全世界は一個の明珠である。これは道元の言葉である。彼は真理を悟ったのであろう。
仏性を悟ったのであろう。仏性とはどういうものであるか、言葉で言って相手を納得させることはできない。しかし、道元が死んだら、後世の人は道元が悟った内容を知ることが出来ない。ここは大慈悲心を起こして、言葉で表現することに挑戦するしかない。「正法眼蔵」がそれだろう。
だから、全部読んで理解しないと、著者の言うことが分からないような西欧の哲学書と違う。
この「全世界は一個の明珠である」という言葉から、道元の得た真理を悟る人もまれにはいるかもしれない。主客未分の世界というのが禅の常識的な言葉としてある。向こうに客観的な物質があって、こちらに自分がいる。その境界がなくなった時、そしてそれが意識されている時を座禅によって経験すれば、宇宙は自己と同一になる。その時、世界は一個の明珠が見えてくるのでないか。
この明珠はいのちそのものである。永遠のいのちそのものである。
ところが、人間は理性を持ち、向こう側にあるものを認識し、分析していることに慣れている。そうしないと、人間は生きていけない。人間だけでなく、生き物はすべてそうだろう。生き物の中で、対象物を分析するのに優れた能力つまり理性を持つのは人間だ、その理性がニュートンのように、万有引力を発見し、科学は量子力学を発達させ、今や科学は飛ぶ鳥を打ち落とす勢いで発達している。
アインシュタインはスピノザに影響されたアインシュタイン流の神を信じていたようである。
もし仮に、イメージの上で、アインシュタインの神が道元の言う「全世界は一個の明珠」に近いと仮定することが許されたとした場合でも、それでも大きな違いがある。それは、アインシュタインはそれを数学で表現できると考えたことであり、道元は勿論、数式なんて全く縁のないところで、座禅をして心身脱落し、「明珠」という言葉の奥にある神秘で深い深い躍動するいのちそのものを体験していたのではないかと思う。
14 黄金のサイのミニ彫刻
ハルリラがある秘密の行動を企てようとしていたことはあとで吾輩にも分かった。
ハルリラは長老がアリサを妻にしたいと言った申し出を侮辱と受け取っていた様子から、何かしらのことを深くは考えていたのだろう。しかし、それは想像を上回る大胆な計画だった。
ある日、吾輩と吟遊詩人の前に、ハルリラは不思議なものを見せた。
それは長老の一番大切な守護神だそうだ。純金で出来た小さなサイの彫刻だった。それはネズミか小鳥ほどの大きさであったが、まるで生きているサイのように見事なもので、純金で出来ていて、持つとどっしりとした重さを感じた。
「これは何」
「長老の一番大事なものさ。彼は黄金の魔法次元から来たというから、彼と会った時から、わしは彼のことと、黄金の魔法次元のことを調べていた。そうすると、長老はあの司令官たちを指図する指揮権を託されているが、その惑星の指揮権の象徴がそのサイの彫刻さ。金よりもその彫刻に価値がある。
それをなくしたら、長老は切腹ものさ。それを、わしは密かにあの銅山のビルに忍び込み、盗んできた。これで、長老と取引しようというわけさ。アリサを妻にしようなどというふざけたことを払い下げにし、もう一つ大事なことは鉱毒を流さないことと、彼らの軍が持つミサイルと特殊爆弾の廃棄による正常なビジネスだな。これを長老に約束させる」とハルリラが言った。
「凄いものを手にしましたね」と吟遊詩人、川霧が言った。
「具体的にどうやって、長老と取引するのですか」と吾輩は聞いた。
「ロス邸かカルナさんの家に呼び、そこで話をする」
アリサとの結婚を望んでいる長老の思惑をハルリラから聞いたアリサとカルナはアリサの家に呼べば、来るのではないかと言った。電話はロス邸のを使わしてもらう。アリサが直接、長老を電話で誘うという段取りになった。
