大学入試も終わり、また次年生徒諸君の1年の試練が始まる。
大学入試の形も多岐に渡り、平成になり、小論文の急増、慶應費塾大学のAO入試、
推薦の枠の拡大、1大学複数受験、これは個性か、戦略か。
意図的な入試作りには間違いない。
学生の消費者意識を強くする大学のお客様扱い。
高校の校長先生は先生や生徒より強いかと思いきや、手を拱いている。
「生徒=教諭」vs「校長」の構図も全国、多々見受けられる。
このように社会人間構造は大きく変わった。
これに伴い、生徒の大きな意識構造までもが変わった。
売上至上主義が子供を甘やかせ、大人たち(親も含め)が子供たちに媚を売っている姿は
明らかに日本は間違った方程式を計算している。
結果、答えは間違えである。
学校教育の方向はどこへ行くのか、大学も二極化したと言われるが、
子供は一元化している。
この画一化はよい方向ではなく、更に日本の悪化を想像させられるものである。
当たり前(法則性のあること)のことを当たり前に出来ない。
感情をむき出しに、大人たちを嘲笑う。
物質過多から情報過多の時代に突入し、加速度を増し、対等化の論理を
露わにする。ある時は子供の論理に。
世の中の模範はAAA、ISO取得、そんな背広を着ても直に見抜かれる。
徳を積む、感謝の心を持つ、情報・知識を驕らない。
仏のように人へ愛情を注ぎ続ける教育。
「与える木」の如く。このような人間像を目指す教育が今、必要だ。
本当に人に愛を注ぐことが出来れば、「勝ち組、負け組み」なんて言葉も
言わないでしょう。
本当に愛情を注いで入れば、可笑しな格付けランキングも不要です。
仏に人は頼っていきます。誰しもいつかは。
人は生きているうちに仏になる。これが目的です。
私の言う仏は「ペレストロイカ」に書いた仏です。
つまり、自然です。自然が神仏だとMy Syntaxには書いてあります。
大学入試の小論文の真髄はここが柱です。面接も然り。
すべてがここに収束します。
苦しみ、悲しみの中に、この生き仏になる心を習得することが、
喜び、楽しみを生み出します。
しかし、人間はまた驕り、苦境に陥り、仏になるのです。
人生、この繰り返しです。わかっていれば、乗り越えられる。
力なく、彷徨えば、終焉。
持ちこたえることが出来れば無意識に苦楽を繰り返す。
それでも、大学入試は自分のためですか。
この文を読めば違うでしょう。
仏に近づくために1年間の試練があるのです。
毎日、書き続けて下さい。自分の思いと、社会の思いを。
見えてきますよ。各科目の学習目的が。
すべてが小論文に集約されます。
そうです。小論文は神つまり自然を知る学問入門なのです。
神・仏について毎日、時間を惜しまず、書いて下さい。
ありのままを。当たり前とは何か見えてきます。
私も疲れたときに文を書き、仏に近づきます。
ならば、答えが出てきます。
生かされている自分がすべき方向が。
世の中の舵を岸に辿り着くように、方向転換すべきは私たち大人と
キミたち子供たちです。
その大人と子供の境は、「独立自尊の精神」、「実学」、「仏の心」を持つか
持たないかにあります。
大学も高校・・・も予備校も、戦後60年集団から個へ向かっていましたが、
360度回転し、ステージを一つ上げて、「個の集団化」を旗に掲げ、次世代
社会作りが、見えないところで始まっています。
キミはそれが見えますか。
written by Hiroshi Kimura
GES進学予備校
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