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フィリップ殿下とヨーロッパ王室

2021-05-30 22:25:00 | 人物
エジンバラ公フィリップ殿下
ヨーロッパ王室をともに生きた100年



エジンバラ公フィリップ
1921〜2021

2021年6月に100歳を迎えようとしていたエジンバラ公フィリップ殿下が4月に薨去。
100年のヨーロッパ王室の変遷を生きてきたエジンバラ公は、これまでこの場で取り上げてきた王室の方々とも幅広く縁が深い。女王の王配とはいえ、負けず劣らず高貴な出自であることを示しておきたい。



1. 血統
フィリップの血縁で特筆されるのは、母方の高祖母に英女王ヴィクトリア、父方の高祖父にロシア皇帝ニコライ1世がいること。
イギリス王室ではヴィクトリア女王の後、第二子長男のエドワード7世、その第二子次男ジョージ5世、その第一子長男エドワード8世、その弟ジョージ6世、その第一子長女エリザベスであり、エリザベス女王にとってもヴィクトリア女王は高祖母だ。フィリップは、ヴィクトリア女王の第三子次女アリス・ヘッセン大公妃、その第一子長女ヴィクトリア・バッテンベルク侯妃、その第一子長女アリス・ギリシャ王子アンドレアス妃、その第五子長男にあたる。
父方の高祖父ニコライ1世の後は、第五子次男コンスタンティン、その第二子長女オリガ・コンスタンティノブナロシア大公女・ギリシャ王ゲオルギオス1世妃、その第七子五男アンドレオスがフィリップの父だ。父ゲオルギオス1世はデンマークの王家からギリシャ王となっており、父はクリスチャン9世。兄フレゼリク8世がデンマーク王家を継いでいる。
主にこうした系譜を持つゆえに、ヨーロッパ各国の王室との繋がりが広範で、母方ではイギリスやドイツ、父方では北欧やロシアの王室と深く関係している。



ロシア皇帝ニコライ1世



英国ヴィクトリア女王



2. イギリス王室からの血友病

以前の記事に書いたとおり、ヴィクトリア女王の血縁には血友病が現れていた。フィリップの曽祖母であるヘッセン大公妃アリスは保因者だった。アリスの子女のうち、男子はその病で夭折、4人の娘のうち2人が保因者として嫁ぎ先に病をもたらした。とりわけ三女アリクス・ロシア皇后ニコライ2世妃はロシアの運命を変えることになった。次女エリザベートもロシア大公女妃であり、アリクスとともにロシア革命の犠牲となった。革命(1917)はフィリップの誕生(1921)以前のことではあるが、母アリスにとって皇帝の4人の皇女達は従姉妹であり、自分の娘達を遊ばせてもらうなど交流があった。叔母のエリザベートからは深く影響を受けている。フィリップの祖母ヴィクトリアはヘッセン大公妃アリスの長女だが、子孫に影響はなかったことから保因者でなかったとみられる。しかし、同じバッテンベルク家系に嫁いだ、ヴィクトリアの叔母すなわちヴィクトリア女王の末娘ベアトリスは病をもたらし、その娘ヴィクトリア・ユージェニーがスペイン国王に嫁いだことで不幸を広げてしまった。
なお、殺害されたロシア皇帝一家の遺体特定に際し、女系でつながる血縁者であるフィリップの遺伝子型の提供により確定に至った事実がある。該当者のうち提供を拒否した元ロシア皇族もいたが、フィリップはこころよく協力した。



ヘッセン大公妃アリス
ヴィクトリア女王の次女であり、血友病保因者
娘のうち二人に遺伝し、嫁ぎ先の男子が血友病となった



ヘッセン大公妃アリスの4人の娘
左から三女イレーネ、長女ヴィクトリア、次女エリザベート、四女アリクス
血友病はイレーネとアリクスが保因、エリザベートは子がなく不明、ヴィクトリアは受け継がなかった
また、エリザベートとアリクスはロシア革命でそれぞれ殺害された



ヴィクトリア女王の末娘ベアトリスとマウントバッテン家の子供達
男子二人が血友病に、娘はスペイン王室に嫁ぎ、血友病を王子達にもたらした



フィリップの母アリスの娘たちとロシア皇女マリアとアナスタシア





3. 母方の系譜



フィリップの両親
アリス・オブ・バッテンバーグ
ギリシャ王子アンドレオス


母アリスはドイツのバッテンベルク家の出身であるが、アリスの母ヴィクトリアを通じてヴィクトリア女王をよく訪ねていた。博識で聡明な孫娘ヴィクトリアを他国の王室に嫁がせなかったのは、なるべく呼び寄せたい女王の策であった。当時のイギリス王室の関係者で血縁がある方々は非常に多い。
フィリップは、ヴィクトリア女王からエドワード7世に続くジョージ5世の時代に生まれている。ジョージ5世は祖母の従兄弟であり、ギリシャの政変で王族に死刑が宣告された時、軍艦を差し向け、まだ生まれたばかりのフィリップを含めギリシャ王族を逃れさせたのはこの王だった。

