名のもとに生きて

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皇后の愛した部屋 モーヴルーム

2016-04-17 00:12:00 | ブレイク
最後のロマノフ皇帝一家の団欒
母の愛するラベンダー色の小さな部屋
アレクサンドル宮殿のモーヴルーム


モーヴルーム

これまでに、最後のロシア皇帝ニコライ二世やその家族、親類についてのことを記事にしてきましたが、彼らのいた世界や文化についてもブレイクとして時々書いていきたいと思います。

最初は、ニコライが住居にしていたツァールスコエ・セロのアレクサンドル宮殿、そのなかでも家族が集い、あたたかな家族の時間を過ごしていた部屋、モーヴルームです。

アレクサンドル宮殿





左正面エントランス

遠方から見るととても大きな宮殿のように感じますが、エントランス近景から判断するとそれほど大きくはありません。
この建物の中で、ニコライの家族の居住エリアは写真の向かって左側のウィングでした。

1階平面図

上図中央の黄色のエリアはオフィシャルの用途の空間であり、向かって右のウィングは父皇帝アレクサンドル3世と皇后のための部屋となっていますが、先代はガッチナ宮殿を主な居城としていました。
1階の左ウィングは、ニコライと妻アレクサンドラが中央の廊下を隔てて居住していました。中庭側がニコライです。

2階平面図

アレクサンドラのスペースの真上に娘たちの部屋、翼をつなぐエリアには皇太子アレクセイの部屋が広くとられています。アレクセイ一人分の空間は4皇女の空間よりずっと広いのには驚きました。



1階の配置を見ます。
モーヴルームは図上の72・Mauve Room。ベッドルームに続く部屋ですが、廊下からこの部屋に直接入ることはできません。廊下から入るには、隣のベッドルームか反対側の隣のPallisander Roomから入ることになります。

一日中明るい日差しの入るモーヴルームは、勉強が終わった子供達が母に会いに来て遊んでいったり、夕食後には執務の終わった父も交えて家族が集まり、だいたい夜の8時から10時頃まで、父や母が本を朗読したり、ゲームや手芸をしたり、睦まじい家族の時間を過ごす場所でした。

モーヴルームの名前の由来であるMauveとは、明るいラベンダー色で、パステルカラーが流行っていた当時、人気のあった色でした。
22歳でロシアに嫁ぎ、それまで自分の部屋を設えたことのないアレクサンドラは、室内装飾家のロマーン・メルツァーに要望を伝えながら、自分と皇帝が使う部屋をデザインしました。
彼女の要望は、夫と将来の家族のために明るい雰囲気であること、夫が執務を離れて寛げること、二人だけの聖域であること、でした。
革命で追われるまでおよそ20年間、アレクサンドラはその部屋を結婚当初のままにしておきたくて、内装が時代遅れになっても決して変えませんでした。

ではモーヴルームはどんな部屋だったのでしょうか。
メルツァーはアレクサンドラの色彩の好みに応じて、壁紙、家具、ファブリックを決めました。
ドイツ出身である上にイギリスの祖母の下で質素を叩き込まれている新妻に、敢えて値段のことは考えさせませんでした。
彼女の選んだのはシルクの淡いライラック色の壁紙。パリ産の大変高価なものでした。家具の張地は壁紙よりやや明るめで光沢のあるモスクワ産でした。

アレクサンドラがライラック色を選んだのは、この淡い色のセンチメンタルな印象が彼女の繊細でナイーブな心情に合致していたためでしょう。そしてライラックは、ニコライが彼女に初めて捧げた花。この思い出の花は、20年間、この部屋を飾るために、ロシアの各地から届けられ、彩り続けました。
傷つきやすい心、悲しみの表情を浮かべる皇后のこの部屋には、光も射し、明るい子供達の声も響いていたのです。ライラックの花も、部屋に精一杯、明るさを差していたはずです。


アレクサンドラの、淡色、透明性を好む傾向は、彼女の宝飾品の好みともまた合っています。
宝石は、淡いアクアマリン、ブルートパーズ、パール。先代のアレクサンドル3世に贈られた70万ルーブルのピンクパールを生涯愛用し、エカテリンブルグの廃坑の泥のなかでもこのピンクパールのイヤリングが、彼女の死を証するかのごとくに、発見されていました。

ここから、モーヴルームの室内空間を見ていきます。
その前に、この部屋が今の時代のロマノフファン?の人々にもてはやされる理由、それはこの部屋の窓辺の椅子で撮られたたくさんの家族写真が残されているからなのです。冒頭の写真に写っているあの椅子です。
そんな家族写真から見てみましょう。








