立憲民主党代表泉健太の2022年9月8日衆議院議院運営委員会安倍晋三国葬関連質疑を採点すると30点

2022-09-30 06:33:13 | 政治
 2022年9月27日に行われた7年8ヶ月の長期政権を築いた安倍晋三を国葬とすることの根拠、正当性等を巡り、前以って2022年9月8日に衆参両院の議院運営委員会で各党の質疑が行われた。7年8ヶ月の長期政権は消費税増税の2度に亘る延期と国民不人気の政策の争点隠しを駆使した選挙巧者であったこと、弱小野党のドングリの背くらべに恵まれて対抗しうる勢力が存在しなかった政治状況の賜物に過ぎなかったし、7年8ヶ月によって円安・株高の景気状況はつくり上げたが、その状況は企業利益増大と富裕層の所得拡大への貢献に大きく傾き、一般市民の生活を実質賃金低迷と円安からの物価の高騰で苦しめた。要するに安倍晋三は企業や金持ちの味方だった。結果として格差拡大社会を作り上げることになった。国葬とした理由の一端はここにあったはずだ。

 政治家は国民の負託を受けてその存在を成り立たせている以上、その政策能力だけではなく、人格の質も重要な要素として必要とされるが、政治がチームワークである関係上、例えカネの力やハッタリ、押しの強さ、巧妙な立ち回り等々で人を集める能力に長け、一定の勢力を築き、その頂点に君臨することになると、その集団に協力する政治家や官僚が出てきて、彼らが提供した政策アイデアがその政治家の政策として表に出ることになる場合があり、その政策が集団の頂点に立った政治家の政策能力の賜物しての評価となり、その評価が前面に出て、人格の質を遥か背景に退かせることが起こりうる。

 例えば2016年8月に唱えた「自由で開かれたインド太平洋」なる外交構想は安倍外交の最大の功績の一つとされているが、「自由で開かれたインド太平洋誕生秘話」(NHK政治マガジン/2021年6月30日)によると、現在、外務省総合外交政策局長(外務省北米局長)を務めている市川恵一(57歳)の発案が事の起こりだそうで、この外交構想の世界的な評価を前にした場合、モリカケ問題や「桜を見る会」等々の政治の私物化疑惑に見ることになる人格の質は影さも見えないものとしてしまうし、2014年8月の広島土砂災害時に多くの死者が予想されるさなかにゴルフに興じることができた国民の人命に対する軽視から窺うことができる人格の質にしても、見過ごされてしまうこととなり、現実問題としても見過ごされ、国葬という待遇を受けることになって、人格の質は国葬要件から完全に排除されることになった。

 確かに「自由で開かれたインド太平洋」構想は言葉そのものは高邁で素晴らしく、安倍晋三の評価を高めはしたが、その実現は海洋進出の行動を取る覇権大国中国の覇権主義からの転換によって果たすことができるのだが、転換に向けた姿勢を採らせるどころか、海洋進出への動きをますます強めている現状では構想は見せかけで終わっていて、成果は何一つ上げているわけではない。

 こういった見せかけを無視して安倍晋三の業績を国葬でどれ程に盛大に評価しようと、外国首脳を何人招こうと、弔問に国民が何人訪れようと、マスコミがどれ程の量で報道しようと、銃撃を受けてあの世に召されてしまった安倍晋三自身は儀式の一つ一つをもはや目にすることも、耳にすることもできない。できたなら、外国を何カ国訪問した、外国首脳と何回首脳会談を開いた、プーチンとの首脳会談は27回もこなしたと回数や人数を自慢の種にしてきたことからすると、弔問に外国首脳が何人訪れた、16億6千万円の盛大な国葬だと誇らしい気持ちになって、のちのちまでの自慢の種にもするだろうが、にこやかな写真でしか存在することができない。死者本人にとってどのような葬式か認識できない以上、所詮、葬式の名目、規模の類いはこの世に遺された政治的利害関係者の政治上の打算や家族や親類縁者の名誉心や世間体等を満足させる方便に過ぎない。大体が国民の6割方が国葬に反対、4割方のみが賛成ということなら、「故安倍晋三4割国葬」と名付けるべきが民意に対する等身大の受け止めとなるだろう。

 議院運営委員会質疑は立憲民主党代表泉健太の発言を取り上げ、思い通りの展開ができたのかどうか、採点してみることにした。質疑トップバッターは天下の東大法学部卒67歳、通産大臣や運輸大臣を務めた田村元の娘婿の比例近畿ブロック選出自民党盛山正仁。2番バーッターが立憲民主の泉健太。盛山正仁は多くの国民が国葬を批判しているが、「なぜ国葬儀としたのか」と尋ねている。泉健太は盛山正仁が聞いているからだろう、同じ質問はしなかった。だが、国葬に批判、もしくは反対しているのだから、「同じ質問になるが」と断って、改めて問い質すべきだった。同じ答弁だったとしても、答弁の一つ一つに反論を加えることによって国葬とすることの根拠、あるいは正当性に対する疑義を論理的に示すことができる。論理的であることは説得力を与える助けとなる。このような手続きを踏まなかったことは質疑の採点に芳しからぬ影響を与えることになる。

 では、泉健太の質問との兼ね合いを知るために盛山正仁の「なぜ国葬儀としたのか」に対する岸田文雄の答弁を見てみる。

 岸田文雄「国葬儀としたことの理由について御質問を頂きました。

 安倍元総理については、憲政史上最長の8年8か月に亘り内閣総理大臣の重責を担われました。日本国133年の憲政の歴史の中で最長の期間、重責を担われたということ。

 また、その在任中の功績につきましても、かつて日本経済六重苦と言われた厳しい経済の状況の中から、日本経済再生について努力を続けてこられた。また、外交においても、普遍的な価値や法の支配に基づく国際秩序をつくっていかなければいけないということで、自由で開かれたインド太平洋、またTPPの妥結にもこぎ着けるなど、様々な成果を上げられました。また、東日本大震災からの復興という大切な時期に重責を担われた、こうしたこともありました。こうした様々な分野で大きな功績を残されたこと。

 そして、これに対して国内外から様々な弔意が寄せられている。特に、国際社会においては、多くの国で、議会として追悼決議を行う、政府として服喪、喪に服することを決定する、また、国によってはランドマークを赤と白でライトアップするなど国全体として弔意を示す、こうしたことを行った。

 さらには、先ほども申し上げましたが、選挙運動中の非業の死であったこと。

 こういったことを考えますときに、故人に対する敬意と弔意を表す儀式を催し、これを国の公式行事として開催し、海外からの参列者の出席を得る形で葬儀を行うことが適切であると考え、国葬儀の閣議決定を行ったものであります。

 特に、海外からの弔意を見ますと、合わせて1700を超える多くの追悼のメッセージを頂いておりますが、多くが日本国民全体に対する哀悼の意を表する趣旨であるということからも、葬儀を国の儀式として実施することで、日本国として海外からの多くの敬意や弔意に礼節を持って応える、こうした必要もあると考えた次第であります」

 盛山正仁は聞きっぱなしで、つまり岸田文雄に言わせっぱなしで、何らの賛意も反論も試みることなく、費用ついての質問に移る。岸田文雄に国葬とすることの正当性、その理由を披露させるために用意した質問に過ぎなかった。前以って示し合わせてそうしたのか、示し合わさなくても、阿吽の呼吸で正当性を演出し合ったといったところなのだろう。

 岸田文雄は盛山正仁に対して安倍晋三の「在任中の功績につきまして」と前置きして安倍晋三の政治活動のうち、功罪の“功”の部分のみを取り上げ、“罪”の部分はスルーさせている。世論調査で国民の半数以上が国葬に反対しているのは岸田内閣の意思一つの閣議決定で国葬と決めたことに対してだけではなく、人格が深く関わることになるその政治姿勢に問題点あると見ていることも原因しているはずである。要するに第1次安倍政権を加えて「8年8か月の重責」としているが、8年8か月の期間全てに亘って功罪のうちの"功"の部分のみで成り立っていたわけではない。先にほんの数例を挙げたが、"罪"の部分が相当程度含まれていた。この部分を無視したのでは安倍政権に対する厳格な評価・検証は不可能となる。

 海外から1700を超える多くの追悼のメッセージは「日本国民全体に対する哀悼の意を表する趣旨」としている。いわば外国からの哀悼の意は「日本国民全体」を対象に向けられているとの理由付けで、そのことに応えるために「葬儀を国の儀式として実施する」としているが、日本国民の半数以上が安倍晋三の国葬に反対しているということは外国からの哀悼の意は国民の全体的意識を必ずしも代弁していないことになり、国葬と決める理由とはならない。逆に国民の意識とのズレを示す事例となる。外国要人が日本政府の決定を優先させて、日本国民の意識とズレを生じさせたとしても、ある意味止むを得ないが、日本の首相が各種世論調査に接する機会がありながら、国民の意識とのズレを生じさせる姿勢は国民主権の民主主義を無視する出来事となる。

 もし泉健太が「なぜ国葬なのか」と改めて問い質して、岸田文雄の盛山正仁に対するのと同じような答弁を引き出すことができていたなら、ここに示したよう反論も可能となったはずだが、改めて問うことはなかった。

 泉健太の国葬に関する質疑の最初の部分を取り上げて、採点してみる。

 委員長山口俊一「次に、泉健太君」

 泉健太「立憲民主党の泉健太でございます。

 まず、党代表としても、安倍元総理に深く哀悼の誠をささげたいと思います。

 私も絶句をし、また嘆き、怒りを覚えました。この無念に党派は関係ございません。私は、事件後、奈良の現場にも向かわせていただき、手を合わさせていただきました。また、国会前でも霊柩車に手を合わさせていただきました。増上寺での御葬儀にも参列をいたしました。改めて御冥福をお祈り申し上げます。

 しかし、総理、この国葬決定は誤りです。強引です。検討せねばならぬことを放置しています。だから、国葬反対の世論が増えている、私はそう思いますよ。総理、そもそも、国葬は総理と内閣だけで決められるのか。こうした強引な決定方法に反発が起きています。

 総理、改めてですが、閣議決定までに三権の長に諮りましたか、あるいは各党に相談しましたか」

 岸田文雄「まず、今回の国葬儀につきましては、内閣府設置法及び閣議決定を根拠として実施することを決定させていただいたと説明をさせていただいております。

 こうした国葬儀、立法権に属するのか、司法権に属するのか、行政権に属するのか、判断した場合に、これは間違いなく行政権に属するものであると認識をしています。そして、それは、内閣府設置法第四条第三項に記載されている、こうしたことからも明らかであると認識をしております。その上で、閣議決定に基づいてこの開催を決定させていただいたということであります。

 委員の方からは、その段階までに三権の長に諮ったのか、説明が丁寧であったかということでありますが、根拠については、今申し上げたとおりであります。そして、説明が丁寧ではなかったのではないか、不十分ではなかったかということについては、政府として、こうした判断をすることはもちろん大事でありますが、国民に対する説明、理解が重要であるということも間違いなく重要だと思います。

 説明が不十分だったということについては謙虚に受け止めながら、是非、この決定と併せて、国民の皆さんの理解を得るために引き続き丁寧な説明を続けていきたいと考えております」

 泉健太「諮っていないんですよ。今、全然端的に答えていないですね、長くお話しされましたが。

 総理、これは、吉田元総理の国葬の際にだって他党に事前に言っていますよ。今回、全く言っていないですよね、総理はそれが必要ないかのように言いましたけれども。

 内閣葬というのは、内閣の行う葬儀として、それは内閣の権利でしょう。しかし、では、なぜ内閣葬ではなく国の儀式となっているのか。国というのは内閣だけなんですか。そんなわけないでしょう。国というのは、立法、行政、司法、三権あるじゃないですか。国権の最高機関はどこですか。その国会に相談もなく決めたのは、総理、戦後初めてですよ。その重さを分かっていますか。実は、とんでもないことをしているということ。

 実は、無理やり国葬と国葬儀なるものを分けて言っているけれども、今これだけ世の中では国葬と言われていて、そして国葬には国の意思が必要だと言われていて、そしてその国の意思とは何かといえば、決して内閣の意思だけではないということ、これは内閣法制局も国葬を説明するときに使っている言葉なのに、それをやっていない。私は、これは大いに法的にも瑕疵があるということをまずお話ししたいと思います。今の総理の話でいくと、国葬の決定に国会の関与は必要ないんだというような話でありますが、これはとんでもないことだと思いますよ。

 さて、更に言えば、内閣法制局はこうも述べています。一定の条件に該当する人を国葬とすると定めることについては法律を要するというふうに法制局が言っているわけですね。

 総理、今、そういう法律はありますか。国に選考基準を記した法律はありますか」

岸田文雄「御指摘のような法律はありません。

 しかし、行政権の範囲内ということで、先ほど申し上げさせていただいた判断、法制局の判断もしっかり仰ぎながら政府として決定をした、こうしたことであります」

 泉健太「今、国民の皆様にも聞いていただいたと思います。選考基準を記した法律はございません。

 総理は、先ほど、戦後最長だから、数々の実績があるから、世界から弔意があるから、そして選挙運動中だったから、このような理由を挙げました。

 ただ、例えば、佐藤栄作元総理は、当時、戦後最長の在任期間だったんじゃないですか。ノーベル平和賞も受賞している。でも、国葬ではなかったですよね。なぜですかね。これは、吉田国葬の反省も踏まえて、法律もない、選考基準もなく、三権の長の了承が必要な国葬ということはやはり難しいと。この数十年間、元総理にどんな業績があっても、先ほど言ったようにノーベル平和賞を受けようともですよ、どんな業績があったとしても、自民党内閣は、内閣・自民党合同葬を行ってきたんですよ。

 その知恵や深慮遠謀を壊して、今回、国葬を強行しようとしている、これが、総理、あなたじゃないですか。違いますか」

 岸田文雄「まず、基準を定めた法律がないという御指摘がありました。

 おっしゃるように、今、国葬儀について具体的に定めた法律はありませんが、先ほど申し上げたように、行政権の範囲内で、内閣府設置法と閣議決定を根拠に決定したわけですが、こうした国の行為について、国民に更なる義務を課するとか何か行為を強要するということではない限り、具体的な法律は必要がないという学説に基づいて、政府としても、今回の件についてしっかり考えています。

 そして、明確な基準がないのではないか、このことについて御指摘がありました。

 一つの行為についてどう評価するかということについては、そのときの国際情勢あるいは国内の情勢、これによって評価は変わるわけであります。同じことを行ったとしても、五十年前、六十年前、国際社会でどう評価されるか、一つの基準を作ったとしても、そうした国際情勢や国内情勢に基づいて判断をしなければならない、これが現実だと思います。

 よって、その時々、その都度都度、政府が総合的に判断をし、どういった形式を取るのかを判断する、これがあるべき姿だと政府としては考えているところであります」

 泉健太の最初の質問は次の5点。

① 「この国葬決定は誤りである」  
② 「国葬反対の世論が増えている」
③ 「国葬は総理と内閣だけで決められるのか」
④ 「閣議決定までに三権の長に諮ったか」
⑤ 「各党に相談したか」

 「この国葬決定は誤りである」に対して「誤りである」と答えるはずはない。「なぜ国葬なのか」と聞いて、例え言い抜けさせることになったとしても、答えた理由一つ一つに自身が掲げた5点に添って反論を試みる方法を採用した方が聞く者に対して説得力をより強めに示すことができただろう。結局のところ、岸田文雄は「内閣府設置法及び閣議決定を根拠として行政権の範囲内で国葬を決定した」とするだけで、泉健太が問い質した5点全てに満足な答弁を与えていない。思い通りの答弁とすることができなかったのは泉健太自身の力量の問題であろう。

 岸田文雄の答弁全体を見ると、国葬決定を既成事実として、その既成事実の理解を得るために「今後とも丁寧な説明を行っていきます」という姿勢を言葉で示しただけで終えている。このことの格好の例は4番目の「閣議決定までに三権の長に諮ったか」に対して、「諮った・諮らなかった」のいずれも直接的には答えずに「説明の丁寧・不丁寧」の見極めや説明の継続にすり替える巧妙な答弁術の披露で終わらせている点に見ることができる。対して泉健太は「なぜ諮らなかったのか」とさらに踏み込むことはせずに自分から「諮っていないんですよ」と答えて終わらせている。自身の「なぜ」に対して相手の答を得ることができなければ、質問の意味も効果も失う。

 岸田文雄が掲げた国葬決定の正当性理論は"内閣府設置法及び閣議決定を根拠とした行政権の範囲内"というものだが、泉健太はこの正当性理論を想定した理論武装を前以って準備していなければならなかったのだが、その形跡を見ることはできない。その理由は述べる前に内閣府設置法第四条第3項33を見てみる。

 〈国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること(他省の所掌に属するものを除く。)〉と事務の執り行い、所掌事務を取り決めているに過ぎない。つまり国葬である場合、内閣は自らの行政機関の権限として内閣府設置法第四条第3項33に基づいて国葬の執行を閣議決定し、閣議決定に従って国葬とした儀式を執り行うことができるという意味を取る。

 内閣に於ける行政機関の権限としてのこの執行が岸田文雄の言う「行政権に属するもの」、あるいは「行政権の範囲内」に当たる。

 岸田文雄の国葬決定の正当性理論に対する泉健太の理論武装の前以っての準備の必要性は岸田文雄が2022年7月14日の記者会見で既に同じことを答弁しているからである。

 岸田文雄「安倍元総理におかれては、憲政史上最長の8年8か月にわたり、卓越したリーダーシップと実行力をもって、厳しい内外情勢に直面する我が国のために内閣総理大臣の重責を担ったこと、東日本大震災からの復興、日本経済の再生、日米関係を基軸とした外交の展開等の大きな実績を様々な分野で残されたことなど、その御功績は誠にすばらしいものであります。

 外国首脳を含む国際社会から極めて高い評価を受けており、また、民主主義の根幹たる選挙が行われている中、突然の蛮行により逝去されたものであり、国の内外から幅広い哀悼、追悼の意が寄せられています。

 こうした点を勘案し、この秋に国葬儀の形式で安倍元総理の葬儀を行うことといたします」

 そして質疑応答で記者の「国会審議というのは必要ではないのか」の質問にこう答えている。

 岸田文雄「国会の審議等が必要なのかという質問につきましては、国の儀式を内閣が行うことについては、平成13年1月6日施行の内閣府設置法において、内閣府の所掌事務として、国の儀式に関する事務に関すること、これが明記されています。よって、国の儀式として行う国葬儀については、閣議決定を根拠として、行政が国を代表して行い得るものであると考えます。これにつきましては、内閣法制局ともしっかり調整をした上で判断しているところです。

 こうした形で、閣議決定を根拠として国葬儀を行うことができると政府としては判断をしております」

 2022年7月14日記者会見の内閣府設置法及び閣議決定に関わる発言と2022年9月8日の衆議院議院運営委員会に於ける同趣旨の発言を併せて読んでみると、内閣府設置法第四条第3項33が内閣の行政権に属する事柄として国の儀式執行を取り決めていることから、この法律に基づいて安倍晋三の国葬執行を閣議決定したことは同じく内閣の行政権に属する事柄であり、行政が国を代表して国葬を行いうると意味させていることになる。

 しかしこの論理のみを見ると、国葬執行の前提として安倍晋三の追悼を国葬とするにふさわしいか否かの肝心要の決定が抜けている。順番としては何らかの諮らいに基づいたこれこれの理由によって安倍晋三追悼を国葬とするの決定が最初にあり、その決定を待って内閣府設置法第四条第3項33に基づいた国葬執行の閣議決定が続き、国葬実施という順番を取らなければならない。内閣府設置法第四条第3項33は国葬執行の前提として誰を国葬として追悼するか否かの決定については何ら関与していない。

 閣議決定にしても、最初から安倍晋三国葬ありきの内容となっている。文飾は当方。「岸田内閣閣議及び閣僚懇談会議事録」(開催日時:2022年7月22日(金))

 内閣官房副長官木原誠二「一般案件等について、申し上げます。まず、「故安倍晋三の葬儀の執行」について、御決定をお願いいたします。本件は、葬儀は国において行い、故安倍晋三国葬儀と称すること、令和4年9月27日に日本武道館において行うこと、葬儀のため必要な経費は国費で支弁することなどとするものであります。なお、本件につきましては、後程、内閣総理大臣及び内閣官房長官から御発言がございます」

 木原誠二自身の発言が「御決定をお願いいたします」と発言しながら、以下は国葬は既に決まったこと、既成事実として話を進めていて、国葬とするか否かの採決は一切取っていない。「後程」の岸田文雄の発言「先程決定された故安倍晋三元総理の葬儀に際しては、葬儀委員長は内閣総理大臣が務め」云々にしても、採決が行われたわけでもないのに安倍晋三国葬を決定事項とした話の進め方となっていて、このことの前提としなければならない安倍晋三を国葬とするとの決定に至る議論も採決も一切存在させていない。

 岸田文雄が安倍晋三追悼を国葬にするとの決定に至る議論の抜け落ちの不備をクリアするために用意した理論が議院運営委員会の次の発言である。改めてここに記してみる。

 「まず、基準を定めた法律がないという御指摘がありました。

 おっしゃるように、今、国葬儀について具体的に定めた法律はありませんが、先ほど申し上げたように、行政権の範囲内で、内閣府設置法と閣議決定を根拠に決定したわけですが、こうした国の行為について、国民に更なる義務を課するとか何か行為を強要するということではない限り、具体的な法律は必要がないという学説に基づいて、政府としても、今回の件についてしっかり考えています。

 そして、明確な基準がないのではないか、このことについて御指摘がありました。

 一つの行為についてどう評価するかということについては、そのときの国際情勢あるいは国内の情勢、これによって評価は変わるわけであります。同じことを行ったとしても、五十年前、六十年前、国際社会でどう評価されるか、一つの基準を作ったとしても、そうした国際情勢や国内情勢に基づいて判断をしなければならない、これが現実だと思います。

 よって、その時々、その都度都度、政府が総合的に判断をし、どういった形式を取るのかを判断する、これがあるべき姿だと政府としては考えているところであります」――

 「国民に更なる義務を課するとか何か行為を強要するということではない限り、具体的な法律は必要がないという学説」云々は対国民義務非強制の事項に関しては根拠法は必要としないとする、根拠法の不必要性の言及となる。誰の追悼を国葬としようがしまいが、根拠法は必要ではないとの断言である。だから、政府は「国民一人一人に弔意を求めるものではない」としたのだろう。だが、要請はしないものの、国の機関や自治体の半旗掲揚は弔意の一種であり、暗黙の強制のうちに入る。

 岸田文雄のいう“学説”に対して根拠法の必要性に言及している学説もあるのだから、より妥当な公平性を手に入れるための要件は国会に諮るという手続き以外にないはずだが、岸田文雄が安倍晋三を国葬で追悼すると発表したのが2022年7月14日の記者会見。衆参両院の議院運営委員会で国葬とすることについての疑義個所の説明に応じたのが約2ヶ月後のたった1回の2022年9月8日。しかも通常は昼の1時間の休憩を挟んで朝の9時から夕方の5時まで1日7時間の審議時間が衆議院議院運営委員会が1時間35分、参議院院運営委員会が1時間36分という丁寧とは程遠い簡略なもので、世論調査で「説明不足」、あるいは「説明に納得できない」が多数を占めている事態と同様に説明責任を果たしたと見る向きは少数派に過ぎないだろう。

 誰を国葬とするのかの「明確な基準」について、一つの行為についての評価は国際情勢や国内情勢によっても、時代時代によっても変わるから、時代や国内外の状況を超えた運用は不可能だとする理由で、「その時々、その都度都度、政府が総合的に判断をし、どういった形式を取るのかを判断する、これがあるべき姿」としているが、どのような理由により何をどう考えて決めたのかの具体的な手順とその公表に基づいた"政府の総合的な判断"であるならまらまだしも、"政府の総合的な判断"だからとの理由のみで政府だけの判断に任せて政府だけの専権事項としたなら、政府の判断を過ちなきものと絶対化し、政府の独断を招くケースも生じる。

 当然、このような事態を避けるためにもやはり国会に諮るという手続きを経る必要性が生じるが、岸田文雄は自身の特技を「人の話をしっかり聞くということだ」としている自らの言葉を裏切って国会審議に後ろ向きな姿勢を専らとしている。岸田文雄の答弁のみでは、安倍晋三の国葬追悼に正当性をとてものこと与えることはできない。

 決定の順番から言うと、岸田文雄側に好都合な“学説”と“政府の総合的な判断”に則った安倍晋追悼の国葬決定が最初にあり、内閣府設置法第四条第3項33に基づいた閣議決定による国葬執行の決定ということになるが、このような手順の決定自体からも、十分な国会審議を経ない説明責任の不十分さからも、政府の独断という姿形しか見えてこない。

 だとしても、岸田文雄は2022年7月14日の記者会見での内閣府設置法と閣議決定に基づいた安倍晋三国葬決定とするだけでは説得力に不安を感じたのか、2022年9月8日の衆議院議院運営委員会では根拠法不必要性の“学説”と"政府の総合的な判断"を持ち出す理論武装を行っているが、対する泉健太はどのような理論武装も試みていない。

 次に後半の質疑応答を見てみる。

 泉健太「今、総理、国際情勢、国内情勢とおっしゃった。しかし、だったら、なぜ多くの国民はこれだけ反対しているんでしょうね。その総理が挙げられた4項目が真に国民が理解できるものであったら、ここまで反対にはならないんじゃないですか。

 私は改めて思いますけれども、例えば、経済の再生とおっしゃられる。でも、実質賃金が下がり続けたんじゃないですか、アベノミクスのときには。その部分はどう評価されるんですか。

 あるいは、申し訳ないけれども、森友、加計問題で、まさにこの委員会の場で百回を超える虚偽答弁を行ったということも大きく問題になっているんじゃないですか。

 あるいは、後ほどまた詳しく話をしますが、統一教会の問題、まさに自民党の中で最もその統一教会との関係を取り仕切ってきた、そういう人物じゃないですか。

 その負の部分を全く考慮せずに、それは実績は何らかあるでしょう、しかし実績も大きく評価が分かれるわけです。だから、これだけ反対の声が起きているときに、国際情勢、国内情勢、私は、それでは到底、国民は納得しないと思いますよ。

 改めて、選考基準が今全くないということも含めて、私は、岸田総理が挙げた今回の四つの理由というのはお手盛りの理由であるというふうに言わざるを得ません。

 さて、統一教会問題や霊感商法被害、そして統一教会における多額の献金による家庭崩壊、生活破綻、さらには日本からの韓国方面への多額の送金、様々な問題が上がっています。そして、自民党との密接な関係も言われている。多数の議員が関係を持ち、安倍元総理は、元総理秘書官の井上義行候補を、今回、教団の組織的支援で当選させたわけです。

 この自民党と統一教会との関係を考えた場合に、総理、安倍元総理が最もキーパーソンだったんじゃないですか。お答えください」

 岸田文雄「まず冒頭一言申し上げさせていただきますが、本日、内閣総理大臣として答弁に立たせていただいております。自民党のありようについて国会の場において自民党総裁として答えることは控えるべきものであると思いますが、ただ、昨今の様々な諸般の事情を考えますときに、これはあえて国会の場でお答えをさせていただくということを御理解いただきたいと思います。

 そして、安倍元総理の統一教会との関係については、それぞれ、御本人の当時の様々な情勢における判断に基づくものであります。ですから、今の時点で、本人が亡くなられたこの時点において、その実態を十分に把握することは限界があると思っております。

 そして、今、自民党として、自民党のありようについて丁寧に国民の皆さんに説明をしなければいけないということで、それぞれの点検結果について今取りまとめを行い、説明責任をしっかり果たしていこうという作業を進めているところであります。

 いずれにせよ、社会的に問題が指摘されている団体との関係を持たない、これが党の基本方針であり、それを徹底することによって国民の皆さんの信頼回復に努めていきたいと考えております。

 岸田文雄「先ほども申し上げましたが、今日までの関係については、それぞれ既に点検するようにという指示を出しているわけですが、その点検の結果について、党としてしっかり取りまとめることが大事だということを申し上げています。その中で、党としてそれをどのように公表していき、国民の皆さんに説明をしていくのか、これが重要なポイントになってくると思います。

 御指摘の点については、安倍(元)総理がどのような関係を持っておられたのか、このことについては、御本人が亡くなられた今、十分に把握するということについては、限界があるのではないかと思っています。

 ただ、いずれにせよ、党として先ほど申し上げました方針に基づいて、党全体のありようについて、しっかりと取りまとめていくことは重要であると思いますし、更に大事なのは、当該団体との関係を絶つということ、従来はそれぞれ点検をし、そして、それぞれが見直しをするという指示を出してきたわけですが、それぞれに任せるのではなく、党の基本方針として絶つということを明らかにし、そして、党として所属国会議員にそれを徹底させるということ、これを今一度確認した、ここに大変大きなポイントがあるのではないかと認識しています。是非こうした点検の結果の取りまとめと併せて、これから当該団体との関係について疑念を招くことがないように、党として徹底していきたいと考えております。

 以上です」

 委員長山口俊一「泉委員、本日の議題は国葬の儀でございますので、それを考えながら……(泉委員「ええ、当然です。安倍総理に関わることについてお話をしていますので」と呼ぶ)

 泉健太「改めてですけれども、今の総理のようなお話が私はこの世の中の反発になっていると思いますよ。どう見たって、岸家、安倍家三代にわたってやはり統一教会との関係を築いてきたし、それを多くの議員たちに広げてきたというのは、もう多くの国民は分かっているんじゃないでしょうか。

 そういう中で、今、総理は、調査、点検とおっしゃった。安倍元総理御本人に聞くことはもうできない。でも、安倍元総理がどういうふうなスケジュールで動いていたか、これは事務所は分かっておられるはずでしょう、秘書だって分かっておられるはずでしょう。それであれば、なぜ、今回、党の調査では安倍事務所を外しておられるんですか。これはやはりおかしいですよ。

 国葬にふさわしいかどうかということの中に、今多くの国民が、統一教会との関係をやはり頭の中に入れている。そういうときに、まさにその御本人がどうだったかというのは、本人に聞くばかりじゃないですよね、調べることが可能じゃないですか。私は、是非、自民党は、岸田総裁はそれを約束するべきだと思います。

 もう一つ加えて言えば、これもお答えいただきたいですが、全国の自治体で、自民党の自治体議員が行政に何かを要請して統一教会系の団体の様々な会合に出るとか、そういうことが出てきています。自治体議員も外されていますよね、調査対象から。

 この二つ、約束していただけませんか」

 岸田文雄「まず一点目の御指摘については、先ほども申し上げましたが、具体的な行動の判断、これは当時の本人の判断でありますので、本人がお亡くなりになった今、確認するには限界があるという認識に立っております。

 二点目は、地方議員についてでありますが、党としては、今回、点検を行い、まずは党所属の国会議員を対象として取りまとめを行っておりますが、地方議員についても、今後、社会的に問題が指摘される団体との関係を持たないという党の基本方針を徹底していただくことになると考えております」

 泉健太「やはり残念ながら非常に後ろ向きである。

 今回しっかりとこの統一教会との問題を正すということ、これもやはり私は国民の理解に今つながっていると思いますよ。今、総理の姿勢では、限界があるとおっしゃったけれども、限界までいっていないんじゃないですか。限界までいっていない。まず、この調査をするべきだ。これは、安倍事務所も、そして自治体議員もそうである
と思います。

 そして、今、私たちは、この統一教会絡みの中で、実は、信者の二世と言われる方々から直接ヒアリングを行っています。その方々から聞くと、やはり、安倍元総理のメッセージによって励まされた、会場が大きく盛り上がった、そんなことをお話しされる方もありました。

 改めて、被害者救済ということ、今どうしてもこれを取り上げたい。実は、その当事者の皆さんからは、多額の献金や家庭崩壊で苦難を抱えていると。いたじゃなく、いるというのが今の現状です。だからこそ、私たち立憲民主党は、マインドコントロールによる高額献金を禁止する、規制する、こういう立法を作ってほしい、この求めに応じて、カルト被害防止、救済法案を国会に出そうと考えています。

 総理、こうした声、まだ聞かれていないと思うんですが、法整備が必要だと思いませんか」

 委員長山口俊一「議題に沿っての答弁で結構でございますから」

 岸田文雄「御指摘の点については、まず一つは、政治と社会的に問題になっている団体との関係という論点がありますが、もう一つの論点がまさに委員御指摘の被害者救済という論点であると思います。

 共にしっかりと対応しなければならないということで、政府としましても、社会的に問題が指摘されている団体に関して、私の方から既に関係省庁に対し、宗教団体も社会の一員として関係法令を遵守しなければならない、これは当然のことであるからして、仮に法令から逸脱する行為があれば厳正に対処すること、また、法務大臣を始め関係大臣においては、悪質商法などの不法行為の相談、被害者の救済に連携して万全を尽くすこと、この二点を指示を出しているところであります。

 これを受けて、法務大臣を議長とする「旧統一教会」問題関係省庁連絡会議を設置し、この問題の相談集中強化期間を設定し、合同電話相談窓口を設ける、こうした対応を行う、さらには、消費者庁において、霊感商法等の悪質商法への対策検討会、こうしたものを立ち上げ、議論を開始する、こうしたことであります。

 そして、委員の方から法整備の必要性ということの御指摘がありましたが、まずは、私の方から出した指示に基づいて始めた取組、これをしっかりと進めていきたいと思います。それをまずやった上で、すなわち今の法令の中で何ができるのかを最大限追求した上で、議論を進めるべき課題だと思っております」

 泉健太「私は新しい法律も必要だと思いますが、今ほど、今の法令で何ができるのかというお話がありました。是非ここをやっていただきたいですね。

 なぜかというと、総理は8月31日の記者会見で、この旧統一教会を社会的に問題が指摘される団体として、党として関係を絶つ、そこまでおっしゃった。党として関係を絶つとまでおっしゃった団体であれば、相当な問題意識をお持ちだということだと思うんです。そのときに、党として関係は絶つが、政府としては何もやらなくていいということでは絶対ないですよね。総理もうなずいておられます。

 その意味では、まさに現行法に基づくこの団体の調査、そして解散命令、こういったものも検討せねばならないと思いますが、いかがですか」

 委員長山口俊一「泉委員、何度も議運の理事会で、議題を逸脱するような質問はないようにとのお話でありますから、気をつけてください」

 岸田文雄「今申し上げたように、政府としましても、問題意識を持ち、取組を進めています。

 今の法律の範囲内で何ができるのか、これをしっかりと詰めていきたいと思います。そして、その上でどういった議論が必要なのか、引き続きしっかりと取り組んでいきたいと思っております」

 泉健太「ありがとうございます。

 是非、この点は、今回、統一教会の問題をしっかり清算しなければ、またやはり被害者が多く生まれてしまう。残念ながら、今回の非業の死にこうして統一教会の様々な動きが絡んできてしまっていたということもあると思います。

 さて、改めて、国葬の問題でありますが、経費です。

 式典費の本当にコアのコアの部分で、最初、二・四九億円とおっしゃった。しかし、やはりこんなに少ないわけないんじゃないかという話で、次に出てくると十六億円ということになった。

 しかし、総理、今回発表した総額、例えば、来年のG7サミットでは、民間警備会社には十二・四億円かかる、こういう概算要求が出ております。民間警備会社の経費は今回の発表の額に含まれていますか」

 官房長官松野博一「松野国務大臣 会場等の民間警備に係る経費に関しましては、式典の経費の中に入っております」

 泉健太「会場だけではないと思いますが、全部含まれていますか。

松野博一「会場外の警備に関しましては、既定予算に計上されております警備、警察上の予算に含まれております」

 泉健太「先ほども話があったように、五十か国ぐらいから、いわゆる首脳だけではなく、外交使節団として来る。この経費も今の額ではとても収まらないんじゃないかというふうに言われている。こうして過小の試算でコンパクトな国葬に見せるということで、またこの後もし額が膨らめば、国民の不信はやはり募ると思いますよ。

 更に言えば、やはり国民生活が苦しいという声は今数多く寄せられています。そこにどれだけ税金を使うのかという話になっている。

 そこでいいますと、歴代の内閣葬では自民党が半額負担していましたよね、今回は自民党は負担をしないのですか、全額税金ですかという声を聞きます。総理、自民党は半額負担するべきじゃないでしょうか」

 岸田文雄「先ほども答弁の中で申し上げさせていただきましたが、世界各国の国挙げての弔意、様々な弔意のメッセージ等を国としてしっかりと受け止めさせていただく際に、国の行事としてこうした葬儀を行うことが適切であると判断したことによって、今回の決定を示させていただいたということであります。

 合同葬についても、もちろん国の税金は支出することになるわけです。しかし、何よりも大事なのは、国として、どういった形で国際的な弔意を受け止めるのか、日本国民全体に対する弔意に対してどう応えるのか、こうしたことが重要であると認識をしています。そのために、国葬儀という形が適切であると判断をした次第であります」

 泉健太「改めて、元総理の死というのは大変重たいものであります。その意味で、私は、内閣による一定の儀式というものは必要だと思う。だからこそ、これまで内閣葬というものが行われてきたと考えています。

 そういった意味では、今回、今ほど質問の中でも触れましたが、やはり特別扱いをするということについては大きく見解が分かれていると思いますよ。総理の方は安倍元総理はそれに値するというが、しかし、これまでも様々な元総理がおられて、様々な業績がある中で、我々からすれば特別扱いに見えるし、多くの国民もなぜ今回だけ国葬なのかという疑問を抱いている。私はそれをお伺いしましたが、やはりそこは、なかなか平行線、総理から納得いく答えは得られなかったと思っています。

 改めてですが、国会や司法も関与させずに、前例を変えて、内閣の独断で国葬を決めた、これは戦後初だということです。そして、三権分立や民主主義、立憲主義を旨とする我々立憲民主党からしても、こうした強引な決定や、あるいは選考基準がない状態を放置して、安倍元総理の負の部分を語らずに、旧統一教会との親密な関係そして膨らむ経費などを隠して、元総理を特別扱いしている、こんな国葬には我々は賛成できません。反対をします。

 二か月たってようやく国会の声を聞く場を設けましたが、これで、今日この場で、これ以降、総理が何も変えないというなら、この質疑の意味はありません。是非、独断の国葬や分断の国葬ではなくて、改めてですが、内閣葬とする。そして、私は、こうした論争を毎回起こすような話じゃなくて、今後も元総理は内閣葬とする、こういうシンプルで一定の基準をやはり作るべきだと思いますよ。

 改めてですが、総理には、是非、内閣法制局との再検討、そして統一教会に対する自民党の調査、また経費の更なる公表、これを行動で見せていただきたいと思います。その姿勢によって私も判断をしてまいります。恐らく国民も判断をしていくでしょう。

 質問を終わります」

 泉健太は後半冒頭部分で安倍晋三の在任中の活動のうち、功罪の“罪”の部分について尋ねているが、自分の方から問い質すのではなく、「岸田総理は盛山委員に対して安倍元総理の在任中の活動のうち、功罪の“功”の部分だけを並べましたが、“罪”の部分はなかったのですか」と岸田文雄の口から直接言わせるべく努力はすべきだったろう。泉健太が尋ねたアベノミクスの負の部分や「森友、加計問題」、「百回を超える虚偽答弁」について答弁無視しているが、「“罪”の部分はなかったのですか」と問い質して、何もなかったと答えた場合、それが虚偽答弁となることあ承知しているだろうから、「“罪” の部分は確かにあるが、それに遥かに優る“功” の部分は国葬に値する」とでも答弁するだろうが、こ手の答弁の妥当性は国民の6割方が国葬に反対している世論調査を持ち出せば、簡単に打ち破ることができる。その上で“罪”の部分を並べれば、国葬への疑義を一層際立たせることができただろう。

 泉健太はさらに安倍晋三と統一教会との関係を取り上げ、「安倍元総理が最もキーパーソンだった」と“罪”の部分を突きつけるが、岸田文雄は次のように答えている。

 「安倍元総理の統一教会との関係については、それぞれ、御本人の当時の様々な情勢における判断に基づくものであります。ですから、今の時点で、本人が亡くなられたこの時点において、その実態を十分に把握することは限界があると思っております」

 泉健太は「御本人がどうだったかというのは、本人に聞くばかりじゃない、調べることが可能だ。調査を約束して欲しい」と迫るが、同じ文言の"限界"で片付けられてしまい、何ら追及できずに、「やはり残念ながら非常に後ろ向きである」と切れ味効果のない一太刀を浴びせることぐらいしかできなかった。

 この"限界"という言葉は泉健太自身が質問で取り上げた2022年8月31日の記者会見中に既に用いているのだから、同じような質問を目論んでいたなら、同じ繰り返しを予想して、前以って理論武装していなければならなかったが、この点についてもその形跡を窺うことはできない。

 岸田記者会見質疑(首相官邸/2022年8月31日)

 石松朝日新聞記者「朝日新聞の石松です。よろしくお願いします。
 
 旧統一教会と自民党との関係についてお尋ねします。総理は、先ほどのぶら下がりで、旧統一教会との関係を絶つことを党の基本方針にするという説明がありましたが、旧統一教会との関係の中心には、常に安倍(元)総理の存在があったりとか、選挙の協力に関しては、安倍(元)総理が中核になっていた部分があると思いますが、今後、旧統一教会との関係を絶つ上で、安倍元首相との関係を検証するなり、見直すなどの考えは今のところございますでしょうか。よろしくお願いします」

 岸田文雄「先ほども申し上げましたが、今日までの関係については、それぞれ既に点検するようにという指示を出しているわけですが、その点検の結果について、党としてしっかり取りまとめることが大事だということを申し上げています。その中で、党としてそれをどのように公表していき、国民の皆さんに説明をしていくのか、これが重要なポイントになってくると思います。

 御指摘の点については、安倍(元)総理がどのような関係を持っておられたのか、このことについては、御本人が亡くなられた今、十分に把握するということについては、限界があるのではないかと思っています」

 だが、理論武装せずに似たような答弁で遣り過させる収穫を手に入れただけだった。

 泉健太は「岸田総理はなぜ旧統一教会との関係の絶縁を自民党の基本方針にすると決めたのですか」と質問するところから入るべきだった。8月31日の記者会見では岸田文雄は「政治家側には、社会的に問題が指摘される団体との付き合いには厳格な慎重さが求められます」との理由のみで関係を絶つことを求めている。当然、「社会的に問題が指摘される団体だからだ」との答弁が予想されるが、「どのような問題が指摘されているのか」とさらに突っ込んで聞かなければならない。「委員もご存知のはずです」と応じたなら、「総理の口から直接お聞きしたい」と言えばいい。

 関係の絶縁を自民党の基本方針にすると決めるについては旧統一教会を相当に悪質な反社会的集団(一般社会の秩序や道徳、倫理観から著しく逸脱した集団)だと評価していなければ矛盾が生じる。官房副長官の木原誠二が2022年7月29日の記者会見で旧統一教会を「政府として反社会的勢力ということを予め限定的かつ統一的に定義することは困難」と述べているが、岸田文雄がその線に添って同じように答弁するようなら、「反社会的勢力と定義づけ困難なら、今の段階で関係の絶縁を自民党の基本方針にすることは罪が確定しない被疑者の段階で犯人扱いするのと同じようなもので、人権問題に関わりはしないか」と追及できる。

 あるいは1997年に最高裁が霊感商法や高額献金勧誘に対する損害賠償請求訴訟でその違法性と勧誘信者に対する教団側の使用者責任を認め、教団側の敗訴が確定しているが、使用者責任は教団側そのものに対する連帯責任の認定であって反社会的行為の主体と位置づけ可能となり、反社会的勢力を意味しないかと迫ることができる。

 反社会的勢力であるとの認識に持ち込むことができたなら、安倍晋三の旧統一教会との関係性の悪質さだけではなく、旧統一教会と接点を持った国会議員106人のうちの8割に当たる自民党国会議員に関しても、同じ悪質さを炙り出すことができる。もしかしたら、安倍晋三の旧統一教会との関係性の悪質さを炙り出されることを警戒して、定義づけ困難説を持ち出した可能性は疑うことができる。炙り出されでもしたなら、安倍晋三が一人で歴代最長任期を成し遂げたわけではなく、自民党一丸となってのことだから、歴代最長という金字塔を傷つけるだけではなく、同時に自民党という政党そのものの評価を泥まみれにしかねないことと、これらのことが来春の統一地方選に悪影響を与えかねないこと、ただでさえ低下している内閣支持率にさらに低下の打撃を与えかねない先行きを考え、何としてでも安倍晋三の経歴を守ることを最優先事項にして岸田文雄は、いわば本人死亡による実態把握可能性限界説を持ち出したということも考えることができる。

 旧統一教会は反社会的勢力であるとの答弁に持ち込むことができなかった場合は社会一般が反社会的勢力と見ている認識を拝借して、「社会一般は安倍元首相がそのような反社会的勢力と深く関係していたと見ていて、そういった見方が国葬反対の意思となって現れているのではないのですか。例え本人が亡くなっているにしても、両者の関係を検証しない限り、過半数以上の国葬反対の国民は納得しないでしょうし、例え時間が経過して、国葬問題が風化したとしても、岸田総理が安倍元総理と旧統一教会との関係の究明に後ろ向きであったこと、あまりにも消極的であったことはネット等に何らかの記録の形で残るでしょうし、そのことは総理の評価に跳ね返ってくるでしょう。もしかしたら、岸田総理は安倍元総理の旧統一教会との関係究明に関するご自身の後ろ向きの姿勢から世間の目を逸らすために同じく関わりのあった、安倍元総理の関係から比較したら大したことはない自民党国会議員を調査・公表し、絶縁を迫って話題をこちらの方に向ける一種の生贄の羊に仕立てたということですか」といった質問に持っていくことができたなら、岸田文雄の調査拒否に対抗して旧統一教会と代表格の立場で関係を持った安倍晋三自身の悪質性を強く印象づけることができる。

 かくこのように岸田文雄が8月31日の記者会見で安倍晋三が亡くなっていることを理由に旧統一教会との関係を調査することには限界があるからと既に発言しているにも関わらず、泉健太がその発言に何ら理論武装することなくほぼ同じ質問をしてほぼ同じ答弁しか引き出せなかった点はかなりの減点を見込まないわけにはいかない。

 泉健太は結局のところ、質疑全体を通して思い通りの展開に持ち込むことができなかった。

 泉健太「改めてですが、国会や司法も関与させずに、前例を変えて、内閣の独断で国葬を決めた、これは戦後初だということです。そして、三権分立や民主主義、立憲主義を旨とする我々立憲民主党からしても、こうした強引な決定や、あるいは選考基準がない状態を放置して、安倍元総理の負の部分を語らずに、旧統一教会との親密な関係そして膨らむ経費などを隠して、元総理を特別扱いしている、こんな国葬には我々は賛成できません。反対をします」

 岸田文雄の内閣府設置法及び閣議決定とその他を根拠とした国葬実施の論理を打ち破ることも脅かすこともできなかったのだから、何を言っても犬の遠吠えにしかならない。質疑全体の採点はせいぜい30点程度にしかつけることはできない。30点にしてもつけ過ぎかもしれない。

 この30点を妥当な線と見るかどうかは数少ない読者の判断にかかることになる。

 立憲民主党のみならず、他野党の政府に対する追及力不足が「立憲は批判ばかり」、「野党は批判ばかり」の評価を手に入れることになっている。

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文科省の旧統一教会実体不問の名称変更認証と前川喜平氏の下村博文認証関与説、橋下徹の名称変更門前払い対応の前川喜平氏批判のそれぞれの正当性

2022-08-31 06:55:20 | 政治
 当ブログ記事とは無関係だが、安倍国葬についての付録。

 《安倍晋三の国葬がふさわしい理由:高潔な人格、国民に対する無私の精神》

 2014年8月

 19日夜から20日明け方にかけて、広島市の一部地域に記録的な集中豪雨が発生した。

 20日午前3時20分頃、広島市安佐南区山本の住民から住宅の裏山が崩れて、2階建ての住宅の1階部分に土砂が流れ込み、5人家族のうち子ども2人の行方が分からなくなったと広島市消防局に通報。

 20日4時0分、政府は首相官邸危機管理センターに情報連絡室設置、情報収集に当たる。情報連絡室は関係省庁からの情報を集約し、内閣総理大臣等へ集中的に報告を行うこととされている。また任務とする情報収集は人的被害にしても、物的被害にしても、記録的な集中豪雨による土砂災害や洪水等を前提とした情報処理を以ってして行う災害の進行に基づくことになる。土石流が発生した場合、土砂崩れで土石に埋まるのと地震等で倒壊した建物に閉じ込められるのとでは体に打撲や出血等の損傷を受けていない場合でも呼吸できる余地は前者はゼロに近く、特に土石に水が混じっている場合、土石と水で密閉される状態になるから、呼吸できる余地はほぼゼロとなり、後者はときには柱や壁が交錯した隙間から酸素の供給が十分に可能となるケースが生じ、生存の可能性はそれなりに期待できるが、双方の違いによって政府や行政の危機管理の一環として収集した情報の行く末を想定せざるを得なくなる。

 20日午前4時過ぎ頃から広島市消防局に土砂崩れと住宅が埋まって行方不明者が出たという通報が相次いで寄せられる。直後か、直近の救助・救命が期待できないケースも想定される以上、政府・行政側は死者の発生を伝える情報に接する覚悟をせざるを得なくなる。

 20日午前5時15分頃、広島市消防局は同日午前3時20分頃の土砂崩れで土砂に埋まった子ども2人のうち1人が心肺停止の状態で発見されたと発表。午前3時20分頃の土砂崩れで土砂に埋まって約2時間後の心肺停止状態の発見だから、残念なことだが、医師の死亡宣言を待つ心肺停止の類いということであったはずで、最初の死者であるなら、1人目の死者としてカウントされ、最初でなければ、何人目かにカウントされることになる。

 20日午前6時頃、内閣の情報連絡室に「行方不明者が多数。子供2人も生き埋めとなり、うち1人が心肺停止状態」とする情報が入ったと、2014年8月21日付「どうしん電子版」が伝えている。情報連絡室は自らの役目として内閣総理大臣を始め、関係閣僚に逐次伝達することとなり、安倍晋三は夏休み滞在中の山梨県の別荘から同日午前6時半に被害状況の把握などを関係省庁に指示した。

 20日午前7時26分、高潔な人格、国民に対する無私の精神で誉れ高い内閣総理大臣安倍晋三は同別荘から向かった先の富士河口湖町のゴルフ場「富士桜カントリー倶楽部」に到着、元首相森喜朗、経済産業相茂木敏充、外務副大臣岸信夫、官房副長官加藤勝信、自民党総裁特別補佐萩生田光一、自民党衆院議員山本有二、日本財団会長笹川陽平、フジテレビ会長日枝久らとゴルフを開始。

 20日午前8時半頃、安倍晋三のゴルフ続行を問題視する指摘を周囲から聞いた官房長官菅義偉が首相側に電話、中断するよう求めた。

 例え国民の一部であっても、過酷な自然災害に遭遇し、困難な状況に巻き込まれている真っ只中にゴルフを愉しみ、その事態を"問題視"しなかった、事故ではあるものの、同様の事例は2001年2月のハワイ・オアフ島沖の米原潜が浮上中、愛媛県立宇和島水産高等学校練習船えひめ丸に衝突沈没させて教員と乗組員と生徒の9人を死なせた際、連絡を受けながらゴルフを続行した当時の首相森喜朗を挙げることができ、安倍晋三が遅れを取って2人目となるが、"問題視"せずの仲間に茂木敏充や岸信夫、加藤勝信、萩生田光一等を加えることになる。

 20日午前9時19分、菅義偉の連絡から約50分近くあとに安倍晋三はゴルフを中止。ゴルフ場から別荘に戻り、別荘から首相官邸へ出発。午前10時59分、官邸着。

 「広島市の土砂災害で政府の対応は」の報道各社のインタビューに安倍晋三「政府一体となって、救命救助の対応に当たるように指示を出しました」(時事通信2014年8月20日首相動静)

 防災担当相古屋圭司「最終的に死亡者が出た8時37分とか8分に総理にも連絡をして、その時点ではこちらに帰る支度をしてます」 

 この発言は死亡者が出たら連絡するという態勢になっていたことを意味する。但し実際には広島市消防局に土砂崩れと住宅が埋まって行方不明者が出たという通報が相次いで寄せられた8月20日午前4時過ぎ以降の時点で死者発生を想定した危機管理体制となっていなければならなかったし、内閣総理大臣も同じ体制下にいなければならなかった。

 さらに20日午前6時頃に内閣の情報連絡室に「行方不明者が多数。子供2人も生き埋めとなり、うち1人が心肺停止状態」とする情報が入っていて、この情報は安倍晋三にも伝えられていたはずで、だからこそ、同日午前6時半に山梨県の別荘から被害状況の把握などを関係省庁に指示することになったはずである。

 政府高官「(首相が)6時30分に指示を出した後に被害が拡大した」

 2014年8月19日夜から20日明け方にかけて、広島市の一部地域に記録的な集中豪雨が発生していた状況下で住民を巻き込んだ土石流災害発生が20日午前4時過ぎ頃から広島市消防局に寄せられていた。土砂災害発生地域の一つ広島市安佐北区三入東の雨量は20日午前2~3時に90mm、午前3~4時に121mm。この情報は情報連絡室も把握することになるはずで、例え6時過ぎに雨が上がっていたとしても、山に降った雨が絞り水となって山間地の住宅を連続的に襲う危険性は残されていて、内閣総理大臣が指示を出す出さないに関係なしに、あるいは危機管理が最悪の事態を想定して、想定した最悪の事態に備えることを言うことからも、前以って被害拡大は想定事態の一つとしていなければならなかった。だが、高潔な人格の持ち主である上に無私の精神で国民の上に立つ内閣総理大臣安倍晋三は指示を出しただけで、後は情報連絡室に任せてゴルフに出かけ、広島土石流災害地の住民の厳しい試練をよそに1時間以上、ゴルフを愉しんだ。

 まさに国の予算を何十億出しても惜しくない、国葬中の国葬にふさわしい人格の持ち主と言える。この広島土砂災害では77人(直接死74 +関連死3)(Wikipedia)の死者を出している。安倍晋三のゴルフの愉しみから比べたら、何のことはない。

 《文科省の旧統一教会実体不問の名称変更認証と前川喜平氏の下村博文認証関与説、橋下徹の名称変更門前払い対応の前川喜平氏批判等それぞれの正当性》

 世界基督教統一神霊協会(略称統一教会)は2015年6月に世界平和統一家庭連合へと名称変更を申請。7月に受理、8月に変更の認証を受けた。複数の都道府県に施設を持つ宗教法人の名称変更申請先は文科相宛で、実務は文科省外局文化庁の宗務課が担当。名称変更申請を受けた当時の文科相は「政治とカネ」の問題で錬金術師の疑惑濃い自民党下村博文である。

 この名称変更の経緯を巡って2022年8月5日に立憲民主党や共産党などが合同でヒアリングを前川喜平元文部科学事務次官に対して行ったと同日付「NHK NEWS WEB」記事が伝えていた。前川喜平氏は旧統一教会から名称変更問題が持ち上がった1997年(平成9年)当時は文化庁宗務課長を務めていた。「Wikipedia」によると、文科省の前身文部省から文化庁へ出向の形を取っていたという。前川喜平氏は旧統一教会から名称変更の相談が寄せられたことを部下の職員から報告を受け、「宗務課の中で議論した結果、実態が変わっていないのに名前だけ変えることはできない。当時、『世界基督教統一神霊教会』という名前で活動し、その名前で信者獲得し、その名前で社会的な存在が認知され、訴訟の当事者にもなっていた。その名前を安易に変えることはできない。実態として世界基督教統一神霊教会で、『認証できないので、申請は出さないで下さい』という対応をした。相手も納得していたと記憶している」と合同ヒアリングで述べた。

