初めて仙台北陵クリニック筋弛緩罪冤罪事件被害者の守大助さんに面会して来ました。
夫と守大助さんを支援する会のOさんと一緒です。
大助さんは、現在千葉刑務所に服役しています。
今となっては、信じられないような真実が明らかになっています。
当時、あれほど大々的にマスコミが報道した「筋弛緩罪殺人事件」はまぼろしだったのです。
急変した患者さんの原因が判らなかった。
それは、当時、病名そのものが医師の間でも認知、浸透してなかったことが原因で、今なら、明解に説明がつくもの。
その一人の患者さんの急変がなぜ「殺人事件」として捜査されることになったのか?
筋弛緩罪による薬効とは矛盾する患者さんの状態が克明に記録されていたというのに。
その前後で急変した患者さんみんなが「筋弛緩罪」によるものだと、何を根拠にそう捜査が進んで行ったのか?
主治医の診断、看護記録には何一つ不自然さはなかったというのに・・・。
守大助さんが犯人にされたのはなぜか?
そもそも動機のない殺人事件なんてありえないはずだった。
患者さんの血液や尿から筋弛緩剤が検出されたという大阪科捜研の鑑定書も、あまりに不自然なもの。
その不自然さを裁判官は見落とした。
大助さんは、裁判で無実を訴えた。
でも、裁判官は大助さんに「無期懲役」を言い渡した。
全く事件性の無かったところで、「殺人事件」の犯人とされてしまい、裁判官にもその真実を見抜く力がなかった。
大助さんは29歳だった・・・。
そして、現在42歳。
こんな恐ろしいことがあっていいはずがない。
でも、これが現実。
千葉刑務所の面会室で、確かに大助さんは私たちの目の前、アクリル板の向こうにいたのです。
どんなことがあっても大助さんは無罪となって釈放されなければなりません。
そして、「国」は大助さんに謝罪しなければなりません。
・・・・・
刑務所では、
重苦しい面会となってしまうのかと心配でしたが、何度か手紙を出していて、大助さんからも返事をいただいていたせいか、初めてという感じはなく、あっという間に20分という時間が過ぎてしまいました。
大助さんは、とても元気でした。
夫が「中」のことを知っている人間ということ、また、二回目の面会ということもあり、夫と率直な思いをぶつけ合う姿が印象的でした。
「30代は無駄になってしまいました」「無駄じゃなかったと思える日が必ず来るから、一日々々を精いっぱい生きてみろ」
「僕なりに考えてやっています。だけど、ボクはやってないんですよ」
「焦るな」「両親が元気なうちに帰りたいんです」など、など。
雰囲気的には明るい会話でしたが、言葉の一つ一つが「当事者の苦しみ」そのものでした。
そして、私たち支援者からの情報をとても心待ちにしている様子をうかがい、もっと密に正確な情報を届けることが大助さんを励ます力になることを知りました。
想像ではなく、生きた人間「守大助さん」に会い、20分間の限られた時間を共有し、別れ際には「またね」「元気でね」と言ってアクリル板を挟んで大助さんの掌にハイタッチ。
表現しようのない感情のまま、面会室を後にしましたが、支援の迅速化、拡大の必要性を一層強く感じながら帰途につきました。
・・・・・・・
夫と守大助さんを支援する会のOさんと一緒です。
大助さんは、現在千葉刑務所に服役しています。
今となっては、信じられないような真実が明らかになっています。
当時、あれほど大々的にマスコミが報道した「筋弛緩罪殺人事件」はまぼろしだったのです。
急変した患者さんの原因が判らなかった。
それは、当時、病名そのものが医師の間でも認知、浸透してなかったことが原因で、今なら、明解に説明がつくもの。
その一人の患者さんの急変がなぜ「殺人事件」として捜査されることになったのか?
筋弛緩罪による薬効とは矛盾する患者さんの状態が克明に記録されていたというのに。
その前後で急変した患者さんみんなが「筋弛緩罪」によるものだと、何を根拠にそう捜査が進んで行ったのか?
主治医の診断、看護記録には何一つ不自然さはなかったというのに・・・。
守大助さんが犯人にされたのはなぜか?
そもそも動機のない殺人事件なんてありえないはずだった。
患者さんの血液や尿から筋弛緩剤が検出されたという大阪科捜研の鑑定書も、あまりに不自然なもの。
その不自然さを裁判官は見落とした。
大助さんは、裁判で無実を訴えた。
でも、裁判官は大助さんに「無期懲役」を言い渡した。
全く事件性の無かったところで、「殺人事件」の犯人とされてしまい、裁判官にもその真実を見抜く力がなかった。
大助さんは29歳だった・・・。
そして、現在42歳。
こんな恐ろしいことがあっていいはずがない。
でも、これが現実。
千葉刑務所の面会室で、確かに大助さんは私たちの目の前、アクリル板の向こうにいたのです。
どんなことがあっても大助さんは無罪となって釈放されなければなりません。
そして、「国」は大助さんに謝罪しなければなりません。
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刑務所では、
重苦しい面会となってしまうのかと心配でしたが、何度か手紙を出していて、大助さんからも返事をいただいていたせいか、初めてという感じはなく、あっという間に20分という時間が過ぎてしまいました。
大助さんは、とても元気でした。
夫が「中」のことを知っている人間ということ、また、二回目の面会ということもあり、夫と率直な思いをぶつけ合う姿が印象的でした。
「30代は無駄になってしまいました」「無駄じゃなかったと思える日が必ず来るから、一日々々を精いっぱい生きてみろ」
「僕なりに考えてやっています。だけど、ボクはやってないんですよ」
「焦るな」「両親が元気なうちに帰りたいんです」など、など。
雰囲気的には明るい会話でしたが、言葉の一つ一つが「当事者の苦しみ」そのものでした。
そして、私たち支援者からの情報をとても心待ちにしている様子をうかがい、もっと密に正確な情報を届けることが大助さんを励ます力になることを知りました。
想像ではなく、生きた人間「守大助さん」に会い、20分間の限られた時間を共有し、別れ際には「またね」「元気でね」と言ってアクリル板を挟んで大助さんの掌にハイタッチ。
表現しようのない感情のまま、面会室を後にしましたが、支援の迅速化、拡大の必要性を一層強く感じながら帰途につきました。
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