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歴史写景 伊都国歴博  古代の美 3

2009-03-08 | 歴史(弥生時代)
伊都国歴史博物館では、
冬の企画展「いにしえびとの造形 土器」開催されていた。

ここで見た古代人の美への感性を紹介する。

高さ50cm程の大きな壷。最初に紹介した壷の造形に広口の首部を付け加えたような形である。これもどっしりと安定していて美しい。


伊都国歴史博物館HP

伊都国歴史書博物館HPより

いとはく冬の企画展 「いにしえびとの造形 土器」

古代から人々の飲食や食糧貯蔵に欠かせなかったのが土器。
この土器が生まれたのは、今から1万2千年ほど前のこと。
以後、現代に至るまで人々の生活を支えつづけてきました。
糸島地方でも数多くの土器が出土していますが、今回の企画展では、その中でも造形的に注目を集める20点を厳選し、展示します。

 日時:平成21年2月3日(火)から3月29日(日)まで
 場所:伊都国歴史博物館 1階企画展示室

(2009.02.22 伊都国歴史博物館にて 前原市)
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歴史写景 伊都国歴博  古代の美 2

2009-03-08 | 歴史(弥生時代)
伊都国歴史博物館では、
冬の企画展「いにしえびとの造形 土器」開催されていた。

ここで見た古代人の美への感性を紹介する。

高さ30cm足らずの小さな薄手できゃしゃな壷である。
このような形の壺に初めて出会った。
古代人はこの坪に何を入れて使っていたのだろう?とてもモダンな壺である。


伊都国歴史博物館HP

伊都国歴史書博物館HPより

いとはく冬の企画展 「いにしえびとの造形 土器」

古代から人々の飲食や食糧貯蔵に欠かせなかったのが土器。
この土器が生まれたのは、今から1万2千年ほど前のこと。
以後、現代に至るまで人々の生活を支えつづけてきました。
糸島地方でも数多くの土器が出土していますが、今回の企画展では、その中でも造形的に注目を集める20点を厳選し、展示します。

 日時:平成21年2月3日(火)から3月29日(日)まで
 場所:伊都国歴史博物館 1階企画展示室

(2009.02.22 伊都国歴史博物館にて 前原市)
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歴史写景 伊都国歴博  古代の美 1

2009-03-08 | 歴史(弥生時代)
伊都国歴史博物館では、
冬の企画展「いにしえびとの造形 土器」開催されていた。

ここで見た古代人の美への感性を紹介する。

高さ30cm程度の小さな壷。壷の中央部を取り巻いた帯が造形をぐっと引立たせている。美しい。


伊都国歴史博物館HP

伊都国歴史書博物館HPより

いとはく冬の企画展 「いにしえびとの造形 土器」

古代から人々の飲食や食糧貯蔵に欠かせなかったのが土器。
この土器が生まれたのは、今から1万2千年ほど前のこと。
以後、現代に至るまで人々の生活を支えつづけてきました。
糸島地方でも数多くの土器が出土していますが、今回の企画展では、その中でも造形的に注目を集める20点を厳選し、展示します。

 日時:平成21年2月3日(火)から3月29日(日)まで
 場所:伊都国歴史博物館 1階企画展示室

(2009.02.22 伊都国歴史博物館にて 前原市)
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歴史写景 伊都国歴博 3

2009-03-08 | 歴史(弥生時代)
伊都国歴史博物館では、ちょうど企画展があっていた。

いとはく冬の企画展「いにしえびとの造形 土器」である。

この展示で古代人の美しさへの感性を覗き見ることができた。
美には鈍感な僕ではあるが、
古代人の美に対する意識を少しだが共有することができた。

伊都国歴史博物館HP

伊都国歴史書博物館HPより

いとはく冬の企画展 「いにしえびとの造形 土器」

古代から人々の飲食や食糧貯蔵に欠かせなかったのが土器。
この土器が生まれたのは、今から1万2千年ほど前のこと。
以後、現代に至るまで人々の生活を支えつづけてきました。
糸島地方でも数多くの土器が出土していますが、今回の企画展では、その中でも造形的に注目を集める20点を厳選し、展示します。

 日時:平成21年2月3日(火)から3月29日(日)まで
 場所:伊都国歴史博物館 1階企画展示室

(2009.02.22 伊都国歴史博物館にて 前原市)
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歴史写景 伊都国歴博 2

2009-03-08 | 歴史(弥生時代)
伊都国歴史博物館の入り口には、
この伊都国が朝鮮半島からの窓口であり、ここから大陸の文化が倭国の中を流れていったことを示す地図と『魏志倭人伝』が展示してあった。