 いわば前川喜平氏は旧統一教会こと世界基督教統一神霊教会がその“名”を用いて彼らなりの宗教活動の陰で霊感商法とか、強制献金とかの組織的な反社会的"体"(たい)をつくり上げていき、一般社会に"名" は"体"を表すようになって、旧統一教会と言えば霊感商法、強制献金とまで言われるようになり、"名" と"体"が相互性を取るまでに至った以上、"体"をそのままに"名"だけを変えて、その相互性を破り、"体"を隠すような真似はさせることができないとしたということなのだろう。

 このような「対応」は「宗務課の中で議論した結果」の結論であった。前川喜平氏が自身の考えを上意下達式に宗務課の結論としたわけではなかった。ではなぜ名称変更の申請書を提出させた上で、「実態が変わっていないのに名前だけ変えることはできない」との理由で公式に名称変更を却下、非認証とする決着をつけなかったのだろう。こうできない理由は名称変更申請の形式にあるが、このことはあとで見てみる。

 決着をつけることができなかったためにだろう、18年後の平成27年(2015年)に前川喜平氏は〈文部科学審議官を務めていた際、当時の宗務課長から教会側が申請した名称変更を認めることにしたと説明を受け、認証すべきでないという考えを伝え〉ると、「そのときの宗務課長の困ったような顔を覚えている。私のノーよりも上回るイエスという判断ができるのは誰かと考えると、私の上には事務次官と大臣しかいなかった。何らかの政治的な力が働いていたとしか考えられない。当時の下村文部科学大臣まで話が上がっていたのは、『報告』したのではなく、『判断や指示を仰いだこと』と同義だ。当時の下村文科大臣はイエスかノーか意思を表明する機会があった。イエスもノーも言わないとは考えられない。結果としては、イエスとしか言っていない。下村さんの意思が働いていたことは100%間違いないと思っている」
 
 かくこのように下村関与説を打ち出した。当然のことだが、下村博文は否定している。「文化庁の担当者からは『旧統一教会から18年間にわたって名称変更の要望があり、今回、初めて申請書類が上がってきた』と報告を受けていた。担当者からは、『申請に対応しないと行政上の不作為になる可能性がある』と説明もあったと思う。私が『申請を受理しろ』などと言ったことはなかった」

 また前川喜平氏は文化庁が旧統一教会の名称変更認証に関して形式上の要件以外を理由として申請を拒むことはできないなどと説明していることについて、「書類がそろっていれば認証というわけではない。申請内容に実態が伴っていない場合は、認証しないという判断をして宗教法人審議会にかける道があったはずだ」とこのような方策で、あくまでも認証に持っていかない道を選択すべきだったと主張している。

 一方、文化庁が形式上の要件以外を理由として名称変更の申請を拒むことはできない等と説明していることと、下村博文が口にした文化庁の「担当者からは、『申請に対応しないと行政上の不作為になる可能性がある』と説明もあったと思う」としている文化庁担当者の説明に対して補強材料の役目を果たしたのが現文科大臣の末松信介の2022年8月8日の記者会見発言である。

 「形式上の要件に適合する場合は受理する必要がある。担当者に確認したところ、当時、旧統一教会側から『申請を受理しないのはおかしいのではないか』という違法性の指摘があった。教会側の弁護士が言っているという話だった」

 さらに〈形式上の要件が整っていたとしても申請を認証せず、文部科学大臣の諮問機関である「宗教法人審議会」で判断すべきだったという指摘が出ていることについて〉、末松信介「申請の内容が要件を備えていることを確認して認証を決定したと認識していて、宗教法人審議会にかける案件ではなかった」(以上、2022年8月8日付NHK NEWS WEB記事)

 要するに下村も末松も、文化庁も名称変更届(正式名「宗教法人変更登記申請書」)の記載に関しての「形式上の要件」の具足を名称変更認証の唯一の条件としている。法律が要求する形式に則った記載内容であるならば、速やかに認証しなければならない、しなかった場合、行政上の不作為として訴えられる恐れがあるとの手続きを優先させている。但し「形式上の要件」には法律上と実体上の違いが現れないという仕掛けが隠されることになる。“名は体を表す”の関係に於ける"体"そのものは隠しておくことができ、名称変更届上に現れることはないという仕掛けである。

 宗教法人の名称変更に関しては、何らかの規則変更であっても、その届出には宗教団体の体裁を成していることのみが要求され、信教の自由を逸脱した不法献金強要や強制入信を行っているといった"体"の部分に当たる反社会的実体は届出で問われることはない。そうであるから、旧統一教会の2015年8月の名称変更は受理・認証を受けることができた。

 下村も末松も、文化庁も、名称変更届出の記載に不備がないことを前提に名称変更を認証した事実は旧名称時代から続いている反社会的実体が名称変更届出に現れることのないことを幸いとして、その実体に目を向けることなく不問に付したことを意味する。なぜなら、名称変更認証の2015年8月以前に既に裁判で旧統一教会の社会的違法性は何例も糾弾を受けていて、マスコミも取り上げていたはずだからである。要するに前川喜平氏が文化庁宗務課長であった1997年(平成9年)当時、旧統一教会から名称変更の相談が寄せられた際、「実態が変わっていないのに名前だけ変えることはできない」云々と名称変更の相談の段階で阻止したこととは真逆の対応を取ったことになる。繰り返しになるが、下村も末松も、文化庁も、名称変更届出の書類が求めている形式の要件どおりの記載内容となっていることの一事のみに正当性を置いて、旧統一教会が名称変更申請段階時に於いても反社会的存在であったその実体に関しては問題外の不問扱いとしたということである。

 当然、「国民の生命と財産を守る」、あるいは「国民の命と暮しを守る」政治家を名乗っている以上、前川喜平氏と同じ理由を用いて申請そのものを阻止するか、どうしても阻止できない事情があるなら、申請書受理後に宗教法人審議会に対して社会的実体の有害性・無害性を検証の上、受理判断するようにとの指示のもと諮問させ、その判断に任せるべきだったし、諮問自体が「国民の生命と財産を守る」、あるいは「国民の命と暮しを守る」政治行為の一環に即していたはずである。だが、名乗りに反する政治行為に出た。前川喜平氏が名称変更認証に「下村さんの意思が働いていたことは100%間違いないと思っている」の発言はその信憑性を色濃くするばかりで、その対応の正当性は認めることはできない。

 ジャーナリストの松谷創一郎氏記事、「忘れられていた統一教会──激減した報道と34年前の“正体隠し”」(Yahoo!ニュース/2022/8/12(金) 6:06)によると、元信者が霊感商法被害で旧統一教会を訴えた、原告被害期間2001年~2011年の裁判では2017年に東京地裁が教団側に1020万円の賠償命令の判決を出し、原告被害期間1998年~2013年の同様の裁判は2021年に同じく東京地裁が1億1600万円の賠償を命じる判決を言い渡している(読売新聞朝刊2021年3月27日付)と出ている。訴えの元となった被害時期と裁判係争、そして地裁結審はどちらも世界基督教統一神霊協会の世界平和統一家庭連合へとの名称変更届出受理の2015年7月と認証の2015年8月を間に挟んでいる。

 「Wikipedia」の「青春を返せ裁判」の項目には次のような記述がある。

 〈2000年9月14日 - 広島高裁岡山支部第一部で、元信者の訴えを棄却した一審を破棄し、統一教会/統一協会の伝道の違法性を認定する全国初の判決が出た。 原告に対し、実損害額72万5000円に加え、100万円の慰謝料請求を認める。日本において、宗教団体による勧誘・教化行為の違法性を認めた全国初の判決。教団は信者組織に対して実質的な指揮監督関係があると認定し、計画的なスケジュールに従い宗教選択の自由を奪って入信させ、自由意思を制約し、執拗に迫って不当に高額な財貨を献金させ、控訴人の生活を侵し、自由に生きるべき時間を奪った」などと判断した。

 2001年2月9日 - 「青春を返せ訴訟」で統一教会/統一協会側の敗訴が最高裁で初めて確定。最高裁は「上告理由の実質は事実誤認又は単なる法令違反を主張するものであって、上告の事由に該当しない」として教団の上告を棄却し、教団の詐欺的入信勧誘と献金の説得について組織的不法行為が認められるとして、献金70万円と修練会参加費相当額の損害及び100万円の慰謝料の支払いを命じた二審・広島高裁岡山支部判決が確定した。〉――

 前者の裁判では「宗教選択の自由を奪って入信させ、自由意思を制約し、執拗に迫って不当に高額な財貨を献金させ、控訴人の生活を侵し、自由に生きるべき時間を奪った」などと、その実体が反社会的な域に到達しているとの宣告を受けることになった。後者にしても、〈教団の詐欺的入信勧誘と献金の説得について組織的不法行為が認められる。〉と教団の実体が反社会性を纏わせていると断罪された。

 当然、名称変更認証に向けた2015年7、8月の時点に立って旧統一教会を取り巻く各種状況を眺めたとき、裁判が炙り出しているその社会的実体を有害性の観点で見るか、無害性の観点で見るかを求められた場合、前川喜平氏は有害性の観点で眺めたことになり、下村も末松も、文化庁も無害性の観点で眺めて、その有害性を問題視しなかったことになる。特に政治家や官僚としたら社会的常識に真っ向から反する受け止め方を以ってして結果として旧統一協会の意図に添う認証を答として出したのだから、前川喜平氏の見立てどおりにその意図が働いた下村博文の認証と見ないわけにはいかなくなる。

 以上、野党ヒアリングで元文部科学省事務次官の前川喜平氏が1997年(平成9年)当時に旧統一教会から名称変更の相談が寄せられたときに見せた、実体は世界基督教統一神霊教会と何も変わらないのだから、申請書は出さないでくれと、いわば門前払いを食らわす対応をしたのだが、このような対応を正義の味方、有名弁護士の橋下徹がテレビ番組で「違法」だと厳しく批判したという。「橋下徹氏 旧統一教会の名称変更問題で前川喜平元次官を「違法」とバッサリ」(東スポWeb 2022/08/07 11:05)

 2022年8月7日の「日曜報道」(フジテレビ系)でのコメンテーターとしての発言。記事の発言を纏めて見る。

 橋下徹「正義の味方みたいになっているが、前川さんが違法です。統一教会がトラブル団体なので、名称変更を認めなかったと結果オーライで正しかったように見えるが、法治国家なので、ルールに基づいて判断しないといけない。名称変更の問題とトラブルを分けて考えないといけない。変更に関しては、前川さんの胸突き三寸で勝手に拒否してはいけない。

 こんな官僚のやり方を認めたら、国民は官僚にゴマすりばっかりやらないといけなくなる。また官僚天国になって、中国と同じようになる。

 感情で動くんじゃなく、きちっとルールが足りないなら、しっかりつくるべき。前川さんの違法性も検証してほしい」

 記事は、〈ゲストで出演していた立憲民主党の小川淳也政調会長も「前川さんのこの手続きを橋下さんのいう論点から検討する必要はある」と認めざるを得なかった。〉とオチまで付けている。

 橋下徹は前川喜平氏のことを「正義の味方みたいになっている」と言っているが、ナニナニ、正義の味方という点では橋下徹の右に出る者はいない。強いて挙げるとしたら、志半ばで旧統一教会関連で天に召された安倍晋三ぐらいのもので、「俺の方こそ正義の味方だ」と張り合ったら面白かっただろうが、もはや張り合うことはできない、橋下徹の一人勝ちといったところだろう。
 
 記事は橋下徹が前川喜平氏の対応を「違法」と断定とした根拠を、〈1993年に成立した行政手続法の観点から前川氏や文科省に非があるとした。〉と解説している。「行政手続法」(1993年法律第88号)の「第5章 届出」を見てみる。
      
 〈第5章 届出

 第37条 届出が届出書の記載事項に不備がないこと、届出書に必要な書類が添付されていることその他の法令に定められた届出の形式上の要件に適合している場合は、当該届出が法令により当該届出の提出先とされている機関の事務所に到達したときに、当該届出をすべき手続上の義務が履行されたものとする。〉――

 旧統一教会の名称変更届に即して説明すると、宗教法人法によって宗教法人としての地位と身分が認められていることを前提とした取り扱いとなるために何らかの届出をする場合、名称変更の届出であっても、代表者役員変更の届出であっても、記載事項に不備がないことや必要な書類が添付されていることなどの「届出の形式上の要件」を満たしていさえすれば、その書類が関係機関の事務所に到達した時点で宗教法人は「当該届出をすべき手続上の義務」を履行したものと看做されるという建て付けとなる。当然、関係機関の事務所は宗教法人側の果たした義務に対して認証を以って応えなければならない。改めて断るまでもなく、届出認証の要件は届出の際に要求される書類上の形式(=書類上の手続き)を満たしているかどうか、唯一その一点に尽きることになるからである。

 先に触れたが、名称変更の申請書を提出させた上で、「実態が変わっていないのに名前だけ変えることはできない」との理由で公式に非認証の決着をつけることができない理由がここにある。
 
 下村博文が「申請に対応しないと行政上の不作為になる可能性がある」と発言したことと文化庁が形式上の要件以外を理由として名称変更の申請を拒むことはできない等と説明していること、さらに文科相の末松信介が「形式上の要件に適合する場合は受理する必要がある」と発言していること全てが1993年成立行政手続法の「第5章届出」の条文に基づいた発言となる。

 かくこのように法律に忠実に基づいて判断するなら、正義の味方橋下徹の前川喜平氏「違法説」は正しい。だが、名称変更届出認証の要件が唯一書類上の形式(=書類上の手続き)を満たしているかどうか、その一点のみであることによって、既に触れたように信教の自由を逸脱した不法献金強要や強制入信を行っている旧統一教会の反社会的実体は不問に付すという仕掛けを結果的に認証の陰に閉じ込めることになってしまったという結末を迎えることになった。

 となると、橋下徹がのたまわっている、「感情で動くんじゃなく、きちっとルールが足りないなら、しっかりつくるべき」が一見、正当性を持ち、この正当性に立つなら、前川喜平氏の違法性はより重くなるが、その一方で下村博文や文化庁、末松信介たちの旧統一教会の反社会的実体性、あるいは違法と認める裁判所の数々の判断を我関せずに無頓着とした事実は名称変更認証の背景に限りなく追いやることになる。

 昭和26年の「宗教法人法」の「第81条 解散命令」は、〈裁判所は、宗教法人について左の各号の一に該当する事由があると認めたときは、所轄庁、利害関係人若しくは検察官の請求により又は職権で、その解散を命ずることができる。

一 法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと。
二 第2条に規定する宗教団体の目的を著しく逸脱した行為をしたこと又は一年以上にわたつてその目的のための行為をしないこと。〉等と規定している。

 要約すると、裁判所は「著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をした」宗教団体、あるいは「宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を教化育成することを主たる目的とする」と規定した「第2条」のその「目的を著しく逸脱した行為をした」宗教団体、あるいは「第2条」規定の行為を「一年以上にわたつて」行わなかった宗教団体を「所轄庁、利害関係人若しくは検察官の請求により又は職権で、その解散を命ずることができる」ということになる。

 だが、裁判所は教団の入信勧誘を「詐欺的」とし、高額献金問題を「組織的な不法行為」と断じ、信者に対して「実質的な指揮監督関係」にあるとして、これらの不法行為に於ける旧統一教会の使用者責任を認め、個々の裁判で損害賠償請求等を認める判決を下しているにも関わらず、どこからも解散の請求を受けることはなかった。結果、教団の不法行為を野放し状態にしてきた。"名は体を表す"うちの"名"の変更も認めて、"体"とは縁がないかのように装わせることになった。なぜなのだろう。

 この“なぜ”は次の記事を読むと、深まる。「宗教法人審議会(第141回)議事録」(文化庁宗務課/ 2001年6月20日)

 要約すると、和歌山県に主たる事務所を持っている宗教法人「明覚寺」(みょうかくじ・複数の都道府県を跨いでいるから所轄庁は文部科学省)は名古屋別院満願寺が中心となって全国的に霊視商法詐欺事件を行っていて、詐欺罪で告訴され、既に8名が有罪判決を受けている。明覚寺側は和解金約11億円を支払い、被害者等とは全て和解が成立しているものの、1999年(平成11年)7月の地裁段階の判決で組織的、計画的かつ継続的に実行された大規模な詐欺事案と認定されていることから、文化庁では解散命令を請求する事由に該当するとして1999年(平成11年)12月16日に解散命令の請求、申立てを和歌山地方裁判所に行った。

 次に翌2002年6月18日の「第143回宗教法人審議会議事録」(文化庁宗務課)を同じく要約してみる。

 宗教法人明覚寺について宗教活動の名のもとに組織的、計画的、かつ継続的に詐欺行為を行ったことから私ども(=文化庁及び宗教法人審議会)は解散命令を請求してきたが、今年(2002年)1月24日に和歌山地裁から解散の命令が出された。明覚寺側は今年(2002年)1月31日付で大阪高裁に即時抗告を行ったが、4月時点で当方側からも答弁書の提出をして、お互いの主張が基本的には出尽くしている段階にあり、いずれ決定が出ると思うが、高裁でも現決定が維持されることを求めていきたいと考えている。

 この結末は「Wikipedia」の「霊感商法」の項目に出ている。

 〈明覚寺は最高裁まで争ったが棄却されて解散になった。犯罪を理由にした宗教法人の解散命令としては、オウム真理教に次ぐ2番目のできごとであった。〉

 かくかように宗教法人法は第81条で「解散命令」は裁判所が行うこととしているが、解散の請求は所轄庁、利害関係人若しくは検察官が行うと定められているうちの所轄庁に関しては上記2つの宗教法人審議会議事録によって複数の都道府県に施設を持つ宗教法人の場合は文部科学省ということになり、解散請求までの手順は何らかの宗教法人に対して著しく公共の福祉を害すると明らかに認められるか、宗教団体としての目的を著しく逸脱した違法・不法行為に関わるかして訴訟が提起され、その訴訟に対して裁判所が有罪判決を下す結果等を受け、文科大臣の諮問機関である宗教法人審議会が解散請求の該当性の有無を議論し、解散相当と結論した場合はその請求を文科大臣宛に提出、文科大臣が裁判所に解散請求を行うという手順を取ることになる。
 
 だが、文部科学大臣の諮問機関である宗教法人審議会は旧統一教会が裁判で数々の有罪判決を受け、教団の使用者責任を認める判決がいくつかありながら、音無しの構えに終止した。この理由を推測するために2022年8月5日の野党ヒアリングで前川喜平氏が旧統一教会から名称変更問題が持ち上がった時期としていた1997年(平成9年)を挟んで「Wikipedia」を参考にしながら、世界基督教統一神霊協会(旧統一教会)の教祖文鮮明が1968年1月13日に韓国で、同年4月に日本で創設した国際勝共連合と日本に於けるスパイ防止法の国会提出を軸に当時の自民党首脳と旧統一教会との関係を眺めてみることにする。国際勝共連合とはその名の通り、反共主義の政治団体である。1968年の日本の首相は岸信介の実弟佐藤栄作であり、兄弟揃って反共主義の立場を取っていた。

 日本で創設の国際勝共連合の発起人は自民党の元首相岸信介、さらに両者共に政界黒幕で自民党に対して強い影響力を持った笹川良一と児玉誉士夫らが名を連ねている。会長は久保木修己統一教会会長、名誉会長は笹川良一(1995年7月18日 96歳没)が就任。この一事のみで旧統一教会と自民党がズブズブの関係にあり、そこに国際勝共連合が加わったという図になる。

 1974年5月7日、帝国ホテル(東京)で岸信介を名誉実行委員長として、『希望の日』晩餐会と題する文鮮明の講演会が行われた。当時の大蔵大臣福田赳夫が「アジアは今、偉大な指導者 を得ることができました。その指導者こそ、そこにおられる文鮮明先生です」と賛美し、韓国形式の挨拶で抱擁を繰り返したという。講演会には安倍晋太郎、中川一郎、保岡興治、中山正暉、石井公一郎、(ブリヂストン副社長)、笹川了平(『大阪日日新聞社長、笹川良一の末弟)、笹川陽平(富士観光社長、笹川良一の三男)らのほか、40名程の小学校、中学校、高校の校長達が出席。

 1985年6月6日の第102回国会「国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」(スパイ防止法)が議員立法として衆議院に提出されたが、この年を約6年遡る1979年2月24日、国際勝共連合その他の反共団体が「スパイ防止法制定促進国民会議」を結成。各県に県民会議、さらに市町村にそれぞれ母体をつくり、地方自治体へスパイ防止法実現のための要望、決議を行う戦略を取り出した。さらに国際勝共連合は1979年11月からスパイ防止法制定3000万人署名国民運動を展開している。

 そしてこういった動きの背景となったのが1957年に訪米した岸信介が米側から秘密保護に関する新法制定の要請を受け、「いずれ立法措置を」と応じ、社会情勢が熟すのを待ったのだろう、1984年4月、「スパイ防止のための法律制定促進議員・有識者懇談会」を発足させ、岸信介自身が懇談会会長に就任した。

 こうして見てくると、佐藤栄作をも含めた岸信介を主導者とした日本側一派が国際勝共連合を伴走者として旧統一教会と二人三脚で事を起こしていたことが理解できる。国際勝共連合は地方自治体へスパイ防止法実現のための要望・決議を行う戦略によって、〈1984年12月末までに「スパイ防止法制定の意見書」決議を行った県議会は27、市議会1122、町議会983、村議会366、合計2498に達した。1985年後半から反対運動も活発化し、地方議会での反対決議も増えた。〉と「Wikipedia」には出ている。このような攻防を経たものの、スパイ防止法は1985年12月21日の国会閉会に伴い、審議未了廃案となり、安倍内閣下の2013年第185回国会に於いて「特定秘密の保護に関する法律案」(特定秘密保護法案)として提出され、同年12月6日の成立によって国際勝共連合を伴走者とした旧統一教会との二人三脚が実を結ぶことになる。

 そのほかの状況としてアメリカでの脱税によって実刑を受けていたことから日本入国禁止の旧統一教会創始者であり、総裁の文鮮明が上陸特別許可によって1992年3月26日に日本入国、3月31日に金丸信、中曽根康弘と会談している。金丸信は当時自民党副総裁、法務省に対する政治的圧力により入国させたと噂が立ったという。さらに1994年8月には勝共連合幹部の誘いで朴普煕(パク・ポヒ:「世界基督教統一神霊協会」(統一教会)の古参幹部)と中曽根康弘元首相が会談。金丸信が失脚したので、北朝鮮と日本を結ぶパイプ役をお願いしたとされている。

 安倍晋三の2013年の特定秘密保護法案成立を除いた、以上書き出した両者間の親密関係が進行しつつあった情勢下で旧統一教会の名称変更問題が持ち上がった1997年(平成9年)である。旧統一教会が霊感商法や強制入信問題で全国的に有罪判決が出ているにも関わらず、宗教法人審議会が解散請求に向けた議論をしなかったのは旧統一教会と自民党首脳との関係から触らぬ神に祟りなしで自らに縛りを掛けていた可能性を疑うことができる。前川喜平氏自身もそのことを感じ取っていて、名称変更届を受理したなら、事務的に認証処理されてしまうこと、宗教法人審議会が音無しの構えでいる事情も弁えていて、本人が当時できたことは変更届出に門前払いを喰らわすことぐらいだったと考えることもできる。

 しかし最近の旧統一教会に対する最大の協力者であった安倍晋三が名誉の死を遂げた現時点で、旧統一協会の名称変更認証の2015年8月当時の事柄を「申請内容に実態が伴っていない場合は、認証しないという判断をして宗教法人審議会にかける道があったはずだ」と指摘することができたとしても、現実問題として、当時の時点で同じ指摘をしたとしても、宗教法人審議会側が指摘に応じて動くことができたかどうかは疑わしいし、前川喜平氏自身にしても、旧統一教会と自民党首脳との当時の親密な関係を感じ取っていただろうから、同じ指摘ができたかどうかも疑わしい。

 但し宗教法人審議会にかけるか否かの判断材料はあくまでも名称変更届の形式に合わせた記載内容にあるのではなく、変更届に決して現れることはないし、表すことも要求されていない社会的実体の有害性・無害性であって、初期的には有害性・無害性如何に判定を下すのは裁判所である。そしてその判定にどう対応するかが第一義的には宗教法人審議会自身の問題となる。対応次第で不作為の誹りを受けるのは文化庁宗務課ではなく、宗教法人審議会自身でなければ、その存在意義を疑われることになる。

 このように見てくると、当然、現文科大臣の末松信介の記者会見発言、「申請の内容が要件を備えていることを確認して認証を決定したと認識していて宗教法人審議会にかける案件ではなかった」は事実誤認そのもので、形式的な要件を供えていなければ、宗務課が変更届を出し直させるだけのことで、名称変更届の形式的要件の具備・不備という点に限って言うと、宗教法人審議会の与り知らないことであろう。

 与り知らなければならなかったことは名称変更によって社会的実体の有害性の点がどのような影響を受けるか、受けないか、想定することであろう。前川喜平氏の「当時、『世界基督教統一神霊教会』という名前で活動し、その名前で信者獲得し、その名前で社会的な存在が認知され、訴訟の当事者にもなっていた。その名前を安易に変えることはできない」との指摘に直接関係する事柄である。尤も裁判所の判決によって社会的実体の有害性が既に明らかになっているにも関わらず、旧統一教会の自民党上層部との関係の深さから自らに自己規制の縛りを掛けて、我関知せずの態度を取っていたとしたなら、名称変更によって社会が受ける影響そのものを考えることはあっても、縛りは縛りとして、旧統一教会の社会に対する影響を阻止する、自分たちのできる行動に出ることはなかっただろう。

 橋下徹が2022年8月7日のテレビ番組で前川喜平氏の、いわば門前払いの対応を批判して「きちっとルールが足りないなら、しっかりつくるべき」と発言しているが、「ルール」は既に出来上がっていたのである。断るまでもなく、「宗教法人法第81条解散命令」である。記憶に新たにして貰うために改めてここに記す。

 〈裁判所は、宗教法人について左の各号の一に該当する事由があると認めたときは、所轄庁、利害関係人若しくは検察官の請求により又は職権で、その解散を命ずることができる。

一 法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと。
二 第2条に規定する宗教団体の目的を著しく逸脱した行為をしたこと又は一年以上にわたつてその目的のための行為をしないこと。〉――

 少々寄り道するが、野党は2022年8月18日の日も文化庁宗務課に対して合同ヒアリングを行っていて、その様子を同日付「asahi.com」記事、「旧統一教会の名称変更、『詐欺的行為』は調査せず 野党に文化庁説明」が次のように伝えている。

 当たり前のことを最初に断っておくが、いくつかの地方自治体に跨って宗教団体として活動していることから文科省所轄となっている旧統一協会を対象としたヒヤリングである。

 〈文化庁宗務課の担当者は宗教法人法の審査基準について説明。宗教法人として新しく認証する場合は「布教方法に社会的に相当と認められる範囲を逸脱した詐欺的、脅迫的手段を用いていないかの調査を行う」と定められている一方、名称を含む変更の場合は「宗教法人法の根拠となる条文が違う」として、詐欺的な行為をしているかの確認などは求められていない現状を明らかにした。〉

 立憲民主党参院議員小西洋之「設立の時に調査を行うと定められているなら、名称変更の際にも調査を行う必要があったのでは」

 文化庁の担当者「基本的に設立の時に宗教団体性を認めて認証しているということ」
 
 〈当時の名称変更の経緯や関係書類については「確認を進めている」と答えた〉――

 文化庁宗務課の担当者は宗教法人設立認証のケースと認証後の名称等変更認証のケースを分けて、前者の場合は「布教方法に社会的に相当と認められる範囲を逸脱した詐欺的、脅迫的手段を用いていないかの調査を行う」こととしているが、後者の場合はそのような調査は求められていないと説明したことになる。となると、宗教法人の資格を一旦与えられたなら、以後、如何ような犯罪集団に豹変しようともお構いなしだということになる。事実そのとおりのことになっている。

 何よりも問題なのは文化庁宗務課が説明した宗教法人として新しく認証する場合の審査基準にかかる規定は宗教法人法のどこを探しても見当たらない。「宗教法人法第2章第13条 設立 設立の手続き」は主として宗教団体としての体裁を成しているかどうかの審査を行うに過ぎない。上記文言をネットで検索、「愛媛県宗教法人規則認証審査基準(平成13年1月25日制定)」の中に、〈宗教法人法(昭和26法律第126号。以下「法」という。)に基づく規則、規則の変更、合併及び任意の解散の認証に関する審査にあたっては、法の規定の外、特に以下の点に留意して行うものとする。〉との決め事の中に存在する。

 「規則、規則の変更、合併及び任意の解散」の認証審査は「法の規定の外」、いわば宗教法人法以外に、つまり宗教法人法には規定はないがの断りで独自の留意事項を設けている。もし実際に宗教法人法に同様の規定が設けられていたなら、「法の規定の外」の断りは必要とせず、「法の規定を厳格に守って」等の表現になったはずである。ここでは上記文化庁担当者の発言に添った基準のみを取り上げる。文飾は当方。

 〈3 当該団体について、法令に違反し、公共の福祉を害する行為を行っていると疑われる場合には、以下の点に特に留意しつつ、その疑いを解明するための調査を行う。

(1)布教方法に、社会的に相当と認められる範囲を逸脱詐欺的、脅迫的手段を用いていないか。
(2)暴力的行為、反社会的な活動又は公序良俗に反する行為を行っていないか。

 同様の文言は、「新潟県 宗教法人の認証に関する審査基準(留意事項)」にも示されている。

 〈宗教法人法(以下「法」という。)に基づく規則、規則の変更、合併及び任意解散の認証に関する審査に当たっては、法の規定の外、特に以下の点に留意して行うものとする。〉

 〈申請団体について、法令に違反し、公共の福祉を害する行為を行っていると疑われる場合には、次の点に特に留意しつつ、その疑いを解明するための調査を行う。
 ア 布教方法について
   布教方法に、社会的に相当と認められる範囲を逸脱した詐欺的、脅迫的手段を用いていないか。
 イ 活動内容について
   暴力的行為、反社会的な活動又は公序良俗に反する活動を行っていないか。

 新潟県の場合は「平成6年10月1日制定」で、「平成9年5月15日一部改正」となっていて、愛媛県と制定年月日が異なっていることから宗教法人法の規定以外に各自治体が独自に決めた審査基準であることが分かる。但し右へ倣えの形式を踏んでいるが、自治体ごとに違いがあっては困るからだろう。

 「Wikipedia 世界平和統一家庭連合」の項目に、〈1964年には東京都知事の認証で宗教法人となった。〉と出ているが、「東京都 宗教法人の認証に関する審査基準(留意事項)」なるものが存在するのではないかと思ってネットで探してみたが、見つけることはできなかった。国や自治体の規則や慣習の右へ倣えの慣例からすると、国を除いた自治体の場合は首都東京が先例となるケースが多いが、旧統一教会宗教法人認証の1964年は昭和39年で、その際に"詐欺的、脅迫的"云々
の認証審査基準が存在していたとしたら、一方の新潟県と愛媛県の「審査基準」が平成に入ってからというのは遅すぎることになる。「詐欺的、脅迫的手段」云々の基準は設けられていなくてフリーパスだったか、あるいは宗教法人資格認証時は“詐欺的、脅迫的”云々の"体"をなすに至っていなかったどちらかと考えられる。

 愛媛県と新潟県の両自治体の宗教法人に対する審査は「規則」――いわば新規設立関わる「規則」を対象としているだけではなく、名称変更を含めた「規則の変更」をも対象とした “詐欺的、脅迫的”云々であり、あるいは “暴力的、反社会的”云々だが、これに対して文化庁担当者が野党合同ヒアリングで自治体独自の審査基準を持ち出して新規認証の場合のみ社会的実体の有害性の有無を調査をするが、名称変更の認証については宗教法人法はそのような扱いとはなってはいないと説明したことは自治体独自の審査基準と宗教法人法のうち、自分たちに都合のよいいいところ取りをして、旧統一教会の名称変更を形式的要件のみで認証したことの正当性を謀りつつ、その認証が法律どおりであっても、実質的には社会的実体の有害性("詐欺的、脅迫的"等々)を不問に付して認証したことになる仕掛けを隠蔽する働きをしていることになるのだから、この巧妙性・狡猾性はさすがと言わざるを得ない。

 立憲民主党の小西洋之は文化庁担当者の前記発言を受けて、宗教法人法の何条に「詐欺的」云々といった規定が設けられているのか聞くべきだった。聞かなかったのは旧統一教会問題に取り組んでいながら、「宗教法人法」を勉強していないからだろう。「設立の時に調査を行うと定められているなら、名称変更の際にも調査を行う必要があったのでは」の小西洋之の発言そのものが宗教法人法に疎いことを示しているが、小西の発言に対する文化庁担当者の発言「基本的に設立の時に宗教団体性を認めて認証しているということ」と言っていることは前に触れたように宗教法人法によって宗教法人としての地位と身分を認められていることのみを前提として対応する法解釈となっているから、以後の団体の何らかの変更を申請する届出が形式上の要件に適っているかどうかだけを見ることになっている。

 自治体独自の「宗教法人規則認証審査基準」にしても、何らかの宗教団体が宗教法人としての新規設立認証を受ける場合は「詐欺的、脅迫的手段」、その他の方法を用いた布教活動を行っている事実を調査されたら困るのを承知で認証申請するという手順よりも、最初に法人の資格を取ってから、徐々に金儲けに走るといった手順を取るのが一般的だろうから、どれ程の効果があるか疑わしい。勿論、悪徳宗教法人は規則の変更を迫られた場合は審査基準に引っかかることになるが、それを避けるためにどのような変更もしないで済ませるか、代表者の死亡等による変更等の届を申請する必要に迫られた場合、新たな宗教団体を立ち上げて、設立要件となる3年間の活動後に宗教法人としての新規申請に持っていって、宗教法人資格を得たのちに実質的には悪徳宗教団体を引き継ぐという手段も残されている。

 やはり最終的に鍵を握るのは「宗教法人法」「第81条 解散命令」であろう。宗教法人審議会がこの条項を旧統一教会のいくつもある違法とする裁判判決を前にして教会と自民党上層部との関係を考慮して自らに縛りをかけ、空文化させていたのか、させていなかったの、その白黒を求め、前者・後者いずれであっても、解散命令を裁判所に請求しなかったことの正当性ある根拠を提示させるところから始めなければならない。

 安倍晋三やその側近の立場への気兼ねから、あるいは忖度から解散請求を控え、音無しの構えを守り通していたことが万が一にでも判明したなら、宗教法人審議会は裁判所に対して解散を請求する手立てを構築しなければならなくなるが、旧統一協会が特に自民党政治家に対して選挙での利害関係の点で深く食い込んでいた状況を利用、宗教法人審議会の解散請求の動きを妨害する目的で彼ら自民党政治家を外堀に仕立ててそこから攻める一手として握っている秘密を暴露する報復戦術をチラつかせた場合、選挙でお世話になった多くの有力議員は自己規制を働かせて、宗教法人審議会のメンバーに圧力を掛けない保証はない。

 ここで出番は正義の味方、正義の弁護士橋下徹となる。旧統一協会が文化庁宗務課に名称変更の相談をした際、前川喜平氏がいわば門前払いにした措置を「前川さんの胸突き三寸で勝手に拒否してはいけない」と批判、違法性ある行為だと断じた手前、自身に縁のある日本維新の会に依頼、宗教法人審議会に対して裁判所の旧統一協会を被告とした各種有罪判決を社会的実体の有害性の観点から捉えるべきなのか、捉えるべきでないのか、前者なら、解散に値するのか、値しないのかを審議するよう求めて、国民の納得を得ることができるいずれかの決着に持っていくべきだろう。

 但し日本維新の会も所属議員13人が旧統一教会と関りがあったことを調査・公表した。今回の新代表戦に立候補した馬場伸幸(2022年8月28日投票の結果、新代表に選出)も足立康史も仲間に入っている。幹事長の藤田文武も連座している。旧統一協会が秘密暴露報復戦術を日本維新の会にも向けとしたら、自らも大きな傷を負うことを覚悟で解散実現へと向けて敢然として立ち向かうことができるかどうかである。

 橋下徹の、少々言葉が軽いところがあるが、持ち前の断固とした正義感は口先だけではないはずだから、その点に期待する以外にない。

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少子化対策は小中高大学教育費完全無償化によって出産を人への投資とし、考える教育の導入を生産性向上への投資とし・・・

2022-07-31 05:32:39 | 政治
  少子化対策は小中高大学教育費完全無償化によって出産を人への投資とし、考える教育の導入を生産性向上への投資とし、両投資によってGDP上昇の要因として税収増に持っていき、生涯健康履歴導入によって社会保障医療・介護給付費の抑制要因とし、両要因から予算を圧縮、この分と税収増を教育費無償化財源に回す

 2022年7月10日投開票参院選挙は選挙区と比例代表を合わせて自民党改選55に対して当選63の+8。立憲民主党改選23に対して当選17議席の-6、日本維新の会改選6に対して当選12の+6、国民民主改選7に対して当選5議席-2、共産改選6に対して当選4の-2、れいわ改選0議席に対して当選3の+3、その他で終わった。立憲民主党は野党第1党として次の衆院選で政権交代に近づくキッカケになるどころか、国民の自民党の政権担当能力への信頼・期待をまざまざと見せつけられることになった。選挙争点は「社会保障」、「経済・財政」、「外交・安全保障」、「子育て・教育」、「憲法改正」等々であった。

 6月22日公示後の7月に入った第1日曜日の2022年7月3日、NHK「日曜討論」は『参院選最終盤へ 党首に問う』と題して、「長引くウクライナ危機への対応は?」、「物価高騰の中で賃上げの実現は?」、「少子化対策・社会保障は?」、「憲法改正をめぐる議論は?」をテーマに9党首が議論を戦わせた。

 出演者は自民党総裁岸田文雄/立憲民主党の泉健太/公明党代表山口那津男/日本維新の会松井一郎/国民民主党玉木雄一郎/日本共産党志位和夫/れいわ新選組山本太郎
 社民党福島瑞穂/NHK党立花孝志

 番組からは生活の直接的な支えとなる「物価高騰の中で賃上げの実現は?」と「少子化対策・社会保障は?」の2テーマを巡る議論を文字起こしして取り上げてみることにする。各党首政策議論からその実現して欲しい政策を見て欲しい。知らない用語についてはネットで調べて、注釈をつけた。

 《2022年7月3日NHK「日曜討論」『参院選最終盤へ 党首に問う』》

 「物価高騰の中で賃上げの実現は?」

 キャスター伊藤「今回の選挙では物価高騰が続く中、賃上げを実現できるかも焦点の一つになっております」

 キャスター星麻琴「日本の賃金の伸び率は低い水準で続いてきました。1人あたりの実質賃金の伸び率を見てみると、1991年を100とした場合、2019年は105とこの30年、ほかの欧米の先進国と比べて伸び悩んでいます。

 今年の春闘には大手企業が回答した月額賃金の引き上げが平均で7430円、全体の賃上げ率は2,27%と2年ぶりに2%台に回復しました。ただ資金繰りが厳しい中小企業では賃上げに踏み切れないところも少なくはなく、業種によるばらつきも指摘されています。

 泉さん、賃上げ実現の具体策はどう考えますか?」

 (テロップ
  大手企業81社の回答
  月額賃金引上げ額 平均7430円
  賃上げ率      2.27%
  → 2年ぶりに2%台回復)  

 泉健太「先ず今回の参院選挙争点は、最大争点は物価高であります。特にこの円安が進み、さらに物価高が速いスピードになっているし、長期化が予想されるわけですね。我々立憲民主党はいま小麦の価格の引き下げと消費税の引き下げ、また年金の追加給付、これは絶対やるべきだと言うことを我々は訴えております。

 その上でですね、この物価に負けない賃金にしていくということで立憲民主党は二つ訴えていますけども、一つは非正規雇用の方は正規雇用化するということですね。4千万人おられるけど、みながみな希望する非正規ではないわけでありますので、希望する方を正規雇用に変えていけるようにしていくこと。そして最低賃金ですね、1500円を目指して政府のこれまでやってきた最賃以上にですね、引上げをやはりスピードを上げて行くと。そういう中で中小企業の支援を伴ったこの最賃の引上げをすることによってよりよく消費のカネが回っていくと思います。

 例えばこの消費税の引下げを含めた、このみなさんの可処分所得を増やす方向と賃上げのセットでやっていくべきだと思っています」

 キャスター伊藤「岸田さんはこの賃上げの具体策、これはどう考えていますか」

 岸田文雄「賃上げについては昨年度から持続的な経済を実現するためにも重要であるということで取り組みを続けてきました。先ず政府が呼び水となる政策を用意しなければならないということで賃上げ税制、そして看護、介護、保育といった公的に決まる賃金の引上げ、さらに公的調達や補助金に於ける賃金の引上げに積極的な企業などへの優遇など、呼び水となる政策を用意し、それを民間に広げていく。こうした取り組みを進めてきました。

 先程、今年の春闘についても紹介がありましたが、コロナの影響を受けなかった企業は3%以上、平均でも2%以上、賃上げの水準を示す。20年振り返っても2番目に高い水準、夏のボーナスも平均で2.6万円、引上げの目処が立った。こうした流れができてきました。そして最低賃金、1000円以上目指すなど、政府としまして持続的な賃上げの流れを維持していきたいと思います」

 (「賃上げ税制」:(賃上げ促進税制)〈資本金1億円超の企業や中小企業が従業員への給与支払額を前年度より一定以上増加させた場合、その増加額の一部を法人税から(個人事業主は所得税から)税額控除を受けることができる制度〉)

 「公的調達」:〈政府が物やサービスを民間から購入すること、行政サービスの全部と公共サービスの多くの部分が公共調達の対象。〉)


 キャスター伊藤「松井さんは賃上げへの具体策、、どう考えていますか」

 松井一郎「賃上げが上がっている先進国は様々な規制改革、緩和をしながら、新しい産業をつくっていきます。そこで雇用が生まれることで賃金が上昇をしていきます。日本はこの3年間は賃金が上がらないのはやはり規制の中で新しい分野のビジネスのチャンスがないわけです。だから、その規制改革で新しい分野のビジネスチャンスをつくっていく。雇用を増やすことで、賃金を挙げていく。これはイギリスもアメリカもそういう形でやってきたわけですから、そういう形で今大阪では今、色々と規制緩和して頂いて、スーパーシテイ構想というものを政府に決めていただきました。

 新しい分野のビジネスチャンスを生み出すチャンスを頂きました。そういう形でしっかりと実現をしていくと。それで賃金を上げていきたいと思います」

 (「スーパーシテイ構想」:〈(内閣府)「スーパーシティ構想の概要」住⺠が参画し、住⺠目線で、2030年頃に実現される未来社会を先行実現することを目指す。

【ポイント】①生活全般にまたがる複数分野の先端的サービスの提供(AIやビッグデータなど先端技術を活用し、行政手続、移動、医療、教育など幅広い分野で利便性を向上。)②複数分野間でのデータ連携(複数分野の先端的サービス実現のため、「データ連携基盤」を通じて、様々なデータを連携・共有。)③大胆な規制改革(先端的サービスを実現するための規制改革を同時・一体的・包括的に推進。)〉


 キャスター伊藤「山本さんは賃金引き上げの具体策、どうでしょうか」

 山本太郎「みなさん、物価が上がっているだけで苦しんでいるわけじゃないんですよ。先進国で唯一25年間不況が続く国が日本なんですね。そこへコロナがやってきて、戦争も加わって、物価上昇なんです。いわゆる三重苦なんです。その物価上昇が与える影響っていうのは新たな消費税が3%増税するくらいのインパクトでやってくると。

 これ、節電ポイント2000円でどうにかなるもんではないんですよ。国民を舐めないで頂きたい。消費税の減税ぐらいしないと、これ不況深まって中小零細、倒れますよ。生活者さらに圧迫されますよ。消費税廃止以外ありません。消費税廃止になれば、毎日が10%オフです。1人当り平均年収が上がります。これは参議院の試算です。定量収入者の消費税廃止後の5年後には1人当りの平均年収は30万円上がる。10年後には58万円上がる。

 それはそうです。消費に対する罰金をやめれば、当然、消費も、そして投資も、そして様々なものが喚起されていくと。ただただ物価を下げる。25年の不況から脱出する。これで賃金に導く。これ消費税廃止、やって頂きたいと思います。というよりも、私達にやらせて頂きたい」

 キャスター伊藤「岸田総理に伺います。消費税率の引下げが必要ではないかという、これに対してどう思いますか」

 岸田文雄「これはもう、政策の選択の問題だと思ってます。政府としては消費税の引下げは考えていないということです。社会保障の重要な財源であるという点、また消費税の引下げ、これに機能的に対応するためにはなかなか難しいのではないのかと。
 
 この物価との関係で仰る方もおられますが、これ、じゃあシステムの変更を考えましたときにいつから消費税を下げるのでしょうか。これは多くの党は来年4月から引き下げると言っておられる党も多いと思っています。やはり物価対策、物価の高騰を考えますと、来年の4月まで何もしないというわけにはいかない。それよりもエネルギーや食料品など、効果的な対策をしっかりと用意していきたい。これが政府の考え方です」

 キャスター伊藤「公明党の山口さん、伺います。賃上げの具体策はどうでしょうか」

 山口那津男「物価高に対しては現金給付や物価抑制策、これは地方自治体の活動も含めてやるべきだと思います。また持続的な賃金上昇の流れを産み出していくことが重要です。総理が色々と仰ったことに加えて、自発的に賃金の高いところにキャリアアップしていこうと、そういう学び直しなど支援していくことが大事だと思います。

 これと学者やエコノミストなど、政労使の合意の前提のもとにですね、中立的な第三者委員会をつくって、あるべき賃金の水準、目安、これを客観的データーに基づいて示していく。これがリード役として賃金上昇の流れをつくり出す。これが大事なことだと思います」

 キャスター伊藤「NHK党の立花さん、立花さんは賃金引き上げの具体策をどう思いますか」

 立花孝志「もともと賃金を引き上げる必要はないと思っています。政府全員が賃金を引き上げるなんて言うことは必要なくて、政府の世界でやならなくてはいけないのはセーフティネット、分かりやすく言うと、生活保障の、この最低のセーフティネットのラインを水準を上げることです。今、15万円ぐらいですけども、できれば25万円ぐらい、年収にして300万円。少なくとも20万円ぐらい、年収240万円ぐらいのセーフティネットがあれば、国民は安心して仕事ができるし、もし失業しても、生きていける。

 この、まあ、政府は最初のこのセーフティネットが非常に、そこに行っても大丈夫だという安心感を提供することによって自分がやりたい仕事を、好きな仕事を頑張ってやることができる。もっともっとサラリーマンを増やすんじゃなくて、独立して事業をしていく人を増やしていく。これが非常に重要で、もう年功序列や終身雇用を廃止して、労働力の流動化を図っていく時代に来ていると考えております」

 ――(中略)――

 「少子化問題」

 キャスター星麻琴「出生数は2021年81万人余りと(テロップ、81万1604人)前の年に比べて2万9千人以上減少(テロップ、過去最小)、統計を取り始めて以降、最も少なくなりました。また一人の女性が産む子どもの数の指標となる出生率も1.30と6年連続で前の年を下回りました。こうした中で政府は来年4月に子ども政策の司令塔となる子ども家庭庁を設置し、政策の充実を図るとしています。

 岸田総理大臣は子ども政策に関する予算について将来的には倍増を目指すとしています。ただ大きな課題となってくるのが国の予算で最も大きな割合を占める社会保障との関係であります。高齢化が進む中、医療や年金、そして介護などに支払われる社会保障の給付費が増え続けています。昨年度は12兆円(テロップ12兆1000億円)を超え、2030年におよそ2.7倍となっています」

 キャスター伊藤「各党、このたび選挙戦、各党共子ども・子育て、あるいは教育の政策の充実を掲げています。公明党山口さんに伺いたいと思いますが、これ、予算編成、社会保障との関係も含めて、では、どう実現していくのか、その道筋はどうでしょうか」
 
 山口那津男「ここは財源をどうやっていくか、その歳入改革や効率化を進める。歳入を見直して、財源を生み出す。いずれも必要だとこのように思います。特にこの、今、机上の政策の効果や優先順位、これをしっかりと見直して財源を生み出すということも重要だと思っています。それから経済成長による税収増、これを進めていくということも重要だと思います。

 そうした中で子育て応援トータル支援を公明党は年末までにはっきりとさせたいと思っています。様々な具体策についてこれを優先順位を決めながら、一つ一つ財源を確保しながら進めていきたいとこのように思います」

 キャスター伊藤「立憲民主党泉さん、泉さんも子どもへの予算を充実させるということを仰ってるわけですが、社会保障との関係を含めて、どう実現の道筋を描いているのか伺います」

 泉健太「先ず社会保障ということで言うと岸総理に伺いたいのは茂木幹事長が言ったですね、消費税を下げた場合に年金をさらにカットするというのは自民党の政策なのかどうか、はっきりとさせて頂きたい。そして先程子ども家庭庁の話があったんですね。子育て政策を充実させると言っていながら、今年の10月から所得制限を付けて、61万人の子どもの児童手当がをなくすわけですね。これムチャクチャに逆行していると思うですよね。この所得制限、撤廃すべきだと思います。

 そこからさらに言うと、法人税が今年の最高の税収だったと。去年ですね、と言うことですけども、これは恐らく本来の法人税の税率、今より高いものであれば、もっと膨らんでいた。ですから、社会保障は全て消費税というふうに言ってきていますけども、他の税収からも社会保障に当てていいと思います。そういった意味ではもっと増やす余地があると思いますので、是非、本当の意味で子ども中心の政策に変えていくべきだと思います」

 キャスター伊藤「自民党岸田さん、今指摘の社会保障減らしていいのかどうかということについて、この点どうなんでしょうか」
  
 岸田文雄「茂木幹事長の発言は消費税は社会保障の安定財源として位置づけられている。そして消費税を例えば5%引下げた場合、約13兆円の財源が減るわけですが、これは社会保障費、年金を含む社会保障費45兆円の約3割に当たり、あるいは年金財源は保険料と公費ありますが、これを併せると、54兆円ですから、その13兆円、3割弱に当たる。こうした実情を説明した、そういった発言であったと理解しています」

 キャスター伊藤「泉さん、どうですか」

 泉健太「まあ、恐らく考え方がそういう結びつき方になるんだなあと。防衛費の方が増えるときにですね、何も結び付けないけれども、消費税を下げるということについては年金と結びつけて防ごうとする。ただ、実はですね、ただ消費税は下げると、経済がそんだけ回るわけですね。あるエコノミストの調査では1兆円消費税を下げると、5600億円のGDPの底上げ効果がある、消費が進みますからね。ある意味、こういったことが税収というのはさらに上がっていくというところが言えると思います」

 キャスター伊藤「松井さんはですね、社会保障との関係も含めてですね、こうした子ども・教育費の予算、どうして増やしていくのか、道筋はどうでしょうか」

  松井一郎「社会保障制度については我々は今回の選挙で昭和の時代の構造改革、令和の新たな形に創り変える気持ちで社会保障の今の制度、それは人口が増えていく、そして平均寿命が今程長くない時代に創られた制度ですから、若い世代で高齢者の年金を支えていく、無理があるんです、これは。ですから、抜本的にこれを見直していく。我々は前回の衆議院の選挙のとき言いましたけども、高齢者の方々でも所得が現役世代並みにある方が、これは逆に支える側を一緒に担って貰わなければ、若い人に全てツケを回したんではこれはもう成り立ちません。社会保障制度というのは抜本的に見直していくべきだと、こう思っています。

 教育無償化は少子化対策に直結する課題であります。これは先ずは我々大阪ではわたくし私立高校、幼児教育というものをやってきましたけども、まずは教育予算をしっかりと増やして、日本を子育てしやすい環境につくっていくというのが一番重要です」

 キャスター伊藤「NHK党立花さん。子ども・子育て、教育予算、これをどう実現させるのか、具体策をお願いします」

 立花孝志「先ず、子どもを増やせばいいというものじゃなくてですね、子どもの質の問題です。ここはいわゆる賢い親の子どもをしっかりと産んでいく。サラブレッドでもそうです。早い馬の子どもは早い。プロ野球選手の子どもも、普通、プロ野球はうまいです。我々NHK党としては先ず子どもを産んだ女性に、これ第1子だけです、1千万円を支給する。そしていわゆる社会でバリバリ働いて納税されている一旦仕事を休んで頂いて、そして出産・育児に専念して頂く。社会保障というのは結局は質の悪い子を増やしてはだめです。将来納税してくれる優秀な子どもをたくさん増やしていくことが国力の低下を防ぐ。最終的には弱者を守れるというふうに考えております。

 また社会保障の問題で一番大事な我々NHK党の公約はやはり年金生活者の受信料は無料にする。こういったところからは始めていきたいと考えております」

 キャスター星麻琴「れいわ山本さんは子ども政策と社会保障のバランス、財源も含めてどう考えますか」

 山本太郎「少子化が問題だと言われますけども、これ警鐘が鳴らされたのはいつだと思いますか。1970年代なんですよ。これ大阪万博の頃からずうっと。総理は今になって国難だ言い出している。ってことは、自民党に政権能力がこれまでなかったってことの現れなんです。少子化を、今になって少子化(解消)を実現するというのはやらなければならないことは数々あります。

 例えば出産費用、国が全面面倒を見るのは当然です。児童手当も所得制限なく、これは毎月3万円上げていく。18歳まで。これを払っていく。大学院卒業まで教育費を無料にする。そして国がやっているサラ金、奨学金、550万人が苦しめられています。これを奨学金徳政令でチャラにする。既にアメリカでは一分チャラになっていますよね。

 で、財源なんですけど、日本には通貨発行権があります。アメリカではコロナ禍では800兆円もの通貨発行をすることに決めた。日本に於いては1年間の予算に加えて、もう100兆円の通貨発行を数年続けるだけで安定的にやっていけるというのは間違いございまん。破綻するんだったら、2020年に120兆円近く通貨発行やっているときに破綻しているはずです。何も起こっていません。投資をしなければ、リターンさえない。今やらなければ、いつやるのですか」

 キャスター伊藤「国民民主党玉木さんに伺います。玉木さんはですね、子ども政策と社会保障のバランス、そして財源が増えてということになるのですが、どこかに皺寄せがいかないのか、これどうなんでしょうか」

 玉木雄一郎「ハイ、実は結婚したカップルから生まれる子どもの数はあまり変わっていないんですね。むしろ結婚できない、しない、こういう若い人が増えている。その大きな理由の一つはさっき出た給料が上がらないからなんです。やっぱ経済をよくしていく。そのために積極財政に転換するということは私は大事で、ケチケチせずに出すところは出すべきで、どこに出すかと言うと、まさに子どもたちのところに出していくべきです。教育や人づくりや科学技術にですね。

 で、これから2042年までに高齢者人口増え続けますから、他を削って財源出していくのはもう無理。ですから、この議論30年やってきたから、だから、私達は教育国債って言うですね、新しい人的資本形成が行われるような国債を財政を改正してやるべきだということを提案しています。

 今、公共事業のところは建設国債を発行しておりますけども、むしろ人的資本、人を育むところには国債発行して出していく。社会保障には税財源、保険料をきちんと当てる。こういう分類が大事だと思います」

 キャスター伊藤「岸田さんに伺います。一つはですね、社会保障を考えるときにバランスですね、お年寄りから子育て世代にシフトしていくってことになると、どこかで負担をお年寄りに求めるようなことになるのかどうか、この辺りはどうでしょうか」
  
 岸田文雄「社会保障の持続可能性を考えた場合に政府としては全世代型の社会保障という名前を使っておりますが、従来の負担するのが現役で、それを受けるのは高齢者というような社会保障ではなくして、能力ある人には支え手側に回って貰う。こうした制度を創っていくべきであるということで、様々な取り組みを進めています。年齢に関わらず能力ある方々にはできるだけ社会保障の支え手に回って貰う。こういった全世代型の社会保障を創ることによって持続可能な社会保障制度を維持していく、創っていく。こうした取組みを是非進めていきたいと思っています」

