どうして私たちは東京の地名をそんなふうにしか知らないのだろう?
それを考えるのは後回しにしよう。もう一つ、築地を通り抜けて隅田川の岸辺に立って気がついたのは、押井作品の東京には具体的な地名がほとんど出てこないということだ。
具体的な場所が描かれていないわけではない。逆で、劇場版『パトレイバー』シリーズに関するかぎり、緻密なロケハンを経て描かれているだけあって、「東京風だけれどもじつはどこにも実在しない場所」というのはあまりないのではないだろうか。『パトレイバー2』では、東京駅、渋谷駅前、西武線の踏切などが具体的に細かく描かれていた(現実の二〇〇二年にはもう見ることのできなくなっていた景観も含まれているのだけど)。また、押井守自身やスタッフが設定を明かしているばあいもあるし、映像を見れば場所が特定できるところもある。南雲しのぶの家は世田谷区の成城だという話を聞いたこともある。ほんとうにそういう設定かどうかは知らないけれど、起伏があって一戸建ての住宅が多い地区となると、世田谷区か目黒区あたりの高級住宅地だろう。東京をよく知り抜いている人ならば、『パトレイバー1』や『2』に出てくる場所をもっと多く特定できるだろうと思う。
けれども、『パトレイバー2』で具体的な地名が出てくるのは、ほんのちょっとだけ駅名標が映る場面などを除くと、飛行船が墜落する新宿と、埋め立て地に突入する結節点になっている新橋ぐらいではないだろうか。篠原重工の工場がある八王子は、地名としては出てくるが、篠原の工場以外の場所は描かれない。
押井守作品の東京は、詳細な具体性をもって描かれながら、そこがどこかということに明確に言及されることのない場所―そういう場所の集積体なのだ。
東京駅近くの常盤橋
首都高の橋脚で目立たなくなっているが、なかなか端整な橋である。江戸時代にはここには常盤橋門という門があったそうで、上はその遺構である。常盤橋門から江戸城までのあいだに、いま東京駅が割りこんでいるわけだ。
その常盤橋近くに建つ渋沢栄一の銅像。渋沢栄一は東京開発に熱意を燃やした人で、藤森照信さんにたしか「東京を私造したかった人の伝」という伝記があったと思う。
私たちは東京の地名をいくつも知っている。東京から遠いところに住んでいて、東京を一度も訪れたことのない人でも―かつて私もそうだった―、渋谷、新宿、池袋、上野、浅草、秋葉原、有明ぐらいは知っているだろう(いや、まあ、秋葉原と有明は知っている人は限られるかも知れないけど)。しかし、そうやって名まえだけを知っている東京の土地がじっさいにどういう位置関係に並んでいるかは、あんがい知らない。東京に十年や二十年住んでいる人でも、名まえだけはよく知っている東京の土地がじっさいにどこにあるのかをそれほどは熟知していないのではないか(例題。地図を見ないで牛込と馬込と駒込の位置関係を説明してみましょう)。「ポストモダン」思想用語を使えば、東京は、地名という「シニフィアン」(指し示すもの)と、その土地がどこにあって他の土地とどういう位置関係にあるのかという「シニフィエ」(指し示されるもの)がなかなか一致しない都市なのかも知れない。
そうなった理由というのは、しかし、わりと容易に考えつく。
まず、東京は日本の他の都市と較べて格段に広いということがある。山手線の一周が三五キロ程度、それに対して、同じように大阪市の中心部をめぐっている大阪環状線が二一キロだ。しかも山手線の東側にも広く江戸時代以来の街区は広がっている。都営地下鉄大江戸線の環状部分が二八キロほどだが、大江戸線は池袋など山手線の北半分をカバーしていない。
そういう広い都市なので、通勤・通学で東京を移動している人でも、その人が動いているのはその東京の一部分に過ぎないことが多い。渋谷や新宿を乗換駅にしている人は上野のほうにはなかなか行く機会がないかも知れない。もしかすると、新宿から山手線で一〇分以内で行ける池袋にもめったに行かないかも知れない。しかも、渋谷、新宿、池袋などは、その街だけで何でも揃う街なので、他の街に行く必要がない。それも通勤・通学で東京を移動する人たちの動く範囲を限定してしまっているかも知れない。