一人で来て欲しいというアリサの願いを、異星人サイ族の傲慢な力の過信からだろうか、長老は、この前の祭りの参加でこちらの様子が分かったということで、ある日、一人で、アリサ〔カルナ〕邸に来ることになっていた。
その時、ハルリラ達がこの晩さん会に参加することは絶対の秘密だった。リミコからもれると厄介だと思ったからだ。
晩さん会の用意は出来た。長老はリミコと一緒に来た。
アリサが玄関で「今日は晩さん会で御友達も呼んでありますの。」と言った。
長老はちょつと笑った。リミコは何か厳しい顔になった。
「姉のカルナの企画なんですよ」とアリサが言った。
吟遊詩人とハルリラと吾輩はテーブルの席の所で立って、挨拶をした。
長老の誕生日だった。これはアリサがリミコから聞き、知っていたことなのだ。
「お誕生日、おめでとうございます」と我々はカルナと一緒にそう言った。
長老はさすがに、一瞬戸惑った様子だったが、「ハハハ。わしの誕生日か。誕生日を祝う習慣はわが惑星ではあまり一般的ではないが、ま、ありがたく受け取ろう。この国の文化を尊重するのも大切なことだからな」と言った。
「では長老。これをご覧ください」とハルリラが黄金のサイの彫刻を見せた。
ハルリラの腰には彼の自慢の剣がさしてあった。
「何だ。これはわしの」と長老はさすがにぎょっとした驚きの表情をした。
「これを長老に誕生日プレゼントとしてお渡ししたいのですが。条件があるのです」
「条件」
もうその頃は、みんな多少のワインが回って、いい気持になっているようだった。
「そうです。アリサさんはあなたの妻になることは御断りしたいと申しております。まず、それを承諾していただきたい。アリサさんには画家の恋人がいらっしゃるのです」
「画家だと」
「山岡友彦か」
「よく知っていらっしやいますね」
「知っているさ。銅山の鉱毒をなんとかしろとよく言ってきている画家だ」
「それからですね。軍のミサイルと特殊爆弾を廃棄して、我が国と平和なビジネスに入るように司令官を指導していただきたい」
「ハハハ。ハルリラ。いつから、こんな交渉術を学んだ。お前のところののどかな、魔法次元でもこんなことを教えるのか」
「いえ、自然に思いついただけで」
「よくこのサイの彫刻を盗みおったな」
「今の話、お受けできますでしょうか」
「アリサのことは分かった。しかし、ミサイルと特殊爆弾は司令官の管轄にあるのでな。わしはただの説教師でな」
「巧みな説教師と聞いております」と吟遊詩人、川霧が言った。
「サイ族の魂を動かす術を黄金の魔法次元で習得なさったとか」
長老は苦笑いをした。
「君は無茶な願いをしていると思わんか。武装解除しろと言っているようなものじゃないか。宇宙の旅は危険がたくさんあるのじゃ。惑星の文明段階も色々でな。わしらのより、強力な武器を持つ惑星がある。
そいつらと素手で交渉なんかしてみろ、皆、監獄行きさ。そして、いい見世物かさらし者にされてしまう。強いものの意見が通る、これが黄金の魔法次元の教科書に書かれていることじゃ」
吟遊詩人は微笑して言った。
「弱肉強食ですな。しかし、野獣の進化段階ならそれも分かりますけど、ヒト族に進化したからには、我々は文化を持ちます。文化は弱肉強食などという野獣の考えに支配されていては良いものは生まれません。
優れた文化、芸術は優れた宗教と同じように、優れた価値観を持ちます」
「良い価値観が相手を圧倒できるときはそれも分かる。しかし、やはり、相手に強い武器を見せつけられては、その良い価値観ですら、相手の良くない価値観で薄められ、
武力のないために悪い価値観を受け入れてしまうではないか」
「黄金の魔法次元の価値観というのはどういうものなんですか」と詩人が聞いた。
「なるべく武力は使わず、ビジネスで儲け、みんなが豊かになることじゃ。みんなが幸福になることじゃ」