 キャスター伊藤「日本維新の会の松井さんに伺います。松井さん、ベーシックインカムという考え方に言及されているわけですが、この財源も含めて、実行可能なんですか」

 松井一郎「これ最低生活保障の話ですから、今、岸田総理が言われたようにベーシックインカムで最低保障するけれども、その後事業に成功した方々、その方々はのちに税金として収めて頂きます。我々は試算するところでいくと、30兆円程度でこのベーシックインカム制度というのはやれるのではないかと。これは本気でやるんであるなら、厚労省、財務省の役人フル回転させて先ず社会保障制度全体を変えることですから、これ十分可能な話だと思っています。ですから、今年令を問わず、十分、人生に於いて成功されて所得のある方、この方々はやっぱり支えて貰う側に回って頂きたいいうことです。

 まあ、あの、大体、我々年金頂いておりませんけど、岸田総理ももうすぐ頂くようになる。岸田総理に年金必要じゃないんじゃないですかね。そういう形でしっかり支えて頂く側に回って頂くということが僕は重要だと思います」

 キャスター伊藤「立憲民主党泉さん。泉さんは社会保障のバランス・維持ですね、それは如何ですか」
  
 泉健太「今程総理がですね、能力ある人には負担をして頂くような話をされた。その考え方であるならば、金融所得課税は本当にどこに行ったんだと、話なんですよ。やはり取れるところとよく言われるんですけども、1億円の壁とかですね、やはり年収1億円の方々が税負担が低くなっているということは総裁選でも問題になったのですから、まさに立憲民主党が言ってますけども、所得税の累進性ですとか、あるいは金融所得課税、実は与党の側はあまり増税についてどこも触れられていないと私は思うのですけども、ここははっきりとちゃんと進めていくべきだと思います」

 キャスター伊藤「金融所得課税、増税の部分ですけども、これはどう考えていますか」

 岸田文雄「これは先程社会保障の議論がありました。そして金融所得課税については格差の問題、この問題で私は取り上げてきました。そして格差の問題については人への投資を充実させなければいけないということで優先順位を付けて政策を進めてきました。取るというよりは先ずしっかりと配るところから初めなければいけない。賃上げ税制等から始めた、それが政策の順番でありました。金融所得課税についても引き続き与党でも議論を続けております。是非、全体の賃上げの状況、格差の状況、人への投資への状況を見ながら、政策の優先順位を考えていきたいと思っています」

 キャスター伊藤「社民党の福島さん、福島さんはこの社会保障のバランス・財源、どう考えますか」
  
 福島瑞穂「もうさっき申し上げたように公平な税制の実現で富裕層には法人税上げる。あるいは内部留保の課税もあります。少子化、少子化と言うけれども、少子化は政治がつくってきたと思います。新自由主義、大企業が潤えば、全てうまくいく、未だにカネだけ、自分だけをやってきて、雇用を殺して、そして教育も、自己責任でやってきて、なかなか保育が充実しない中で子供を持って、育てようと人が思えないわけですよ。

 ですから、この新自由主義を転換しない限り、持続可能な社会はできないし、ジェンダー平等の社会は起きません。ですから、雇用で非正規雇用を使い捨てしないということ。2つ目は教育予算ですよね。なぜ社会保障とそれから教育予算を対立させられるのか。防衛予算11兆円というじゃないですか。大学の授業料を入学金無料ですと3兆円です。子どもの給食の無償化、4100億円です。それ、やればいいじゃないですか。

 またケア労働、保育士さんや看護師さんや、そういう人達のケアを柱に据えた政策、男性の長時間労働も規制すべきだと思います」

 キャスター伊藤「共産党の志位さん。志位さんは社会保障と財源、どうでしょうか」

 志位和夫「日本共産党は消費税減税、社会保障、子育て、あらゆる公約を19兆円の財源とセットで提案しています。その柱に据えているのが富裕層と大企業に対する応分の負担を求める税制改革です。岸田さんは先送りの態度をまた言いましたけども、所得を1億円超えると税負担が減ってしまう1億円の壁、これを是正するための金融所得課税、今すぐ見直しに取り組むべきです。

 それから大企業が中小企業に比べて法人税の実質の負担率が低いと。この不公平を正すために研究開発減税なども大企業優遇の税制をなくすと。あるいは安倍政治は23%まで下げてしまった法人税を28に戻すと。バイデン政権も28、言ってますから、日米協調に戻すと。こういう税制改革をやると。

 最後に一つ言いたいのは自民党は軍事費をGDP比2%と言いながら、その財源をどうするのか、一切明らかにしていない。隠したままです。これ一番無責任だと。私はですね、政策と財源はセットで公約する。民主政治の基本だと言いたいと思います」

 キャスター伊藤「公明党山口さんに伺います。山口さん、この金融所得課税であるとか、(?)課税であるとか、あるいは富裕層からの課税ですね、これについては公明党はどういう立場なんでしょう」

  山口那津男「これは中長期的な観点で検討をしていくことは必要だと思っています。ただ市場に対する影響とかということがありますから、ここは十分慎重にやっていく必要があると思います。また民間企業なども含めてこの社会参加者全体で負担の分かち合いを強力に求め、例えば育児休業給付企業負担に依存しているところもあります。様々な歳入歳出、そして民間、これ公平な分かち合い、ここをもっと深めていくことが必要であります」
  
 キャスター伊藤「自民党岸田さんに伺います。一方では財政健全化、これをどう実現させていくのか、この道筋・目標はどうでしょうか」

 岸田文雄「財政健全化の旗は降ろすことはしません。そして経済あっての財政だということで、経済成長、経済再生、これに先ず専念しなければいけないと思います。そして併せて先程来議論がありましたけど、様々な政策課題にしっかり取り組んでいかなければならない。しかしこうした目の前の課題に対応することと中長期的な財政再建の歩み、これは決して矛盾するものではないと思います。こうした財政再建の中長期的な目標もしっかりと掲げながら、目標は国際社会、あるいは市場からの日本の国の信頼、これをしっかり維持することができるかどうかはこれであると思っています。

 そういった観点から目の前の課題の取り組みと中長期的な財政再建の旗、これはしっかり両立させていきたいと思っています」

 キャスター伊藤「立憲民主党、泉さんに伺います。さまざまな財政論ありますけども、一方でかつてのように税と社会保障の一体改革のように与野党の枠を超えて議論の枠組み、この必要性についてはどうですか」
  
 泉健太「これは絶対必要だと思います。なかなか一つの政党だけでは国の税制を変えることはできないと思っています。我々は今消費税の引下げを訴えていますから、これは与党にも協力してもらいたいと思っています。この平成のときに30年間でやはり消費税はどんどん増えて、一方では法人税や所得税の税率が下がってきているというところで直間比率が随分逆転していると。

 もう1回見直しする必要があると私は思いますし、先程話しをしましたけども、消費税を引き下げるというのは経済が回っていくことも繋がります。そして全体の税収も上がっていくことにもなっていくことになると思いますし、先程社会保障という文脈で言うと、総理は負担ができる方はと言っていたので、社会保険料のですね、この累進性というのも上げていくことができるんじゃないかと思います。

 そういった形で責任のある、この税収を確保する。あるいは社会保険料の収入を確保していくということはできると思います」

 (「直間比率」:〈税収における直接税と間接税との比率。直接税とは納税者と担税者とが一致する租税(例:所得税)であり、間接税とは納税者と担税者とが一致しない租税(例:消費税〉。)

 キャスター伊藤「岸田さん、各党様々な意見があります。一方で国債のあり方についての議論があるところです。かつての3党合意のようにですね、与野党の枠組みを超えた議論の進め方、これは検討の余地はないんでしょうか」

 岸田文雄「形はともかくとしてこうした財政を始めとする国の根幹、将来にかかることについて党派を超えて意見交換を行う、議論を行う、これは大事なことだと思います。他の論戦の中でも私は様々な指摘を野党の皆さんから頂いて、できるだけそうした意見を取り入れながら、政策を進めていかなければいけない。マスコミの皆さんから優柔不断だとなどということも言われましたが、できるだけ様々な意見について割と私としても謙虚に受け止めながら、政策を考えていく。こうした姿勢は大事にしてきたつもりです。

 これからも形はともかくとしてこうした中長期的な国の根幹に関わる課題については野党の皆さんの意見もしっかりと聞かせて頂きたいと思っています」

 気候変動やエネルギーの問題に移る。

 キャスター星麻琴の母親は元TBSのアナウンサーで、現在はフリーの三雲孝江だとか。TBSを入社試験で落ち、NHK合格という経歴の持ち主だという。星麻琴は「日本の賃金の伸び率は低い水準で続いてきた。1人あたりの実質賃金の伸び率を見てみると、1991年を100とした場合、2019年は105とこの30年、ほかの欧米の先進国と比べて伸び悩んでいる」と紹介。この事実は安倍晋三アベノミクスの偉大な成果の一つと見ることができる。実質賃金指数ではないが、似た傾向の「平均賃金」の画像()を2021年8月30日付「AERA.dot」記事「日本人は韓国人より給料が38万円も安い!低賃金から抜け出せない残念な理由」から載せておいた。「DIAMOND ONLINE」からの引用記事となっている。要するに安倍晋三は「賃上げ、賃上げ」と言い続けたが、口程ではなかった。空念仏に過ぎなかった。

 当該記事に次のような記述がある。〈21世紀に入って日本の賃金はほとんど上昇しなかった。その結果、平均賃金の水準では、G7でイタリアと最下位を争い、2015年には韓国に抜かれ、差が開く一方だ。なぜ賃金が上がらない、安い賃金の国になってしまったのか。その理由を分析する。(ダイヤモンド編集部編集委員 竹田孝洋)
   ・・・・・・
 「昇給なし」は日本とイタリアだけ

 上図の通り、日本の平均賃金は韓国に比べて、3445ドル(約37万9000円)低い。月収ベースで見れば3万1600円ほど低いという計算になる。〉と書いている。

 アベノミクスと銘して経済再生を謳い始めたのは2013年6月14日策定の「日本再興戦略」からで、2020年9月16日辞任まで「経済再生、好循環、好循環」とピーチクパーチクと囀っただけで終わり、国民にこれといった生活上の恩恵をもたらしたわけはないが、それでも第2次安倍政権7年8カ月と長期政権を築くことができたのは国民の多くが「経済再生、好循環、好循環」の見せかけの説得力に化かされたということなのだろう。その結果、2022年7月3日のこの「日曜討論」でも、「賃上げを実現」について議論のテーマにせざるを得なかった。アベノミクスは機能しないまま実質賃金の伸び悩みに足並みを揃えただけで、「30年」に呑み込まれるだけの役しか立たなかった。逆説すると、足並みを揃え、呑み込まれる程度の機能は果たした。

 立憲民主党の泉健太は消費者の可処分所得を増やす方法の一つとして消費税率の引き下げを提案した。対して岸田文雄はれいわ新選組の山本太郎の同様の質問に対してだが、「いつから消費税を下げるのでしょうか。これは多くの党は来年4月から引き下げると言っておられる党も多いと思っています。やはり物価対策、物価の高騰を考えますと、来年の4月まで何もしないというわけにはいかない」と答えている。そして社会保障の財源が減る観点でのみ税率引下げを捉えている。だが、消費税率の引き下げが計画されるだけで消費者マインドに好影響を与えて、引き下げが実施される前から消費を刺激する可能性は否定できない点は無視している。

 但し岸田文雄は「来年の4月まで何もしないというわけにはいかない」と発言している以上、消費税率引き下げ以外の賃金対策を打ち、来年の4月までの以前に賃金が上がる状況をつくり出すと約束したことになる。勿論、現在の物価高に負けない賃上げでなければならない。このことの言質を取っておかなければならないのだが、誰も取らなかった。「来年4月までに賃金をこれはと思う程に上げることができなかった場合は消費税を引き下げるんですね」と迫るべきだった。

 今回の参院選挙中にいずれかの野党は次のような訴えを行ったのだろうか。

「安倍元首相は在職中、選挙で消費税増税の延期を訴えた。我々は延期じゃないんです。安倍首相が増税した現在の税率を下げて、可処分所得を増やし、皆さんの生活がしやすいようにしようと政府に訴えているんです。政府は引下げに反対しています。野党がそれなりの議席を獲得しなければ、我々の主張を政府に飲ませることはできません」

 安倍晋三は2021年10月1日からの消費税8%から10%への引上げを2度延期、合計4年延期して、2回の国政選挙に勝った。だが、野党は消費税率10%から5%への時限的引下げや消費税そのものの廃止を訴えたものの今回の参院選では自民党に破れた。前者の場合はアベノミクス経済政策にこれといった成果はなく(最後まで成果はなかったのだが)、一般生活者は円安物価高を受けて実質賃金が上がらない苦しい生活を送ることになり、後者の場合は同じく賃金が上がらない上にさらなる円安による物価高とロシアウクライナ侵略による物価高という二重の物価高を受けてなお苦しい生活状況にありながら、消費税率引下げの訴えが何の効果もなく、選挙の結果が両極端に分かれた原因を検証しなければならない。

 結局のところ主だった野党が、来年4月からのことだが、消費税率を下げて(れいわ新選組は廃止)可処分所得を増やし、賃上げと同じ効果を代替させる即効性あると見ている賃上げ対策を主張したのに対して岸田文雄は「賃上げ税制」(賃上げ促進税制)や看護、介護、保育等に対する公的賃金の引上げ、さらに公的調達などなどを「呼び水」にして、いわば段階を踏んで、当然時間を掛けることになるが、一般生活者にまで賃上げをじわじわ広げていくという方法の賃上げを考えていることになる。野党は即効性・確実性の点での比較を求めるべきだったが、岸田文雄の言いっ放しにさせてしまった。

 次に社会保障と教育費についての議論を見てみる。先ず最初に厚労省の「1人当り社会保障給付費の推移」の画像を載せておく。 

 2021年の予算ベースで1人当りの社会保障給付費は129万6000円となっている。これらの財源について公明党の山口那津男は与党の一員らしく、「歳入改革や効率化を進める。歳入を見直して、財源を生み出す」などといつの頃から言われたのか、遠い昔から繰り返し言われているが、これといった成果を上げたことはない手垢のついたことを言っている。どう歳入改革を行うのか、どう効率化を進めるのか、どう歳入を見直すのか、方法論は一切口にしない。これで公党の代表を務めている。

 社会保障については岸田文雄も松井一郎も、所得余裕層に支える側に回って貰うと主張している。これは有効な一つの手かもしれないが、少子化と高齢化の進行と共に社会保障給付費が加速度的に増加しない保証はなく、増加した場合、支える側に回る所得余裕層の負担を増額させたり、支える範囲を下に広げていかなければならないという事態も予測しなければならない。いわば根本治療とはならないということである。

 立憲民主党の泉健太は所得余裕層に支える側に回って貰うという岸田文雄が口にしたシステムに対応させて、「社会保険料の累進性を上げていくことができる」と発言している。「立憲の参院選マニフェスト」にも、〈社会保険料負担の上限額を⾒直し、富裕層に応分の負担を求めます。〉と書いている。但し所得余裕層の社会保険料を補う負担の累進性を継続的に上げていかなければ、社会保障給付費の年々の累進性に追いつかない関係を取ることになりかねないことまで考慮しているのかどうかは発言からは窺うことはできない。

 序に各党の参院選マニフェストを見ると、社会保障の充実・安定、社会保障制度の⾒直し、社会保障の抜本的拡充等を訴えている。但し支出一方では、国の負担も、高額所得層の負担も負いきれなくなりかねない。財務省の「予算はどのような分野に使われているのか」の画像を見ると、社会保障は国家予算の約3分の1を占める。画像は36.3兆円となっているが、2022年度社会保障予算は対前年度当初比1.2%増の36兆2,735億円。年金や医療、介護分野の公費負担を上げるとなったなら、それを補うためにさらなる消費税増税が必要となり、同時進行で国民の負担が増すことになる。治療機会そのものを減らして、最終的に自己負担となる保険料と公費からの支出と医療と介護にかかる自己負担費用を切り詰めるという発想はどの党も取っていない。切り詰める最良の方法は国民が自己管理のもと健康を維持し、医療機関にかかる機会を減らすことを措いてほかにはない。減らすことができれば、国民各自の医療と介護にかかる費用を減らすことができ、結果的に社会保障給付費の「医療費」と介護費を含む「福祉その他」の費用を抑える方向に進むことになる。

 その方法は2010年11月21日の当ブログ記事、「社会保障費圧縮のための全国民対象の健康履歴導入を - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之」に、〈先ず暴飲暴食等の不摂生から発症した病気の治療、不注意から負った怪我の治療等に対しては個人負担を増やすとする法律による取り決めのもと、1歳未満の乳幼児健康診査に始まって、幼稚園・保育園の定期健康診断(実施していないなら、実施する)、小中高大学の定期診断(大学は実施していなけば、実施すべきであろう)、そして会社に於ける定期健康診断、さらに個人的にかかった病院の治療の際も、例え指の治療であっても、血液検査と飲酒量、喫煙量、現在心がけている健康法等の問診を行い、それらを記録して、国民一人ひとりの健康履歴をつくり上げていき、そこから逆に不摂生や不注意による病気かどうか判断して、治療費に差別化を図っていく。

 飲酒量や喫煙量、あるいは何ら健康維持を図っていないといった生活習慣に加えて健康診断や血液検査から不摂生な生活を送っていると判断できる患者に対しては、その患者が大きな病気を起す前に、もし大きな病気を起した場合は自己負担がかなりの額になると医者が注意することも生活習慣病の抑制につながるはずである。〉といったことを書いた。

 約1年後の2011年11月2日には、「年金問題を含めた社会保障給付費圧縮は根本的な原因療法に目を向けるとき - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之」をエントリーし、約1カ月弱後の2011年11月25月には「民主党の「医療扶助」制度見直し検討から、再度“健康履歴”を監視役とする健康管理の自己責任を考える - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之」を書き込んだ。

 誰も興味を示さなかったし、今回も興味を示さないだろう。尤も当方が考えなくても、国は社会保障国家予算の年々の増加をアタリマエのことと放置せずに社会保障サービスの質を損なうことなく十分にサービスできる状態で予算の圧縮を考えてはいる。その代表的なのが「介護予防」となる。「Wikipedia」に、〈2015年の介護保険改正により、高齢者が要介護状態にならないように総合的に支援する「介護予防・日常生活支援総合事業(以下、総合事業)」が創設され、2017年4月からは、全国のすべての市区町村において様々なサービスが開始された。〉と出ている。方法はデイサービスセンター等で心身機能の維持や向上を目的に各種軽度な体操やレクリエーションの機会を提供し、サービス対象は要支援・要介護認定を受けていない全ての65歳以上の高齢者が原則となっている。

 但し厚労省のサイトに、〈介護予防の定義と意義 介護予防とは「要介護状態の発生をできる限り防ぐ(遅らせる)こと、そして要介護状態にあってもその悪化をできる限り防ぐこと、さらには軽減を目指すこと」と定義される〉と出ているように原則を超えて、介護度が低い「要支援1~2」や「要介護1」の場合も介護予防サービスの対象としている。こういったサービスで段階的に最も重度の「要介護5」への進行を遅らせることを目的としているのだろうが、こういった介護予防の努力に反してなのか、努力が届かないのか、各「要介護」グループで増減はあるものの、全体としては要支援を含めた年々の要介護認定者数は緩やかな増加傾向にあって、一定数で頭打ちになっているわけではない。

 この増加傾向が予防効果からの緩やかな進行なのか、効果とは関係しない傾向なのか、ネットを当たってみると、デイサービスセンター等で一定数の人と交流、世間の事柄について話し合いを持ち、何らかの身体活動を行う一種の社会参加によって要介護リスクが抑えられるという効果説が散見できる。但し予防効果があったとしても、2006年度から「要支援」が「要支援1」、「要支援2」と分類されて以降、両グループ共に年と共に漸増傾向を見せていることは要介護リスクが抑えられつつあるものの、介護度(介護の必要性の程度)を全体的には抑えることができていないことを物語っている。いわば介護予防にそれなりの効果を認めるとしても、不足点にも目を向けなければならない。

 不足点の第一は要支援・要介護等の認定を受けていても、受けていなくても、役所がお膳立てした介護予防を目的とした社会参加の提供を受けるという受身の姿勢と65歳以上か、その近辺の年令になってから始めることによる"継続は力なり"に届かない継続性欠如に何らかの原因があるように思える。受身の姿勢にしても継続性の欠如にしても、非自発性によって成り立つ。スポーツを専門的に行わない立場で年齢に関わらず日常生活に於ける家事労働や職務労働への取組みを意味する生活活動に体力づくり等の運動をプラスした身体活動への自発的な取組みが心身の健康に役立ち、健康寿命を伸ばす要点となることは既知の事実となっているし、そこに時間的な継続性を持たせていたなら、より確かな健康寿命となっていくことは明白な事実となる。そして健康寿命の引き伸ばしが要介護を遅らせる当然の答となることは誰もが承知していることであろう。当然、自発的に取組むか、家族や医師や介護士の要請を受けて取組むか、自発的に取り組みもしない、要請を受けても取り組まないといった違いと、取り組む年齢の早いか遅いかで異なってくる継続性の長短によって効果の違いが出てくることになるのは当然の結果で、自発性が高く、継続性が長い程、運動効果はその確実性を増すのは当然の法則で、健康寿命を伸ばす重要な契機となる。要するに役所のお膳立てを待っているようでは遅すぎるということである。

 国が65歳以上に対して介護予防への取組み促すだけではなく、国民に若年齢時から身体活動への自発性を持たせた取組みを促す政策を施し、国民の全体的な健康状態を今以上に高めることができれば、病気治療者を減らし、結果として社会保障給付費の削減にも繋がるだけではなく、病欠者を減らす、あるいは体調不良のままの仕事従事者を少なくすることができれば、その分の生産性を高めることができることになる。その方法が生涯健康履歴の作成である。

 今まで書いてきたことに書き足して説明し直してみる。国はホームページ上に国民一人一人の「一人に一つの番号」を付け、健康保険被保険者証、国民健康保険被保険者証保険者番号に紐付けた生涯健康履歴カルテを作成し、管理する。医師側は新規診察と再診、新規健診の際の結果のみを記入できるページにアクセスできて、患者側は本人のみの全ての記録にアクセスできる仕組みにする。全ての国民の出生以来の受診・通院・入院の際の傷病名と治療内容、回復過程、血圧と脈拍(歯科診療であっても、計測を義務付ける)と、健診(乳幼児健診 学校健診  事業主健診 高齢者の医療の確保に関する法律に基づいた特定健診 健康増進法に基づいた自治体主催のがん、肝炎ウイルス等の検診)の際は血圧・脈拍を含めた臓器それぞれの健康状態とさらに各病院・医院で自己申告させた運動習慣の有無、20歳以上の患者・健診対象者に対しては1日の喫煙量・飲酒量等の生活習慣を各病院・医院備え付けのパソコン内のカルテに記入、診察結果と自己申告内容は患者・健診対象者にその都度印刷して渡して、カルテの新規記録部分は生涯健康履歴カルテの各患者個人のページにアクセスすれば、そのままコピーできて、保存できるようにしておく。国は一定期間ごとに各個人の診察記録から見た健康状態と医師に自己申告させた飲酒、喫煙、運動等々の生活習慣から将来的な受診回数の確率性と診療の程度を予測・点数化する。予測点数が高い程、保険料の負担割合を法定よりも高くする。但し不摂生等の本人責任ではない先天性の疾患や自己免疫疾患等は点数化の例外とする。

 例えば過飲・過食、運動不足等が原因した糖尿病やその他の生活習慣病は本人責任として重中軽症度に応じて自己負担割合に段階的な差別化を設ける。自己負担割合を一般並みに戻したければ、過飲や過食を控え、運動をして、不健康な身体を健康な身体へと転換させれば済む。またこうすることによって収入に応じて払い続けている保険料を身体の健康に心がけて診察の機会が少ないことから、いわばドブに捨てる形となっている国民の不公平感を少しでも和らげる作用を与えることにもなる。

 このように生涯健康履歴に基づいて診察料を信賞必罰方式で差別化に持っていけば、身体的な健康への留意を高める役割を果たすことになり、このことは精神的な健康への留意を伴うはずであるし、双方の留意が国民の健康を高め、結果として要介護状態に至るまでの到達時間を全般的に遅らせることになるだろうし、社会保障給付費の中の医療給付費の抑制、医療その他のうちの介護費用給付費の抑制となって現れるだけではなく、医療や介護にかかる自己負担額を節約できることになる。さらに社会保障給付費の抑制はそれなりに政府財源に余裕をもたらす要因となり、国民の健康寿命の延長となって現れた場合、病欠で抜ける人間を確実に少なくすることになって、社会活動維持の確実性の向上に貢献することになるだろうし、この貢献は経済の活性化という形を取って、GDPの底上げに多少なりとも役立っていくことになる。

  国は治療内容に応じた治療機会の回数と治療の程度別に目安となる自己負担率を前以って公開して、健康の自己管理のススメとしなければならない。

 次に野党が掲げた「教育の無償化」を見てみる。現在の政府の教育無償化は次の通りとなっている。2020年4月から開始の大学授業料+入学金全面無償化は住民税非課税世帯のみが対象で、住民税非課税に準ずる世帯の学生は3分の1とか、3分の2の減免を受けることができ、一定の資産保有者は除外されている。また住民税非課税世帯及びそれに準ずる世帯であっても、高校の全履修科目評定平均値5段階評価の3.5以上という学力基準を満たすことが条件となっている。例外として学習意欲と明確な進路意識と将来の人生設計等を示しうる場合は3.5未満をクリアできるとしているが、口先だけで示しうる生徒もいるだろうし、人生設計を描くことのできる年齢はそれぞれに違いがあるし、有名大学を出てもパットしない人間もいるし、有名大学出でいなくても、パットする人間はいるし、受け入れ側の大学の判断が常に正しいとは限らないということも考えると、見えないところで不公平が生じることになりかねない。

 また優秀な成績で大学に入ったとしても、大学では何も学ぶことがないなと気づいて大学を退学する者はこのことに気づくについては大学に入る必要性があったことになるし、大学で学んだことについては大した利用価値を見い出すことはできなかったが、親しい友人ができて、他愛もないお喋りをしているうちに誰もがしていないことで起業を思い立ち、成功する場合もあることについては友人同士の出会いの場として大学は必要だったことになる。要するに試してみなければ人生の答を見つけることができない事例はいくらでもあるのだから、大学を大学自体の入学試験成績を唯一のハードルとして試行錯誤の場として提供する必要性もあることは無視できないはずだ。だが、試行錯誤の場としての提供を受けることができたり、できなかったりが授業料を払えるか払えないかで決まるというのはカネ優先の世の中にしてしまう。

 では、野党の教育費の無償化を見てみる。立憲民主党の泉健太は「日曜討論」では教育費の無償化については触れていないが、「立憲⺠主党政策集2022」では「⼤学など⾼等教育まで公教育全体を通じた無償化を進めます」としているが、少子化対策との関連付けは行っていない。国民民主党の玉木雄一郎は教育国債を発行、新しい人的資本形成を行うとしているのみだが、参院選マニフェストで学校給食や教材費、修学旅行までを含めた高校までの教育費完全無債化と大学や大学院等の高等教育の授業料減免等を掲げている。維新の会の松井一郎のみが「教育無償化は少子化対策に直結する課題」だとして、無償化と少子化対策を関連付け、参院選マニフェストでは大学院までの教育の無償化を掲げている。れいわ新選組の山本太郎は番組で大学院卒までの教育の無償化と奨学金チャラを言い、マニフェストにもその通りを掲げている。

 但しどの党も教育の無償化を掲げても、教育の質については触れていない。確かに教育無償化は少子化対策と関連付けるべき政策で、このことは若い母親が「一人目はいいが、二人目は大学までのお金を考えると、ためらってしまう」と言っていた何かのニュースで見た事例が物語ることになる。大学院卒業まで教育費を完全無償化すれば、学費に関しての心配はなくなる。但し地方出身で都会の大学に進学した場合、下宿代、その他の生活費は親か自身が賄わなければならない。アルバイトばかりしていて、学業が疎かになったら、意味がなくなる。そこで奨学金の無償化も必要になる。奨学金の使用方法に厳格な制限はないということだが、その無償化によってアルバイトが必要なくなれば、大学を人生の答を見つけるための試行錯誤の場にするにしても、大学側が各学年に求める最低線の成績は納なければならなくなる。求めたとしても、小中高と暗記教育主体で暗記思考が染み付いた人間が大学に入ってすぐさま暗記思考から解放され、思索思考型に突入するはずはないから、暗記思考を引きずった人間に授業料と奨学金無償の代償にそれなりの成績を求め、順次卒業させていっても、現在と同様に暗記思考型の大卒者を大量生産するだけで、今以上の創造的社会の構築・発展にさして役立たない。2021年の日本の時間当たりも1人当りも労働生産性の国際比較はOECD加盟38カ国中、下位グループにウロチョロしている原因にしても暗記教育の成果としてあるからだ。

 20年近くも前の、かつて流行ったメーリングリストに載せた文章だが、〈その原因(生産性の低さ)を正すとしたなら、やはり暗記教育を挙げなければならない。暗記教育とは、決められていることを決められたなりになぞり、なぞった知識を正確に暗記して、それを知識を問う必要事項にそっくりそのまま当てはめていく(なぞっていく)作業を言う。

 いわば知識の等量・等質の移動でしかない。ゆえに暗記教育における応用と発展は、公式の機械的な組み合わせ程度にとどまらざるを得ない。

 暗記のなぞりを基本とした活動の機械性から離れて、自分で状況判断して発展・応用の取捨選択を行う知識の主体的活動性に徹底的に馴染むことをしなければ、労働生産性でアメリカに肩を並べることは難しい。そのような活動の体系こそ、少子化時代に最重要に必要とされているものであろう。〉――

 少子化を労働生産性の向上で穴埋めする。そのためには暗記教育からの脱却が必要であるとの考えを示した。だが、教育費無償化によって第2子、第3子を設けるハードルを低くし、出生率を上げて少子化対策とするなら、同時に暗記教育からの脱却を併行させて、生産性向上の原動力に位置づけなければならない。日本は一度暗記教育からの脱却を目指し、「ゆとり教育」と称して考える教育の導入を図ったが、テストの成績が落ちると、一時的にはそれを当たり前の現象とすることができずに慌てふためき、再び暗記教育に戻してしまった。

 日本の選挙での低投票率も暗記教育が関係しているはずである。先ず第1に「お任せ民主主義」。政治は政治家に任せて、自分では政治を考えないことを言う。つまり与えられた政治を受け取るだけというのは暗記知識授受の構造と同じで、政治に対して自分の方から思考を働かせる習慣がないことを示す。第2に「投票しても何も変わらない」。変えることができなくても、変えてみようと試してみる主体性の放棄であり、果たして変えることができないのか、できるのかを考えてみることの放棄でもあり、試すことを考えることもせずに選挙の結果、政治の結果をそのまま受け止めるだけという構造も暗記教育の知識授受の形式と同じである。

 考える教育を実現できたら、塾は限りなく必要としなくなる。塾は如何に効率よく“傾向と対策”を学び、回答例をより多く暗記するか、その技術を学ぶことが存在理由となっているからで、考えることは個々の思考に任され、常にその独自性が問われることになる。独自の思考は大学入学試験の決まりきった質問では一瞬にして照らし出すことができない。長い時間を掛けて自分から築き上げていかなければならない。こういったプロセスを踏まなければならない以上、塾にカネを掛けて、短時間内に即席に答を見つける技術を学ぶことは意味を失い、塾で差をつけるという従来の方法は通用しなくなる。教師は問題を解くためのアプローチの方法を教えるだけで、どう考え、どう理解して答を見い出すかは生徒各自に任される。
 
 結婚するしないも自由だし、子どもを産む産まないも自由だが、産むこと自体は結婚し、子どもを産むという社会的慣習的意味合いを背景にしている場合もあるし、愛している伴侶との分身をつくって、この世に送り出し、自分たちの分身として愛情を注ぐという形もあるが、子どもを産むことは人への投資のスタートラインとする発想の転換も必要であろう。母親と父親がそれぞれの人生を歩んだように出産によって子どもたちがそれなりに生き、成長していく人生を提供し、子どもたちは人生の成果をそれぞれに手にしていく未来を歩む。その一つが各種労働力となって社会形成に貢献するという成果である。教育費無償化と暗記教育からの脱却によって出産という人への投資環境は格段に良好な状況を手にすることができることになり、少子化解消に向かう条件となり得る。少子化解消への進展は社会保障の支え手の拡大に繋がり、同時に高齢化進展のブレーキ役となる。そしてこの面からの社会保障給付費の拡大の抑制策ともなり得る。そして何よりも浮いた社会保障給付費や生産性向上によって得た企業利益からの税収増が教育費完全無償化の財源の一部として充当され、このような一連のプロセスが遅滞なく循環の波に乗れば、アベノミクスも物の見事に飲み込まれてしまった日本の30年間の低成長は息を吹き返す可能性は否定できない。

 暗記教育の弊害を伝える一文がある。「【海外の労働事情】アメリカの産休育休事情は日本とどう違う?」(優クリ-Lab for Creator/2020.04.09)

〈アメリカは先進国の中での産休・育休制度が遅れている国の一つです。多くの移民を受け入れている多民族国家という意味合いも含め、少子化問題には無縁と言うこともあるかもしれません。また、現実的な問題として雇用や経済的な保証がない分、早く復帰せざるを得ないのがリアルな事情でもあるでしょう。

しかし、制度の遅れがある反面、働き方に関しては日本とはまったく違った部分があります。定時にはぴったり帰ることができる上に、サービス残業はもちろんゼロ。子ども同伴の出勤だったり、子どもの急な病気や家族のイベントのための有給はしっかり取ることができるようになっています。

日本のように整った制度があった場合でも、お国柄もあるのか、周りの目を気にして使うことができないということはまったくありません。筆者も公務員として働いていますが、バケーションシーズンには上司が一番しっかり休みをとって、家族との時間を大切にしています。

アメリカの考えとして、長時間働いている(職場にいる)ことが美徳ではなく、時間内にどれだけ能率を上げ生産性を高めて仕事をこなすか、そして、プライベートと仕事のメリハリをしっかりつけられるかということが重視されています。

そのため、定時までに仕事を終えられない場合、仕事の進め方や役割分担などに問題はないか、逆に注意を受けるほどです。このような仕事に対する考え方や家族との時間を何よりも重視していくという考え方が、産後のワーキングママ達の早い職場復帰を支えていると言えるかもしれません。
〉(文飾当方)――

 日本は長時間労働国として名を馳せている。一斉始業・一斉終業の製造現場は時間の決まりをつけることができるが、特に間接部門は日々の仕事量によって終業時間が一定しないことが多く、そのような部署で認可・認可外保育園に子どもを預けながら仕事に従事する若い母親は何時に迎えにいけるかも分からない宙ぶらりんな気持ちで、そのことに気を取られながら仕事をしなければならない。若い母親の場合、残業の少ない職場に配置転換を願う例も多いと言う。だが、アメリカでは定時退社が自然な習慣となっていて、それを可能にしているのが与えられた仕事を時間内に効率よくどう取り扱うか、自分で判断して自分で答えを見つけていく個人それぞれの技量――生産性の高さということになり、この技量、生産性は教えられたことを教えられたとおりになぞる暗記教育で手に入れるそれとは逆の収穫物となる。そして定時で仕事を終えることができなければ、〈仕事の進め方や役割分担などに問題はないか、逆に注意を受ける。〉、いわば暗記型思考ではなかなか手に入れることができない臨機応変さについての不足を指摘されることになる。

 定時退社は子育てと仕事を両立させたいと願っている母親にどれ程の福音となるだろう。出産によって職場復帰を諦めてしまう母親、正規社員からパート社員に転職してしまう母親の何割かに対して思い直すキッカケともなりうる。

 《第1子出産前後の女性の継続就業率」及び出産・育児と女性の就業状況について》 (内閣府男女共同参画局・2018年11月)に次の一文がある。

 〈妊娠前に正規の職員だった者のうち、子どもが1歳時点においても正規の職員であった割合は62.2%。パート・派遣や自営業主等に職を転換した割合は6.9%。正規の職員として就業を継続する割合が高いことが分かる。

 パート・派遣についても、就業を継続する割合は上昇しているが、離職する割合は、74.8%と依然として高い。

 ⇒就業形態の差が大きな影響を与えていることが分かる。〉――

 この記事を裏返すと、妊娠前に正規の職員だった者のうち、子どもが1歳時点において正規を外れた職員の割合は100%-62.2%=37.8%。一方、パート・派遣や自営業主等に職を転換した割合は6.9%。37.8-6.9=30.9%が離職となる。正規を外れた職員の割合も、職場復帰を諦めて離職した割合も決して少なくない。さらに正規継続の62.2%とパート・派遣離職割合74.8%を突き合わせると、企業規模によって育児と仕事の両立支援に桁外れの違いがあることを予想することができる。就業形態での大きな差は表面から見える一部であるように思える。

 以上書いてきたことの要約が記事題名そのものとなる。《少子化対策は小中高大学教育費完全無償化によって出産を人への投資とし、考える教育の導入を生産性向上への投資とし、両投資によってGDP上昇の要因として税収増に持っていき、生涯健康履歴導入によって社会保障医療・介護給付費の抑制要因とし、両要因から予算を圧縮、この分と税収増を教育費無償化財源に回す》

 勿論、これだけでは教育費無償化の財源は賄いきれないだろうが、最終的には社会に対する有用性の観点から無償化に持っていくべきか、いくべきでないかを判断し、前者なら、削ることができる他の予算を削ってでも無償化に持っていくべきだし、生涯健康履歴も同じ有用性から導入するかしないかを判断しなければならない。まあ、政治家や官僚には届かない情報で終わるだろうが。

 最後にこのブログとは関係しないが、「日曜討論」でのNHK党首立花孝志の「子どもを増やせばいいというものじゃなくてですね、子どもの質の問題です。ここはいわゆる賢い親の子どもをしっかりと産んでいく」という発言を取り上げてみる。

 「賢い親は賢い子どもを産む」との表現で、意味するところを裏返すと、「賢くない親は賢くない子どもを産む」と、賢いか賢くないかで命の優劣・選別を行い、優生思想〈身体的、精神的に秀でた能力を有する者の遺伝子を保護し、逆にこれらの能力に劣っている者の遺伝子を排除して、優秀な人類を後世に遺そうという思想。〉(Wiktionary日本語版)に則った社会構築を目指した発言となる。

 いわば賢い親は生殖適性者の範疇に入れ、賢くない親は生殖不適性者へと篩い落とし、前者の親に多産を勧め、後者の親に、行き過ぎると、かつてハンセン病患者に強制したように断種を求めることになる。そして賢い親・賢い子の基準は多額納税者ということになり、カネの多寡で価値を測る拝金主義者の顔を覗かせている。

 この手の発言を2019年9月に動画等で既に行っていることを「Wikipedia」が「立花孝志 」の項目で伝えている。文字数の関係で簡略に伝える。

 「世界平和をするためには人口コントロールだと思っている。馬鹿な国ほど子どもを産む。アホみたいに子どもを産むバカな民族はとりあえず虐殺しよう。ある程度賢い人だけを生かしといて、後は虐殺して。差別やいじめは神様が作った摂理。自然でいいんじゃないか。神様がつくった自然だ。人が人を殺したりすることも神がつくったシステムだから」

 社会が人間営為で成り立っていることを否定。「虐殺」については、「やる気はないけど、そんなつもりはない、そんな事しようとする人には大反対」と否定しているが、このような思想の人間が集団虐殺可能の権力と機会を手にすれば、実行したい衝動が疼き、その衝動に負けて実行する可能性は否定できない。麻生太郎がこの手の発言をしたら、マスコミは大々的に取り上げ、国民多くが非難するが、なぜか立花孝志についてはマスコミはさしたる取り上げ方をしない。いかついガタイに恐れをなして、口をつぐんでいるのだろうか。
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日本人の行動様式権威主義の上が下に強いていて、下が上に当然の使用とする丁寧語が日本人の労働生産性を低くしている(1)

2022-04-30 07:10:46 | 政治
 《労働生産性の国際比較2021》(公益財団法人日本生産性本部)

 [要約]

 1. 日本の時間当たり労働生産性は、49.5ドル。OECD加盟38カ国中23位。

・OECDデータに基づく2020年の日本の時間当たり労働生産性(就業1時間当たり付加価値)は、49.5ドル(5,086円/購買力平価(PPP)換算)。米国(80.5ドル/8,282円)の6割の水準に相当し、OECD加盟38カ国中23位だった(2019年は21位)。経済が落ち込んだものの、労働時間の短縮が労働生産性を押し上げたことから、 前年より実質ベースで1.1%上昇した。

ただし、 順位でみるとデータが取得可能な1970年以降、 最も低い順位になっている。

2. 日本の1人当たり労働生産性は、 78,655 ドル。 OECD加盟38カ国中28位。

2020年の日本の1人当たり労働生産性(就業者1人当たり付加価値)は、78,655ドル(809万円)。ポーランド(79,418ドル/817万円)やエストニア(76,882ドル/791万円)といった東欧諸国と同水準となっており、 西欧諸国と比較すると、 労働生産性水準が比較的低い英国(94,763ドル/974万円)やスペイン(94,552ドル/972万円)にも水を開けられている。前年から実質ベースで3.9%落ち込んだこともあり、OECD加盟38カ国でみると28位(2019年は26位)と、 1970年以降最も低い順位になっている。

3. 日本の製造業の労働生産性は、 95,852 ドル。 OECDに加盟する主要31カ国中18位。

2019年の日本の製造業の労働生産性水準(就業者1人当たり付加価値)は、95,852ドル(1,054万円/為替レート換算)。これは米国の65%に相当し、ドイツ(99,007ドル)をやや下回る水準であり、OECDに加盟する主要31カ国の中でみると18位となっている。

 報告書題名は「労働生産性の国際比較2021」となっているが、「2021」は発表年で、内容は2020年の統計である。日本の時間当たり労働生産性も、1人当たり労働生産性も、下から数えた方が早いという名誉を担っている。但し2019年の日本の製造業労働生産性水準(就業者1人当たり付加価値)は、OECD加盟主要31カ国中18位と少しマシな位置。

 なぜマシなのか、10年以上も前にブログで取り上げたことがある。的確な解釈となっているかどうかは分からないが、自分の考えが変わっているわけではないから、製造業の労働生産性に関する個所をここに取り上げてみる。

 労働生産性から見る公務員削減(2006年4月9日)<

 小泉首相は国家公務員の総人件費削減に関して、「平均して5%の定員純減を5年間でという目標を掲げている」が、「各省一律に公務員を減らせと言うことではなく、国民の安全に関する部門以外で定員純減に取組む」方針を示した。

 「国民の安全に関する部門」とは、「警察官、入国管理局の公務員は増やしている。必要な点は増やす」ということらしい。

 定員純減に関して各省との交渉役の中馬行革担当相は、「能力主義の人事・給与制度導入の公務員制度改革でなくては定員純減は難しい」と言う考えを示している。
 
 「能力主義」をムチに尻を叩くことで一人一人の能率を上げ、全体の仕事量の底上げを図って少数精鋭の形を取り、そこから余剰人員を弾き出して定員削減を可能とすると同時に、そうしない場合の弊害を取り除こういうことなのだろうが、小泉改革のこれまでを見ると、どうせ中途半端に終わる運命にあるのではないか。少数精鋭が可能なら、既にそういう態勢を取っただろうからである。小泉首相本人はこれまた今までのように、実を結ばないうちから成果を誇るだろうが、一旦は削減したものの、この人数では満足に仕事が消化できないからと、後からこっそりと採用して元の状態に戻るといった後退はよくあることである。

 「能力主義」と小泉首相の「警察官、入国管理局の公務員は増やしている」は矛盾していないだろうか。警察や入国管理局にも中馬某の言う「能力主義」を導入して仕事量の底上げを図り、少数精鋭態勢を取ったなら、「増や」す必要はなくなる。そうせずに増やすのは、小泉首相がひそかに日本を警察国家にしようと企んでいるからだろうか。安倍晋三が教育基本法に愛国心の涵養を盛り込もうと企んでいることと考え併せると、どうもそういうふうに勘繰りたくなる。

 入国管理局の職員の収容外国人に対する暴力・暴行もそうだが、日本の警察は特に悪名高い。捜査協力費の流用・不正経理・警察官でありながらのワイセツ・強姦・盗み・万引き、そして怠慢捜査・調書改竄・事件揉消し・裏ガネ・移送中囚人逃亡等々。

 当り前のような状態で新聞・テレビを賑わすこういった姿は真面目で勤勉で仕事を能率よくこなす日本人を想像させるだろうか。すべてではないと言うだろうが、決して一人や二人ではない跡を絶たない状況が構造的な欠陥であり、日本の警察の体質となっていることを証明している。

 少なくとも管理の不行き届きが招いている醜態以外の何ものでもないはずである。醜態が常態化している状況は、管理側(いわば上層部側)の管理能力がいつまでも未熟で隙だらけ、下の無規律についていけない状況にあることを示している。言い換えれば、上が上なら、下も下と言うことであろう。組織の全体的な構造不全そのもので、その結果として警察の場合は検挙率の低さという機能不全に象徴的に現れている非能率なのではないだろうか。

 構造不全に陥っている組織に人員をいくら注ぎ込もうが、税金のムダ遣いと頭数を増やすだけで終わるのは目に見えている。「能力主義」を言うなら、警察官の職務怠慢、公金での飲み食い、犯罪、私腹肥やし等の体質を一掃して、逆に仕事が能率よくできる体質への転換を図る意識改革を強力に推し進めて、検挙率の高さに反映できるよう持って行く。体質のそういった改革によって、逆に人員削減につなげていくことこそ本質を把えた公務員改革と言えるのではないだろうか。

 小泉首相がその逆を行くのは、この男の力量と言ってしまえばそれまでだが、「公務員制度改革」に反する措置のように思える。

 「能力主義の人事・給与制度導入」がここにきて言われるのは、業務が能率的に発揮できていない状況が公務員の全体的問題として存在していることの裏返しで、その是正に向けた施策であろう。公務員業務が全体的に非能率であるということは、広く言えば当然のこととして、日本の労働生産性にも関わっているはずである。そこまで視点を広げて対策を講じないと、絵に描いた餅の運命をたどらないとも限らない。

 どれ程の余剰人員を弾き出せるか。元々日本のホワイトカラーの労働生産性は現場労働者と比較して低いと言われている。いわば、能率の点で劣っている。日本人は勤勉で真面目だという評価が労働生産性に成果となって現れていない。これは表面的にただ単に「勤勉で真面目」であるというだけのことで、評価自体が幻想に過ぎないということだろうか。

 警察官や社保庁、防衛施設庁、かつては大蔵省や外務省といった官公庁や特殊法人の不正行為を見たら、「勤勉で真面目」と言う評価は見せかけでしかなく、幻想に軍配を上げなければならなくなる。

 「勤勉で真面目」が事実であったとしても、労働生産性で見た能率の悪さはこれまた事実としてある数字であって、それが日本人の本質的な力量だとすると、「能力主義の人事・給与制度導入」を行ったからといって、本質を改善する力となりうるかということが問題となってくる。

 社会経済生産性本部が発表した2005年版「労働生産性の国際比較」によると、「購買力平価で換算した2003年の日本の労働生産性は5万6608ドルで、OECD加盟30カ国中第19位であった。先進主要7カ国の比較では、日本の労働生産性水準は最下位で、米国の7割の水準にとどまっている。日本の労働生産性の水準は国際的に見て決して高いとはいえない」とある。

 しかし「日本の2003年の製造業の労働生産性水準は24カ国中第4位であった」。「なお主要先進7カ国中で見ると、米国に次ぐ第2位であった」

 製造業の労働生産性水準が「24カ国中第4位」、「先進7カ国中で見ると、米国に次ぐ第2位」であるにも関わらず、全体に均すと、「OECD加盟30カ国中第19位」、「先進主要7カ国」中「最下位」というのは、サービス業やホワイトカラーの生産性がより低いことを物語っている。勿論、その生産性の低さに警察に限ったことではない官公庁、地方自治体の公務員のコスト意識の欠如、職務怠慢、非能率、放漫経営が大きく寄与し、足を引っ張っているのは間違いない。

 確かに農業部門の生産性が特に低いことが全体の生産性を低くしている側面もあるだろうが、日本は技術が優れているという評価を裏切って、知恵の出し具合が不足しているということもあるだろう。

 いずれにしても、部門に応じた不均衡は何が原因でもたらされているのだろうか。

 日本人の労働生産性とは詰まるところ、日本人の一般的行動性が労働の場に於いてどう対応するか、その姿勢がつくり出す仕事の能率のことであろう。ホワイトカラーであろうとブルーカラーであろうと、一般的行動性は本質的には同じである。となれば、部門ごとの労働環境での一般的行動性の対応とそれぞれの違いを見ることで、労働生産性のありようを解き明かせないことはない。

 解く明かす一つの鍵が、「2001~2002年の労働生産性上昇率のトップは金融保険の7・3%」であるとする同じ社会経済生産性本部の報告ではないだろうか。同じ報告で「全産業、製造業とも、1・0%の改善率であった」というから、製造業以外の一般的に低いとされている労働生産性に対して、「金融保険」の突出した「上昇率」「7・3%」は特別の理由付けなくして説明できない事柄であるはずである。
 
 日本人は一般的に主体的・自律的に行動するのではなく、権威主義を行動様式としている。権威主義とは言うまでもなく上は下を従わせ、下は上に従う行動傾向を言う。従わせ・従う行動を成立させる条件は命令・指示のシグナルによってである。命令・指示を発して従わせ、命令・指示に応じて従う。そのような従属が極端化した場合、命令・指示の範囲内で行動することとなる。例えばマニュアルに書いてある規則どおりにしか行動できない人間がそれに当てはまる。児童相談所等が子どもの虐待を事前に把握していながら虐待死に至らしめてしまうのは、規則(=マニュアル)に従うことでしか対応できない人間ばかりだからではないかと疑いたくなる。
 
 上は下を従わせ、下は上に従う行動は命令・指示が有効であることによって、より活動的とし得る。当然能率は上がる。

 「金融保険」業務に於ける就業者の業務行動は何によって条件付けられているか考えると、景気・不景気の動向とか、不良債権処理の進行といったことに左右されるものの、一般的にノルマが数値で示され、成果に対する相対評価にしても絶対評価にしても、これ以上明確なものはない数値で表され、誰もがそのノルマ達成に向けて邁進しなければならないシステムとなっている。特に組織間の競争が激しくなれば、ノルマもより厳しく設定される。

 ノルマとは言うまでもなく達成を目標に割り当てられた仕事量のことであって、ノルマに従って行動するよう仕向けられる。達成を目標に割り当てられること自体が既に命令・指示の形を取っていて、ノルマそのものが命令・指示の役目を本来的に体現していることを示している。

 いわば命令・指示が常にスイッチオンの状態になっていて、それが心理的な監視の役目を果たし、一方でノルマの達成度を見ることで、仕事量が一目瞭然と分かる仕組となっている。

 このような状況は日本人の一般的な行動性に於ける命令・指示に従って行動する構図と符合する上に、ノルマが命令・指示を監視する役目を果たしていることと、ノルマとして表されている命令・指示への忠実な従属が各自の業績に関係してきて、それに刃向かうことができない強迫行為(=従属一辺倒)が可能とした「7・3%」ではないだろうか。

 もしこの分析が妥当であるとしたら、製造業に於ける労働生産性の国際比較値の高さも、命令・指示の有効性をキーワードに説明できなければならない。

 製造現場では1日の生産量がノルマとして決められていて、なおかつ流れ作業に常に追いついていかなければならない命令・指示に当る強制が常に働いている。その上製造現場では上司の監視の目が行き届いていて、無言・有言の命令・指示の役目を果たしている。そういった二重三重の命令・指示の強制力学が日本人の一般的な行動性となっている下の上に従う従属性を否応もなしに活性化させて、そのことが製造業の労働生産性水準を「24カ国中第4位」、「先進7カ国中で見ると、米国に次ぐ第2位」という地位を与えているとする分析でなければならない。

 そういった強制力学の影響が少ない場所が公務員や一般企業サラリーマンのホワイトカラーの労働現場であろう。労働を促す命令・指示への従属を監視する制度の希薄さが、比較対照的に労働生産性の低さとなって現れているということである。
 
 以上のことの傍証となる日本人の一般的な行動を例示することができる。川の草刈といった地域活動は、地域が年に1度とかの決めた日に決められた人数で行うことが一般的となっているが、地域の役員と駆り出された人間との間に本人の生活に関係してくる雇用上の給与評価といった直接的な利害関係が存在しないから、遅刻や中途退出は当たり前の現象となっているし、集団が大きいほど、誰がどれ程の仕事をしたか判断しにくいために適当に仕事をする人間が現れる。少し手を動かしては、すぐに手を休めて、他人の仕事を眺めてばかりの人間もいる。どれもが自己の生活と様々な利害関係で結ばれている雇用先では許されない手抜きであろう。当然、草刈といった集団で行う地域活動の労働生産性は決して高いはずはない。

 そういった手抜き=労働生産性の低さを許しているのは、地域の役員の駆り出した人間に対する命令・指示が双方の生活上の利害が直接的に関係していないことも手伝って、彼らを従属させるまでの力を有していないことが原因しているのは言うまでもない。

 また、年に1度の草刈では、その間雑草が伸び放題となるために、誰かが本人の意志のみで一人で草刈でも始めようものなら、「決められてもいないことをやるべきじゃない。一人がやれば、みんなもやらなければならなくなる」と、それが新たな決まり事となって駆り出されることを嫌い、地域の決まりごとへの従属を最小限にとどめようとすべく拒絶反応を示す人間もいる。
 
 いわば決められたことはやるが、決められていないことはやらないという命令・指示の範囲内で従属することを行動に於ける習性とした、他との関係で自己の行動を決定する他律性としてある権威主義的行動様式そのものの現れは元々日本人の一般的傾向としてある姿だが、命令・指示が自己の利害に影響しない場合は、従属を最小限にとどめたり無視したりすることも、他律性(=権威主義的行動様式)に則った行動であろう。

 ホワイトカラーの労働生産性が地域活動の草刈といった労働生産性よりも低いものであるとしたなら、組織管理が無規律・無計画・無成熟であることを証明するだけのこととなるから、ホワイトカラーの一般的な労働生産性にも劣る地域活動の消極的・非能率な態様と見なさなければならない。日本人が事実勤勉であるとするなら、組織活動に於いても地域活動に於いても同等の勤勉さが発揮され、同等の労働生産性を上げるべきであるが、そのことを裏切るあってはならない両者の落差は命令・指示の監視の有無、及び従属に向けたその効力の度合いを条件として初めて説明し得る。

 このことは製造業とホワイトカラーの労働生産性の格差にも応用しうる説明であろう。

 最初の方に、〈警察に限ったことではない官公庁、地方自治体の公務員のコスト意識の欠如〉云々と書いたことの意味は当時の首相小泉純一郎が国家公務員総人件費削減のために5年間平均5%定員純減の目標を掲げる一方で国民の安全に関する部門の警察官や入国管理局公務員は増員するとしたことに関係させている。公務員定員純減の代替療法は「能力主義」の導入としている以上、警察官や入国管理局公務員にも「能力主義」を適用すれば、その増員は矛盾することなるし、「能力主義」がここにきて言われるのは、業務が能率的に発揮できていない状況が公務員の全体的問題として存在していることの裏返しだということを書いたことからの全体的な「コスト意識の欠如」と指摘した。そして、〈公務員業務が全体的に非能率であるということは、広く言えば当然のこととして、日本の労働生産性にも関わっているはずである。〉と関連付けた。

 要するに日本人が行動様式としている上が下に命令・指示して従わせ、下が上の命令・指示に従って行動する権威主義は他律性を基本原理としていて、このことに反して例え命令・指示が常にスイッチオンの状態になっていなくても、相互に自分から考えて行動する自律性を行動様式としていたなら、能力主義だ何だと尻を叩かれることもなく、労働生産性は欧米先進国と比して継続的に見劣りすることはないはずであり、労働生産性の劣りの原因の一つに本質のところで日本人の行動様式となっている権威主義が関係していると見ないわけにはいかない。

