れいな日記《Reina- diary》

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奥州と常陸の国境の街は見どころ“いっぱい”‥北茨城市

2007-06-13 | 北茨城市の観光
五浦六角堂
岡倉天心は明治末に五浦海岸の中ほどに居を構え、切り立つ崖の突端にある朱塗りの六角堂で思索に耽ったという。


天心邸
これは、天心居宅の一部です。昭和30年の受入時に、登記簿上48.28坪、実面積46.18坪であったこの建物は、天心在世時には、主屋、離座敷を併せて一百余坪という広大なものでした。建築の経緯を見ると、明治38年に、旧観浦楼の古材を使用して、現在地に建てたのが最初です。このとき、大工の小倉源蔵との間に交わした契約書の見本によると、建坪62.25坪の居宅と、8坪の物置を建築することになって居り、7月には完成したものと思われます。(茨城大学五浦美術文化研究所HPから抜粋)


長屋門
道路に面して立つ木造杉皮葺の長屋門は、明治38年の居宅新築後まもなく建てられたと考えられます。この門には、明らかに古材を使用したことを証拠立てる貫孔を埋木した柱、前の建築の垂木跡をそのまま残す軒桁があります。門扉の部分を除いて、居住部分10坪、物置部分8坪あり、この規模はずっと変わらなかったと考えられます。(茨城大学五浦美術文化研究所HPから抜粋)


五浦観光ホテル大観荘を海側から撮った画像。
左側の赤い建物は、岡倉天心自慢の六角堂であり、ホテル大観荘はこんな絶景地にある。


五浦観光ホテル大観荘 露天風呂(男)左側
早朝は男女風呂がチェンジするとのこと。


五浦観光ホテル大観荘 露天風呂(男)右側


五浦観光ホテル大観荘 露天風呂(女)左側


五浦観光ホテル大観荘 露天風呂(女)右側


保健所の温泉水調査表
五浦温泉は観光ホテル独自の湧出場所の違いから市内民宿が使用する温泉水(加温)より温度が高く、湯もたっぷりなので、源泉かけ流しができるのであろう。


五浦観光ホテル大観荘昼時の「お弁当膳」
これに酢の物とフルーツが付く


奥州勿来の関(北茨城市平潟町地区から北方数キロのところ)
太平洋側の「勿来の関(菊田関。福島-茨城)」は、蝦夷南下の防御や通行人・交易物品の検問などを主な目的として、日本中央に置かれた「白河の関」そして、日本海側の「念珠関」(山形-新潟)とともに奥羽三関といわれた。


いわき市勿来~平潟~五浦~磯原~中郷・華川は見どころ“いっぱい”!
奥州の国、勿来の関(現・福島県いわき市)から常陸の国(現・茨城県)に入り、最初の平潟の町は、棚倉藩の物資運搬港から現在は“あんこう”などが獲れる漁港と約30軒なる“あんこうなべ”を夕餉の膳として出す民宿で栄えている。
この平潟を南に向くと、掌を広げた様な五つの入江からなっている五浦の海は、岡倉天心、横山大観らが活躍した日本近代美術の発祥の地として今もその景勝は素晴らしく、この歴史的条件から茨城県天心記念五浦美術館が造られて、訪れる人々の感動を呼んでいる。
その南の大津は漁業の町で栄え、5年毎の「常陸大津の御船祭」は、街中をねり歩く“勇壮な男の祭”として有名であり、今年5月に、このお船を保存する施設「北茨城市漁業歴史資料館“愛称:お船会館《ようそろー》”」が完成した。(資料館の隣には、新鮮な地獲り魚料理の専門店や土産店などがある。)
又、更に大津の南の磯原は、近代叙情詩人野口雨情の生地でもある。海と山の自然の美しさにめぐまれた花園渓谷の紅葉をはじめ、花貫渓谷、水沼ダムと、四季折々の花が舞い散るときわ路北茨城の旅は深い旅情につつまれることであろう。

お泊りは、天然温泉かけ流しの
五浦観光ホテル・和風の本館・別館大観荘へ‥
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