アンドレ・ブルトン/ポール・エリュアール共著 /詩集/1929年
---シュール・リアリズムの詩集-------
この詩集はシュールリアリズムの「自動記述」という手法で書かれたものです。
すべてが実験的で、
中にはこれらの詩を読んで眉をしかめる方も、
存在すると思います。
この「自動記述」はアンドレ・ブルトンによって、
具体的に説明されているので、
書きだしておきます。
「できるだけあなたの精神を、
集中できるのに都合のいい場所に座り、
書くものを持ってきておいてください。
出きる限り受身の状態に身をおきなさい--。
前もって何も考えずに、
何を書いているかわからないくらい早く、
読み返そうとはかんがえずに早く書くこと。
ひとりでに最初の文句がでてくるでしょう。
それは次々にでてくるが、
それは客観的であろうとするわれわれの意識とは、
まるっきり無縁のものでしょう。」
(アンドレ・ブルトン「第一宣言」より)
参考・シュールリアリズム
http://www.02.246.ne.jp/~ruohto/html/what_surrealisme.html
これが詩集「処女懐胎」の舞台裏です。
自動記述により、深層意識までも引っ張りだした詩の形態といえると思います。
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こんな感じの出だしの詩集です。(散文詩集です。)
受胎
二つの日のあいだのある一日、そしていつものように、星のない夜という夜はなく、
女の長い腹が、それは小石だ、ただ眼にうつるもの、ただ真実なものが、瀑布のな
かをのぼってくる。いままでに何べんともなくこわされたものが、なおもまたいまこわ
されている。 ( 「受胎」より部分引用/服部伸六・訳)
生活
日本の花から電気をかけられた蛙にいたるまで、変化を自認するためにはぐっすり
睡らねばならないであろう。窓と一騎打ちをとり組んでいる一個の体をなす扉につい
ていえば、床は一ぴきのインコであり、天井は臆病な鴉である。
(「生活」より部分引用/訳者同じ)
ほんの数行しか、引用していませんが、すべてがこんな感じで、
かなりの散文詩が続きます。
言葉の偶然の産物とも言えるかもしれません。
考え考え言葉を選択しているわけではないので、
常識から逸脱している部分もあるとは思いますが、
それを承知した上での
あくまでも、手法重視(自動筆記)の作品です。
この詩集の中には、
「神経衰弱擬似症の実験」
「表現錯乱擬似症の実験」という題の
散文詩もあり、まさしくこれは実験的な意味合いの
詩集と言えると思います。
前述のようなタッチの詩(散文)が、
原稿用紙5枚から10枚ほどの量で目の前にあると、
余程読む気があるか、
心の余裕がないと、読めないと思います。(ただヘビーなだけで。)
けれども
歴史的な流れの中で、
この詩作に関しての方法論は意味があったのかなと思います。
太陽であり男であり女である。神話の世界、深いですね~
なにも考えずにやってきましたが、詩と心理はやっぱりつながっているのですね。気づきます~
意識下との関連が深いということは、通説になっていますが--。