Je vais mourir ! 僕は死にます!
ナチスの報復で集団銃殺された17才の青年
ギィ・モケ 最後の手紙

Guy Môquet (April 26, 1924 - 22 October 1941 (aged 17))
パリ生まれ。1940年当時はリセ(高校)に通い、共産党員の父の影響もあり、共産主義活動をしていた。
1940年から1944年までの間、フランスはドイツの占領下にあった。ギィはパリの映画館で、ドイツ占領に反対するビラを撒いていたところを逮捕され、ナント近郊のシャトーブリアンの収容所に拘留された。彼はビラを作成したわけではなく、活動の手伝いのつもりで配布していただけであった。


翌年1941年10月20日、ナントのドイツ軍司令官が、3人のフランス人共産党員によって暗殺されたことを受けて、ナチスは即刻、ドイツ将校1人殺害の報復としてフランス人政治犯50人の処刑を求めた。
「さもなくば無辜の市民50人を処刑する」と。
急ぎ、3カ所の収容所の政治犯からリストが作成され、シャトーブリアンの収容所からは27名がリストアップされた。
そして、司令官暗殺から2日後の10月22日、各刑場にて銃殺が執行された。
シャトーブリアンのリストに入っていたギィは、処刑対象者のうち最年少の17才だった。
処刑の宣告後、わずか1時間ほどの時間を与えられた。字の書ける者はこの時間を使って、遺書を書いた。ギィも家族にあてて最後の手紙を書いた。
17歳の少年がナチスドイツ占領下の犠牲になったこと、その最後の手紙が残されていたことで、戦後、ギィは抵抗運動の英雄とみなされ、現在ではパリの地下鉄の駅名にもなっている。
ギィを取り上げた映画作品もある。
2007年にジャンバティスト・モニエがギィを演じるショートフィルム、「La Lettre」。さらに2011年の、フォルカー・シュレンドルフ監督による仏独共作映画、「La mer à l'aube」/「Das Meer am Morgen」が製作され、2014年には日本でも「シャトーブリアンからの手紙」として公開された。
映画「シャトーブリアンからの手紙」より


主演レオ-ポール・サルマン この作品がデビュー作

パリ駐留ドイツ軍のシュテルプナーゲル、シュパイデル、ユンガー
国防軍はナチスの非情なやり方に不満を抱く
シュテルプナーゲルは文筆家でもあるユンガーにこの件を記述して残すように言う
ユンガーが手紙を翻訳して後世に残す