日本橋川と神田川の合流点。『パトレイバー2』で、しのぶは柘植の部下にこのあたりまで連れて行かれたものと思われる。
ジェイアール御茶ノ水駅、遠くに日本一の「萌え」街秋葉原が見える。ちなみに聖橋のすぐ近くにこの本の印刷所である日光企画お茶の水店がある。いつもお世話になっています。
六本木ヒルズから見た新宿。
また、東京は城下町だったこともあって、道が込み入っている。道どうしが直角に交わっていないところもたくさんある。
近代都市も、京都や大阪のような古代都市も、街は「碁盤の目」状に作られている。京都ならば、三条通とか四条通とかの東西の道は必ず東西に走っているし、烏丸通りのような南北の道は必ず南北に走っている。ところが東京は必ずしもそうはなっていない。東京の道は、同じ名まえの道が東を向いたり北を向いたり南を向いたりする。浅い角度で分岐したはずの道がいつの間にかまったく違う方向に向かっていることもある。自動車で移動するばあいには、さらに一方通行規制がかかるので、迂回しなければならなくなり、それが土地勘を狂わせる。だから東京では方角や距離がつかみにくいのだ。
さらに、東京の地名は日常的に全国に向けて多く語られている。ニュース番組でも娯楽番組でも、東京で起こったことは「六本木」とか「神楽坂」とかいう地名つきで流されることが多い。明治時代の文学作品から時代小説、現代の小説やエッセイまで、東京の地名は数多く出てくる。自分自身がかかわりを持つことなどまずないであろう土地の名に、ニュースや文学作品を媒介にして、私たちは頻繁に接している。でも、そういう接しかたでは、六本木の南が麻布に、北が赤坂に、北西が青山につながっているということはなかなかわからない。
東京の地名を知る機会は多いが、じっさいに訪れて実地にその土地を知る機会は少ない。道が入り組んでいるので場所どうしの関係もつかみにくい。それが、東京について「名のみ語られて実体の定かでない土地」を増やすきっかけになっている。名まえは知っていてもそれがどうつながっているかわからないダンジョンのような都市なのだ。
押井守は都市としての東京のそのダンジョン的性格を作品づくりに利用している。
文京区茗荷谷の庚申坂。『紅い眼鏡』で紅一が上る坂である。前に見えるのは東京地下鉄の茗荷谷の操車場だ。紅一が見上げるとこの坂の上に少女の巨大な看板が見えるのだが、実際にはこの坂の上には中学校がある(上の写真の奥のほうに見えている)。なお、撮影日記にある「キリシタン坂」というのは正確には線路をはさんで反対側の坂の名まえである。
押井守は、『パトレイバー』シリーズや『紅い眼鏡』で、東京に住む人や東京によく来る人ならば見慣れているはずなのに、どこだか思い出せない景観を多用した。それをつなぎ合わせることで、「見慣れているはずなのにどこだかわからない街」を映像として作り上げたのだ。
『紅い眼鏡』では、押井守は、東京のいろいろな土地の景観をひと続きにつなげることで、魔都的な異様な空間を演出している。たとえば、紅一が「紅い少女」の大きな看板を見上げるのは、地下鉄丸ノ内線茗荷谷駅近くの庚申坂、「紅い少女」に出会ってそのあとを追いかけるのは中央線三鷹駅の操車場の陸橋である(そのほかに、映画館は山形県上山市、ホテルは横浜、空港の一部は新百合ヶ丘など、東京以外の都市も使っているが)。この二つの場所は電車で一時間近く離れているし、続いて出てくる新百合ヶ丘の新興住宅地もかなり離れている。遠く離れた場所をひと続きの場所として見せること自体は、映画やドラマではよく行われる方法だ。ただ、『紅い眼鏡』では、そういう都市の景観を、セリフのないままに連続してつなげて観せることで、「よく知っているはずなのによそよそしい街」、「三年ぶりに帰ってきた者が入りこむことのできない街」の感覚を演出している。
