつもりはないが、昭和39年の国会答弁にもあるとおり、絶対おかしい番組、極端な事例というのがあるのではないか。これについても考えて欲しい。有権解釈権は総務省にあるのだから、放送法の解釈としてもう少し説明できるようにしないといけないのではないか。

 礒崎陽輔)今は政府側の立場なので質問できないが、いずれ国会で質問したい。予算委員会でもいい。もちろん、事前によく摺り合わせてからやりたい。けんかになるから具体論はやらない。あくまで一般論ベースでやりたい。1つの番組で明らかに(政治的公平の観点から)おかしい、と判断できる極端な場合はどういうものか。

 また、これまでの「番組全体でみる」「総合的に判断する」とある「総合的」とはどういうものなのか。これまでの解釈を改めろと言っているのではなく、もう少し説明を加えてくれという話であり、これを国会の場で質したい。

 礒崎陽輔)言いたいことは以上。2~3日の内にとは言わないので、選挙後にでも考えを聞かせて欲しい。(以上)
      

 安倍補佐官礒崎陽輔は「これまで国会答弁を含めて長年にわたり積み上げてきた放送法の解釈をおかしいというつもりもない。他方、この解釈が全ての場合を言い尽くしているかというとそうでもないのではないか、というのが自分の問題意識」と指摘している"放送法解釈"に向けた不足感自体がマスコミ報道を規制したい欲求の現れそのものを示しているが、あくまでも憲法が保障している言論の自由、報道の自由に触れない方法での(「基準」を作れとは言わないが」、「けんかになるから具体論はやらない」の言葉に現れている)規制を意志していることが見て取れる。そして「いずれ国会で質問したい」の発言は対マスコミ報道規制の線に添って質問して、その線に添った政府答弁を以ってして放送法に関わる政府の公式見解としたいとする意図を読み取ることができる。

 【配布先】桜井総審、福岡官房長、今林括審、局長、審議官、総務課長、地上放送課長 ← 放送政策課
                            (取扱厳重注意)

            礒崎総理補佐官ご説明結果(2R概要)

日時 平成26年12月18日(木) 16:20~16:45
場所 官邸(礒崎総理補佐官室)
先方 礒崎補佐官(○)、山口補佐官付
当方 安藤情報流通行政局長(×)、長塩放送政策課長、西がた(記)

前回ご説明(11月28日(金)午後)の際の礒崎補佐官から指摘を踏まえ、別添の資料に沿って安藤局長から再度ご説明。主なやりとりは以下のとおり。

 礒崎陽輔)放送番組の「政治的公平」について、「番組全体を見て判断する」ことは理解するが、これまでの答弁はそこで止まっている。番組全体でどうなっていればいいのか、ポジに答えてほしい。また、番組全体でのバランスの説明責任はどこにあるのか。「番組全体でどうバランスを取っているのか問われれば、放送事業者が責任を持って答えるべきものと考えます」というような答弁はできないものか。

 礒崎陽輔)後段の問について一つの番組において政治的公平を欠く極端な事例というのは論理的にはあるはず。例えばコメンテーターが「明日は自民党に投票しましょう」と言っても総務省は「番組全体で見て判断する」と言うのか。反対する考え方には一切触れず一党一派にのみ偏る番組といった極端な事例について、もう少し考えてみてほしい。

(注)補佐官から、「番組の中で一党の党首が語るのは問題ないが、最近の番組は『番組(のコメンテーター)が語っている』からおかしい」との言あり。

 安藤情報流通行政局長)ご趣旨を踏まえ、答え方を工夫してみます。

 礒崎陽輔)政治的公平に係る放送法の解釈について年明けに(補佐官から)総理にご説明しようと考えている。流れとしては、

 ① 現行の解釈(番組全体を見て判断)があり、その中で、
 ② 番組全体のバランスとしてどういうものが求められているのか、また、
③一つの番組として政治的公平を欠く極端な事例とはどういうものなのか、という論点を整理するものをイメージしている。

 (安藤情報流通行政局長から具体的な進め方について確認したところ)

 礒崎陽輔)もちろん、官邸(補佐官)からの問合せということで、(多分変わらないだろうから)高市大臣にも話を上げてもらって構わない。こちら(官邸)で作るペーパーとそちら(総務省)で作るペーパーの平仄を合わせる作業を進めてほしい。こちらの資料も高市大臣にお見せしてもらって構わないし、こちらのペーパーを埋めるための回答ぶりについても早急に検討してほしい。政治プロセスは来年に入ってからだが、ペーパー自体は年内に整理したい。

 安藤情報流通行政局長)一定の整理が出来た段階で、官邸(補佐官)からの問合せということでそのペーパーで返したいと高市大臣に説明した上で政治プロセスに入る形でお願いしたい。

 礒崎陽輔)それは構わない。迷惑はかけないようにする。(以上)

 政府側が(=総務省が代表して)「番組全体を見て判断する」ことを規準としている「政治的公平」の説明責任(説明の義務)を第一義的には放送事業者に負わせたい意図を滲ませている。放送事業者が負った場合、特に民放の場合、スポンサーから受ける利益を優先させなければならない立場上、責任を問われてスポンサーを失う最悪事態の回避を前以って優先させると、政府批判を抑えたい衝動が否応もなしに頭をもたげ、結果的に言いたいことを控える萎縮を契機とする自主規制効果が期待できる欲求からの安倍補佐官礒崎陽輔の要望と見ることができる。このことは政府批判のコメンテーターをある種目の敵にしていることからも窺うことができる。

 対して総務省側は「ご趣旨を踏まえ、答え方を工夫してみます」と安倍補佐官礒崎陽輔の意図、欲求、要望に応える姿勢を見せている。いわば政府批判のテレビ報道を規制したい安倍官邸側の意向に総務省放送制作課が応じて、「(官邸)で作るペーパーとそちら(総務省)で作るペーパーの平仄を合わせる作業を進め」ることとなった。日本国憲法が保障する思想、言論、表現の自由を侵害しない範囲内での規制の画策であることは既に触れたが、この画策は「こちらの資料も高市大臣にお見せしてもらって構わない」としている安倍補佐官礒崎陽輔の話し振りと、安藤情報流通行政局長の「一定の整理が出来た段階で、官邸(補佐官)からの問合せということでそのペーパーで返したいと高市大臣に説明した上で政治プロセスに入る形でお願いしたい」の発言からして高市早苗に一定程度は既に話を通してあるか、でなければ、高市早苗をのちに加える画策であることが分かる。ここで言う「政治プロセス」とは国会質疑での政府答弁を以って政府の公式見解とすることを指している。

 そして安倍補佐官礒崎陽輔が「政治プロセスは来年に入ってからだが、ペーパー自体は年内に整理したい」と言っているように実際にもこの総務省行政文書作成の起点となった2014年11月26日から"来年"に当たる2015年5月12日の参議院総務委員会で、自民党参議院議員麻生派藤川政人(現在62歳)と当時の総務大臣高市早苗との質疑によって完成を見ることとなり、スケジュール通りに事は運んでいる。大臣の答弁が所管省庁職員のレク(説明)を受け、打合せした上で職員が作成、大臣が委員の質問に応えて読み上げる手順を考えると、安倍補佐官礒崎陽輔と総務省放送政策課職員との間の画策に高市早苗が無関係とすることはできない。2015年2月13日付で、「高市大臣レク(状況説明)」、2月17日付で、「磯崎補佐官レク(高市大臣レク結果の報告)」との文言を見受けることができる。 

 このことの証明の前に安倍補佐官礒崎がテレビの報道番組の政権批判を規制できるよう、放送法第4条を自らが望みうる適用に持っていくべく総務省放送政策課に指示するに至った元となった誘因を見てみることにするが、その前に2014年から2015年にかけての政治状況をざっと眺めてみることにする。礒崎陽輔が専門外の放送行政に首を突っ込んでまでしてマスコミの政府批判を抑えつけようとしたのはなぜかは、先ずは総務省の政務三役がその任に当たったなら、報道圧力があまりにも直接的な姿を取りやすくなるからだろう。

 2014年9月3日の第2次安倍内閣改造から1ヵ月半後の2014年10月20日、経産相小渕優子が政治団体の不透明な資金処理を巡って、法相松島みどりが選挙区内での「うちわ」配布問題で刑事告発を受けて、W辞任するに至った。女性の活躍を得意げに看板とし、その象徴として第2次では山谷えり子を国家公安委員会委員長と拉致問題担当とし、有村治子を女性活躍担当、高市早苗を総務大臣にと併せて5人も並べたものの、内2人が見当違いの活躍で辞任し、その後の世論調査で内閣支持率が9ポイントも下げるケースもあり、2015年10月1日からの消費税8%から10%への増税に対する逆風も生半可ではなく、増税反対の声、延期の声が高まっていた。安倍晋三の掛け声とは裏腹にアベノミクスが効果らしい効果を上げることができていなかった景気状況の煽りでもあった。安倍晋三は2014年11月18日に記者会見を開き、3日後の解散を予告した。

 安倍晋三「今週21日に衆議院を解散いたします。消費税の引き上げを18カ月延期すべきであるということ、そして平成29年4月には確実に10%へ消費税を引き上げるということについて、そして、私たちが進めてきた経済政策、成長戦略をさらに前に進めていくべきかどうかについて、国民の皆様の判断を仰ぎたいと思います」

 衆議院議員任期の半分、約2年を残しての解散予告だった。上に挙げた芳しからざる諸事情を受けた支持率低下を消費税増税延期で票を釣り上げる目論見に加えて、翌年春に地方統一選挙を控えていることから国政選挙に於ける与野党の勝敗の行方が地方選にそのまま影響する関係上、全地方議員の約半数を占める自民党地方議員が自分事として熱心に選挙応援せざるを得ない時の利をも作り出し、さらに野党が選挙準備ができていない状況を狙って早期解散に打って出たとされている。

 安倍晋三はこういった目論見を頭に置いてのことだろう、2014年11月18日のこの記者会見終了後に夜のTBSテレビ「NEWS23」に生出演した。一度、当ブログに取り上げているが、番組では約2年間のアベノミクスの成果を紹介する一環として景気の実感を街行く人にインタビューし、街の声として伝えた。

 男性(30代?)「誰が儲かってるんですかねえ。株価とか、色々上がってますからねえ。僕は全然恩恵受けていないですね。給料上がったのかなあ、上がっていないですよ(半ば捨鉢な笑い声を立てる)」
 男性(3、40代?)「仕事量が増えているから、給料が、その分、残業代が増えているぐらいで、何か景気が良くなったとは思わないですねえ」
 男性(4、50代?)「今のまんまではねえ、景気も悪いですし。解散総選挙して、また出直し?民意を問うて、やればよろしいじゃないですか」
 男性(5、60代?)「株価も上がってきたりとか、そういうこともありますし、そんなに、そんなにと言うか、効果がなかったわけではなく、効果はあったと思う」
 30代後半と見える女性二人連れの1「全然アベノミクスは感じていない」
 30代後半と見える女性二人連れの2(子供を抱いている)「株価は上がった、株価は上がったと言うけど、大企業しか分からへんちゃうの?」

 株価の上昇を通してある程度の効果を認めている1人以外は景気の実感はないとアベノミクスを切り捨てている。対するアベノミクスご本人の安倍晋三の反応。

 安倍晋三(ニコニコ笑いながら)「これはですね、街の声ですから、皆さん選んいると思いますよ。もしかしたら。だって、国民総所得というのがありますね。我々が政権を取る前は40兆円減少しているんですよ。我々が政権を取ってからプラスになっています。マクロでは明らかにプラスになっています。ミクロで見ていけば、色んな方がおられますが、中小企業の方々とかですね、小規模事業者の方々が名前を出して、テレビで儲かっていますと答えるのですね、相当勇気がいるのです。

 納入先にですね、間違いなく、どこに行っても、納入先にもですね、それだったら(儲かっているなら)、もっと安くさせて貰いますよと言われるのは当たり前ですから。しかし事実6割の企業が賃上げしているんですから、全然、声、反映されていませんから。これ、おかしいじゃないですか。

 それとですね、株価が上がれば、これはまさに皆さんの年金の運用は、株式市場でも運用されていますから、20兆円プラスになっています。民主党政権時代は殆ど上がっていませんよ。

 そういうふうに於いても、しっかりとマクロで経済を成長させ、株価が上がっていくということはですね、これは間違いなく国民生活にとってプラスになっています。資産効果によってですね、消費が喚起されるのはこれは統計学的に極めて重視されていくわけです。

 倒産件数はですね、24年間で最も低い水準にあるんですよ。これもちゃんと示して頂きたいと思いますし、あるいは海外からの旅行者、去年1千万人、これは円安効果。今年は1千300万人です。で、日本から海外に出ていく人たちが使うおカネ、海外から日本に入ってくる人たちが使うおカネ、旅行収支と言うんですが、長い間日本は3兆円の赤字です。ずっと3兆円の赤字です。これが黒字になりました。

 (司会の岸井成格が口を挟もうとするが、口を挟ませずに)黒字になったのはいつだったと思います?大阪万博です。1970年の大阪万博です、1回、あん時になりました。あれ以来ずっとマイナスだったんです。これも大きな結果なんですね。ですから、そういうところをちゃんと見て頂きたい。ただ、まだデフレマインドがあるのは事実ですから、デフレマインドを払拭するというのはですね――」

