戦争論
http://antonin.exblog.jp/6077173
安敦氏は、旧YOMINET(読売新聞社のポータルサイト。後にヨミウリオンラインに取って代わられた)時代からの知り合いでありまして、相当に強力な論客です。
この文章においてもいろいろな思惟をかき立てられました。
最初に結論めいたことを言えば、上記の議論には総論としては賛成であり各論としては「?」であります。比喩的に言えば、アプリケーション層の議論では賛成ですが物理層の議論ではツッコミどころ多しといった案配でしょうか。
日本という国は、少なくとも当面はいわゆるシーパワー系国家として生きていかなくてはアカン国ですから、権謀術数とかヒキョーな外交戦略とか使ってでも平和にやらなきゃいかんのが基本です。ランドパワー系国家がコワモテで威張っていればいい(いなければいけない?)のとは大きく違いますな。
そういう意味で、憲法9条という法律は大変便利で経済的な法律です。ベトナム戦争みたいな状況が生じても同盟国に合力しなくてもいいわけですし、この憲法はほかならぬ宗主国様に押しつけられたものなので、と言えば世界のジャイアンであるアメリカも沈黙せざるを得ませんしね。そういう意味では私はこの条項は残した方がいいのではないかと思っています。ただ、この憲法の有効性はあくまでもアメリカとの安保を前提としないと成立しない非常に脆弱なものと言わざるを得ません。この前提のもとで「平和」という理念ばかりでは説得力のあるロジックにはならないでしょう。
護「憲法9条」派の意見の多くは、理念的かつ原理主義的になってしまっていて説得力に乏しいところがあります。たとえば情報セキュリティの世界では、「リスク」とは「情報資産」×「脅威」×「脆弱性」によって定義されますが、これはそのまま安全保障のメタファーとしてもとらえることができます。憲法9条というのは、「脅威がゼロであると見なすことによって脆弱性をあえて保持すること」をその具体的方法として定義しています。しかしこの方法には問題があります。つまり、「脅威」の存在は日本以外の国に依存する問題なので、いくら日本人ががんばってもこれを操作することが主体的にはできないということです。これを操作するとすれば、軍事的な方法以外――たとえばワイルドカード使用可のデスノートとか――によって日本に対する脅威となりそうな勢力を根こそぎ絶滅させちゃうとか、そういう方法によってリスクを低減させることが可能です。
あと、「資産」をゼロにする方法なら日本の主体的判断でできます。つまり、国家を荒廃させて、現在のイラクとかアフガニスタンみたいな状況にすれば、どの国も好きこのんでそんな国に侵攻しなくなりますね。まあ非現実的な話はこれくらいにしますが、憲法9条という理念的な法規を本気で運用しようとすると、相当にいろいろな問題点を覚悟する必要があるということです。
もし現在、憲法改正するので9条を残すか削除するかどっちか決めろと言われたとしたら、私もかなり考え込んでしまいます。ほかならぬアメリカ様に押しつけられたから……という体のいい言い訳も60年もたつとそろそろ苦しいものがありますし、また自衛隊が「戦力でない」と言い張るのも、防衛戦争は武力行使じゃないし交戦権とも関係ないというのも現実から乖離したものと言わざるを得ないでしょう。
私としては落としどころとして、9条に第3項以下を設けていろいろ但し書きを入れるとか、海外派兵は必ず国連安保理の全会一致がないとしてはならないとかいったシバリを入れるとか、そのあたりの現実に即した項目にするという案でしょうね。ダメですかね。
私は地球市民なので地球市民的な視点で話をしますが、たしかに憲法9条の理念は人類全体に展開するべきものだとは思います。特に、アメリカとかチャイナみたいに軍事的圧力を国家政策の主柱にしている国には特に採用させるべきですな。でもおそらく、アメリカやチャイナは憲法9条を採用しないと思います。その理由は護「憲法9条」派の方々が考えてみるべきでしょう。
そして護「憲法9条」派の方々に課せられた地球市民的使命は、現在紛争を起こしている当事国である北朝鮮やイスラエルなどにこの憲法条項を採用するよう働きかけることですね。私は無理だと思いますけど。
実は、この憲法条項には致命的欠点があるのです。それは、この憲法は、軍事的・政治的に完全制圧された国が他律的な圧力によってしか採用できない可能性が非常に高いという点ですね。しかし、もし日本の護「憲法9条」派の方々が見事にじょんいるを説得して北朝鮮にこの憲法を採用させたら、私はただちに謝るですよ?
まあがんばれ無防備マン! キミならできるっぽい気がする!!
