[WWF]へーげる奥田の空談言説

サークル「WWF」主宰・へーげる奥田が適当に告知したり興味の対象について論じたりするウェブログである。

憲法9条についての子供だましな話

2005-08-29 00:35:14 | Weblog

こないだ奥さんの買っている「通販生活」に、なんだか岩波の憲法9条がどうだかこうだかという、一昔前の特定思想団体のアジテーション冊子みたいなのがついていたみたいなんですけどねえ。「憲法を変えて戦争へ行こう」。どうなんでしょうか。

こういった「リベラル」(なんだか保守なんだか知りませんけど)の特徴は、何だか自分以外のすべての人がみんな知能が低いと決めてかかっているような印象を受けます。子供に説明するように懇切丁寧な語り口調で書いてるんですが、その実説得力のあるロジックが構築しきれておらず、なんだか子供だましに終わっているからでしょうか。

こちらが武力行使をやめたと言ったから他国が侵略をやめるという考えは非現実的の一言で終わりです。1990年代以前は、セキュリティという問題は、オトナが勤務時間中にまじめな顔して語る問題じゃないというのが一般的な日本人の認識でした。こういう意見をもった人たちは、どうもその時代で脳が硬化しちゃってるみたいな感じを受けます。

現実の話をすれば、2005年の現代はもうそういう時代ではありません。会社でも「セキュリティ」という言葉が通常の業務と同じ次元で語られる時代です。左巻きの人も、子供だましばっかり言ってないで、もっと論理的に説得力のあることを言わないとどんどん時代から取り残されていくばかりのような気がします。

情報セキュリティの世界の例で言いますと、「リスク」というものは、「守るべき情報資産」と、「それを脅かす脅威」、そして脅威に対する「脆弱性」の3つの要素から構成されます。この3つの構成要素のどれかを操作することで「リスク」に対応するのが情報セキュリティの目的です。日本には、「守るべき資産」があり、近隣にはチャイナやコリアなどの危険な「脅威」があります。そこにあって「脆弱性」を大きくするという議論には、それなりの説得力が必要です。

「憲法9条がなくなると戦争ですよ」「憲法9条がなくなれば徴兵ですよ」「どんな形でも戦争はよくないし絶対に人を殺すのはいけないことです」ばっかりでは、子供(および子供並の知能の人)以外は説得されてくれません。憲法9条を断固として守り、武力による脅威に対して絶対に武力による対応を行わなかった場合、日本という国家が消滅する可能性があります。コリアやチャイナには日本を「属国」化したくてしたくてたまらない方々がいっぱいいますし。しかも覇権主義的ランドパワーの思考習慣をもつチャイナの傾向は危険度を増すばかりで、コリアはアメリカから離れ、急速にチャイナ接近の傾向にあります(というか迷走中というところですが)。憲法9条が左巻きの人たちがいうような人類普遍の立派な憲法なんだったら、チャイナやコリアにこの条文を憲法に取り入れるよう要請してみるといいのではないかと思います。私は「地球市民」なので、チャイナやコリアやアメリカこそこの条文を採用するべきだと思いますよ。100%絶対に採用しないと思いますけど。

私は、憲法9条は強化する方向で改正するのがいいと思っています。なぜなら、それが経済的な法律だからです。この条文のおかげでアメリカの派兵要請をはねつけることができる訳ですし、アメリカは文句を言いたくても自分が日本に押しつけたものですから怒りたくても怒れないのでいい気味ですな。

やはり憲法9条は、記述をもっと詳細に具体的にして、「自国に直接の脅威があるか、国際連合における正式な要請がないかぎり、一切の国際的な武力行使に荷担してはならない」とか何とか、自国の防衛能力を確保しつつアメリカにいいように利用されることのない条文に修正するべきでしょう。国際貢献できないのは世界第二位の国家としてはたいへん遺憾ですが、人類普遍の正義のためだからしょうがないノデス。

だいたい、自衛隊というのも変です。現状では軍隊ではないはずなのに「軍隊にとてもよく似た公務員」ですからねえ。「自衛隊」の訳が「the Self-Defense Forces」というのは憲法9条の精神から言ってあきらかな誤訳です。あれは「Force」すなわち武力じゃないですから。「隊」ですから。