 要するに中小企業も小規模事業者も儲かっているが、儲かっていることが知れたら、製品単価が値切られてしまうから、テレビで尋ねられても、街の声として出てこない、実際にはアベノミクスは絶大な効果を上げているのだから、これはおかしいじゃないかと牽強付会もいいとこだが、アベノミクスの不人気などで選挙に負ける訳にはいかない切迫感からテレビ番組による意図的な情報操作の疑いをかけた。

 大体が国民総所得増加に加えて株価上昇と年金の運用の関係、倒産件数の減少等々のアベノミクス経済成果を政府、企業、家計全体を捉えたマクロ経済成長の証明に持ってこようと、一般家計を取り残したアベノミクスマクロ経済成長であることに目を向ける国民向けの誠実さを欠いていたなら、経済成長の中身は事実その通りに偏っていたのだから、結果的に情報操作への疑いだけが頭の中に肥大化していくことになる。マスコミの悪意ある情報操作だと頭から信じ込むことによってアベノミクスは唯一正しい経済政策としての地位を確保し続け、自分は岸信介の血を引く偉大な政治家だという自らに対する自尊意識が維持可能となる。安倍晋三からアベノミクスを取ったら、自らの存在意義を失ってしまう。アベノミクスの失敗に気づかされずにあの世に召されたのだから、ある意味、幸せ者だった。3日後の2014年11月21日の夕方7時から再び記者会見を開いて衆議院解散を告げた。

 安倍晋三「本日、衆議院を解散いたしました。この解散は、『アベノミクス解散』であります。アベノミクスを前に進めるのか、それとも止めてしまうのか。それを問う選挙であります。連日、野党は、アベノミクスは失敗した、批判ばかりを繰り返しています。私は、今回の選挙戦を通じて、私たちの経済政策が間違っているのか、正しいのか、本当に他に選択肢はあるのか、国民の皆様に伺いたいと思います。・・・・」
 
 当然と言えば当然だが、アベノミクスに寄せているこの強い拘りはアベノミクスは間違っていない、正しい経済政策であるとの思い込みをベースとしている。人間は自分は正しいという強い信念に立つと、ときとして正しくないと批判したり攻撃する対象に否応もなしに敵意を持つことになる。特に安倍晋三みたいな自分は偉大で間違いはないと思い込んでいるような自己愛性パーソナリティ障害が強度の人間は敵意の感情に走りやすく、強い症状を見せることになる。野党のアベノミクス失敗の批判は安倍晋三の敵意を刺激したに違いない。「悪夢の民主党」という民主党政権を全否定できる言葉(アベノミクスを全肯定する言葉となる)をたやすく口にできることが一つの証明となる。当然、マスメディアのアベノミクスに効果なしの報道に向けた敵意は野党よりも情報発信媒体としての影響力が格段に強力な分、情報操作の疑いを確信にまで高めていった可能性は強い。

 このことはTBSテレビ「NEWS23」生出演2014年11月18日からたった2日後の2014年11月20日付で在京テレビキー局の編成局長、報道局長宛てに「自由民主党筆頭副幹事長萩生田光一/報道局長福井照」の差出人連名で送りつけた要望書がその証明となる。要望書題名は「選挙時期における報道の公平中立ならびに公正の確保についてのお願い」《安倍自民党がテレビ各局に文書で圧力》リテラ/2014.11.27)から)文飾は当方。

〈さて、ご承知の通り、衆議院は明21日に解散され、総選挙が12月2日、14日投開票の予定で挙行される見通しとなっています。
 つきましては公平中立、公正を旨とする報道各社の皆様にこちらからあらためて申し上げるのも不遜とは存じますが、これからの期間におきましては、さらに一層の公平中立、公正な報道にご留意いただきたくお願い申し上げます。〉

 具体的には次の項目を求めている。

 ・出演者の発言回数及び時間等については公平を期していただきたいこと
 ・ゲスト出演者の選定についても公平中立、公正を期していただきたいこと
 ・テーマについて特定の立場から特定政党出演者への意見の集中がないよう、公平中立、公正を期していただきたいこと
 ・街角インタビュー、資料映像等で一方的な意見に偏る、あるいは特定の政治的立場が強調されることのないよう、公平中立、公正を期していただきたいこと〉――

 明らかに安倍晋三がTBSテレビ「NEWS23」の生出演で疑うことになった情報操作が疑いを超えてテレビ局の"情報操作"そのものと確信するに至った、そのことを念頭に置いた数々の要求と見ることができる。疑いだけなら、こうも事細かな要求はできないだろう。そして各要求は放送法第4条各号の自分たちに望ましい運用求める内容そのものとなっている。

 2015年4月10日付「毎日新聞」はこの要望書送付2014年11月20日の6日後の2014年11月26日にテレビ朝日の「報道ステーション」プロデュサー宛に対しても同様の内容の要望書を自民党衆院議員福井照報道局長名で送付していたと報じている。

 〈同月(11月)24日放送の「報道ステーション」について「アベノミクスの効果が、大企業や富裕層のみに及び、それ以外の国民には及んでいないかのごとく、特定の富裕層のライフスタイルを強調して紹介する内容」だと批判。「意見が対立している問題は、できるだけ多くの角度から論点を明らかにしなければならないとされている放送法4条4号の規定に照らし、特殊な事例をいたずらに強調した編集及び解説は十分な意を尽くしているとは言えない」として「公平中立な番組作成に取り組むよう、特段の配慮を」求めている。〉――

 この要請も放送法第4条各号の観点からの内容となっている。但しあくまでも安倍政権側から見た観点であって、アベノミクスの効果を感じ取っていない一般国民の観点からしたら、アベノミクス批判の報道は放送法第4条各号には関係しないと見るだろう。2023年3月14日付「東京新聞」はアベノミクス指南役で米エール大学名誉教授浜田宏一にオンラインのインタビューを行い、大企業の収益改善が従業員の賃金に回って、それを上昇させていくトリクルダウンがアベノミクスでは機能せず、「賃金がほとんど増えないで、雇用だけが増えることに対して、もう少し早く疑問を持つべきだった。望ましくない方向にいっている」との証言を、今さらという感じもあるが、引き出している。要するにマスコミ報道のアベノミクス批判は情報操作でも何でもなく、事実そのものの批判であって、放送法第4条とは関係しないこととしなければならならなかった。

 以上取り上げた各事実を時系列に纏めてみる

1.2014年11月18日のTBSテレビ「NEWS23」に生出演し、番組の「街の声」の取り扱いに対して情報操作の疑いを向ける。
2.2014年11月20日、在京テレビキー局の編成局長、報道局長宛てに報道の公平中立並びに公正を求める要望書を送付する。
3.2014年11月26日にテレビ朝日の「報道ステーション」プロデュサー宛に2014年11月24日放送のアベノミクスに関わる批判を一方的とし、放送法4条4号の規定に公平中立な放送を求める要望書を送付。
4.2014年11月26日、安倍補佐官礒崎陽輔が総務省放送政策課に対して政治報道番組の(あくまでも政権側から見た)偏向に関わる放送法第4条の解釈や解釈に応じた的確な適用、いわゆる政権側にとってのよりよい法適用の検討を指示。

 TBSテレビ「NEWS23」への安倍晋三生出演から安倍補佐官礒崎陽輔の専門外の総務省放送政策課への顔出しまでたった9日間しか経っていない。この短い期間の放送法第4条に関係した政治報道番組への批判的立場からの矢継ぎ早の各関与の直近の主たる発端は2014年11月18日のTBSテレビ「NEWS23」への生出演を措いてほかには考えられない。いわば安倍晋三が動かした安倍補佐官礒崎陽輔の総務省放送政策課を通した放送法第4条を使ったテレビ局政治報道番組への介入意図と見るべきである。要するに礒崎陽輔は親分安倍晋三の言いつけどおりに動いた。

 放送行政に門外漢の安倍補佐官礒崎陽輔が総務省放送政策課の幹部を取り込んでテレビ報道を抑え込もうと画策して得た一応の"結論"を総務相行政文書から取り上げてみる。この"結論"は何回か記載されているが、最後の記載を選択した。

 放送法における政治的公平に係る解釈について(案)

1 現行の政府解釈
放送法における政治的公平性については、昭和39年4月28日の参議院逓信委員会における郵政省電波監理局長答弁以来、次のような解釈を採っている。

○ 放送法第4条第1項第2号の規定により、放送事業者は、その番組の編集に当たり、「政治的に公平であること」が求められている。
○ ここでいう「政治的に公平であること」とは、政治的な問題を取り扱う放送番組の編集に当たっては、「不偏不党の立場から特定の政治的見解に偏ることなく、放送番組全体としてのバランスのとれたものであること」である。
○ その判断に当たっては、一つの番組ではなく、放送事業者の番組全体を見て判断することとなる。

2 問題点
これまでの政府解釈には次のような問題点があり、放送の政治的公平を判断する上で、具体的な基準となり得なかった嫌いがある。
① これまで、「一つの番組ではなく、放送事業者の番組全体を見て判断する」との答弁に終始し、どのような番組編集にすれば放送事業者の番組全体を見て「政治的に公平である」と判断されるのか、具体的な基準を示してこなかった。
② 同様に、「政治的に公平である」ことの説明責任の所在についても、明確に示してこなかった。
③ 放送事業者の番組全体を見なくても、一つの番組だけを見たときに、どのように考えても「政治的に公平であること」に反する極端な場合が実際にあり得るが、このことについて政府の考え方を示してこなかった。

3 解釈について補充的説明
 今後は、国会質疑等の場で、次の内容に沿って、従来の政府解釈について、補充的説明を行うものとする。
① 例えば、ある時間帯で総理の記者会見のみを放送したとしても、後のニュースの時間に野党党首のそれに対する意見を取り上げている場合のように、国論を二分するような政治的課題について、ある番組で一方の政治的見解のみを取り上げて放送した場合であっても、他の番組で他の政治的見解を取り上げて放送しているような場合は、放送事業者の番組全体として政治的公平を確保しているものと認められる。
② 政治的公平の観点から番組編集の考え方について社会的に問われた場合には、放送事業者において、当該事業者の番組全体として政治的公平を確保していることについて、国民に対して説明する必要がある。
③ 一つの番組のみでも、次のような極端な場合においては、一般論として「政治的に公平であること」を確保しているとは認められない。
・選挙期間中又はそれに近接する期間において、殊更に特定の候補者や候補予定者のみを相当の時間にわたり取り上げる特別番組を放送した場合のように、選挙の公平性に明らかに支障を及ぼすと認められる場合
・国論を二分するような政治的課題について、放送事業者が、一方の政治的見解を取り上げず、殊更に、他の政治的見解のみを取り上げて、それを支持する内容を相当の時間にわたり繰り返す番組を放送した場合のように、当該放送事業者の番組編集が不偏不党の立場から明らかに逸脱していると認められる場合

 この結論が2015年5月12日参議院総務委員会での自民党議員藤川政人と総務相高市早苗との間の質疑応答に反映されていなければ、一応の結論を導き出した意味を失う。このことは総務相行政文書の最初のページに、〈「政治的公平」に関する放送法の解釈について(磯崎補佐官関連)〉とある文書題名に引き続いて「平成26年11月26日(水)」から「平成27年5月12日(火)」までのスケジュールが書き込まれていて、最後の「平成27年5月12日(火)」は〈参・総務委員会 (自)藤川政人議員からの「政治的公平」に関する質問に対し、磯崎補佐官と調整したものに基づいて、高市大臣が答弁。〉と記されていることが証明する。高市早苗の答弁が「磯崎補佐官と調整したもの」であるなら、藤川政人の質問も「磯崎補佐官と調整したもの」ということになる。要するに安倍補佐官礒崎陽輔らの画策の一環としての質疑応答であって、いわば"ヤラセ"であり、国会の場で堂々と行われたこのカラクリを見逃してはならない。

 では、高市早苗と藤川政人の質疑応答を取り上げてみる。

 参議院総務委員会(2015年5月12日)

 藤川政人「おはようございます。 本日は、放送法に定める放送の政治的公平性について議論をさせていただきたいと思います。

 放送法第4条第1項第2号は、放送番組の編集について政治的に公平であることを求めるとともに、同項第4号において、意見が対立している問題についてはできるだけ多くの角度から論点を明らかにすること、すなわち、政治的公平性、論点の多角性を求めております。

 放送法はこのように明確に放送の政治的公平性を求めておりますが、それにもかかわらず、最近の放送番組を見てみますと、とても政治的公平性が遵守されているとは言い難いものがたくさん見受けられます。

 総務大臣は、最近の放送を御覧になって、政治的公平性が遵守されているとお考えですか。御意見を伺いたいと思います」

 高市早苗「最近の放送を見てどう思うかということなんですけれども、今、割と忙しくしておりまして、放送番組をじっくりとたくさん見る機会には恵まれておりません。

 ただ、放送番組は放送事業者が自らの責任において編集するものでございまして、放送法は放送事業者による自主自律を基本とする枠組みになっておりますから、個別の放送番組の内容について何か言えということでしたら、なかなかコメントはしづろうございます。

 なお、個別の番組について何か社会的な問題が発生した場合には、まずは放送事業者が自ら調査を行うなど、自主的な取組が行われることとなります。総務省としても、その放送事業者の取組の結果を踏まえて適切に対応するということにしております」

 藤川政人「私は、放送事業者による自主自律を基本とする枠組みはもちろん極めて重要であると考えておりますが、その名の下に放送法が求める政治的公平性が遵守されているとは思えない放送番組が見受けられる現状は問題が多いと考えております。国論を二分するような政治的課題について、一方の意見のみを取り上げて放送している番組も散見されます。

