マイルスデイビスが映画音楽を録ったとき「アイラブユーを少しずつ表現を変えて吹いた」とコメントしていたので聞き比べた。
フェラリ~
フェラリレ~
ヘェレリルロ~
オフェラ~
凡人の私には全部同じようにしか聞こえない。これはマイルスが天才かウソつきかのどちらかであるからであろう。ただ、ここでハッキリと解ることは、インストメンタルの楽器で言葉を表現することの難しさである。歌は音であるとともに、言語としての伝達能力を備えている。ビートルズがアイラブユーと歌うのと尾崎豊がアイラブユーと歌うのも聞き手には同じアイラブユーのメッセージが伝わる。(ニュアンスの違いはあっても)それでは、もっと原始的な音階のない、ドラムスを含むパーカッションでアイラブユーってどう表現すればいいのかしら?。
一匹の猿人が黒くて四角い石に触れ、突然変異し知性と文明が始まってまだ間もない頃からすでに何万年後、アフリカの何処かの村にヌキヌキ族なる伝統ある一族がいた。
「ンガンボよ、お前ももうすぐ12才。我が家のこの村に置ける重要な役割、薄々感じていると思うが伝達係なのだ。遠く離れた村に間違えなく確実に正確に話を伝えなくてはならん。時々わしが叩いておる、ブビンガの木、丸太くり抜き大太鼓、大技物はかれこれ5代前のご先祖様がこしらえた優れもの、条件さえ整えば、山を4つばかし超えた隣村のそのまた更に山3つ向こうの村まで簡単に音が届く究極の太鼓なのだ。お前が12才になれば我が家のおきてに従い「太鼓の言葉」を伝える。心して学べよ。講師ンガンボの父「ン・ンガンボ」
1時間目歴史 え~まあこの~最初は動物の骨、木切れなどを武器もしくは威嚇の為に地面を打ち鳴らしたりしとった訳ですが、このとき「鳴り方」である程度感情が表現できることに気が付いた個体があって、怒り、危険、うれしい、イイこと、悪い事、天気などを叩き別けるようになったんです。同時に社会性の発達に伴い、隣村との共生関係など重要になれば情報伝達の素早さがますます、大切になる。といっても、最初の頃はごく限られた単語をやり取りしていただけ。その頃の大切な情報には「シンバ近い危険」など、命の危機に関する伝達がほとんど。そのまま変わることなく更に何世紀か時は過ぎゆく。
2時間目歴史 あ~部族の歴史において重要な分岐点に天才が現れる。まずは一人目「ンガヌガ」である。彼の考案した「フレーズによる太鼓単語表現体系」によってこれまで、50語ほどの太鼓言語が300語まで追加され、かなり細かいニュアンスの太鼓言語が一気に花開く。例えば
「ンチャー・死ぬ・ばあ様・ヌキヌキ族・明日・埋める・悲しい」が、
「悲しい出来事です。ヌキヌキ族のばあ様ンチャーが死にました。お知らせします。明日葬儀です。集まり下さい。」
と、だいぶ分りやすくなりました。どんな音かって?複雑すぎて再現できません。
凄い凄いと尊敬され天狗になったンガヌガは更に単語を増やし、遂には600語に到達。しかし、テクニックに溺れ、やる事が複雑怪奇。本人以外誰も理解できない。当然、他の部族の伝達係とうてい付いていけず、敬遠され始め元の昔の50語の実用的太鼓言語に先祖帰り。元の木阿弥。とほほ。
3時間目歴史 2人目の天才現れ、ンガンボよ、それが、わしじゃ。これまでのフレーズによる言語表現を根本的に考え直し「音は2種類すなわち、長いと短いのみである。」との真理に到達したわい。すなわち・・・
※驚いたことにこれは現在のモールス信号と全く同じ仕組み。まさにデジタル2進法である。0か1で全ての情報を伝達。これだと2倍のテンポで(倍速通信)叩いても正確に伝達。西洋文明が電気を得てモールス信号を実用化する19世紀より遥か昔のアフリカでン・ンガンボとっくに実用化。わはは。※HACHI公
4時間目自慢 では、わしのやり方でどれ位細かい伝達ができるかと言うと
「謹んでお知らせいたします。大酋長ヌヌン・ン・ボキの息子の息子の息子の息子にして偉大なる父ヌヒヌヒの長男カマスケ病気療養中懸命の介護のかいなく、102歳にて他界いたしました。生前の戦歴VSシンバ5勝3分け・VS河馬0勝6分けの輝かしい記録と共に皆様のご記憶にお留め下さい。喪主は第14夫人のンミトウ。告別式会場は明日1日真教寺。午後2時より一般焼香。本人無宗教の為初七日49日の儀は執り行いません。ご了承下さい。なお、明日1日は会場近くにシンバ目撃情報注意報が発令されております。遭遇しご事故など起こりませぬようお誘い合わせの上、鳴り物入りでご参列ください。」
あれ~太鼓でアイラブユーをっう話はどうなった?。わはは、いきあたりばったりで書いていた~ら全然関係のない作り話に変貌。な~に、読んでいるのはお友達だけさっ。無責任だって怒るような心の狭い友達一人もいないはず。好きにして~煮るなり焼くなり好きにして~(BYポーク)
ンガのお付き合いありがとうございます。御後が宜しいようで。