いっそのこと自衛隊はテッテ的に名称を修整し、現在の理念と実態の乖離を修復するべきでしょう。「自衛隊」は地球人類の正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求するための正義の組織としてあくまで人類の敵に対する警備活動を行う「隊」でありますから、「日本国警備隊」でいいんですが、これは単に日本一国の矮小な秩序を守るようなものではなく、あくまで人類の平和を希求しちゃうんですから、もう「超‐警備隊」ということで、「ウルトラ警備隊」でいいと思います。戦闘機なんかもぜんぶ「ウルトラホーク某」とかそーいう名称にすればちっともこわくありません。

たとえばもし日本が外国の直接の脅威を受けた場合は、人類普遍の正義の代名詞である憲法9条の名の下に正義の派兵……じゃなかった出動を行い、悪の侵略者である当該国を正義と人類愛の愛の鞭で制圧し、軍隊なんていうものは人類に対するおぞましい敵に決まってますから当然のことながら相手国の軍は武装解除・軍隊解体を行い、人類普遍の正義の象徴である憲法9条を盛り込んだ憲法を制定して差し上げ、永久に軍事行動なんか起こしちゃいけないし武力も持っちゃダメということにするのが人類全体に対する正義の実現であります。アメリカだってそれを実行し、結果として世界に誇る人類最高の憲法9条が誕生した実績が厳然として存在するんですから、え~これが正しいやり方なんでございますですよ? 全世界を制圧してすべての国に憲法9条をかませばもう地球全体の平和もバッチリです(笑)。

NHKの討論番組とか

2005-08-21 01:13:55 | Weblog
このところなかなか香ばしい選挙戦が展開されつつありますが、民主党は影がうすいですな。やっぱりペヨンジュンあたりを擁立するのがいいんではないかと思いますがどうでしょう。日本の主権をチャイナとコリアに委譲するべきだという民主党にはベストセレクションだと思いますが。

先日(2005/08/15)放映したNHKのアジアがどうしたこうしたというような討論番組を録画しておいて観たんですが、全体的に意外と公平な構成で好感が持てましたねえ。今までだったらとにかく日本が悪くてチョッパリは反省で戦争は悪くて軍靴の音が聞こえたりして過ちは繰り返さないとかなんとかそういうトーンの一点張りだった訳で、発言もチョッパリ反省側の人が中心で、異論ある者には反論させなかったりする、などという構成が多かった訳ですな。しかし今回はいろんな考え方の発言者にわりと公平に発言させていたように思うし、発言には反対側の反論をさせていたし、見ていてストレスがそれほどたまらないディベート番組だったと思います。ジャーナリストのサクライさんも、なかなかよい仕事をしていたように見受けられますですな。

私が見るところ、第二次大戦終結から60年たって、「いつか来た道」を歩み始めているのは明らかにチャイナやコリアであって(アメリカなんかは60前からずっと武力覇権の道を歩きっぱなしですが)、日本の「反戦平和」なヒトタチがなぜチャイナの「過剰な軍備拡張」とか「武力を背景にした他国への恫喝的強要」だとか北コリアの核兵器開発だとか南北コリアの徴兵制度などにクレームをつけないのか、その論理的整合性がわかりません。

あと、最近チャイナやコリアの言い分ばっかりヨイショして垂れ流せばいいといった従来の反戦マスコミのトーンも少しずつ変わってきたように思えますし、正論派の意見もちゃんと採り上げられるようになってきて好ましいのですが、現状であまり取り上げられていない部分があります。それは、チャイナ・コリアの日本に対する反日問題とは、つまるところ哲学問題である、という側面です。

日本人にとって「哲学」なんてのは、ヒマ人が小難しそうなことやって喜んでいるヒマな遊び、程度の認識ですが、どうもコリアビトにとっては違うようです(チャイナについては全然勉強していないので知りません)。韓国哲学についての本とか読んでみると、コリアビトにとって哲学というのは、相手を圧倒し、自己の社会的ポジションを守るために命懸けで扱うという性質のものであり、そのへんはイザとなったら「問答無用」とか言って刀とか振り回せば事が済むと考えている野蛮な雑種民族であるチョッパリにはなかなか理解できない思考習慣の差異というものなのかもしれません。私は、少なくともコリアの反日の根本原因は、彼らに特有の哲学的思考習慣にあると考えています。これを前提とせず、相手がこちらと同じ知的土壌にあって、議論すれば理解できるのだなどと考えている以上、ことの本質は見えてきません。