 そこで、政治的公平性について、総務省として従来どのような基準に沿って指導、そして助言をされてきたのでしょうか。総務大臣に伺いたいと思います」

 高市早苗「放送法第4条第1項第2号の規定により、放送事業者は放送番組の編集に当たり政治的に公平であることが求められております。ここで言う政治的に公平であることとは、これまでの国会答弁を通じて、政治的な問題を取り扱う放送番組の編集に当たっては、不偏不党の立場から、特定の政治的見解に偏ることなく番組全体としてのバランスの取れたものであることと解釈をしてきたところであります。その適合性の判断に当たりましては、一つの番組ではなく放送事業者の番組全体を見て判断することとされてきたと聞いております。

 これまで、放送事業者に対して、放送法第4条第1項第2号の政治的に公平であることに違反したとして行政指導が行われた事例はございません」

 藤川政人「そうですね。大臣が今おっしゃられた、従来、放送事業者の番組全体を見て判断するということが政治的公平性の判断基準になっているようです。

 私は、この一つの番組ではなく放送事業者の番組全体を見て判断するということが、放送法の求めている政治的公平性の意味を非常に分かりにくくしているのではないかなということも考えるわけであります。

 平成26年5月13日の総務委員会におきましては、当時の新藤総務大臣は、限られた放送時間等の制約の中で世の中の関心に応える番組を適切に編集していくためには、個々の番組で政治的公平性や論点の多角性を確保することが物理的に困難な場合もあることから、他の時間帯の番組と合わせた番組全体として政治的公平性や論点の多角性を判断する旨述べられているとともに、この原則の下で、個々の放送事業者の自主自律の判断に基づいて、放送時間等の制約が特段ないケースにおいては個々の番組で政治的公平性や論点の多角性を確保しようと努めることは、これは放送法第4条第1項の規定の趣旨に沿うものと述べられておられます。

 そこで、改めて総務大臣に伺いたいと思いますが、一体どのような状態であれば放送事業者の番組全体を見て判断して政治的公平が保たれていることになるのか、具体的に教えていただきたいと思います」

 高市早苗「率直に申し上げまして、藤川委員の問題意識、共有されている方も多いんじゃないかと思いますし、私自身も、総務大臣の職に就きまして、非常にここのところの解釈というのは難しいものだなと感じております。

 例えば、国論を二分するような政治的課題について、ある時間帯で与党党首の記者会見のみを放送したとしても後のニュースの時間に野党党首のそれに対する意見を取り上げている場合のように、ある番組で一方の政治的見解のみを取り上げて放送した場合でも、他の番組で他の政治的見解を取り上げて放送しているような場合は放送事業者の番組全体として政治的公平を確保しているものと認められるとされております」

 藤川政人「では、ある番組について政治的公平性の問題が指摘された場合において、どのように番組全体として政治的公平性や論点の多角性を確保したかについて放送事業者は説明する責任はないのでしょうか。放送事業者の番組全体を見て判断することを基準とするとしても、ただこのことを言いっ放しでは放送事業者に逃げ道を与えるだけでありまして、判断基準として全く役に立たないと考えます。

 過去に、政治的公平性について問題が指摘された番組に関して、この番組だけでは不公平のように見えますが、他のこういう番組できちんと穴埋めをしており、これらと合わせた番組全体として政治的公平性、論点の多角性は確保されているのですと具体的に説明された事例はあるのでしょうか。そのことを放送事業者がきちんと世の中に対して説明しなければこの基準は全く意味がないと考えますが、総務大臣はどのようにお考えになりますか」

 高市早苗「放送法は放送事業者の自主自律を基本とする枠組みとなっており、放送番組は、その下で放送事業者が自らの責任において編集するものであります。政治的公平の観点から番組編集の考え方について社会的に問われた場合には、放送事業者において、政治的公平を確保しているということについて国民に対して説明をする必要があると考えております」

藤川政人「そのことについては総務省としてもきちんと放送事業者を指導していただきたい、これは私からの本当に強い御要望とさせていただきます。

 それから、最近の放送番組を見ておりますと、一番組だけであってもやはり極端に政治的公平性が遵守されていないものがあると考えますが、いかがでしょうか。放送時間等の制約は、およそそうした極端な場合でもその内容を正当化する理由にならないのではないでしょうか。
 
 かつて類似の例があったと思いますが、例えば、選挙直前に特定の候補予定者のみを密着取材して、選挙公示の直前に長時間特別番組で放送する場合があります。こうした場合は、たとえ一番組だけであっても政治的公平に反すると言えるのではないかと考えますが、総務大臣はどのようにお考えですか」

 高市早苗「放送法第4条第1項第2号の政治的に公平であることに関する政府のこれまでの解釈の補充的な説明として申し上げましたら、一つの番組のみでも、選挙期間中又はそれに近接する期間において殊更に特定の候補者や候補予定者のみを相当の時間にわたり取り上げる特別番組を放送した場合のように、選挙の公平性に明らかに支障を及ぼすと認められる場合といった極端な場合におきましては、一般論として政治的に公平であることを確保しているとは認められないと考えます」

 藤川政人「そうですね。また、国論を二分するような政治的課題があるときにも政治的公平性は厳格に維持されなければならないと考えます。

 最近の放送の中には、国論を二分するような政治的課題について、例えば、一方の政治的見解をほとんど紹介しないで他方の政治的見解のみを取り上げ、それを支持する内容を相当時間繰り返して放送しているようなものも見受けられます。このような放送番組は、やはり一番組であったとしても政治的公平性に反すると言えるのではないかと考えますが、総務大臣、いかがですか」

 高市早苗「前問と同じように、政府のこれまでの解釈の補充的な説明として申し上げますが、一つの番組のみでも、国論を二分するような政治課題について、放送事業者が一方の政治的見解を取り上げず、殊更に他の政治的見解のみを取り上げてそれを支持する内容を相当の時間にわたり繰り返す番組を放送した場合のように、当該放送事業者の番組編集が不偏不党の立場から明らかに逸脱していると認められる場合といった極端な場合においては、一般論として政治的に公平であることを確保しているとは認められないものと考えます」

 藤川政人「ありがとうございました。放送番組の政治的公平性については、放送事業者の番組全体を見て判断するということが原則でありますが、やはり極端に政治的公平性を逸脱している場合には一番組だけでも政治的公平に反すると言える場合があるという御答弁をいただいたものと考えます。その点についても放送事業者を十分御指導いただきますようお願いを申し上げ、この質問を終えさせていただきたいと思います」

 藤川政人は、「放送法に定める放送の政治的公平性について」を取り上げ、「放送法第4条第1項第2号は放送番組の編集について・・・・政治的公平性、論点の多角性を求めている」として、このような要求事項に反して「最近の放送番組はとても政治的公平性が遵守されているとは言い難いものがたくさん見受けられる」と示した疑義、あるいは問題意識は安倍補佐官礒崎陽輔が総務省政策課に対して示した疑義、あるいは問題意識、〈「政治的公平」のこれまで積み上げてきた解釈をおかしいというものではないが、①番組を全体で見るときの基準が不明確ではないか②1つの番組でも明らかにおかしい場合があるのではないか〉(下線は文中通り)等とそっくり重なって、安倍補佐官礒崎陽輔主導による総務省放送政策課と画策した「調整したもの」を下敷きにし質問であることは明らか過ぎるくらい明らかとなる

 藤川政人が最初に示したこのような疑義、問題意識に対して高市早苗は従来の政府解釈である「政治的に公平であること」は「一つの番組ではなく放送事業者の番組全体を見て判断することとされてきたと聞いております」と先ずは答弁。この答弁に対しても藤川政人は「この一つの番組ではなく放送事業者の番組全体を見て判断するということが、放送法の求めている政治的公平性の意味を非常に分かりにくくしているのではないかなということも考えるわけであります」と疑義を広げ、このことは既に挙げた安倍補佐官礒崎陽輔の、〈①番組を全体で見るときの基準が不明確ではないか②1つの番組でも明らかにおかしい場合があるのではないか〉の疑義、問題意識そっくりそのままの踏襲、なぞり以外の何ものでもなく、安倍補佐官礒崎陽輔と調整した質疑応答、"ヤラセ"そのものであることの正体を暴露することになる。

 藤川政人が放送事業者の番組全体から政治的公平を判断する具体例を問うと、高市早苗は「国論を二分するような政治的課題について、ある時間帯で与党党首の記者会見のみを放送したとしても」云々と答弁している具体例にしても、上に挙げた「放送法における政治的公平に係る解釈について(案)」に書いてあることに添うものである。

 安倍補佐官礒崎陽輔のロボットとしての役割を担った藤川政人は礒崎陽輔が最も問題点としていた事柄を追及する。

 藤川政人「最近の放送番組を見ておりますと、一番組だけであってもやはり極端に政治的公平性が遵守されていないものがあると考えますが、いかがでしょうか」

 高市早苗「放送法第4条第1項第2号の政治的に公平であることに関する政府のこれまでの解釈の補充的な説明として申し上げましたら、一つの番組のみでも、選挙期間中又はそれに近接する期間において殊更に特定の候補者や候補予定者のみを相当の時間にわたり取り上げる特別番組を放送した場合のように、選挙の公平性に明らかに支障を及ぼすと認められる場合といった極端な場合におきましては、一般論として政治的に公平であることを確保しているとは認められないと考えます」

 この「補充的な説明」は上に挙げた「(案)」に書き込んである「今後は、国会質疑等の場で、次の内容に沿って、従来の政府解釈について、補充的説明を行うものとする。」と取り決めたルールに則った発言であると同時に、その「③」の〈一つの番組のみでも、次のような極端な場合においては、「政治的公平」を欠き、放送番組準則に抵触することとなる。〉とする具体例として「選挙期間中又はそれに近接する期間において、特定の候補者や候補予定者のみを殊更に取り上げて放送した場合のように、選挙の公平性に明らかに支障を及ぼすと認められる場合」と挙げていることとほぼ同様な文言となっている以上、いわば安倍補佐官礒崎陽輔が主導で画策した総務省行政文書解釈の取決めに案内を受け、その取決めを"ヤラセ"として演じた国会答弁であり、最終的には従犯的な共犯関係を組むことになった高市早苗の、自身も首を突っ込んだ連携プレーの一コマだと認識しなければならない。高市早苗が総務省行政文書中の自身に関わる記述は"捏造"とする説明は自らの折角の経歴の全てを傷つけかねない自身の共犯性を打ち消してなくしたい強い願望が"捏造"とすることによってそれが可能となるからだと疑えないことはない。

 総務省行政文書の中から"捏造"ではないことを証明するより明確な記述をさらに挙げてみる。

 「礒崎総理補佐官ご説明結果<未定稿>」(日時 平成27年1月29日(木)17:10~17:25)
 場所 官邸(礒崎総理補佐官室)☆

 安藤情報流通行政局長)本件の今後の取り運びについて確認させていただきたい。当方としては、本件は政務にも一切上げずに内々に来ており、今回の整理については高市大臣のご了解が必要。その際の話法としては、
 ①サンデーモーニングの件に加えてこれまでも国会で質問されてきた等、補佐官は従前から放送番組の政治的公平にご関心があったこと、
 𖯃今般あらためて本件について整理すべきとの問題意識から補佐官のほうで国会質疑を通じた明確化検討している、
 ③その前提となる考え方の整理について補佐官から照会があり数次やりとりをしてきた、というご説明でよいか。

 礒崎陽輔)問題ない。今回の整理は決して放送法の従来の解釈を変えるものではなく、これまでの解釈を補充するもの。他方、国会での質問としては成り立つ。上手く質問されたら総務省もこう答えざるを得ないという形で整理するもの。あくまでも「一般論」としての整理であり、特定の放送番組を挙げる形でやるつもりはない。

 藤川政人と高市早苗の質疑はかくかように安倍補佐官礒崎陽輔の思惑の範囲内に収まっている。"ヤラセ"なのだから、至極当然で、いわば、〈高市大臣のご了解を得られた。〉礒崎陽輔の思惑のコントロール下にあったことの証明以外の何ものでもない。さらに言うと、各職位の各段階で確認と了承を経て記録・保存されるに至る行政文書という性格上、捏造だとしたら、何らかの利益に基づいた組織ぐるみの意志が働いていなければ、捏造という形は取らせることはできない。森友学園国有地格安売却時の財務省の決裁文書改竄が一定部署の組織ぐるみであったから可能となったようにである。

 以上見てきたように安倍晋三を加えた安倍補佐官礒崎陽輔一派が放送法第4条に関わる政府統一見解に「補充的な説明」を付け加えることになった意図は政治報道番組の政府批判(端的に言うと、アベノミクス批判)を抑えたい欲求――規制したい欲求が発端となっていることを考えるなら、その答・成果は断るまでもなく規制を可能とする地点に持っていこうとするのは当然のことで、安倍補佐官礒崎陽輔が「今回の整理は決して放送法の従来の解釈を変えるものではない」と明言し、結果もそうなっていることからすると、報道の自由に抵触しない範囲内でテレビ報道番組を規制するための新たなアプローチを設けることに目的があった。それが「一つの番組でも極端に偏っていた場合には政治的に公平とは認められない場合がある」とする「補充的な説明」であり、報道機関に対して一種のインプリンティング(刷り込み)の手法を用いた。強権を廃した穏便さは見せてはいるものの、「政治的に公平」かどうかに睨みを利かすのはあくまでも政権側であり、その睨みがテレビ局側に政治的にどのような報道を行うか、いわば下駄を預けさせられた立場に立たせることに繋がって、「政治的に公平」に抵触しないよう、報道内容に控えめの線引きを行わざるを得ない。言ってみれば萎縮という名の自主規制を誘う罠としての働きを持たせることになるだろうから、こういったことに狙いを定めた役割こそが「極端に偏っていた場合には」云々の「補充的な説明」を国会答弁を用いて政府見解とするインプリンティング(刷り込み)に置いた。言ってみれば、「補充的な説明」のインプリンティング(刷り込み)によって安倍政権側は「政治的に公平」かどうかを判断する一種の生殺与奪の権を握ることになった。