また、『パトレイバー』シリーズでは、水路を使うことで、ふだん見ている東京とは違う見知らぬ場所の感じを演出している。水路沿いの風景は、東京に住んでいれば、橋を渡るときなどにちらっと見かけはするが、たぶんすぐに忘れてしまう。そのすぐに忘れてしまう風景を中心に据える。『パトレイバー2』の決起前夜のしのぶの道行きの場面では、水路からの風景だけを見せ、私たちがふだんから見慣れている都市の風景は見せていない。しのぶが連れて行かれた水路が日本橋川だとすれば、兜町証券街のすぐ裏を通り、三越の下を通り、東京駅と神田駅のあいだを抜け、おそらく後楽園近くまで行っているのだけれど、そういう都市の景観はまったく描かれていない。それによって、押井守は「他人の街」としての東京を描き出したのだ。
押井守が描く東京は、親しみを感じるが入りこむことのできない都市、自分の街のように思っているけれどもじつは自分の居場所のない都市のように思える。それを支えているのが、場所の固有名を出さず、多くの人が見ている視点以外から、しかし多くの人の目に接しているはずの東京を描くという方法だった。
その方法が、『攻殻機動隊』・『イノセンス』・『Avalon』のような実在しない都市の描写や、『Stray Dog』(『ケルベロス地獄の番犬』)の台湾の描写にどう引き継がれているのかは、これから考えてみたいと思う。
ともかく、道に迷ったことから始まった、東京を歩きながら押井作品を考える旅で考えたのはこんなことだった。
紅一が少女を見かけ、追いかける三鷹の陸橋。私が行ったときには、ご近所のお子さまたちが親御さんといっしょに電車を見ていた。私も、子どものころ、最寄り駅の陸橋に連れて行ってもらい、汽車(蒸気機関車)を飽きずに眺めていた思い出がある(そういう時代だったのだ)。それにしてもこうやって見ているとどうしてジェイアールの電車はたくさん来るんだろう? 駅で待っていてもちっとも来ないのに。左は三鷹駅。いわゆる「M駅」である。この本には関係ないけど。それでは、ごきげんよう!
(終)
それを考えるのは後回しにしよう。もう一つ、築地を通り抜けて隅田川の岸辺に立って気がついたのは、押井作品の東京には具体的な地名がほとんど出てこないということだ。
具体的な場所が描かれていないわけではない。逆で、劇場版『パトレイバー』シリーズに関するかぎり、緻密なロケハンを経て描かれているだけあって、「東京風だけれどもじつはどこにも実在しない場所」というのはあまりないのではないだろうか。『パトレイバー2』では、東京駅、渋谷駅前、西武線の踏切などが具体的に細かく描かれていた(現実の二〇〇二年にはもう見ることのできなくなっていた景観も含まれているのだけど)。また、押井守自身やスタッフが設定を明かしているばあいもあるし、映像を見れば場所が特定できるところもある。南雲しのぶの家は世田谷区の成城だという話を聞いたこともある。ほんとうにそういう設定かどうかは知らないけれど、起伏があって一戸建ての住宅が多い地区となると、世田谷区か目黒区あたりの高級住宅地だろう。東京をよく知り抜いている人ならば、『パトレイバー1』や『2』に出てくる場所をもっと多く特定できるだろうと思う。
けれども、『パトレイバー2』で具体的な地名が出てくるのは、ほんのちょっとだけ駅名標が映る場面などを除くと、飛行船が墜落する新宿と、埋め立て地に突入する結節点になっている新橋ぐらいではないだろうか。篠原重工の工場がある八王子は、地名としては出てくるが、篠原の工場以外の場所は描かれない。
押井守作品の東京は、詳細な具体性をもって描かれながら、そこがどこかということに明確に言及されることのない場所―そういう場所の集積体なのだ。
東京駅近くの常盤橋
首都高の橋脚で目立たなくなっているが、なかなか端整な橋である。江戸時代にはここには常盤橋門という門があったそうで、上はその遺構である。常盤橋門から江戸城までのあいだに、いま東京駅が割りこんでいるわけだ。