日本が自己の歴史観を公に語ることをタブーとし続けてきた空気が変わり始めた現在、すでに状況は哲学上の情報戦の様相を呈しています。儒教的哲学の文化を持った国の独特な思考習慣を理解するところから始めないと、問題解決はなかなか難しいのではないかと思いますですな。

コミックマーケットでまたバトル(笑)

2005-08-16 01:10:04 | Weblog
え~、今回のコミックマーケットもおおむね無事に終了いたしました。ご協力いただいた関係諸氏および訪れて頂いた方々におかれましてはまことに感謝するであります。

今回はいろいろと雑多な状況下で苦労しましたが、とりあえず持ち込み分はほぼ完売に近い状態でした。ありがたいことです。

今回は久々の西館ということで例年とかなり条件が違いましたが、やはり少々人出が少なかったような気がします。ただ、前回に続いて今回もなんだか昔懐かしいタイプのおたく君がおいでになってご高説をたれて行かれたのでちょっとご紹介ですな。

このお方、タイプというとちょうど『げんしけん』にでてくるハラグチさんみたいなタイプですが、ハラグチさんは相当に腹が据わった人で、真っ正面から相手を見据えて図々しいことを言ってのけるのに対し、この人はこっちの目を見ないで明後日の方向を向きながらしゃべるあたりがちょっとダメでしたねえ。

このヒトはどうやら押井守が嫌いらしく、のっけから「押井守の家が火つけられたのはどう思うか」とかなんとかトバしてきましたが、言っていることを要約すると「ダメな作品を徹底的にけなすと、業界のレベルが上がるので、われわれはもっとダメな作品をけなすべきだ」ということだそうです。ちなみに彼にとって「ダメな作品」の一例は『ケルベロス』だそうです。

WWFはゆるやかな結束のサークルで、特に強い規約が明文化されているわけではありませんが、トップページからリンクしている「WWFとはどんなサークルか」にも書いてあるとおり、 「非建設的な作品の批判はやめよう」「批判する場合は客観的データをあげて論理的に」というスタンスを取ります。これは単にスタンスの差ですが、方法として合理的だと思うのでこのスタンスを標榜しています。

先のヒトの方法にも、ある部分は一理あります。たとえば、ある商品に対して「クレーム」をつけるという方法は、製品の品質向上に寄与する場合があります。品質管理の手法において、マニュアルやレビューを効率的に配置して上流工程から管理するアプローチと、下流工程の最終部分にチェック機構を設けて管理するアプローチがあります。この人の意見は後者に近いのですが、この方法は、たしかに製品の品質向上に実効的な効果を発揮します。

ただし、これはPDCA(Plan、Do、Check、Action)を回して改善を行うというビジネススタイルに限定されるモデルであって、一発勝負の芸術的コンテンツに有効かどうか大きな疑問があります。また同時に、このアプローチで改善できるのはもっぱらレビュー項目化やマニュアル化が可能な形式知によるカテゴリーであり、暗黙知的な部分には効果が不確定であるという問題があります。

具体的に言えば、「『千と千尋の神隠し』はオレはちっとも面白くなかったのでダメな作品だ!」とさわいでも、ジブリがその人にとって面白い作品を新たに発表するかどうかは不確定ですが、「『千と千尋の神隠し』のDVDの色調が赤が強すぎて見ずらいのでどうしてくれる!」というクレームをつければ、次期ロットで問題点が改善される可能性が少なからずある……といえばわかるでしょうか。後者のような「品質」を、品質管理の世界では「あたりまえ品質」というのに対し、前者のような品質を「魅力品質」と言います。このヒトの意見は、「あたりまえ品質」に対する改善にはある程度役に立つ可能性がありますが、魅力品質を中心的なファクターとし、PDCAモデルが必ずしも適用されない映画などの芸術的作品に対しては効果が期待できる保証がありません。