 このことは安倍晋三が番組側の情報操作を疑ったTBSテレビ「NEWS23」生出演の2日後の2014年11月20日に自由民主党筆頭副幹事長萩生田光一と報道局長福井照が在京テレビキー局の編成局長、報道局長宛てに公平中立な報道を要請したことと、さらにその6日後の2014年11月26日に報道局長福井照がテレビ朝日の「報道ステーション」プロデュサー宛にも公平中立な報道を要請したことと符合する。あくまでも要請という形を取っているが、報道内容の公平中立性の維持はあくまでもテレビ局側に下駄を預けた形を取るから、公平中立性を前提とした控えめの報道を意識せざるを得なくなり、そう前提とすること自体が表現の自由に関わる生殺与奪の権を自民党という政治権力に一定程度は握らせたことになる。つまり「補充的な説明」は放送法第4条の「政治的に公平」な報道に対しての生殺与奪の権を担保させる"殺し文句"と喩えることもできて、"殺し文句"に政府統一見解という一大権威を与えたのである。

 安倍晋三自身について纏めると、政治権力は国民から常に監視を受ける立場にあり、批判される宿命を負っている。安倍晋三は自らに対する批判を評価に変える努力をすべきをテレビ局の政治報道番組が伝える批判を情報操作で作り上げた批判だと、あるいは放送法第4条の規定に逸脱していると疑い、放送法第4条に「補充的な説明」を加える手捌きで「報道の公平中立ならびに公正の確保」を改めて意識させ、それを自主規制の力とすべく画策した。政治権力者として度量がケチ臭くできていることの結末だろう。だから、死ぬまでアベノミクスは成功したと強弁を振るうことができた。

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2023年3月2日投稿記事公開停止のお詫び

2023-03-11 08:06:13 | 政治
 読者の皆様へ。

 当ブログ作者の手代木恕之です。2023年3月10日(金曜日)に編集画面にアクセスしたところ、〈アフィリエイト、商用利用、公序良俗等の規約違反により、又は、法令上規定された手続により現在、1件の記事を公開停止させていただいております。〉との表記があり、該当記事は2023年3月2日投稿の《なぜ日本の保守派は同性婚に反対なのか 天皇信仰背景の日本民族優越意識と明治以来の日本の伝統が同性愛を日本人の行動様式とは認めていないから - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》のことでした。

 理由は、〈「差別表現などの不適切な表現」がある〉と言うことでしたから、早速、goo事務局宛に、〈gooブログ記事《なぜ日本の保守派は同性婚に反対なのか 天皇信仰背景の日本民族優越意識と明治以来の日本の伝統が同性愛を日本人の行動様式とは認めていないから》(https://blog.goo.ne.jp/goo21ht/e/23ac5b715a31a5afb9c4242033a17900)が「差別表現などの不適切な表現」があるとの理由で公開停止になっています。「差別表現などの不適切な表現」の箇所を教えてください。〉とメール。

 〈※本メールは、システムから自動で送信しております。〉との断りで――

 〈日頃よりgooをご利用いただき誠にありがとうございます。
 お客様からのお問い合わせを受け付けました。〉と返信あり。

 今朝(2023年3月11日)、試しに該当記事にアクセスしてみたところ、

〈※この記事は表示できません
※現在この記事の一部にサイト運営にふさわしくない言葉・表現が含まれている可能性がある為、又はこの記事に対してプロバイダ責任制限法等の関連法令の適用がなされている為、アクセスすることができません。〉の警告。

 「可能性がある」はgooグー事務局側の判断であり、当方の納得が必要となる関係上、月曜日になったなら、〈サイト運営にふさわしくない言葉・表現〉がどの箇所のどの文章なのか、再度問い合わせてみようと思っています。

 記事自体は同性婚法制化に向けた動きに殆ど役に立たないかもしれませんが、法制化の1日も早い実現を願う自身の気持ちを満たすためにも掲載は必要で、問い合わせた上で訂正すべきは訂正して、記事の再度の掲載に持っていきたいと思っています。アクセスしてくれた読者にご迷惑をお掛けしますが、暫くお待ち下さい。
コメント (2)
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野党の学習不足が招いた安倍晋三と旧統一教会との関係調査・検証要請への岸田文雄の「本人死亡、十分な把握限界」等の罷り通り

2023-02-06 08:39:00 | 政治
 岸田文雄は野党が求めた安倍晋三と統一教会との関係についての調査・検証の要請を、記者会見や国会、今通常国会での代表質問答弁等で、「御本人の心の問題」、「御本人が亡くなられた今、十分な把握は限界がある」等と発言、その必要性を認めない立場を取り、野党は論破できずにその立場を結果的に認めさせることになった。岸田文雄の言い分に正当性があり、論破不可能は当然のことなのか、野党が何も学習できない結果の情けない有り様なのか、検討してみることにした。

 この検討の妥当性と2023年1月30日からの衆議院予算委員会で野党が再び検証・調査を求める追及を行うと思われるが、追及するとしたら、どう行うかは予算委員会前までの検証・調査の必要性なしとする岸田発言から矛盾点を如何に見い出すか、自らの学習一つにかかっているはずだから、どう学習したかの妥当性を確かめてみて欲しい。

 問題としている最初の岸田発言は2022年8月31日「記者会」(首相官邸)でのマスメディアとの質疑。

 石松朝日新聞記者「朝日新聞の石松です。よろしくお願いします。
 
 旧統一教会と自民党との関係についてお尋ねします。総理は、先程のぶら下がりで、旧統一教会との関係を絶つことを党の基本方針にするという説明がありましたが、旧統一教会との関係の中心には、常に安倍(元)総理の存在があったりとか、選挙の協力に関しては、安倍(元)総理が中核になっていた部分があると思いますが、今後、旧統一教会との関係を絶つ上で、安倍元首相との関係を検証するなり、見直すなどの考えは今のところございますでしょうか。よろしくお願いします」

 岸田文雄「先ほども申し上げましたが、今日までの(旧統一教会と自民党との)関係については、それぞれ既に点検するようにという指示を出しているわけですが、その点検の結果について、党としてしっかり取りまとめることが大事だということを申し上げています。その中で、党としてそれをどのように公表していき、国民の皆さんに説明をしていくのか、これが重要なポイントになってくると思います。

 御指摘の点については、安倍(元)総理がどのような関係を持っておられたのか、このことについては、御本人が亡くなられた今、十分に把握するということについては、限界があるのではないかと思っています」

 朝日新聞石松記者は安倍晋三が生存中は旧統一教会と自民党との関係の中心に位置していて、自民党議員との選挙協力の重要な仲介者の立場にいた、いわば安倍晋三の仲介なくして旧統一教会の自民党議員に対する選挙協力は考えられなかった、であるから、安倍晋三と旧統一教会の間に出来上がっていた関係を検証し、検証によって洗い出すことができる両者のその利害の構図を発端とした旧統一教会と自民党議員との各関係の見直しに持っていかなければ、引きずっている利害の根絶は難しいのではないかといった趣旨の質問をぶっつけた。

 岸田文雄は安倍晋三が旧統一教会とどのような利害に基づいた関係を持っていたのか、本人があの世に行ってしまった現在、いわば被疑者死亡で取調べ(=検証)は不完全にならざるをえない、「限界がある」と答弁、いわば"本人死亡限界説"を持ち出して、検証の必要性を認めない立場を示した。

 朝日新聞記者も岸田文雄も安倍晋三と旧統一教会との間柄を「関係」という言葉で表現しているが、反共・保守の政治に深く関わっている宗教団体と日本の代表的な保守政治家の結びつきである。利益を共に共有し、損害を共に排除する政治政策的な利害関係で結びついていなければ、1960年代初めの岸信介の時代から70年も経たこんにちに至るまでの延々とした両者関係の系譜は成り立つことはなかったろう。いわば岸信介時代から安倍晋三に至るまで、両者を中心的系譜とした自民党は旧統一教会とは政治政策的な利害を共にする関係を築いてきた。利害を共にしてこそ、密度の濃い長期の関係性を見せることになる。密度が希薄なら、双方共に相手方に対する利用価値の減少を意味することになって、関係は立ち枯れていたはずだが、実際には逆の現象を来していた事実は密度の濃い利用価値を共有する利害関係を延々と、ときには細まることはあったとしても、築いてきたことの証明以外の何ものでもない。

 また、政治政策的な利害関係で結びつく関係とは双方共に相手に対する利用価値を有しているという関係にほかならない。いわば片側通行の利用価値、一方通行の利用価値であったなら、一時的にはあっても、継続性を持たせた利害関係は成り立たない。双方向の利用価値あってこそ、相互的な利害関係が成り立ち、長期に維持されていく。

 安倍晋三が自民党と旧統一教会の政治政策的な利害関係維持の主導権を握るようになったのは岸信介との繋がりでその孫が小泉政権下で官房長官という実力者にのし上がってからか、第一次政権で首相の座に就き、政府を自民党トップとして仕切ることになって以来かは時期そのものは不明だが、旧統一教会と自民党を結びつける首魁と言ってもいい主導者の地位にあったことは、例え本人があの世に行ってしまったとしても、関係者の証言やマスメディアの調査等に基づいた数々の報道事実を突き合わせて、重なり合う部分を拾い出し、前後の整合性を保持しさえすれば、事実の骨格程度は描くことができる。だが、こういったことをする意図は岸田文雄からは一切窺うことはできない。亡くなったとはいえ、岸田政権の生みの親である安倍晋三の権威を失墜させる訳にはいかないからだろう。失墜させたなら、岸田政権自体の権威を傷つけることになりかねないだけではなく、日本の憲政史上最長政権という名誉も、7年8ヶ月も総理大臣に据え続けていた自民党の良識に対する国民の信用も剥げ落としかねない。岸田文雄としては安倍晋三の権威を守ることによって自身の権威を守らざるを得ない永遠の結託関係にある。安倍晋三と旧統一教会との関係の検証など、以っての外ということなのだろう。

 最初に断っておくが、「『限界』という言葉は一定程度範囲外の困難性を意味するが、逆に一定程度範囲内の可能性を意味する言葉となる。"絶対不可"という意味は持たない。前者の困難性を乗り越えてでも、調査・検証の必要性を見い出せるかどうかが"限界"への挑戦を可能とし得る。

 次は岸田文雄の国会答弁から、同様の発言を見てみることにする。最初は2022年9月8日の衆議院議院運営委員会。

 泉健太「さて、統一教会問題や霊感商法被害、そして統一教会における多額の献金による家庭崩壊、生活破綻、さらには日本からの韓国方面への多額の送金、様々な問題が上がっています。そして、自民党との密接な関係も言われている。多数の議員が関係を持ち、安倍元総理は、元総理秘書官の井上義行候補を、今回、教団の組織的支援で当選させたわけです。

 この自民党と統一教会との関係を考えた場合に、総理、安倍元総理が最もキーパーソンだったんじゃないですか。お答えください」

 岸田文雄「まず冒頭一言申し上げさせていただきますが、本日、内閣総理大臣として答弁に立たせていただいております。自民党のありようについて国会の場において自民党総裁として答えることは控えるべきものであると思いますが、ただ、昨今の様々な諸般の事情を考えますときに、これはあえて国会の場でお答えをさせていただくということを御理解いただきたいと思います。

 そして、安倍元総理の統一教会との関係については、それぞれ、御本人の当時の様々な情勢における判断に基づくものであります。ですから、今の時点で、本人が亡くなられたこの時点において、その実態を十分に把握することは限界があると思っております」

 泉健太「改めてですけれども、今の総理のようなお話が私はこの世の中の反発になっていると思いますよ。どう見たって、岸家、安倍家三代にわたってやはり統一教会との関係を築いてきたし、それを多くの議員たちに広げてきたというのは、もう多くの国民は分かっているんじゃないでしょうか。

 そういう中で、今、総理は、調査、点検とおっしゃった。安倍元総理御本人に聞くことはもうできない。でも、安倍元総理がどういうふうなスケジュールで動いていたか、これは事務所は分かっておられるはずでしょう、秘書だって分かっておられるはずでしょう。それであれば、なぜ、今回、党の調査では安倍事務所を外しておられるんですか。これはやはりおかしいですよ。

 国葬にふさわしいかどうかということの中に、今多くの国民が、統一教会との関係をやはり頭の中に入れている。そういうときに、まさにその御本人がどうだったかというのは、本人に聞くばかりじゃないですよね、調べることが可能じゃないですか。私は、是非、自民党は、岸田総裁はそれを約束するべきだと思います」

 岸田文雄「先ず一点目の御指摘については、先程も申し上げましたが、具体的な行動の判断、これは当時の本人の判断でありますので、本人がお亡くなりになった今、確認するには限界があるという認識に立っております」

