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現代文を読むカラクリⅩⅡ

2009-01-04 16:00:37 | 学問

中高生・大学生の学習・研究はやはり、どこから見ても実学ではない。

学問入門としか思えない。

化学を取ってみても電池の単元で蓄電池(バッテリー)を知っている

者がどれだけいるだろうか。その必要性や社会での実用性を知らずして、

机上の論理だけで学習していることが多い。

憲法・民法を社会の中で体感し、公務員を目指し、学習しているだろうか。

行政法とは何か。経済原論とは何か。

実学は社会に入ってからでしか、出来ない。

これからの学習法は大幅に変えて行き、例の「体験学習」不可欠だと思う。

只、もっと大事なことは、今後、学習は社会人に課すべきだと考えている。

さて、半年振りのこの「ブログラブⅠ」での講義に入ります。

<第2章>             

西欧の実相を現在の繁栄の姿から捉えてはならない。

かつて、西欧とは、石と荒地の中でただ僧院のみが岐立する、

真性の辺境であった。かつて文明の中心地はあくまでも、

メソポタミアであり、エジプトであり、コンスタンティノープル

であったのだ。ならば、その辺境で、石と荒地の中で西欧人が

夢見たものは何か、それは至福に満ちたキリスト教の王国である。

また、その辺境で、石と荒地の中で、西欧人が恐れたものは何か、

それはイスラム教徒たちの侵略である。

 西欧という辺境は、文明の坩堝である。

イスラムの世界に対して、紛れもなく、後進地であった。

そして、キリスト教に集う者は異教徒たちの侵略に常に脅えながら、

僧院で、荒地で、城壁の中で、ひたすら魂の安息に祈りを捧げていたのだ。

現実の渦から視線を逸らし、ナザレのイエスの解釈に奔走し、

閉ざされた空間の中でこの時の果てに到来する破綻と救済を待望すしながら、

夢を見るように誰もが祈っていたのだ。

西欧とはそういう土地に過ぎなかった。西欧とは長らく、弱者を意味していた。

そして、勿論、それは世界史を制圧する後の姿からは及びもつかないものであった。

2003.02.15.放送

GES進学予備校


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