名のもとに生きて

人の一生はだれもが等しく一回かぎり。
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レニ・リーフェンシュタールのベルリン五輪

2024-08-11 16:50:08 | 人物




現在、パリ五輪が開催中。動きを追うカメラワークは大会を重ねるごとに進化している。競技会場ごとの設置の工夫には感嘆する。


(この目で見たわけではないが)思い起こすのは遠い過去の五輪、1936年、開催地はベルリン。ダイナミックな新しい撮影技法が数々編み出され、映画に編集された。

ライブ放送ではないものの、映画により五輪が多くの人に鑑賞されたことは当時では先進的だっただろう。斬新なアングル、身体の美しさと動きの表現は、バウハウスの薫陶を受けた芸術家のものではないかと思ってしまったが、監督に抜擢されたのはそれまで実績のほとんどなかった元女優の新人監督だった。

そこに至る背景はさておき、内容は大変素晴らしい。一つには、これは映画作品であること。現代の中継放送と異なり、濃厚な演出で盛られている。

ギリシャからの聖火リレーはこの大会で発案され、今に継承されてきたのは周知のことだが、アナログのあの時代、現地での交渉や物的な準備、フィルムの調達や運搬、カメラとその付属品の運搬、設置、整備などは相当な労力だっただろう。そして大会当日の各競技に合わせた撮影技法の考案、実施設計、練習、タイムスケジュール等、前例のないスキームをやり遂げる能力はとにかく凄い。

あくまでも映画の撮影である。効果を狙って、競技場の地面に穴を掘って下から撮影したり(選手が落ちる危険のため中止)、露出したエレベーターや水平走行するレールを設置してカメラをダイナミックに動かしたり、気球、軽飛行機も使ったりした。高飛び込みでは水中から撮影するカメラマン、飛び込むと同時にプールに投げ込まれるカメラなど、アイデア自体が斬新なばかりか、それをこなすスタッフの能力も頗る高い。何しろ今とは違い露光もピントも手動の時代なのだから。

会の終了後は百数万フィートものフィルムの編集が待つ。部屋中にカットしたフィルムがぶら下がり、選んだフィルムを首に引っ掛けて、そこから切ったり繋いだりが延々続く。音楽も後から入れる。作業室はとんでもなく散らかりそうだが、かの女性監督は見事に整理分類し、整然とした環境で作業はおこなわれたとのことだ。

なお、この映画作品にはオリンピック競技の演出以外にもう一つ求められたものがある。この時代のドイツと言えば…。


その女性、現場では白いパンツに白いコート、優美な女優の颯爽とした動き、レニ・リーフェンシュタール、34歳。45人のカメラマンに指示を出し、合間に打ち合わせる重鎮は、ヨゼフ・ゲッベルス、アルベルト・シュペーア、ルドルフ・ヘスやマルティン・ボルマン。勿論カメラでとらえるのは総統アドルフ・ヒトラー。

ベルリンオリンピックはまさに「スポーツ・ウォッシング」のはしりであり、映画化はナチ党の平和アピールと同時に、国力の誇示を目指すものだった。レニ自身はその目的をどの程度承知していたのだろうか。


レニは労働者の町に生まれ、配管工の父は事業で財を成した。体育と数学が得意で歴史が苦手な少女は「なにものかになりたい」と望み続け、ダンサーの仕事をするも、偶然見つけた山岳映画のポスターに魅かれ、女優にしてくれと頼みに行き、やがて監督を志し、知人の勧めでヒトラーの演説を聴いて心酔し、会いに行って党大会の映画撮影を依頼され、二本のナチ映画を監督した。シンデレラストーリーというよりは枕営業、女優ならではの肢体の魅力と演技力を駆使し、協力者を得てきた。

ただし、ナチとの関係においては、戦後の戦犯裁判で不利にならないよういろいろ隠蔽をはかったようである。

レニは党員ではなかったがナチの高官らの身近にいた希少な存在であり、映画監督として衆人の知る有名人でもあり、戦後はナチの色のついたイメージを払拭することはできず、活躍の場は閉ざされた。元ナチ党員でも何の咎めもなく活躍した人物もいる。例えば、同じ芸術家ならばヘルベルト・フォン・カラヤン。

レニが排斥されたのは、女だったからというのもあるのではないか。後年のインタビューや取材記事は、意地悪い質問に毎度激昂する彼女を嘲笑うようであった。

しかし、好奇心旺盛で猪突猛進するレニには第二、第三の展開がある。60代でアフリカのヌバ族に魅了され、起居を共にし写真集を出した。

80代で飛び込んだ世界は水中だった。歳を偽ってダイビングの資格を取り、海中の撮影をする。

老齢の彼女に対しも、ジャーナリスト達はマイクを向けては毎度、ナチ時代の罪悪感を問う。彼女がいつまで経ってもジャーナリスト達の望む「反省」「謝罪」の弁を吐かないからだ。


レイ・ミュラーによるレニへのインタビュードキュメンタリー映画がある。過去に関する執拗な質問に、レニは自身の政治に対する無関心とイデオロギーの欠如を主張する。


ーー自責の念が見られないのはなぜか?

「私のどこに罪があるというの?」

「『すまなかった』というのは、あまりにも小さなことです」


ーー大勢の人から「改心の見込みがない」と思われていることについては?

「そのために私の人生は大きな影の中にあります」


ドキュメンタリーのなかで老いたレニは、過去の自作『意志の勝利』を愛おしげに観る。当時のレニにとってはもはやそれは遠い走馬灯の一場面だったろう。


自分の望むものを自分の手で、全身を使って、全力で求めて手に入れ、あの時代を駆け抜けたレニ。行動力、自分を信じる力は強い。現代でもなかなかそれほどの人は浮かばない。レニは自分を擁護するために演技もしたし、嘘も使った。

21歳、ダンスアーティストだったレニについてのある評論家の評価が期せずして将来を見据えていた。


「全体としては非常に大きな素質に恵まれ、得意とする領域では完璧な能力を発揮する。だが、その範囲は非常に狭く、また、最も高度かつ必要な資質に欠けている。それは精神的な資質である」


凡庸、といえばそうなのかも知れないが、レニの言葉に刺さったものがある。


「『すまなかった』というのは、あまりにも小さなことです」


私事だが、最近、日本の仏教や神道や原始信仰などに目を向ける中で、レニのこの言及の背後に在るものの重みを受け止めている。まだ何とも言葉にすることができないものだ。私はレニに嫌悪感は持たない。他人は欺いても自分は欺かない一徹ぶりは清々しい。終生、彼女を許さなかった社会の偽善的なあり方をこそ憂う。