1960年代の初め頃、小学生低学年であった私の家に定期的に残飯を貰いに来るおばちゃんが居ました。玄関前に大八車を止め、一斗缶の上を切り取った残飯入れが満載でした。多分、あちこち回収して、我が家が回収コースの最終場所であったと記憶しています。(家族と従業員の残飯が沢山出る家だったので)
我が母親、おばちゃんを玄関の上り框に座らせ、冷たい麦茶を振る舞うのが毎回の習慣。初めの頃は子供心に(おばちゃん、残飯の匂いが体に染み込み、臭いね、それに服装も毎回同じで不潔だな)と嫌な気持ちでしたが、我が母親、普通におばちゃんと季節、天気などの挨拶話などをして最初の頃は遠慮気味だったおばちゃんも、徐々に馴染んでいつの間にか仲良し二人みたいな空気感。そのころ二人の年齢は共に40歳代くらいでしょうかね。
母親から無言の大切な教育を受けさせてもらい幸せです。不潔で汚くて嫌われる残飯回収「汚わい屋」かもしれませんが、立派なお仕事ですよね(今じゃあほとんど居ませんが)
その後、祖国復帰が有り(琉球政府立首里高校入学から沖縄県立首里高校卒業と時代の変わり目のど真ん中な私達でしたが)、自衛隊の皆様がやって来て、配備とかはじまりました。私が成人式の年、沖縄世論で「自衛隊の隊員の成人式参加はまかりならない」と県内もめにもめた事がありましたが、「職業で差別するってアンポンタンである」と1秒で判断できたのは子供時代の経験のお蔭です。

河童のおぢちゃんも同意してくれると思います。
よんでくれてありがとうございます。