エルンスト・ユンガー その定まらない立ち位置ももう一つのストーリー


シュレンドルフ監督
予告編
青山の小さな劇場で上映されたこの映画を観に行きました。
以下、所感です。
ナチスの命令によるこの一件において、独仏のいろいろな立場の人たちがそれぞれどう反応し、どう動いたのかが入念に描写されています。
リストを作るよう指示された副知事は、最初は抵抗し抗議するが、結局、流されるように、処刑者リストを書いてしまう。
ドイツ国防軍とナチスとの方向性の違いと力関係は、シュテルプナーゲルらの会話から聞こえてくる。
あるドイツ兵は、処刑の銃殺を命令されたが人を殺す恐怖のあまり撃てず、処刑場のかたわらでうずくまり、震えが止まらない。
処刑を宣告された人達が、わずかな時間のあいだにその運命をどう受け止めていったか。
ナチスに平然と協力するフランス人や、処刑阻止を望むドイツ将校ら、この一件を巡って、暗殺者やシャルル・ド・ゴールも含めだれがどう考えどう動いたか、多くの立場のひとの心の動きを追っています。
そのなかで、ギィは英雄として誇張されることはなく、若さゆえか状況が飲み込めないままに銃殺されています。
映画の処刑場面では、実に淡々と手際よく処刑が進行します。それまでのストーリーの進行の緩さが、急にせわしいほどになる。
実際はこんなものなのか。
単純な流れ作業で死があっさりと片付けられてしまうものなのだと。
1人の命に対して50人の命を要求する
50名が処刑されながら、唯一ギィだけが、若いということで英雄視されている。それは「ギィ」だったからではなく、「17歳の」少年だったから。
ギィ自身においても、一緒に処刑された者のうちの不特定の1人として勇気を持って死んだ。
ギィが残した走り書きに、「27人で立派に死んでいく」とあるのが、同志のうちの不特定の1人であろうとする意思の表明となっている。
しかし、本来、不特定の個人にはなり得ない。一人一人違う名の、それぞれ違う人生を生きた人間である。不特定の1人として潔く刑場に向かっても、銃口を向けられたそのとき、自分を、もう一度振り返る。最後、もうそこまで終わりの時が迫っている時に。
映画の中で、ギィは処刑直前に早口でつぶやく。
「17歳と半年、あまりにも短い人生。皆と別れるけど後悔しない」
自分は誰だったのか。
自分の中で、「ギィ・モケ」とは誰だったのか。その「ギィ・モケ」の死を目前にして、
もう本当に終わってしまう自分に向けて、最後の一投で、自分自身に優しい言葉をかける。
「・・けど、後悔しない」と。
名もなきものとして生涯を終えようとしても、自分の名を忘れていないかぎり、どこかでその名と対峙する。
名前がある、思い出がある、それらから断ち切られようという時に、「後悔しない」と思えるかどうか、時々に問いながら生きたい。
以下は最後の手紙の英訳です。
dieの文字がなければ、家族の安否をやりとりするごく普通の手紙であるかのようです。
Guy Moquet
« My darling Mummy, my adored brother, my much loved Daddy, I am going to die! What I ask of you, especially you Mummy, is to be brave. I am, and I want to be, as brave as all those who have gone before me. Of course, I would have preferred to live. But what I wish with all my heart is that my death serves a purpose. I didn’t have time to embrace Jean. I embraced my two brothers Roger and Rino (1). As for my real brother, I cannot embrace him, alas! I hope all my clothes will be sent back to you. They might be of use to Serge, I trust he will be proud to wear them one day. To you, my Daddy to whom I have given many worries, as well as to my Mummy, I say goodbye for the last time. Know that I did my best to follow the path that you laid out for me. A last adieu to all my friends, to my brother whom I love very much. May he study hard to become a man later on. Seventeen and a half years, my life has been short, I have no regrets, if only that of leaving you all. I am going to die with Tintin, Michels. Mummy, what I ask you, what I want you to promise me, is to be brave and to overcome your sorrow. I cannot put any more. I am leaving you all, Mummy, Serge, Daddy, I embrace you with all my child’s heart. Be brave! Your Guy who loves you. »

ジャンバティスト・モニエ主演のショートフィルムも以下に紹介します。


主演ジャンバティスト・モニエ
2004年映画「コーラス」でデビュー(写真)
劇中の歌声は彼自身のもの
現在もモデル、俳優、歌手として活躍
La Lettre
ナチスの報復で集団銃殺された17才の青年
ギィ・モケ 最後の手紙

Guy Môquet (April 26, 1924 - 22 October 1941 (aged 17))
パリ生まれ。1940年当時はリセ(高校)に通い、共産党員の父の影響もあり、共産主義活動をしていた。
1940年から1944年までの間、フランスはドイツの占領下にあった。ギィはパリの映画館で、ドイツ占領に反対するビラを撒いていたところを逮捕され、ナント近郊のシャトーブリアンの収容所に拘留された。彼はビラを作成したわけではなく、活動の手伝いのつもりで配布していただけであった。


翌年1941年10月20日、ナントのドイツ軍司令官が、3人のフランス人共産党員によって暗殺されたことを受けて、ナチスは即刻、ドイツ将校1人殺害の報復としてフランス人政治犯50人の処刑を求めた。
「さもなくば無辜の市民50人を処刑する」と。
急ぎ、3カ所の収容所の政治犯からリストが作成され、シャトーブリアンの収容所からは27名がリストアップされた。
そして、司令官暗殺から2日後の10月22日、各刑場にて銃殺が執行された。
シャトーブリアンのリストに入っていたギィは、処刑対象者のうち最年少の17才だった。
処刑の宣告後、わずか1時間ほどの時間を与えられた。字の書ける者はこの時間を使って、遺書を書いた。ギィも家族にあてて最後の手紙を書いた。
17歳の少年がナチスドイツ占領下の犠牲になったこと、その最後の手紙が残されていたことで、戦後、ギィは抵抗運動の英雄とみなされ、現在ではパリの地下鉄の駅名にもなっている。
ギィを取り上げた映画作品もある。
2007年にジャンバティスト・モニエがギィを演じるショートフィルム、「La Lettre」。さらに2011年の、フォルカー・シュレンドルフ監督による仏独共作映画、「La mer à l'aube」/「Das Meer am Morgen」が製作され、2014年には日本でも「シャトーブリアンからの手紙」として公開された。
映画「シャトーブリアンからの手紙」より


主演レオ-ポール・サルマン この作品がデビュー作

パリ駐留ドイツ軍のシュテルプナーゲル、シュパイデル、ユンガー
国防軍はナチスの非情なやり方に不満を抱く
シュテルプナーゲルは文筆家でもあるユンガーにこの件を記述して残すように言う
ユンガーが手紙を翻訳して後世に残す