その常盤橋近くに建つ渋沢栄一の銅像。渋沢栄一は東京開発に熱意を燃やした人で、藤森照信さんにたしか「東京を私造したかった人の伝」という伝記があったと思う。
私たちは東京の地名をいくつも知っている。東京から遠いところに住んでいて、東京を一度も訪れたことのない人でも―かつて私もそうだった―、渋谷、新宿、池袋、上野、浅草、秋葉原、有明ぐらいは知っているだろう(いや、まあ、秋葉原と有明は知っている人は限られるかも知れないけど)。しかし、そうやって名まえだけを知っている東京の土地がじっさいにどういう位置関係に並んでいるかは、あんがい知らない。東京に十年や二十年住んでいる人でも、名まえだけはよく知っている東京の土地がじっさいにどこにあるのかをそれほどは熟知していないのではないか(例題。地図を見ないで牛込と馬込と駒込の位置関係を説明してみましょう)。「ポストモダン」思想用語を使えば、東京は、地名という「シニフィアン」(指し示すもの)と、その土地がどこにあって他の土地とどういう位置関係にあるのかという「シニフィエ」(指し示されるもの)がなかなか一致しない都市なのかも知れない。
そうなった理由というのは、しかし、わりと容易に考えつく。
まず、東京は日本の他の都市と較べて格段に広いということがある。山手線の一周が三五キロ程度、それに対して、同じように大阪市の中心部をめぐっている大阪環状線が二一キロだ。しかも山手線の東側にも広く江戸時代以来の街区は広がっている。都営地下鉄大江戸線の環状部分が二八キロほどだが、大江戸線は池袋など山手線の北半分をカバーしていない。
そういう広い都市なので、通勤・通学で東京を移動している人でも、その人が動いているのはその東京の一部分に過ぎないことが多い。渋谷や新宿を乗換駅にしている人は上野のほうにはなかなか行く機会がないかも知れない。もしかすると、新宿から山手線で一〇分以内で行ける池袋にもめったに行かないかも知れない。しかも、渋谷、新宿、池袋などは、その街だけで何でも揃う街なので、他の街に行く必要がない。それも通勤・通学で東京を移動する人たちの動く範囲を限定してしまっているかも知れない。
日本橋川と神田川の合流点。『パトレイバー2』で、しのぶは柘植の部下にこのあたりまで連れて行かれたものと思われる。
ジェイアール御茶ノ水駅、遠くに日本一の「萌え」街秋葉原が見える。ちなみに聖橋のすぐ近くにこの本の印刷所である日光企画お茶の水店がある。いつもお世話になっています。
六本木ヒルズから見た新宿。
また、東京は城下町だったこともあって、道が込み入っている。道どうしが直角に交わっていないところもたくさんある。
近代都市も、京都や大阪のような古代都市も、街は「碁盤の目」状に作られている。京都ならば、三条通とか四条通とかの東西の道は必ず東西に走っているし、烏丸通りのような南北の道は必ず南北に走っている。ところが東京は必ずしもそうはなっていない。東京の道は、同じ名まえの道が東を向いたり北を向いたり南を向いたりする。浅い角度で分岐したはずの道がいつの間にかまったく違う方向に向かっていることもある。自動車で移動するばあいには、さらに一方通行規制がかかるので、迂回しなければならなくなり、それが土地勘を狂わせる。だから東京では方角や距離がつかみにくいのだ。
さらに、東京の地名は日常的に全国に向けて多く語られている。ニュース番組でも娯楽番組でも、東京で起こったことは「六本木」とか「神楽坂」とかいう地名つきで流されることが多い。明治時代の文学作品から時代小説、現代の小説やエッセイまで、東京の地名は数多く出てくる。自分自身がかかわりを持つことなどまずないであろう土地の名に、ニュースや文学作品を媒介にして、私たちは頻繁に接している。でも、そういう接しかたでは、六本木の南が麻布に、北が赤坂に、北西が青山につながっているということはなかなかわからない。
