GEN事務局会田の大同活動日記

中国黄土高原でのGENの活動や、現地の人々の生活をお伝えします。

あと少しで・・②中国編

2009年06月04日 | Weblog
 大同でお会いしたたくさんの方たちから、今までいろんな質問を受けました。その中で一番多かったのは、「どうしてこのお仕事をしようと思ったのですか?」でした。もうダントツでしたね。  
 「恋しくなる日本食は?」、「ホームシックになりませんか?」という基本的な質問から、「たまには日本に帰りますか?」はまだいい方で、「日本語はどちらで勉強されたのですか?」といった、そもそもの前提がちょっと違ってますよ・・と言いたくなるような質問まで、毎回様々でしたが。

 「どうしてこの仕事をしようと思ったのか」。GENに行き着くまでの人生をお話しようとすると毎回ながーーくなってしまうので、ここでは省略しますが、とにかくずっと思い続けてきたことは「中国の人たちに恩返しがしたい」、でした。私は何を思ったのか18歳で、中国語を一言も知らない状態で、北京へ一人で飛んで中国の大学へ入りました。「家出したんですか?」と聞かれたこともありますが、決してそんな事実はございません・・。とても前向きな気持ちでした!その大学留学の4年間に本当にたくさんの中国の方にお世話になりました。大学の先生はもちろんのこと、大学の事務局の人たち、そして中国人学生のお友達に、本当に親身になって面倒を見てもらいました。きっと世間知らずの日本娘は見ていてとにかく危なっかしかったのだと思います。

 そして何より中国語を学ぶ上で、中国人の先生はどの方も本当に熱心で、時には厳しく、そしてきめ細かく、根気強く教えてくださいました。中国人の友人も手助けしてくれました。中国の方は、本当に懐が深いんです。まるで家族同然で、女性のおばあちゃん先生は「ホームシックになってない?」といつもお母さんのように抱きしめてくれました。たくさんの方のお力で、私は自分に「中国語」という一生の大きな財産を得ることができました。

 せっかく中国語が話せるようになったのだから、お世話になった中国の人たちに恩返ししたい、と大学卒業時に自然と思うようになりました。その気持ちは不思議なことに今でもずっと色あせないのです。卒業後、企業で働きながらも紆余曲折を経ながらちょっとずつその道に近づいていって、5年前のある日、捨て犬のように黄土高原をさまよっていた私を、高見さんが大同で拾ってくださったのです。
 
 そして大同では、大同スタッフにも本当によくしてもらいました。大同スタッフもいまや家族のような存在です。私はこれまで素敵な中国の人たちとたくさん出会いました。幸せなことです。だからこれからもきっと今までと同じ想いを持ち続けていけると思います。そして行動すると思います。

*写真は、会員の小寺さんの手づくりの名札&もっくん人形。大同ではいつも一緒で、まるでお守りのように、私を見守ってくれました。