 記者会見質疑の発言では"本人死亡限界説"のみであったが、ここでは安倍晋三と統一教会との関係は「御本人の当時の様々な情勢における判断」、あるいは「当時の本人の判断」に閉じ込めた上で"本人死亡限界説"を持ち出している。

 「具体的な行動の判断」は内心に思い描く性質上、他人は外からは窺い知ることはできないが、行動への思い描きを内心にのみとどめていたなら、政治家として成り立たない。「行動の判断」を実際的な行動の意思として本人の判断のみにとどめずに周囲に洩らす場合もあるし、行動への協力を求めるために気の置けない関係者には話しておく場合もある。行動の判断で終わらせずに具体的な行動へと進めた場合は実際の行動から内心の判断との関連を推察できることもある。「本人の判断」だからと言って、確認しようがないというわけではない。行動の具体的な形から初期的な行動の判断は本人の内心をかいくぐって判断できることもある。このことは本人が死亡、生存に関わらず、可能なことである。こういった点が"本人死亡限界説"を無効とする条件となりうる。

 にも関わらず岸田文雄は実際の行動から「本人の判断」を検証する労も取らずに死人に口なしの"本人死亡限界説"で安倍晋三と統一教会との関係実態を葬り去ろうとするのはこのことの矛盾自体に整合性を与える唯一の理由はやはり自身の権威を守るために安倍晋三の権威を失墜させるわけにはいかないことと国民の自民党に対する風当たりを躱(かわ)すためにもその権威を何が何でも守らざるを得ないと見るほかはない。

 朝日新聞記者が総理大臣記者会見で岸田文雄に安倍晋三と旧統一教会の関係を検証すべきではないのかと問い質したのが2022年8月31日。この様子を立憲民主党代表の泉健太が知らなかったでは済まない。知らなかったとしたら、不注意に過ぎるし、不勉強が過ぎる。泉健太は8日後の2022年9月8日の衆議院議院運営委員会で同じような質問をし、同じような答弁を返されたに過ぎない何一つ変わらない収穫を手にしたのみであった。どのような進展も手に入れることはできなかった。総理大臣記者会見の岸田答弁から何一つ学習していなかったことを意味することになる。

 では、ここで自民党と旧統一教会の協力関係の系譜を成す発端となった岸信介時代のいくつかの事実を「Wikipedia」の「国際勝共連合」の項目から眺めて、予備知識として貰う。

 1968年
1月13日、韓国で「国際勝共連合」を設立。
4月1日、日本で「国際勝共連合」を設立。日本統一協会の初代会長の久保木修己が会長に就任。笹川良一が名誉会長に就任。

 「Wikipedia」の「岸信介」の項目には、〈岸は椎名悦三郎・瀬島龍三・笹川良一・児玉誉士夫ら満州人脈を形成し〉ていたとあり、〈岸は文(鮮明)、笹川良一、児玉誉士夫らと協力して、日本でも国際勝共連合を設立した。〉とある。総理大臣退陣の1960年7月19日から8年後ではあるが、岸信介が国際勝共連合と関わりを持ったのは強固な反共主義者である関係から当然の成り行きと見ることができるが、旧統一教会という宗教団体を創設した文鮮明本人が反共主義者であったからこそ、韓国で反共を掲げる関連団体の国際勝共連合を立ち上げたはずで、日本で「国際勝共連合」を立ち上げる前の1964年に渋谷区南平台町の岸邸の隣に教団本部が移転し、教団との関係が始まった際、教祖文鮮明によって代表される教団の思想を知り得たはずで、それ以降からの岸信介と文鮮明との思想的な共鳴を通した関係と見なければならない。

 思想的な共鳴は相互的な利用価値そのものを生み出す、あるいは提供し合う機会を形作っていき、政治政策的な利害関係を伴走者とすることになる。両者のこのような関係性の極めつけがアメリカで脱税容疑で起訴され、1984年4月に懲役1年6カ月の実刑判決を受けて連邦刑務所に収監されていた文鮮明の釈放を願う1984年11月26日付けの書簡を岸信介が当時の米大統領ドナルド・レーガンに出すことになった事実であろう。2022年7月20日付ネット記事ディリー新潮が伝えている。

 《安倍家と統一教会との“深い関係”を示す機密文書を発見 米大統領に「文鮮明の釈放」を嘆願していた岸信介》

 この書簡は米カリフォルニア州のロナルド・レーガン大統領図書館のファイルに収められていると記事は伝えている。

 〈文尊師は、現在、不当にも拘禁されています。貴殿のご協力を得て、私は是が非でも、できる限り早く、彼が不当な拘禁から解放されるよう、お願いしたいと思います〉

 〈文尊師は、誠実な男であり、自由の理念の促進と共産主義の誤りを正すことに生涯をかけて取り組んでいると私は理解しております〉

 〈彼の存在は、現在、そして将来にわたって、希少かつ貴重なものであり、自由と民主主義の維持にとって不可欠なものであります〉――

 記事は、〈結局、釈放は難しいと判断され、文鮮明が出所できたのは翌85年の夏だった。〉となっている。

 「Wikipedia」の「文鮮明」の項目には、アメリカ合衆国で懲役1年6ヶ月の実刑判決を受けたため出入国管理及び難民認定法第5条1項4号の規定により「日本上陸拒否者」となった文鮮明だが、岸信介没後約5年後近くの1992年3月26日に上陸特別許可によって日本に入国している。同項目には、〈この許可については法務省に対し金丸信(当時自民党副総裁)から政治的圧力があったといわれている。〉とあるが、事実を証明する材料がないにしても、5日後の1992年3月31日に自民党副総裁の身分でありながら、文鮮明と〈2時間半に渡り会談、うち1時間は2人だけの密室会見だった。〉と伝えている事実と、岸信介がドナルド・レーガンに文鮮明釈放嘆願の書簡を送付した事実からすると、状況証拠としては圧力説の疑いが濃厚となる。

 この1992年3月31日の文鮮明・金丸信会談の2日前の1992年3月29日に引退後4年半近くの中曽根康弘が文鮮明と会談との記述を見受けることができる。岸信介、金丸信、中曽根康弘といった自民党の大物が、さらに政界黒幕として隠然たる勢力を誇り、自民党に多大な影響力を持っていた右翼笹川良一や児玉誉士夫らが文鮮明と親しい関係にあった事実は両者間の政治政策的な利害関係の深さを物語ることになり、その深さに応じて相互間の利用価値は相当なものがあったと窺うことができる。利用価値なくしてどのような利害関係も生じない。

 前記「国際勝共連合」の項目には、〈日本では日米安全保障条約の自動延長に社会党や共産党が反対し、新左翼による暴力や機動隊などとの衝突が繰り返されており、学生運動が激しさを増した「70年安保闘争」の国内状況の中で、(保守派や右翼等が)「反共」という目的が一致したことで、家庭連合(宗教法人世界基督教統一神霊協会(現・世界平和統一家庭連合)、いわゆる「統一協会」)の教義のカルト性を棚上げにし、反共という一致点で新左翼の暴力対応や選挙ボランティア支援を受け入れていた。〉云々と政治政策的な利害関係を挙げ、利用価値の概要を伝えている。

 こういった事実関係がこんにちにまで続いてきた旧統一教会と安倍晋三を中心とした自民党との政治政策的な利害関係の系譜の大本を成していた。自民党も旧統一教会も、双方共に相手方から利用価値としての効果を見い出すことができていた。だから、かくも長きに亘って関係を続けることができた。

 旧統一教会系開催の「世界文化体育大典」の「希望の日 晩餐会」ページに、〈希望の日晩餐会が、1974年(昭和49年)5月7日 東京・帝国ホテルで行われた。文鮮明の講演会「希望の日晩餐会」では、岸信介元首相が名誉実行委員長となっており、福田赳夫大蔵大臣が祝辞を述べ、「アジアに偉大な指導者現るその名を文鮮明と言う」と語った。〉と出ている。

 そこにある動画には福田赳夫の祝辞の様子が映し出されているが、祝辞後の場面は水滴様の模様を入れて隠しているものの、ネットに流布している同じ動画では福田赳夫と文鮮明がお互いの背中に両手を回し合う抱擁でそれぞれの背中を叩き合う親密な敬意を示す様子が映し出さている。どのような祝辞を述べたのか、その内容は「Wikipedia」の「世界平和統一家庭連合」の項目に紹介されている。

 「東洋に偉大な指導者現る。その名は文鮮明、ということを聞いて久しいのですが、今日、親しく文先生の教えを聞くことができて、とてもいい晩だったなあという感じです。文先生に『お前たちは神の子である』といわれて、少し偉くなったような気分ですが、それは、そういわれるように国のために一生懸命に働け、ということだと思います」( 福田赳夫〜1974年5月、帝国ホテルにて)

 出典は、〈福田信之『文鮮明師と金日成主席―開かれた南北統一の道』世界日報社 p70~81〉と紹介されている。世界日報社は旧統一教会系のマスメディアで、なおこの希望の日晩餐会には、〈来賓として安倍晋太郎、中川一郎、倉石忠雄らの自民党議員が出席。〉と出ていて、安倍晋三の父親安倍晋太郎が来賓席にかしこまっていたことを窺うことができる。

 さらに、〈1976年12月17日、帝国ホテルで教団系のイベント「希望の日実行委員会」が開催され、名誉委員長には岸信介、実行委員長には三菱電機元会長の高杉晋一や日本生産性本部会長の郷司浩平らが名を連ねた。会合には船田中、増田甲子七、石原慎太郎、毛利松平、中川一郎らの自民党議員が出席し、その他にも数十人の議員が祝電を送った。石原慎太郎は来賓代表として「敬愛する久保木先生…私は同志として選挙運動を助けてもらいましたが、こんなに立派な青年がいまの日本にいるのかと思った」と久保木修己を絶賛するスピーチを行った。〉との記述も見かけることができるが、このイベントでも岸信介が名誉委員長を務めているから、文鮮明との付き合いは政治政策的に相当に親密な利害関係にあったことの裏付けとなるし、相当な利用価値を受け、文鮮明側にも相当な利用価値を与えもしていたはずである。でなければ、こういった関係は生じない。そして石原慎太郎も選挙運動でそういった利用価値のお裾分けを受けていた。尤も本人そのものは芥川賞受賞作家としての知名度はあったが、映画俳優の弟石原裕次郎の当時の絶大なる人気に大衆的な知名度の点で助けられ、稼いだ票数から比較したら旧統一教会信者の電話作戦とか、ポスター貼りや直接的な投票で稼ぐ票数はかなり見劣りすることになるだろうが、無報酬で労を惜しまずに忠実に働く点で一定程度は重宝する利用価値を受けていたことになる。

 旧統一教会と自民党との政治政策的な利害関係の系譜の中で特筆できる最適な出来事の一例として安倍晋三の銃撃死によって世間に広く知られることになった旧統一教会系団体の大会に送った安倍晋三のビデオメッセージを挙げることができる。
 《「神統一韓国のためのTHINK TANK 2022希望前進大会」での安倍晋三の基調講演》(You Tube)

 安倍晋三「日本国前内閣総理大臣の安倍晋三です。UPF(天宙平和連合)の主催のもと、より良い世界実現のための対話と諸問題の平和的解決のためにおよそ150カ国の国家首脳、国会議員、宗教指導者が集う希望前進大会で世界平和を共にけん引してきた盟友のトランプ大統領とともに演説の機会をいただいたとことを光栄に思います。

 特にこの度出帆したThinktank2022の果たす役割は大きなものであると期待をしております。今日に至るまでUPFとともに世界各地の紛争の解決、とりわけ朝鮮半島の平和的統一に向けて努力されてきた韓鶴子(ハン・ハクチヤ)総裁を始め、皆様の経緯を表します。

 さて、いまだ終息の見えないコロナ禍のなかではありますが、特別な歴史的意味を持つこととなった東京オリンピック・パラリンピック大会を多くの感動とともに無事閉幕することができました。ご支援をいただいた世界中の人々に感謝したいと思います。史上初の1年延期、選手村以外外出禁止、無観客等、数々の困難を超え、開催できたアスリートの姿は世界中の人々に勇気と感動を与え、未来への灯(あかり)をともすことできたと思います。そしてイデオロギー、宗教、民族、国家、人種の違いを超えて、感動を共有できたことは世界中の人々が人間としての絆を再認識する契機となったと信じます。
 
 コロナ禍に覆われる世界で不安が人々の心を覆いつつあります。全体国家と民主主義国家の優位性が比較される異常事態となっております。人間としての絆は強制されて作られるべきではありません。感動と共感は自発的なものであります。人と人との絆は自由と民主主義の原則によって支えなければならないと信じます。

 一部の国が全体主義・覇権主義国家が力による現状変更を行おうとする策動を阻止しなければなりません。私は自由で開かれたインド太平洋の実現を継続的に訴え続けました。そして今や米国の戦略となり、欧州を含めた世界の戦略となりました。自由で開かれたインド太平洋戦略にとって台湾環境の平和と安定の維持は必須条件です。日本、米国、台湾、韓国など自由と民主主義を共有する国々の更なる結束が求められています。UPFの平和ビジョンにおいて家庭の価値を強調する点を高く評価いたします。世界人権宣言にあるように家庭は社会の自然かつ基礎的集団としての普遍的価値を持っています。偏った価値観を社会革命運動として展開する動きに警戒しましょう。