伊都国は、倭国の中でも特徴的な国であったようだ。

伊都国歴史博物館HP


伊都国歴史書博物館HPより

伊都国とは中国の歴史書『魏志倭人伝』に登場する国です。
中略
『魏志倭人伝』には伊都国について他の国々にはみられない特徴的な記述がいくつかみられます。

『魏志倭人伝』より

倭人は帯方(今の韓国ソウル付近)の東南大海の中に住み、山島によって国邑(諸侯の封地)をつくる。

   (中略)

伊都国につく。長官を爾支(ニキ)といい、副官を泄謨觚(シマコか?)・柄渠觚(ヒココか?)という。千余戸ある。世々(代々)王がいるが、みな女王国に統属する。郡使が往来し、常駐の場所である。

   (中略)

2 女王国から北には、とくに一大率(王の士卒・中軍)をおき、諸国を検察させる。諸国はこれを畏(おそ)れ憚(はば)かる。つねに伊都国で治める。国中に刺史(政績奏報の官)のようなものがある。王が使者を遣わして京都(魏の都「洛陽」)・帯方郡・諸韓国に行ったり、また郡が倭国に使するときは、みな津に臨んで捜露(そうろ:さがしあらわす)し、文書・賜遺(しい)の物を伝送して女王にとどけ、差錯(ささく:いりみだれまじわる)することはできない。

(石原道博編訳 1985 『新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝』 岩波書店による)

(2009.02.22 伊都国歴史博物館にて 前原市)
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歴史写景 伊都国歴史博物館

2009-03-08 | 歴史(弥生時代)
僕は、国道202号をよく利用する。
福岡市から唐津市に向かう途中、前原市を通る。

前原市あたりには、古代の遺跡が多い。
時間に余裕があるときには、ゆっくりと散策し歴史で遊ぶ。

この博物館は、前原市にある。
かつて古代の伊都国は、このあたりにあったと言われている。
博物館では、この伊都国を中心とした歴史的な遺物を中心に展示している。

僕は、これまで二度ほどこの博物館を訪れた。
外観も中の展示も美しい博物館だ。

伊都国歴史博物館HP


伊都国歴史書博物館HPより

伊都国とは中国の歴史書『魏志倭人伝』に登場する国です。
『魏志倭人伝』には今から約1800年前(3世紀頃)の日本の様子が書かれています。
それによると日本には邪馬台国をはじめとして30以上の国があり、そのうちのひとつが伊都国です。
伊都国は現在の前原市を中心とした二丈町、志摩町、福岡市西区の一部を含む糸島地方に存在したと考えられます。



(2009.02.22 伊都国歴史書博物館にて 前原市)
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「奴国の墓」 須玖岡本遺跡

2008-11-24 | 歴史(弥生時代)
奴国の丘歴史資料館は、福岡市南方の春日市にある。

この資料館がある公園内には、ここで発掘された奴国時代の甕棺などの墓が発掘時の状況のまま、白いドーム状の建物内部に保存されている。
自由に見学することができた。

大型の甕棺の周りに小型のものが取り巻いている。
子供の死亡率が高かったのだろう。

甕を棺に用いる文化は、北部九州(北部)と朝鮮半島(南部)にもあるようだがどこで生まれた墓制だろう。
子供の甕棺は自然発生的であるが、大人用の大型甕棺は技術的にも乗り越える壁がありそうである。

甕棺の編年についての歴史も知りたい。
今度、図書館で調べてみよう。



この壺は、甕棺から4~5m程のところに埋納されていた。
赤く彩色されていることから祭器とされている。
だが、中には何を入れたのだろう?
死者が死後の世界で使うために供えた物。あるいは死者が蘇らぬための呪いの物。
どちらだろう?


(2008.11.22 奴国の丘歴史資料館にて 福岡県春日市)
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「奴国の墓」 須玖岡本遺跡

2008-11-24 | 歴史(弥生時代)
この白いドームの中に、弥生時代の墓が発掘時のままに保存してある。

上空を福岡空港を離陸した大型旅客機がエンジン音を響かせ大空へ上昇していく。

奴国の丘歴史資料館は、福岡市南方の春日市にある。

ここでは、甕棺墓、土壙墓、木棺墓 が隣同士で連続している。
あまり墓の形式にこだわりは無かったのかもしれない。


(2008.11.22 奴国の丘歴史資料館にて 福岡県春日市)
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「奴国王の墓」 須玖岡本遺跡

2008-11-24 | 歴史(弥生時代)
奴国の丘歴史資料館は、福岡市南方の春日市にある。

この資料館がある公園内には、明治32年(西暦1899年)に近くで発掘された奴国王墓と見られる墓の巨大な上石が移設展示されていた。
この上石の大きさは長さ3.3m、幅1.8mもある。
大型の支石墓では?との疑問も沸いてくる。
発掘時、支石はなかったのだろうか?