 このことと関連することになる2007年1月11日エントリーの当ブログ記事を紹介する。2007年1月9日付の「朝日新聞」朝刊が、「字体を15日から一部変更します」という知らせを載せた。2000年の国語審議会が書籍等に残っている伝統的な康熙(こうき)字典体に基づいて「表外漢字体表」を答申。このことを踏まえて、900字を「表外漢字体表」内にある康熙事典体を使用するというもので、例として、「鴎→鷗」「涛→濤」を挙げている。

 この知らせに触れて、字画が細かくなることから弱視者や目の遠くなった高齢者に読みづらく、優しくないといったことを書き、難しい漢字が情報処理に少なからず影響することと、このことに関連付けて国会質疑や記者会見で丁寧語を用いることで長くなっている質疑応答のムダな部分を用いずに省き、逆に実質的な情報を増やして、情報処理能力の向上に資することになる、読み返してみると、少し説明足らずな部分もあるが、そういったことを書き連ねた。

 《復古的字体変更と情報処理の関係 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》(2007年1月11日)

 日本の政治家や官僚の情報処理能力の見劣りは国会審議での言葉の遣り取りを見れば一目瞭然で分かる。以前ブログ記事で引用したものであるが、06年11月22日の「教育基本法参議院特別委質疑」での蓮舫議員の質問とそれに答えた安倍首相の答弁を使って説明してみる。

 蓮舫「安倍総理にお伺いします。小泉前総理大臣の時代から私ども与野党で共通認識で持っていたのは、もうムダ遣いはやめようと、行政改革を進める上でムダを省いて、そしておカネを、税金を、戴いた保険料を、預かった保険料を大切に使っていこうという意識は共有させていると思うんですが、足元の内閣府で行われているタウンミーティングでさえも、殆どデタラメな値段付けが当たり前に使われていて、通常の恐らくタウンミーティングの額よりも膨らんでいると思うんですね。そういうおカネの使われ方はよしとされるんでしょうか」

 安倍総理「競争入札で行ってきたところでありますが、えー、先程来議論を窺っておりました。この明細を拝見させていただきました。やはりこれは節約できるところはもっともっとあるんだろうと、このように思うわけでございました。私共政治家も、よく地元で色んな会を開いて、色々と地元の方々とご意見の交換を行うわけでありますが、それは勿論パイプ椅子等をみんなで運びながらですね、最小限の経費で賄っていく中に於いて、意見交換も活発なものが当然できるわけでありますが、そういう精神でもう一つのタウンミーティングの先程申し上げましたように運営を行うよう、見直してまいります」

 安倍首相の発言を文字に起こすと、現在形を用いる箇所を「このように思うわけでございました」と過去形で用いたのは単なる間違いだろうから、無視するとして、政府主催のそれなりに大掛かりなタウンミーティングを地元の個人的な会合と比較したりするピント外れな客観的合理性、さらに蓮舫議員の「殆どデタラメな値段付け」の「おカネの使われ方はよしとされるんでしょうか」という質問の中にヤラセ問題が含まれていなくても、関連事項として踏まえた答弁をしなければならないのだが、「節約できる」とか、「最小限の経費で賄っていく中に於いて、意見交換も活発なものが当然できるわけでありますが」とか、「節約」も「活発」もヤラセがあったなら無意化することも考慮せず、「経費」との関係でのみ活発な議論の可能性を云々する判断能力のズレはそのまま情報処理能力の程度の問題に関係していく事柄であろう。

 さらに安倍首相だけではなく国家議員・官僚が国会答弁や記者会見で結び語によく使う言葉として、「このように(かように)思うわけでございます」とか、「かように考えるわけでございます」「と言うところでございます」、「致しておるところでございます」、「しておるわけでございます」といった「ございます」語は丁寧語と言ったら聞こえはいいが、「です・ます」で簡潔に結べるにも関わらず、そのことに反して余分に付け加えて言葉数を多くする発言は、簡潔・スピード・確実・理解をモットーとする情報処理能力に密接に関係しているはずである。1日で使う「ございます」語をすべて省いて、「です・ます」で済ませたなら、かなりの時間短縮が可能となり、その時間分、実質的な質疑応答に回すことができて、当然情報処理量をも増加させて情報処理の向上に役立つはずである。

 また、質疑応答に於ける相互的な情報伝達は政治のあるべき姿の議論を実質とすべきを、実質の議論から離れて結びをことさらに「ございます」語とするのは、伝えるべき情報の実質部分でたいしたことを言っていないからこその、そのことの逆説として、自分が言っていることを正しい・筋が通っていると思わせるダメ押しの役目を持たせた装飾補強材であろう。

 上に上げた安倍首相の答弁もまさにその通りだが、たいしたことを言っていないということも、要件の一つとしている“確実性”に反する情報伝達ということになって、情報処理に関係した能力と言える。日本語の敬語の多用も、耳に聞こえはよくても、言葉数が多くなることによって、逆に情報処理を遅くする逆説を呼び込んでいると言える。

 かくかように戦略性や危機管理能力と密接に結びつくことになる情報処理能力がただでさえ見劣りする状況にあるのに対して、例え900文字の康熙(こうき)事典体への変化が、そのことによって僅かであっても情報処理をより困難としたなら、現在以上の戦略性と危機管理能力の欠如・劣りにきっと寄与するに違いない。まさに「美しい国」日本である。

 以前のブログからの引用とは2006年11月22日記事《タウンミーティング/広告代理店の参考人招致を-『ニッポン情報解読』by手代木恕之》を指す。当ブログ記事の趣旨に関係しないが、蓮舫の追及が的確なものになっているかどうか、少し回り道をしてみる。

 蓮舫は「ヤラセ質問があった、岐阜でのタウンミーティングでの経費です。内閣府が広告代理店に指示をした最低コスト表です」と言って、「空港(又は駅)での閣僚送迎等」、「会場における送迎等」各任務と任務ごとの報酬金額を書き入れたフリップを提示する。対して政府参考人内閣府大臣官房長の山本某は「これはただ、これは業者の方で入れた額であるということをご理解いただきたいと思います」と答弁している。

 このグログを書いた当時、まだ理解が足りなかったことに遅まきながら気づいたが、この遣り取りからすると、「内閣府が広告代理店に指示をした最低コスト表」の金額を上回る金額を「単価内訳書」に「業者の方で入れた」ということになる。となると、広告代理店側の見積もりが正しかったかどうかという問題以前に内閣府が指示した最低コスト表の金額が妥当であったかどうかの問題に比重を置かなければならないことになる。

 ところが蓮舫が「その単価表適正だったんでしょうか」と質すと、山本某は「今申し上げましたように入札をするときに全体の各項目前後の項目につきまして、それぞれの業者が単価を入れまして、それで総トータルで一番安い所に落としているわけでございます」と答弁、各単価設定の権限と責任を広告代理店側に全て預けている。蓮舫はこの矛盾を追及しなければならなかった。最初に断ったようにこのブログを書くときは理解力不足でこの点に気づかなかったが、蓮舫はプロの政治家としての地位にある。相手の言葉の矛盾を捉える嗅覚を政治のプロなりに備えていなければならない。その嗅覚は言葉を張り上げることは得意だが、今以って鋭さを備えるところにまでいっていないように見える。

 回り道はこのぐらいにして、上記2007年1月11日のブログで意図している内容は「労働生産性」という言葉は使っていないが、丁寧語の廃止・普通語(=非丁寧語)の使用によって情報処理量を可能な限り凝縮することを通して情報処理の効率意識を高め、併行して情報の読み・解き・伝達の処理の速度を早めることに意を用いていけば、情報処理量能力が自ずと高まり、この能力アップは仕事の速度に影響して、労働生産性の向上にリンクしていくといったことである。

 生産性向上は新技術開発や仕事の進め方等の影響を多分に受ける。新技術開発は頻繁に日の目を見るものではない。そこで仕事の進め方を効率化の方向に様々に工夫することになるが、工夫から取り残されている一つが既に指摘済みのコミュニケーション(=意思疎通)に於ける言葉の使い方であろう。それが日本人の本質的な行動様式となっている権威主義が強いる下の地位の者が上の地位の者に対して慣習として使う必要に迫られている丁寧語の使用であり、丁寧語には勿論のこと敬語も含まれる。狭い知識からの物言いだが、日本人程丁寧語や敬語を使う国民はいないのではないだろうかと思っている。

 丁寧語や敬語を取り払って、普通語(=非丁寧語)で意思疎通を図ることができたら、行動開始までの時間短縮が可能となる。あるいは行動中の必要とされる意思疎通の時間短縮も可能となり、短縮された時間を行動に振り向けることも可能となる。前者の例で言うと、例えば下の者が上の者に対して何らかの作業開始の許可を得るのに、「取り掛かってもいいですか」とか、「取り掛かっても構いませんか」と丁寧語で尋ねる。これを目上や上司に対する敬意は気持ちだけにして普通語(=非丁寧語)で、「取り掛かります」と言うか、あるいは「取り掛かりますが」と許可を求める気持ちを込めて聞く。対して聞かれた方は「いいよ」とか、「もう少し待った方がいい」とか、イエスかノーの意味で答える。

 一見すると、丁寧語の廃止は意思疎通の言葉数のうち、数語の省略が期待できるのみで、仕事の進め具合に左程の変化がないように見えても、数語の省略が職場数に応じて増えることになり、会社全体で、しかも経営規模が大きい程、数語の倍率は無視できない言葉数となる。さらに1日8時間労働を掛ける、あるいは1カ月20日出勤を掛ける、さらには年間労働の240日を掛けていくと、従業員1人1人の1日の言葉の省略はたいした数ではなくても、全体の省略は相当量にのぼって、その分の時間を実質的な労働に回すことができる。その上、こうなることを認識して行動した場合、効率化意識が涵養される方向に向かうはずで、このことと平行して誰に対しても丁寧語や敬語を普段から使わずに日常的に普通語(=非丁寧語)を使うことが習慣化すれば、権威主義的行動様式が薄れていき、脱却するところにまで行き着くことによって自分の頭で考えて自分で行動していく自律性の獲得が自ずと可能となり、効率意識の強化と権威主義からの脱却=自律性の獲得の両方が合わさって、労働のスピードアップ、労働成果の向上、即ち労働生産性の向上に結びついていくという道筋を取ることは決して不可能ではない。

 政治は常に労働生産性の向上を掲げる。だが、日本の労働生産性に関する世界の統計は見てきたとおり芳しい順位を与えてくれない。日本の低い労働生産性の改善は日本人の行動様式である権威主義の力学が強制している地位の高低を、あるいは先輩・後輩に応じた上下関係、格式を丁寧語の廃止と普通語(=非丁寧語)の使用によって擬似的に対等な関係に持っていけば、情報処理の時間的な短縮化を図ることができる。

 情報処理そのものの本質的な部分は的確な判断能力に負うが、どのような仕事も何をどうすべきか、何をどうしたらいいかはその場、その場に応じた瞬時の情報処理で答を得て、それらの答のトータルが仕事の効率性と効率性の反映としての仕事量となって現れる。つまるところ、仕事というものを成り立たせている基本的な条件はその場のひと手間ひと手間に応じた情報処理であり、その連続が仕事全体を支えることになる。情報処理の時間的な短縮化と的確な判断能力に基づいた情報処理自体が最終的には労働生産性の向上に行き着くことになる。

 国会質疑の場では首相以下の閣僚と質問者との間の先輩後輩の関係、年令や地位に応じた上下関係の力関係とは無関係に双方共に丁寧語を、それも過剰なまでの丁寧語の数々を用いているが、このことは権威主義的な人間関係の力学から自由になっているからではなく、世間に対して紳士的な振る舞いを必要とする改まった場での一般的に生態化した姿としているからに過ぎない。もし自由になっていたなら、回りくどい言い方の丁寧語自体を上の立場の人間も下の立場の人間も、双方共に必要としないはずだが、上の立場にある人間が下の立場にあったときに丁寧語の使用を習慣として根付かせてしまっているから、改まった場では結果として双方の力関係とは無関係に双方共にバカ丁寧なまでに丁寧語を使う羽目に至っている。権威主義的な人間関係の力学に囚われていることの証明にほかならない。

 では、丁寧語の廃止と普通語(=非丁寧語)の使用によってどの程度の情報処理の時間的な短縮を図ることができるのか、2022年2月7日衆議院予算委員会での立憲民主党小川淳也の質疑応答を用いて、その全文から丁寧語を普通語に転換、全文の文字数と出した省略文字数の比率から小川淳也の質疑応答時間に対する普通語を用いた場合の節約時間を割り出し、その節約時間を情報処理の時間的短縮率と看做して、その時間的短縮率を2月7日1日の実質的な質疑開始時間から終了時間までの所要時間に掛けて、大まかな結果値となるのは避けられないが、1日分の短縮時間と短縮文字数を算出して、それを以って情報処理量の短縮と見ることにする。

 勿論、情報処理量を短縮できたからと言って、それがそのまま的確な判断能力の向上に繋がるわけではないが、既に触れているように丁寧語の廃止と普通語の使用という話し言葉に対する効率意識の芽生えが情報処理の時間的短縮や話し言葉の短縮で終わらずにこれらのことを取っ掛かりに情報を如何に処理するかに意識を集中すれば、自ずと的確な判断能力の質の獲得に向かわせて、情報処理量能力を高め、結果として労働生産性の向上へと進ませる可能性は決して否定できない。

 小川淳也の質疑時間は《国会中継 @ ウィキ》から2022年2月7日の質疑者一覧と共に記載されている持ち時間に依った。過去の記録はそのまま消去されるようである。その日は質疑開始時間が「09:00」、休憩1時間を挟んで終了時間が「17:00」、7時間の質疑となる。小川淳也は「11:06-12:00」の54分間。「国会会議録検索システム」から2022年2月7日衆議院予算委員会の質疑応答全文を「テキスト印刷用ファイル」で抽出、根本匠予算委員会委員長の「これより会議を開きます」からの全文をMicrosoft Wordに貼り付けた文字数は「135284」文字。小川淳也の質疑応答全文は「17634」文字。ここから丁寧語を普通語に直すと「16799」文字となって、「835」文字の省略。

 小川淳也の質疑応答全文「17634」文字に54分間掛かっているから、1分間に直しと、17634文字÷54分=327文字(四捨五入)。丁寧語を外して835文字省略できた16799文字÷327文字(1分間)=51分(四捨五入)。全体の54分-51分=3分間の省略となり、時間上の省略率は54分-51分=3分/54分x100=5.5%。

 小川淳也の質疑応答の場合はたったの3分間、5.5%の省略だが、質問者によって発言の早い遅いや中断時間があること、大臣席から答弁台までの往復の時間、半日の場合等があることを考慮し、控えめに見て4.0%の時間省略率に割り引いて、1日の質疑7時間の420分にかけると、16.8分、小数以下を切り捨てて1日16分間の省略時間とする。

 《令和3年衆議院の動き》に記載の2021年の「本会議、委員会等の開会回数及び公述人数等」によると、

 第204回国会(常会)(令和3. 1.18~ 6.16 150日間)本会議、委員会等の開会回数は本会議と常任委員会342回 特別委員会53回
 第205回臨時国会本会議と常任委員会10回、特別委員会9回(11日間)
 第206回特別国会本会議と常任委員会21回、特別委員会18回(3日間)
 第207回臨時国会本会議と常任委員会36回、特別委員会18回(16日)

 合計すると507日の開催日数となっている。半日開催の場合もあると思うから、これを500日として、500日x16分=8000分÷60分=133時間(四捨五入)÷8時間/1日=16.625日となるが、少なく見積もることにして、小数以下切り捨て16日とする。

 要するに1年間の国会開催で丁寧語抜きだと、衆議院だけで16日間の時間が節約できる。参議院もほぼ同程度の質疑日数があることと仮定すると、1年間で1日8時間質疑として優にひと月の日数省略ができることになる。決して小さくない情報節約量である。このことを裏返すと、政府閣僚も国会議員も丁寧語を無闇に使うことによって国会質疑の生産性を落としていることになる。ちょっとしたことを伝えるのに話が長過ぎて理解するのに苦労するという場面を作り出す人間が時折り存在するが、国会議員が全員してそういった場面を少なからず演出していることになる。

 自身が発信する情報の量的節約への意識傾注は自ずと自らが提供する情報の簡略化と情報の精度を高める作用を促すはずで、情報の受け手である国民に対しても情報理解を助けることになって、国民をも巻き込んだ国会質疑の生産性の向上に貢献していくことになる。そしてこういったことが国会の場で手始めにであっても慣習化された場合、この慣習は一般社会が生産性向上意識を持ちさえすれば、情報処理に向けた効率化意識を自ずと芽生えさせて一般社会にも受け継がれていき、上下関係が強いる丁寧語の使用の省略自体が上下関係意識を希薄化させると同時にその希薄化に応じた意思疎通の余分な時間の掛かりを省いて、仕事の効率化を促し、最終的に労働生産性の向上に行き着く可能性は否定できない。

 では、小川淳也の2022年2月7日衆議院予算委員会での質疑とその応答から丁寧語をどのように普通語に変えたかを参考までに記載してみる。変えた普通語は丸括弧内に太字で示した。既に文字数を数え上げたあとだから、「国会会議録検索システム」の行の開きもないテキストを読みやすいように改行ごとに1行ずつ開け、質疑者、答弁者の名前は太字にして、発言の始まりと終わりにカギ括弧つけ、漢数字を算用数字に変えた。

 中には丁寧語を普通語に変換することによって文字数が1、2語増えるケースがあるが、全体的な情報処理(発言数と発言時間)の短縮化が証明される限り、この短縮化と丁寧語の普通語への変換が誘発することになるだろう上下の権威主義的行動様式の希薄化を通した生産性向上の目論見を優先させるために個々のケースでの文字数の1、2語の増加は無視した。

 断っておくが、変換した普通語が最適な言葉とは限らないが、自身の判断の範囲内だと了解して貰いたい。

 《日本人の行動様式権威主義の上が下に強いていて、下が上に当然の使用とする丁寧語が日本人の労働生産性を低くしている(2)》に続く

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日本人の行動様式権威主義の上が下に強いていて、下が上に当然の使用とする丁寧語が日本人の労働生産性を低くしている(3)

2022-04-30 06:53:39 | 政治
 さて、どんなものだろうか。手直し前の言葉と手直し後の言葉を比較すれば、手直しした理由の見当がつくと思う。こうして直していくと、格式張ったバカ丁寧な言い回しが如何に多いかである。2、3説明するが、小川淳也の質問ののっけから、「この第6波がもたらした全ての犠牲と、そして多大な困難に、心より哀悼とまた連帯の意を表したいと思います」を「表します」と直したが、「連帯の意を表する」という態度は小川淳也にとって個人的な心情からか、国会議員としての義務、責任からか実行しなければならない行為であって、「思います」と希望することではなく、もっと直接的な行為としなければならないからである。

 態度や行動を示す動詞に期待や希望、あるいは推測を示す動詞である「思います」をつける発言が多いが、態度や行動に対する意志を期待や希望や推測の方向に心なし引き寄せてしまい、態度や行動そのものに対する明確な意志の表明を一定程度削いでいることに気づかないでいる。大体が質疑応答は言葉の闘わせ合いである。答弁を求める際、「答弁を求めます」と単刀直入に迫るのではなく、「答弁を求めたいと思います」と「思います」をつけるのは、自分では気づいていないだけで、言葉の闘わせ合いという意識を少なからず欠いているからだろう。

 格式張ったバカ丁寧な言い回しの代表的な例として挙げると、例えば岸田文雄が「1日も早く一日100万回の接種を実現していきたいということを申し上げている次第であります」の発言を「実現していきたいと伝えているところです」と直したが、既に習慣になっているからだろう、簡潔に済ますことができるにも関わらずに殊更に装いを凝らした言い回しにしている。立派な言葉遣いに見せようとする勿体付けの意識の積み重ねがこういった言葉遣いを習性とするに至ったのだろうが、結果、「です」、「ます」で済ますことができるところまで、「~でございます」とか、「~いたします」などと余分な飾り付けを施すことになる。

 根っこのところに自分は国会議員だ、閣僚だ、総理大臣だ、日本の官僚だといった権威主義がベースの何様意識を棲まわせているから、一般的な丁寧語まで超えて、格式張ったバカ丁寧な言葉まで使うようになったのかもしれない。

 もう一つ、当事者意識を欠いた言葉の多用である。「~ということを承知しています」、「~ということを聞いています」

 例えば岸田文雄の「国家賠償法に基づく求償については、当事者たる財務省において、国が個々の職員に対して求償権を有するとは考えていないと判断しているということを承知しています」

 この場合の「承知しています」は単に求償権について判断している財務省の考えを承知していることとして述べているに過ぎない。だが、総理大臣は全ての省庁とそれぞれの省庁の所管大臣を統括する最終責任者に当たる。最終責任者として全ての省庁の政策に関わる如何なる判断・考えに対してもそれを決まり事とする段階で承認を与えていることになるから、共有する決まり事となり、同時に決まり事としたことの責任の共有と自身を最終責任の保有者と位置づける自覚を保持していなければならない。つまり各省庁のどのような決まり事も自分事として把握していなければならない。

 だが、決まり事を「承知しています」だけでは、決まり事の共有も、決まり事としたことの責任の共有も、最終責任の保有者としての自覚も感じ取れないし、伝わってもこない。当然、自分事とする意思を感じることもできない。あくまでも財務省の判断をこれこれこうだと紹介したとしか受け取れない。結果、当事者意識は置き去りにされ、他人事にしか映らない。だから、岸田文雄のこの発言箇所を、「国は個々の職員に対して求償権を有する決まりとはなっていません」と責任を共有する自分事とした言葉に変えた。

 これは小川淳也に対する答弁ではなく、次に立った大串博に対する答弁だが、在日米軍が米兵士にワクチン接種と共に米国出国時と日本入国後のPCR検査の義務付けを2021年9月に解除し、外務省に伝えたとしていたが、外務省は12月に把握と主張。この時期に沖縄ではコロナ感染が急拡大したが、日本側はこの3カ月間、急拡大と検査義務の解除を知らないこととして結びつけて考えはしなかった。大串博は外務省は米側とどういう遣り取りをしたのか質問した。

 林芳正「実務レベルでやり取りを行った結果、在日米軍からは、在日米軍として新型コロナ対策に関して日本側と緊密に連携する中、出国前検査の免除について外務省に通知していたとの認識であるとの説明がありましたが、これに対し、日本側としてはそのような認識は持っていなかった旨、改めて明確にしたところでございます。

 その上で、両者の認識にそごがあったことを踏まえて、今後はそうした状況が生じないように、検疫・保健分科委員会の場を含めて、より一層緊密に連携していくことで米側と一致したものと承知しております」

 この場合も米側との取り決めを「承知している」こととのみ位置づけて、外務省を所管する外務大臣の立場上、自身の責任事項として引き受ける意識を欠いている。話し合い、取り決めたのが担当部署の職員であったとしても、決定事項の報告を受けているだろうから、受けていなければ、「承知しております」という言葉は出てこない、あくまでも「より一層緊密に連携していくことで米側と一致しました」と所管大臣としての責任を関与させるべきだろう。

 例え自身が直接的に関わって取り決めたことではなくても、組織の最終責任者である以上、全ての責任を引き受ける意識は持たなければならない。でなければ、最終責任者と言えない。にも関わらず、「~ということを承知しています」、「~ということを聞いています」といった発言が多いのは下手なことで足を引っ張られて、経歴に傷をつけたくないといった責任回避意識をどこかに根付かせていているからなのだろうか。

 責任意識が強ければ、回りくどいバカ丁寧な発言や格式張った発言、持って回った発言は影を潜めて、「です」、「ます」の断定口調の多用が見られることになり、この面からも情報処理の効率化が図られて、ゆくゆくは労働生産性の向上という究極の目的達成の一助になるかもしれない。

 丁寧語からの普通語への転換が権威主義的行動様式からの脱却と情報伝達の効率化へといざない、最終的に労働生産性の向上という姿を取っていくことになるというこの目論見の実現性はどう判断されるだろうか。

 最後に小川淳也の質疑を取り上げた序にアベノマスクの配付について追及した箇所での情報処理の程度を見てみたいと思う。一部には小川淳也を論客と評価する声もある。勿論、情報処理の程度は仕事の生産性に関係していくことになり、広く捉えた場合、労働生産性にも影響する。

 小川淳也「関連して、瑣末なことだと思われるでしょうが、大事なことなのでお聞きします(質問します)。いわゆるアベノマスクの配付、処分について。

 これは、37万件の応募があった、2億8千万枚の配付希望がある、しかし在庫は8千万枚しかない。どうやって2億8千万枚を、8千万枚に査定する必要があると思いますが、これは誰が担い、どのようにコストを負担するんですか」

 後藤茂之「今、小川委員の指摘がありましたとおり(指摘どおり)、昨年12月24日から本年1月28日までの間に合計37万件という多数の申出をいただいたのはそのとおりでございます(多数の申出があったのはそのとおりです)。

 現在、厚生労働省において、まずはこの多数の希望について具体的な集計作業を進めているところでございまして(ところでして)、今後おおむね1か月程度で、個々の希望者への配付枚数等を決定しまして(決定して)、その状況を公表する予定としております(予定です)。

 配付希望者の内訳や配送費用については、こうした作業の結果明らかになるものであり(明らかになりますから)、現時点でお示しすることは(示すことは)厳しい状況です。

 小川淳也「これは総理にも御承知おきいただきたいんですが(これは総理も承知しておくべきですが)、担当課たる厚生労働省医政局経済課には約30名の職員がいます。37万件の応募を精査するんです、これから1か月かけて。1人1万件を超えるんですよ、みんなでやったとして、毎日やったとして。このマスクの配付に大事な医政局の30名を、1人1万件、1か月かけて精査させることにどれほど国政上の意味がありますか。どういう意味があるんですか。

 お聞きしますが(聞きますが)、厚生労働大臣、厚生労働省は、基本的対処方針において、1月25日の変更かな、不織布マスクを感染症対策としては推奨し、布マスクは推奨していませんね、この事実だけ」

 後藤茂之「不織布マスクの方が布製マスクよりも効果があり、基本的に対処方針で不織布マスクが推奨されている(不織布マスクを推奨している)というのは事実で、これは国民の皆さんによく分かっていただきたいと思っております(これは国民のみなさんはよく理解しておいてください)。

 ただ、要するに、飛沫を出す側と吸い込む側の双方がマスクを装着することでマスクの効果というのは高まりますし、それから、不織布マスクの内側にガーゼを当てていただくことで(当てることで)マスクの着用が心地よくなるとか、いろいろな工夫はあるだろうというふうに思っております(思います)。

 小川淳也「だったら、それを厚生労働大臣、率先してやってください。布マスクして、その上から不織布マスクして、率先してやってください。そんな人見たことありませんよ。

 不織布マスクと書いてあるんだから、マスク着用は、厚生労働省の、コロナ対策本部の本部決定で。その感染症対策に使えない布マスクを、もう一回申し上げますが、30名の職員で37万件を精査して、配送する。愚策にもほどがあるでしょう(ほどがあります)、総理。

 それで、じゃ、もう一つお聞きしますね(もう一つ聞きます)。感染症対策に使えないんだから。

 ちまたでは言われているわけです(ちまたで言われています)、御存じだと思いますが(承知しているはずですが)、使い捨ての雑巾にしたらいいじゃないかとか、野菜の栽培の苗床にしたらいいじゃないかとか、野菜の乾燥防止だとか、赤ちゃんの暑さ防止に保冷剤を入れたらどうかとか。いや、それは、知恵を働かせてこういう提案があることはいいことですが、問題は、こういう用途のために税金でマスクを調達し、それを査定して配送することは政策判断として適切かどうかという問いに真っすぐ答えなきゃいけない。総理、いかがですか」

 後藤茂之「在庫となっている布製マスクは、そもそも、国民の皆様にマスクとして活用いただくという目的で、配付することを目的に調達したものでございます(マスクとして活用する目的で、配布すべく調達したものです)。本来の事業目的を踏まえれば、今般配付する布製マスクも、マスクとして御活用いただくことを優先して配付するべきだというふうに思いますけれども(マスクとしての活用を優先して配布すべきですが)、具体的な利用法については、有効に活用していくということで考えております(考えています)」

小川淳也「いや、厚生労働大臣、せっかくお出ましいただいたので(せっかく出席しているのだから)、これは有効な使い方ですかと聞いています。雑巾、野菜の苗床、乾燥防止、赤ちゃんの保冷剤、これは有効な使い方ですかと聞いています」

 後藤茂之「今、具体的な事例についてそれぞれ申し上げるということではありませんけれども(申し上げはしませんが)、少なくとも、使い捨て雑巾やいわゆる栽培に使われるような話ですか(使うという話ですか)、そういうことも含めて、それが適切な用法であるかということからいうと(それが適切な用法であるかというと)、有用とは少し違うように思います」

 小川淳也「今、否定なさいました。

 総理、もう申し上げたことは伝わっていると期待したいと思うんですが(私が言おうとしたことは伝わっていると思いますが)、私もちょっといろいろな声も受けていまして、これは、一件審査して全部配送って、ちょっと、どこまで親切なんだということですわね。税金ですから、元手は全部。

 これも私、いいとは思えないんですが、せめて最悪じゃないかもしれないのは、もう本当に迷惑千万ですが、都道府県や市町村や国の出先機関に一定量を配送して、御入り用の方は取りに来てくださいという方がまだましじゃありませんか(まだましじゃないですか)、総理。処分するか、使うのであればそういうもうちょっとましな配送方法を考えるか、もうちょっと改善が必要じゃありませんか」

 岸田文雄「まず、御指摘の布製マスクですが(指摘の布マスクですが)、これは、かつて日本の国においてマスクが不足をし、国民の中で、マスクが不足をしている、そしてマスクが高騰していく、大きな不安が社会の中で広がっていた、こうした事態に対して、少しでも国民の不安を和らげるために何か施策がないか、こういったことで打ち出された施策であったと認識をしています(認識しています)。しかし、その後、マスクの流通は回復しました。そして、不足に対する心配、これは払拭されました。

 こういったことを踏まえて、昨年末、私の方から厚生労働省に対して、希望をされている方に配付をし、有効活用を図った上で、年度内をめどに廃棄をするよう指示をした、こうしたことであります(こうしたことです)。

 そして、それを受けて、今、多くの方々がこのマスクを利用したいということで希望を寄せられている(利用したいと希望している)、これが、先ほど委員も御指摘になられた(指摘した)、この多くの希望者が殺到している状況であると認識をしています(状況だと認識しています)。希望をされる方があるのであるならば(希望者があるならば)、これは是非有効利用はしていただきたいと思っています(これは是非有効利用を願いたいと思っています)。

 そして、廃棄なのか、それから、それを配送するのか、このコストのこともおっしゃいましたが(言いましたが)、有効利用していただけるのであるならば(有効利用できるのであれば)、当初からこの布製マスクについては配送の予算というのは想定していたわけでありますから、これは配送した上で有効利用していただく(有効利用をお願いする)、こうしたことを考えていただくのは(こうしたことを考えるのは)意味があるのではないかと考えています(考えます)」  

 小川淳也「ちょっと受け止め切れない御答弁ですよ(答弁ですよ)。

 そもそも、あの感染が流行していたときに、第一波、そしてマスクが手に入らない状況下で、布マスクがどれほど国民の安心につながったのかというそもそもの問題があります。しかし、そのときに調達したものだから、苗床にしましょう、雑巾にしましょうと言っていることも含めて有効活用してもらえばいいという話にはならないでしょうとお聞きしているんです(聞いているのです)。配送費用だって、今回その安心のためじゃありませんからね、そこに何億もかけるんですかという話なんですよ。考えにくい。

 これはまたやらせてください、改めて。もう、ちょっとこればかりはあれだから」

 アベノマスクについてネットで調べつつ簡単にお浚いしておく。安倍晋三の音頭取りで約260億円をかけて約2億8700万枚の布マスクを調達、2020年4月17日から全世帯各2枚ずつと介護施設等への配布が始まり、配布完了は2020年6月20日。2億8700万枚のうち、3割近い約8200万枚(約115億円相当)が残り、未配布のまま倉庫に保管されていることと、2020年8月から2021年3月にかけての保管費が約6億円に上ることが2021年10月報道の会計検査院2020年度決算検査報告で明らかにされ、マスコミと共に国会で取り上げられることになった。1カ月当たり約7500万円の保管費の計算となり、アベノマスク1枚平均単価約140円で計算すると、約8200万枚は総額約115億円相当分を眠らせたままでいた。

 岸田文雄は2021年12月21日の記者会見で「希望者に配布、有効活用を図った上で年度内を目途に廃棄を指示」した旨を発言。希望者を募ったところ、上記質疑にあるように37万件の応募、枚数で言うと、2億8千万枚。在庫約8200万枚に2億8千万枚、37万件の応募は単純計算で1件当たり756枚。大体がこの応募数自体を怪しいと見なければならないが、怪しい理由をあとで述べる。

 厚労省職員が精査して、配布先を決定。後藤茂之の発言のように「配付希望者の内訳や配送費用については、こうした作業(配布希望者が配布先決定)の結果明らかになる」は当然だとしても、費用対効果の問題は避けて通ることはできない。小川淳也は「マスク配付に大事な医政局の30名を、1人1万件、1か月かけて精査させることにどれほど国政上の意味があるのか」問い質し、対して後藤茂之は「不織布マスクの内側にガーゼを当てていただくことで(当てることで)マスクの着用が心地よくなるとか、いろいろな工夫はあるだろうというふうに思う」とあくまでも有効活用をの方針を捨てないでいる。アベノマスクはガーゼ生地を12~16枚重ねて縫製してあるそうで、アベノマスクを下地に不織布マスクと重ねて二重マスクとしての利用価値を主張している。

 この主張に対して小川淳也は二重マスクしている人は見たことがない、使い捨ての雑巾、野菜の栽培の苗床、赤ちゃんの暑さ防止の保冷剤入れ等の利用方法が街で噂されているが、「問題は、こういう用途のために税金でマスクを調達し、それを査定して配送することは政策判断として適切かどうかという問いに真っすぐ答えなきゃいけない。総理、いかがですか」とあくまでも費用対効果の問題に拘っているが、逸(そ)れなくてもいい脇道に自分から逸れている。

 後藤茂之の言う二重マスクとしての利用提供に同じ内容の質問をぶつけて、費用対効果を問い質すべきだったろう。ガーゼは現在は100円ショップで薬局製品と品質の変わらない物を扱っている。税込み110円の30㎝×35㎝のサイズなら、縦横3つ折りにすれば、9枚重ね。もう一組用意すれば、220円で18枚重ねとなって、アベノマスクは12~16枚重ねの縫製だそうだから、不織布マスクの下地として十分に使える。2枚重ねを必要とする者だけが百均で用意すれば、わざわざ余分な税金を使わずに済む。

 100円ショップのダイソーでは43cm×100cmサイズで2枚重ね柄物の『ダブルガーゼはぎれ』を税込みで220円で扱っていて、これでマスクを作ることがはやっていると言う。
 アベノマスクをガーゼとして利用することを提案したのは日本維新の会の市村浩一郎で、この予算委の4日前の2022年2月3日の衆院予算委で行っている。市村浩一郎はニュースで見て知ったという産着(生まれたての赤ん坊に着せる着物)の写真を示した上で地元の支持者も産着を作っていた、アベノマスクを5枚とか、6枚とかばらして作ったといったことを有効活用の例として挙げて、「アベノマスクを廃棄せずに、やはりしっかりと生かしていったらいいんじゃないか、活用したらいいんじゃないかということで、(支持者からか)御提案があったわけであります」と紹介していた。

 多分、後藤茂之は市村浩一郎のこの提案からアベノマスクを不織布マスクと二重にして活用する工夫を思いつき、配布の必要性の一つの例にしたと思われる。だから、「不織布マスクの内側にガーゼを当てていただくことで」とガーゼとして扱ったのだろう。尤も小川淳也はこの日の予算委員会に出席していなかった。だとしても、知らなかったでは済ますことはできない。2月7日の予算委でアベノマスクに関しての追及を予定していたなら、出席していない2月3日の予算委でアベノマスクに関する質疑応答があったかどうか、あったなら、どのような応答だったのか、参考のために目を通しておかなければならないからだ。

 国会会議録は速記者の作成後、一次校閲、最終校閲、編集を経て、会議録として発行、保存するそうだが、公開まで20日から1カ月かかる。ところが現在参議院副議長就任に伴い立憲を離党している小川敏夫は民進党時代の2017年2月28日に参議院予算委員会の質疑に立ち、翌日の2017年3月1日には「議事録(未定稿)」として「オフィシャルサイト」に自身の分の質疑内容を紹介している。国会議員の特権として未定稿の段階で目を通すことができることが分かる。当然、小川淳也も2月3日の質疑内容に目を通してから、2月7日の質疑に臨んだはずで、アベノマスクのガーゼとしての再利用の費用対効果に目を向けることになったはずだ。だが、それができなかった。

 2月3日のアベノマスクに関する質疑に目を通していなかったとしても、費用対効果の点から配布に反対しているのだから、アベノマスクを利用してマスクを二重にする場合と市販のガーゼを購入して二重にするのと、どちらが安価に済むのか、機転を利かせた追及を試みなければならなかっただろう。

 市村浩一郎はアベノマスクの産着への仕立直しを立派な活用例の如く得々と発言していたが、アベノマスクが5枚も6枚も使わずに残っていたから仕立直しが可能になったのであって(何回か洗いながら使ったあとのマスクなら、戦後のモノのない時代ならいざ知らず、モノが溢れている今日、晴れ着の意味合いもある産着を古着で仕立てることになる)、使わずに残っていたということは全然褒められたことではないし、新たに産着なりが必要になったなら、100円ショッピなり、薬局からガーゼを購入して新規に作ればいいことで、配送費用や希望者を受け付ける経費、多過ぎる希望者を篩い分ける経費等と比較した国民の税金を原資とする効果を厳密に計算して決めるべきだが、後藤茂之も、岸田文雄もそういった答弁とはなっていないし、小川淳也の追及も、厳密にはそういった答弁を求めるものとはなっていない。

 岸田文雄は「廃棄なのか、それから、それを配送するのか、このコストのこともおっしゃいましたが(言いましたが)、有効利用していただけるのであるならば(有効利用できるのであれば)、当初からこの布製マスクについては配送の予算というのは想定していたわけでありますから、これは配送した上で有効利用していただく(有効利用をお願いする)、こうしたことを考えていただくのは(こうしたことを考えるのは)意味があるのではないかと考えています(考えます)」と意味もない回りくどい言い回しで、在庫分の約8200万枚についても配送予算は既に想定していたから、配送に使うのは問題ないという発言をしているが、予算というものは想定していたから、あるいは計上したから、使わなければならないというものではない。費用対効果の点で生じることになった疑義を無視して予算執行を押し通した場合、内閣の国民の税金に対する金銭感覚が疑われることになる。予算を計上した事業について事業そのものの必要性や費用対効果の点で疑義がないかを点検するために、いわば疑義を疑義のまま放置して税金の無駄遣いに行き着くことがないように民主党政権が用意したのが「事業仕分け」であって、自民党政権になってから、「行政事業レビュー」と名を変えて登場することになったはずだ。小川淳也は岸田文雄が「有効利用していただけるのであるならば、有効利用していただく」と仮定を前提とするのみで、有効利用の実質的な費用対効果を説明しないままに想定した予算は想定どおりに執行とするといった無茶な発言に食いつかなければならなかったが、「ちょっと受け止め切れない御答弁ですよ(答弁ですよ)」としか切り返すことができなかった。

 追及の不手際は情報処理の不手際に起因する。情報処理の不手際は追及の不手際で終わらずに国会質疑にムダな時間を費やしたり、堂々巡りを繰り返すといった生産性の問題に行き着く。このことは様々な行政運営の手際の良し悪しに直結する可能性は否定できない。

 2022年4月1日付「時事ドットコム」記事が厚生労働省は在庫として大量に残っている「アベノマスク」を4月1日から希望者への配送を始めると発表したと伝えていた。配送費用は約3億5000万円に上る見込みで、申請を受け付けていたコールセンター費用が約1億4000万円に上る見通しだと伝えていたが、配送費用約3億5000万円が倉庫料込なのかどうか分からないから、約3億5000万円のみで合計すると、第2次配布経費は約4億9000万円の費用がかかることになる。

 ここに倉庫保管費用をプラスしなければならない。在庫約8200万枚の2020年8月から2021年3月にかけての倉庫保管費用が約6億円。2020年10月に佐川急便と月額約2000万円で契約。それ以前は日本郵便と契約していたそうだが、佐川契約の2020年10月から第2次配布開始の2022年4月1の前の月3月までの6ヶ月間の倉庫保管量は2000万円×6カ月=1億2千万円。これを合計すると、7億2千万円。4月1日から希望者への配送が始まったとしても、在庫がゼロになるまで保管個数や保管面積の減少に応じた保管料が発生し続けるそうだから、これもプラスしなければならない。この金額を+αとする。


小川淳也が指摘していた37万件の応募を精査する厚生労働省医政局経済課職員の人件費も計算する必要がある。時間内労働だから、計算外だという論理は成り立たない。これらの金額を+βとする。

 厚労相後藤茂之は2021年12月24日の記者会見で「仮に在庫約8000万枚の全てを廃棄した場合の費用についてだけ申し上げておくと、大まかな目安としては6000万円程度と考えております。この量については、今後希望の方に配付し、また、買っていただく方等もあるかとかいうことも進めますのでその後の数字になりますが、8000万枚なら6000万円程度と承知しています」と発言しているから、2次配布せずに遅くとも2020年8月の時点で全廃棄していたなら、倉庫保管料合計7億2千万円+第2次配布経費約4億9000万円+(4月1日以降の倉庫保管料+α)+(厚労省職員人件費+β)-廃棄金額6千万円=(11億5千万円+α+β)の税金が浮くことになる。

 政府は「有効活用、有効活用」と言うだけで、在庫8200万枚第2次配布に掛かる経費計上(11億5千万円+α+β)の費用対効果を証明できなければ、有効活用に供したとは言えないことになる。

 アベノマスクが大量に残ったから、配布希望者を募集したところ、在庫数約8200万枚に対して2億8千万枚、37万件の応募があった。単純計算で1件当たり756枚も希望した。大体がこの応募数自体を怪しいと見なければならないと先に述べ、その理由を後で述べるとしたが、勿論、推測の範囲内となるが、その理由を説明してみる。

 岸田文雄は2021年12月21日の記者会見で「財政資金効率化の観点から、布製マスクの政府の在庫について、御希望の方に配布し、有効活用を図った上で、年度内をめどに廃棄を行うよう、指示をいたしました」と発言している。要するに岸田文雄自身、8200万枚もさばけるとは思っていなかった。財政資金とは国家資金のことで、その効率化を優先させる、これ以上保管のために税金を投入してはいられないということだから、発言のニュアンスから言っても、かなりの枚数の廃棄を見込んでいたはずだ。見込んでいなかったとしたら、アベノマスクに対する世間の受け止めに疎いことになる。例え口外することはなくても、一国の首相として状況についての情報収集に努めていなければ、自身の政策の教訓とすることもできなくなって、下手をすると、裸の王様になりかねない。岸田文雄はまた、それなりの枚数の2次配布を試みることで、一応手を尽くしたところを見せて安倍晋三のメンツを立て、納得して貰ったところで不人気の幕引きを図るつもりだったはずだ。

 アベノマスクの1次配布が終えた時期と重なる2020年6月20、21日実施の朝日新聞の世論調査。

 ◆あなたのお宅では、政府が配っている布製のマスクが役に立ったと思いますか。役に立たなかったと思いますか。

 役に立った 15
 役に立たなかった 81
 その他・答えない 4

 朝日新聞世論調査から約50日後、「マスクに関する意識調査」(株式会社プラネット/2020.08.11) 

 ◇マスクに関する意識調査(2020年7月17日~20日、インターネットで4,000人から回答)

 〈一方、さまざまな物議を醸した政府配布の、いわゆる「アベノマスク」は、現在使っている人は3%あまり。今後使いたい人も2%にとどまりました。〉
 
 アベノマスクがこれ程の不人気であったにも関わらず、配布希望者を募り、いざ蓋を開けてみると、在庫数約8200万枚に対して2億8千万枚、37万件の応募があった、この超人気ぶりは何を物語るのだろうか。過疎化と移動手段の自動車シフトによって乗客が極端に少なくなり、事業撤退に追い込まれることになった鉄道の廃線を惜しんで運行最終日のセレモニーに大勢の人間が記念に集まって、始発駅にかつてない賑わいを見せるのと、数の点から言っても訳が違う大賑わいであろう。考えられる答は安倍晋三の政策に一点の曇りも与えるわけにはいかない、経歴にキズをつけるわけにはいかない、顔に泥を塗るわけにはいかないと、その証明のためには少しぐらいの応募数では追いつかないからと、安倍晋三支持の介護施設経営者や病院経営者やその他の経営者、個人、あるいは自民党支持者である各経営者や個人に配布希望の申出を行うよう電話やメールで自民党国会議員や県会市会議員、自民党員が声掛けを念には念を入れて熱心に行った結果、念が行き過ぎて、思ってもみない枚数と件数の応募が出てしまったという可能性は考えられる。

 安倍晋三自身が声掛けの音頭取りの一人となったことも考えられないことはない。勿論、自身は直接には関わらずに秘書にやらせるだろう。税金のムダ遣いだと散々に叩かれたアベノマスクの不人気を抹消し、名誉を挽回するための主導権を握ろうとして。でなければ、世論調査に現れている不人気ぶりと桁違いの人気ぶりの説明がつかない。尤もこういった声掛けが世間に知れたら、アベノマスクの不人気ぶりを自分たちで証明することになって、安倍晋三に恥をかかせ、その名誉に関わってくる。安倍晋三主催の「桜を見る会」では国会、県市会議員がそれぞれに自身のブログに何年続けて招待された、地元後援会会員を何名招待した、「10メートル歩いたら、(安倍晋三の地元の)山口県の人に出会う」といったことを書いて自分たちから世間に知らせることをして、税金の私物化、公費での支持者獲得、政治資金規正法違反と批判を受け、国会で散々に追及を受けたことを学び、反省から、隠密理に慎重に事を運んだとしたら、声掛けをしたという噂が出てこないとしても不思議はない。

 最後の最後まで声掛けをしたという噂は出てこずじまいで終わり、単なるゲスの勘ぐりで片付けられるかもしれないが、声掛けなければ、2億8千万枚、37万件もの応募はとてものこと考えることはできない以上、こういった情報処理を施して国会で追及するのも(既に追及しているのかもしれないが)、情報処理の選択肢を広げて、丁寧語の廃止と普通語への転換と同様に国会追及の生産性(発言数にに対する成果)を高める訓練としうる可能性は否定できない。

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安倍晋三、松井一郎等々の核保有軍事大国の核に関わる懸念材料が何かを特定できない想像力空疎な「核共有」欲求(1)

2022-03-31 09:10:37 | 政治
 プーチンは真正な民主義制度のもとの公正・公平な選挙によって選ばれたロシア大統領とは言えない。このことを様々なマスコミ報道によってコマ切れに既知の情報としていたが、「2021年ロシア連邦下院選挙にみるプーチン政権の安定性と脆弱性」(日本国際問題研究所溝口修平法政大学法学部国際政治学科教授/2021-12-21)から順不同となるが、簡単に纏めてみる。

 プーチン批判の急先鋒アレクセイ・ナワリヌイ氏の逮捕に象徴される有力な大統領選対立候補者に対する様々な妨害・締め付け。因みに記事は触れていないが、アレクセイ・ナワリヌイ氏は2020年夏に西シベリアからモスクワに戻る機中で体調不良を起こし、ロシア内の病院で治療、後にドイツの病院に転院、そこで体内の毒物が特定されている。2021年1月のロシア帰国の空港で逮捕状が出ているとの理由で逮捕、アレクセイ・ナワリヌイ氏は現在も収監中である。

 官憲による反体制デモ参加者の拘束。裁判所の有力な反体制派団体に対する「過激派」認定。認定を受けた団体指導者は5年間、関係者は3年間の被選挙権の剥奪。これは有力な反体制派立候補者を大統領選立候補や国会議員選挙候補から遠ざける企みであろう。

 中央選挙管理委員会による大統領選だけではないロシア連邦議会国家院(下院)の野党候補者に対する不当な選挙介入、投票や票の集計に於ける不正。因みに上院に当たる連邦院は連邦構成主体の行政府及び立法機関の代表各1名からの推薦で成り立っていて、任期は無いという。

 こう見てくると、ロシアの選挙は民主主義の体裁を成していないことが分かる。プーチンがロシアで強権を手に入れたのはこのような選挙の不正や反体制派への弾圧・排除等々を利用してのことだと理解できるが、これらの不当行為自体が強権を手に入れるための必須要件となっていたことになる。警察や検察、裁判所にプーチンの息のかかった人物を配置、周囲はプーチンの望みどおりに動き、そのうち、プーチンの望みを前以って感知して、その望みに先回りして、望むことと同じことをする、あるいは忠実さのウリと報酬やよりより地位を期待して望み以上のことをする。こういった構造がロシアの隅々にまで確立すると、独裁の成立の完璧な条件となる。プーチンの陰険さはその顔にまで現れている稀有な例であろう。

 安倍晋三はこうしたまともではないロシア大統領プーチンを7年8ヶ月もの間、まともに相手にしてきた。

 反体制派への弾圧・排除は反プーチンの女性ジャーナリストにまでその魔手を伸ばしている。2006年には女性ジャーナリストアンナ・ポリトコフスカヤがアパートのエレベーター内で何者かに射殺され、2009年にはロシア軍元大佐によるチェチェンの少女誘拐・殺人事件を担当中でチェチェンの人権問題にも取り組んでいた男性弁護士と彼を取材中だった女性ジャーナリストアナスタシア・バブロワが白昼の路上で射殺されている。プーチン自身が命令を下したのではないかもしれないが、自身の権力維持の障害となる邪魔者は生死に関わらず消せの構造構築の第一歩を進めたのがプーチン自身でなければ、大統領として厳しい取り締まり側に立っていただろうから、このような妨害が社会的に日常風景化するはずはない。プーチンが望んでいるに違いないと誰かが忖度して行なったことであっても、そう仕向けているのはプーチン自身の邪魔者を消したがっている意思から始まっていることになる。邪魔者を消すことの意味と価値をソ連の情報機関・秘密警察であるKGB時代に学んだに違いない。

 ロシアの国家院(下院)選挙と大統領選挙にはロシアの中央選挙管理委員会の要請を受けて国際選挙監視団が派遣され、日本も参加している。中央選挙管理委員会自体がプーチンと政権与党である「統一ロシア」の勝利のために選挙不正や選挙妨害までしながら、国際社会に国際選挙監視団の派遣を要請する。プーチンと「統一ロシア」の勝利を正当づけるための振る舞いなのだろうが、そうまでして正当づける必要性は逆に自らは事実として抱え込んでいるゆえに消し難い選挙の不正を国際選挙監視団が代わって消してくれることを望んでいるからだろう。勿論、不正が露見しないように様々な細工はするはずである。プーチンを筆頭とした中央選挙管理委員会や、警察や検察、裁判所まで加えた様々な不正露見阻止の細工が、いわば反体制派の弱体化がプーチンの権力を強固な一枚岩とし、否応もなしに独裁へと導いていく。そしてこのようなプーチンの独裁状況の確立はロシア人の多くが民主主義を体現していないことの結果値であり、その筆頭の位置にプーチンが君臨しているということであろう。

 2022年2月24日、ロシアはウクライナへの軍事侵攻を開始した。侵攻直前にロシアの国営テレビは「プーチンの国民向けの演説」(NHK NEWS WEB/2022年3月4日 18時25分)を放送している。全文閲覧はアクセスして貰うことにして、要点をかいつまんでみる。

 プーチンはNATOの東方拡大によってその軍備がロシア国境へ接近している自国の安全保障状況は西側諸国の無責任な政治家たちがロシアに対して露骨に、無遠慮に作り出している根源的な脅威となっているとしているが、ウクライナのクリミア自治共和国とセヴァストポリ特別市のロシア併合に象徴される旧ソ連領に対するプーチンの領土拡張欲求と旧ソ連邦を目標とした大国回帰願望を内包した独裁体制に対して西側が高めることになっている軍事的警戒であって、いわばプーチン側が撒いた種なのだが、その道理も考えずに一方的に敵意ある対抗心を剥き出しにしている。

 要するに自身の行いの悪さがそれ相応に招くことになった因果応報といったところだが、自分は偉大で優秀であるという誤った尊大な自己愛に取り憑かれているからだろう、客観的に自らを省みることができないから、自身に不都合なことの原因を周囲の人間や周囲の事情に置くことになる。独裁という行為自体が自己絶対の自己愛なくして成り立たない。

 プーチンの領土拡張欲求は次の言葉に現れている。〈問題なのは、私たちと隣接する土地に、言っておくが、それは私たちの歴史的領土だ、そこに、私たちに敵対的な「反ロシア」が作られようとしていることだ。〉――

 ウクライナはかつてはソ連邦を形成する一共和国ではあったが、ソ連邦が崩壊した時点で領土に於ける歴史的一体性は終止符を打った。勿論、主権に関しても歴史的一体性は終えた。にも関わらず、「歴史的領土」だとして、暗に領土と主権の一体性の継続を求めている。これはプーチンの領土拡張欲求の現れであり、今回のウクライナ侵略という形を取ることになった。

 ウクライナを現在も「歴史的領土」と見る考え方は次の言葉にも現れている。〈完全に外からのコントロール下に置かれ、NATO諸国の軍によって強化され、最新の武器が次々と供給されている。〉。このことが事実だとしても、ウクライナの主権の問題であるし、領土拡張を意図した軍備増強ではないことは隣国ロシアの石油や天然ガス等の豊富な地下資源を背景としたIMF2020年名目GDP世界順位11位の経済規模に対してウクライナ55位、特にロシアの世界有数の軍事力との大きな差を比較すれば明らかなことで、このことは逆に国土防衛に限った軍備増強であることを物語ることになる。仮にウクライナにNATO軍が居座ることになったとしても、民主主義国家で形成されているNATO軍が理由もない侵略をロシアに対して仕掛けはしない。NATO軍が居座らないうちに侵略意思を見るのはプーチン自身が侵略思考を抱えていて、その思考をウクライナにも投影してしまうからだろう。

 このウクライナの国土防衛限定の軍備増強はその必要性の対象をロシアに置いていることはウクライナをプーチンが「歴史的領土」と現在も見ていることと、既に触れているが、実際に起こった問題として2014年3月のウクライナの主権と領土の一体性を武力を用いた現状変更によってクリミアをロシアに併合した一事、いわばロシア側から仕掛けた事態であることによって証明可能となる。にも関わらず、ウクライナの国土防衛限定の軍備増強を、〈アメリカとその同盟諸国にとって、これはいわゆるロシア封じ込め政策であり、明らかな地政学的配当だ。〉と自身の侵略思考を投影させて、ウクライナの国土防衛限定をロシア全領土対象の軍事的包囲網であるかのように被害妄想を最大化させて非難、〈我が国にとっては、それは結局のところ、生死を分ける問題であり、民族としての歴史的な未来に関わる問題である。誇張しているわけではなく、実際そうなのだ。これは、私たちの国益に対してだけでなく、我が国家の存在、主権そのものに対する現実の脅威だ。それこそ、何度も言ってきた、レッドラインなのだ。彼らはそれを超えた。〉と、ウクライナもNATO諸国もロシアに対する攻撃の意思がないにも関わらずロシアに対する脅威に仕立て上げて、被害妄想を解き放つべくウクライナに対して先制攻撃に出た。

 要するにウクライナのロシアに対する脅威はプーチン自身が作り上げた虚構に過ぎない。「歴史的領土」としているウクライナをロシアの“現実的的領土”とするか、最低限、領土と主権の一体的関係に置く狙いがある。ウクライナを物理的にも心理的にもロシアの支配下に置く、旧ソ連時代への回帰意思なくして行い得ない強硬措置であろう。

