昨日、名古屋高裁で、「福井女子中学生殺人事件」の再審・検察異議審の決定があり、請求人の前川彰司さん(47歳)に不当決定が出された。
同じく、鹿児島地裁では「大崎事件」で二回目の再審を申し立てていた原口アヤ子さん(85歳)に「棄却決定」が出された。
「無実を訴える当事者」にとって、裁判のやり直し以外に救済の場はない。
前川さんも、原口さんもどちらも、当初から「自白」をしていない。証拠もない。
一貫して「無実」を訴えてきた。
なのに「有罪判決(誤判)で刑に服さざるを得なかった。
お二人とも、満期服役後の「再審申し立て」だ。
『福井・・・』は、再審の審理の中で、検察の抵抗の中でわずかではあるが証拠開示がされ、前川さんと弁護団にとって明らかな「新証拠」となるものが出てきた。(当然、最初から裁判で出されるべきのものだった)
なのに、今回、裁判官は、これを「新証拠」と認めなかった。
『大崎・・・』では、弁護団が、捜査段階での証拠開示を強く求めていたにも拘らず、裁判官がそれを検察に求めなかったばかりか、今回「検討するまでもない」という、原口さんの訴えを切り捨てるような判断だったようだ。(今朝の新聞記事によると)
全く、再審の可否を審理するに至る以前の姿勢ではないか、と腹の立つ内容が書かれてあった。
85歳になられる原口さんに、あまりにも冷たい決定ではないか。
命をすり減らしながらも無実を訴え続けるには、それだけの理由があるからで、なぜ、裁判官はそれを真正面から受け止めようとしないのか!
誰のための裁判?
何のための再審?
怒りを覚えるのは、どちらの事件もそれぞれの請求人に、一度再審開始決定が出ていたのだ。
その「再審開始→再審取り消し」と、裁判官にすがるしかないお二人の思いにあまりにも冷酷な決定だったのだ。
この非情、非道ともいえる現実の中、お二人とも、新たな次の闘いに挑むため今日を迎え、歩きだしただろう。
真実が認められるまで、「人間の尊厳をかけて闘い続ける」お二人の少しでも力になれるよう、私も気を引き締めよう・・・。
『布川事件』は再審・無罪まで、44年という時間を要した。
夫はその苦しさを体験している、
だから、きっと前川さんの悔しさ、原口さんの悔しさを一番に理解できるだろう。
一緒に同じ涙を流しただろう。
そして、
「勝つまで闘い続ける」二人を、最後まで支援をすると誓ったのではないだろうか・・・。
お二人以外にも、まだまだ、えん罪を訴えている人が日本には数多くいる。
裁判所は、この人たちの訴えに応える義務がある。
逃げないでください、と言いたい。
一日も早く、人権救済の立場で、真摯に「真実」に向き合ってください!と強く言いたい。
命には、限りがあるのです。
かけがえのない一度きりの人生を、「犯罪者で終わりたくない」という叫びに応えてください!と言いたい。
有罪を言うのも裁判官。
無実の訴えに対し、裁判のやり直しを認めるかどうか判断するのも裁判官。
そして、再審で『無罪』を言うのも裁判官。
それでも、「ここ」にすがるしかない、今の制度。
裁判官に「当たり外れ」があってはならないのです。
正義に反しない、公正な判断をしてくださる裁判官がもっともっといるはず、と信じたいです。
国連は、誤判検証のために独立した「第三者機関」を設けるよう、日本政府に勧告している。
日本政府が、早くその方向で動き出してくれることを願うばかりだ。
一日も早く、えん罪が繰り返されない新しい法律を作ること。
そして、人間が判断する裁判に、「絶対はない」ことを前提に、誤判救済制度をしっかりと機能させられること。
それが一番望まれることではないだろうか。
同じく、鹿児島地裁では「大崎事件」で二回目の再審を申し立てていた原口アヤ子さん(85歳)に「棄却決定」が出された。
「無実を訴える当事者」にとって、裁判のやり直し以外に救済の場はない。
前川さんも、原口さんもどちらも、当初から「自白」をしていない。証拠もない。
一貫して「無実」を訴えてきた。
なのに「有罪判決(誤判)で刑に服さざるを得なかった。
お二人とも、満期服役後の「再審申し立て」だ。
『福井・・・』は、再審の審理の中で、検察の抵抗の中でわずかではあるが証拠開示がされ、前川さんと弁護団にとって明らかな「新証拠」となるものが出てきた。(当然、最初から裁判で出されるべきのものだった)
なのに、今回、裁判官は、これを「新証拠」と認めなかった。
『大崎・・・』では、弁護団が、捜査段階での証拠開示を強く求めていたにも拘らず、裁判官がそれを検察に求めなかったばかりか、今回「検討するまでもない」という、原口さんの訴えを切り捨てるような判断だったようだ。(今朝の新聞記事によると)
全く、再審の可否を審理するに至る以前の姿勢ではないか、と腹の立つ内容が書かれてあった。
85歳になられる原口さんに、あまりにも冷たい決定ではないか。
命をすり減らしながらも無実を訴え続けるには、それだけの理由があるからで、なぜ、裁判官はそれを真正面から受け止めようとしないのか!
誰のための裁判?
何のための再審?
怒りを覚えるのは、どちらの事件もそれぞれの請求人に、一度再審開始決定が出ていたのだ。
その「再審開始→再審取り消し」と、裁判官にすがるしかないお二人の思いにあまりにも冷酷な決定だったのだ。
この非情、非道ともいえる現実の中、お二人とも、新たな次の闘いに挑むため今日を迎え、歩きだしただろう。
真実が認められるまで、「人間の尊厳をかけて闘い続ける」お二人の少しでも力になれるよう、私も気を引き締めよう・・・。
『布川事件』は再審・無罪まで、44年という時間を要した。
夫はその苦しさを体験している、
だから、きっと前川さんの悔しさ、原口さんの悔しさを一番に理解できるだろう。
一緒に同じ涙を流しただろう。
そして、
「勝つまで闘い続ける」二人を、最後まで支援をすると誓ったのではないだろうか・・・。
お二人以外にも、まだまだ、えん罪を訴えている人が日本には数多くいる。
裁判所は、この人たちの訴えに応える義務がある。
逃げないでください、と言いたい。
一日も早く、人権救済の立場で、真摯に「真実」に向き合ってください!と強く言いたい。
命には、限りがあるのです。
かけがえのない一度きりの人生を、「犯罪者で終わりたくない」という叫びに応えてください!と言いたい。
有罪を言うのも裁判官。
無実の訴えに対し、裁判のやり直しを認めるかどうか判断するのも裁判官。
そして、再審で『無罪』を言うのも裁判官。
それでも、「ここ」にすがるしかない、今の制度。
裁判官に「当たり外れ」があってはならないのです。
正義に反しない、公正な判断をしてくださる裁判官がもっともっといるはず、と信じたいです。
国連は、誤判検証のために独立した「第三者機関」を設けるよう、日本政府に勧告している。
日本政府が、早くその方向で動き出してくれることを願うばかりだ。
一日も早く、えん罪が繰り返されない新しい法律を作ること。
そして、人間が判断する裁判に、「絶対はない」ことを前提に、誤判救済制度をしっかりと機能させられること。
それが一番望まれることではないだろうか。
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