この上石の下から甕棺(かめかん)が発見され次のものが出土している。
これらの死者に供えた物そして巨大な上石などから王墓と想定されている。

中国鏡(30面前後)
ガラス壁(宝器)
銅剣(どうけん)
銅矛(どうほこ)
銅戈(どうか)
ガラス勾玉(まがたま)
管玉(くだたま)





(2008.11.22 奴国の丘歴史資料館にて 福岡県春日市)
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歴史散歩  弥生 平原遺跡 (前原市)  作成中

2008-08-17 | 歴史(弥生時代)
曽根丘陵(福岡県前原市)には、弥生時代から古墳時代にかけての遺跡で構成された「曽根遺跡群」がある。

この平原(ひらばる)遺跡(1号墳)は、丘陵の中央部西側にある。
墳丘墓は、14m×12mの四隅が丸い方形周溝墓で、2世紀から3世紀にかけて造られたと考えられている。

発掘調査で、おびただしい鏡や装飾品が出土して、伊都国王の墓で、そして副葬品から女性ではと考えられ興味をそそる。

墳丘墓の近くでセミの抜け殻を見つけた。このセミの先祖も2000年前からここに棲み、弥生人たちの暮らしに溶け込んでいたのだろうか?


平原遺跡の説明HPへのリンク(著作 前原市)

伊都国王都周辺遺跡地図HPへのリンク(著作 前原市)













(2008.07.27 2008.08.03 早朝 前原市にて)
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環濠集落遺跡 平塚川遺跡 出土品 編

2008-08-14 | 歴史(弥生時代)
平塚川遺跡(福岡県朝倉市)の出土品の一部として、ビジターセンターに、土器、ガラス玉、木製品、石包丁、紡錘石、鏃(やじり)が展示してあった。

石包丁は、国立博物館(東京)に展示されている朝鮮で出土したものと全く同じ形である。

鏃(やじり)は大きい。大型の動物に致命傷を与えるタイプである。対人用かも知れぬ。
幾重もの環濠で守るほど治安は悪かったのだ。



(2008.8.14 昼 朝倉市にて)


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環濠集落遺跡 平塚川遺跡 続々編

2008-08-14 | 歴史(弥生時代)
平塚川遺跡(福岡県朝倉市)は、できる限り当時の状況を再現している。

ボランティアのガイドが、僕に、「当時発掘された花粉分析から当時の植生を分析し、その植物を遺跡内に植えている」また、「環濠にも水を入れて循環させている」と説明してくれた。

このことで広大な遺跡内に弥生時代の自然が再現され、豊かな動植物相になったと喜んでいた。

ボランティアは、初老の元高校教師である。

遺跡のはす畑の上を「ムカシトンボ」は飛んでいた。
僕は初めて見た。
親切な説明に感謝。


咲き誇る花を通してみた遺跡(住居)



(2008.8.14 昼 朝倉市にて)

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環濠集落遺跡 平塚川遺跡 続編

2008-08-14 | 歴史(弥生時代)
平塚川遺跡(福岡県朝倉市)では、弥生時代(後期)の状況を再現している。

その時代の住居と環濠の状況である。

環濠は単純に取り巻いているのではなく、複雑に入り組んでいる。






(2008.8.14 昼 朝倉市にて)


 
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環濠集落遺跡 平塚川遺跡  

2008-08-14 | 歴史(弥生時代)
平塚川遺跡(福岡県朝倉市)は、弥生時代中期(1世紀)~その後期(3世紀)~古墳時代前期(4世紀)に連なる大規模な環濠集落遺跡である。

この遺跡は、筑後川の支流である小石原川の肥沃な氾濫原にある。
工業団地開発の際に発見された。

遺跡として保存され、環濠に、水が張り、当時の住居等の構造物も再現し、弥生の村を具現化している。

真夏に遺跡を訪問しているのは、僕一人だった。
遺跡を1周するのに1時間程かかり、汗だくだくで日射病寸前であった。
できることなら、涼しく夜明け前後の光が美しい時間帯に散策したいものである。


説明版と遺跡



遺跡の位置



(2008.8.14 昼 朝倉市にて)

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