 そして第2次世界大戦後の国際秩序は〈実務において、国際関係において、また、それを規定するルールにおいては、世界情勢やパワーバランスそのものの変化も考慮しなければならなかった。しかしそれは、プロフェッショナルに、よどみなく、忍耐強く、そしてすべての国の国益を考慮し、尊重し、みずからの責任を理解したうえで実行すべきだった〉が、〈あったのは絶対的な優位性と現代版専制主義からくる陶酔状態であり、さらに、一般教養のレベルの低さや、自分にとってだけ有益な解決策を準備し、採択し、押しつけてきた者たちの高慢さが背景にあった。〉と西側に責任をなすりつけているが、そもそもの原因が西側民主主義とは異質なロシアの、というよりはプーチン自身の専制主義的体質がそうさせている西側の警戒心であって、「現代版専制主義」はプーチン自らに向けるべき批判なのだが、西側諸国への責任転嫁を謀っている。

 この責任転嫁は相当に根深い。〈西側諸国が打ち立てようとした“秩序”は混乱をもたらしてきた。なぜ、このようなことが起きているのか。自分が優位であり、絶対的に正しく、なんでもしたい放題できるという、その厚かましい態度はどこから来ているのか。私たちの国益や至極当然な要求に対する、無配慮かつ軽蔑的な態度はどこから来ているのか。〉

 自身の絶対権力への誇示が招くことになっている独裁主義(専制主義)、独裁主義が与える万能感を力としてかつてのソ連邦が世界に占めていた国力と地位への回帰願望が強いることになっているソ連邦と同等の領土を手中に収めたい対外拡張欲求等々のプーチン自身による「現代版専制主義」の野望が西側のそれを許さない民主義体制の壁が阻むことになっている道理を悟ることができないでいる。独裁主義は自身のみ、あるいは自国のみを考えることによって成り立つ。

 要するにプーチンの西側に対する非難は自身の所業の言い換えに過ぎない。自身の所業を西側に投射しているに過ぎない。それをプーチンの演説から改めて拾ってみる。

 〈アメリカは“うその帝国” NATOが1インチも東に拡大しないと我が国に約束したこともそうだ。繰り返すが、だまされたのだ。俗に言う「見捨てられた」ということだ。〉

 〈確かに、政治とは汚れたものだとよく言われる。そうかもしれないが、ここまでではない。ここまで汚くはない。〉

 〈我が国について言えば、ソビエト連邦崩壊後、新生ロシアが先例のないほど胸襟を開き、アメリカや他の西側諸国と誠実に向き合う用意があることを示したにもかかわらず、事実上一方的に軍縮を進めるという条件のもと、彼らは我々を最後の一滴まで搾り切り、とどめを刺し、完全に壊滅させようとした。〉

 〈私たちからの提案に対して、私たちが常に直面してきたのは、冷笑的な欺瞞と嘘、もしくは圧力や恐喝の試みだった。〉云々――

 ロシアという大国で独裁権力を手に入れるために政敵の選挙を妨害したり、ときには毒を用いてその存在を断ったり、脅かしたり、反体制ジャーナリストを銃を用いて抹殺、あるいは反対政治団体や反政府報道機関を「過激派」認定し、反政府デモや反戦デモの開催を許可せず、強行すれば、無許可デモとして暴力的に取り締る様々な手段で報道・言論を統制し、プーチン自身に都合のいい報道・言論のみの発信を仕向ける。

 「アメリカは“うその帝国”」どころか、プーチンこそが“うその帝国”を築き、独裁権力を手に入れる素地とした。

 「冷笑的な欺瞞と嘘、もしくは圧力や恐喝の試み」はプーチンがロシア国民に対して用いてきた常套手段そのもので、西側を非難しながら、自身のことを語っている何よりの証拠となる。当然、〈私たちの政治の根底にあるのは、自由、つまり、誰もが自分と自分の子どもたちの未来を自分で決めることのできる選択の自由だ。〉の発言は独裁権力からは決して生み出すことはできない種類の「自由」である以上、自らの独裁主義を隠し、見せかけの民主主義を誇示しているに過ぎない言葉となる。「目的はウクライナの“占領”ではなく、ロシアを守るため」 と言っているが、ロシアを守るためにウクライナの市民の生命を奪っていいという法はない。ウクライナにしても、ほかのどこの国も、ロシア国民の生命を奪おうと画策しているわけではない。だが、プーチンはロシアがかつてのソ連邦のような巨大な国土を擁したいがためにウクライナを餌食にしようとしている。もしかしたら、プーチンはロシア皇帝相応の地位を欲し、歴史にその名をとどめたいのかも知れない。

 プーチンが何を望もうと勝手だが、自国民や他国民を犠牲にするどのような権利もない。問題はロシア防衛を口実に自らの軍事力を誇示している点である。

 〈軍事分野に関しては、現代のロシアは、ソビエトが崩壊し、その国力の大半を失った後の今でも、世界で最大の核保有国の1つだ。そしてさらに、最新鋭兵器においても一定の優位性を有している。この点で、我が国への直接攻撃は、どんな潜在的な侵略者に対しても、壊滅と悲惨な結果をもたらすであろうことに、疑いの余地はない。〉
 
 要するにこの誇示はロシアの防衛のみを目的とした示威ではなかった。ウクライナ侵略に対する欧米主要各国の軍事的反発を抑える一種の威しの色彩を纏わせている。ロシアに軍事攻撃を仕掛けるようなら、核の使用も辞さないぞという"核の脅迫"そのものであった。それが「我が国への直接攻撃は、どんな潜在的な侵略者に対しても、壊滅と悲惨な結果をもたらすであろうことに、疑いの余地はない」とする言葉によって表現されている。

 しかもご丁寧なことにウクライナ国境にロシア軍を集結させた状況のままベラルーシで行った2022年2月10日から20日までのロシア軍とベラルーシ軍との合同演習の際、2月19日にモスクワの大統領府からプーチンの遠隔指揮下でロシア軍による大陸間弾道ミサイル(ICBM)と極超音速ミサイルの発射演習を行っている。このこともプーチン演説で示した「世界で最大の核保有国の1つだ。そしてさらに、最新鋭兵器においても一定の優位性を有している」という言葉でそれとなく核使用も辞さないぞと見せかける"核の脅迫"をホンモノと思わせる有効な伏線とし得ているはずである。

 さらにウクライナ侵略3日後の2月27日にプーチンは戦略核の運用部隊を特別態勢に置くようショイグ国防相とゲラシモフロシア連邦軍参謀総長に命令した。西側の出方によっては核使用も辞さないぞの"核の脅迫"に、どうせハッタリだろうという受け止められ方が大勢を占めていたとしても、実際にはやるつもりはなかったが、やるそ、やるぞと見せかけていたことが何かの拍子に実際にやらざるを得なくなる場合がある突発的偶然性が核の使用もありうるという疑心暗鬼を作り出して西側の行動を制約し、結果的に"核の脅迫"がそれなりに効果を上げることもある。

 さらに2022年3月4日にロシア軍がウクライナにある欧州最大のザポロジエ原子力発電所を攻撃・制圧し、5日後の2022年3月9日にチェルノブイリ原子力発電所への外部からの電力供給を切断したことに関しては核弾頭を搭載したミサイルを直接発射したわけでも、あるいは爆撃機に核爆弾を装着して直接投下したわけでもないが、発電設備に万が一にも事故が発生した場合は放射性物質の広範囲な拡散と広範囲な放射能汚染に発展して住民の生命を危険に曝し、その場所に住めなくする事態の発生は想定範囲内となり、プーチンの核使用も辞さないぞの"核の脅迫"に現実味を与えた可能性は否定できない。

 このようにプーチンはいざとなったなら核を使用するのではないのかという懸念はプーチン自身が自国民、他国民に関係なしに基本的人権の保障を重点価値とする民主主義を自らの哲学(経験からつくりあげた人生観)としているのではなく、選挙妨害でも見せている、国民の利益よりもプーチン自身の利益――有能・偉大な大統領と見せるために軍事的にも経済的にも巨大なロシアとすることを最優先させる、そういったことの利益に合致したときのみ国民の利益を考える国家主義に立った、思想・言論の統制を武器とした押すに押されぬ独裁者としてロシア国家に君臨している冷酷無比な現実主義に依拠した感情の発露であろう。こういったことが最終的に「プーチンならやりかねない」と一言で思わることになっているはずである。

 例えば米国大統領バイデンの場合は核の使用も辞さない国家指導者だと見るだろうか。民主主義を経験からつくりあげた自らの人生観=哲学としているはずだから、無差別で広範囲な人間生命の殺戮と無差別で広範囲な生活破壊を引き起こす非人道的な惨劇を自ら作り出そうとするはずはなく、そのような危機が迫ったときだけ、危機回避を目的に、あってはならないことだが、可能性としての核使用は考えられる。このことは通常兵器使用の戦争の場合についても言えることだろう。

 要するに国家指導者の人となりが核使用をも含めた戦術決定の大きな要素となる。民主主義体制下にある国家指導者の場合は他の閣僚の意見も聞いて総合的は判断を下すだろうが、独裁体制を自ら敷いている国家指導者は自身の決定を絶対とする独裁意志のもと、鉄の意志の所有者でありたいと思う独裁者にありがちな願望が、あるいは自身は鉄の意志の塊そのものだと見がちな信念が自己の偉大さと同時に自国の強大さを見せつけたい虚栄心を常に誘発する状況に置き、人類が考えついた最強・最大の武器である核の使用もいとわないといった強がった身構えを取りがちとなる。それが現在のところ、核の使用も辞さないぞという"核の脅迫"となって現れている。

 となると、核保有国の核の使用を制御する最大の決定要件は核のボタンを独裁者に委ねてはならないという法則が成り立ちうる。大体が独裁(主義)国家は国民の基本的人権(思想の自由、宗教の自由、言論の自由、集会・結社の自由、居住・移転の自由、信書の秘密、住居の不可侵、財産権の不可侵等々)を大なり小なり認めず、抑圧する体制にあり、基本的人権を認めている立場の民主主義国家と相容れない立場上、民主主義を自らの独裁主義を崩壊させる危険思想、あるいは独裁者としての自らの地位を脅かす最悪の主義・主張と看做して敵対し、独裁主義体制と独裁主義国家を守る目的で核を最強・最大の武器と価値づけることになっている。核を守り神として、核の使用をちらつかせれば、国民の基本的人権を否定する独裁体制であっても、下手には手出しできないだろうとの計算である。

 当然、核というものからその危険要素を限りなく取り除くためには独裁者の存在を許さず、北朝鮮みたいに独裁主義に反対する民主主義勢力の存在は一切許さない完璧な独裁国家も存在するが、そうではない、民主主義を掲げる反対勢力が規模は小さくても根強く存在するロシアのような独裁国家に対してその勢力を長い時間と長い道のりを必要としたとしても、例え内政干渉と非難されても、資金提供してプーチン勢力と対等に戦うことができるまでに育てていく。あるいはプーチン側の勝手に法律を変える締め付けが厳しく、国内での活動が狭められるようなら国外に亡命政府をつくる手立てと資金を提供して、プーチンの追い落としにまで持っていくことを独裁国家に於ける核の脅威を取り除く有効な方法論としていかなければならない。独裁者の排除はロシアの場合は、勿論、プーチンのロシアの政治の舞台からの排除であり、北朝鮮の場合は金正恩の排除ということになる。

 こういったことの前提として西側諸国は先ずは核使用の危険性を回避する第一歩は独裁者の排除に置かなければならないという情報を世界に向けて発信し、「物事の平和裏な問題解決の唯一の道は独裁者の排除と民主体制への転換以外にない」を世界の合言葉としなければならない。世界の全てが民主主義国家で占められたとき、話し合いでの解決が優先事項とされ、力による領土や主権の一方的な現状変更といった暴挙は影を潜めるだろう。大体が力を用いた一方的な現状変更はイスラエルのように民主国家の体裁を取りながら、軍事的強硬国家の例外があるものの、現在では独裁国家の専売特許となっている。

 イスラエルの場合はユダヤ系アメリカ人がアメリカの選挙での影響力の大きさからイスラエルの暴挙を許してきたが、全世界に民主主義のルールを求める以上、パレスチナの領土を一方的に変更、割譲することは許されないこととしなければならない。

 プーチンがウクライナに侵略を開始した2022年2月24日から3日後の2022年2月27日に安倍晋三がフジテレビ番組「日曜報道 THE PRIME」に出演、プーチンのウクライナ侵略と核使用もありうると思わせる発言や態度を受けてのことだろう、番組で行なった安全保障関連の発言をNHK NEWS WEB記事が伝えていた。

 安倍晋三「国連は大切だが、安保理の常任理事国が当事者だった場合は、残念ながら国連は機能しない。自分の国を自分で守るという決意と防衛力の強化を常にすべきだ。

 (アメリカの核兵器を同盟国が共有して運用する政策について見解を問われて)非核3原則はあるが、議論をタブー視してはならない。NATO=北大西洋条約機構でドイツなども『核シェアリング』をしている。国民の命をどうすれば守れるかは、さまざまな選択肢をしっかりと視野に入れながら議論すべきだ。

 (その一方で)核被爆国として核を廃絶するという目標は掲げないといけないし、それに向かって進んでいくことは大切だ」

 翌日にこの記事を読んで、次のようにTwitterに投稿した。
 
 このように投稿したのは核保有軍事大国の核の使用に関わる懸念材料とはそれぞれの大国の指導者が良識ある人物であるかどうかにかかっていると見ていたからであるが、ここではその良識は民主主義を自らの哲学としているか、独裁主義を自らの哲学としているかが分かれ道となるということを付け加えたが、良識を糧としていないゆえに核の使用に走りかねない存在として独裁者の排除をTwitterに投稿し続けた。たいした読者がいるわけではないが、参考までに挙げておく。

 2月28日 〈殺人者プーチンの排除をロシア国民に呼びかけるべき。プーチンの排除が北方領土返還のキッカケとなる可能性なきにしもあらず。プーチンが独裁者であり続ける限り、返還の目はない。〉

2月28日 〈世界平和の敵、第1級の殺人者プーチンの排除をロシア国民に呼びかけよ!!〉

3月2日 〈プーチン・ロシアのウクライナ侵略。これで第3次世界大戦の枠組みが決定的となった。この将来的な世界的危機回避の最大有効策はプーチンのロシアからの排除、可能なら、中国からの習近平の排除による両国の民主化以外にないだろう。「力の行使による現状変更」といった事態は限りなく影を潜める。〉

3月5日 〈思想・言論の自由を抑えつけ、人間存在の奴隷化を謀るこの独裁者・プーチンのクビに賞金を賭ける勇者はいないのか。そんなことをしたら、プーチンと同じように権威主を背中合わせとすることになるから、したくてもできないのか。〉

3月9日 〈少しぐらい価格が高騰しても、プーチンを追いつめ、ロシア政治の舞台から追い落とし、成功すれば、世界政治の舞台からも抹殺できる。ロシアの民主化も期待でき、プーチンの秘密警察政治からも決別できる。独裁者として長く君臨し続け過ぎた。物事には潮時というものがある。既に前世紀の異物に過ぎない〉

3月9日 〈安倍晋三のお友達、プーチンを死刑台に!!地球上に独裁者の生きる道はないことを知らしめなければならない。〉

3月9日 〈プーチンの死刑台は昔ながらのギロチンが相応しい。ウクライナの子どもたちの命を奪う残酷さから比べたなら、プーチンの首を刎ねるギロチンはオモチャみたいなものだ。〉

3月9日 〈世界経済への悪影響はプーチンを死刑台に送るための一時的な代償に過ぎない。その代償は支払う価値がある。死刑台送りができなければ、代償は一時的な完結性を失い、潜在的な持続性を備える可能性が生じる。確実に死刑台に送る必要がある。〉

3月9日 〈「プーチンを死刑台に送ろう」を世界の合言葉にしよう。〉

3月18日 〈バイデン、プーチンは「人殺しの独裁者で生っ粋の悪党だ」。単なる人殺しではない。子ども・大人の区別構わない無差別殺人者である。その罪に相応しい末路として、次は「プーチンを死刑台に送ろう」と世界に向かって呼びかけるべきだろう。〉

3月23日 (プーチンの核使用の可能性に対して各国で核抑止論を正当化する声が上がっていることに対して)〈何らかの核利用を以って核抑止するのではなく、独裁者の排除と独裁主義体制から民主主義体制への創造力を用いた変換を核抑止の一歩とすべき。〉

3月23日 (ロシア反体制派ナワリヌイ氏がさらに禁錮9年の刑を受けたことについて)〈プーチンは独裁者としての自身の地位を守るためにどんな冤罪もつくり出す名人。尤も警察、検察、裁判所がプーチンの息のかかった組織でなければ、できない冤罪づくり。秘密警察時代に磨きに磨いた連携なのだろう。プーチンの排除なくしてロシアに真の民主主義は育たない。奴の政治生命を断つのは誰か。〉

3月27日 〈バイデン「この男を権力の座に残しておいてはいけない」。ホワイトハウス高官「大統領は体制の転換について議論しているわけではない。隣国などに力を行使することは許されないとする趣旨だった」何と弱気な。「問題解決の唯一の道は独裁者排除と民主体制への転換以外にない」を世界の合言葉とすべき。〉

3月27日 NHK 米バイデン大統領 プーチン氏「権力の座に残してはいけない」

3月28日 〈「プーチンは権力の座にとどまり続けてはいけない」のバイデン発言にロ大統領報道官「バイデン氏が決めることではない。ロシア大統領はロシア人によって選ばれる」。反対派不当取締、選挙妨害、暗殺、立候補資格剥奪等々様々な汚い手を使ってプーチンを当選させてきた。ロシア国民選出の正統性は皆無。〉

 どこの国の誰が核を使用しようとも、核の報復を受けない保証はない以上、核攻撃を受ける側の被害で終わらずに核攻撃を行う側にも報復の被害を覚悟しなければならない関係から、核保有軍事大国の国民は良識ある人物=民主主義を自らの哲学としている人物を国家指導者に据える義務を有することになり、この義務を、報復の被害を避けるためにも自覚するよう独裁主義国家の国民に向けて発信していかなければならないことになる。

 そして良識ある人物を国家指導者として選出する国民の義務は今回のプーチンの一主権国家に対するウクライナ侵略の非正当性と侵略の阻止を目的とする西側諸国の軍事的な介入を牽制する一つの方策として核使用も辞さないという"核の脅迫"を持ち出した一事によって明らかになった国家指導者の資質の問題にリンクする。

 だが、安倍晋三のプーチンのウクライナ侵略を受けた「核共有」発言には国家指導者の資質の点については何も触れていない。念頭に置いているだろうロシアや北朝鮮の核に対抗して国民の命を守るためにはアメリカの核を如何に活用するか、核共有を含めて議論することを勧めているのみである。但し現在の日本の安全保障は核に関しては米国の核の傘の元にある。要するに同盟国への核攻撃の目論見には米国の核を傘のように差し伸べて対抗するぞという警告自体を初期的な核抑止としている。尤も同盟国への核攻撃の動きが見えたとき、あるいは核攻撃を行なった場合、米国が自国への核報復を避ける安全意識から核の傘に基づいた核使用を回避した場合、最終的には核の傘は名ばかりとなって機能しないことになる。

 こういった恐れも考えうる核の傘に対して「核共有」を持ち出す意味は自国にアメリカの核を備蓄する関係から敵国により強力な警戒心を抱かせて、核の傘以上に安全保障という点で効果的だと踏んでいるからだろう。だが、軍備増強の厄介なところは相手もそれ相応の対策を取るか、それ相応以上の対策を取って、自らの軍事力の優越性を誇ろうとする点にある。そのレベルは核弾頭搭載可能な音速の5倍(マッハ5=時速約6千キロ)以上の極超音速ミサイルの開発や宇宙空間の軍事基地化にまで到達している。

 このことは核兵器を益々使えない兵器とする一方で今回のプーチンみたいに西側の介入を阻止する目的であったとしても、核の使用もあり得るぞと拳を振り上て見せたが、その拳を核使用までいかずに無事着地させることができればいいが、強がりが過ぎた場合は計算外の食い違いが生じない保証はなく、振り下ろすに振り下ろせずに核の発射バタンを押してしまうという危険性は否定できない。当然、核に対するに核の報復を招く可能性が生じ、当事国同士の破壊と殺戮の連鎖は免れ得ない。報復合戦も程々のところで手を打つことができればいいが、一方が独裁者であった場合、国家という存在よりも自身という存在に対する評価が否定されることのみを恐れるあまり、事態の冷静な状況把握ができなくなって、核使用に関わる冷静なコントロール能力を失い、無計画に次々と核のボタンを押してしまう、簡単には取り返しのつかない破壊と殺戮の連鎖に至る要素も否定できない。

 例え"国民の命をどう守る"かを出発点とした何らかの核利用を計画に置いた安全保障であったとしても、特に自己の絶対性を固定観念としている独裁者が固定観念とした自己の絶対的強さや絶対的優秀さを世界に誇示する方法として何も恐れないとする心理をバックボーンとし、その心理が核の使用へと踏み切らせることはありうることであり、そうなった場合、核利用の安全保障としての有効性は最終的には何らかの妥協によって国家は守れたとしても、国土の相当規模の破壊と国民の相当規模の生命の犠牲は免れ得ず、"国民の命をどう守る"かの出発点は出発点としての意味を失うことになり、安倍晋三の発言は空手形としての役にしか立たない国民が相当数出てくることになる。

 大体が安倍晋三は戦前の天皇主義を現在も引き継ぐ国家主義者である。本質的には国民の命を守ることよりも国家を守ることに優先順位を置いていなければ、国家主義者とは言えない。もし国民を守ることに優先順位を置き、その先に国家を守る工夫を置いた安倍晋三の安全保障であるなら、可能性として国民の相当程度の犠牲を頭に置いていなければ成立しない核に対抗するに核を持ってくる安全保障は簡単には口はできないはずである。

 また、核の傘で踏みとどまるのか、核共有への道を進むのかの議論の必要性に触れながら、その一方で「核被爆国として核廃絶の目標に向かって進んでいくことは大切だ」と核廃絶を目標に掲げるのは矛盾していることを矛盾していないかのように見せかける安倍晋三一流の狡猾なレトリックに過ぎない。核の傘、あるいは核共有は核利用の有効性を認める地平に立つことであり、核廃絶は核の無効性を目指す地平に立つことだからであり、二者択一は可能だが、ニ者両托は論理的にも現実的にも不可能だからである。

 となると、既に述べてきたように核保有大国の独裁者の排除に取り掛かかることの方が得策ということになる。

 安倍晋三の発言によって「核共有」がクローズアップされることになった。先ず「核共有」について詳しく知るためにネットを調べてみたが、「Wikipedia」が最も簡潔に紹介しているようだから、要所を取り上げてみる。文飾は当方。

 「ニュークリア・シェアリング」

ニュークリア・シェアリング(英語:Nuclear Sharing)または核共有とは、核保有国が核兵器を同盟国と共有するという考え方、戦略。アメリカがNATOに供給する形で実現された核抑止における政策上の概念である。NATOが核兵器を行使する際に独自の核兵器を持たない加盟国が計画に参加することと、特に加盟国がその国内において核兵器を使用する為に自らの国の軍隊を提供することが含まれている。

ニュークリア・シェアリング参加国は核兵器に関する政策に対して決定力を持ち、核兵器搭載可能な軍用機などの技術・装備を保持し、核兵器を自国領土内に備蓄するものである。ソ連やその衛星国に配備された核兵器に対応する為にドイツ・イタリア・ベルギー・オランダは自国内にアメリカが所有する核兵器を設置している。核兵器使用の意思決定にはNATOが参加するが、最終決定権はあくまで米国にある。

参加国

NATO内の核保有国である3カ国(アメリカ・イギリス・フランス)のなかで唯一アメリカだけがニュークリア・シェアリングのための核兵器を提供している。現在ニュークリアシェアリングを受けている国はベルギー・ドイツ・イタリア・オランダ・トルコである。イギリスは自ら核保有国で原子力潜水艦にミサイルを積んで自国を防衛した上に、1992年までアメリカの戦術核兵器の提供を受けており、提供された核兵器は主に西ドイツ国内に配備されていた。

 核兵器の管理方法

平時においては非核保有国内に備蓄された核兵器はアメリカ軍により防衛され、核兵器を起動する暗号コードはアメリカの管理下にある。有事にあっては核兵器は参加国の軍用機に搭載され、核兵器自体の管理・監督はアメリカ空軍弾薬支援戦隊(USAF Munitions Support Squadrons)により行われることになっている。戦時に於いて核戦力の行使はNATOの総意とされるが、敵地領土への最終的な判断はあくまで核兵器提供国にある。その為たとえ他のNATO加盟国全てが同意しても、アメリカが拒否すれば敵領土へは核兵器は使用できない。侵略されて領土が敵軍に占領されている場合は逆にドイツ・イタリア・ベルギー・オランダで侵略された領土の政府の許可が必要である。

 主要な取り決めを箇条書きにしてみる。

① 核兵器を自国領土内に備蓄する
② 核兵器使用の意思決定にはNATOが参加するが、最終決定権はあくまで米国にある。
③ その為たとえ他のNATO加盟国全てが同意しても、アメリカが拒否すれば敵領土へは核兵器は使用できない。
④ 侵略されて領土が敵軍に占領されている場合は逆にドイツ・イタリア・ベルギー・オランダで侵略された領土の政府の許可が必要。

 ①の核兵器の自国領土内備蓄は「核共有」という意味・目的からも、即座の使用を可能にするためにだろう。但し備蓄場所は敵国による核の攻撃対象となる。有事の際、相手の核ミサイル攻撃によって備蓄場所が先に破壊されるか、相手が核ミサイルを発射する前に発射場所を核ミサイルで先制攻撃、破壊するか、発射後のいずれかの地点で迎撃ミサイルで撃ち落とすか、いずれかの局面を答とすることになるが、いずれの場合も核物質の拡散は免れず、住民の避難、普段どおりの生活の遮断、健康被害等に見舞われる危険性を危機管理としなければならない。

 ②の最終決定権が米国にあることと、〈戦時に於いて核戦力の行使はNATOの総意〉であり、〈敵地領土への最終的な判断はあくまで核兵器提供国にある。〉としていことは対を成している要件であることが分かる。そしてこの②と③は、最終決定権が米国にあることから、核共有国と米国の間に利害の不一致を見ることもあることを示唆している。要するに米国の利害が優先される。

 ④の要件は、米国自身が敵の被侵略領土内に核を打ち込んだ場合は領土内住民への放射能被害やミサイル着弾の直接の被害が避けられない関係からその責任を米国が負うのではなく、領土の政府に負わせるための取り決めということになる。

 こう見てくると、「核共有」はそう簡単ではないことが分かる。アメリカの核を日本に備蓄して置かなければならない点、監視対象兼攻撃対象として常に照準を定めれれていることになる。いわば核攻撃の誘い水の役目を自ずと担うことになる。場所は秘密にしておくだろうが、偵察衛星で特定されない保証はない。特定されても、特定したことを隠しておくだろうから、秘密が保持されているのかいないのか常に宙ぶらりんの状態に置かれたまま防御態勢を取り続けなければならないから、神経はそれなりに擦り減らさなければならない。場所を間違えていて、その場所に核ミサイルを打ち込まれた場合、想定外なことが被害と惨劇を大きくすることもありうる。独裁国家とは経済的関係を可能な限り断ち、軍備増強の資金を先細りにして、それと平行して民主派勢力に秘密裏に資金を提供し、その勢力拡大に手を貸し、独裁者を排除して、民主化できるように仕向けることが時間はかかるだろうが、核の報復合戦に向かいかねない危険性を残す核利用に頼るよりも賢明な安全保障であろう。

 独裁国家から外国が自国民主派勢力に資金を提供していると非難され、日本がその外国として名指しされたとしても、「我々は1円たりとも資金は提供していない」と知らぬ存ぜぬ通せばいい。事実を事実でないと言い立て、事実でないと言いくるめるペテン、あるいは外国人による虚偽の違反行為をデッチ上げて、非難の材料に当てるのは独裁国家がよく使う手であり、そのお返しに過ぎない。国民の基本的人権を尊重しない、あるいは認めないことによって独裁者に対する批判や反対行動を封じ込めて自らの独裁国家権力の地盤を強固にし、国民の生活は程々に維持するか、最悪国民の困窮は放置して、搾り取った富を独裁体制維持を目的に軍備増強の軍事費に回す一方で体制維持に協力的な企業集団に優先的に企業経営の便宜を図り、得た富の何がしかを見返りに体制に貢がせ、共存共栄を図って自分たちのみを国家に有益な集団として栄華を誇る。

 外に対しては軍事力や核の威嚇、内に於いてはプーチンとプーチンを支える集団だけが人間らしい生存を謳歌し、一般国民に対しては人間らしい生存の謳歌を抑圧するか制限する。独裁者の存在は世界平和を脅かす元凶そのもので、であるなら、基本的には独裁者の排除を世界平和の基礎に置くべきで、排除は核の脅威を薄れさせて、核を安全保障の重要な柱とすることの意味を縮小させ、逆に紛争解決には話し合いを決まり事とすることになる。

 安倍晋三の「核共有」発言は2022年2月27日だったが、その翌日の2月28日に日本維新の会代表松井一郎が早速肯定的な反応を示したと「時事ドットコム」(2022年02月28日17時10分)記事が伝えていた。

 松井一郎「『核共有』の議論をするのは当然だ。非核三原則は戦後80年弱の価値観だが、核を持っている国が戦争を仕掛けている。昭和の価値観のまま令和も行くのか。

 (対ロシアへ制裁によって国内のエネルギー供給量に影響が及ぶ可能性があるとして)原発の稼働に消極的な立場だったが、短期的には再稼働やむなしだ」

 「昭和の価値観」とは、いわば時代遅れだと独自の評価を下してはいるが、「核共有」の議論を進めるべきの点は安倍晋三と同じ姿勢を見せている。要するに安倍晋三と同様に非核三原則よりも核共有の方が核抑止により効果的だと見ている。多分、時代の先端を行く核政策と見ているのかもしれないが、より効果的であろうが、時代の先端を行こうが、あまりにも破壊力が強力なゆえに「使えない兵器」としての地位を与えられていたものが万が一発射された場合、発射された側の2発目、3発目を阻止する対抗措置として“報復”という軍事作用が存在する限り、また、報復という名目は正当性を得やすいことも手伝って、当然、核に対抗するに核という手段が躊躇なく取られるだろうから、「核共有」であったとしても、あるいは核そのものを所有していたとしても、完璧な核防御策となる保証はない。

 例えば日本では原子力発電事故はないという「原発安全神話」が罷り通っていた。だが、福島原子力発電所の事故が「安全神話」をものの見事に打ち砕いた。かと言って、原子力発電に対しての安全という概念が信用できないところにまで堕ち込んだわけではない。原子力発電事故が滅多に起きるわけではないことを多くが知っているが、と同時に絶対に起きないとは誰もが確信しているわけでは決してない。だから、事故発生がないように「脱原発」を主張する声が上がる一方で安全対策に日々取り組むことになっている。同じことが核使用についても当てはまる。「使えない兵器」となっていることは知識としているが、決して「使われることはない兵器」に達しているとまでの知識には至っていないはずだ。特に今回の独裁者プーチンの発言が「使われるかもしれない」という恐れを世界中に拡散させることになった。となると、安倍晋三にしても松井一郎にしても、「核共有」の議論をするのはいいが、ひとたび核が使われる恐れが生じた場合、その恐れが現実となって使わる危険性が高まってしまった場合、結果として報復合戦への発展が想定されるに至った場合、これらの過程を「核共有」は初期の段階で遮断する有効な手段となりうるのだろうか。なり得ずに福島原発事故後の1千倍、1万倍、あるいは10万倍、100万倍、それ以上の最悪の事態を招く危険性は否定できない。

 こういった最悪事態発生の予防措置は核の全廃が現在のところ現実的ではない実現性となっている以上、核を使う危険性の高い独裁者の排除に想像力を働かせることが懸命な選択となる。排除の方法は既に述べてきた。一番の懸念は独裁者プーチンがロシアの政治の舞台から排除される前に核の使用に走る危険性である。このウクライナ侵略でプーチンの戦略上の思惑が外れて、赤っ恥をかくようなことになったなら、世界の主要な国々の大半が侵略に反対し、非難していることから、反対と非難を打ち砕き、自らの正当性を打ち立てるだけのために核を使用する可能性は否定できない。独裁者は自らの思惑で、いわば独裁によって事を決め、事を始める傾向が強い。だから、独裁者として存在できる。他人の意見を尊重するのは民主主義者のすることである。ウクライナ侵略が独裁者プーチンの核使用を許さない西側の制裁が功を奏することを期待するのみである。

《安倍晋三、松井一郎等々の核保有軍事大国の核に関わる懸念材料が何かを特定できない想像力空疎な「核共有」欲求(2)》に続く。

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安倍晋三、松井一郎等々の核保有軍事大国の核に関わる懸念材料が何かを特定できない想像力空疎な「核共有」欲求(2)

2022-03-31 09:05:50 | 政治
 国会や政党代表の記者会見等でも安倍晋三の「核共有」発言が取り上げられることになった。万が一あるかもしれない核の使用に対してどのような想像力を働かせているのか、結果としての核の取り扱いをどう考えているのか、いわば核防衛体制についての考えを見てみる。先ず国民民主党代表玉木雄一郎が2022年3月1日の党記者会見で安倍晋三の「核共有」発言に対する反応をNHK NEWS WEB記事が伝えている。国民民主党のサイトにアクセスしてみたが、「冒頭発言概要」しか紹介しいない。あとはYou Tube動画のリンク付を行なっている。サイトを覗く人間が少ないのかもしれないが、マスコミが発言を伝えることで具体的な発言内容を知りたくなる数少ない機会にも応えることができないとなると、自民党みたいに元々政党支持率の高いところはお構いなしとすることはできるが、政党支持率が低いところは漏れのないサービスに不足することになると思うが、そこまでは考えていないようだ。仕方がないから、NHK記事を参考にする。

 玉木雄一郎「非核三原則や平和国家の歩みからすると、(安倍晋三の「核共有」は)一足飛びの議論だ。唯一の戦争被爆国として核廃絶という大きな目標を掲げてやっていくべきだ。

 どのような形であれば、憲法が掲げる平和主義と反せずに核抑止が機能するのか、現実的な議論を積み重ねていくことが大事だ。特にこれまで議論を避けてきた、非核三原則の『持ち込ませず』の部分が、一体何を意味するのか、日米の具体的なオペレーションの在り方を含め冷静な議論を始めるべきだ」

 安倍晋三と同様に長い目で見た核抑止策として核使用の危険性の高い独裁者の排除に視点は置いていない。あくまでも“核に対するに核”の考えに立っている。唯一の戦争被爆国としての核廃絶というのは「大きな目標」だと言っているが、この「大きな」とは「最終的な」という意味を取るはずだ。核廃絶はあくまでも「最終的な目標」であって、そこに到達するまでには現実にある核の脅威を取り除いていくために「憲法が掲げる平和主義と反せずに核抑止」を機能させる方策の追求に取り組まなければならない。その方策として「非核3原則の『持ち込ませず』の部分」に注目している。非核3原則とは核兵器を「持たず、つくらず、持ち込ませず」を指すのだから、非核3原則と核の傘の関係からすると、日本に核攻撃の脅威が迫った場合は核攻撃の脅威を与えている国への核に対抗するに核の予防策としてアメリカ本土からの核弾頭搭載大陸間弾道ミサイル(ICBM)、太平洋上の原子力潜水艦からの核弾道ミサイル発射等が従来型の、いわば日本の外からの運用を方法としているが、当然、非核三原則の「持ち込ませず」が「一体何を意味するのか」と言っている意図は「持ち込ませず」を言葉通りに解釈せずに持ち込ませる方向への何らかの含みをそこに期待していることになる。

 もし言葉通りに解釈していたなら、あとの言葉、「日米の具体的なオペレーションの在り方を含め冷静な議論を始めるべきだ」を続ける必要性は生じない。玉木雄一郎が想定している核を持ち込ませる方向へ何らかの含みを持たせていることはその含みの持たせ方によって核の取り扱いは大きく変わる。高市早苗の次の記者会見発言についても同じことが言える。

 自民党政調会長高市早苗2022年3月2日の記者会見(「You Tube」から) 

 高市早苗「いわゆる核シェアリングという問題でございますけれども、これは昨日も申し上げましたが、民主党政権下だった平成22年3月、当時の岡田克也外務大臣が核を搭載した米国の艦船や航空機の我が国への一時的な寄港や飛来ということも念頭にしながら、外務委員会で答弁をされました、そのような緊急事態に於いて非核3原則をあくまでも守るのか、ま、それでも国民の生命の安全を考えて、異なる判断をするのか、それはそのときの政府の判断の問題であって、今からそのことについて縛ることはできないと考えているということでございました。

 その後平成24年(2012年)12月に我が党は政権復帰させて頂きましたけれども、平成24年2月14日の予算委員会に於いても当時の岡田外務大臣が行なった答弁を引き継いでいると答弁をしておられます。そして同月ですけども、質問主意書への答弁書としてこの岡田克也外務大臣当時の、まあ、この方針を安倍内閣としても踏襲する旨、閣議決定をして、答弁書と致しております。

 日本国政府は民主党政権以来、自公政権になっても、国民の安全が危機的状況になったときに非核3原則をあくまでも守るのか、それとも持ち込ませずの部分については例外をつくるのか、それはそのときの政権の判断するべきことであって、将来に亘って縛ることはできないという立場を重ねて表明してきております。

 あのー、持たず、つくらず、持ち込ませず、この非核3原則は例えば『持たず、つくらず』の部分につきましてはこれも皆様ご承知の通り原子力基本法ですとか、核不拡散条約、まあ、これを批准しておりますので、『持たず、つくらず』というのは当然のことであります。ただ本当に有事になって、国民の安全が脅かされる危機的状況になったときに核を搭載した、例えば米国の艦船が来たときに日本に寄港させないのか、給油もさせないのかということになると、また別問題であり、領海を航行することもダメなんだとということでは実質的に日本は守れないのではないのかと私は考えました。

 あくまでも民主党政権時代、その後の安倍内閣の方針及び外務大臣の国会答弁、全く同じことを昨日申し上げました。で、今後党内でどうするのかということでございますけれども、きのう政調会の半沢(?)調査会長と私は遣り取りをしております。ま、今後は非常に重要な時期になりまして、国家安全保障戦略や中期防(中期防衛力整備計画)も含めて今後見直すという形の作業に入りますが、その中にあっても、この議論、全く封じ込めるということであってはならないと思っています。関係議員と相談しながら、今後この問題についての進め方、議論をするかしないかを含めて検討してまいりたいと思っています」

 民主党政権時代の岡田克也外務大臣の2010年3月17日衆議院外務委員会での非核3原則関連の発言は次のようになっている。

 笠井亮(あきら・日本共産党)「米国が有事と判断した際には核兵器を再配備することを宣言しているわけで、それでも核兵器は持ち込まれることはないと断言できますか」

 岡田克也「我々としては、非核三原則、鳩山内閣として堅持するという方針であります。しかし、日本自身の安全にかかわるような重大な局面というものが訪れて、そしてそのときに核を積んだ艦船が一時寄港する必要が出るというような、そういう仮定の議論は余りしたくありませんが、そういうことになったときに、我々は非核三原則を堅持いたしますが、最終的にはそのときの政権がぎりぎりの判断というものを政権の命運をかけて行うということだと思います。

 非核三原則というのは、これはやはり日本自身を核の脅威から遠ざける、こういう考え方に立って行われているものだと私は認識いたしますけれども、いざというときの、日本国民の安全というものが危機的状況になったときに原理原則をあくまでも守るのか、それともそこに例外をつくるのか、それはそのときの政権が判断すべきことで、今、将来にわたってそういったことを縛るというのはできないことだと思います」

 この答弁以前に岡田克也は自民党岩屋毅議員に対して「緊急事態ということが発生して、しかし、核の一時的寄港ということを認めないと日本の安全が守れないというような事態がもし発生したとすれば、それはそのときの政権が政権の命運をかけて決断をし、国民の皆さんに説明する、そういうことだと思っております」と答弁している。

 高市早苗は「いわゆる核シェアリングという問題でございますけれども」と言いながら、緊急事態発生時には実質的には非核3原則のうちの「持ち込ませず」に関して例外規定を設けるかどうかはときの政権の決断事項だとする民主党政権時代の考え方を自民党政権も引き継いでいて、引き継いでいることは答弁書に於いても閣議決定もしているし、このことに関しては議論を進めるのか進めないのかを含めて検討するとしているものの、「持ち込ませず」の例外規定が単純に核搭載艦船の一時寄港の許可に限定するなら、核はあくまでも米軍の掌中に置くことを意味し、核の使用に関しては日本の関与外となり、安倍晋三の「核共有」とは実質的には異なることになる。

 だが、玉木雄一郎の説明どおりに核を“持ち込ませる”方向に持っていくためには「日米の具体的なオペレーションの在り方」の議論を日米間に介在させる必要上、議論の行方によっては核の使用に日本政府の関与をも可能とする項目を設けた場合は核の所在を寄港した米艦船内に限ったとしても、そこに備蓄する形を取ることとなり、この双方の条件によって“持ち込ませる”は限りなく「核共有」に近づくことになる。もし核を陸揚げして、米基地内か自衛隊基地内に置くことにしたら、「核共有」そのものとなる。

 但し玉木雄一郎が安倍晋三の「核共有」を「一足飛びの議論だ」としているから、一見、「核共有」まで考えていないように見えるが、第1段階として“持ち込ませる”から始めて、安全保障環境の変化によっては第2段階か第3段階目に「核共有」に持っていくというふうに「一足飛び」ではなくても、段階を踏んでと考えている可能性は否定できない。「核共有」がこのような形式のものであっても、「持たず、つくらず、持ち込ませず」の非核3原則の「持たず」と「持ち込ませず」を限りなくなし崩しにする、より積極的な核関与政策となる。高市早苗の上記記者会見での“持ち込ませる”方向への議論の示唆も、何しろ安倍晋三とは思想的には双子の関係にあるから、手始めに“持ち込ませる”から始めて、「核共有」に近づけていく目論見を頭に置いていないとは言い切れない。

 では、安倍晋三の「核共有」議論推奨に総理岸田文雄がどのような姿勢を見せているのか、野党立憲民主党3氏の追及を見てみるが、追及自体に3人の核に関する考え方が反映されることになる。勢いと小賢しさだけの立憲小川淳也の「批判するときは国民が惚れ惚れするような批判してこその野党だ」の言葉がそっくりと当てはまる追及となっているのかどうかも併せて見ることにする。

 2022年3月2日参議院予算委員会

 田名部匡代「先日、我が党の田島(麻衣子)委員から質問がありました。安倍前総理、民放の報道番組で、核保有についてまさに議論を呼びかけるような発言があったことについて田島議員から質問があったわけでありますけれども、そのときに総理からは、非核三原則を堅持するという我が国の立場から考えて、これは認められないと認識をしていますというふうにお答えになっております。

 改めて確認させていただきます。総理、核保有に関しては、これまで御答弁では検討という言葉が多かったんですが、検討ではない、検討もしない、議論も認めないということでよろしいでしょうか。

 岸田文雄「確か先日の議論は、核保有というか核共有の議論であったと思います。そして、その核共有ということについて、その核共有の中身ですが、この平素から自国の領土に米国の核兵器を置き、有事には自国の戦闘機等に核兵器を搭載運用可能な体制を保持することによって自国等の防衛のみの、防衛のために核、米国の核抑止力を共有する、こういった枠組みを想定しているというのであるならば、これについては、非核三原則を堅持している立場から、更に申し上げるならば、原子力の平和利用を規定している原子力基本法を始めとするこの法体系から考えても、政府として認めることは難しいと考えております。

 田名部匡代「大変失礼しました、核共有。

 実は、平成29年、我が党の白眞勲委員からも、当時の安倍総理にこのことについて質問されておられるんですね。当時の安倍総理は、やはりこれは非核三原則を堅持していくという立場だと、そして、この核シェアリングについては全く検討も研究もしていないわけでございまして、抑止力について向上、これ前段の話で、いろいろと議論する、研究することは、検討していくことは当然なのではないかということについて白眞勲議員が質問しているんですけれども、その発言は総理としての発言ではなかったので、総理としては、これは抑止力の向上ということについては核シェアリングは除くと、まさに非核三原則をしっかりとその立場を守っていくという御発言をされているんですね、当時、安倍総理は。

 しかし、この間、民放のテレビ番組において、その議論を呼びかけるようなことがあったわけです。

 総理は、こういったことについてどのような感想をお持ちでしょうか」

 岸田文雄「私はその番組の発言直接聞いておりませんので、そのどういった流れであったか、趣旨であったか十分承知していないので、私の立場から具体的にそれについて申し上げることは控えますが、いずれにせよ、核共有ということについては先ほど申し上げたとおり認識をしております。

 政府としてそうした考え方を認めることは難しいと考えておりますし、政府として議論することは考えておりません。

 田名部匡代「しっかりと私たちは非核三原則、堅持する立場を貫いていきたいと思いますし、難しいということではなくて、やっぱり……(発言する者あり)委員席からもありますが、あり得ない、しっかりとそれは守っていただきたいというふうに思います」 
 青木愛(立憲民主党)「自民党の元安倍総理がアメリカの核兵器を国内に配備して日米共同で運用する核共有政策の導入についてテレビで話をされました。この核共有に関する岸田総理の見解を私からもお聞きしたいと思います。そして安倍元総理、自民党の今でも有力な議員だと思いますけれども、自民党の中でもこうした日米共同で運用する核共有政策の導入、こうした考えが自民党の中にあるでしょうか。お聞きさせて頂きます」

 岸田文雄「安倍元総理の出演された番組、私ちょっと拝見していませんので、それについて直接言及することは控えますが、政府としては先程来申し上げているように自国の領土に米国の核兵器を置いて、有事にはこの自国の戦闘機等によって核兵器を搭載、あるいは運用可能な態勢を保持することによって自国等の防衛のために米国の抑止力を共有する、こうした枠組みを想定しているのであるならば、これは政府として非核3原則を堅持していく立場からも、また、原子力基本法を始めとする国内法をこの維持する見地からも認めることはできないと考えております」

 (答弁に不足があると見たのか、委員長に抗議、ほんの少し中断、答弁のし直し)

 岸田文雄「自民党のみならず、国内に於いて核共有について様々な議論があるということは承知しております。しかしながら、私の考え方、政府の考え方、これは先程申し上げたとおりでございます」

 青木愛「安倍元総理の発言、テレビを見ていないので控えると仰いましたけども、控えている場合ではないと思います。で、そういう議論がですね、核を共有するという議論が自民党の中で行われているという、率直なお話も聞こえてきたわけでありますけれども、冒頭申し上げましたように今、世界は三重の地球規模の危機に直面しているわけでありまして、岸田総理も仰ったように今こそ世界が一つになってこの地球からの、自然からの警告に立ち向かわなければならないときに安倍元総理の発言はですね、さらに危険を煽る、極めて遺憾で、危険であるとそういう発言があるということを指摘しておきたいというふうに思います。

 ウクライナ問題については以上で、また改めて、また機会を作ってですね、安倍元総理の発言についても追及していきたいというふうに考えます」 
 杉尾秀哉(立憲民主党)「さっそくですけれども、先程来、質問が出ております安倍元総理のニュークリアシェアリング、核共有について伺います。ちょっと確認させて頂きたいのですが、先程来、核共有は認めない、あるいは認めることは難しいということを総理、何度も仰っておりますけども、これは議論自体を認めない、こういうことですか。どうぞ」

 岸田文雄「政府としてこの核共有は認めないと申し上げています。政府として議論することは考えておりません」

 杉尾秀哉「これは先程来出ておりますけれども、党内で議論することはありますか」

 岸田文雄「党の内外でこの核共有について様々な意見があるということは承知しております。しかし政府としてこうした考え方は認めませんし、議論していくことは考えておりません」

 杉尾秀哉「政府の立場をこれまで仰ったならば、自民党の総裁ですから、党に対してもそうしたメッセージをちゃんと発して頂けませんか。安倍総理の発言、これ海外に伝えられてるんですよ。この発言をキッカケとしてですね、ある自治体の首長(くびちょう)さんはですね、『非核3原則は昭和の時代なんだ』と、『異物なんだ』と、こういうことを仰ってる。ネット見てください。今核保有論の議論がネットに溢れてます。こういう世論を煽るような遣り方っていいんですか、どうですか」

 岸田文雄「ハイ、自民党の党の内外、そして日本に於いて、そして世界に於いて核共有について様々な意見があることは承知しております。だから、政府の方針として政府に於いては核共有というものは認めない、議論は行わない。これを再三公の場で発言を、発言をさせて頂いております。その政府の方針をしっかりと確認をし、社会に対して、世の中に対して発信していくことは重要であると考えています」

 杉尾秀哉「自民党の総務会長(福田達夫)も、政調会長(高市早苗)も、やっぱりこの核共有について議論すべきだと、こういうふうにですね、三役の方が仰ってますよね。これはやっぱり世界に対しても、折角、党の、政府の立場をそこまで仰ってるんだったら、やっぱり党に対しても強く言うべきだ。少なくとも安倍総理の発言を確認していないという、そう言い逃れをしないでください。

 安倍さんも、聞く耳も持ってらっしゃるんでしょ?そしたら、安倍さんに言ってくださいよ。やっぱりこれは、我々はやっぱりこういう核共有を煽るような遣り方というのは認められませんし、非核3原則というのはやっぱり堅持していくべきであると、こういう立場を崩しちゃいけないと思うですよね。もう1回お願いします」

 岸田文雄「党の内外、世の中に様々な意見があることは承知しております。だからこそ、政府としての考え方、非核3原則の考え方、さらには原子力の平和利用を定めている我が国の原子力基本法を始めとする法体系との関係に於いてこうした考え方は認められないということは改めて政府として、そして総理大臣としてしっかり発信していくことが重要であるということで発信をさせて頂いております。これからもこうした政府の考え方はしっかりと発信を続けていきたいと考えます」

 杉尾秀哉「最後にしますけども、自民党総裁としての立場を使い分けないでください。同一人物でございますので」

 岸田文雄は非核3原則と原子力基本法等との関連から「核共有という考え方は政府としては認められない」、「政府として議論することは考えていない」と、一貫して「政府として」の立場を説明している。

 対して田名部匡代は「これまで御答弁では検討という言葉が多かったんですが、検討ではない、検討もしない、議論も認めないということでよろしいでしょうか」と聞き、青木愛は「そして安倍元総理、自民党の今でも有力な議員だと思いますけれども、自民党の中でもこうした日米共同で運用する核共有政策の導入、こうした考えが自民党の中にあるでしょうか」と聞き、杉尾秀哉は「先程来、核共有は認めない、あるいは認めることは難しいということを総理、何度も仰っておりますけども、これは議論自体を認めない、こういうことですか」と三者三様、アホなことを聞いている。

 岸田文雄が内閣総理大臣として政府としての正式な機関を設けて核共有の議論をする考えはない、と同時に自民党総裁としても党としての正式な機関を設けて同様の議論をする考えはないとしても、自民党議員が個々に仲間を集って、何らかの議連を名乗って議論することは内閣総理大臣としても、自民党総裁としても止めることはできない。断るまでもなく、誰もが思想・信条の自由を保障されているからだ。自民党内には核武装論者も存在する。閣僚が個人の資格で参加することもできる。政府に戻れば、閣僚として非核3原則堅持の立場は守ると言えば、閣内不一致という事態も避けられる。

 3人共が問題がどこにあるのか、誰も気づいていない。衆議院に関しては2021年10月31日投開票の総選挙で自民党は「絶対安定多数」を単独確保し、盤石な体制を敷いている。この当選議員の任期満了日は2025年10月30日までの約3年半後で、解散に打って出る、あるいは解散に迫られる状況とならなければ、暫くの間は盤石な体制を維持できる。但し次回の参議院選挙は4カ月後の2022年7月25日、すぐ目前にまで迫っている。前回2019年7月21日の参院選挙では自民党は改選議員を含めて単独で過半数に達せず、公明党を加えた与党で過半数を獲得できている状況にある。岸田文雄が言っている非核3原則堅持が揺るぎない信念となっているのか、安全保障環境の変化が非核3原則で行くことで足りるのか、核共有といった一歩進んだ核抑止策で行くべきなのか、思案しているのかどうかその内心は窺うことはできないが、ここで口にしてきた非核3原則堅持をぶち壊すような核共有議論を進めた場合、参院選にマイナスの影響を与えることは十分に計算できることで、最悪、自公過半数割れを起こしたなら、内閣の運営自体が困難となり、自民党政権という元も核に関係する安全保障という子も失くしかねないことは想定範囲内としているはずである。誰も危険な橋は避けるはずで、先ずは波風立たせないように配慮を重ねて、参院選勝利を喫緊の課題と位置づけているはずだ。

 安倍晋三は2014年12月14日投開票の衆院選挙では憲法解釈変更に基づいた集団的自衛権行使容認等を含めた安全保障関連法に関しては争点隠しを行い、消費税増税の延期で有権者の歓心を買い、選挙に勝利するや、国民の信任を得たと数の力で押し切って2015年9月19日に法案を成立させるウルトラCを平然と行なっている。仮に岸田文雄が安全保障環境をより強固とするために核共有といった一歩進んだ核抑止策の必要性を痛感していたとしても、参院選の争点とはせず、あくまでも非核3原則の堅持で押し通すはずだ。政策の実現はすべて選挙から始まる。第1党を保証する選挙で得た頭数が政策の推進力となる。

 もし、次回参院選で大きく勝利し、自民党単独で過半数獲得に落ち着くことができ、前回衆院選で躍進著しい日本の維新の会が同じ参院選で議席数を一定程度伸ばしたなら、代表の松井一郎が核共有議論推進を掲げていて、次の衆院選と参院選までに時間の余裕があることから国民に人気のない政策推進で有権者離れが少しくらい生じても、喉元通れば熱さ忘れるに期待して安倍晋三を筆頭とした自民党の核共有推進議員と維新の議員まで交えて核共有議論を進め、衆参両院で大勢意見とすることができたなら、岸田文雄がいくら非核3原則堅持を掲げようとも、政府内でも核共有に向けた議論を開始せざるを得なくなる道に進むことは容易に想像できる。

 この流れに岸田文雄が真実非核3原則堅持を頑なに掲げていたとしても、逆らうことは難しい。実際には「核共有」論者であったなら、(このことは最後まで隠し通すだろうが)、やむを得ないという態度を取りつつ、多数意見の尊重を掲げて、政府としても自民党としても正式な機関を設けて議論を開始する方向に動くに違いない。何しろ自民党政府は「憲法は防衛のための必要最小限の範囲内ならば核兵器の使用を禁じていない」という立場を取っているのである。

 あるいは“一足飛び”に核共有にまで進まずにその手始めに核の持ち込みというワンステップを暫くの間置いて、生じた場合の国民のアレルギーを冷ます冷却期間とすることも考えられる。こういった状況になったとき、当然、日本は非核3原則堅持の旗を下ろすことになるが、岸田文雄にとって止むを得ない妥協として受け入れるのか、広島を選挙区としているということもあるのだろう、核廃絶を掲げているものの、その旗を下ろす役目が自分に回ってきたことの皮肉を痛感しながら、時代の変化を受けた潮時と冷静に受け止めるのか、そういったことのいずれかであろうが、このような経緯を取るだろうと想定できるのは安倍晋三が元首相としての強かな影響力を持つと同時に自民党最大派閥のボスであり、岸田文雄は首相職を維持するためにも、選挙の顔であり続けるためにもその意向を無視はできない両者関係にあるからなのは論を俟たない。