 いつの時代も理想に向かう情熱が歴史を動かしてきました。理想の前には常に壁があります。よって戦いがあるのです。情熱を持って戦う人が歴史を動かしてきました。自由都民主義を共有する国々の団結、台湾海峡の平和と安定の維持、そして平和半島の平和的統一の実現を成し遂げるためにはとてつもない情熱を持った人々によるリーダーシップが必要です。

 この希望前進大会が大きな力を与えてくれると確信いたします。ありがとうございました」

 統一教会教祖文鮮明の三番目の妻韓鶴子(ハン・ハクチヤ)は教祖文鮮明と共にUPF(天宙平和連合)の創設者として名を連ね、同時に文鮮明死後、現統一教会(世界平和統一家庭連合)の総裁を務めている。UPF議長に誰が就いていようと、韓鶴子(ハン・ハクチヤ)が事実上のナンバーワンということなのだろう。世界で300万人、日本で60万人と言われている統一教会の信者を相手にしてビデオで政治的なメッセージを発信すること自体が安倍晋三と統一教会の政治政策的な利害関係は生半可ではないことを物語ることになる。そしてこの利害関係には生半可ではない程度に応じた双方向からの利用価値が埋め込まれていることになる。韓鶴子(ハン・ハクチヤ)にしても利用価値なくして安倍晋三にビデオメッセージを求めはしないだろうし、安倍晋三にしても旧統一教会に対して何も利用価値なくしてビデオメッセージに応じたりはしないだろう。

 ここで岸信介とその孫安倍晋三に受け継がれることになった旧統一教会との間の政治政策的な利害関係の系譜の中間点をなす岸の娘婿であり、安倍晋三の父親である安倍晋太郎は結果的に旧統一教会に対してどのような位置に立たされ、安倍晋三にどのような意味を与えていたのだろうか見てみることにする。 

 「旧統一教会関連団体トップに問う 教会と政治、安倍元首相との関わり」(NHKクローズアップ現代/2022年8月29日 午後6:59)
     
 -国際勝共連合としては、岸信介さん、安倍晋太郎さん、安倍晋三さんと3代にわたって応援してきた関係性を指摘されています。その理由をご説明いただけますか。

梶栗(正義)氏(国際勝共連合会長)

結果としてそうなっていますが、「3代」だから応援をさせていただいたのではない、ということをご理解いただけたらと思います。岸信介先生は、古くから国際勝共運動のよき理解者であり、そのような立場から私たちは応援させていただきました。安倍晋太郎先生は岸先生の娘婿だから応援させていただいたのではなく、晋太郎先生の率いた清和研究会の前任者・福田赳夫先生を応援させていただいた延長線上に、晋太郎先生の政治姿勢を応援させていただいた。安倍晋三先生においても、晋太郎先生の息子さんだからというよりも、その政治的姿勢を評価して応援させていただいた。数ある反共意識の高い政治指導者を応援させていただいてきた中に、特に安倍家3代の皆様もおられたということだと思います。

-安倍元首相を具体的に応援するようになったのはいつ頃からなのか、その理由について教えていただけますか。

梶栗氏

自民党が政権復帰を果たした2012年頃から応援をさせていただいたと思います。理由は、安倍元首相の国家観、政治姿勢を高く評価したからです。

-そこに至った経緯について、詳しく伺えますか。

梶栗氏

私たちとしては、共産主義の脅威から国民の平和と安全を守らなくてはいけないという観点から、与野党を問わず反共意識の高い政治家を応援させていただいてきた歴史的経緯があります。安倍元首相については、反共意識が高い方が国のトップに立たれたということで引き続き応援させていただいた、ということになろうかと思います。政治家個人ということであれば、地元山口で、ひとりの衆議院議員として(以前から)応援させていただいてきたということは、間違いなくあると思います。

-関係はずっと続いていたと。

梶栗氏

先方がどのような認識をしておられたかわかりませんが、後援会活動の中で、私たちの会員の皆さんがそれなりの役割を果たしたのではないか、と思っています。

 「後援会活動の中で」とは主に選挙活動ということで、ときには後援会主催のイベント等に裏方として便宜を図ってきたということなのだろう。

 もう一つ、《「日本はとんでもない間違いをした」岸信介、安倍晋太郎、安倍晋三…3代続く関係性から見える旧統一教会が目指した“国家宗教” 》(TBSテレビ報道特集/2022年9月24日(土) 22:20)から安倍晋三の父安倍晋太郎と旧統一教会の関係をみてみる。 

 文鮮明の言葉。

 「中曽根の背後を引き継ぐために、その直系になれるのは、安倍(晋太郎)さんしかいませんでした。選挙の時、安倍さんの派閥の議席数は13しかなかったんです。それを88名まで、全部教育して育ててあげました」――

 自身の力を誇示する一種のハッタリだろうが、選挙への関与を示して余りある。教祖の教え・指示に絶対的に心服する信者を無償労働力として提供するのだから、手当が少ないとか、そのほかの文句を一つ並べずに体の続く限りに働いてくれて、重宝な裏方の選挙戦力になったに違いない。しかしこのような便利な選挙補助は統一教会によって社会正義に反する集金システムで蓄財した資金力をバックに教団の言いなりに動く信者を通して与えられた利用価値であって、統一教会と自由民主党間のこのような政治政策的な利害関係の構図は社会正義に反する集金システムが絡んでいる一点のみを取ったとしても、社会的正当性を得る資格はない。石原慎太郎に対する旧統一教会側からの選挙補助に対しても同列な指摘ができる。

 文鮮明は中曽根後の後継に安倍晋太郎を望んだものの思いどおりには事は運ばなかった。中曽根は3選禁止のルールによって2期目任期は1986年9月迄と決まっていたところ、突如衆院を解散、1986年7月6日に衆参同日選挙を決行、与党自民党大勝の功績により中曽根の自民党総裁としての任期が特例で1年延長され、翌1987年10月30日までの任期となり、竹下登、安倍晋太郎、宮沢喜一の3人が後継に名乗りを上げたものの、1987年(昭和62年)10月20日に中曽根がいわゆる“中曽根裁定”によって党幹事長竹下登を次期総裁に指名、安倍晋太郎は後継レースに敗れることになった。文鮮明の後継レースそのものに対する影響力は取り立てて言う程のことはなかったことになる。密接な関係にあった岸信介が首相を退陣したのが30年近く前の1960年7月19日、90歳で没したのが中曽根裁定約2ヶ月半前の1987年8月7日。岸信介の実質的な政治的影響力は見る陰もなく消失、しかも直系ではなく、娘婿ときているから、数を集める決定的な後ろ盾としては遥か背景に退いていて、その前に中曽根が現首相としての存在感を持ち、立ちはだかっていたといったところだろうか。

 安倍晋太郎は1987年11月6日の竹下内閣成立時に自民党幹事長に就任したが、1年半後の1989年(平成元年)4月18日に膵臓がんで入院、同年7月25日退院、1991年(平成3年)1月19日に「風邪」を病名として再入院、1991年5月15日、入院先で死去、67歳。死因膵臓癌。出典は「安倍晋太郎」(Wikipedia)

 安倍晋太郎は2度と総理の椅子に就くチャンスに恵まれることなくこの世を去った。その子安倍晋三はもしかしたら、あくまでも推測だが、文鮮明が父親の安倍晋太郎を首相に推してくれたことに対する恩義が旧統一教会に肩入れをする思い入れとなっていたのかもしれない。勿論、反共思想を共通の素地としていたこと、その信者たちから選挙活動や後援会活動の際、使い勝手のよい無償の熱心な奉仕を望めること、同様の奉仕を他議員にも斡旋して、その議員に対する影響力を手中に納めることが可能といった利用価値を望めること、その代償として統一教会の会合やイベントにその趣旨に対して政治を通した自分たちの世間的知名度に基づいた支持や賛同をメッセージや挨拶という形で提供して統一教会側の得点とする利用価値を与えて、その相互的利益付与を交換条件とした政治政策的な利害関係を持てることの現実的実利が後押ししていた、安倍晋三と統一教会との接近の一番の理由といったところなのだろう。繰り返して言うことになるが、どのような利用価値も望むことはできないそのような利害関係は存在しないからである。

 但し安倍晋三側、あるいは自民党側が旧統一教会に対してどのような利用価値を持ち、どのような政治政策的な利害関係を築いていたとしても、既に触れたように旧統一教会が社会正義に反する不法な集金システムで組織を太らせ、蓄財したその資金力と信者を使った人的資源が与えてくれる利用価値であり、そのような政治政策的な利害関係が社会的正当性を欠いている点に変わりはない。そしてこのような両者関係にあるという点にこそ、岸田文雄の"本人死亡限界説"が示している安倍晋三と統一教会の関係調査・検証の一定程度範囲外の困難性を乗り越えてでも、進めなければならない理由がある。

 では、旧統一教会と自民党との政治政策的な利害関係は懸念されているように旧統一教会の自らの政治思想を自民党の政策に変えて、間接的に旧統一教会好みの政治社会に持っていくことができる程に支配的な力を有しているのかどうかを見てみることにする。先に挙げた「TBSテレビ報道特集」記事の中に次のような一文が記されている。

〈■統一教が日本の国家宗教になるまで「何十年も遅れる」

元信者
「総理大臣を文鮮明が決めていると言われてました。ちょうど中曽根総理大臣から、次の総理はだれになるかということで、安倍さんのお父さんが次の総理大臣になるというふうに言われたというところが、竹下さんになってしまったので、日本はとんでもない間違いをしたと。これで日本の復帰は何十年も遅れると」

日本の復帰。つまり、統一教が日本の国家宗教になるのが、晋太郎氏が総理に就けなかったことで何十年も遅れるといわれたのだという。〉――

 元信者の言葉に矛盾があることに元信者自身が気づいていない。中曽根裁定が歴史の事実として控えている以上、文鮮明に日本の首相を決める力など存在しないことの証明でしかない。信者たちに日本では政治的に凄い力を持っていると思わせる大言壮語に過ぎない。その大言壮語を事実らしく見せかけるために旧統一教会の様々なイベントや会合に自民党の有力議員を出席させ、挨拶させる、あるいはメッセージを送らせる利用価値を必要とし、利用価値の見返りに信者を選挙運動に無償派遣して、得票獲得に有利となる様々な便宜を与えて、議員側の利用価値とさせるという関係を築くことになっていたのだろう。

 文鮮明が「日本の復帰」イコール統一教の日本の国家宗教化を望んでいたということは日本の政治を文鮮明が思いのままに支配することを望んでいたことになるが、その望みと現実の間には安倍晋太郎に総理の椅子を与えることに失敗した一例からして、望みを潰えさせる程の距離があるように見える。実際はどうだったのだろうか、立憲民主党代表の泉健太が質疑を行った2022年9月8日衆議院議院運営委員会で最後に質疑に立った共産党議員の塩川鉄也が旧統一教会の自民党政権に対する政策的影響力について質した。

  塩川鉄也「もう一つ申し上げたいのが、政策への影響の問題であります。

 統一協会とその関連団体は、選択的夫婦別姓や同性婚について反対を主張し、国政や地方政治への働きかけを行ってきました。安倍氏は、統一協会の、家庭の価値を強調する点を高く評価しますとも述べておりました。安倍氏と統一協会の親密な関係が、選択的夫婦別姓や同性婚に否定的な自民党や政府の政策に影響を及ぼしたのではありませんか。
 
 岸田文雄「まず、政府においても、政策を決定する際には、多くの国民の皆さんの意見を聞き、有識者、専門家とも議論を行い、その結果として政策を判断しています。一部特定の団体によって全体がゆがめられるということはないと思っておりますし、また、自民党においても、国民の声を聞く、また、政府から、様々な関係省庁の説明を受ける、さらには専門家、有識者の意見を聞く、こうした丁寧な議論を積み重ねて政策を決定しております。

 一部の団体の意見に振り回されるということはないと信じております」

 塩川鉄也「安倍氏は、反社会的団体の統一協会の広告塔であり、統一協会の選挙応援の司令塔だった。さらに、選択的夫婦別姓反対や同性婚反対、憲法改正など、統一協会の政策面での影響が問われております。岸田総理は、安倍氏と統一協会との関係について調査も行わず、国葬を行うのか。これでは国民の理解は得られない。

 国葬は中止すべきだと申し上げて、質問を終わります」(以上)

 塩川鉄也が「安倍氏は、統一協会の、家庭の価値を強調する点を高く評価しますとも述べておりました」と指摘している点は先に挙げた安倍晋三のUPF(天宙平和連合)に寄せたビデオメッセージ内の発言を指すが、統一教会が掲げる家庭の価値を守るための選択的夫婦別姓制度反対のキャンペーンは関連団体「国際勝共連合」のサイトに記載がある。

 《『選択的夫婦別姓 制度』やっぱり危ない!5つの理由》  

1.日本の婚姻・家族制度を弱体化し破壊する
2.夫婦別姓は親子別姓。子供たちの福祉が脅かされる
3.日本で提唱されている夫婦別姓は「ファミリーネームの廃止」に向かう
4.推進派の思想の根底は、家族制度を敵視する「共産主義」
5.夫婦別姓容認派多数は悪質な印象操作!『通称名拡大での対応』は夫婦別姓反対派と分類すべき――