ジョージ5世、エドワード8世、その後ジョージ6世のときにフィリップはエリザベスとの婚姻で英王室に入った。
その当時は、ヴィクトリア女王の次男で、先の「エジンバラ公」アルフレートと夫人のマリア・アレクサンドロヴナ元ロシア大公妃の娘マリア、祖母ヴィクトリアの従姉妹にあたるが、ルーマニア・フェルディナンド1世国王妃となり、その次女マリアはユーゴスラビア国王アレクサンダル1世妃に、長女エリザベタはのちのギリシャ王ゲオルギウス2世(フィリップの伯父)に嫁いだ。三女イレアナについては別記事にあるが、国王に嫁いではいない。マリア・アレクサンドロヴナの次女ヴィクトリア・メリタは、ヴィクトリア女王の勧めによりヘッセン大公エルンスト・ルートヴィヒ(祖母ヴィクトリアの弟)に嫁いだが、不倫を貫き、ロシア大公キリル・ウラディミロヴィチと再婚し、子孫が現在、ロシア皇位継承を唱えている。マリア・アレクサンドロヴナの望みが歪んだ形で成就した形だ。
ヴィクトリア女王の三男コノート公の美人姉妹の姉マーガレットは、スウェーデンの後の国王グスタフ6世に嫁いだが、多くの子を成した後若くして亡くなり、後妻となったのが長く独身だったバッテンベルク家の次女、母アリスの妹ルイーズだった。これにより、バッテンベルク家から、スペイン、スウェーデン、イギリスに王妃、王配を輩出したこととなった。



女王ヴィクトリア、末娘ベアトリス、孫娘ヴィクトリア、曽孫アリス


バッテンバーグ(マウントバッテン)家
アリス、ルイーズ、ジョージ、ルイス4兄弟姉妹



アリスとルイーズ
ルイーズはのちにスウェーデン王妃に


バッテンバーグ家とアリスの娘達



アンドレオスとアリスの家族写真
4姉妹とは年齢の離れているフィリップ






4. 父方の系譜

ギリシャは1863年にデンマーク王室から新たな国王を迎えることになった。すでに内定していたのはその同じ年に国王になったクリスチャン9世の次男であり、ゲオルギウス1世が17歳で即位した。父のデンマーク国王即位より7カ月早い。そのゲオルギウス1世の四男が、フィリップの父アンドレアス王子である。クリスチャン9世はヨーロッパの義父とあだ名されるが、その第一子はもちろんデンマーク国王に、第二子アレクサンドラはイギリス国王エドワード7世妃に、第三子がギリシャ国王に、第四子ダウマーがロシア皇帝アレクサンドル3世妃にとなるほか、孫カールがホーコン7世としてノルウェー国王に、曽孫マッタはホーコン7世の世継オラフ5世に嫁ぎ、マッタの妹アストリッドはベルギー国王レオポルド3世に嫁いだ。元々クリスチャン9世は王族の片隅の存在で貧しい暮らしぶりで子女の教育にも腐心していたほどだった。
ゲオルギウス1世が王妃迎えたのは、オリガ・コンスタンティノヴナ。ロシア皇帝ニコライ1世の孫娘である。8人を生み、そのうち3人はロシアの皇族と結婚した。フィリップの伯父や伯母はロシアとつながりが深いことになる。第三子アレクサンドラはパーヴェル・アレクサンドロヴィチ大公に、第五子マリアはゲオルギ・ミハイロヴィチに嫁ぎ、第四子ニコラオスはエレナ・ウラディミロヴナ大公女を迎えた。アレクサンドラは妊娠中に事故で亡くなり、そのとき生まれたのがのちにラスプーチンを殺害したドミトリ・パヴロヴィチだった。また、ニコラオスとエレナの末娘マリアは、ジョージ5世の四男ケント公ジョージに嫁いだ。フィリップの従姉妹であり、ともにギリシャ王室からイギリス王室に入ったことになる。第二子ゲオルギウス、後のゲオルギウス2世は王子時代に当時ロシア皇太子ニコライと日本に遊び、大津事件にあった。ロシア革命で皇帝ニコライ2世はもちろん、親族となったパーヴェルやゲオルギも処刑され、やがてギリシャ王族も同じような危機に遭遇したのは前述した。フィリップが生まれたのはこの頃、ヨーロッパの先行きが不安定な時だった。しかし、4人の娘達から離れた年頃の、初めての男子誕生に、すでに疎遠になっていた母アリスと父アンドレアスは光を感じたことだろう。
イギリス海軍に助けられ、パリに逃れたギリシャ王族だったが、アンドレアスは家庭を顧みず女性に溺れ、精神を病んだ母は療養で遠くへ行き、姉達も皆ドイツに嫁いで行くと、フィリップは10歳にして一人になり、マウントバッテン家の祖母に引き取られた。教養高い祖母ヴィクトリアと、叔父のジョージやルイスに暖かく迎えられた。海軍で活躍していたルイス・マウントバッテンは、フィリップに影響を与え、フィリップもイギリスに帰化してイギリス海軍でキャリアを積んで行く。それは、大戦突入となれば姉達のいる国ドイツを敵に戦うこととなった。



アンドレオス王子


アンドレオス王子、ニコラオス王子、コンスタンティノス王太子



デンマーク王家クリスチャン9世の家庭
ダウマーの婚約者としてロシア皇太子アレクサンドルが来訪している
姉アレクサンドラはイギリスに嫁ぎ写真にいない



クリスチャン9世夫妻と三姉妹
左のアレクサンドラはエドワード7世妃になる
エリザベス女王の曽祖母にあたる
つまりエリザベスの曽祖母とフィリップの祖父は姉弟


5. 100年を生きる

ヨーロッパ王室の真ん中で100年を生きたフィリップ。同じくイギリス王室に入った王配で、ヴィクトリア女王の夫君アルバートと比較すると、フィリップの権限はかなり低くされており、公務では常に女王の後ろに身を置かねばならず、与えられた立場に苦しむこともあったに違いない。時代が進むに従って、タブロイドやテレビ放送で悪く評されることもあっただろう。私はそうした詳細を知らないが、子供時代の写真からは、豪快さと繊細さが両方見て取れる。ヨーロッパの大きな骨が静かに抜かれてしまったような寂しさを感じた。