 この両者関係は既に様々な場面に現れている。岸田文雄は2021年9月の自民党総裁選から自身が首相となった場合の安倍晋三のアベノミクスに代えるメインの経済政策として「新しい資本主義の実現」掲げた。だが、首相となって半年が経とうというのにアベノミクスのように何と何と何の「三本の矢」だといった具体像が未だ公表されていないのは異常な事態としか言いようがない。「新自由主義的政策からの転換」と「成長と分配の好循環」という抽象的な理念にとどまる中身だけは明らかにしている。

 安倍晋三は岸田文雄の「新自由主義的政策からの転換」に反応したのだろう、2021年12月26日放送のBSテレ東番組で次のように発言している。

 「(「新しい資本主義」を掲げる岸田文雄首相の経済運営について)根本的な方向をアベノミクスから変えるべきではない。市場もそれを期待している。ただ、味付けを変えていくんだろうと(思う)。『新自由主義は取らない』と岸田さんは言っているが、成長から目を背けると、とられてはいけない。改革も行わなければならない。社会主義的な味付けと受け取られると市場も大変マイナスに反応する」

 アベノミクスの味付けを変える程度ならいいが、非なるもであってはならないと警告した。いわば新自由主義経済アベノミクスからの決別に釘を差した。この釘は岸田文雄が自らが掲げた「新自由主義的政策からの転換」への自由な活動を縛ることになる。大企業や高額所得層を豊かにし、中低所得層を豊かさから取り残す不公平な分配を果実とした新自由主義経済アベノミクスからの決別ではない新自由主義的政策からの転換という、殆ど相矛盾する綱渡りを強いられることになるからだ。もし安倍晋三の釘(=意向)を完璧に無視できたなら、「新しい資本主義実現会議」を4回も開いているのだから、岸田文雄本人から具体的な中身の発表があっても良さそうだが、「具体像が見えない」、「道筋が見えてこない」がマスコミや評論家の今以っての専らの評価となっている。安倍晋三の意向を無視はできない両者関係に縛られた具体像の未確立としか見えない。 

 佐渡金山の世界文化遺産への登録を目指す新潟県などの動きに韓国側が韓国人強制使役被害の現場だからと反対、岸田政権は当初、登録推薦に慎重な姿勢を示していたそうだが、安倍晋三が2022年1月20日の安倍派総会で「論戦を避ける形で登録を申請しないのは間違っている。ファクト(事実)ベースで反論していくことが大切で、その中で判断してもらいたい」と発言、岸田政権の慎重姿勢に釘を差した。4日後の2022年1月24日衆院予算委、バックに常に安倍晋三が控えている高市早苗が佐渡金山の歴史を江戸時代のみに区切る歴史修正主義に立って、「これは戦時中と全く関係はない。江戸時代の伝統的手工業については韓国は当事者ではあり得ない」と推薦を強く迫ると、4日後の1月28日夜、岸田文雄はこれまでの慎重姿勢を一変させて首相官邸のぶら下がり取材で「佐渡島金山」のユネスコ推薦を正式表明、4日後の2月1日にユネスコへの推薦を閣議了解、推薦書を提出するに至った。安倍晋三の意向を無視はできない両者関係を窺うに余りある。

 岸田文雄が安倍晋三に対して鼻息を窺わなくても済む関係にあれば、安倍晋三の発言後に今まで見せていた姿勢・態度をその発言に見合う姿勢・態度に変える必要性は生じない。となると、立憲民主党三者は二人の間にこういったパターンが既に認められている以上、安倍晋三の「核共有」議論推奨発言に対して岸田文雄が非核3原則堅持を国会答弁としたとしても、岸田文雄にとって安倍晋三の意向を無視はできない両者関係と衆参両院選挙のいずれかが間近に控えている場合はそれがネックとなって、選挙に悪影響があると予想される政策や言動を選挙後までは控える前例を頭に入れて、7月の参院選で自民党が少なくとも議席を伸ばすことができたなら、自民党内から日本維新の会も巻き込んで、「核を持ち込ませる」議論か、「核共有」を議論する動きが出てきて、一定の勢力とすることができたなら、「核を持ち込ませる」に向けてか、「核共有」に向けて政府を動かすことになる次の段階を想定しなければならない。

 想定できたなら、参院選後に予想される展開を描く国会追及を行うことができて、岸田文雄をして少なくとも「選挙の結果に関わらずが非核3原則堅持に変わりはありません」の言質を取らなければならなかったはずである。その言質が安倍晋三の意向を無視できる動機となりうる可能性は否定できないし、予想される展開を描いておけば、逆に描いたとおりの動きを牽制する役目を持たせる可能性も出てくる。ところが青木愛も田名部匡代も、杉尾秀哉も、3人共に同じような質問をし、同じような答弁を引き出す非生産的な追及しか試みることができなかった。政治の動きというものを何も学んでいないことになる。小川淳也の「批判するときは国民が惚れ惚れするような批判してこその野党だ」は夢のまた夢、手の届かない情けない状況にある。あるいは立憲の面々が追及の実力が伴わない状況にあるにも関わらず、小川淳也が「批判するときは国民が惚れ惚れするような批判してこその野党だ」と体裁のいいことを口にしたに過ぎないことになる。

 今までのパターンを例に上げることができれば、パターンどおりになる可能性の観点から安倍晋三の「核共有」議論推奨発言と対する岸田文雄の非核3原則堅持発言の参院選後の推移が非核3原則堅持を危うくする方向に進みかねない、考えられる成り行きを描き出して、参院選挙期間中に国民に警鐘を鳴らす訴えとすることもできる。ただ単に現在は政権内にいない安倍晋三の「核共有」議論推奨発言と自民党内や他野党内に同調者のいることを取り上げ、岸田文雄に「非核3原則堅持」を言わせるだけでは、核政策に限らず、どのような政策も党内勢力図の影響を受けて生じる主導権の所在が政策の決定権を担う関係から、政府追及としてはさしたるインパクトを与えることはできない。もしインパクトのある追及ができたと思っているなら、裸の王様もいいとこの滑稽な勘違いとなる。

 大体が安倍晋三はプーチンが核の使用も辞さなぞと見せかけるある種の"核の脅迫"に反応して"核共有"議論の必要性を口にした。このことを批判するなら、非核3原則の旗を掲げていさえすれば、プーチンや金正恩みたいな独裁者が日本に核を撃ち込みたい衝動を抱えたとしても、その衝動を抑えることができるとする妥当性ある答を示してからすべきで、答を示しもせずにただ「非核3原則」、「非核3原則」と言うのは論理性も何もなく、感情任せのマヤカシにしか聞こえない。

 それともウクライナは遠い国で、日本ではないのだから、核が使用されたとしても、見守るしかなく、日本の非核3原則は非核3原則としての立ち位置を損なうことはないと一国平和主義で行くのかもしれないが、プーチンが核の使用も辞さなぞと"核の脅迫"を一旦見せた以上、世界が独裁者によって核使用に踏み切る危険性を潜在的に抱える状況に足を踏み入れることになった。少なくとも世界の多くの国がその危険性に警戒心を持つことになった。そのような場合、日本だけを蚊帳の外に置くことができるだろうか。

 だからと言って、核に対抗するに核を用意するどのような核抑止策も、振り出しの議論に戻るが、使うことが絶対ないと言い切れない状況にある核が世界のどこかで使われた場合、そして核に対するに核の報復は全否定できない以上、その世界のどこかは広範囲に目を覆うばかりの悲惨な破壊と壊滅、凄惨な死屍累々の状況に覆い尽くされる結末を出現させるかもしれない。百歩譲って核使用までいかずに核使用に踏み切る危険性を潜在的に抱える不安定な状況が延々と引き伸ばされていくだけであったとしても、この両場面共に核という存在よりも独裁者という存在が核に関わる懸念材料としてより大きく立ちはだかっていることに
留意しなければならない。いわば核は使わなければ無害であるが、使う・使わないの決定権を持ち、使う可能性が少なからざる予想される(でなければ、世界は核使用に踏み切る危険性を潜在的に抱えることはない)独裁者という存在自体に重大な関心を向けなければならない。

 考えられるこのような推移が自ずと導く答はやはり独裁者の排除以外にないことになる。独裁者の排除こそが、核の脅威を低下させることができる要因とする。時間的に遠回りになったとしても、独裁者の排除にこそ重点を置くべきだろう。独裁者の排除は民主体制への転換を意味する。軍事的な強硬手段ではなく、話し合いの問題解決を優先させる立ち位置を世界は取ることになる。核に対抗するに核を以ってするのは多くの国民の犠牲を決定事項としなければならない。

 プーチンという独裁者の排除については「独裁者」という言葉直接的には使わなかったが、2015年11月17日当ブログ記事《安倍晋三はプーチンとの信頼関係構築が四島返還の礎と未だ信じているが、リベラルな政権への移行に期待せよ - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に北方4島返還はプーチンが大ロシア主義を血とし、ロシアを旧ソ連同様の広大な領土と広大な領土に依拠させた強大な国家権力を持った偉大な国家に回帰させようとしている限り、そしてそのことによってロシア人の人種的な偉大性を表現しようとしている限り、安倍晋三がいくらプーチンとの信頼関係構築を4島返還の礎に据えようが、あるいは平和条約締結の条件としようが、プーチンの大ロシア主義の前に何の役にも立たないはずで、プーチンに代わる、大ロシア主義に影響されていないリベラルな政権への移行に期待する以外にないとプーチンの排除を書いた。

 さらに2020年11月23日の当ブログ記事《北方領土:安倍晋三がウリにしていた愚にもつかない対プーチン信頼関係と決別した領土返還の新しい模索 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》にも、プーチンへの領土交渉進展期待は非現実的で、彼を政治の舞台から退場させる力は現在なくても、その強権的専制政治への反体制を掲げる民主派勢力がロシアの政治の表舞台に躍り出て来ることに期待をかけ、資金等提供、その実現に力を貸す方が現実的な領土返還の新しい模索とすべきではないかと書き、独裁者プーチンのロシアの政治の舞台からの排除の必要性を書いたが、プーチンのウクライナ侵略と核使用をチラつかせるに及んで、核使用の脅威を取り除くには独裁者プーチンの排除と民主派勢力への体制転換の必要性を改めて強く認識するに至った。

 核を使わない、通常兵器による戦争であっても、多くの国民が犠牲となり、住む土地を追われる。核戦争となると、犠牲や破壊は計り知れない。非核3原則と言うだけではなく、想像力を働かせて、核使用の機会を取り除く何らかの方策を見い出す時期に来ているように思える。

コメント
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安倍晋三、松井一郎等々の核保有軍事大国の核に関わる懸念材料が何かを特定できない想像力空疎な「核共有」欲求(2)

2022-03-31 09:01:09 | 政治
 国会や政党代表の記者会見等でも安倍晋三の「核共有」発言が取り上げられることになった。万が一あるかもしれない核の使用に対してどのような想像力を働かせているのか、結果としての核の取り扱いをどう考えているのか、いわば核防衛体制についての考えを見てみる。先ず国民民主党代表玉木雄一郎が2022年3月1日の党記者会見で安倍晋三の「核共有」発言に対する反応をNHK NEWS WEB記事が伝えている。国民民主党のサイトにアクセスしてみたが、「冒頭発言概要」しか紹介しいない。あとはYou Tube動画のリンク付を行なっている。サイトを覗く人間が少ないのかもしれないが、マスコミが発言を伝えることで具体的な発言内容を知りたくなる数少ない機会にも応えることができないとなると、自民党みたいに元々政党支持率の高いところはお構いなしとすることはできるが、政党支持率が低いところは漏れのないサービスに不足することになると思うが、そこまでは考えていないようだ。仕方がないから、NHK記事を参考にする。

 玉木雄一郎「非核三原則や平和国家の歩みからすると、(安倍晋三の「核共有」は)一足飛びの議論だ。唯一の戦争被爆国として核廃絶という大きな目標を掲げてやっていくべきだ。

 どのような形であれば、憲法が掲げる平和主義と反せずに核抑止が機能するのか、現実的な議論を積み重ねていくことが大事だ。特にこれまで議論を避けてきた、非核三原則の『持ち込ませず』の部分が、一体何を意味するのか、日米の具体的なオペレーションの在り方を含め冷静な議論を始めるべきだ」

 安倍晋三と同様に長い目で見た核抑止策として核使用の危険性の高い独裁者の排除に視点は置いていない。あくまでも“核に対するに核”の考えに立っている。唯一の戦争被爆国としての核廃絶というのは「大きな目標」だと言っているが、この「大きな」とは「最終的な」という意味を取るはずだ。核廃絶はあくまでも「最終的な目標」であって、そこに到達するまでには現実にある核の脅威を取り除いていくために「憲法が掲げる平和主義と反せずに核抑止」を機能させる方策の追求に取り組まなければならない。その方策として「非核3原則の『持ち込ませず』の部分」に注目している。非核3原則とは核兵器を「持たず、つくらず、持ち込ませず」を指すのだから、非核3原則と核の傘の関係からすると、日本に核攻撃の脅威が迫った場合は核攻撃の脅威を与えている国への核に対抗するに核の予防策としてアメリカ本土からの核弾頭搭載大陸間弾道ミサイル(ICBM)、太平洋上の原子力潜水艦からの核弾道ミサイル発射等が従来型の、いわば日本の外からの運用を方法としているが、当然、非核三原則の「持ち込ませず」が「一体何を意味するのか」と言っている意図は「持ち込ませず」を言葉通りに解釈せずに持ち込ませる方向への何らかの含みをそこに期待していることになる。

 もし言葉通りに解釈していたなら、あとの言葉、「日米の具体的なオペレーションの在り方を含め冷静な議論を始めるべきだ」を続ける必要性は生じない。玉木雄一郎が想定している核を持ち込ませる方向へ何らかの含みを持たせていることはその含みの持たせ方によって核の取り扱いは大きく変わる。高市早苗の次の記者会見発言についても同じことが言える。

 自民党政調会長高市早苗2022年3月2日の記者会見(「You Tube」から) 

 高市早苗「いわゆる核シェアリングという問題でございますけれども、これは昨日も申し上げましたが、民主党政権下だった平成22年3月、当時の岡田克也外務大臣が核を搭載した米国の艦船や航空機の我が国への一時的な寄港や飛来ということも念頭にしながら、外務委員会で答弁をされました、そのような緊急事態に於いて非核3原則をあくまでも守るのか、ま、それでも国民の生命の安全を考えて、異なる判断をするのか、それはそのときの政府の判断の問題であって、今からそのことについて縛ることはできないと考えているということでございました。

 その後平成24年(2012年)12月に我が党は政権復帰させて頂きましたけれども、平成24年2月14日の予算委員会に於いても当時の岡田外務大臣が行なった答弁を引き継いでいると答弁をしておられます。そして同月ですけども、質問主意書への答弁書としてこの岡田克也外務大臣当時の、まあ、この方針を安倍内閣としても踏襲する旨、閣議決定をして、答弁書と致しております。

 日本国政府は民主党政権以来、自公政権になっても、国民の安全が危機的状況になったときに非核3原則をあくまでも守るのか、それとも持ち込ませずの部分については例外をつくるのか、それはそのときの政権の判断するべきことであって、将来に亘って縛ることはできないという立場を重ねて表明してきております。

 あのー、持たず、つくらず、持ち込ませず、この非核3原則は例えば『持たず、つくらず』の部分につきましてはこれも皆様ご承知の通り原子力基本法ですとか、核不拡散条約、まあ、これを批准しておりますので、『持たず、つくらず』というのは当然のことであります。ただ本当に有事になって、国民の安全が脅かされる危機的状況になったときに核を搭載した、例えば米国の艦船が来たときに日本に寄港させないのか、給油もさせないのかということになると、また別問題であり、領海を航行することもダメなんだとということでは実質的に日本は守れないのではないのかと私は考えました。

 あくまでも民主党政権時代、その後の安倍内閣の方針及び外務大臣の国会答弁、全く同じことを昨日申し上げました。で、今後党内でどうするのかということでございますけれども、きのう政調会の半沢(?)調査会長と私は遣り取りをしております。ま、今後は非常に重要な時期になりまして、国家安全保障戦略や中期防(中期防衛力整備計画)も含めて今後見直すという形の作業に入りますが、その中にあっても、この議論、全く封じ込めるということであってはならないと思っています。関係議員と相談しながら、今後この問題についての進め方、議論をするかしないかを含めて検討してまいりたいと思っています」

 民主党政権時代の岡田克也外務大臣の2010年3月17日衆議院外務委員会での非核3原則関連の発言は次のようになっている。

 笠井亮(あきら・日本共産党)「米国が有事と判断した際には核兵器を再配備することを宣言しているわけで、それでも核兵器は持ち込まれることはないと断言できますか」

 岡田克也「我々としては、非核三原則、鳩山内閣として堅持するという方針であります。しかし、日本自身の安全にかかわるような重大な局面というものが訪れて、そしてそのときに核を積んだ艦船が一時寄港する必要が出るというような、そういう仮定の議論は余りしたくありませんが、そういうことになったときに、我々は非核三原則を堅持いたしますが、最終的にはそのときの政権がぎりぎりの判断というものを政権の命運をかけて行うということだと思います。

 非核三原則というのは、これはやはり日本自身を核の脅威から遠ざける、こういう考え方に立って行われているものだと私は認識いたしますけれども、いざというときの、日本国民の安全というものが危機的状況になったときに原理原則をあくまでも守るのか、それともそこに例外をつくるのか、それはそのときの政権が判断すべきことで、今、将来にわたってそういったことを縛るというのはできないことだと思います」

 この答弁以前に岡田克也は自民党岩屋毅議員に対して「緊急事態ということが発生して、しかし、核の一時的寄港ということを認めないと日本の安全が守れないというような事態がもし発生したとすれば、それはそのときの政権が政権の命運をかけて決断をし、国民の皆さんに説明する、そういうことだと思っております」と答弁している。

 高市早苗は「いわゆる核シェアリングという問題でございますけれども」と言いながら、緊急事態発生時には実質的には非核3原則のうちの「持ち込ませず」に関して例外規定を設けるかどうかはときの政権の決断事項だとする民主党政権時代の考え方を自民党政権も引き継いでいて、引き継いでいることは答弁書に於いても閣議決定もしているし、このことに関しては議論を進めるのか進めないのかを含めて検討するとしているものの、「持ち込ませず」の例外規定が単純に核搭載艦船の一時寄港の許可に限定するなら、核はあくまでも米軍の掌中に置くことを意味し、核の使用に関しては日本の関与外となり、安倍晋三の「核共有」とは実質的には異なることになる。

 だが、玉木雄一郎の説明どおりに核を“持ち込ませる”方向に持っていくためには「日米の具体的なオペレーションの在り方」の議論を日米間に介在させる必要上、議論の行方によっては核の使用に日本政府の関与をも可能とする項目を設けた場合は核の所在を寄港した米艦船内に限ったとしても、そこに備蓄する形を取ることとなり、この双方の条件によって“持ち込ませる”は限りなく「核共有」に近づくことになる。もし核を陸揚げして、米基地内か自衛隊基地内に置くことにしたら、「核共有」そのものとなる。

 但し玉木雄一郎が安倍晋三の「核共有」を「一足飛びの議論だ」としているから、一見、「核共有」まで考えていないように見えるが、第1段階として“持ち込ませる”から始めて、安全保障環境の変化によっては第2段階か第3段階目に「核共有」に持っていくというふうに「一足飛び」ではなくても、段階を踏んでと考えている可能性は否定できない。「核共有」がこのような形式のものであっても、「持たず、つくらず、持ち込ませず」の非核3原則の「持たず」と「持ち込ませず」を限りなくなし崩しにする、より積極的な核関与政策となる。高市早苗の上記記者会見での“持ち込ませる”方向への議論の示唆も、何しろ安倍晋三とは思想的には双子の関係にあるから、手始めに“持ち込ませる”から始めて、「核共有」に近づけていく目論見を頭に置いていないとは言い切れない。

 では、安倍晋三の「核共有」議論推奨に総理岸田文雄がどのような姿勢を見せているのか、野党立憲民主党3氏の追及を見てみるが、追及自体に3人の核に関する考え方が反映されることになる。勢いと小賢しさだけの立憲小川淳也の「批判するときは国民が惚れ惚れするような批判してこその野党だ」の言葉がそっくりと当てはまる追及となっているのかどうかも併せて見ることにする。

 2022年3月2日参議院予算委員会

 田名部匡代「先日、我が党の田島(麻衣子)委員から質問がありました。安倍前総理、民放の報道番組で、核保有についてまさに議論を呼びかけるような発言があったことについて田島議員から質問があったわけでありますけれども、そのときに総理からは、非核三原則を堅持するという我が国の立場から考えて、これは認められないと認識をしていますというふうにお答えになっております。

 改めて確認させていただきます。総理、核保有に関しては、これまで御答弁では検討という言葉が多かったんですが、検討ではない、検討もしない、議論も認めないということでよろしいでしょうか。

 岸田文雄「確か先日の議論は、核保有というか核共有の議論であったと思います。そして、その核共有ということについて、その核共有の中身ですが、この平素から自国の領土に米国の核兵器を置き、有事には自国の戦闘機等に核兵器を搭載運用可能な体制を保持することによって自国等の防衛のみの、防衛のために核、米国の核抑止力を共有する、こういった枠組みを想定しているというのであるならば、これについては、非核三原則を堅持している立場から、更に申し上げるならば、原子力の平和利用を規定している原子力基本法を始めとするこの法体系から考えても、政府として認めることは難しいと考えております。

 田名部匡代「大変失礼しました、核共有。

 実は、平成29年、我が党の白眞勲委員からも、当時の安倍総理にこのことについて質問されておられるんですね。当時の安倍総理は、やはりこれは非核三原則を堅持していくという立場だと、そして、この核シェアリングについては全く検討も研究もしていないわけでございまして、抑止力について向上、これ前段の話で、いろいろと議論する、研究することは、検討していくことは当然なのではないかということについて白眞勲議員が質問しているんですけれども、その発言は総理としての発言ではなかったので、総理としては、これは抑止力の向上ということについては核シェアリングは除くと、まさに非核三原則をしっかりとその立場を守っていくという御発言をされているんですね、当時、安倍総理は。

 しかし、この間、民放のテレビ番組において、その議論を呼びかけるようなことがあったわけです。

 総理は、こういったことについてどのような感想をお持ちでしょうか」

 岸田文雄「私はその番組の発言直接聞いておりませんので、そのどういった流れであったか、趣旨であったか十分承知していないので、私の立場から具体的にそれについて申し上げることは控えますが、いずれにせよ、核共有ということについては先ほど申し上げたとおり認識をしております。

 政府としてそうした考え方を認めることは難しいと考えておりますし、政府として議論することは考えておりません。

 田名部匡代「しっかりと私たちは非核三原則、堅持する立場を貫いていきたいと思いますし、難しいということではなくて、やっぱり……(発言する者あり)委員席からもありますが、あり得ない、しっかりとそれは守っていただきたいというふうに思います」 
 青木愛(立憲民主党)「自民党の元安倍総理がアメリカの核兵器を国内に配備して日米共同で運用する核共有政策の導入についてテレビで話をされました。この核共有に関する岸田総理の見解を私からもお聞きしたいと思います。そして安倍元総理、自民党の今でも有力な議員だと思いますけれども、自民党の中でもこうした日米共同で運用する核共有政策の導入、こうした考えが自民党の中にあるでしょうか。お聞きさせて頂きます」

 岸田文雄「安倍元総理の出演された番組、私ちょっと拝見していませんので、それについて直接言及することは控えますが、政府としては先程来申し上げているように自国の領土に米国の核兵器を置いて、有事にはこの自国の戦闘機等によって核兵器を搭載、あるいは運用可能な態勢を保持することによって自国等の防衛のために米国の抑止力を共有する、こうした枠組みを想定しているのであるならば、これは政府として非核3原則を堅持していく立場からも、また、原子力基本法を始めとする国内法をこの維持する見地からも認めることはできないと考えております」

 (答弁に不足があると見たのか、委員長に抗議、ほんの少し中断、答弁のし直し)

 岸田文雄「自民党のみならず、国内に於いて核共有について様々な議論があるということは承知しております。しかしながら、私の考え方、政府の考え方、これは先程申し上げたとおりでございます」

 青木愛「安倍元総理の発言、テレビを見ていないので控えると仰いましたけども、控えている場合ではないと思います。で、そういう議論がですね、核を共有するという議論が自民党の中で行われているという、率直なお話も聞こえてきたわけでありますけれども、冒頭申し上げましたように今、世界は三重の地球規模の危機に直面しているわけでありまして、岸田総理も仰ったように今こそ世界が一つになってこの地球からの、自然からの警告に立ち向かわなければならないときに安倍元総理の発言はですね、さらに危険を煽る、極めて遺憾で、危険であるとそういう発言があるということを指摘しておきたいというふうに思います。

 ウクライナ問題については以上で、また改めて、また機会を作ってですね、安倍元総理の発言についても追及していきたいというふうに考えます」 
 杉尾秀哉(立憲民主党)「さっそくですけれども、先程来、質問が出ております安倍元総理のニュークリアシェアリング、核共有について伺います。ちょっと確認させて頂きたいのですが、先程来、核共有は認めない、あるいは認めることは難しいということを総理、何度も仰っておりますけども、これは議論自体を認めない、こういうことですか。どうぞ」

 岸田文雄「政府としてこの核共有は認めないと申し上げています。政府として議論することは考えておりません」

 杉尾秀哉「これは先程来出ておりますけれども、党内で議論することはありますか」

 岸田文雄「党の内外でこの核共有について様々な意見があるということは承知しております。しかし政府としてこうした考え方は認めませんし、議論していくことは考えておりません」

 杉尾秀哉「政府の立場をこれまで仰ったならば、自民党の総裁ですから、党に対してもそうしたメッセージをちゃんと発して頂けませんか。安倍総理の発言、これ海外に伝えられてるんですよ。この発言をキッカケとしてですね、ある自治体の首長(くびちょう)さんはですね、『非核3原則は昭和の時代なんだ』と、『異物なんだ』と、こういうことを仰ってる。ネット見てください。今核保有論の議論がネットに溢れてます。こういう世論を煽るような遣り方っていいんですか、どうですか」

 岸田文雄「ハイ、自民党の党の内外、そして日本に於いて、そして世界に於いて核共有について様々な意見があることは承知しております。だから、政府の方針として政府に於いては核共有というものは認めない、議論は行わない。これを再三公の場で発言を、発言をさせて頂いております。その政府の方針をしっかりと確認をし、社会に対して、世の中に対して発信していくことは重要であると考えています」

 杉尾秀哉「自民党の総務会長(福田達夫)も、政調会長(高市早苗)も、やっぱりこの核共有について議論すべきだと、こういうふうにですね、三役の方が仰ってますよね。これはやっぱり世界に対しても、折角、党の、政府の立場をそこまで仰ってるんだったら、やっぱり党に対しても強く言うべきだ。少なくとも安倍総理の発言を確認していないという、そう言い逃れをしないでください。

 安倍さんも、聞く耳も持ってらっしゃるんでしょ?そしたら、安倍さんに言ってくださいよ。やっぱりこれは、我々はやっぱりこういう核共有を煽るような遣り方というのは認められませんし、非核3原則というのはやっぱり堅持していくべきであると、こういう立場を崩しちゃいけないと思うですよね。もう1回お願いします」

 岸田文雄「党の内外、世の中に様々な意見があることは承知しております。だからこそ、政府としての考え方、非核3原則の考え方、さらには原子力の平和利用を定めている我が国の原子力基本法を始めとする法体系との関係に於いてこうした考え方は認められないということは改めて政府として、そして総理大臣としてしっかり発信していくことが重要であるということで発信をさせて頂いております。これからもこうした政府の考え方はしっかりと発信を続けていきたいと考えます」

 杉尾秀哉「最後にしますけども、自民党総裁としての立場を使い分けないでください。同一人物でございますので」

 岸田文雄は非核3原則と原子力基本法等との関連から「核共有という考え方は政府としては認められない」、「政府として議論することは考えていない」と、一貫して「政府として」の立場を説明している。

 対して田名部匡代は「これまで御答弁では検討という言葉が多かったんですが、検討ではない、検討もしない、議論も認めないということでよろしいでしょうか」と聞き、青木愛は「そして安倍元総理、自民党の今でも有力な議員だと思いますけれども、自民党の中でもこうした日米共同で運用する核共有政策の導入、こうした考えが自民党の中にあるでしょうか」と聞き、杉尾秀哉は「先程来、核共有は認めない、あるいは認めることは難しいということを総理、何度も仰っておりますけども、これは議論自体を認めない、こういうことですか」と三者三様、アホなことを聞いている。

 岸田文雄が内閣総理大臣として政府としての正式な機関を設けて核共有の議論をする考えはない、と同時に自民党総裁としても党としての正式な機関を設けて同様の議論をする考えはないとしても、自民党議員が個々に仲間を集って、何らかの議連を名乗って議論することは内閣総理大臣としても、自民党総裁としても止めることはできない。断るまでもなく、誰もが思想・信条の自由を保障されているからだ。自民党内には核武装論者も存在する。閣僚が個人の資格で参加することもできる。政府に戻れば、閣僚として非核3原則堅持の立場は守ると言えば、閣内不一致という事態も避けられる。

 3人共が問題がどこにあるのか、誰も気づいていない。衆議院に関しては2021年10月31日投開票の総選挙で自民党は「絶対安定多数」を単独確保し、盤石な体制を敷いている。この当選議員の任期満了日は2025年10月30日までの約3年半後で、解散に打って出る、あるいは解散に迫られる状況とならなければ、暫くの間は盤石な体制を維持できる。但し次回の参議院選挙は4カ月後の2022年7月25日、すぐ目前にまで迫っている。前回2019年7月21日の参院選挙では自民党は改選議員を含めて単独で過半数に達せず、公明党を加えた与党で過半数を獲得できている状況にある。岸田文雄が言っている非核3原則堅持が揺るぎない信念となっているのか、安全保障環境の変化が非核3原則で行くことで足りるのか、核共有といった一歩進んだ核抑止策で行くべきなのか、思案しているのかどうかその内心は窺うことはできないが、ここで口にしてきた非核3原則堅持をぶち壊すような核共有議論を進めた場合、参院選にマイナスの影響を与えることは十分に計算できることで、最悪、自公過半数割れを起こしたなら、内閣の運営自体が困難となり、自民党政権という元も核に関係する安全保障という子も失くしかねないことは想定範囲内としているはずである。誰も危険な橋は避けるはずで、先ずは波風立たせないように配慮を重ねて、参院選勝利を喫緊の課題と位置づけているはずだ。

 安倍晋三は2014年12月14日投開票の衆院選挙では憲法解釈変更に基づいた集団的自衛権行使容認等を含めた安全保障関連法に関しては争点隠しを行い、消費税増税の延期で有権者の歓心を買い、選挙に勝利するや、国民の信任を得たと数の力で押し切って2015年9月19日に法案を成立させるウルトラCを平然と行なっている。仮に岸田文雄が安全保障環境をより強固とするために核共有といった一歩進んだ核抑止策の必要性を痛感していたとしても、参院選の争点とはせず、あくまでも非核3原則の堅持で押し通すはずだ。政策の実現はすべて選挙から始まる。第1党を保証する選挙で得た頭数が政策の推進力となる。

 もし、次回参院選で大きく勝利し、自民党単独で過半数獲得に落ち着くことができ、前回衆院選で躍進著しい日本の維新の会が同じ参院選で議席数を一定程度伸ばしたなら、代表の松井一郎が核共有議論推進を掲げていて、次の衆院選と参院選までに時間の余裕があることから国民に人気のない政策推進で有権者離れが少しくらい生じても、喉元通れば熱さ忘れるに期待して安倍晋三を筆頭とした自民党の核共有推進議員と維新の議員まで交えて核共有議論を進め、衆参両院で大勢意見とすることができたなら、岸田文雄がいくら非核3原則堅持を掲げようとも、政府内でも核共有に向けた議論を開始せざるを得なくなる道に進むことは容易に想像できる。

 この流れに岸田文雄が真実非核3原則堅持を頑なに掲げていたとしても、逆らうことは難しい。実際には「核共有」論者であったなら、(このことは最後まで隠し通すだろうが)、やむを得ないという態度を取りつつ、多数意見の尊重を掲げて、政府としても自民党としても正式な機関を設けて議論を開始する方向に動くに違いない。何しろ自民党政府は「憲法は防衛のための必要最小限の範囲内ならば核兵器の使用を禁じていない」という立場を取っているのである。

 あるいは“一足飛び”に核共有にまで進まずにその手始めに核の持ち込みというワンステップを暫くの間置いて、生じた場合の国民のアレルギーを冷ます冷却期間とすることも考えられる。こういった状況になったとき、当然、日本は非核3原則堅持の旗を下ろすことになるが、岸田文雄にとって止むを得ない妥協として受け入れるのか、広島を選挙区としているということもあるのだろう、核廃絶を掲げているものの、その旗を下ろす役目が自分に回ってきたことの皮肉を痛感しながら、時代の変化を受けた潮時と冷静に受け止めるのか、そういったことのいずれかであろうが、このような経緯を取るだろうと想定できるのは安倍晋三が元首相としての強かな影響力を持つと同時に自民党最大派閥のボスであり、岸田文雄は首相職を維持するためにも、選挙の顔であり続けるためにもその意向を無視はできない両者関係にあるからなのは論を俟たない。

 この両者関係は既に様々な場面に現れている。岸田文雄は2021年9月の自民党総裁選から自身が首相となった場合の安倍晋三のアベノミクスに代えるメインの経済政策として「新しい資本主義の実現」掲げた。だが、首相となって半年が経とうというのにアベノミクスのように何と何と何の「三本の矢」だといった具体像が未だ公表されていないのは異常な事態としか言いようがない。「新自由主義的政策からの転換」と「成長と分配の好循環」という抽象的な理念にとどまる中身だけは明らかにしている。

 安倍晋三は岸田文雄の「新自由主義的政策からの転換」に反応したのだろう、2021年12月26日放送のBSテレ東番組で次のように発言している。

 「(「新しい資本主義」を掲げる岸田文雄首相の経済運営について)根本的な方向をアベノミクスから変えるべきではない。市場もそれを期待している。ただ、味付けを変えていくんだろうと(思う)。『新自由主義は取らない』と岸田さんは言っているが、成長から目を背けると、とられてはいけない。改革も行わなければならない。社会主義的な味付けと受け取られると市場も大変マイナスに反応する」

 アベノミクスの味付けを変える程度ならいいが、非なるもであってはならないと警告した。いわば新自由主義経済アベノミクスからの決別に釘を差した。この釘は岸田文雄が自らが掲げた「新自由主義的政策からの転換」への自由な活動を縛ることになる。大企業や高額所得層を豊かにし、中低所得層を豊かさから取り残す不公平な分配を果実とした新自由主義経済アベノミクスからの決別ではない新自由主義的政策からの転換という、殆ど相矛盾する綱渡りを強いられることになるからだ。もし安倍晋三の釘(=意向)を完璧に無視できたなら、「新しい資本主義実現会議」を4回も開いているのだから、岸田文雄本人から具体的な中身の発表があっても良さそうだが、「具体像が見えない」、「道筋が見えてこない」がマスコミや評論家の今以っての専らの評価となっている。安倍晋三の意向を無視はできない両者関係に縛られた具体像の未確立としか見えない。 

 佐渡金山の世界文化遺産への登録を目指す新潟県などの動きに韓国側が韓国人強制使役被害の現場だからと反対、岸田政権は当初、登録推薦に慎重な姿勢を示していたそうだが、安倍晋三が2022年1月20日の安倍派総会で「論戦を避ける形で登録を申請しないのは間違っている。ファクト(事実)ベースで反論していくことが大切で、その中で判断してもらいたい」と発言、岸田政権の慎重姿勢に釘を差した。4日後の2022年1月24日衆院予算委、バックに常に安倍晋三が控えている高市早苗が佐渡金山の歴史を江戸時代のみに区切る歴史修正主義に立って、「これは戦時中と全く関係はない。江戸時代の伝統的手工業については韓国は当事者ではあり得ない」と推薦を強く迫ると、4日後の1月28日夜、岸田文雄はこれまでの慎重姿勢を一変させて首相官邸のぶら下がり取材で「佐渡島金山」のユネスコ推薦を正式表明、4日後の2月1日にユネスコへの推薦を閣議了解、推薦書を提出するに至った。安倍晋三の意向を無視はできない両者関係を窺うに余りある。

 岸田文雄が安倍晋三に対して鼻息を窺わなくても済む関係にあれば、安倍晋三の発言後に今まで見せていた姿勢・態度をその発言に見合う姿勢・態度に変える必要性は生じない。となると、立憲民主党三者は二人の間にこういったパターンが既に認められている以上、安倍晋三の「核共有」議論推奨発言に対して岸田文雄が非核3原則堅持を国会答弁としたとしても、岸田文雄にとって安倍晋三の意向を無視はできない両者関係と衆参両院選挙のいずれかが間近に控えている場合はそれがネックとなって、選挙に悪影響があると予想される政策や言動を選挙後までは控える前例を頭に入れて、7月の参院選で自民党が少なくとも議席を伸ばすことができたなら、自民党内から日本維新の会も巻き込んで、「核を持ち込ませる」議論か、「核共有」を議論する動きが出てきて、一定の勢力とすることができたなら、「核を持ち込ませる」に向けてか、「核共有」に向けて政府を動かすことになる次の段階を想定しなければならない。

 想定できたなら、参院選後に予想される展開を描く国会追及を行うことができて、岸田文雄をして少なくとも「選挙の結果に関わらずが非核3原則堅持に変わりはありません」の言質を取らなければならなかったはずである。その言質が安倍晋三の意向を無視できる動機となりうる可能性は否定できないし、予想される展開を描いておけば、逆に描いたとおりの動きを牽制する役目を持たせる可能性も出てくる。ところが青木愛も田名部匡代も、杉尾秀哉も、3人共に同じような質問をし、同じような答弁を引き出す非生産的な追及しか試みることができなかった。政治の動きというものを何も学んでいないことになる。小川淳也の「批判するときは国民が惚れ惚れするような批判してこその野党だ」は夢のまた夢、手の届かない情けない状況にある。あるいは立憲の面々が追及の実力が伴わない状況にあるにも関わらず、小川淳也が「批判するときは国民が惚れ惚れするような批判してこその野党だ」と体裁のいいことを口にしたに過ぎないことになる。

 今までのパターンを例に上げることができれば、パターンどおりになる可能性の観点から安倍晋三の「核共有」議論推奨発言と対する岸田文雄の非核3原則堅持発言の参院選後の推移が非核3原則堅持を危うくする方向に進みかねない、考えられる成り行きを描き出して、参院選挙期間中に国民に警鐘を鳴らす訴えとすることもできる。ただ単に現在は政権内にいない安倍晋三の「核共有」議論推奨発言と自民党内や他野党内に同調者のいることを取り上げ、岸田文雄に「非核3原則堅持」を言わせるだけでは、核政策に限らず、どのような政策も党内勢力図の影響を受けて生じる主導権の所在が政策の決定権を担う関係から、政府追及としてはさしたるインパクトを与えることはできない。もしインパクトのある追及ができたと思っているなら、裸の王様もいいとこの滑稽な勘違いとなる。

 大体が安倍晋三はプーチンが核の使用も辞さなぞと見せかけるある種の"核の脅迫"に反応して"核共有"議論の必要性を口にした。このことを批判するなら、非核3原則の旗を掲げていさえすれば、プーチンや金正恩みたいな独裁者が日本に核を撃ち込みたい衝動を抱えたとしても、その衝動を抑えることができるとする妥当性ある答を示してからすべきで、答を示しもせずにただ「非核3原則」、「非核3原則」と言うのは論理性も何もなく、感情任せのマヤカシにしか聞こえない。

 それともウクライナは遠い国で、日本ではないのだから、核が使用されたとしても、見守るしかなく、日本の非核3原則は非核3原則としての立ち位置を損なうことはないと一国平和主義で行くのかもしれないが、プーチンが核の使用も辞さなぞと"核の脅迫"を一旦見せた以上、世界が独裁者によって核使用に踏み切る危険性を潜在的に抱える状況に足を踏み入れることになった。少なくとも世界の多くの国がその危険性に警戒心を持つことになった。そのような場合、日本だけを蚊帳の外に置くことができるだろうか。

 だからと言って、核に対抗するに核を用意するどのような核抑止策も、振り出しの議論に戻るが、使うことが絶対ないと言い切れない状況にある核が世界のどこかで使われた場合、そして核に対するに核の報復は全否定できない以上、その世界のどこかは広範囲に目を覆うばかりの悲惨な破壊と壊滅、凄惨な死屍累々の状況に覆い尽くされる結末を出現させるかもしれない。百歩譲って核使用までいかずに核使用に踏み切る危険性を潜在的に抱える不安定な状況が延々と引き伸ばされていくだけであったとしても、この両場面共に核という存在よりも独裁者という存在が核に関わる懸念材料としてより大きく立ちはだかっていることに
留意しなければならない。いわば核は使わなければ無害であるが、使う・使わないの決定権を持ち、使う可能性が少なからざる予想される(でなければ、世界は核使用に踏み切る危険性を潜在的に抱えることはない)独裁者という存在自体に重大な関心を向けなければならない。

 考えられるこのような推移が自ずと導く答はやはり独裁者の排除以外にないことになる。独裁者の排除こそが、核の脅威を低下させることができる要因とする。時間的に遠回りになったとしても、独裁者の排除にこそ重点を置くべきだろう。独裁者の排除は民主体制への転換を意味する。軍事的な強硬手段ではなく、話し合いの問題解決を優先させる立ち位置を世界は取ることになる。核に対抗するに核を以ってするのは多くの国民の犠牲を決定事項としなければならない。

 プーチンという独裁者の排除については「独裁者」という言葉直接的には使わなかったが、2015年11月17日当ブログ記事《安倍晋三はプーチンとの信頼関係構築が四島返還の礎と未だ信じているが、リベラルな政権への移行に期待せよ - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に北方4島返還はプーチンが大ロシア主義を血とし、ロシアを旧ソ連同様の広大な領土と広大な領土に依拠させた強大な国家権力を持った偉大な国家に回帰させようとしている限り、そしてそのことによってロシア人の人種的な偉大性を表現しようとしている限り、安倍晋三がいくらプーチンとの信頼関係構築を4島返還の礎に据えようが、あるいは平和条約締結の条件としようが、プーチンの大ロシア主義の前に何の役にも立たないはずで、プーチンに代わる、大ロシア主義に影響されていないリベラルな政権への移行に期待する以外にないとプーチンの排除を書いた。

 さらに2020年11月23日の当ブログ記事《北方領土:安倍晋三がウリにしていた愚にもつかない対プーチン信頼関係と決別した領土返還の新しい模索 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》にも、プーチンへの領土交渉進展期待は非現実的で、彼を政治の舞台から退場させる力は現在なくても、その強権的専制政治への反体制を掲げる民主派勢力がロシアの政治の表舞台に躍り出て来ることに期待をかけ、資金等提供、その実現に力を貸す方が現実的な領土返還の新しい模索とすべきではないかと書き、独裁者プーチンのロシアの政治の舞台からの排除の必要性を書いたが、プーチンのウクライナ侵略と核使用をチラつかせるに及んで、核使用の脅威を取り除くには独裁者プーチンの排除と民主派勢力への体制転換の必要性を改めて強く認識するに至った。

 核を使わない、通常兵器による戦争であっても、多くの国民が犠牲となり、住む土地を追われる。核戦争となると、犠牲や破壊は計り知れない。非核3原則と言うだけではなく、想像力を働かせて、核使用の機会を取り除く何らかの方策を見い出す時期に来ているように思える。

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高市早苗・安倍晋三の歴史修正主義を剥ぐと、佐渡金山は強制連行・強制労働“鉱夫残酷物語” の世界遺産登録を目指すことになる

2022-02-28 05:57:34 | 政治
 (以下各引用文献の漢数字は算用数字に変換。文飾は当方。丸括弧内「※」は当方注釈。)

 2022年1月20日付「NHKニュース」記事が、〈新潟県などが世界文化遺産への登録を目指している「金山」について、自民党の安倍元総理大臣は韓国が反発していることを踏まえ「論戦を避ける形で登録を申請しないのは間違っている」と述べた〉と報じていた。佐渡金山がこの登録を目指していることを初めて知ったが、安倍晋三のこの発言だけで韓国が2015年にユネスコ世界文化遺産登録を受けた日本の「明治日本の産業革命遺産」を構成した製鉄・製鋼、造船、石炭産業等々のいくつかの施設のうち、何個所かで植民地時代に朝鮮人に対する強制労働があったと主張、登録に反対したことと類似の事柄だと気づく。

 派閥の会合での発言だそうで、案の定、上記「遺産」に触れている。

 安倍晋三「安倍政権時代に『明治日本の産業革命遺産』を登録した際、当時も反対運動が国際的に展開されたが、しっかりと反論しながら、最終的にはある種の合意に至った。今度の件は岸田総理大臣や政府が決定することだが、ただ論戦を避ける形で登録を申請しないというのは間違っている。しっかりとファクトベースで反論していくことが大切で、その中で判断してもらいたい」
 
 「ファクトベース」とは「事実に基づいた思考法」とかで、いわば「事実を土台として主張なり、議論なりを構築する」ということであって、歴史的事実で対抗すれば、日本側の主張・議論の正当性は証明されるということなのだろうが、安倍晋三の歴史的事実の多くは独善的な歴史修正主義で成り立っているから、始末に負えない。その歴史修正主義に高市早苗もつるんでいるから、当然の場面にお目にかかることになった。

 2022年1月24日衆院予算委

 高市早苗「先ずは政調会長として地方公共団体から伺っていることをお伝え致します。1月7日に新潟県知事、佐渡市長を始めとする新潟県の皆様が政調会長室にお越しになり、佐渡の金山に関するご懸念を伺いました。昨年12月28日、文化庁文化審議会の世界文化遺産部会により今年度推薦ができたと思われる世界文化遺産の候補として佐渡金山が選定される旨が答申されました。前提として顕著な普遍的な価値が認められうるなど選定理由が記載されていますが、ところが文化庁は同時に文化審議会による選定について推薦の決定ではなく、これを受け、今後政府が総合的な検討を行っていきますと報道発表しています。

 1月5日の官房長官記者会見で総合的な検討予定の具体的にどういうことを検討されるのかという記者の質問に対して官房長官、総合的な様々な状況、懸案事項、条件等を考えてと答えておられました。文化審議会の答申が出た12月28日に韓国外交部報道官が『韓国人強制使役被害の現場である佐渡鉱山の世界遺登録を推進することについて非常に嘆かわしく思い、これを撤回することを求める』と論評しました。

 佐渡の金山は17世紀に於ける世界最大の金産地です。海外の鉱山で機械化が進む中、鎖国下だった江戸時代の日本では伝統的手工業による生産技術とそれに適した生産体制による大規模で今まで高品質の金生産を実現しておりました。で、江戸時代はこの独自性を以って発展した貴重な産業遺産であります。これは戦時中と全く関係はありません。

 本件は文部科学省と外務省の協賛事項だと伺いましたので、外務大臣にお尋ね致しますが、佐渡の金山のユネスコへの推薦について韓国外交部報道官の論評や3月に大統領選挙を控える韓国への外交的配慮も官房長官は仰った。懸案事項に該当するでしょうか」

 林芳正「文化審議会からの答申を受けまして、佐渡の金山の世界遺産登録を実現する上で何が最も効果的かという観点から政府内で総合的な検討を行っております。韓国への外交的配慮といったものは全くないということでございます。なお佐渡金山に関する韓国側の独自の主張については日本側としては全く受け入れられず、韓国側に強く申し入れを行ったそうでございます。

 また、韓国国内に於いて事実に反する報道が多数なされていることは極めて遺憾であり、引き続き我が国の立場を国際社会に説明してまいりたいと思っております」

 高市早苗「早々に抗議を行って頂いたということで、外務省に申し上げます。仮に年度の申請を見送った場合、日韓併合条約によって同じ日本人として戦時中、日本人と共に働き、国民徴用令に基づいて旅費や賃金を受け取っていた朝鮮半島出身者について誤ったメッセージを国際社会に発信することになりかねないと考えます。また1965年の日韓国交正常化の際に締結された日韓請求権協定に明らかに違反して、日本製鉄や三菱重工業に対する慰謝料請求権を認めた2018年韓国大法院判決や昨年9月と12月に日本企業の差押え資産に関して裁判所による特別現金化命令が出たということについても日本政府の反論や抗義に対して国際社会の理解が得られにくくなるのではないかと懸念しております。

 我が国はユネスコに対して主要国として貢献してきました。ユネスコの世界遺産諸事業も当初から支援してきた関係国の一つです。日本政府は江戸時代の貴重な産業遺産を誇りを持ってユネスコに推薦をし、来年6月までの決定まで1年4カ月の期間を活用して、審議決定を行うユネスコ世界遺産委員会の委員国に対して江戸時代の伝統的手工業については韓国は当事者ではあり得ないということを積極的に説明すべきです。

 もしもそれもできないと諦めているのであれば、国家の名誉に関わる事態でございます。日本政府としてユネスコ世界遺産委員会に推薦するためには閣議了解が必要で、推薦期限の2月1日に決まっています。1年に1件しか推薦できない貴重な機会ですから、必ず今年度に推薦を行うべきだと考えますが、外務大臣のご見解を伺います」

 林芳正「政府と致しましては佐渡の金山に関する文化庁の文化審議会の答申を受け、佐渡の金山の文化遺産としての価値、今、ご指摘があったばかりでございますが、これに鑑み、是非登録を実現したいと考えておりまして、現在文科省及び外務省に於いて総合的な検討を行っておるところでございます。政府と致しましては登録の実現に向けて必要な諸準備を進める中で様々な事項考慮しているわけでございますが、考慮予想と致しまして先ず、他国から疑義が予定される場合に佐渡金山に関わる歴史や技術関係については証拠を挙げて反論を行うために十分な準備が整っているか検討しているところでございます。

 また我が国はユネスコ改革を主導し、昨年の4月には世界の記憶(※旧世界記憶遺産)について関係国間で見解の相違のある案件は関係国家の対話で解決するまでは登録を進めないこととするための異議申立制度を導入するなどして参りました。政府としては佐渡金山の登録に向けて何が最も効果的かという観点から以上の所見を含め、総合的に検討を進めたいと考えております」

 高市早苗「今、外務大臣が仰った世界の記憶に関するルールでございますが、これは世界文化遺産のルールとは別のものでございます。江戸時代の金山について韓国が当事者であり得ないと、これは明確でございます。仮に今年度推薦しないとすると、来年度以降、佐渡の金山の推薦はさらに困難になると思います。世界遺産への一覧表への記載候補への審議決定を行うユネスコ世界遺産委員会は締約国のうち21カ国で構成され、日本も昨年11月から2025年秋までは委員国です。世界遺産委員会では委員国にのみ意思表示の権利があり、現在韓国は委員国ではございません。世界遺産委員会の決定は世界遺産条約第13条第8項に基づき、3分2の以上の多数により議決、つまり委員国14カ国の賛成で認められます。日本政府が今年2月1日までに推薦した場合、結果は兎も角、世界遺産委員会に於ける審議決定は来年の夏、6月でございます。

 しかし来年2023年秋に任期終了となる委員国が9カ国ありまして、来年秋から2027年秋までの任期の委員国に韓国が立候補する可能性が高いと外務省から伺っております。来年の推薦、そして再来年の審議決定となると、委員国として韓国が反対するという最悪の状況を招きます。その後の2027年の秋から2031年の秋までの任期には中国が委員国に立候補する可能性が高いことから、来年から8年に亘って韓国と中国による歴史戦に持ち込まれると容易に想像されます。

 新潟県知事は結果に関わらず国際舞台で日本の主張を堂々と行って欲しいと仰っております。1年間、佐渡の金山の推薦を延期した場合、来年の文化庁文化審議会では他の遺産が選定される可能性もあり、20年間以上も情熱を持って来られた新潟県の方々があまりにも気の毒でございます。仮に今年度の推薦が見送られるようなことになった場合、来年度まで確実に佐渡の金山を世界遺産一覧表に記載できるような環境をつくれる自信と戦略をお持ちなのか、外務大臣に伺います」

 林芳正「先程申し上げましたようにまだ今年度の推薦しないということを決めたということではございません。今、先程申し上げたように総合的な検討しておるところでございます。従って、我々としては今、この申し上げたようにこの検討を進めながら、どうやったら、この登録が実現できるか、そういうことを考えながらですね、十分な準備を進めた上でということを検討させて頂きたいと考えているところでございます」

 高市早苗「先ず実現への可能性ということを一番大臣、考えておられると言うことは先程ご答弁を頂きました。まあ、2月1日に日本から推薦を出して決定までに1年4カ月あります。まあ、十分な準備を平行して進めながら、是非とも今年度の推薦を頂ますように心からお願いを申し上げます。

 さて、朝鮮半島から内地に移入して働いておられた方々については菅内閣時の2021年4月27日に旧国家総動員法第4条の規定に基づく国民徴用令により徴用された朝鮮半島からの労働者の移入についてはこれら法令により実施されたものであることが明確になるよう、『強制連行、また連行ではなく、徴用を用いることが適切である』。強制労働に関する条約は緊急の場合、即ち戦争の場合に於いて強要される労働を包含しないものとされていることから、徴用による労務者については同条約上の強制労働には該当しないという日本政府の考え方が閣議決定されています。

 岸田内閣に於いても今右変更することなく、この閣議決定を踏襲されますでしょうか。岸田総理に伺います」

 岸田文雄「ご指摘の令和3年4月27日に閣議決定された答弁書に示された政府の立場、岸田内閣に於いても変わっておりません」

 ここで高市早苗は歴史戦にかかる摩擦対象は本来は外務省の仕事だが、安倍内閣時は安倍晋三の指示で内閣官房副長官補室による国際社会に向けた歴史広報が始まり、菅義偉も引き継いでいる、事実関係に踏み込んだ体系的歴史認識の国際広報を急速強化することが日本の名誉と国益を守る上で必要だが、岸田内閣でもこの方法を受け継いでいるのかと問い、岸田文雄は自身の内閣も受け継ぎ、歴史問題にしっかり取組んでいきたいと答え、官房長官松野博一も同様の答弁をする。

 高市早苗「私は戦争が繰り返され、列強各国が植民地支配を行っていた不幸な時代に自らの国籍を変更しなくてはならんかった方々が民族としての誇りを傷つけられたこと、また日本人として共に戦争を戦わねければならなかったことについては深く思いを致さなければならないと考えております。

 とかく当時の国際法や国内法や国際情勢を勘案せずに現在の価値観だけで歴史を裁き続けるならば、多くの国々が謝罪や賠償を続けなくてはならなくなり、未来を開く外交関係というものは成り立ちません。岸田総理は史上最長の外務大臣として活躍してこられました。国家の名誉を守りつつ、国益を最大化するというのはとても困難な仕事ではございますが、岸田内閣として毅然とした外交をお願い申し上げます」(以上)

 歴史修正主義満載の高市早苗の発言となっている。この発言から4日後の1月28日夜、岸田文雄は首相官邸のぶら下がり取材で「佐渡島金山」のユネスコ推薦を正式表明、4日後の2月1日にネスコへの推薦を閣議了解、推薦書を提出した。一部のマスコミはそれまで推薦に慎重だった岸田内閣を安倍晋三や高市早苗等の自民党右派の圧力によって動かざるを得なくなったといったことを報じたが、少なくとも上記高市早苗の歴史修正主義満載の言葉巧みなゴリ押しが推薦に強く影響したはずだ。

 高市発言の正体が歴史修正主義満載であることを暴いていかなければならないが、その一環として先ず最初に菅内閣時2021年4月27日に閣議決定したという1930年のILO「強制労働に関する条約(第29号)」(以下「強制労働条約」)が強制労働は「戦争の場合に於いて強要される労働を包含しない」としていることと「旧国家総動員法第4条の規定に基づく国民徴用令により徴用された朝鮮半島からの労働者の移入」は「強制連行、また連行」に当たらず、あくまでも「徴用」であり、いわば強制労働を意味していないとしていることを取り上げてみるが、菅内閣時の閣議決定とは岸田文雄が答弁しているように質問趣意書を受けた答弁書を指す。「河野談話」が従軍慰安婦の募集に官憲の関与を認めているのに対してそれを否定する答弁書の閣議決定を安倍晋三が行なったことに代表されるように一般的となっている歴史認識を自らの歴史認識に修正するために保守派の首相による答弁書の閣議決定はよく用いられる手となっている。