写真はスープギョウザ。中華街の肉ちまきと一緒に食べましたデスヨ。
http://antonin.exblog.jp/6077173
安敦氏は、旧YOMINET(読売新聞社のポータルサイト。後にヨミウリオンラインに取って代わられた)時代からの知り合いでありまして、相当に強力な論客です。
この文章においてもいろいろな思惟をかき立てられました。
最初に結論めいたことを言えば、上記の議論には総論としては賛成であり各論としては「?」であります。比喩的に言えば、アプリケーション層の議論では賛成ですが物理層の議論ではツッコミどころ多しといった案配でしょうか。
日本という国は、少なくとも当面はいわゆるシーパワー系国家として生きていかなくてはアカン国ですから、権謀術数とかヒキョーな外交戦略とか使ってでも平和にやらなきゃいかんのが基本です。ランドパワー系国家がコワモテで威張っていればいい(いなければいけない?)のとは大きく違いますな。
そういう意味で、憲法9条という法律は大変便利で経済的な法律です。ベトナム戦争みたいな状況が生じても同盟国に合力しなくてもいいわけですし、この憲法はほかならぬ宗主国様に押しつけられたものなので、と言えば世界のジャイアンであるアメリカも沈黙せざるを得ませんしね。そういう意味では私はこの条項は残した方がいいのではないかと思っています。ただ、この憲法の有効性はあくまでもアメリカとの安保を前提としないと成立しない非常に脆弱なものと言わざるを得ません。この前提のもとで「平和」という理念ばかりでは説得力のあるロジックにはならないでしょう。
護「憲法9条」派の意見の多くは、理念的かつ原理主義的になってしまっていて説得力に乏しいところがあります。たとえば情報セキュリティの世界では、「リスク」とは「情報資産」×「脅威」×「脆弱性」によって定義されますが、これはそのまま安全保障のメタファーとしてもとらえることができます。憲法9条というのは、「脅威がゼロであると見なすことによって脆弱性をあえて保持すること」をその具体的方法として定義しています。しかしこの方法には問題があります。つまり、「脅威」の存在は日本以外の国に依存する問題なので、いくら日本人ががんばってもこれを操作することが主体的にはできないということです。これを操作するとすれば、軍事的な方法以外――たとえばワイルドカード使用可のデスノートとか――によって日本に対する脅威となりそうな勢力を根こそぎ絶滅させちゃうとか、そういう方法によってリスクを低減させることが可能です。
あと、「資産」をゼロにする方法なら日本の主体的判断でできます。つまり、国家を荒廃させて、現在のイラクとかアフガニスタンみたいな状況にすれば、どの国も好きこのんでそんな国に侵攻しなくなりますね。まあ非現実的な話はこれくらいにしますが、憲法9条という理念的な法規を本気で運用しようとすると、相当にいろいろな問題点を覚悟する必要があるということです。
もし現在、憲法改正するので9条を残すか削除するかどっちか決めろと言われたとしたら、私もかなり考え込んでしまいます。ほかならぬアメリカ様に押しつけられたから……という体のいい言い訳も60年もたつとそろそろ苦しいものがありますし、また自衛隊が「戦力でない」と言い張るのも、防衛戦争は武力行使じゃないし交戦権とも関係ないというのも現実から乖離したものと言わざるを得ないでしょう。
私としては落としどころとして、9条に第3項以下を設けていろいろ但し書きを入れるとか、海外派兵は必ず国連安保理の全会一致がないとしてはならないとかいったシバリを入れるとか、そのあたりの現実に即した項目にするという案でしょうね。ダメですかね。
私は地球市民なので地球市民的な視点で話をしますが、たしかに憲法9条の理念は人類全体に展開するべきものだとは思います。特に、アメリカとかチャイナみたいに軍事的圧力を国家政策の主柱にしている国には特に採用させるべきですな。でもおそらく、アメリカやチャイナは憲法9条を採用しないと思います。その理由は護「憲法9条」派の方々が考えてみるべきでしょう。
そして護「憲法9条」派の方々に課せられた地球市民的使命は、現在紛争を起こしている当事国である北朝鮮やイスラエルなどにこの憲法条項を採用するよう働きかけることですね。私は無理だと思いますけど。
実は、この憲法条項には致命的欠点があるのです。それは、この憲法は、軍事的・政治的に完全制圧された国が他律的な圧力によってしか採用できない可能性が非常に高いという点ですね。しかし、もし日本の護「憲法9条」派の方々が見事にじょんいるを説得して北朝鮮にこの憲法を採用させたら、私はただちに謝るですよ?
まあがんばれ無防備マン! キミならできるっぽい気がする!!
写真はスープギョウザ。中華街の肉ちまきと一緒に食べましたデスヨ。