えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

霧が晴れるように

2007-11-13 | 日記
 昨日は救援会水戸支部の総会の日。
どういうわけか「役員」となってしまっている私は、責任の重さについ押しつぶされそうになってしまうことがしばしばで、余裕のない1年を過ごしてきた。でも、こんな私を支えてくださっている方たちが、これがまた「大物?」ばかり。すっごく偉い人たちばかり・・・。無理を言って、私が「力を貸してください」と言ってお願いした人たちだから、私が逃げ出すわけにはいかなかった。
 
 総会の時期を迎え、議案を考えながら改めて1年を振り返った。
毎月の会議は一度も流さずに続けて来られた。
毎月のニュースも、私がジュネーブに行ったときを除いて11回発行できた。
支部長をM弁護士に依頼し、お引き受けいただいたことで、学習会や集会を開くことができた。
若い仲間を迎えることができた。

 何より、M先生を先頭に事務局員の皆さん全員が誠実な方ばかりだった。
私は、この人たちにどれだけ支えていただいたのだろう、と改めて思った。ほとんどが私より大先輩のかたばかりなのに・・・。

 総会の席で、県本部会長のN先生(弁護士)は、
「水戸支部が他をリードする模範的な支部になりつつある」と、そんなことを言ってくださった。
それを聞いて、
そっか~!
水戸支部は、そう言っていただけるところまで来たんだな~って、改めて今までのことを思い返しながらN先生の言葉に浸っていた。

 ここまで来るのに、何年もいろんな人と暗中模索が続いた。
そのとき一緒に苦しい思いをした仲間の顔が浮かんだ。そして、じっと機を熟すまで離れず助言を続けてくれた県本部常任委員のOさんのことを思った。
何にも分からない私たちに、丁寧に「救援会とは」「救援運動とは」「人権を守るたたかいとは」などを、丁寧に指導してくださった。

 また、県本部会長のN先生には「救援N学校」において、いろんなことをご指導いただいた。
一番大きかったのは、先生自身が直接弁護活動をされたという「松川事件」や「メーデー事件」「八海事件」ほか歴史に残る数々の事件について講義を受けたことだ。
「えん罪」という言葉すら知らないで生きてきた自分が、まさにその渦中で活躍されたN先生の生きたお話は、衝撃的ではあったがそれだけに新鮮だった。
もちろんN先生は、現在「布川事件弁護団」のお一人でもある。
N先生は5年前に私に仰った。
「『布川』を勝たせるには、県都水戸市の救援会がもっと元気にならなければならない。あなたがそこで頑張ることが大事ですよ」と・・・。

 私も、この5年間で少しは成長できたのかもしれない・・・。

 逃げてばかりいた私の人生だったけれど、夫と出会い、布川事件を知り、夫たちのたたかいを支えてくださるた~くさんの人たちと出会って、私は間違いなく「成長」し続けているような気がする・・・。
                        (keiko)