ちょっと前の話になりますが、核兵器がらみの議論をすべきだという政治家に対して野党さんとかが議論するのもケシカランとか言った件について。
総論として、核兵器という兵器を実戦で使用することにはおおむね反対ですが、私の基本的立場は完全に議論肯定派です。とにかく、議論すらいかんというのは危険きわまりない。どんな問題でも原理主義化するとロクなことになりません。
なぜ核武装してはならないのか。「唯一の被爆国だから」ではなんの説明にもなっていません。事実日本政府はアメリカや中国やロシアなどが核武装している事実に対してはほとんど何の公式な非難も行っていないように見えますし(それともこっそり非難しているんですかね?)、アメリカのスミソニアン博物館のB-29展示とかに対して抗議したという話も聞きません(これもやっぱり聞こえないように抗議してるんですかね?)。インドに対抗して核実験を行ったパキスタンに対しても、ちょろちょろっとなんか言ってた感じがしましたが、「我が国は日本のように被爆国にならないために核武装するのだ」と言われてそのまま黙っちゃったみたいな感じがあります。
韓国の反日ネティズン(笑)の諸君も、「地球は丸い」と同じようなトーンで「チョッパリは悪い」と教えられたまま何の疑いもなく信じ込んでいたところ、インターネットの翻訳掲示板とかで小賢しいチョッパリに歴史上のEvidenceを提示しつつ反論されたらみんな黙っちゃったみたいな状況がありますが、これも似たような現象でしょう。
少なくとも人間の唱える理論には、どんなに自明の理と思われることにも、それなりの理由、誰が展開しても再現性のあるロジックというものがあります(そのロジックがいつも正しいとはかぎりませんが)。それがないような理論にはそもそも説得力はありません。私はテツガクの人間なので、そのへんにはけっこうこだわりがあります。
そもそも、文化相対論的な時代である現代においては、「自明の理」というものはあんまりないですよね。しかし日本人は、きちんとした議論を経てロジックを構築する作業を嫌がりますねえ。って、他国民に直接統計とったことがないのでこれが日本特有かどうかわかりません。そういえば韓国とかもすぐ「妄言ニダ!!」とか言って議論から逃げますね。少なくとも韓国の事情としては、古来の朝鮮では公的な議論に負けることは比喩でなく死を意味する状況というのがしばしばあったということで、大声を上げて罵倒するといった場外乱闘ノーコンテスト的逃げを打つということも文化として確立しています。日本も大同小異なのかもしれませんね。
「どうして核武装がいけないのか」という議論すら満足にできない国が唯一の被爆国として世界平和のどーのこーのなんて私のような地球市民から見ればちゃんちゃら可笑しいってな感じです。同時にわれわれも、子供に「なぜ人を殺してはいけないのか」とかいった問いにちゃんとロジックを紡げるようにしておくべきですね。
写真はカボチャの煮付け。照りがでていい案配ですな。
総論として、核兵器という兵器を実戦で使用することにはおおむね反対ですが、私の基本的立場は完全に議論肯定派です。とにかく、議論すらいかんというのは危険きわまりない。どんな問題でも原理主義化するとロクなことになりません。
なぜ核武装してはならないのか。「唯一の被爆国だから」ではなんの説明にもなっていません。事実日本政府はアメリカや中国やロシアなどが核武装している事実に対してはほとんど何の公式な非難も行っていないように見えますし(それともこっそり非難しているんですかね?)、アメリカのスミソニアン博物館のB-29展示とかに対して抗議したという話も聞きません(これもやっぱり聞こえないように抗議してるんですかね?)。インドに対抗して核実験を行ったパキスタンに対しても、ちょろちょろっとなんか言ってた感じがしましたが、「我が国は日本のように被爆国にならないために核武装するのだ」と言われてそのまま黙っちゃったみたいな感じがあります。
韓国の反日ネティズン(笑)の諸君も、「地球は丸い」と同じようなトーンで「チョッパリは悪い」と教えられたまま何の疑いもなく信じ込んでいたところ、インターネットの翻訳掲示板とかで小賢しいチョッパリに歴史上のEvidenceを提示しつつ反論されたらみんな黙っちゃったみたいな状況がありますが、これも似たような現象でしょう。
少なくとも人間の唱える理論には、どんなに自明の理と思われることにも、それなりの理由、誰が展開しても再現性のあるロジックというものがあります(そのロジックがいつも正しいとはかぎりませんが)。それがないような理論にはそもそも説得力はありません。私はテツガクの人間なので、そのへんにはけっこうこだわりがあります。
そもそも、文化相対論的な時代である現代においては、「自明の理」というものはあんまりないですよね。しかし日本人は、きちんとした議論を経てロジックを構築する作業を嫌がりますねえ。って、他国民に直接統計とったことがないのでこれが日本特有かどうかわかりません。そういえば韓国とかもすぐ「妄言ニダ!!」とか言って議論から逃げますね。少なくとも韓国の事情としては、古来の朝鮮では公的な議論に負けることは比喩でなく死を意味する状況というのがしばしばあったということで、大声を上げて罵倒するといった場外乱闘ノーコンテスト的逃げを打つということも文化として確立しています。日本も大同小異なのかもしれませんね。
「どうして核武装がいけないのか」という議論すら満足にできない国が唯一の被爆国として世界平和のどーのこーのなんて私のような地球市民から見ればちゃんちゃら可笑しいってな感じです。同時にわれわれも、子供に「なぜ人を殺してはいけないのか」とかいった問いにちゃんとロジックを紡げるようにしておくべきですね。
写真はカボチャの煮付け。照りがでていい案配ですな。