 日本維新の会馬場伸幸が朝鮮半島出身者の徴用は国民徴用令に基づいているものだから、「強制連行」や「連行」との誤った用語を用いるべきではない、「徴用」を用いるべきであるということと、彼らが強制労働させられたとの見解があることの政府の考えを問う「質問主意書」を2021年4月16日に菅内閣に提出、菅内閣は同年4月27日の「答弁書」で最初の質問に対して、〈旧国家総動員法(昭和13年法律第55号)第4条の規定に基づく国民徴用令(昭和14年勅令第451号)により徴用された朝鮮半島からの労働者の移入については、これらの法令により実施されたものであることが明確になるよう、「強制連行」又は「連行」ではなく「徴用」を用いることが適切であると考えている。〉、次の質問に〈強制労働ニ関スル条約(昭和7年条約第10号)第2条において、「強制労働」については、「本条約ニ於テ「強制労働」ト称スルハ或者ガ処罰ノ脅威ノ下ニ強要セラレ且右ノ者ガ自ラ任意ニ申出デタルニ非ザル一切ノ労務ヲ謂フ」と規定されており、また、「緊急ノ場合即チ戦争ノ場合・・・ニ於テ強要セラルル労務」を包含しないものとされていることから、いずれにせよ、御指摘のような「募集」、「官斡旋」及び「徴用」による労務については、いずれも同条約上の「強制労働」には該当しないものと考えており、これらを「強制労働」と表現することは、適切ではないと考えている。〉とご都合主義よろしく答弁している。

 要するに高市は江戸時代の佐渡金山は「戦時中と全く関係ない」と言いつつ、菅内閣の閣議決定を利用、自らの歴史修正主義に則って国民徴用令に基づいた戦時中の朝鮮人徴用の強制労働を否定してみせた。

 このことの正当性はあとで検証することにして、「強制労働条約」を楯とした戦争の場合は例外規定としていることの正当性を先に検証してみる。答弁書では「強制労働条約」は「昭和7年条約第10号」となっているが、日本国内での順番付なのか、実際は「第29号」となっていて、1930年(昭和5年)6月28 日採択、日本の批准は1932年11月21日。

 「強制労働条約(第29号)」(部分抜粋)

 第2条第1項 本条約ニ於テ「強制労働」ト称スルハ或者ガ処罰ノ脅威ノ下ニ強要セラレ且右ノ者ガ自ラ任意ニ申出デタルニ非ザル一切ノ労務ヲ謂フ
    第2項 尤モ本条約ニ於テ「強制労働」ト称スルハ左記ヲ包含セザルベシ

 (a) 純然タル軍事的性質ノ作業ニ対シ強制兵役法ニ依リ強要セラルル労務
 (b) (略)
 (c) (略) 
 (d) 緊急ノ場合即チ戦争ノ場合又ハ火災、洪水、飢饉、地震、猛烈ナル流行病若ハ家畜流行病、獣類、虫類若ハ植物ノ害物ノ侵入ノ如キ災厄ノ若ハ其ノ虞アル場合及一般ニ住民ノ全部又ハ一部ノ生存又ハ幸福ヲ危殆ナラシムル一切ノ事情ニ於テ強要セラルル労務
 (e) (略) 

 最初にこの条約が締結された時代背景をネットで調べつつざっと眺めてみることにする。この当時の日本は日清戦争(明治27年7月25日~明治28年4月17日)に勝利し、下関条約(明治28年)を経て台湾の割譲を受け領有、植民地とし、1904年(明治37年)の日露戦争勝利でロシアから中国遼東半島の租借権を引き継ぎ、半植民地化し、さらに中国を支配し植民地とする野望のもと領土内に軍隊を進め、1905年(明治38年)には韓国に対して「日韓協商条約」を締結させ、保護国とし、さらに一歩進んで1910年(明治43年)に併合(日韓併合)、植民地とし、第1次世界大戦(1914年・大正3年7月28日~大正7年11月11日)の戦勝国となって、赤道以北の旧ドイツ領南洋諸島を国際連盟から委任統治領として受任、植民地経営に乗り出し、他の戦勝国アメリカ、イギリス、フランス、イタリアを加えた世界五大国の一角を占めるに至っていた。

 そして軍事進出を進めていた中国では日露戦争後に譲渡を受けた南満州鉄道の線路を日本の関東軍自らが爆破(柳条湖事件・昭和6年9月18日)、中国軍による犯行と言いがかりをつけて中国軍に対して武力攻撃を開始(満州事変)、中国の東北部満州一体を占領し、1932年(昭和7年)3月1日に満州国建国宣言を行い、のちに中国の清朝最後の皇帝溥儀を執政に据えて傀儡政権を樹立、2年後の1934年(昭和9年)に溥儀を満州国皇帝の地位に変えて、帝政を政治体制とする植民地を整えるに至った。

 要するに日本が米英仏伊と共に世界五大国の一角を占めていたということは他の国とは規模は劣るものの、軍事力を背景に植民地経営国家として十分に仲間入りを果たしていたからこそ可能となった列強の一員であった。安倍晋三は2013年の自著『新しい国へ』の中で、「昭和17、8年の新聞には『断固戦うべし』という活字が躍っている。列強がアフリカ、アジアの植民地を既得権化する中、マスコミを含め、民意の多くは軍部を支持していたのではないか」と主張、日本の戦争を正当化しているが、遠いアフリカはさておいて、近いアジアの植民地の既得権化は欧米列強に負けじと手を広げていたのだから、安倍晋三のこの手の発言は歴史修正主義で成り立たせているに過ぎない。

 「強制労働条約」が締結された1930年には列強海軍の補助艦保有量の制限を主な目的としたロンドン海軍軍縮会議が開催され、日本は米英仏伊と共に五大列強として参加している。こういった世界情勢のもと、「強制労働条約」は締結された。いわば世界的に世界五大列強の意向が優勢な状況にあり、そのような意向が反映されたことは「強制労働」を「或者ガ処罰ノ脅威ノ下ニ強要セラレ且右ノ者ガ自ラ任意ニ申出デタルニ非ザル一切ノ労務ヲ謂フ」と定義づけながら、戦争ノ場合は例外規定としたことに現れている。五大列強、あるいはそれに準ずる列強が植民地獲得と植民地維持のために被植民地と戦争を行い、あるいは今後行う可能性と被植民地国民を強制労働に駆り立てていた、あるいは今後駆り立てる必要可能性から戦争に関係する上記免除規定は列強こそが最大の受益国家となり、一番の好都合を被ることになるが、逆に一番の不都合を被るのは被植民地国民なのは断るまでもないが、「第29号」条約のこういった利害構造は当時の列強に有利に働く契約となっていたことからも列強の意向を窺うことができる。

 つまりその分全体的な正当性を欠くことになり、このことを無視して高市早苗が1930年の条約を持ち出して、日本の戦争当時の強制労働を強制労働ではなかったと否定すること自体が歴史修正主義そのものだが、国際労働機関(ILO)は列強に有利に働く利害構造を反省、戦争等々の枠を設けずに全ての種類の強制労働を禁止し、どのような利用も不可とする「強制労働廃止条約(第105号)」を 1957年(昭和32年)に採択、2020年6月現在批准国は175カ国、日本はG8加盟国中唯一の未批准国の名誉を担っている。さらにこの「第105号」の「締結のための関係法律の整備に関する法律案」を議員立法により2021年 5月31日に衆議院提出、その後参議院送付、同年6月3日に参議院本会議に於いても可決・成立。議員立法だからか、自民党政府は「第105号」の批准に向けた動きを見せていない。勘繰るならば、批准してしまった場合、「戦争当時の強制労働は許されていた」とする主張の全面的な正当性が窮屈になる恐れが生じ、歴史修正的な臭いを漂わせる恐れが出かねないからだろう。

 では、高市早苗の発言「強制労働条約は緊急の場合、即ち戦争の場合に於いて強要される労働を包含しないものとされていることから、徴用による労務者については同条約上の強制労働には該当しないという日本政府の考え方が閣議決定されています」の歴史認識上の正当性、歴史修正でも何でもないのかを探ってみる。

 第2条第1項の「或者ガ処罰ノ脅威ノ下ニ強要セラレ」る、あるいは「自ラ任意ニ申出デタルニ非ザル一切ノ労務」とは本人の意向、人権を一切無視しているゆえに、"奴隷的使役"そのものを指していて、その禁止を謳っていることになる。

 そして戦争に関わるメインの例外規定、〈(a)純然タル軍事的性質ノ作業ニ対シ強制兵役法ニ依リ強要セラルル労務〉としている条件付けは「強制兵役法」に則った「純然タル軍事的性質ノ作業」に関しての"奴隷的使役"は強制労働に当たらずの規定となる。このことを裏返すと、「強制兵役法」に則っていたとしても、「純然タル軍事的性質ノ作業」以外の労務への強制労働は条約上の例外とすることはできないし、「純然タル軍事的性質ノ作業」であったとしても、「強制兵役法」に則らない強制労働も、"奴隷的使役"外だとすることはできないことになる。

 そして「(d)」の「緊急ノ場合即チ戦争ノ場合」その他の場合は全てを例外としているわけではなく、していたら、強制労働に対する白紙委任となる、「一般ニ住民ノ全部又ハ一部ノ生存又ハ幸福ヲ危殆ナラシムル一切ノ事情ニ於テ強要セラルル労務」を限定としている。一例を挙げるなら、空からか陸上からか激しい敵襲を受けて多くの建物が崩壊、住民が建物に閉じ込められるか、下敷きになっていると想定される場合の緊急を要するガレキ撤去、人命救助のために生存住民に課す強制労働か、他の例として敵軍がある地域に迫っていて、多くの住民の生命が危険に曝されることが予想され、その防御のために住民の退避壕造りか味方軍の塹壕造りを住民にも命じる場合の強制労働といったところだろう。

 当然、ある国が戦争状態にあるからと言って、「純然タル軍事的性質」の有無に関わらず、「強制兵役法」に則っとらない労務と「(d)」の限定外の労務に強制的に駆り立てた"奴隷的使役"までが強制労働にあらずとしているわけではない。高市早苗がこのように読み取ることができないとするなら、想像力を著しく欠いてるために頭に血が回らない状態にあるからだろう。

 日本が様々な名目で朝鮮人を日本植民地下の韓国内各地や日本内地に軍の労務者や軍属として送り込んだ当時の日本の「強制兵役法」に当たる法令は1873年(明治6年)陸軍省発布の「徴兵令」を改正、1927年(昭和2年)施行、敗戦時廃止の「兵役法」であるが、「兵役法」は徴兵の年齢的、身体的等の各条件、兵役の義務、その年限、その免除のケース、退役等を規定しているのみで、どこにも「純然タル軍事的性質ノ作業」に該当する強制労働を規定した条文は見当たらない。戦争遂行目的から国の経済や国民生活等全てに亘って動員・統制可能とする権限を国に付与した国家総動員法に関しても、その第4条「政府ハ戰時ニ際シ國家總動員上必要アルトキハ勅令ノ定ムル所ニ依リ帝國臣民ヲ徵用シテ總動員業務ニ從事セシムルコトヲ得但シ兵役法ノ適用ヲ妨ゲズ」の規定に応じて国民の労働力の強制的な徴発を定めた国民徴用令に関しても、朝鮮人の軍関係への徴用の場合は強制労働を可能とするとの文言はどこにもない。勿論、「純然タル軍事的性質ノ作業」の場合はといった類いの特定条件を付けた文言も見当たらない。

 戦争中のタイ-ビルマ間に突貫敷設された、連合国軍捕虜と現地人労働者その他1万人以上が過酷な労働や栄養失調、コレラ、マラリアで死亡した泰緬鉄道(死の鉄道)は日本軍の物資輸送目的の「純然タル軍事的性質ノ作業」ではあるが、戦後、日本軍関係者がBC級戦犯として「捕虜虐待」などの戦争犯罪に問われ、死刑や禁固10年等の宣告を受けたのは上記「強制労働条約」が強制労働を正当と裏付ける根拠となる「強制兵役法」に当たる日本の「兵役法」が強制労働に関わるどのような規定も設けていないからだろう。設けていたなら、高市早苗のように「同条約上の強制労働には該当しない」と言って、裁判を免れることができたはずだ。

 日本の陸海軍が関係する「純然タル軍事的性質ノ作業」での強制労働であっても、その正当性を裏付ける根拠法が存在しないということなら、国家総動員法の第4条に基づく国民徴用令によって1942年1月から始まった日本人だけではない、韓国内の朝鮮人の日本企業への徴用による強制労働は「純然タル軍事的性質ノ作業」であるなしに関わらず、「強制労働条約」を以ってしても、例外規定とすることはできないことは明らかな事実としなければならない。

 さらに「強制労働条約」が「第21条」で「強制労働ハ鉱山ニ於ケル地下労働ノ為使用セラルルコトヲ得ズ」としているが、このことの例外規定を設けていない関係から、条文通りの制約となり、鉱夫が陸海軍の徴用を受け、その鉱物発掘が大砲や戦闘機等々の製造に供する目的の「純然タル軍事的性質ノ作業」だと口実づけたとしても、許されない強制労働であり、ましてや民間の労務動員による鉱山強制労働は一切禁止となる。果たして佐渡金山で強制労働を押し付けられていなかっただろうか。

 高市早苗は佐渡金山の歴史を江戸時代のみに限って、江戸時代以降の、特に朝鮮人に対する徴用が始まった戦中の佐渡金山の歴史を避けているが、「江戸時代の伝統的手工業については韓国は当事者ではあり得ない」は事実そのものであろうが、佐渡金山としての歴史は現在までひと続きであり、例え時代ごとに評価を区分することになったとしても、戦争中の歴史を排除することは歴史がひと続きであること、その一貫性を損なうことになり、誰にもそうする資格はないのだから、歴史に対する謙虚な姿勢とは正反対の思い上がりとなる。戦争中の歴史を加えることに不都合の臭い、歴史修正の臭いを感じる。

 技術という点だけを取るとしても、「江戸時代の伝統的手工業」だとしている掘削技術と戦争中の掘削技術が異なっていたとしても、一般的には後者は前者の発展型、もしくは継続型であって、やはりひと続きの歴史を成していると同時に技術は技術だけの問題ではないことに留意しなければならない。技術を用いて目的の仕事を進めるのはその時代その時代の人間であり、使う人間と使われる技術が一体となって、技術に応じた人間の使い方の価値が評価を受け、人間の使い方に応じた技術の価値が評価を受けることになる。この過程がなければ、技術は技術としての意味を失う。例えば昭和の時代にも素晴らしい車があったと言うとき、その車を多くの人間が運転することによって手に入れることができた共通した価値観で成り立つことになった評価であって、使う人間抜きの技術は意味を持たない。

 だが、高市早苗は人間抜きに技術のみを語ろうとしている。例え江戸時代であったとしても、優れた伝統的手工業のもとに強制労働を強要されていたり、低賃金労働を当たり前とされていたりしたら、その技術は技術開発者の一般的な意図を外れて、強制労働や低賃金労働に存在意義を与えられていることになり、褒められる技術とは言えなくなる。高市早苗の言う佐渡金山に於ける「江戸時代の伝統的手工業」が鉱夫たちにどのような存在意義を与えていたのかを見なければならない。高市早苗が技術だけを見て、世界遺産登録を願うのは前のブログで言及したように国家に向ける目を十二分に持っているが、国民という存在に向ける目を疎かにしているからだろう。

 「佐渡金山」(Wikipedia)

 「江戸時代」(文飾は当方)

〈慶長6年(1601年)徳川家康の所領となる。同年、北山(ほくさん)(金北山)で金脈が発見されて以来、江戸時代を通して江戸幕府の重要な財源となった。特に17世紀前半に多く産出された。

江戸時代における最盛期は江戸時代初期の元和から寛永年間にかけてであり、金が1年間に400 kg以上算出されたと推定され、銀は1年間に1万貫(37.5 トン)幕府に納められたとの記録がある。当時としては世界最大級の金山であり、産銀についても日本有数のものであり江戸幕府による慶長金銀の材料を供給する重要な鉱山であった。なかでも相川鉱山は、江戸幕府が直轄地として経営し、大量の金銀を産出した佐渡鉱山の中心であった。産出し製錬された筋金(すじきん/すじがね)および灰吹銀は幕府に上納され、これを金座および銀座が預かり貨幣に鋳造した。また特に銀は生糸などの輸入代価として中国などに大量に輸出され、佐渡産出の灰吹銀はセダ銀とも呼ばれた。

しかし江戸中期以降佐渡鉱山は衰退していった。1690年には佐渡奉行を兼任していた荻原重秀が計15万両の資金を鉱山に投入する積極策を取って復興を図り、その結果一時的に増産に転じたが、結局その後は衰微の一途を辿り、以降江戸時代中に往年の繁栄が戻ることはなかった。

江戸時代後期の1770年頃からは江戸や大阪などの無宿人(浮浪者)が強制連行されてきて過酷な労働を強いられたが、これは見せしめの意味合いが強かったと言われる。無宿人は主に水替人足の補充に充てられたが、これは海抜下に坑道を伸ばしたため、大量の湧き水で開発がままならなくなっていたためである。

水替人足の労働は極めて過酷で、「佐渡の金山この世の地獄、登る梯子はみな剣」と謳われた。江戸の無宿者はこの佐渡御用を何より恐れたといわれる。水替人足の収容する小屋は銀山間の山奥の谷間にあり、外界との交通は遮断され、逃走を防いでいた。小屋場では差配人や小屋頭などが監督を行い、その残忍さは牢獄以上で、期限はなく死ぬまで重労働が課せられた。

 無宿人と言えども、戸籍を持たない浮浪者であって、犯罪者ではない。それを捕まえて、佐渡金山に強制連行し、過酷な強制労働を課した。

 序に佐渡金山の「水替人足」について同じ「Wikipedia」から見てみる。

 〈当初、水替人足は募集により行われており通常の町方や農民の者が中心であった。また、各国から石高に応じて在方から強制的に割り当てられてくる農民も存在した。極めて重労働であるため、それに見合った高い賃金が支払われており、周辺の町村は非常に潤ったとされる。

 しかしながら、坑道が掘り進められるとともに労働環境の過酷さも増し、また水替人足もより大人数が必要となったが、それに見合った応募者数が得られず、採鉱に支障が生じ始めたため、安永6年(1777年)から、組織的に無宿者が佐渡金山へ水替人足として送られることとなり、翌年から使役が始まった。

 天明の大飢饉など、折からの政情不安により発生した無宿者が大量に江戸周辺に流入し、様々な凶悪な罪を犯すようになった。その予防対策として懲罰としての意味合いや、将軍のお膝元である江戸の浄化のため、犯罪者の予備軍になりえる無宿者を捕らえて佐渡島の佐渡金山に送り、彼らを人足として使役しようとしたのである。

 発案者は勘定奉行の石谷清昌(元佐渡奉行)。佐渡奉行は治安が悪化するといって反対したが、半ば強引に押し切る形で無宿者が佐渡島に送られることになり、毎年数十人が送られた。総数では、開始された1778年から幕末まで、1874人が送られたとの記録がある。

 当地の佐渡では遠島の刑を受けた流人(いわゆる「島流し」)と区別するため(佐渡への遠島は元禄13年(1700年)に廃止されている)、水替人足は「島送り」と呼ばれた。

 当初は無宿者のみを佐渡に送ったが、天明8年(1788年)には敲(むち・鞭打ち刑)や入墨の刑に処されたが身元保証人がいない者、さらに文化2年(1805年)には人足寄場での行いが悪い者や追放刑を受けても改悛する姿勢が見えない者まで送られるようになった。

 犯罪者の更生という目的もあった(作業に応じて小遣銭が支給され、改悛した者は釈放された。佃島(石川島)の人足寄場とおなじく、囚徒に一種の職を与えたから、改悟すれば些少の貯蓄を得て年を経て郷里に帰ることを許された)が、水替過酷な重労働であり、3年以上は生存できないとまでいわれるほど酷使された。そのため逃亡する者が後を絶たず、犯罪者の隔離施設としても、矯正施設としても十分な役割を果たすことが出来なかった。

 島においてさらに犯罪のあったときは鉱穴に禁錮されたが、これは敷内追込といい、また島から逃亡した者は死罪であった。〉――

 島からの逃亡者は死罪とされていたが、それでも「逃亡する者が後を絶た」なかった。無宿人は犯罪者の予備軍となる恐れがあったとしても、犯罪者ではない。のちに刑を終えた者までが連行され、強制労働に従事させられた。いわば江戸時代の佐渡金山は高市早苗が言う「伝統的手工業」なる技術のみでは片付けることのできない“鉱夫残酷物語”の舞台となっていた。あるいは「伝統的手工業」なる技術の陰で“鉱夫残酷物語”が演じられていた。日本独自のものだからとその技術のみを取り上げて、世界文化遺産への登録を目指す感覚は果たして正常だと言い切れるだろうか。歴史はその時代の人間が創るのであって、技術単独ではない。

 戦時中の佐渡金山に「募集」、「官斡旋」、「徴用」と言った名目で送られてきた朝鮮人鉱夫たちがどのような人間扱いを受けていたのか、高市早苗は江戸時代と「戦時中と全く関係はありません」と言っているが、歴史がひと続きであることと、江戸時代を学び、明治・大正と受け継いで、昭和を10年余も進んだ日本人がしていたことだから、どれ程のことを学んだのかを確かめないわけにはいかない。

 大日本帝国が韓国を明治43年に植民地としたことは韓国という国と韓国民に対して大日本帝国と日本国民を優越的地位に立たせことを意味する。端的に言うと、その優越性を権力・威力に変えて、相手の意思を無視する強圧的な態度を性格とすることとなった。強圧的とは友好的を一切欠いた状態を指す。保護国時代から韓国の土地・農地を奪い、1910年代の韓国併合後の「土地調査事業」によって土地・農地の収奪をさらに進め、最終的に小作人化した多くの朝鮮農民からの小作料で利益を得る地主制を定着させた。大正年間には千町歩以上の農地を所有していた日本人地主が30人近く存在したと言う(「旧植民地・朝鮮における日本人大地主階級の変貌過程(上)」)。20町歩が東京ドームの約4個分に相当すると言うから、日本人地主の30人近くが東京ドーム200個分の巨大な農地を抱えていた。それ以下の面積の農地を手に入れていた日本人も多くいたはずである。

 このような朝鮮人小作人からの搾取の構造は日本人の朝鮮人に対する強圧的な態度の罷り通りなくして存在し得ない。日本の朝鮮支配の最高機関である朝鮮総督府が朝鮮人に行なった強圧的な政策の代表格は被植民地国民である朝鮮人を天皇の民に変える皇民化政策の一環として1939年(昭和14年)11月公布、翌1940年(昭和15年)2月施行の朝鮮民事令改正によって強制した「創氏改名」(コトバンク)を挙げることができる。

 〈「創氏改名」は、日本風の氏をつくる「創氏」と、名前を変える「改名」に分けられ、創氏は強制、改名は任意であった。ただし、姓名が消されたり変更されたりしたわけではなく、戸籍には「氏名」と「本貫(ほんがん=本籍地)・姓」の両方が記載されていたが、これ以降、「氏名」が朝鮮人の公的な名前となり、それまでの「姓名」は通称として扱われることとなった。〉――

 1940年(昭和15年)8月までと期限を区切って改名を求め、〈改名しない者には公的機関に採用しない、食糧配給から除外するなどの圧力をかけたために、期限内に全戸数の80%が届け出た。『内鮮一体』を提唱する南次郎朝鮮総督の政策の一つ。〉(『日本史広辞典』(三省堂)

 最も効果的な圧力は「食糧配給から除外する」であったろう。戦国時代で言うところの兵糧攻めに相当する。このように強圧的・一方的に朝鮮民族として代々受け継いできた姓名を日常的に使うことから取り上げ、日本式の名字を名乗ることを強要した。

 当然、日本人の朝鮮人に対するこのような優越的地位からの強圧的・一方的態度は内地に向けた朝鮮人労務動員にも反映されないことはない。「戦時期日本へ労務動員された朝鮮人鉱夫(石炭、金属)の賃金と民族間の格差」(李宇衍・イ・ウヨン落星台経済研究所 : 研究委員/九州大学学術情報リポジトリ)は日本人、朝鮮人共に能力に応じた同一の賃金体系が適用されていて、経験年数による熟練度の差を受けた仕事量の違いによる賃金格差しかなかったと様々なデータを駆使して説明している。最初の頃は朝鮮人の経験年数が少ないことから、能率給に差が出ていたが、戦争が進むにつれて日本人鉱夫が徴兵で戦争に取られ、朝鮮人鉱夫の経験年数が相対的に上がって、日本人鉱夫よりも賃金を多く受け取る朝鮮人も出てきたとしている。

 但し著者は日本人と朝鮮人の間に賃金格差の事実が存在しないことの事情を次のように解説している。〈国家総動員という総力戦の状況で何より重要なことは増産であった。これのためには労務者に誘因を提供しなければならず、戦時下の貨幣の増刷と戦時産業に対する支援により企業は豊富な資金を持っている状況で金銭的な理由で生産能率と関係なく朝鮮人を差別する理由はなかったはずである、これは(※差別は)戦時体制を運営するにあたってむしろ否定的な影響を与えるからである。〉

 国家は戦争を勝利に導くために、実際には悪足掻きに過ぎなかったが、紙幣を大量に印刷し、戦時産業に武器生産の資源となる鉱物の産出の尻を叩くために資金を豊富に与えた。戦時産業側にしても国家の至上命令に応えなければならないから、下手に逃亡されたりストライキを起こされたりしたら、国の覚えが悪くなって、どのような介入を受けるか分からないから、賃金に差など付けてはいられなかった。できることは、能率給にすることで掘削の尻を叩くことぐらいだった。

 このことを裏返すと、非常時ではなかったら、人種間の賃金格差は存在していたという仮説は成り立つ。日本が金本位制に加わっていた頃は貿易の際の為替決済時に金を必要とすることから、佐渡金山の金は需要が高まったものの、日米開戦の際は欧米各国から輸出入禁止の措置を受けて金の貿易決済は必要なくなり、多くの金山が閉鎖措置を受けたものの佐渡金山は武器生産資源や他の工業資源としての銅も大量に算出していたために銅山として引き続いて掘削が続けられて、多くの朝鮮人が動員されたと言う。

 上記同著者は朝鮮人に対する強制連行があったかどうかの解説は行なっていない。朝鮮人労務動員の形式と内容を「韓国徴用工裁判とは何か」(竹内廉人)から見てみるが、大日本帝国が韓国を植民地化することによって日本国家と日本国民が朝鮮人に対して備えた優越的地位が仕向けることになる強圧的・一方的態度が労務動員にも発揮されていたことが分かる。

 先ず労務動員の形式と各時期について。〈労務動員は1939年からは「募集」、1942年からは「官斡旋」。1944年からは「徴用」の形でおこなわれました。日本政府は動員のために警察署内に協和会を設立して朝鮮人を監視し、動員数にあわせて警察官を増員しました。1944年には軍需会社を指定し、それにより、動員されていた朝鮮人も軍需徴用しました。

 軍務動員では、1938年から志願兵、1944年からは徴兵によって朝鮮人を動員しました。また、軍の労務のために工員、傭人、軍夫など、軍属としても動員しました。軍や事業所関係で「慰安婦」として動員された朝鮮人もいました。〉――

 「協和会」の「協和」とは「心を合わせ仲よくすること」を言うが、植民地支配者側が被支配者に対して支配と被支配の関係について「協和」の精神でいこうを謳い文句としていることになるのだから、被支配者側の朝鮮人からしたら、見え透いたおためごかし(表面は人のためにするように見せかけて、実は自分の利益を図ること。「goo辞書」)に過ぎなかっただろう。

 次に各動員の実態について。

 〈2 募集による動員

 1937年からの中国への全面戦争により、総力戦態勢がとられ、1938年4月には国家総動員法が、1939年7月には国民徴用令が公布されました。動員に先立ち、同年(※1939年)6月には中央協和会が設立され、各地に協和会がつくられていきました。(※1939年)7月、労務動員計画が閣議決定され、「朝鮮人労務者内地移住ニ関スル件」が出されました。それにより、募集の名による朝鮮人の労務動員がはじまったのです。

 朝鮮総督府警務局保安課が作成した『高等外事月報』の第2号(1939年8月)には、募集による動員方針を示す「朝鮮人労働者内地移住ニ関スル方針」、「朝鮮人労働者募集要綱」(内地側)、「朝鮮人労働者募集並取扱要綱」(朝鮮総督府側)などが収録されています。この計画によって、(※1939年)9月から朝鮮現地での募集がはじまりました。募集といっても動員計画によるものです。企業は地方長官(※明治憲法下における府県知事・東京都長官・北海道長官の総称「コトバンク」)経由で政府・厚生省に動員希望数を出し、厚生省の承認を得た後に、総督府から朝鮮人を募集する道と郡(※日本統治時代の朝鮮の行政区画。「Wikipedia」)の指定をうけ、現地の官憲と協力して募集していったのです。

 慶尚北道(キョンサンプクド)には開拓労務協会、慶尚南道(キョンサンナムド)には内鮮協会などの官制組織があり、募集企業は寄付金を出して、動員を委ねています。指定された郡で面(行政区分)の職員や警察の協力により、企業による集団募集がなされたのです。それは強権的な朝鮮総督府の警察機構を利用した、国策による強制的な集団動員でした。10月に入り、募集された朝鮮人は北海道や福岡の炭鉱などに連行されました。〉――

 募集動員の方針自体が「朝鮮総督府警務局保安課」(※朝鮮総督府に置かれた朝鮮における警察事務管掌「Wikipedia」)の作成という一点のみで、国策を背景とした官憲関与を証拠立てていて、「募集」という名称のみは穏やかな人集めに見えるが、植民地に於ける支配者側の官憲関与であり、そこに強圧的な力が働く余地を十分に備えていたことになって、強制連行にいつ姿を変えてもおかしくない要素を抱えていたと見ることができる。

 〈官斡旋の動員は1942年2月の「朝鮮人労務者活用ニ関スル方策」の閣議決定によってはじめられました。朝鮮総督府は「朝鮮人内地移入斡旋要綱」を策定し、総督府の下に置かれた朝鮮労務協会を利用しました。日本政府による承認を得た企業に、朝鮮総督府へと朝鮮人労務者斡旋申請書を提出させ、郡単位で人々を駆りあつめ、隊組織を編成し、軍事的な集団訓練をおこなったうえで動員したのです。また政府は同年(※1942年)2月、「移入労務者訓練及取扱要綱」を作成しました。これは労務動員された朝鮮人を職場で管理し、統制するためのものでした。

  (中略)

 増加する朝鮮人の動員に対応し、同年(※1942年)5月には、山口県の下関で石炭統制会、鉱山統制会、鉄鋼統制会、土木工業協会などが朝鮮人労務者輸送協議会をもち(下関会議)、動員の申し込みを総督府の労務課にすることや、東亜旅行社が輸送を担当することなどを決めます。また、現場から逃走する朝鮮人が多いため、同年(※1942年)8月には、「移入朝鮮人労務者逃走防止対策要綱」が示され、逃走防止のための会合がもたれました。〉――

 1942年8月に「移入朝鮮人労務者逃走防止対策要綱」を作成しなければならないこと自体が官(=朝鮮総督府)で斡旋した朝鮮人労務動員でありながら、強制労働を許していた状況を窺うことができる。1939年から「募集」が始まり、「官斡旋」が始まったのは1942年の3月からとなっていて、その2カ月後に「逃走防止対策要綱」を作成した。「募集」から「官斡旋」へと動員(人集め)の形式を変えたこと自体が前者の満足できない成果に対して後者の方法で満足できる成果を得るべく方向転換したことを窺わせて、当然、そこに強制性の加味を見ることになる。日本への労務動員に心理的に忌避感を抱えている者をそれを無視して連行したとしても、忌避感は鎮めることはできず、却って募らせることになり、一切を断ち切りたくなったとき、逃亡という衝動を芽生えさせ、断ち切りたいという思いの強さに応じて実行する者が出てくる。先に挙げた李宇衍(イ・ウヨン)氏の文章中に、〈朝鮮人は契約期間が2年であり、契約期間満了後に期間を延長する者はとても少なく、満了以前に逃走したものがとても多かった。〉の一文がある。

 満了まで我慢した者が満了に応じて期間延長を求められたとしても、「いえ、帰国します」と断ることができる体制にあったなら、満了以前に逃走する者など出てこない。期間延長によって人数を確保することも動員のうちに入る。継続動員ということかもしれない。人集めの段階から強制性を窺わせ、それが重労働であるなしに関係なしに使役の段階でも強制性を纏わせていた疑いが出てくる。

 〈4 徴用による動員

 労務動員では、官斡旋による動員の実施から2年を迎えようとするなか、1943年12月に軍需会社法が施行されました。それにより1994年1月、日本製鉄、三菱重工業、中島飛行機など主要な重化学工場が、1944年4月には、三井鉱山や三菱鉱業をはじめ、主要な炭鉱が軍需会社に指定されました。軍需会社に指定されると、そこで働く人々は徴用扱いとされました。これを軍需徴用、または現員徴用といいます。募集や官斡旋で動員され、現場に残っていた朝鮮人も徴用扱いとされました。軍需徴用されると、知事から徴用告知書が渡されました。

 官斡旋による動員者は2年契約のものが多く、1944年の4月以降、帰国を求める朝鮮人が増え、争議も起きました。それに対して政府は、4月に「移入朝鮮人労務者ノ契約期間延長ノ件」を出して、定着を強要しました。朝鮮現地では官斡旋による動員が続けられますが、動員への抵抗により、割り当てられた人数を確保できないことが多くなります。

 この頃、植民地の行政事務を内務省管理局が管轄していましたが、内務省は朝鮮に担当者を派遣し、状況を報告させています。内務省管理局から朝鮮に派遣された小暮泰用による復命書(報告書)は1944年7月に記されていますが、官斡旋での朝鮮現地での動員を「人質的略奪」、「拉致」と記しています。甘言で騙して連れてくる、これを欺罔(※欺き)よる連行といいますが、それができなくなると暴力的な拉致がなされたのです。現地の動員担当者はより強力な動員態勢を求め、徴用の発動による動員を願うようになりました。

 このようななかで、1944年8月、「半島人労務者ノ移入ニ関スル件」が閣議決定され、9月からは徴用による労務動員がおこなわれたのです。徴用は、政府・厚生省が地方長官経由で各企業に割当数の認可を伝え、企業は徴用申請書を政府・軍需省経由で朝鮮総督府に提出し、総督府の下で道知事が徴用を発令するという形ですすめられました。朝鮮総督府の鉱工局に勤労動員課がおかれ、動員業務をおこなうようになりました。11月、中央協和会は中央興生会に改組されました。

 1945年1月には、軍需充足会社令が公布されました。それにより、土建業や港湾・運輸業の労働者も徴用扱いになっていきます。

 (※1945年)6月、朝鮮総督府は「徴用忌避防遏(※ぼうあつ・ふせぎとめること)取締指導要綱」を作成しています。現地では徴用忌避の動きが強かったのですが、この要綱では徴用忌避があった場合、その家族、親戚、愛国班(日本における隣組)から代わりに人を送出することを求めています。このように6月に至るまで、現地では割当数を満たすために執拗な動員がすすめられました。日本への動員は6月で終わります。〉――

 国から軍需指定された工場や鉱山で働いていた日本人、朝鮮人等が1944年4月以降、突然、「お前は国の徴用を受け」たと告知される。この一点を以ってしても、国側の強圧的な態度が仕向ける強制性が見えてくる。労務動員を受ける韓国現地の民情等を視察した小暮泰用の1944年の「復命書」を取り上げ、労務動員を「暴力的な拉致」との表現でその強制性を指摘しているが、この「復命書」については原文のまま取り上げているPDF記事を参考にして後で取り上げてみる。

 朝鮮総督府が1945年6月に「徴用忌避防遏取締指導要綱」を作成、〈徴用忌避があった場合、その家族、親戚、愛国班(日本における隣組)から代わりに人を送出することを求めています。〉云々は国が勝手に法律や規則を作ってそれぞれの取り決めに個人の行動を規制し、その規制に応じないからと言って当人の行動に関係しない近接者に身代わりを求める遣り口で、この有無を言わせない強制的な手口は一種の連座制であって、江戸時代の封建主義にまで遡る。当時の大日本帝国国家が植民地国民に対しても、自国民に対してもどれ程に横暴であったかを如実に物語っている。その横暴に多くの朝鮮人や少なくない日本人が犠牲となった。犠牲の発端は欧米列強の植民地獲得レースの尻馬に乗って、自らも植民地獲得レースに参加したことから始まっている。

 労務動員自体が本人の意思に反して強権的かつ強制的に行われたなら、強制連行となり、動員先の労働が肉体的に耐えられる範囲のものであっても、本人の意思に反して課している労働であることに変わりはなく、強制労働となる。高市早苗は菅内閣の答弁書閣議決定を用いて対朝鮮人動員を「国民徴用令に基づく徴用だ」と言い、強制連行ではないとしているが、法令上に限ったことで、実態は強制連行は広く行われていた。

 そもそもの「募集」形式の労務動員の段階から朝鮮総督府と総督府一部局の朝鮮総督府警務局指揮下の最末端地方警察署警察官と駐在所巡査が関わっていた一事を以って強圧的な強制性を窺わなければならないが、それが「官斡旋」と名を変えて「官」の関与を強めた経緯からは強制性を強化したことの答しか出てこないが、「<論説>足尾銅山・朝鮮人強制連行と戦後処理」(古庄正)に「官斡旋」方式の労務動員で強制連行扱いを受けた一朝鮮人の証言が紹介されている。

 要約すると、1921年生れ、22歳になるのか、鄭雲模さんが1942年2月のある日突然面事務所に呼び出された。面事務所には足尾銅山通洞坑の斉藤坑夫長(後に足尾銅山副所長となる)と朝鮮人労務担当員がいた。斉藤は鄭さんに「お国のためだから栃木県足尾銅山に行って3年間働いてこい」と言った。父親を亡くし,年老いた母の面倒をみなければならなかった鄭さんは,これを断った。そのため,彼は「国のため,天皇のためということがわからないのか」と言われ,朝鮮人労務担当員に殴る蹴るの暴行を受けた。朝鮮人労務担当員には斉藤坑夫長からその場で札束が渡された。翌朝6時頃,鄭さんは母を連れて逃亡を企てたがすでに遅く、家の前にはトラックが止まり,3~4人の者が家を囲み監視していた。結局,鄭さんはそのままトラックに乗せられ清州に連行された。そこには100~150名の朝鮮人の若者が狩り集められていた。鄭さんたちは草色の作業服を支給され,着替えるよう命じられた。作業服は南京袋のような生地でごわごわしていて、大変目立つ色だから、逃亡防止のためだと思われた。全員がその晩のうちに特別列車で釜山まで送られた。車中では小用を足すところまでも厳重に監視され、下関に着いてからは監視はさらに強まり、1943年3月に足尾銅山に連行された。

 本人が断ったにも関わらず、暴行を加えて、連行した。全て本人の意思に反していることだから、それが国民徴用令に基づいていたとしても強制連行となり、命じた労働は例え賃金格差がなかったとしても、強制労働そのものとなる。

 上記場面には官憲と名称させた人物は登場していないが、斉藤坑夫長にしても、朝鮮人労務担当員にしても、こういった暴力的な動員に関して警察が承知していて眼をつぶることを当然視していなければ、動員を断っただけの人間に対して殴る蹴るの暴行を働くことはできなかったろうし、斉藤坑夫長はその暴力を脇で眺めていることもできなかったろう。その上斉藤坑夫長が「国のため,天皇のためということがわからないのか」と口にしていたのだから、「全ては国のため,天皇のためなんだ」と内心では朝鮮人労務担当員の暴行と強制連行を正当化していたはずだ。

 そしてこのような暴力的な強制連行が単なる一例でないことを竹内廉人氏が紹介していた文書、「小暮泰用より管理局長竹内徳治宛『復命書』」(外村太研究室)から覗いてみる。小暮泰用は内務省の嘱託として朝鮮民情の動向並びに地方行政状況調査のために朝鮮へ出張、敗戦約1年前の昭和19年(1939年)7月31日にその報告書を内務省管理局長竹内徳治宛に提出。生活環境も日本国内と同様に相当に悪化していたであろう。併合韓国内でも徴兵と徴用によって労働力不足と生産活動の低下。日本の米不足に対応させる朝鮮米の日本移入と韓国自体の米不足、配給の遅滞、物価高騰等々を生み(『復命書』文章中に次のような一節がある。〈一般に朝鮮の地方農村には勤労過重なる場合が多く極端になれば三食とも草根木皮の粥腹である為め体錬の時間にすら貧血率倒する頑是ない子供が勇々しく(※ゆゆしく・いさましく)も鍬や鎌を手にし文字通り身を粉にして勤労に従事しつつあるのを目睹し一掬の涙なきを得ない実情である〉)、大本営の連戦連勝の発表にも関わらず戦争勝利に対する懐疑が日本国内と同様に多くの朝鮮人の心に渦巻くことになっていたはずで、にも関わらず、大日本帝国政府も朝鮮総督府も韓国からの労務動員に躍起になっていた。当然、強圧的な強制性が全体的に強まっていったことは容易に想像できることで、当文書がそれを証明することになる。

 「四、第一線行政の実情」「ロ」の記述。

 〈(食糧供出に於ける殴打、家宅捜索、呼出拷問労務供出に於ける不意打的人質的拉致等)乃至稀には傷害致死事件等の発生を見る如き不祥事件すらある

 斯くて供出は時に掠奪牲を帯び志願報国は強制となり寄附は徴収なる場合が多いと謂ふ〉

 「供出」とは一定の価格で政府に売り渡させることを言う。目的の供出量に達しなかったためにだろう、殴打したり、家宅捜索したり、呼出拷問したりして、少数の例外はあるだろうが、殆どが有り余っているわけではない食糧を無理矢理供出させる。そしてこういったことができるのは日本の現地警察に雇われた朝鮮人巡査である。そして不意打的に人質的拉致同然に労務供出、つまり労務動員させる。結果、行き過ぎて傷害致死事件等が発生する。こうした横暴ができるのも植民地支配国家として優に優る軍事力と警察力で朝鮮人を人質に取っていたも同然だったからである。 

 「内地移住労務者送出家庭の実情」について、〈従来朝鮮に於ける労務資源は一般に豊富低廉と云はれて来たが支那事変が始つて以来朝鮮の大陸前進兵站基地としての重要性が非常に高まり各種の重要産業が急激に勃與し朝鮮自体に対する労務事情も急激に変り従って内地向の労務供出の需給調整に相当困難を生じて来たのである〉

 〈然し戦争に勝つ為には斯の如き多少困難な事情にあっても国家の至上命令に依って無理にでも内地へ送り出さなければならない今日である、然らば無理を押して内地へ送出された朝鮮人労務者の残留家庭の実情は果して如何であらうか、一言を以て之れを言ふならば実に惨憺目に余るものがあると云っても過言ではない

 蓋し朝鮮人労務者の内地送出の実情に当っての人質的掠奪的拉致等が朝鮮民情に及ぼず悪影響もさること乍ら送出即ち彼等の家計収入の停止を意味する場合が極めて多い様である、其の詳細なる統計は明かでないが最近の一例を挙げて其の間の実情を考察するに次の様である

 大邱府の斡旋に係る山口県下沖宇部炭鉱労務者967人に就て認査して見ると一人平均月76円26銭の内稼働先の諸支出月平均62円58銭を控除し残額13円68銭が毎月一人当りの純収入にして謂はば之れが家族の生活費用に充てらるべきものである

 斯の如く一人当りの月収入は極めて僅少にして何人も現下の如き物価高の時に之にて残留家族が生活出来るとは考へられない事実であり、更に次の様なことに依って一層激化されるのである

(イ)、右の純収入の中から若干労務者自身の私的支出があること
(ロ)、内地に於ける稼先地元の貯蓄目標達成と逃亡防止策としての貯金の半強制的実施及払出の事実上の禁止等があって到底右金額の送金は不可能であること
(ハ)、平均額が右の通りであって個別的には多寡の凹凸があり中には病気等の為赤字収入の者もあること、而も収入の多い者と雖も其れは問題にならない程の極めて僅少な送金額であること

以上の如くにして彼等としては此の労務送出は家計収入の停止となるのであり况(※いわんや)作業中不具廃疾となりて帰還せる場合に於ては其の家庭にとっては更に一家の破滅ともなるのである〉

 〈私が今回旅行中慶北義城邑中里洞金本奎東(23才)なるものが昭和18年7月1日北海道へ官の斡旋に依り渡航した家庭を直接訪問して調査したるに、最初官の斡旋の時は北海道松前郡大沼村荒谷瀬崎組に於て本俸95円、手当を加へ合計月収130円となる見込みとの契約にて北海道より迎へに来た内地人労務管理人に引率され渡航したる後既に1年近くになっても送金もなければ音信もない家に残された今年63才の老母1人が病気と生活難に因り殆んど頻死の状態に陥って居る実情を目撃した、斯の如き実情は此の義城のみならず西鮮、北鮮地方に極めて多く、之等送出家庭に於ける残留家族の援護は緊急を要すべき問題と思はれる〉――

 満身創痍の日本の経済を回すためだけのために朝鮮人を日本に強制的に徴用して、徴用された朝鮮人の家庭が瀕死の状態に陥ろうと顧みなかった。賃金の半強制的貯蓄と払出の事実上の禁止は逃亡防止策と同時に企業の回転資金転用を目的としていたはずだ。例え帰国時に全額支払ったとしても、雇用中は低賃金で雇っていた計算になる。しかも1965年締結「日韓請求権協定」の際の交渉では韓国側から被徴用韓国人未収金を当時のレートで2億3700万円(Wikipedia)も請求されていたのだから、賃金が支払われなかった朝鮮人被徴用は相当数にのぼっていたことになる。

 〈「 (ハ)、動員の実情」

徴用は別として其の他如何なる方式に依るも出動は全く拉致同様な状態である

其れは若し事前に於て之を知らせば皆逃亡するからである、そこで夜襲、誘出、其の他各種の方策を講じて人質的掠奪拉致の事例が多くなるのである、何故に事前に知らせれば彼等は逃亡するか、要するにそこには彼等を精神的に惹付ける何物もなかったことから生ずるものと思はれる、内鮮を通じて労務管理の拙悪極まることは往々にして彼等の身心を破壊することのみならず残留家族の生活困難乃至破滅が屢々あったからである〉――

 以上のように韓国からの「募集」、「官斡旋」、「徴用」による対朝鮮人労務動員は情け容赦のない強圧的な強制連行を実態としていた。そしてこのことを可能にしていた要因は、繰り返しになるが、日本が植民地支配国家であり、植民地被支配国家韓国とその国民である朝鮮人を軍事力と警察力で人質に取っていたも同然の関係を築いていたからであるが、高市早苗はこういった両者関係と労務動員の実態を頭に置かずに、「日韓併合条約によって同じ日本人として戦時中、日本人と共に働き」と認識し、「国民徴用令に基づいて旅費や賃金を受け取って朝鮮半島から内地に移入して働いておられた方々」、「旧国家総動員法第4条の規定に基づく国民徴用令により徴用された朝鮮半島からの労働者の移入についてはこれら法令により実施されたものである」と、日本の対韓国植民地経営と朝鮮人支配を友好・平和な関係と片付けることのできる歴史認識は大日本帝国国家を正当化したい気持ちからだろうが、お目出度い頭をした歴史修正主義以外のなにものでない。

 佐渡金山鉱夫の非人間的な強制連行・強制労働は江戸時代の日本人鉱夫から戦前の労務動員された朝鮮人鉱夫までひと続きの歴史であり、前者は幕府によって、後者は大日本帝国によって歴史とされるに至った。この消し難い歴史を高市早苗や安倍晋三等の歴史修正主義者たちはご都合主義から直視せずに美しい内容に仕立て、ユネスコ世界遺産登録を目指す。

 歴史を反省して、反省のための負の遺産として登録を目指すなら理解もできるが、そうでなければ、対象が江戸時代限定であったとしても、その実態は非人間的な強制連行・強制労働の“鉱夫残酷物語”の世界遺産登録を目指すことに他ならない。

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高市早苗と安倍晋三の歴史認識に見る頭の中に国家のみを鎮座させ、国民を国家鎮座の下に位置させた日本国家優越主義

2022-01-31 08:21:38 | 政治

 2021年12月20日付け「毎日新聞」記事(後半有料)が自民党高市早苗の戦前の日本の戦争に関わる歴史認識を、自民党総裁選に名乗りを上げたことによる月刊誌「Hanada」10月号のインタビュー紹介という形で載せている。記事題名は〈「開戦詔書」そのまま受け止め?80年後の自民「保守」派の歴史観〉

 自衛か侵略か、戦争をどう捉えるかは「当時の『国家意志』の問題です」と持論を述べた高市氏、「先の大戦への認識」を問われてこう答えた。

 「当時の日本国民は、天皇陛下の詔書によって国家意志を理解したものだと思われます。先の大戦開戦時の昭和天皇の開戦の詔書は〈米英両国は、帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与え(中略)帝国は今や自存自衛のため、決然起って、一切の障害を破砕するのほかなきなり〉というものでした」

 要するに当時の日本国民は昭和天皇の開戦の詔書によって太平洋戦争を自存自衛の戦争であるとする国家意志を理解し、承認したのだから、侵略戦争という歴史認識は決して存在させていなかったということになる。

 但し一つ問題が生じる。侵略戦争ではないとする歴史認識は当時の日本国民に限ったことで、戦後の国民は必ずしも侵略戦争ではないと見ていないのではないかという疑義である。尤も高市早苗はこの疑義に対して答を用意している。毎日記事自体が高市早苗の2002年8月27日付ブログからその答を紹介している。〈「田原総一朗さんへの反論」(高市早苗ブログ/2002年08月27日)〉内の発言である。  

 〈私は常に『歴史的事象が起きた時点で、政府が何を大義とし、国民がどう理解していたか』で判断することとしており、現代の常識や法律で過去を裁かないようにしている〉(毎日記事紹介文章)

 毎日記事はこの高市早苗と同じ考えの歴史認識に当たる安倍晋三の言葉を2013年の著書『新しい国へ』の中から取り上げている。「当時を生きた国民の目で歴史を見直す」

 著書の実際の文言は、『その時代に生きた国民の目で歴史を見直す』の小見出しで、「その時代に生きた国民の視点で、虚心に歴史を見つめ直してみる。それが自然であり、もっと大切なことではないか」。そしてその根拠を次のように挙げている。

 「昭和17、8年の新聞には『断固戦うべし』という活字が躍っている。列強がアフリカ、アジアの植民地を既得権化する中、マスコミを含め、民意の多くは軍部を支持していたのではないか」

 対米英戦争はマスコミを含めた民意の賛同の上に成り立っていたということなのだろう。実際もそうであったはずだが、果たして正当な歴史認識と言えるだろうか。ただ、高市早苗と安倍晋三は共同歩調を取った歴史認識を構えていることになる。二人は歴史認識に於いてベッドを共にしていると比喩することもできる程に親密な見解となっている。

 記事は高市早苗の、安倍晋三も含めてのことなのだろう、このような歴史認識をどう見るか、戦争責任研究の第一人者である関東学院大教授の林博史氏に尋ねているが、結論は有料箇所に回されていて、無料読者は覗くことはできない。当方はド素人、専門家には敵わないのは分かりきっているが、当方なりに高市早苗と安倍晋三の歴史認識の正当性を解釈してみることにする。

 両者共に国民がその当時、何に賛成し、何に反対したのか、そのことによってのみ、歴史は価値づけられる、あるいは歴史は解釈されるとしている。だが、二人のこの考え方自体が論理矛盾に彩られている。なぜなら、日本が米英に宣戦布告した出来事自体は当時はまだ歴史にはなっていない、国家の政策遂行(=国家行為)に過ぎないからである。何らかの国家のその時々の政策遂行(=国家行為)が歴史の形を取るためには時間の経過、時代の経過が必要条件となる。つまり当時の国民ができたことは開戦、あるいは戦争という国家の政策遂行(=国家行為)に対する賛否――是非の解釈のみである。

 逆に後世の国民ができることは戦前当時の国家状況及び世界状況や社会状況等を起因とした国家の政策遂行(=国家行為)が時間の経過、時代の経過を経て歴史となった時点で時間・時代の経過と共に蓄積することになった知識を背景とした現在の国民の目を通した是非の解釈である。決して国家の政策遂行(=国家行為)に当時のままそのとおりに同調することが歴史解釈ではない。

 その一例が1942年2月19日にルーズベルト大統領が署名した大統領令により日系米国人が「敵性外国人」とされ、約12万人が全米各地で数年間強制収容されることになった国家の政策遂行を1988年8月10日になってレーガン大統領が「1988年市民自由法」に署名、その過ちを認めて謝罪したことに見ることができる。対日戦争当時の米国国家の政策遂行を時間・時代の経過を経た歴史として顧みることになったとき、その間に蓄積することとなった知識を背景としたその当時の時代の目を通して是非を判断した結果の謝罪であろう。と言うことは、米国国家の政策遂行として日系人を敵性外国人として収容した当時は、国家レベルに於いても、そして多くの米国民のレベルに於いても、間違っていたという考えは起きなかった時代性であったことを証明することになる。

 こういったことに対応した戦前当時の日本人の間でも日中戦争も太平洋戦争も、間違っていたとする考えは起きなかった時代の戦争に関わる国民の認識であったと見ることができるが、高市早苗も安倍晋三も、そのような制約を受けていた当時の時代に限った国民の認識をさも歴史認識であるかのように見せかけるペテンを働かせていることになる。そしてペテンをペテンでないと見せかける仕掛けが高市早苗の場合は「現代の常識や法律で過去を裁かない」とする時間と時代を経て形を取ることになる歴史と、同じく時間と時代を経て蓄積することになる知識とその知識の駆使の否定であり、安倍晋三の場合は直接的には言及していないが、当時の国民の考え方を採用することによって現在から過去に遡った歴史的事実に対する眺望、あるいは検証を許さない点、高市早苗の仕掛けと同じ形式のペテンを踏んでいることになる。

 また高市早苗の「現代の常識や法律で過去を裁かない」は戦前の日本国家――大日本帝国を当時の国民が支持していることを根拠に裁くことのできない対象、無謬の存在に祭り上げ、絶対化していることになる。絶対化は高市早苗による大日本帝国擁護に他ならない。安倍晋三が2012年4月28日の自民党主催「主権回復の日」にビデオメッセージを寄せて、「占領時代に占領軍によって行われたこと、日本がどのように改造されたのか、日本人の精神にどのような影響を及ぼしたのか、もう一度検証し、それをきっちりと区切りをつけて、日本は新しスタートを切るべきでした」と主張していることも、占領軍によって改造される前の大日本帝国を擁護する考えに基づいているのであって、その擁護は大日本帝国を無謬の存在とし、絶対化する考えがなければ成り立たない。

 そして戦前国家に対するこのような扱いはそもそもからして大日本帝国国家自体が皇国史観(日本の歴史を万世一系の天皇を中心とする国体の発展・展開ととらえる歴史観「goo辞書」)に基づいて日本の歴史の優越性を抱え込み、このことと相まって日本は神国(大日本は神国なり「国体の本義」)であるとしていた選民思想が日本民族の優越性を培養する素地を成していたのだから、高市・安倍にしても、日本民族優越主義を精神の素地としていることになる。戦前国家の政治決定に無条件に同調することだけでも、大日本帝国国家が抱え込んでいた日本民族優越主義(=大和民族至上主義)の側に寄り添っていることに他ならない。 