 この反対キャンペーンは安倍晋三と精神的に性愛関係にある高市早苗の反対論とほぼ重なる。

 塩川鉄也は選択的夫婦別姓や同性婚反対の旧統一教会の政治思想が自民党議員の一定数に影響を与え、反対気運の形成に成功していないかといった趣旨の疑いをぶつけた。対して岸田文雄は「一部特定の団体によって全体がゆがめられるということはないと思っております」、「一部の団体の意見に振り回されるということはないと信じております」と答えている。「思っております」、「信じております」は単なる推測で、事実をイコールする証明とすることはできない。事実とするには検証し、その結果の提示が必要となる。検証もせず、その結果を提示もせずに「思っております」、「信じております」の推測に基づいて、統一教会の政治思想の影響を受けて自民党の政策が歪められることも、振り回されることもない、「これが“事実”です」と矛盾したことを言っているに過ぎない。塩川鉄也はこの点を突くべきだったが、時間の関係か、突くことはしなかった。

 塩川鉄也の「安倍氏と統一協会の親密な関係が選択的夫婦別姓や同性婚に否定的な自民党や政府の政策に影響を及ぼしたのではありませんか」の指摘を事実とすることができるかどうか見てみる。安倍晋三も選択的夫婦別姓制度や同性婚制度の反対派で、何しろ生存中は自民党最大派閥のボスという立場からも、首相在任中は派閥を離れてはいたものの、首相という立場からも出身派閥に対する影響力は離れているいないに関係しないことと、選挙での公認推薦に大きな力を握っていたということは派閥に関係せずに多くの自民党議員の首根っこを押さえていることのできる状況を手にしていたことになり、安倍晋三自身の政治思想が影響を与えていた結果の選択的夫婦別姓制度や同性婚制度反対の自民党の大勢ということもありうる。

 このいい例として2021年3月25日に自民党内に設立、総会を開いた「選択的夫婦別氏制度を早期に実現する議員連盟」の設立の呼びかけ人の一人だった岸田文雄が首相になった途端に法制化に慎重な姿勢に転じたのは最終的には安倍晋三の支持で首相になれたからで、その選択的夫婦別姓制度反対の姿勢に逆らうことができなかったことを挙げることできる。

 つまり旧統一教会も安倍晋三も共に反共・保守主義という立場を取っていて政策を似通せているものの、実際は安倍晋三発の形で自民党内での反対派が形成されることになったことが旧統一教会の働きかけによるものと見えるケースが生じていることも考えられるし、ほぼ政権党の地位にある反共・保守の自民党を布教活動に利用するために自らも反共・保守であることから旧統一教会の方から自民党の政策に抱きつき、結果として同じような政治思想を掲げることになったということも考えられる。いずれが実態かは旧統一教会と自民党が陰で政策協定でも結んでいない限り、検証は難しいと思われる。

 旧統一教会発の政策が自民党の政策に反映されたかのように見える一例を挙げてみる。以下、(Wikipedia)の「国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」(略してスパイ防止法)を参考にする。

 1980年1月、陸上幹部自衛官がソ連側情報機関に防衛庁の秘密文書を漏洩する事件が発生したが、自衛隊法第59条の守秘義務違反でしか罰することができず、与党であった自民党はこの事件を直接のきっかけとしてスパイ防止法制定の準備に入った。5年後の1985年6月6日の第102回国会に「国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」(スパイ防止法)が議員立法として衆議院に提出されたが、審議未了廃案となった。

 「国際勝共連合」のサイトにはこの年を約6年遡る出来事として、〈1979年 スパイ防止法制定3000万人署名国民運動〉、〈1980年 スパイ防止法制定促進都道府県民会議が全国に設立〉と紹介している。1979年は陸上幹部自衛官が秘密文書漏洩事件を起こす1年前で、あたかも旧統一教会が実現を促したスパイ防止法のように見えるが、2018年12月19日付の「NHK政治マガジン」《「秘密保護法」制定めぐり 岸元首相に米が厳しい要求》によると、1957年6月(20日)に初訪米した当時の日本の首相岸信介にアメリカ側が日本の防衛力増強を求めたうえで、新兵器に関する情報交換について「日本には秘密保護法ができていないので、これ以上の情報の供与はできない。日本で兵器の研究を進めるにはぜひとも新立法が必要だ」と迫ったのに対して岸信介は「科学的研究はぜひやらねばならないし、アメリカの援助も得たい。秘密保護法についてはいずれ立法措置を講じたい」と応じたと、2018年12月19日公開の外交文書で明らかになった事実として伝えている。

 つまり1957年後半当時の岸信介の頭にはスパイ防止法といった類いの法律制定の必要性が既に存在していた。日本で「国際勝共連合」が設立された1968年4月1日よりも約11年前である。岸信介と文鮮明との関係は既に触れたように旧統一協会が1964年7月に宗教法人として認証、同年11月に本部を東京都渋谷区にある岸信介宅隣に移転後だとされているが、岸信介が訪米話のついでにスパイ防止法といった類いの法律制定の必要性を話していたとしたら、陸上幹部自衛官防衛庁秘密文書漏洩事件を起こす1年前の1979年にスパイ防止法制定3000万人署名国民運動を全国的に展開したとしても不思議はないし、旧統一教会が求めて自民党が応じた政策だとは断言できないことになる。

 自民党の一定の政治、あるいは政治姿勢が旧統一教会側が求めたそれらであるかどうか、政策協定が締結されていない限り検証は困難であるとするなら、両者が歴史的に政治政策的に深い利害関係にあり、相互に利用価値を置いている無視できない関係にあることはマスコミ報道や自民党議員及び元信者の証言等によって明らかにされている事実から、その利害関係や利用価値の関係実態を検証することの方が利害関係を持ち、利用価値を受け入れ、自分たちのために活用してきた国会議員たちのその政治的・社会的正当性は問い詰めやすく、その面からの追及を優先させるべきではないだろうか。
  
 信者に「悪い霊を集める壺」等、霊験あらたかな神聖な品物であるかのように見せかけるか、あるいは信仰上の虚栄心を満足させる意図のもと安物を高額で売りつける霊感商法や植え付けた信仰心を利用して様々な言葉で恐れを抱かせ、それを解消する目的で、あるいは威嚇的な言葉まで用いて差し出させる多額な寄付金等を原資としたカネの力を用いて、信者を無報酬の人的資源として選挙の票数に直結させたり、選挙応援の形の利用価値を旧統一教会側から自民党側に提供、その見返りに自民党側からは議員の先生方の名前やメッセージを頂くことで知遇を得ていると思わせて既に獲得した信者の教団に対する信用を高め、忠誠心を鼓舞する材料とするか、あるいは新たな信者獲得の際の権威付けの材料とする利用価値は社会的正当性を欠いているだけではなく、双方の利用価値は本来的に無限に循環する構造を備えていて、少なくとも安倍晋三の銃撃死以後、この構造が問題視されるまで今まで挙げてきた双方それぞれの利用価値に基づいて、自民党側は政党として社会的正当性を欠く、それゆえに国民の信託を裏切る行為を、旧統一教会側は真の宗教団体としての社会的正当性を欠く、単に信者からカネを集めて政治的な権力を手に入れる行為を延々と循環させてきた。この点にこそ、責められなければならない問題点がある。

 この問題点を白日のもとに曝すには安倍晋三と統一教会との関係実態の調査・検証が是非必要になってくる。さらに言うと、自民党は国民の信託を裏切る国会議員を党内に多数を占めていたことはこの点に於いて政治集団としての資格を失う。霊感商法を展開、高額献金で多くの信者やその家族を経済的困窮に陥れた旧統一教会はこの点に於いて宗教団体としての資格を失う。このような利用価値に基づいた社会的正当性を欠いた政治政策的な利害関係を自民党内に機能させてきた中心的政治家は岸信介に始まって、安倍晋太郎、安倍晋三の系譜を主として辿ることができる。中心的政治家となりうる地位上の実力を備えていて、実力相応の目立つ形で政治政策的な利害関係を旧統一教会側と築いてきたからである。そして銃撃死するまで、安倍晋三が自民党側の代表格として居座り、社会的正当性を欠いた統一教会と自民党との間の政治政策的な利害関係を仲介する役割を担ってきた。

 以上、1960年代半の岸信介の時代からその孫である安倍晋三に至るまでの統一教会と自民党との密接な利害関係のほんの一部をネットで調べながら描き出してみた。参考になるかどうかは分からないが、これらの利害関係を頭に置いて貰って、安倍晋三と旧統一教会との関係の検証の必要性を排除する岸田文雄の発言の正当性を改めて眺めてみることにする。

 2022年10月6日衆議院本会議(代表質問)

 志位和夫(日本共産党委員長)「第四は、総理が、安倍元首相の調査について、限界があると背を向けていることです。

 安倍氏は統一協会の最大の広告塔だった政治家です。参院比例選挙で統一協会の会員票を差配する役割を担っていたとの証言もあります。故人になったとしても、関係者や関係書類の調査など、意思さえあれば調査できるはずです。安倍元首相と統一協会の癒着の全貌について、責任を持って調査すべきではありませんか。

 第五に、自民党と統一協会とは、1968年、笹川良一ら日本の右翼と岸信介元首相らが発起人となって、統一協会と一体の勝共連合を日本で発足させて以来の歴史的癒着関係があります。

 半世紀以上にわたって、自民党は統一協会を反共と改憲の先兵として利用し、統一協会は自民党の庇護の下に反社会的活動を拡大してきました。この歴史的癒着関係の全体を過去に遡って徹底的に調査し、国民に報告すべきではありませんか」

 岸田文雄「安倍元総理及び自民党と旧統一教会の関係についての調査についてお尋ねがありました。

 安倍元総理が旧統一教会とどのような関係を持っていたかの調査については、当時の様々な情勢における御本人の心の問題である以上、御本人が亡くなられた今、十分に把握することは限界があると考えております。関係者や関係書類を調査したとしても断片的にならざるを得ない上、本人が何も釈明、弁明できないなど、十分な調査はできないと考えております」――

 代表質問は一括質問一括答弁方式で、質問しっぱなし、答弁しっ放しで終わるから、答弁に対して別角度から質問し直すことはできないものの、岸田文雄が既に本人死亡を理由に調査・検証には限界があるとする"本人死亡限界説"を持ち出している以上、自民党と統一協会との関係の調査をストレートに求める同じ質問を繰り返すのではなく、"本人死亡限界説"を打ち破ることのできる論理を学習して、質問の方向を変えるべきだったが、泉健太の2022年9月8日の衆議院議院運営委員会からこの2022年10月6日の衆議院本会議まで約1ヶ月間と十分な時間がありながら、続けて同じことの繰り返しの質問と答弁で終わらせる収穫ゼロを見せたに過ぎなかった。

 調査拒否の理由は泉健太のときとほぼ似通っているが、具体的には「御本人の心の問題」だから、本人死亡で「十分に把握することは限界がある」に新たに加えて、「関係者や関係書類を調査したとしても断片的にならざるを得ない上、本人が何も釈明、弁明できないなど、十分な調査はできない」としている。だが、人間の如何なる行為も心の問題から発する。いい歳をした男性教師が女子生徒にスマホ等を使って卑猥な写真を送りつけるのも、本人の心がそうさせるのであり、政治家が国民の利益に適うとして政策を進めるのも、実際にはそれが選挙の票稼ぎであろうと、支持率回復の手立てだとしても、国民の生活上の利益向上を頭に置いていたとしても、全ては心がそうと命じる「心の問題」となる。当然、御本人が死亡していたとしても、心から発して何かしらの行為の形を取り、事実として現れた事象のみを取り上げて、それらの事象から行為の意図、目的、結果等を様々に推測はできる。そして数多くある推測のうちから、妥当性ある推測を個人それぞれが受け止めていけば、最も多くの妥当性を得た推測が事の実態と看做すにふさわしい資格を得るはずである。

 このように炙り出していく調査・検証を否定するとしたら、当事者も行為も既に過去の世界に沈んでしまっている歴史の検証はできないし、歴史を語ることもできない。  

 また、「本人が何も釈明、弁明できない」と言っているが、生前の「釈明、弁明」がウソ偽りのない事実そのものを口にするとは限らない。安倍晋三は国会で虚偽答弁の前科がある。「桜を見る会」に関わる国会答弁では報道で明らかになった検察の捜査に関する情報と食い違う答弁が少なくとも118回あったことが衆議院調査局の調査で明らかになっている。また自身に都合の悪い質問には直接答えずに無関係なことをそれとらしく答えて誤魔化すといった論点のすり替えといったこともする。死亡によって本人を取調べることができない以上、生存する関係者全員から旧統一教会に関する安倍晋三との関係事実を聴き出し、聴き出した事実から、少しの矛盾もゴマカシも見逃さない細心さで事実と誤魔化しを篩い分けていって、事実を一つ一つのピースにして関係の全体構造を組み立て、その全体構造から安倍晋三が統一教会と自民党の各議員の間で果たしてきた役割――相互的な利害関係が求め合うこととなっていた役割を拾い出していけば、自ずとその関係実態を描き出すことはできるだろう。正直さを当てにできない釈明、弁明を持ち出して、それができないことを理由に調査・検証を排除する岸田文雄はペテン師そのものである。

 志位和夫代表質問翌日に同じ共産党の小池晃が2022年10月7日参議院本会議で行った代表質問を見てみる。

 小池晃(共産党)「安倍晋三氏は、統一協会とは真逆の考え方に立つ政治家どころか、関連団体の会合に韓鶴子総裁を始め皆様に敬意を表しますというビデオメッセージまで送ったのに、なぜ調査対象にしないのですか。岸元首相以来、六十年以上にわたり自民党と統一協会、国際勝共連合が深い関係にあったことは周知の事実です。しかも、八年八か月、総理・総裁を務めた安倍氏と統一協会の関係について何の調査もせずに、自民党と統一協会に組織的関係はなかったとなぜ断じることができるのですか。