それだけではありません。われわれがなぜ「ダメな作品の批判をする」という手法が非効率的だと考えるかというと、まず「ダメとは何か」という点が非常に難しいという点があります。この部分について、「ではアナタの言う『よい作品』とはどう定義されるものですか」と訊くと、「シナリオがちゃんとしていて独創的で」とかそういう多義的で曖昧なことを言います。「ちゃんとしている」というのは定性的・定量的に言うとどういうことなのか、追って質問しましたが答えられません。無理もないことで、芸術的作品は原則として唯名論的にとらえなければならないもので、「この条件を満たせばいい作品、あるいはダメな作品」という定義はなかなかできないものだからです。

作品の善し悪しを定義することは、きわめて解釈学的な問題であり、単なる主観・客観の問題ですらありません。過去何度も述べていますので簡単に言いますが、作品鑑賞はそれ自体が「出来事としての存在論的事件」であって、「このプログラムを見ればいつでも同じ感銘が得られる」というものでもありません。ある作品をある人が見るにしても、その鑑賞者の知識の広がり、体験の有無、人生の上でのポジションなどによって全然違う作品として展開して行きます。それを単純に「これはダメな作品」と決めることは、哲学的なレベルで間違っています。それを、「オレが見てダメだからこれはダメな作品」とすべて切り捨てるのは、場合によっては単なる夜郎自大になる恐れもあります。それを防ぐには、「なぜダメか」ということを、定量的・定性的なデータを提示して、間主観的に立証する必要があります。

たしかに、「どうあってもダメな作品」というものは厳然として存在します。しかしそんな作品のために貴重な言論の工数や時間を投資することより、自分がよいと思う作品の、何がよいのか、どういう条件・思想・知識・シチュエーションを自分の中に取り込むとこの作品から感銘が得られるのかを探求し、人に語れる形式知にブレイクダウンして世に広め、その方法論を共有するほうが、はるかに建設的で効率的だと、少なくとも私は思います。

ちなみにこのヒトに対して、「さっきからのあなたの『説』は、主観的・多義的・曖昧であり、定量的・定性的な部分が全然ないのだが、あなたはどういった評論理論にもとづいて「ダメな作品」と判断するんですか? 私にはあなたが安直な印象批評に依拠しているだけにしか思えないのだが」と訊きましたが、どうもこの人は「評論理論」というものが存在するということ自体をご存じないようでした。また、解釈学という哲学ジャンルも全くご存じないようで、ちょっと困りましたね。

で、なぜかこのお方、突然「アンタは何歳なんですか」などと訊いてきたんですが、私のほうが年上だと知るや、それまでの「自分は業界の専門家なんだぜおまいら小僧にちょっと説教してやろうかありがたく思え小僧」的な偉そうな態度が急変、なんだか狼狽しはじめ、結局「はん、全然わかってない、フッ」などという典型的な負け犬ゼリフを残して立ち去りました。まあ、論理に年齢は関係ありませんが、39歳(自称)となるとそろそろ部下や上司などに指示や報告を責任ある態度で行うことを要求される年齢だと思います。私が上司だったらちょっと説教しちゃいますよ?

まあそんな訳で、こういう香ばしい古典的「おたく君」に遭遇したのは久しぶりでした。どっとはらい。

扶桑社の教科書とか

2005-08-13 00:52:38 | Weblog
自宅の無線LANのステーション管理をしていた主PCが壊れたため、なんだか無線LANステーションの設定が編集不能となり、新しいMACアドレスを登録することができなくなっていたんですが、とりあえずハードウェア的にリセットしてぜんぶ再設定して事なきを得ました。

しかし、WEPという暗号化方式はもう古いというか、ずいぶん以前から脆弱性が指摘されていて、スクリプトキディと言われるスキルの低いワルモノにも枝をつけられてしまうと情報セキュリティアドミニストレータの資格試験用参考書にも書いてあります。そろそろ最新技術に対応した機材を導入したいのですがカネがありません。セキュリティレベルというのは結局守る側の経済的投資とワルモノの時間・工数投資とのせめぎ合いなんですな。

ところで、なんでも杉並区で扶桑社の教科書が採用されたとのこと、まあいいんじゃないスかねえといったところです。今回のこの教科書はまだ読んでいないが、少なくとも前回発行のバージョンについては、一読したかぎり、いったいこれのどこが「子供を戦場に追いやる教科書」なんだかさっぱりわかりませんですな。