エルンスト・ユンガー その定まらない立ち位置ももう一つのストーリー


シュレンドルフ監督
予告編
青山の小さな劇場で上映されたこの映画を観に行きました。
以下、所感です。
ナチスの命令によるこの一件において、独仏のいろいろな立場の人たちがそれぞれどう反応し、どう動いたのかが入念に描写されています。
リストを作るよう指示された副知事は、最初は抵抗し抗議するが、結局、流されるように、処刑者リストを書いてしまう。
ドイツ国防軍とナチスとの方向性の違いと力関係は、シュテルプナーゲルらの会話から聞こえてくる。
あるドイツ兵は、処刑の銃殺を命令されたが人を殺す恐怖のあまり撃てず、処刑場のかたわらでうずくまり、震えが止まらない。
処刑を宣告された人達が、わずかな時間のあいだにその運命をどう受け止めていったか。
ナチスに平然と協力するフランス人や、処刑阻止を望むドイツ将校ら、この一件を巡って、暗殺者やシャルル・ド・ゴールも含めだれがどう考えどう動いたか、多くの立場のひとの心の動きを追っています。
そのなかで、ギィは英雄として誇張されることはなく、若さゆえか状況が飲み込めないままに銃殺されています。
映画の処刑場面では、実に淡々と手際よく処刑が進行します。それまでのストーリーの進行の緩さが、急にせわしいほどになる。
実際はこんなものなのか。
単純な流れ作業で死があっさりと片付けられてしまうものなのだと。
1人の命に対して50人の命を要求する
50名が処刑されながら、唯一ギィだけが、若いということで英雄視されている。それは「ギィ」だったからではなく、「17歳の」少年だったから。
ギィ自身においても、一緒に処刑された者のうちの不特定の1人として勇気を持って死んだ。
ギィが残した走り書きに、「27人で立派に死んでいく」とあるのが、同志のうちの不特定の1人であろうとする意思の表明となっている。
しかし、本来、不特定の個人にはなり得ない。一人一人違う名の、それぞれ違う人生を生きた人間である。不特定の1人として潔く刑場に向かっても、銃口を向けられたそのとき、自分を、もう一度振り返る。最後、もうそこまで終わりの時が迫っている時に。
映画の中で、ギィは処刑直前に早口でつぶやく。
「17歳と半年、あまりにも短い人生。皆と別れるけど後悔しない」
自分は誰だったのか。
自分の中で、「ギィ・モケ」とは誰だったのか。その「ギィ・モケ」の死を目前にして、
もう本当に終わってしまう自分に向けて、最後の一投で、自分自身に優しい言葉をかける。
「・・けど、後悔しない」と。
名もなきものとして生涯を終えようとしても、自分の名を忘れていないかぎり、どこかでその名と対峙する。
名前がある、思い出がある、それらから断ち切られようという時に、「後悔しない」と思えるかどうか、時々に問いながら生きたい。
以下は最後の手紙の英訳です。
dieの文字がなければ、家族の安否をやりとりするごく普通の手紙であるかのようです。
Guy Moquet
« My darling Mummy, my adored brother, my much loved Daddy, I am going to die! What I ask of you, especially you Mummy, is to be brave. I am, and I want to be, as brave as all those who have gone before me. Of course, I would have preferred to live. But what I wish with all my heart is that my death serves a purpose. I didn’t have time to embrace Jean. I embraced my two brothers Roger and Rino (1). As for my real brother, I cannot embrace him, alas! I hope all my clothes will be sent back to you. They might be of use to Serge, I trust he will be proud to wear them one day. To you, my Daddy to whom I have given many worries, as well as to my Mummy, I say goodbye for the last time. Know that I did my best to follow the path that you laid out for me. A last adieu to all my friends, to my brother whom I love very much. May he study hard to become a man later on. Seventeen and a half years, my life has been short, I have no regrets, if only that of leaving you all. I am going to die with Tintin, Michels. Mummy, what I ask you, what I want you to promise me, is to be brave and to overcome your sorrow. I cannot put any more. I am leaving you all, Mummy, Serge, Daddy, I embrace you with all my child’s heart. Be brave! Your Guy who loves you. »

ジャンバティスト・モニエ主演のショートフィルムも以下に紹介します。



2004年映画「コーラス」でデビュー(写真)
劇中の歌声は彼自身のもの
現在もモデル、俳優、歌手として活躍
La Lettre