「豊かになれば、幸福になる」
「そうではないかな」
「人はパンのみにて生きるにあらずと言う言葉もありますけど」
「それは分かる。しかし、おぬし。そこまでわしに言うなら、おぬしに聞こう。おぬしの言う優れた価値観とは何だ」
「言葉では具体的に言うことは難しいでしょう。私が感じているのはあえて言えば、生命です。いのちです。神と言っても良い。真如とも言う。愛とも大慈悲心と言っても良い。虚空ともダルマとも言う。
人は言葉を言うと、すぐにその言葉にとらわれます。言葉は絶対の真実を示すことはできません。言葉は真実を指す指先のようなものです。その優れた言葉や優れたポエムから、真実を体得しなければなりません。」
詩人はそこまで言うと、微笑した。一息つき、長老の目を優しく見詰めて、言った。「そうした絶対の真実が我々の生きているこの現実の世界に表現されているということです。それを見いだすことが、人生修行なのではありませんか」
「心身脱落か」
「よく禅の言葉を知っていらっしゃいますね」
「わしは仮にも長老だぞ。心身脱落すれば不生不滅のいのちを手に入れることができるというわけか。
君はそれでそれを体得したのか」
「いえ、言葉とイメージでは分かってきましたけれど、まだ心身脱落は体得できないから、こうやって、旅をしているのです」
「旅が修行か」
「ま、そういうわけです」
「わしもな。よその国とビジネスをする。これが修行だと思っているのじゃ。貴公は何かビジネスを悪いもののように考えているが、それは心得違いだと思うがな。ビジネスがなければ、色々な物や食料が全ての人に行きわたることができないじゃろ。その公正なビジネスを邪魔する強盗や盗人は追い払わねばならぬ。そのために、武器は必要なのじゃ。そして、皆が豊かになる。これが黄金の魔法の次元の価値観じゃ。どうだ。素晴らしいだろう」
「で、どうなんです。鉱毒の垂れ流しを中止することと、ミサイルと特殊爆弾の廃棄はだめなんですか」とハルリラが鋭く聞いた。
「それはな。わしもな。武器などなしに、素晴らしいビジネスが出来れば良いとは思っている。祭りで踊った時にな、そういう思いがふと湧いたものじゃ。しかし、無理だな。
ヒトは悪を抱えているから。魔界の誘惑にも弱い。そんな呑気なことでは面白いビジネスは出来んよ。夢物語を語りに、わしは宇宙を飛び回っているのではない」
「それじゃ、この黄金のサイの彫刻はかえしませんよ」
「かまわんよ。その代わり、ここと伯爵邸とロス邸、それに新政府の庁舎を砲撃するが、そんなことをしてよいのかね。わしも、長老といわれている身、そんなことはしたくはないのでね」
その時、吟遊詩人がヴァイオリンを取って、弓を弦にあて、不思議で美しい音色を奏でた。
「ほお、音楽か。やれやれ」と長老は独り言を言った。
詩人の声が響いた。
武器を捨てるなんて夢物語 ?
そうだろうか。
軍拡を進めればヒト族破滅もいつの日か
とため息がつくばかり。
魔界の王者メフィストの高笑いが聞こえてくるようだ。
勇気をもって、武器を捨てよう。
武器を持って、脅してビジネスしても、それは本物のビジネスか。
ヒトとヒトがこの世に誕生し、
言葉を交わし、愛を交換し、
真理の光がまばゆいほどに光るその道を歩く時、
ビジネスも心の通い合いとなる
物と物は多くの人に行きわたり、
食料は多くの人の胃に入る
飲み物は我らを酔わし、
果物は幸福のしるしとなり、
いのちは至る所に輝く
街角はカラフルな豊かな衣服であふれ、
人々の口元には美しい微笑がもどる
だからこそ、話し合い、武器は捨てよ。優しいビジネスは人に息を吹き返す。
平和は人にいのちの復活を約束する
【つづく 】
久里山不識
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