美味しいお米を大切な貴方に! BLOG 『HIRO’s Diary』 

お米の専門店の店主が、日々想う事、今日あった出来事などを中心に書いてます!!かなり趣味の部分も多いけどね\(^_^)/

メモリアル 阪神淡路大震災

2007年01月17日 12時54分15秒 | つぶやき

どうしても、今日、1月17日は、震災のことを思い出してしまう。

12年前・・・・

私は、まだ今の家ではなく、播磨町のアパートで暮らしていた。妻とまだ4ヶ月足らずの娘との3人暮らしだった。

虫の知らせだったのだろうか、震災発生直前頃、私はウトウトとしていた。

そして、5:46。もの凄い突き上げる縦揺れ

「うわぁーー!」っと思わず叫んでしまった

続いて、大きな横揺れ、台所では、食器棚の扉が開き、中のコップ類が落ちて割れる音がする。

そしてやがて揺れが止まった。妻も目を覚ましていた。

すぐさま、テレビをつける。大きな地震が発生したことをしった神戸の震度は”7”

外の様子をうかがうため、外に出た。まだ日の出前、暗い。

アパートのどの部屋も電気がついていない・・・たいしたことは無かったのか?

実家に電話する。実家も両親ともケガもなく、わが家のような食器の割れもない

そう、わが家は食器棚を南向きにしていたので、揺れをモロにうけたようだ

ただこの間、まだ何もわからずぐっすり寝ていた娘、

大きくなった今、「地震の時、お前はぐっすり寝ていたんだよ」と話をしたら驚いているが・・・

妻は割れた食器の片付けを始めた。結婚して嫁入り道具として持参してきた食器だけに、その片付けは妻にとっては辛いものだった。

やがて夜が明け、私は早めに会社へ出かけた。

会社への道中、倒伏した家は、私たち加古川市、播磨町には無かった。

でも、屋根瓦が落ちている家はあったような・・・

会社に到着した。

「店は大丈夫かな?」と裏口を開けた瞬間、私の目に飛び込んできたのは、倒れ崩れたお米の袋の山だった。

そして事務所である2階にあがってみると、引き出しが全部空いて、机の上に立てていた書類は倒れ、朝からこれらの整理作業になった。

やがて、今度は取引先から電話が入る

「神戸の本社へ海上輸送で、炊き出しをするので、緊急にお米を納品して欲しい!」

次の日も次ぎの日も、お米の納品の予定が入る。そのため、仕入れの手配を行うが、神戸の米卸しとは連絡がとれない・・・

やっとの事で連絡を取れても、倉庫のシャッターが開かない、道が寸断されているので輸送が出来ない・・・何しろ仕入れ先は、東ばかりだから

翌日より、お客様の来店数、注文が一気に増加してきた。無理もない、量販店が品薄になってきたため、我々米屋に来る・・・勝手なものだね

みるみる在庫が減ってくる、仕入れが出来ない日々・・・

やがて、迂回ルートで何とか仕入れが出来るようになるが・・・

 

「あの時は、本当にパニックだったね。」と今日も社員たちと談笑した。

現在、仕入れ先が東や西の産地、営農業者を持つようになったのも、この時学んだ教訓の結果だ。

「もう一度、思い出してみよう、あの時を!」今日、一日は、そんな日にしたい!


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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
神戸市灘区の被災者でした (kazu)
2007-01-17 22:30:28
日記にもかきましたが、
50秒の揺れで、阪急沿線から南はほとんどぺしゃんこでした。

王子競技場の近くで自衛隊がいてくれたので結構たすかりました。

王子体育館が遺体安置場で、遺体を運んできたのに棺おけも無いといっている人の話、市の職員でいきなりかなづちを渡されて棺おけを作らされた人、両方とも悲惨な話です。

親戚は例の御蔵菅原や、三宮周辺など被害のひどいところにすんでいました。

とても寒い冬でした。
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コメントありがとうございます! (G.HIRO)
2007-01-18 18:38:40
kazuさん、コメントありがとうございます。
私も、炊き出しボランティアで、長田区や葺合などに行きました。本当にもの凄い惨状、今でも、脳裏に焼き付いています。
悲惨なお話はたくさんあります・・・子供達に伝えて行きたいですね。
決して忘れないように・・・
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Unknown (アーリー(Hey))
2007-01-19 09:09:52
お米を通して震災の救援を手伝って居られたのですね。
素晴らしいと思いました。
災害は辛い思いばかりが出てきますが、そこから学んだ事を大切にしなくちゃと常に思います。
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