暮しの手帖

2016年06月25日 | 物忘れ
暮しの手帖
 続きです

古い雑誌を引っ張り出してみた
古いと言っても「暮しの手帖」
一世紀(100号)の後の5号です


めくってたら新聞の切り抜きが挟まってた
 1970.4.12の朝日新聞です



裏面は



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暮しの手帖

2016年06月25日 | ことわざ・格言・名言


致知出版社の「人間力メルマガ」【号外】から

現在、高視聴率をキープしている
NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」。

主人公のモデルとなったのが
『暮しの手帖』を創刊した
大橋鎮子さんです。

本日はそんな大橋さんと、
名編集長と謳われた
花森安治さんとの逸話をご紹介します。


[今日の注目の人]

★ オレンジ色がいるのだ ★

大橋 鎮子(暮らしの手帖社長)

※『致知』1995年6月号
※特集「情熱、情熱又情熱」P46



いまでもはっきり覚えています。

昭和23年に創刊した
『暮しの手帖』が、
14号目の編集作業に入っていた
昭和26年のことでした。

木製家具と座布団を組み合わせて
撮影することになりました。

座布団はオレンジ色にしたい
というのが編集長の花森安治の希望です。

私は早速、銀座に行きました。

当時、洋服といえばほとんど
自分の手縫いでしたから、
銀座には生地屋さんが多かったのです。


オレンジ色は、いまでもそうですが、
印刷でその色を出すのには
大変難しい色なのです。

それで私は、オレンジ色の布を
探しに歩き回りました。

デパートにも行きました。

しかし、オレンジ色は
ありませんでした。


オレンジに近い色の生地を見つけ、
社に戻りました。

すると、待っていたのは
花森安治さんの怒鳴り声でした。


「なんだっ、この色は!
 ダメだ、もっと探しなさい」


花森さんの仕事に対する厳しさは
たとえようがありませんでした。

私はまた社を飛び出しました。

六本木を探して歩き回り、
神田にも足を伸ばし、
横浜の元町まで行きましたが、
オレンジ色はありません。


「オレンジ色がいるのだ」

「僕が欲しいと思う色とは違う」


といいます。こうして
一週間が過ぎました。

困り果てて、母に相談したところ
染めるほかない、ということで、
銀座のえり円さんという染め物屋で、
染めてもらうことにしました。

ああでもない、こうでもないと
苦心を重ね、ようやく染めあがった
生地を花森さんのところに持っていって、
やっとパスいたしました。


「うん、これだ、これだ」


その生地で座布団を作り、
私はようやく肩の荷を
おろしたものでした。

当時、日本ではほとんど
カラー印刷はありませんでした。

もちろん、『暮しの手帖』は
白黒の印刷でした。

考えてみたらそれまで色のことで、
あんな大変な思いをすることは
なかったのです。

私は花森さんに聞きました。


「白黒写真なのに、どうして
 こんなに色に厳しいのでしょうか」


返ってきた答えはこうでした。


「きみたちの色彩感覚を
 鍛えるためにやったことだ。
 色の感覚はそう簡単に
 身につくものではない。
 やがて、日本もカラー印刷の
 時代がくる。そのときになって、
 色に対する感覚が育って
 いなかったらどうする」


そのときなんにも知らない私は、
恥をかき、心から花森さんに
感謝いたしました。

このことが私の出発点でした。



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2016年06月25日 | きょうの鈴鹿市大池三丁目
明け方に大雨が降ったらしいが目覚めんかった!

今は小雨です
 6時40分ごろ 東





西
















側溝











NHKテレビ画面から









室内温湿度




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