以前、生ウリナラビトのいる翻訳掲示板で、この教科書で最も凶悪な歴史歪曲がなされているという日帝36年(とウリナラビトはみんな言うんですが34年と11ヶ月ですな)の部分をOCRで読み取って引用し、「誰でもいいから、この記述のどこが日本の極右勢力による歴史歪曲なのか説明してください」と訴えましたが、誰一人として説明してくれる者がいませんでした。

まあ、みんな全然モノを読まずにフィーリングだけで極右呼ばわりしているだけなんでしょうが、日本の「良心的勢力」のミナサンも似たり寄ったりですねえ。ワタシは論理的なものが好きなので、ああいう暴力的に自分の思想を押し通そうとする連中が嫌いです。


週末はビッグサイト

2005-08-08 00:19:25 | Weblog
さて、いよいよ今週末に迫ったコミックマーケットですが、当WWFの参加は

2005/08/14(日) 西地区 「ふ」ブロック 05b

ということになっております。今回久しぶりの西館ですが、はたして人は来るんだかちょっと不安が残りますね。

今回は『WWF No.30 押井学会Vol.5』ということで、なんとか発行することができそうです。たぶんそこそこ面白いと思うんですが……どうでしょ、私の文章とか自分で読んでるとけっこう面白いんですけど第三者としてはいかがなものでしょ。ダメですか。

あと、バックナンバーで『赤ずきんチャチャ』のNo.13改とか、机に載るだけ売りますのでひとつよろしく。しかし、そろそろ全体的にバックナンバー在庫が減ってきたな。

『マンガ嫌韓流』

2005-08-01 00:13:10 | Weblog
せっかくハイスペックの新PCを導入したのに、なんか既存の液晶ディスプレイがボロくて解像度がビデオボードの性能について行かず、結局600×800しか映らないのでダメじゃないスか。

で、『マンガ嫌韓流』読みました。まあ、ウリナラウォッチャーならだいたい常識というような内容をうまくまとめてあるな、という感じでしたねえ。場を大学にしてディベートをするという設定は、こういう状況を話にしやすいという意味で妥当かと思います。

あの作中に出てくる韓国人とのディベートは、ちょっと戯画化しすぎだと思うでしょうが、私が出入りしていた中央日報の翻訳掲示板での生ウリナラビトとのディベートはまさにあんな感じでしたよ? 自分の意見にちょっと反論されるとすぐ不具(自動翻訳だから穏やかな表現ですが、おそらく原語では「カタワ」とか刺激的な言葉を使ってるんでしょう)とか雑種民族とか罵言を弄し始めるんですな。



http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=65000&servcode=100§code=120
【噴水台】 悲しい暴言
>中央大キム・サンユン博士は、02年、大学生300人の暴言の
>形を研究した。社会言語学の面から、大学生は言語を反映する鏡だ。
>母国語を20年以上使っていて、教育も受けている。しかし、まだ
>社会規範の圧力を強く受けておらず、新しい言語にも敏感で、暴言
>を軽く駆使する。 頻繁に使う罵声100個を選び、重複するのを
>分けて数えると1万2752個だった。小辞典が3~5万の単語
>だから、大した悪口屋達だ。


なんてのを見ると、罵言のボキャブラリーがあまりない日本語使いから見るとちょっといかがなものかとも思います。まあ、英語なんかでも罵言はすごいものですが。

ディベートの内容で、韓国人が主張の矛盾点をつきつけられて沈黙してしまったり罵言をわめきだしたりする状況については韓国側も認めざるを得ないようで、

> オンライン韓日歴史論争‘韓国判定負け’? (リンク切れ)
>この様に日本インターネットユーザーが具体的な証拠をつき出すと
>韓国インターネットユーザーの物が言えなくなりお決まりということ.
>日本ネティズンと自主議論を戦わせるというアイディ‘音’彼氏は
>“歴史論争をくりひろげている日本インターネットユーザーは大部分
>学位所持者、記者、小説家など30~50台まで知識層人士達が組織的に
>動いているが反して私たちは(歴史に関心いる)10~20台のアマチュア達
>が活動していてこんなことが少なくなく起る”MIけ“甚だしく日本
>インターネットユーザーの説得にのる韓国人達もいる”と言った.

とのこと、日本の「ネティズン」はプロ(笑)だそうからしょうがないですな。これでウリミンジョクの自尊心も保たれたというこってす。