東京の地名を知る機会は多いが、じっさいに訪れて実地にその土地を知る機会は少ない。道が入り組んでいるので場所どうしの関係もつかみにくい。それが、東京について「名のみ語られて実体の定かでない土地」を増やすきっかけになっている。名まえは知っていてもそれがどうつながっているかわからないダンジョンのような都市なのだ。
押井守は都市としての東京のそのダンジョン的性格を作品づくりに利用している。
文京区茗荷谷の庚申坂。『紅い眼鏡』で紅一が上る坂である。前に見えるのは東京地下鉄の茗荷谷の操車場だ。紅一が見上げるとこの坂の上に少女の巨大な看板が見えるのだが、実際にはこの坂の上には中学校がある(上の写真の奥のほうに見えている)。なお、撮影日記にある「キリシタン坂」というのは正確には線路をはさんで反対側の坂の名まえである。
押井守は、『パトレイバー』シリーズや『紅い眼鏡』で、東京に住む人や東京によく来る人ならば見慣れているはずなのに、どこだか思い出せない景観を多用した。それをつなぎ合わせることで、「見慣れているはずなのにどこだかわからない街」を映像として作り上げたのだ。
『紅い眼鏡』では、押井守は、東京のいろいろな土地の景観をひと続きにつなげることで、魔都的な異様な空間を演出している。たとえば、紅一が「紅い少女」の大きな看板を見上げるのは、地下鉄丸ノ内線茗荷谷駅近くの庚申坂、「紅い少女」に出会ってそのあとを追いかけるのは中央線三鷹駅の操車場の陸橋である(そのほかに、映画館は山形県上山市、ホテルは横浜、空港の一部は新百合ヶ丘など、東京以外の都市も使っているが)。この二つの場所は電車で一時間近く離れているし、続いて出てくる新百合ヶ丘の新興住宅地もかなり離れている。遠く離れた場所をひと続きの場所として見せること自体は、映画やドラマではよく行われる方法だ。ただ、『紅い眼鏡』では、そういう都市の景観を、セリフのないままに連続してつなげて観せることで、「よく知っているはずなのによそよそしい街」、「三年ぶりに帰ってきた者が入りこむことのできない街」の感覚を演出している。
また、『パトレイバー』シリーズでは、水路を使うことで、ふだん見ている東京とは違う見知らぬ場所の感じを演出している。水路沿いの風景は、東京に住んでいれば、橋を渡るときなどにちらっと見かけはするが、たぶんすぐに忘れてしまう。そのすぐに忘れてしまう風景を中心に据える。『パトレイバー2』の決起前夜のしのぶの道行きの場面では、水路からの風景だけを見せ、私たちがふだんから見慣れている都市の風景は見せていない。しのぶが連れて行かれた水路が日本橋川だとすれば、兜町証券街のすぐ裏を通り、三越の下を通り、東京駅と神田駅のあいだを抜け、おそらく後楽園近くまで行っているのだけれど、そういう都市の景観はまったく描かれていない。それによって、押井守は「他人の街」としての東京を描き出したのだ。
押井守が描く東京は、親しみを感じるが入りこむことのできない都市、自分の街のように思っているけれどもじつは自分の居場所のない都市のように思える。それを支えているのが、場所の固有名を出さず、多くの人が見ている視点以外から、しかし多くの人の目に接しているはずの東京を描くという方法だった。
その方法が、『攻殻機動隊』・『イノセンス』・『Avalon』のような実在しない都市の描写や、『Stray Dog』(『ケルベロス地獄の番犬』)の台湾の描写にどう引き継がれているのかは、これから考えてみたいと思う。
ともかく、道に迷ったことから始まった、東京を歩きながら押井作品を考える旅で考えたのはこんなことだった。
紅一が少女を見かけ、追いかける三鷹の陸橋。私が行ったときには、ご近所のお子さまたちが親御さんといっしょに電車を見ていた。私も、子どものころ、最寄り駅の陸橋に連れて行ってもらい、汽車(蒸気機関車)を飽きずに眺めていた思い出がある(そういう時代だったのだ)。それにしてもこうやって見ているとどうしてジェイアールの電車はたくさん来るんだろう? 駅で待っていてもちっとも来ないのに。左は三鷹駅。いわゆる「M駅」である。この本には関係ないけど。それでは、ごきげんよう!
(終)