 参院議長を務めた伊達忠一氏は、安倍氏がどの候補者を統一協会に支援させるか差配していたことを実にリアルに証言しています。なぜ調査しないのですか。

 総理は、統一協会への解散命令について、信教の自由を理由に慎重な姿勢です。しかし、宗教法人格がなくなると税制上の優遇などは受けられなくなりますが、宗教団体としては活動ができます。総理は、今後も統一協会に宗教法人としての特権を付与して優遇することに国民の理解が得られるとお考えですか。

 政府は、宗教法人法に基づく解散命令を請求すべきです。それもせずに統一協会と関係を絶つなどと言っても、その場しのぎにすぎないのではありませんか」

 岸田文雄「安倍元総理及び自民党と旧統一教会との関係についての調査についてお尋ねがありました。

 安倍元総理が旧統一教会とどのような関係を持っていたかの調査については、当時の様々な情勢における御本人の心の問題である上に、本人がお亡くなりになった今、本人は何も釈明、弁明ができないなど、十分な調査はできないのではないかと考えております。

 自民党においては、所属国会議員と旧統一教会との関係について点検を行い、その結果を発表いたしました。旧統一教会との関係については、各議員が政治家の責任において丁寧に説明を尽くす必要があると考えており、今後も、各議員が最大限説明責任を果たすとともに、当該団体と関係を持たないことを徹底してまいります」――

 志位和夫と小池晃は質問内容に違いの工夫はあるが、突きつめると、両者だけではなく、ここで取り上げた質問者全員が安倍晋三と統一教会との関係の調査・検証の必要性を訴える、その域を出ない質問を行い、対する岸田文雄は朝日新聞記者の質問に対する答弁以降、新たな付け加えはあるが、ほぼ同じ答弁の繰り返しで調査・検証の必要性を拒否する口実に仕立てている。この繰り返しの過程で口実から何かを学習し、質問に何らかの工夫があって然るべきだが、何も学習せず、何の工夫もなく、岸田文雄に調査・検証の必要性拒否の同じ口実を何度でも使わせている。 

 本人死亡も、本人死亡釈明・弁明不能も調査・検証しない理由とはならない。既に周知の事実として現れている安倍晋三を仲介者とした統一教会側からの選挙補助を受けた複数の自民党議員に対する聴取を行い、事実関係を洗い出していき、洗い出すことができた諸事実を突き合わせて、どういったシステムとなっていたのか、選挙補助を受ける選択基準、優先順位、成果等の全体構造を真相解明していく。その全体構造が旧統一教会側から社会正義に反する集金システムで蓄財した資金力に基づいて教団の言いなりに動く信者を通して与えられた社会的公平性を欠いた選挙補助としての利用価値であることが明らかになっている以上、これらの利用価値の上に安倍晋三と統一教会との政治政策的な利害関係が成り立っていたことの詳細な実態は社会的公平性を欠いていた点で立証の努力を果たさなければならない。"本人死亡限界説"等の口実で拱手傍観は許されない。

 立証できたなら、当然、何らかの断罪の対象としなければならない。でなければ、岸田文雄は旧統一教会との関係を見直す必要性は生じない。その受益の社会的不法性を問わなければならないし、そのような利用価値を安倍晋三が統一教会と自民党議員の間に立ち、自民党議員に振る舞い、そのことを以って自らの政治的影響力の源泉とする主導的立場にいたことが判明したなら、その責任はどの自民党議員よりも重いことになる。

 但し真相解明に於いて選挙補助を便宜とした自民党議員自体の釈明・弁明が不正直な色彩に彩られている場合もあるし、検証・調査側が安倍晋三や自民党に味方するバイアスがかかっていたとしたら、真相解明は安倍晋三や自民党を無実とする方向に進む可能性が生じる。このことを防ぐためには当然のこととして検証・調査チームは第三者の立場にある人物で構成すること、聴取前にウソをついたり、口裏を合わせようとしたりする場合は表情に生理学的反応が現れ、その反応の性質で本当のことを話しているのか、ウソはいつかは露見するということを前以って伝えておくべきだろう。「露見したとき、慌てても遅いですよ」と牽制しておく。
 
 安倍晋三との関係で調査・検証対象としなければならない重要議員は2016年7月10日参議院選挙で比例区で当選した宮島喜文(よしふみ:当時64歳)と2022年7月10日の参院選比例区で当選した井上義行(59歳)としなければならないだろう。2人をネット記事頼りで順番に見てみる。

 「宮島喜文」(Wikipedia)

 統一教会との関係

 参院選における支援

2016年の参院選に、宮島は、同じ臨床検査技師出身で細田派に所属する伊達忠一からの打診を受け、立候補を決めた。「票が足りない」と踏んだ伊達は安倍晋三首相に世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の組織票を回すよう依頼し、安倍はこれを了承。公示の直前、伊達は、「世界平和連合」の支援を取り付けたことを宮島に告げた。宮島は「世界平和連合」が統一教会と関係があると知らされて戸惑うが、陣営幹部から「上がつけてくれた団体ですから、もうあとには引けません」「外でおおっぴらに言っちゃいけません」と忠告された。この結果、宮島に統一教会の票が回り、宮島は自民党が比例で獲得した19議席中、17位で初当選を果たした。元事務所職員も宮島が「世界平和連合」から推薦を受けていたと証言し、宮島自身もその事実を認めた。

2022年の参院選に際して、宮島は安倍に2回会いに行き、前回選と同様に「世界平和連合」の支援を依頼した。しかし安倍は「6年前のような選挙協力は難しいかもしれない」と返答した。代わって伊達が接触すると、安倍はかつて自身の首相秘書官を務めた元職の井上義行に票を割り振ると述べ、明確に断った。再選の望みが薄いことを悟った宮島は同年4月に公認を辞退し、不出馬を選んだ。

 宮島喜文は当選後安倍派に所属したが、70歳を超える年齢と政治的力量の点で20歳も若い上に第1次安倍内閣で首相秘書官を務めていた近親性も含めて井上義行よりも利用価値が低いと見られたのだろう。安倍晋三の思惑一つ、差配一つで前回の参院選で宮島喜文に回された旧統一教会の票は剥がされ、2022年7月参院選では井上義行に回されることになった。井上義行は旧統一教会の力を実感したと同時に安倍晋三の自らの思惑、あるいは差配一つで統一教会を動かすことができる教団に対する強力な影響力を実感したに違いない。実感の現れの一つが統一教会の賛同会員になったという事実であり(信徒になったという噂もあるという)、その事実は統一教会とその関連団体の票を永続的なものにしたい思惑が生じせしめたものに違いない。当選と同時に、2選、3選と重ねていく自身を頭に思い描いたかもしれない。

 宮島喜文に対しては安倍晋三がどのような言葉で教団の票を回すと言ったのか、次は回すことはできないと断ったのか、井上義行に対してはどのような言葉で教団の票を回すと言ったのか、それぞれの言葉から両者共に旧統一教会とその関連団体に対しての安倍晋三の票を回す影響力をどの程度に感じ取ったのか、あるいは安倍晋三自身が自らの口から票を回すについての旧統一教会とその関連団体に対する自身の影響力の程度について話し、当選をどの程度に請け合ったのか、請け合わなかったのか。このような会話に基づいて安倍晋三という日本の首相が旧統一教会に対してどのような位置を占めていたのか、感じ取った感触等が解明できれば、旧統一教会側が日本の首相としての安倍晋三という名前そのものや存在自体を教団の権威付けのための利用価値に位置づけ、その利用価値によって新たな信者獲得の武器とし、既に獲得した信者の教団に対する信用と信頼を高めるさらなる道具としてきた、安倍晋三と旧統一教会との利害関係の程度と質が判断可能となり、利用価値を与え合う全体構図の一端は窺い知ることができる。

 勿論、統一教会が信者に対しての霊感商法を用いた高額商品の売りつけや法外な額の寄付金集めで手にしたカネを教団の規模拡大及び勢力拡張の原資とすることが当初からの戦略だったとしても、岸信介から始まって安倍晋三に至る大物政治家が身につけている優れた知名度と信用力を教団側の原資獲得の利用価値としてきたことはこの手の組織の常識的な常套手段で、自民党の保守的な政治思想及び政治主張と重なるそれらを統一教会側が特に関連団体を通して掲げ、団体の顔の一つとしてきたのだから、統一教会と自民党の利害関係は政治政策的な側面をも含み、双方向性を確立させていたことは勿論のことで、そのような利害関係はその性質から言って、社会的正当性を欠いていることは言うまでもないことで、調査・検証しないのは政治の、さらに政府の不都合を隠蔽する行為にほかならない。

 百歩譲って調査・検証したが、社会的正当性に反する事実が出てこなかったということになったとしても、あくまでも調査・検証の結果であって、社会的正当性が様々に疑われるにも関わらず、あれこれの口実を設けて調査・検証を排除し、疑われる社会的正当性をそのままに放置しておくことは一政党の社会的正当性を維持する役目を総裁の立場から責任者として負う、このことは首相の立場にも影響することであるが、岸田文雄側の政治の不作為に当たり、当然、責任問題を問わなければならない。

 以上、2023年1月30日からの衆院予算委員会からの質疑とは別に安倍晋三と旧統一教会との関係についての岸田文雄の調査・検証の必要性なしの発言を取り上げ、その正当性を検討してみた。検討の内容が的を得ているかどうかは判断して貰うしかない。野党は衆院予算委開始後、引き続いて調査・検証を直接的に求めると思っていたが、2023年1月30日と31日のNHKで放送した予算委員会実況中継では誰も求めなかった。例えば2023年1月30日の衆議院予算委では立憲の山井和則が統一教会側は現在も信者に対して高額献金を求める姿勢を崩していないなどとその違法性を頻りに訴え、岸田文雄から「組織の実態把握、被害者の救済、そして再発防止、この3点について改めて法の原理に従って取り組みを進めていく」といった答弁を手に入れてはいるが、統一教会の現在まで続く違法性に限った問題点の指摘であって、政治側が宗教団体の社会的な違法性を持たせた組織増殖に手を貸し、宗教団体側が選挙補助で政治側の党勢拡大に手を貸す、それぞれの利用価値を満たし合う政治と宗教団体の相互利害関係の維持・構築に安倍晋三が主導的役割を果たしていたのではないのか、その調査・検証を直接求める追及ではなかった。

 上出「NHKクローズアップ現代」にUPF(天宙平和連合)ジャパントップの梶栗正義が安倍晋三について「自民党が政権復帰を果たした2012年頃から応援をさせていただいたと思います。理由は、安倍元首相の国家観、政治姿勢を高く評価したからです」と述べ、「私たちが安倍政権をさまざまな形で応援させていただいてきた」とも述べている。要は統一教会側が安倍政権に対してそれ相当の利用価値を与えていた。一方通行の利用価値というものはあり得ないから、安倍政権側からも統一教会側に対して最低限、釣り合うだけの利用価値を提供してきた。結果、統一教会側と安倍政権は安倍晋三を窓口として長いこと相互的な利害関係を築くことができていたということでなければならない。
 
 統一教会側が社会正義に反する不当な集金システムで蓄えたカネの力、金力とその金力が深く関わって大きくすることができた組織力や権力をバックに政治家側に利益となる利用価値を提供、政治家側がその利用価値に応えて統一教会側との結びつきを見せることで世間的信用を担保する利用価値を提供、信者獲得や団体としての活動に便宜を与える利害関係を相互に築き合っていたこと、安倍晋三が政治家側の窓口となっていたことは事実そのとおりであって、事実そのとおりのことを事実認定するためには政府による、あるいは国会の国政調査権を用いて調査・検証する必要があり、前者の調査・検証は国会で岸田文雄に求め、"本人死亡限界説"などで逃げられることなく、認めさせなければならない。国政調査権は自民党が反対するのは目に見えているから、その反対を乗り越えなければならない。事実認定に向かわなければ、安倍晋三が窓口となって一宗教団体の不法活動に便宜を与えた事実は闇に葬り去られることになる。

 だが、野党は安倍晋三と統一教会との関係を追及することは予算委員会開催前までで、岸田文雄の"本人死亡限界説"に立ち往生してしまって、開催以後は2023年2月1日現在までのところ、音沙汰なしとなってしまっている。

 2023年2月1日衆院予算委員会では立憲の代表代行の西村智奈美が「旧統一教会と自民党との関わりは引き続き明らかにしていく必要がある」と大上段に構えはしたものの、4月に統一地方選を控えているからだろう、教団と自民党の地方組織や自治体議員の関係を調査するよう求めただけで、安倍晋三と統一教会との関係追及にまで踏み込むことはなかった。岸田文雄の"本人死亡限界説"に如何にお手上げ状態となっているかを窺うことができる。

 安倍晋三は森友学園国有地格安売却への便宜供与、加計学園獣医学部新設認可に於ける政治の私物化、総理大臣主催桜を見る会招待を巡る党ぐるみの選挙利用、その他その他の疑惑を引き起こしてきたが、「政教分離の原則」に抵触する統一教会という特定宗教と政治の相互的な加担という新たな疑惑が加わることになったが、野党は追及するものの何一つ証拠立てることができずに疑惑を疑惑のままに放置させることになるお決まりのコースに突入、時間経過による風化が待ち構えるいつもの状況に立たされている。

 追及相手の逃げ口上の論理を打ち破るだけの学習能力を持たない結果である。
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