膝の上は第二皇女タチアナ







5人目の子で待望の皇太子、アレクセイは、この部屋に太陽のような明るい光をもたらしたことでしょう











アレクセイと第一皇女オリガ

アレクセイと第二皇女タチアナ

タチアナ
髪が短いのは麻疹?にかかって髪を切ったため






アレクサンドラはせっかく恵まれた皇太子の、将来のない病に自責を背負い、間断ない死の恐怖の苦しみから次第に体も心も病み、老けていきました。

アルバムを見る第三皇女マリアと第四皇女アナスタシア

マリアとアナスタシア

皇后の親友、アンナ・ヴュルヴォワ
皇后をラスプーチンに盲従させるきっかけもこの人物による。皇帝や皇后を操っていたと言われています。


マリア・パヴロヴナは幼少時からこの部屋にはよく通され、皇女らのお姉さんとして遊びました。のちの著作でこの部屋のことを、少女趣味と酷評しています。



この部屋には大きな窓が二つ。室内に光をもたらし、窓外には大きな樹が見えました。
寝室に近い窓辺にあったこの椅子の右側には、ドアを結ぶ動線を挟んで、白いピアノがありました。ピアノはメルツァーが室内装飾に合わせて特別の装飾を施し、色はクリーム色でした。



窓を背にして向かって右の壁です。
壁にはたくさんの絵画が下がっています。


アレクセイ

アナスタシアが針仕事をしています。アレクサンドラは幼少時から、"Idle hands were the devil's workshop" を言われてきたので、子供達にも手ぶらでいさせなかったそうです。縫い物、刺繍、編み物、レース。男の子のアレクセイにさえも、編み物をさせていたとか。アレクサンドラ自らも絶えず手芸をしていました。



姉エリザベータ・フョードロヴナと



ピアノからやや左にアングルを移します。
奥に、正面の壁が見えます。中央に暖炉。
暖炉の上も、他の棚もそうですが、夥しい数のイコンや写真が並べられています。







手前の椅子に座っているアレクサンドラ。
次はこのアレクサンドラの右手真横に視点を向けます。写真の左側の空間です。






窓を背にした場合の、向かって左の壁を正面に見ています。
写真の左手にカウチがありますが、体調を崩しがちのアレクサンドラはここでよく横になっていました。正面に机と椅子があり、寝そべって読んだ後の手紙などはここに無造作に置いてそのままにしていました。
きちんとしている性分のニコライは、こういうところには閉口したそうです。







カウチの脇の腰壁の裏側には、観葉植物が置かれているようです。写真の下の方に籠があります。ここにはパズルやゲームが入っていて、子供達と遊ぶのです。

Palisander room側の壁となる写真正面の壁、右の奥には書棚と、そこに組み込まれたベンチがあります。本はアレクサンドラの好みで選ばれていて、好みの音楽、宗教や哲学、恋愛小説、旅行ガイドなど、言語はロシア語や、ほとんどが英語のもの、なかにはナショナルジオグラフィックのようなアメリカの雑誌まであり、子供達も自由に読んでいました。家族間では通常、英語で会話をしていたそうです。



視点を右に、正面壁を再び見ます。
壁左手上部に見えるのは、ニコライの肖像画。






正面の右手奥、ピアノの影となる空間にL字のソファのコーナーがあります。ここにも照明が下がっていますが、この部屋にはセンターにシャンデリアはなく、部分的に照らすペンダントやスタンドを、間接照明としてところどころに配しています。ペンダントのカバーは上等なシルク。
ちなみに、この宮殿に電気を引いたのは1895年。
アレクサンドラが嫁いでくるのに合わせて引きました。
光沢のあるシルクの家具張地は、人工光の下でより一層美しく光を放ったそうです。

ペンダントのカバーを通して零れ、部屋の空間に漂うモーヴ色の光。
笑い合う若い娘達の頬を明るく染め、家族の至福の時間を共にしたことでしょう。

家具や調度は、メルツァーによってロカイユ様式(貝からイメージされる繊細なフォルム)にまとめられています。



視点を少し右にパンすれば、先ほどのピアノに戻ってきました。





さてもう一度、家族写真の椅子、そこに腰掛けて目の前にあるのは窓辺のこの机と椅子です。
アレクサンドラの執務テーブルなのですが、アレクサンドラはここだけではなく、部屋のあちこちのテーブルで、手近な紙も使って、誰彼に思いつくままにたくさんの手紙を書く、手紙魔でした。




アレクサンドラは繊細で、あまり積極的に心を開かない性向だったそうですが、心を許せばとても優しく心配りしてくれる人だったようです。
彼女の砦、聖域であったモーヴルームは、美しく内面が飾られていましたが、写真で見る通り、細かなイコンやポートレートが所狭しと置かれていて、モノクロ写真でありながらも、やや雑然とした印象です。
高価な宝石や華やかなドレスで、自分の外見を飾ることには関心がなかったのですが、内面のさびしさや不安を埋め尽くすために、たくさんのイコンなどを並べたのでしょうか。
部屋に出入りする5人の子供達も、彼女のさびしさを完全には癒すことができなかったのでしょうか。
偏頭痛と狭心症と神経衰弱にむしばまれる体を、モーヴルームの椅子に沈めて、そこにどのような時の流れを感じていたのでしょうか。




頭に浮かぶのは、エカテリンブルグの処刑の部屋の電球の明かり。
深夜、その小さな部屋の頼りない明かりが、その部屋に初めて入って来た家族らを照らした。
生きている最後の頬に差した明かりが、事実の全てを照らしていたし、流れる血もそのままに照らした。
彼らは誰‥
亡霊の影のように、モーヴルームの明かりが彷徨って探している、過去のその顔貌。


手前の次の部屋がモーヴルーム
椅子の一部が見えています