 歴史は「その時代に生きた国民の視点」に立つのではなく、あくまでも後世に生きている国民の視点で眺めなければならない。日本の戦争を歴史という文脈で補足可能となるからである。そしてその当時の「国民の視点」にしても、それが正しかったのか、正しくなかったのかが歴史判定の対象となる。当時の視点は正しかった・正しくなかったの両意見があるだろうが、いずれの場合も正しい・正しくないの検証が必要であって、当時の視点にそのままに同調することではない。同調したら、すべての歴史が正しくなってしまう。何のために時間・時代を経たのかも、その間の知識の蓄積も意味を成さなくしてしまう。歴史解釈に関して「現代の常識や法律で過去を裁かない」、「その時代に生きた国民の視点で、虚心に歴史を見つめ直してみる」方法のみに正当性を与えたなら、ナチスのホロコーストも歴史的に正しい行為と評価しなければならなくなる。

 要するに「大日本は神国なり」とする大日本帝国国家を無謬の存在とする絶対化は日本民族優越主義と相互呼応した関係を取る。日本民族優越主義を精神の素地としているからこそ、「大日本は神国なり」とする大日本帝国国家を無謬の存在とし、絶対化することができる。そうすること自体が日本民族優越主義の発動なくして成り立たない。

 だが、高市早苗も安倍晋三も、当時の国民の考え方を絶対とし、その考え方への同調を迫っている。大日本帝国の無謬化・絶対化・擁護には好都合だからなのは論じるまでのないことだが、単なる同調は歴史をどう認識するのか、どう解釈するのか、そういったことへの思考の発動とは全く以って異なる。そもそもからして当時の日本国民がどのような国家的・社会的状況に制約された環境下に置かれていたのか、高市早苗も安倍晋三も、どのような制約も考慮せずに当時の国民の判断・認識に頭から正当な価値づけを施している。当時は表向きは天皇を絶対君主とする、内実は軍部・政府が実権を握る二重権力構造下の思想・言論統制の時代にあり、天皇を含めた国家権力に対するどのような批判も許されなかった。許されたのは天皇と国家に対する無条件の従属のみだった。当然、昭和天皇の開戦の詔書に対して当時の日本国民は誰が表立って批判し得たであろうか。

 つまり戦前の大日本帝国は国家の意思が国民の意思を常に覆っていた。譬えるなら、当時の大日本帝国はお釈迦様であり、国民はその手のひらの中でのみ自由な行動を許されていた孫悟空に過ぎなかった。にも関わらず、高市早苗が「当時の日本国民は、天皇陛下の詔書によって国家意志を理解したものだと思われます」の言葉で示している「当時の日本国民」が、あるいは安倍晋三が「その時代に生きた国民の視点で、虚心に歴史を見つめ直してみる」の言葉で示している「その時代に生きた国民」がどのような思想・言論の統制下に置かれていたのか、そのことによって国家行為に対する国民の主体的判断が可能であったのかどうかの要件として考慮することができないのは高市早苗も安倍晋三も、頭の中では戦前国家を国民という存在の上に常に鎮座させているからだろう。

 もし両者共に国民という存在の上に国家を鎮座させていなかったなら、思想・言論統制の時代下にあった戦前の国民を国家の政策遂行(=国家行為)に対して主体的判断の主語とさせ得るかどうかぐらいの区別をつける頭はあるはずだが、その頭はなく、その当時の実情に反して主体的判断の主語として扱い、戦前の大日本帝国をまともな国家であったと見せかけるペテンをものの見事にやってのけている。大日本帝国を無謬の存在と看做して絶対化し、擁護するためには自分の判断に基づいて意思表示できる国民の存在は必要不可欠な条件となるからだろう。いわば当時の日本国民は自由意志を持って帝国国家の政策に賛成し、支持していたかのように見せかけるペテンを必要とせざるを得なかった。

 歴史認識に関してこういった仕掛けを施すことができるのは高市早苗も安倍晋三も、戦前を振り返るとき、国家のみに目を向け、国民には殆ど目を向けていないからである。結果的に当時の国民が天皇という存在と大日本帝国国家によってどのようなコントロール下に置かれ、主体的存在たり得ていたのか、いなかったのかの視点を欠いた認識を必然的に持つに至った。

 大日本帝国国家の国民を国家の従属物とするような(実際にも従属物としていた)この関係は当然のことだが、日本民族優越主義にしても、国民を国家鎮座の下に置いた形式を採ることになる。いわば国家の優越を主体とし、その下に国民の優越を置いた構造の日本民族優越主義である。まさに戦前の大日本帝国国家と国民はこのような関係にあった。でなければ、日本の歴史を万世一系の天皇を中心とする国体の発展・展開と捉える皇国史観は身の置所を得ることはなかっただろう。

 このような日本民族優越主義は、国民の権利など認めていなかったその実質性に鑑みて、日本国家優越主義と表現した方がより現実に適う。今後、そう表記することにする。

 高市早苗の頭の中に国家というもののみを鎮座させ、国民を国家鎮座の下に置いた思想――高市早苗の日本国家優越主義を反映させた国家観は2021年9月29日投開票の自民党総裁選に向けて自身の思想と政策を纏めた『美しく、強く、成長する国へ。私の「日本経済強靭化計画」』(電子書籍から)にも、当然のことと言えば、当然のことだが、反映されている。

 序章「日本よ、美しく、強く、成長する国であれ」

日本人の素晴らしさ

 「日本人が大切にしてきた価値」とは何なのか、と思われる方も居られるだろう。例えば、ご先祖様に感謝し、食べ物を大切にし、礼節と公益を守り、しっかりと学び、勤勉に働くこと。困っている方が居られたら、皆で助けること。そして、常に「今日よりも良い明日」を目指して力を尽くすこと。

 かつては家庭でも当たり前に教えられてきた価値観が、近年まで称賛された日本の治安の良さや国際競争力の源泉だったのだろうと考えている。

 幕末以降に来日した外国人が書き残された当時の日本の姿からも、日本人の本質が見えてくる。先ず、E・S・モースの『日本その日その日』の記述だ。「衣服の簡素、家庭の整理、周囲の清潔、自然及びすべての自然物に対する愛、あっさりして魅力に富む芸術、挙動の礼儀正しさ、他人の感情に就いての思いやり・・・これ等は恵まれた階級の人々ばかりでなく、最も貧しい人々も持っている特質である」

 次に、H・シュリーマンの『シュリーマン旅行記』の記述だ。「この国には平和、行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序、そして世界のどの国にもましてよく耕された土地が見られる」「日本人は工芸品において蒸気機関を使わずに達することのできる最高の完成度に達している」「教育は、ヨーロッパの文明国家以上にも行き渡っている。(中略)アジアの他の国では女たちが完全な無知の中に放置されているのに対して、日本では、男も女もみな仮名と漢字で読み書きができる」

 そして、シーボルトの『江戸参府紀行』の記述だ。「日本の農民は驚くほどの勤勉さを発揮して、岩の多い土地を豊かな穀物や野菜の畑に作りかえていた。深い溝で分けられている細い畝には、大麦・小麦・菜種や甜菜の仲間、芥菜・鳩豆・エンドウ豆・大根・玉葱などが1フィートほど離れて1列に栽培されている。雑草1本もなく、石1つ見当たらない。(中略)旅行者を驚かす千年の努力と文化の成果である」

 大自然への畏敬の念を抱きながら勤勉に働き、懸命に学び、美しく生き、国家繁栄の礎を築いて下さった多くの祖先の歩みに、感謝の念とともに喜びと誇らしさを感じずにはいられない。現在においても、126代も続いてきた世界一の御皇室を戴き、優れた祖先のDNAを受け継ぐ日本人の素晴らしさは、本質的に変わっていないと感じている。

 高市早苗が「日本人の本質が見えてくる」と感じ、「126代も続いてきた世界一の御皇室を戴き、優れた祖先のDNAを受け継ぐ日本人の素晴らしさは、本質的に変わっていないと感じている」と結論づけた訪日外国人の日本及び日本人を褒めちぎった日本の景色は"矛盾なき国家"、"矛盾なき社会"、"矛盾なき人々"に仕立て上げられ、善なる存在としか映らない。

 最も時代を遡るのはシーボルトの『江戸参府紀行』の1826年(文政9年)であり、次がH・シュリーマンの『シュリーマン旅行記』は江戸幕府終了3年前の1865年(慶応元年)のもので、最後がE・S・モースの『日本その日その日』の1877年(明治10年)6月18日から1883年(明治16年)2月までの5年余のうちの実質滞在の2年5カ月間の見聞録となる。古い時代から新しい時代へと順を追って眺めてみることでその間の日本社会と人々の生活を概観できると思うから、その方法でそれぞれの描写の的確性、日本人なるものに対する洞察力の確かさを見定めてみる。

 シーボルト『江戸参府紀行』の文政9年(1826年)は1603年に徳川家康が江戸に幕府を開設してから224年、明治まで40年余を残す幕末に当たる。江戸時代はほぼ一貫して日本人口のたかだか1割の武士が8割の農民と1割の町人・商人その他を支配して、8割の農民に対して四公六民とか、五公五民とかの年貢を課し、武士が4割、5割の収穫米を取り上げ、農民には6割、5割の収穫米しか分かち与えない過酷な税制を敷いていた。結果、ちょっとした出水や日照りで田畑が損傷を受け、その損傷が長引くと、ときには年貢減免の措置が取られこともあったそうだが、殆どは納める年貢の量は変わらないために高持百姓(本百姓――江戸時代、田畑・屋敷を持ち、年貢・諸役の負担者として検地帳に登録された農民。農耕のための用水権・入会 (いりあい) 権を持った、近世村落の基本階層『goo辞書』)の中でも田畑をたくさん持っている者以外は食うに事欠くことになった。

 そして究極の生活困窮が百姓一揆という形で暴発することになった。「コトバンク」に出ていた数字だが、江戸時代を通して約3200件もの百姓一揆が発生することになる。1603年の江戸開幕から1868年江戸閉幕までの266年間で計算すると、年間12件の百姓一揆となり、日本のどこかで月1の割合で発生、計算上はそれが266年間も続いていたことになり、なおかつ明治時代に入ってからも百姓一揆が起きていることから見て、農民の生活困窮はある種、在り来たりの日常的な光景となっていたことを窺わせる。

 また、こういった村落単位の集団の闘争だけではなく、個人的に食えなくなった百姓が土地を捨て、村を捨てて、江戸や大阪といった大都会に逃げ出す走り百姓が跡を絶たなかったという。江戸では無宿人が溢れ、治安対策から収容所(寛政年間1789~1801の人足寄場が有名)を設けて収容し、今でいう職業訓練を施したそうだが、文政(1818~1830)の次の天保(1830~1844)になって、江戸人別帳(今で言う戸籍)に無記載の者を帰村させる「人返しの法」(帰農令)を出すに至ったが、効果はなかったという。食えなくなって出奔した同じ村に帰されるのだから、本人自身が希望を見い出すことができない幕府の命令と言うことだったのだろう。

 「百姓一揆義民年表」から文政年間の百姓一揆を眺めてみる。文政元年の大和国吉野郡竜門郷15か村は旗本・中坊広風の知行所だったが、出役(代官)の浜島清兵衛が増税を企てたため、西谷村又兵衛ら6百人程が平尾代官所や平尾村大庄屋宅を打ちこわした竜門騒動

 文政4年の松平宗発(むねあきら)の猟官運動で財政が窮乏した宮津藩で沢辺淡右衛門らの主導で年貢先納や万人講とよばれる日銭の賦課が行われたため、これに反対した農民が大挙して宮津城下で打毀しを行った宮津藩文政一揆

 文政5年の三大名間で行われ三方領知替え(さんぽうりょうちがえ)で桑名藩主松平忠堯が武蔵忍藩に移封を命じられたことに伴い、助成講の掛金が返還されないことを危惧した農民が城下に押しかけ、やがて数万人規模の全藩一揆に発展し、庄屋宅の打ちこわしなどが行われた桑名藩文政一揆

 この一揆は領地替えの際、大名がその地での借金を踏み倒していってしまう事例を情報としていた可能性を窺わせる。

 文政8年の特産物の麻の不作や米価高騰で困窮した信濃国松本藩領の四ヶ庄(今の長野県北安曇郡白馬村)の農民が発頭(ほっとう「先に立って物事を企てること」)となり、3万人ほどが庄屋や麻問屋などを打ち壊しながら松本城下に迫ったが、藩に鎮圧された赤蓑騒動

 そして文政11年にシーボルト事件(シーボルトが帰国の際に、国禁の日本地図や葵紋付き衣服などを持ち出そうとして発覚した事件。 シーボルトは翌年国外追放、門人ら多数が処罰された「コトバンク」)が起きている。

 文政12年間に4件もの大きな百姓一揆が発生していた。江戸時代という封建時代に忍従の生活を強いられていた農民が余程のことがない限り百姓一揆にまで持っていくことはなかっただろうという意味からしても、百姓一揆前の生活の困窮の程度が知れる。農民を苦しめたのは年貢上納の過酷な割合だけではなく、江戸中期の儒学者が1729年(享保14年)に著した書物の中で伝えている年貢取り立て行為自体の不合理なまでの過酷さを取り上げてみる。『近世農民生活史』(児玉幸多著・吉川弘文館)が紹介している一文である。

 『経済録』(太宰春台著)

 〈代官が毛見(けみ・検見――役人が行う米の出来栄え(収穫量)の検査と年貢率の査定)にいくと、その所の民は数日間奔走して道路の修理や宿所の掃除をなし、前日より種々の珍膳を整えて到来を待つ。当日には庄屋名主などが人馬や肩輿を牽いて村境まで出迎える。館舎に至ると種々の饗応をし、その上に進物を献上し、歓楽を極める。手代などはもとより召使いに至るまでその身分に応じて金銀を贈る。このためにかかる費用は計り知れないほどである。もし少しでも彼らの心に不満があれば、いろいろの難題を出して民を苦しめ、その上、毛見をする時になって、下熟(不作)を上熟(豊作)といって免(年貢賦課の割合)を高くする。もし饗応を盛んにして、進物を多くし、従者まで賂(まいない)を多くして満足を与えれば、上熟をも下熟といって免を低くする。これによって里民(りみん・さとびと)は万事をさしおいて代官の喜ぶように計る。代官は検見に行くと多くの利益を得、従者まであまたの金銀を取る。これは上(うえ)の物を盗むというものである。毛見のときばかりではない。平日でも民のもとから代官ならびに小吏にまで賄を贈ることおびただしい。それゆえ代官らはみな小禄ではあるが、その富は大名にも等しく、手代などまでわずか二、三人を養うほどの俸給で十余人を養うばかりでなく巨万の富を貯えて、ついには与力や旗本衆の家を買い取って華麗を極めるようになるのである。このように代官が私曲をなし、民が代官に賄賂を贈る状況は、自分が久しく田舎に住んで親しく見聞したことである。これは一に毛見取(けみとり)から起ることで、民の痛み国の害というのはこのことである。定免(一定の年貢率)であれば、毎年の毛見も必要なく、民は決まったとおりに納めるので代官に賄を贈ることもなく使役されることもなく苦しみがない。それ故に、少しは高免であっても定免は民に利益がある。毛見がなければ代官を置く必要もない。代官は口米(くちまい)というものがあって多くの米を上(うえ)より賜る。代官を置かなければ口米を出す必要もなく国家の利益である。今世の田租の法として定免に勝るものはない。〉――

 江戸幕府の基本法典『公事方御定書』は、勿論賄賂を禁止している。

  賄賂差し出し候者御仕置の事
一、公事諸願其外請負事等に付て、賄賂差し出し候もの並に取持いたし候もの 軽追放
  但し賄賂請け候もの其品相返し、申し出るにおいてハ、賄賂差し出し候者並に取持いたし候もの共ニ、村役人ニ侯ハバ役儀取上げ、平百姓ニ候ハバ過料申し付くべき事。

 この『公事方御定書』は8代将軍徳川吉宗が中国法の明律(みんりつ)に素養があり、それを参考に1720年(享保5)に編纂を命じ、1742年(寛保2)に完成している。各藩は中国法の明律を直接参考にするか、徳川吉宗の『公事方御定書』を参考にするかで自藩の刑法典を用意したという。また、賄賂を取る者、差し出す者はいつの時代になってもなくならないという分かりきった事実の点からも、断るまでもないことだが、太宰春台の『経済録』1729年(享保14)からシーボルト『江戸参府紀行』の1826年(文政9年)まで100年近くあるが、『明治初期の告訴権・親告罪』に、〈大政奉還の後、徳川慶喜からの伺に対して明治新政府は1867年(慶応3年)10月22日に新法令が制定されるまでは徳川時代の慣例(幕府天領には幕府法(公事方御定書)各大名領地には各藩法)を適用する(「是迄之通リ可心得候事」)との指令を出した。〉との記述があるから、『公事方御定書』は文政年間も生きていて、取り締まる側の代官自身の年貢取立てに関わる賄賂強要がその当時も百姓を苦しめていたことは想像に難くない。

 ところが、シーボルトの『江戸参府紀行』は「日本の農民は驚くほどの勤勉さを発揮して」云々と日本の農業文化の伝統的で高度な進歩性を称賛するのみで、その光景からは過酷な年貢で生活困窮を強いられている百姓の持つ宿命的側面など一切窺わせない。

 現実の農民の多くは「驚くほどの勤勉さ」の裏で過酷な重税に苦しめられていた。「勤勉さ」は主体的な行動ではなく、年貢納付、あるいは小作料納付というノルマが強制する従属的な行動に過ぎなかった。過酷な年貢徴収、小作料徴収に応じて、どうにか命を繋いでいくための必死な足掻きは実質的には「勤勉さ」とは異なる。

 シーボルトが「旅行者を驚かす千年の努力と文化の成果」と見た、その実態は悲惨と苦渋と百姓という宿命への諦めに満ちた内実で成り立っていて、そこで働く農民の姿や田畑の状景を表面的に眺めただけでは見えてこない。にも関わらず、高市早苗は驚く程に無邪気にシーボルトが描いた農民の姿をそのままそっくりに素直に受け止めて、勤勉と見た黙々とした作業を「日本人の本質」と解釈するに至った。「大自然への畏敬の念を抱きながら勤勉に働き、懸命に学び、美しく生き、国家繁栄の礎を築いて下さった多くの祖先の歩み」をそこに見ることになった。

 このお目出度さはどこから来ているのだろう。いつの時代も多くの矛盾を抱えていて、矛盾のない社会は存在しない。そしてその矛盾の多くは政治権力者によって作り出される。その一方で政治は大本のところで国家の政治機能を通して社会の矛盾の解消に努めることを役目の一つとしている。高市早苗は政治家でありながら、このような矛盾に関わる諸状況を頭に置くことができずに過去の訪日外国人のまっさらな日本及び日本人描写に対してその裏側の日本社会を覗く理解能力を完璧に失っていた。

 国家の優越を主体とし、その下に国民の優越を置いた日本国家優越意識が仕向けてしまう理解の限界と見るほかはない。安倍晋三に取り憑いている自分は優秀で特別な存在だと思い込む自己愛性パーソナリティ障害がそうであるように優越意識なる感性は自身が優越と見る対象に対してはどのような矛盾も欠点も認めまいとする意識が働いてしまうように高市早苗にしても矛盾のない時代も社会も存在しないという簡単な事実さえも見落としてしまって、自身の日本国家優越主義を満足させる情報のみに、その真偽を確かめずにアンテナを向けてしまうから、日本人や日本についていいことが書いてある情報のみを書いてあるままに受け入れて、日本国家の優越性やその二番手に置いた日本人の優越性を再確認したり、再発見したりすることになっているのだろう。

 こういった認識が働くのも、国民がどう存在していたのか、向ける目を持っていないことが災いした見解と言うほかはなく、結果的に日本の歴史を美しい姿に変える歴史修正まで同時並行的に行っていることになる。日本国家優越主義自体が歴史修正の仕掛けを否応もなしに抱え持っている。

 不正な手段で利益を得て、社会の矛盾を作り出している収賄や贈賄は年貢取り立ての代官やその手代たちと百姓の間だけで行われたわけではない。江戸時代の大名たちは江戸城で将軍に謁見するときの席次が同じ石高である場合は将軍の推挙を受けて天皇から与えられる正三位とか従三位といった官位によって決まり、将軍の朝廷への推挙は老中の情報が左右するために大名たちは老中に賄賂を贈ることを習慣としていたという。当然、賄賂の額を競うことになるばかりか、官位による席次の違いがそれぞれの名誉と虚栄心と政治力に影響し、自らの権威ともなっていたのだろうが、賄賂資金の原資は百姓から取り立てた年貢米をカネに替えた一部であり、彼らの汗と苦痛の結晶ではあるものの、年貢を取り立てていることに支配者という立場から何ら痛痒を感じていない点、感じていたなら、虚栄心や名誉心のために賄賂のためのカネに回すことなどできなかったはずだが、支配者としての武士という立場上、こういった矛盾が矛盾として認知されていなかったことの矛盾は恐ろしい。

 幕末を3年後に控えた1865年(慶応元年)の日本訪問の見聞記H・シュリーマンの『シュリーマン旅行記』には「この国には平和、行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序、そして世界のどの国にもましてよく耕された土地が見られる」の描写がある。前記シーボルト『江戸参府紀行』の1826年(文政9年)から39年経過していて、その経過で政治は社会の矛盾を綺麗サッパリと拭い去ることができて、初めてH・シュリーマンの描写は生きてきて、100%の説得力を持ことができる。ところが、1853年(嘉永6年)にペリーが浦賀に来航以降、尊王攘夷派と開国派、公武合体派が入り乱れて武力衝突を繰り返し、世情不安を招くと、大名や商人が米の買い占めに走って物価高騰を引き寄せ、生活面からも社会不安を引き起こして、年貢の重税と借金に苦しむ小作人に都市貧民が加わり、幕末から明治初期に掛けて「世直し」を唱え、村役人や特権商人、高利貸などを襲撃、建物を打ち壊す世直し一揆が多発することになった。

 「Wikipedia」には『シュリーマン旅行記』見聞と同年の〈慶応2年5月1日(旧暦)(1865年)に西宮で主婦達が起こした米穀商への抗議行動をきっかけに起きた(世直し)一揆はたちまち伊丹・兵庫などに飛び火し、13日には大坂市内でも打ちこわしが発生した。打ちこわしは3日間にわたって続き米穀商や鴻池家のような有力商人の店が襲撃された。その後、一揆は和泉・奈良方面にも広がり「大坂十里四方は一揆おからさる(起こらざる)所なし」(『幕末珎事集』)と評された。〉と出ている。

 同じ慶応2年には武蔵国秩父郡で武州世直し一揆が起きているし、1749年(寛延2)の陸奥国信夫(しのぶ)・伊達両郡(福島市周辺)に跨り起こった大百姓一揆が慶応2年に信達(しんだつ)世直し騒動と名を変えて再発している。この再発は百姓の困窮の恒常性を物語る一例となる。だが、シュリーマンは情報未発達時代の情報収集の限界なのだろうが、武士以外の国民の困窮や不平不満の気配、これらに起因した騒動を舞台裏に置くこともなく、「この国には平和、行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序」をその目に入れていた。 

 だが、高市早苗は情報発達時代の今日に政治家として呼吸していながら、それぞれの時代の内実を眺望することなく、訪日外国人たちの時代の矛盾や社会の矛盾と乖離した底の浅い日本見聞の夢物語を日本国家優越主義には好都合な情報だからだろう、オレオレ詐欺に引っかかるよりもたやすく騙されてしまっている。

 百姓の困窮は生活そのものの困窮であって、生まれてくる子供にまで影響する。食い扶持が増えると、家族全体の生活が逼迫されることになる。「Wikipedia」に、〈堕胎と「間引き」即ち「子殺し」が最も盛んだったのは江戸時代である。関東地方と東北地方では農民階級の貧困が原因で「間引き」が特に盛んに行われ、都市では工商階級の風俗退廃による不義密通の横行が主な原因で行われた。また小禄の武士階級でも行われた。〉とある。

 間引きは産んでから殺す、堕胎は生まれる前に堕胎薬や冷たい水に腰まで浸かり身体を冷やしたり、腹に圧迫を加えたりして死産を導くことを言う。間引きの多発に幕府は1865年(慶応元年)の『シュリーマン旅行記』から遡ること約100年前の1767年(明和4年)に〈百姓共大勢子共有之候得は、出生之子を産所にて直に殺候国柄も有之段相聞、不仁之至に候、以来右体の儀無之様。村役人は勿論、百姓共も相互に心を附可申候、常陸、下総辺にては、別て右の取沙汰有之由、若外より相顕におゐては、可為曲事者也〉(百姓ども、大勢の子どもこれありそうろうえば、出生の子を産所にてじかに殺しそうろう国柄もこれあり段、相聞く、道に背く(不仁)の極みである。以来、このようなことがないよう、村役人は勿論、百姓共の相互に気をつけるよう申しべくそうろう。常陸、下総辺りではわけて右のような子殺しがあるよし、もしほかよりお互いに明らかになった場合はけしからぬことをなす者である。)と、間引き禁令を出すことになり、各藩もこれに倣うが、生活の困窮を手つかずのままにして禁令だけを出しただけではなくなるはずはない。『近世農民生活史』(児玉幸多著・吉川弘文館))の記述を見てみる。

 「美作の久世と備中の笠岡および武蔵久喜の代官であった早川八郎左衛門正紀(まさとし)」が「美作・備中の任地に赴いた時に、いたるところの河端や堰溝に古茣蓙(ござ)の苞(つと)があるのを怪しんで調べてみると、いずれも圧殺した嬰児を包んだもので、男子には扇子、女子には杓子を付けてあって、その惨状に目を覆ったということである」

 早川八郎左衛門正紀が代官として美作国に赴いたのは推定で2万人の死者を出した天明の大飢饉のさなかの1787年(天明7年)のことで、幕府が間引き禁令を1767年(明和4年)に出し、各藩が倣ってから20年経過しているが、飢饉が原因しているものの、このような有様であった。堕胎と間引きを免れた子どもであっても、長男以外の男の子なら、10歳前後まで育てて口減らしのために商家の丁稚奉公か職人の見習い小僧などに出して、親が支度金とか前渡金の名目でそれ相応のカネにするか、女の子なら6、7歳の頃まで育てててから同じく口減らしのために女衒を通して女郎屋に禿(かぶろ・遊女見習い)として売って、10両前後の、百姓にしたら大金となるカネを手にするかしたりしている。後者の場合、親が売って得たカネは女衒の手数料を上乗せして借金として背負うことになり、遊女になるまでの経費をプラスして稼いで支払うことになる。要するに子どもを10歳近くまで育てる余裕のない親が子どもを堕胎したり間引いたりした。生活の困窮が全ての原因だった。

 『シュリーマン旅行記』の慶応年間を跨いで明治時代まで口減らしの堕胎は続いていたことは1880年(明治13年)制定の旧刑法と1908年(明治41年)施行の現行刑法に堕胎罪が設けられていることと、貧困が続く限り、法律が制定されてピタッと止むものではないことが証明することになる。但し両刑法に「間引き」なる文字は出てこないが、殺人罪でひと括りしていたとしたら、闇で行う者が存在していた可能性はあるが、「第336条」は「八歳ニ滿サル幼者ヲ遺棄シタル者ハ一月以上一年以下ノ重禁錮ニ處ス 2 自ラ生活スルコト能ハサル老者疾病者ヲ遺棄シタル者亦同シ」とあるから、間引きや堕胎以外に同じく江戸時代に行われていた捨て子や姥捨てが引き続いて行われていたことになって、否応もなしに生活困窮の光景が浮かんでくる。

 2011年の「asahi.com」の記事だが、20年程前から開発業者などが持ち込む江戸時代の人骨を研究用に受け入れてきた国立科学博物館が分析したところ、日本の全ての時代の中で最も小柄な上に特に鉄分が不足していて、総体的に栄養状態が悪く、伝染病がたびたび流行したことも一因だということだが、栄養状態が悪いからこそ、伝染病に罹りやすいのだろう、死亡率が低いはずの若い世代の骨が多かったという。つまり若死にを強いられていた。農民が過酷な年貢取り立てに応じるために満足に食事をせずに激しい労働を日常的に余儀なくされていただけではなく、町の住人も多くが貧しい生活を余儀なくされていた。

 政治の矛盾が社会の矛盾となって跳ね返る。H・シュリーマンの「平和、行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序」は異国の地に於ける情報の未発達に守られた旅先での感傷に過ぎないだろう。多分、自分の生まれた国と社会が余りにも矛盾に満ちているから、矛盾のない国と社会に憧れる余り、少ない表面的な様子を見ただけで、ユートピアを見てしまったのかもしれない。あるいはその他の訪日外国人も含めて矛盾のない如何なる時代も、如何なる社会も存在しないというごくごく当たり前の常識を未だ情報とするに至っていない時代に棲息することになっていた知識の限界を受けてのことなのかもしれない。しかし何度でも言わなければならないことは高市早苗はこのような当たり前のことを常識としていなければならない現在の情報化社会に生息しているはずで、政治家なのだからなおさらのことだが、各時代の日本人の実際の姿とは異なる訪日外国人が描いた日本人の姿を「日本人の本質」と見て、「美しく生き」てきたと価値づけ、日本人の歴史を通した恒常的な姿だと結論、それを以って「日本人の素晴らしさ」だと、日本人という民族全体の評価にまで高めている。当然、この評価は支配権力が政治を行い、社会を成り立たせていく過程でどうしようもなく生み出してしまう各方面に亘る様々な矛盾というものを眼中に置いていない見識と言うことになって、日本国家優越主義なくして成り立たない思考停止であろう。国家なる存在だけを見ていて、国家を構成する実際の国民、その姿は見ていない。

 H・シュリーマンは当時の日本の教育について、「アジアの他の国では女たちが完全な無知の中に放置されているのに対して、日本では、男も女もみな仮名と漢字で読み書きができる」と称賛しきっているが、確かに江戸時代の民衆の識字率は高かったと言われている。だが、教育の機会は教育を受ける権利の保障が一定程度整っている(それでもまだ様々な矛盾を抱えている)現代と違って江戸時代の教育を受ける機会は武士も町人も農民も各家庭の経済力任せであったから、産まれてくる子に対して捨て子や間引き、堕胎を迫られる貧しい農民や貧しい都市住民、あるいは走り百姓となって故郷の村を捨てる農民たちや、収穫米の中から本百姓に小作料を物納すると殆ど残らず、あとは粟、稗などの雑穀で命をつないでくといった貧農にとって縁のないもので、貧富の影響をまともに受けることになる。こういった限定条件下での「読み書き」が実態であったはずだから、「日本では、男も女もみな仮名と漢字で読み書きができる」は過大も過大、買いかぶりの過大評価であろう。

 勿論、このように言うからには証明が必要になる。「日本の就学率は世界一だったのか」(角知行)が先ず1986年9月22日の静岡県で開催の自民党全国研修会での当時首相であった中曽根康弘の発言を紹介してる。人種差別発言だと非難を浴びることになって、当時評判となった発言である。

 中曽根康弘「日本はこれだけ高学歴社会になって相当インテリジェント(知的)なソサエティーになってきておる。アメリカなんかよりはるかにそうだ。平均点からみたら、アメリカには黒人とか、プエルトリコとか、そういうのが相当おって、平均的にみたら非常にまだ低い。(中略)

 徳川時代になると商業資本が伸びてきて、ブルジョアジーが発生した。極めて濃密な独特の文化を日本はもってきておる。驚くべきことに徳川時代には識字率、文盲率は50%くらい。世界でも奇跡的なぐらいに日本は教育が進んでおって、字を知っておる国民だ。そのころヨーロッパの国々はせいぜい20―30%。アメリカでは今では字をしらないのが随分いる。ところが日本の徳川時代には寺子屋というものがあって、坊さんが全部、字を教えた」

 「坊さんが全部、字を教えた」は恐れ入る。寺子屋師匠は僧侶だけではなく、武士、浪人、医者などが担っていたと言われている。寺子は入門料である「束脩(そくしゅう)」と授業料である「謝儀」を納めていたから、特に浪人にとっては生計を成り立たせていく大きな糧となったに違いない。

 中曽根康弘は当時日本国総理大臣だったが、識字率・文盲率が必ずしも人間性判断の基準とはならないという常識は弁えていなかったらしい。弁えていたなら、識字率だけで人種の優劣のモノサシとするような発言はしなかったろう。

 角知行氏はイギリスの社会学者のロナルド・フィリップ・ドーア(1925年2月1日~2018年11月13日)が著した『江戸時代の教育』を用いて、〈明治維新当時、「男児の40%強、女児の10%」が家庭外であらたまった教育をうけ、よみかきできたと推計〉し、〈補論においては先行研究をふまえて、よりくわしく「男児43%、女児10%」とみつもっている。〉と幕府末期から明治維新当時の日本の教育事情を紹介している。と言うことは、中曽根康弘の「徳川時代には識字率、文盲率は50%くらい」とする日本の教育の進歩性の証明は相当程度当たっていることになる。但し大きな男女格差に触れないのは一種の情報隠蔽、あるいは情報操作に当たる。

 角知行氏はドーアの研究を紹介する一方で、現東北大学教育学部教授八鍬友広(やくわ・ともひろ)氏の明治初期文部省実施の自署率(6歳以上で、自己の姓名を記しうるものの割合)の調査に基づいた学制公布(1872年(明治5年))まもない時期の、分かっている県のみの識字状況を紹介している

 滋賀県:64.1%(1877年・明治10年)
 岡山県:54.4%(1887年・明治20年)
 青森県:19.9%(1884年・明治17年)
 鹿児島県:18.3%(1884年・明治17年)

 そして、〈八鍬は、近世日本では一部の地域では識字がかなり普及していた反面、ごく一部の人だけがよみかきをおこなって大半はそれを必要としない地域もあったことをあげ、地域間格差のおおきさに注意をうながしている。〉と解説を加えている。

 津軽藩のあった青森県は、「第5章 ケガツ(飢饉)と水争い」(水上の礎/(一社)農業農村整備情報総合センター)の情報を要約すると、〈元和5年(1619年)、元禄4年~8年(1691年~1695年)、宝暦3年~7年(1753年~1757年)、天明2年、7年(1782年、1787年)、天保4年、10年(1833年、1839年)と飢饉が襲い、餓死者が数万人単位から10万人も出したという。生死を問わず犬・猫・牛・馬等の家畜類を食べ、親や子どもを殺して食した。時疫(じえき・はやり病)による死者も何万と出て、天明の飢饉時には他国に逃れた者が8万人もあった。〉と出ている。

 この家畜食・人肉食は『近世農民生活史』も触れている。〈農民の生活は、大土地所有者である封建領主およびその家臣らの、全国民の一割ぐらいに相当する人々を支えるために営まれていた。飢饉の年には木の根・草の根を掘り起こし、犬猫牛馬を食い、人の死骸を食い、生きている人を殺して食い、何万何十万という餓死者を出した時でさえも、武士には餓死するものがなかったという」

 最下級の武士は内職を営まなければ生活をしていけなくても、飢饉に際して命に関わる悲惨な境遇に見舞われることのない安住地帯にいた。

 こういったことも時代や社会の矛盾そのものであるが、上記記事に青森県の最後の飢饉が記されている天保10年(1839年)は『シュリーマン旅行記』の1865年(慶応元年)から遡ること27年も前となるが、青森県は寒冷地ゆえに農業ではまともな生活を維持できない宿命を背負わされていたことは戦後の日本の1960年代の高度経済成長期に青森県や他の東北県は集団就職や出稼ぎ労働の一大供給地で、成長を支える側にあったことが証明していて、こういった事実を踏まえると、津軽藩が厳しい寒冷地帯であったことから貧しい生活を余儀なくされていて、一方の鹿児島藩は年貢の取り立てが厳しく、農民は貧しかったということからの明治に入ってからのそれぞれの自署率20%以下と捉えると、滋賀県、岡山県の自署率50、60%以上は貧富の格差が招いた教育の格差という答しか出てこない。

 そしてこの地域ごとの貧富の格差は江戸時代も似たような状況にあったことから類推すると、当然、教育の格差を引きずっていたことは確実に言えることで、例え自署率が滋賀県、岡山県が50%を超えていたとしても、江戸幕府末期の日本の全ての地域で自署率100%という事実は存在しないことになり、シュリーマンの「日本では、男も女もみな仮名と漢字で読み書きができる」は美しい思い込みで成り立っているファンタジーに過ぎないことになる。だが、高市早苗のこの非現実的な美しいファンタジーをそのまま事実として受け止め、「日本人の本質」と見抜く事実誤認はやはり自身の精神に根付いている日本国家優越意識に適う情報であることと、いつの時代の国民にも向ける目を持っていないと解釈しなければ、事実誤認との整合性が取れなくなる。

 ここでシュリーマンが日本人の賄賂を拒絶する潔癖性について触れている姿を紹介している一文を参考のために取り上げてみる。 

 「ひと息コラム『巨龍のあくび』」(東洋証券)の「第98回:清国と日本・・・シュリーマンは見た!」

 シュリーマンは日本訪問の前に清国を訪れていた。〈そんな不潔な清国をほうほうの体で脱出して辿り着いた日本をシュリーマンは絶賛している。彼によると日本人は世界で最も清潔な国民であり、それは街の様子や日本人の服装だけではないという。たとえば、賄賂の授受は当時の未開発国では当然の現象であったが日本では違った。シュリーマンが横浜港に到着したとき、彼の荷物を埠頭に運んでくれた船頭は、わずか4天保銭(13スー)しか受け取らなかった。もしも天津のクーリーだったらその4倍は平気で吹っ掛けただろうとシュリーマンは記している。また横浜の税関でトランクを開けろと命じられたシュリーマンは、そのトランクを一旦開けてしまうと閉め直すのに苦労することから、清国と同じように賄賂を渡したところ、税関の侍は自分を指して「ニッポン・ムスコ」と言い、賄賂の受け取りを拒否したという。江戸時代に「ニッポン・ムスコ」という表現が存在したか不詳だが、たぶん「日本男児」という日本語を聞き取れなかったシュリーマンが、あとで誰かに発音を尋ね、その聞きとりのなかで誤解を生んだよう。〉

 「世界で最も清潔な国民」の清潔さは身体的もの等々に関してだけではなく、道徳的にも「世界で最も」潔癖であった。何しろ賄賂を拒絶したのだから。だが、1767年(明和4)に完成した江戸時代の基本法典『公事方御定書』も、1880年(明治13年)制定の旧刑法も、明治41年施行の現刑法も、共に贈収賄を禁止していることは贈収賄が現代にまで続いて延々と密かに、どこかでやり取りされていることを物語っている。要するにシュリーマンは一事を以って万事に当てはめる勘違いを起こしたに過ぎない。モースのように何度かの来日で数年に亘った日本見聞であったとしても、情報の未発達な時代の情報過疎の檻の中での見聞の機会しかなかった。横浜の税関の侍はほかに誰かがいたか、外国人ということでいいところを見せるために賄賂を断った程度のことだった可能性は疑い得ない。何しろ江戸時代はワイロが文化として横行した時代と言われているぐらいである。

 最後に動物学者E・S・モースの明治10年頃から明治15年頃の日本を描いた『日本その日その日』の記述が高市早苗が評価しているとおりに日本人全般に亘って当てはめることができる「日本人の素晴らしさ」の表現となっているのか、祖先が「美しく生き」たことの証明とすることができるのかどうか、「日本人の本質」を突いているのかどうかを見てみる。

 「衣服の簡素、家庭の整理、周囲の清潔、自然及びすべての自然物に対する愛、あっさりして魅力に富む芸術、挙動の礼儀正しさ、他人の感情に就いての思いやり・・・これ等は恵まれた階級の人々ばかりでなく、最も貧しい人々も持っている特質である」

 恵まれた階級の日本人も貧しい日本人も等しく備えている「特質」だとしている以上、この文章から窺うことのできる日本人が全般的に備えている性格は質素で、驕ることのない物静かな謙虚さと寛大さと言うことができる。質素で、謙虚で寛大な性格だからこそ、挙動は礼儀正く、他人の感情に思いやりを持つことができる。

 つまりどのような境遇に置かれていようと、恨み言一つ吐かず、その境遇を心穏やかに受け入れることができていた。でなければ、謙虚とは言えなくなる。明治時代に入ってからも百姓一揆が起きているということは既に触れたが、1873年(明治6)7月から始まった地租改正に対する百姓一揆は全国各地で発生、打毀や焼打ちに発展することもあったという。さらに1880年(明治13年)制定の旧刑法と1908年(明治41年)制定の現行刑法に堕胎罪と幼者、老者、疾病者、身体障害者を遺棄することを禁止していることは現実には行われていることの裏返しだということも既に触れた。

 妊娠した子どもの堕胎、間引きは江戸時代、明治に続いて大正、昭和に入ってからも続けられていたことは「歴史の情報蔵」(三重県の文化)が取り上げている。避妊技術の未発達と恒常的な貧困が動機の慣習化となっていた。農民人口は1900年(明治33年)には総人口の70%近くまで減少することになったが、『日本の農地改革』(大和田啓氣著・日本経済新聞社)に、〈国民の8割は農業に従事し、国庫収入の8割は地租(土地に対して課した租税)であり、農産物の輸出額が総輸出額の8割を占めるというのが明治初年の日本であった。農業が最大の産業であったのである。〉(15P)と出ていて、明治の初期までは江戸時代と変わらない農民人口であったが、〈(地租改正条例発布の明治6年)当時の小作地は3割弱であったと推定されるが、(小作地での取り前は国34%、地主34%、小作人32%と決められていて)政府は小作料を現物納のままとし、地租(土地に対して課した租税)だけを金納としたので、米価が上昇する過程で地主が有利に、小作が不利になった。〉(16P)結果、自作田が減っていって、小作田が増えていき、〈小作田の面積が自作田をこえたのは、明治42年である。大正11年には田では小作地が51.8%、昭和5年には53.8%となった。農地改革(1946年~1950年)直前の状況もこれとそれほど変わらず、昭和20年11月23日現在の小作地が45.9%、自作地が54.1%であった。〉(21~22P)と出ている。

 小作地は地主の所有物で、地租は土地に対して課した税金だから(明治6年の地租改正条例発布の際、地価の3%を地租とする地券を発行)、小作人は国に対しては税金を納める義務はなく、地主に対して収穫物のうち小作人の取り分32%を残して、68%分の田なら米で、畑なら、収穫野菜で物納し、地主は物納された68%のうち自身の取り分34%を残して、残り34%を国の取り分としてカネに変えて、国に対して金納した。勿論、地主は自身の所有する土地屋敷と田畑に対する地価3%の地租を金納しなければならないが、この地租3%は江戸時代の年貢額を減らさない方針で地租率が決定されたそうで、一部の富裕な地主を除いて地主一般にとっては負担が大ききく、だからこそ、中小の地主が自前の田畑を大地主に売って、小作人化し、小作地の割合が増えることになり、そもそもの悪の根源を地租改正に置くことになって、地租改正反対一揆が全国的に発生し、明治政府は1877年(明治10年)に地租率を3%から2.5%に引き下げることになった。但し一番割りを食ったのは小作人だそうで、作物のうち、68%もの収穫物を持っていかれて、残り32%から種籾代・肥料代等々を差し引くと、小作人の取り分は20%を切ったという。要するに自作田の減少とこれと対応した小作田の増加は明治時代を通して農民が全国民の70~80%を占めている以上、明治社会全体と言っていい、江戸時代以上の貧困化への傾斜を示すバロメーターでもあった。農村だけではなく、魚山村でも堕胎、間引きが行われていたことも明治社会全体の貧困を示す証明となる。貧困は人間性への拘りを無頓着にさせる。

 しかしモースの言葉「挙動の礼儀正しさ、他人の感情に就いての思いやり」が「恵まれた階級の人々ばかりでなく、最も貧しい人々も持っている特質である」としている以上、人間性豊かな日本人の提示であり、貧困ゆえに人間性への拘りに無頓着にならざるを得ずに堕胎や間引きや捨て子や姥捨てや身体障害者の遺棄を行う現実の多くの日本人の姿を消し去っている。

 要するに日本人について触れたE・S・モースの言葉にしても、H・シュリーマンの言葉にしても、シーボルトの言葉にしても、非現実そのもので、何を勘違いしたのか、人間という存在の本質も、時代というものの本質も、社会というものの本質も見ない、ユートピア(理想郷)仕立てにした美しいお伽噺を作り上げたに過ぎない。結果的としていつの時代も多くの矛盾を抱えていて、矛盾のない国家も社会も人間集団も存在しないにも関わらず、その真逆の矛盾というものを消しゴムで消し去ってしまったシミ一つない日本人像・日本像をデッチ上げてしまった。

 尤も訪日外国人が異国情緒も手伝ってか、あるいは生国の社会の矛盾等への反動からか、それぞれが見た日本人をお伽噺の国の住人に仕立てたとしても無理はないと言えるが、高市早苗はそれぞれの訪日外国人が訪れた時代時代の日本の歴史を振り返ることのできる位置に立っている以上、それぞれの歴史が本質として抱え込んでいるそれぞれの矛盾に留意して眺め直す作業を通して、彼らの日本人描写が適正かかどうか判定しなければならないにも関わらず、それぞれの矛盾に向ける目を持たずにそれぞれの訪日外国人が描いた日本人の矛盾一つない姿と日本像をそっくりそのまま受け入れて、「日本人の本質」を突いていると感服し、「美しく生き」た祖先の姿を各描写に見ることになった。

 モースの日本人観察が如何に非現実的か、モース自身の言葉が証明している。「江戸東京博物館開館20周年記念特別展 明治のこころ モースが見た庶民のくらし」

 〈世界中で日本ほど、子供が親切に取扱われ、そして子供の為に深い注意が払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい。〉(E.S.モース『日本その日その日』二巻(石川欣一訳)より抜粋)

 通算2年5カ月程に過ぎない日本滞在で子どもたちがニコニコしている所を見て、「朝から晩まで幸福であるらしい」と解釈するのはお前の勝手だと言いたくなるが、国全体の子どもがそういう境遇にあり、それが世界一だと断定的に価値づけるには一事が万事なのか、一事が例外的事例なのか、明らかにし、前者であることを証明して初めて日本程子ども天国の国はないと断定すべきだったろう。問題は日本人自身がほんのちょっとの間日本を訪れた外国人の書いたことだと無視するならいいが、それぞれの国がそれぞれに抱えている時代の現実、社会の現実がそれぞれに背負い込むことになっている何らかの矛盾というものの存在は日本という国も抱えているはずだと合理的に判断するのではなく、世界一日本の子どもが親切に取り扱われいると観察された通りの情報と看做して無条件に後世にまで生き永らえさせている。

 日本人自身が国家の矛盾も時代の矛盾も社会の矛盾も、人間が自らの生き様にそれぞれに抱えてしまう矛盾も一切無縁の完璧な存在として作り上げた訪日外国人の日本人像、あるいは日本像を何の疑いもなく積極的に受け入れてしまうのは日本人自身の内面に同じ日本人像、あるいは同じ日本像を抱えていて、両者を響き合わせるからであって、その日本人像は過ちのないパーフェクトな人種として存在させていることになるし、戦前を対象とした内面性として発揮させているなら、大日本帝国という国家を、その運営・人材も含めて常に正しい国家と見ていることになる。その典型的な例が高市早苗であり、安倍晋三ということであろう。日本人は人種的に優れているとしていながら、その実、国家を国民の上に鎮座させ、国民を国家の下に鎮座させた関係に置いて日本国家を優れているとする日本国家優越意識を精神の下地としていなければ、どのような国家体制であったのかを無視したり、国民の人権状況に無頓着であったりはできない。

 高市早苗の先に挙げた「126代も続いてきた世界一の御皇室」とか、「優れた祖先のDNAを受け継ぐ日本人の素晴らしさ」云々にしても、自らの精神に日本国家優越意識を大雨が降ったあとの川の水のように満々と湛えていていなければ、口に出てこない言葉であろう。論理的な判断に基づいて「世界一の御皇室」としているわけでもなく、単に日本国家優越性証明のスローガンとして口にしているに過ぎない。日本人が「優れた祖先のDNAを受け継いている」が真正な事実だとしても、そのことによって国家の矛盾も、時代時代の矛盾も、社会の矛盾も、日本人が人間存在として抱えることになる様々な矛盾も絶対的に無縁とすることができるわけではなく、特に政治の矛盾は今後も、様々な場面で噴き出ることになるだろう。

 高市早苗は皇室が「126代」も続いた理由を万世一系であること、男系であること、いわば血の優秀さに置いているだろうが、このことも高市早苗や安倍晋三だけではなく多くの日本人に日本国家優越意識を育む誘因となっているが、歴代天皇自身が自らの力で126代の地位の全てを紡いできたわけではない。大和朝廷成立近辺からは世俗権力者である豪族たちが自分の娘を天皇の后(きさき)に据えて生まれた子を後に天皇の地位に就け、自身は外祖父として世俗上の実権を握り、天皇を名ばかりとする二重権力構造は豪族たちの権力掌握と権力操作の伝統的な常套手段となっていた。

 例えば蘇我馬子が自分の娘を聖徳太子に嫁がせて山背大兄王(やましろのおおえのおう)を生ませているが、聖徳太子没後約20年の643年に蘇我入鹿の軍が斑鳩宮(いかるがのみや)を襲い、一族の血を受け継いでいる山背大兄王を妻子と共に自害に追い込んでいる例は、外祖父として権力の掌握を目論んだことの失敗例であろう。成功した一例として、蘇我稲目が2人の娘を欽明天皇の后とし、用明・推古・崇峻の3天皇を生んでいる例を挙げることができる。

 藤原道長にしても同じ常套手段を利用した。一条天皇に長女の彰子を入内させ皇后(号は中宮)とし、次の三条天皇には次女の妍子(けんし)を入れて中宮とするが、三条天皇とは深刻な対立を生じると、天皇の眼病を理由に退位に追い込んで、長女彰子の生んだ後一条天皇を9歳で即位させ、自らは後見人として摂政となっている。
1年ほどで摂政を嫡子の頼通に譲り、後継体制を固める。後一条天皇には四女の威子(たけこ)を入れて中宮となし、「一家立三后」(いっかりつさんこう)と驚嘆された。そして藤原氏の次に権力を握ることになった平清盛も娘を天皇に嫁がせて、外戚(がいせき・母方の親戚)となって権勢を誇ることになった。

 要するに世俗権力者である豪族たちが自分の娘を天皇の后(きさき)に据えて生まれた子を後に天皇の地位に就け、自身は外祖父か外戚として世俗上の実権を握り、天皇を名ばかりとする二重権力構造は豪族たちの権力掌握と権力操作の常套的手段として忠実に受け継がれていった。時代が下って自分の娘を天皇に嫁がせて、その子を天皇に据える傀儡化――血族の立場から天皇家を支配する方法は廃れ、源頼朝以降、距離を置いた支配が主流となっていったが、天皇の権威を国民統治装置に利用し、天皇の背後で実質的政治権力を好きに握る権力の二重構造は引き続いて源氏から足利、織田、豊臣、徳川、明治に入って薩長・一部公家、そして昭和の軍部に引き継がれて、終戦まで歴史とし、伝統とすることとなった。歴代天皇を歴史的・伝統的に国民統治の優れた装置とするための必要性から生じた、いわば国民向けの勿体づけのための万世一系であり、男系という一大権威であって、世俗権力者にとってのその手の利便性から結果的に126代も延々と続いたということであろう。

 そもそもからして多くの歴史学者が神話上の人物としか見ていない神武天皇を初代天皇として、その即位年から日本建国の年数を数える日本式の紀年法である"皇紀"なる名称は4世紀末頃から5世紀頃の大和朝廷成立当時からあったものではなく、1872年(明治5年)に「太政官布告第342号」を以ってして制定したものであって、政府は1940年(昭和15年)が皇紀2600年に当たるとしてその年に大々的に奉祝行事を行うことになったが、明治に入ってから使い始めたという経緯からすると、皇紀元年を西暦紀元前660年に当てていることから、西洋の歴史よりも長いとする日本の歴史及び大日本帝国と天皇を権威付ける仕掛けであったことがミエミエとなる。

 戦争中は大本営は天皇直属の最高戦争指導機関でありながら、国民に対してだけではなく、天皇に対してもウソの戦況報告をした。軍部は実質的には天皇の下に位置していたのではなく、天皇の上に位置していた。だから、対米戦争反対の天皇の意向を無視して、対米戦争に突入することができた。

 要するに戦前日本に於ける軍部を含めた政治権力者たちは歴史的に伝統的な権力の二重構造に従って天皇を神格化し、その神性によって国民を統一・統制する国民統治装置として利用したが、国策の場では「大日本帝国憲法」で規定した「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とか、「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」といった天皇像が実在することを許さず、お飾りとも言える名目的な存在にとどめておく巧みな国家運営を行った。あるいはそのような権力の二重構造によって大日本帝国憲法が見せている天皇の絶大な権限は国民のみにその有効性を発揮させ、国民統治装置として機能させていたが、軍部を含めた政治権力層には通用させず、そのような権限の埒外に常に存在させていた。

 各武家政権時代は歴史的踏襲としてその権威だけが利用され、存在自体は蔑ろにされてきた天皇は江戸幕府末期になって将軍という一方の権威に対抗する他方の権威として薩長・一部公家といった徳川幕府打倒勢力に担ぎ出されることになって、再び歴史の表舞台に躍り出ることになった。この経緯自体も天皇の権威のみが必要とされた事情を飲み込むことができる。その一端を窺うことができる記述がある。『大宅壮一全集第二十三巻』(蒼洋社)に明治維新2年前の慶応2年に死去した明治天皇の父である幕末期の孝明天皇(満35歳没)に関して、「当時公武合体思想を抱いていた孝明天皇を生かしておいたのでは倒幕が実現しないというので、これを毒殺したのは岩倉具視だという説もあるが、これには疑問の余地もあるとしても、数え年16歳の明治天皇をロボットにして新政権を樹立しようとしたことは争えない」と『大宅壮一全集第二十三巻』(蒼洋社)に書いてある。

 大宅壮一は岩倉具視孝明天皇暗殺説を全面否定しているわけではない。岩倉具視以外の誰かが行った可能性を残している。「数え年16歳の明治天皇をロボットにして新政権を樹立しようとしたことは争えない」と言っていることは藤原道長が一条天皇に長女の彰子を入内させ皇后とし、彰子の生んだ後一条天皇を9歳で即位させて、自らは後見人として摂政となり、好きに政(まつりごと)を行った例を窺わせ、薩長・一部公家が明治天皇の後見人となって自分たちの思い通りの政治を行った可能性は十分に考えられる。そういった中での1872年(明治5年)、明治天皇21歳のときの「太政官布告第342号」による皇紀年号の制定である。薩長・一部公家にとっては天皇の名に於いて政治を行う関係上、若い天皇により大きな権威付けが必要になったといったところなのだろう。熱烈な天皇主義者は現在でも改まった時と場合には皇紀年号を使う。

 こうのように歴代天皇が歴史的・伝統的に置かれてきた実態を眺め渡してみると、天皇の権威なるものは歴史を彩ってきた世俗権力者たち歴代に亘る政治的産物以外の何ものでもなく、高市早苗の「126代も続いてきた世界一の御皇室を戴いてきた」とする最大限の称揚は中が空洞の巨大な竹の骨組みを紙で覆った程度の空疎な内容しか与えない。科学的な合理性はどこにもなく、万世一系だ、男系だと騒ぐのは滑稽ですらある。だが、高市早苗の精神の中では天皇家126代の権威は歴代天皇が自らの政(まつりこと)によって自ら育み、歴史を経て積み重ねられ、重みを持つに至った価値あるものとして根付いていて、彼女の日本国家優越意識をしっかりと支えている。

 頭の中に国家のみを鎮座させ、国民を国家鎮座の下に位置させた、いわば真に国民に向ける目を持っていない日本国家優越主義を内面の奥底で信条とする政治家に、当然の成り行きとして一般国民に寄り添った政治は行うことはできない。安倍晋三のように「国民のため」は方便で、国民よりも国家を優先させて、国家の繁栄だけを目的とすることは間違いない。
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